【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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Fate/Grand Order6周年おめでとうございます。


33.王道、激突

 ──地が割れる。

 

 激突する黄金と漆黒。二騎のサーヴァントが剣を交える度、衝撃波で大地は砕け、空には悲鳴のような轟音が響く。

 絶え間なく繰り出される宝具の弾丸と、その尽くを打ち落とす究極の聖剣。既に廃墟同然となっていた柳洞寺は、戦端が開かれて一分と経たないうちに災害の直撃を受けたような有様となった。

 超級の英霊が振るう武力は、一般常識で測れる領域を超越している。一撃一撃が地形を変える神秘の応酬に、どうして家屋が耐えられようか。

 

「"約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)"──!」

 

 ぐおん、と唸る漆黒の剣。

 槍の雨が降り注ぐ間隙を突き、収束された膨大な魔力は、光の奔流となって空を叩き割った。埒外の熱量を受けた宝具群は吹き飛ばされるか損壊し、振るわれた黒の刃が黄金の英霊を穿たんと迫る。

 対するギルガメッシュは、黄昏の魔剣(バルムンク)を横薙ぎに振るう。柄に埋め込まれた青い宝玉から神代の魔力が噴出し、真エーテルの供給を受けた刀身が半円状にエネルギーを放つ。漆黒と黄昏は数秒ほどせめぎ合ったものの、聖剣の火力はサーヴァントの基準においてさえ常軌を逸していた。瞬く間に、黒い暴力が全てを飲み込んでいく。

 

「ちぃ、イシュタルめの癇癪のような熱量よ……!」

 

 舌打ちした英雄王が、握った魔剣を正眼に構える。刀身が光り輝いたかと思うと、更にもう一度剣気が放たれ、エクスカリバーの一撃を力づくで押し留めた。同時、黄金の門から無数の剣が現れ、聖剣の主であるセイバーめがけて殺到する。

 しかし剣の英霊は、宝具が直撃する寸前、真名開放の一閃を終えてその場から跳躍した。右手一本で振り回される聖剣が、迫りくる宝具の全てを叩き落としていく。

 着地際を刈るべく地面から飛び出してきた槍を蹴り飛ばし、左方から飛来する矢を躱し、上方から落ちてきた長剣の柄を掴むと、後ろから射出された三本の宝具に投げつけてあらぬ方向にまとめて飛ばす。敵の宝具を利用して身を守るやり方は力任せで、湖の騎士(ランスロット)ほどの精巧さではないが、部下にできたことができぬのでは王の名が廃ろう。

 絶え間なく全方位から降り注ぐ宝具を、残像が見えるほどの剣捌きで防ぎきっていくセイバー。竜殺しや王殺し、女殺しや悪属性に対する特効、いずれもが弱点となりうる厳選された武具の直撃は、一つたりとも許すわけにはいかなかった。

 

 ──不利だ。

 

 秒間二桁を超える射撃を防ぎながら、セイバーはそう判断せざるを得ない。

 サーヴァントとしての基礎性能は、攻防共に圧倒的にセイバーが勝る。最強の聖剣(エクスカリバー)は連射が可能で、神霊級の魔術行使に等しい火力はほぼ全てのサーヴァントを圧倒できるだろう。

 ギルガメッシュに対しては既に二度の真名開放を行使し、火力で優位に立っている。しかしながら、その度に聖剣や魔剣と、防御宝具や補助宝具などの合せ技で相殺されているのが実情だった。二撃以上を叩き込もうにも、多重多角の全周囲(オールレンジ)砲撃を受けては、一撃放てるだけでも奇跡の領域だ。

 そして間断なく射出され続ける特効宝具たちは、彼女がサーヴァントとしていかに優れていようと、一撃でも貰えばどれだけの深手になるかわかったものではない。既に相当数を損壊させているはずだが、湯水のように降り注ぐ宝具に限りがあるとは到底思えなかった。彼女が弾いた宝具はどこかへ消えていくが、おそらくは英雄王の宝物庫へと回収されている。

 宝具を回収する宝具があるなら、損壊した宝具を修復する宝具もあると見て然るべきだろう。いくら壊したところでキリがないと見たセイバーは、弾切れを待つという選択肢を早々に断念した。

 

「どうしたセイバー。力で以て故国を救うのだろう? この程度の障害、早々に打ち払ってみせよ」

 

 この程度とは簡単に言ってくれる──。

 哄笑するギルガメッシュに、セイバーは内心で歯噛みする。あの男に油断があったならば、聖剣の火力はとうに黄金の鎧を両断していたことだろう。今の自身の性能なら、あのバーサーカーさえ正面から圧倒できるという確信がある。

 だが、今の英雄王には慢心はあっても付け入る隙がない。口では笑いながら、人ならざる紅の瞳は冷たくセイバーを見据えている。放たれ続ける宝具は、その一射一射が弓の騎士(トリスタン)もかくやという精緻さであり、十年前のような乱雑さとは脅威度が違う。

 膠着状態を保てているのは、ほとんど未来予知に近い直感のおかげ。しかし、セイバーの窮地を幾度となく救ってくれた能力は、英雄王にはまだ手札があると警鐘を鳴らす。盤上の遊戯とはいえ、将棋で彼と戦った際、その演算能力はセイバーの直感を凌駕していた。実戦では伍するというのは、甘すぎる見込みだろう。

 ならば、どのようにしてその手札を切り崩すか。

 

「──驕るなよ、金色」

 

 遠距離戦は弓兵(アーチャー)の領分。セイバーの聖剣は圧倒的な瞬間火力を誇るが、相手にも同等の宝具がある。通常火力や対応能力においては比べ物にもならず、撃ち合いでは早晩、飽和攻撃による物量差で詰め切られるだろう。活路を見出すには、リスクを取ってでも先のように近接戦闘を挑むしかない。

 

 直撃コースを辿る宝具、その数三十三。

 進路を阻む宝具、その数二十八。

 

 規格外の直感と膨大な戦闘経験が、降り注ぐ砲火の脅威度判定を瞬時に済ませる。戦術を切り替えたセイバーは、溢れる魔力を両足から解き放ち、ジェット噴射めいた軌道で黄金の王に突貫した。

 飛来する宝具の中から、致命的と断じたもののみを切り払い、残りは鎧による防御力で力任せに押し切る。それでも数本の刃が肌を傷つけ、苦痛で体が震えるが、即死でないのなら問題はない。痛みを冷徹な判断で捻じ伏せた時には、怨敵は既に目の前だ。

 

「倒れろ……!」

 

 袈裟懸けに振り下ろす一閃。少女の細腕から繰り出される剣撃は、空間を歪めるほどの魔力を纏っていた。

 待機させていた長剣を振り上げ、防御するギルガメッシュだったが、暴竜の豪腕は見る見るうちに彼を圧倒する。片手で剣を振るう少女騎士に、両手で剣を握る男性が力負けするという、異常極まる光景。

 

「ぬぅ──」

 

 セイバーの凄まじい膂力に抗しきれず、ギルガメッシュの剣が自身の鎧まで押し込まれ、金属音の悲鳴を奏でる。いかに際立った物理防御力を誇る鎧とはいえ、このままでは両断されると判断したのか、さすがに笑みの消えた英雄王は至近距離から刀剣宝具を撃ち放った。

 殺到する宝具群──しかし、刹那のうちに後退したセイバーは、その尽くを叩き落とす。あと一歩で勝てるという誘惑に僅かでも駆られていれば、彼女の体は串刺しだっただろう。

 直前までの力押しとは裏腹な、迅速な判断と精緻な剣技。暴力的な戦法も精密なコントロールも、相反するようであれど根は同じで、セイバーは状況に応じて最も適した戦術を使い分けているに過ぎない。呪詛に汚染されていても、なお衰えぬ直感に技量。騎士王の名を関する英霊は尋常な存在ではなかった。

 

「見事な剣捌きよな。この期に及んでも、おまえの剣は鈍っておらぬ」

 

 セイバーが退いたことで生まれた、五メートルほどの距離。その先に立つギルガメッシュは、感心したように頷いた。

 どれほど肝が据わっているのか、寸前まで命の危機に瀕していたというのに、英雄王は未だ余裕の態度を崩さない。台詞こそ称賛するようであるが、嘲弄とも取れるような声の色に、セイバーの瞳が険しくなる。

 

「かつての貴様は、民どもを守るために剣を鍛えたのだろう。我は剣士ではないがな、その程度の目は持っている。

 ──それが今や、民どもを殺すために剣を振るうとはな。つまらん喜劇もあったものだ」

 

「……なに?」

 

 セイバーの表情が歪む。揶揄するギルガメッシュの台詞の意味が、彼女には理解できなかった。

 価値基準、行動原理が変容しただけで、セイバーの目的は最初から一貫している。彼女は国と民のために心身を捧げた英霊であり、騎士王が振るう刃に私欲はない。行動の結果として無辜の犠牲(コラテラル・ダメージ)が生じることは皆無ではなかったが、殺戮そのものを目的として力を行使したことは一度たりとも存在しない。

 

「なんだ、気づいていなかったのか? まったく、つくづく滑稽な道化よ」

 

 訝しげなセイバーを嘲笑するギルガメッシュ。剣を放り捨てた彼は、見ろとでも言うように、空いた手で寺の残骸裏を示してみせた。

 

「言ったであろう? あの願望機は呪いに満たされていると。その意味を貴様は理解していない。いや──それとも、理解を拒んでいるのか」

 

 辛うじて聞こえてくる戦闘音。それが何によって奏でられているのか、セイバーは当然承知している。

 聖杯を汚染した呪詛の一部が、ある種の使い魔のような形で具現化したのが、裏手の池で暴れている影たちだ。あれだけでもサーヴァントを飲み込む脅威だが、本体からすればほんの末端に過ぎない。聖杯の内側には、文字通り人類全てを殺し尽くして余りある呪いが内包されている。

 しかし、今のセイバーにとってそんなことは大した問題ではない。

 

「戯言を。汚染されていようと、聖杯は機能している。私や貴様が召喚され、こうして聖杯戦争が行われていることがその証拠だ。願望機として動くのであれば、中に何が入っていようと問題にはならない」

 

「それは希望的観測というのだ、セイバー。楽観という毒に身を委ねた末路がどうなるか、貴様自身が身を以て味わっただろうに」

 

 こうすればよりよい国になるはず、こうすればわかってもらえるはず──かつての自分に、そういった願望がなかったとは言い切れない。その果てに待っていたものは、国を二つに割った内乱だった。

 痛いところを突かれたセイバーが沈黙する。対するギルガメッシュは、腕を組んで瓦礫の向こうに目を向けた。

 

「呪いというのは、呪う相手がいて初めて存在意義を持つ。聖杯の中に留まっている限り、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』とやらはカタチもなく何者も殺せぬただの汚れに過ぎん。

 あのような影が現れたのは、ヤツがこの世に生まれたがっているからだ。人を呪えという願いを実現するためにな。

 だが、聖杯とはあくまで他者の願いを叶えるもの。ヤツ自身が能動的に動くことは叶わぬ。あの影とて、所詮は器の使い魔に影響を及ぼしているだけのもの。『この世全ての悪(アンリ・マユ)』が主体となっているわけではない。

 ──そろそろ分かるだろう、セイバー。ヤツが存在意義を果たすためには、どうすればいいのかがな」

 

 聞きたくない、と少女のどこかが悲鳴を上げる。言わせてはならない、と騎士の直感が訴える。力で口を封じようと、セイバーは半ば衝動的に突貫したが、無数の宝具に足を阻まれてしまう。

 機関銃の制圧射撃に等しいそれは、頭を押さえるという戦術目的に忠実だった。槍剣が大地を叩き割る音、聖剣が宝具を打ち砕く音が、たちまちのうちに池の戦闘音をかき消していく。

 セイバーにとって屈辱的なことに、宝具を繰り出し続けるギルガメッシュは彼女のことを見てすらいない。この短時間で性能や動きを分析し終えたのか、降り注ぐ砲火は厭らしい精密さでセイバーの行動を縛っている。しかし当の本人は、聖杯の影が暴れる方を見つめながら嘯くのみ。これだけ轟音が響いているにも関わらず、不思議と響くその声は、セイバーの神経をいっそう逆撫でした。

 

「そう。聖杯に願われた他者の欲に、自らの欲を上乗せしてしまえばよい。

 世界一の金持ちになりたい? ──全ての人間を滅ぼせば、世界一の財貨を得られよう。

 人類に平和をもたらしたい? ──全ての人間を滅ぼせば、争いなど二度と起こるまい。

 聖杯を手にした者の願いは叶えられ、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』の存在意義もまた果たされる。最近の当世では、なんと言ったか……そう、Win-Winの関係とでもいうヤツか」

 

「……黙れ」

 

「さて。既に滅びた故国の救済、だったか? 我が聖杯ならば、そうさな──今の世界を滅ぼし、かつて生きていたモノを集めて当時の国を再現しようか。

 終わることなく日々を繰り返す死者の国民、この星にただ一つとなった死の国家。喜べセイバー、貴様の故国は救われ、未来永劫何者にも侵されることはない。なにせ、敵も味方も全て死に絶えているのだからな!

 こうして、貴様の悲願は無事果たされるというわけだ。よかったではないか、騎士王?」

 

「ッ、黙れ下郎──"約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)"!」

 

 幾つかの宝具が突き刺さるのも構わず、灼熱の息吹が地を薙ぐ。わかりきったような薄笑いを浮かべるギルガメッシュが、もはやセイバーには我慢ならなかった。

 山ごと吹き飛ばして余りある膨大なエネルギー投射に、余裕たっぷりに構えていた英雄王は盾の宝具を即時召喚。だが、戦略級対城宝具は生易しい防御で凌げるものではなく、四枚展開された防盾は僅かに光を押し留めただけですぐに断ち割られてしまう。後先考えずに魔力を叩き込んだためか、その一撃は明らかに威力が増していた。

 ギルガメッシュの眼差しが鋭くなり、近場に浮遊していた白い剣が引き抜かれる。あわや黒光に飲み込まれるという直前で、『燦然と輝く王剣(クラレント)』から膨大な魔力が溢れ出し、所有者の王気(オーラ)を叩きつけるが如き一閃が聖剣の脅威に抗った。

 盾で威力を削っていたからか、さすがに相殺に成功し、黒い光が儚く消えていく──刹那、その残滓を吹き散らし、突っ込んでくる騎士の姿!

 

「なに?」

 

「塵となれ、英雄王!」

 

 宝具に貫かれながらも、セイバーは突撃を止めない。真に致命傷となるモノ以外はどうなろうと構わぬと、自身の回復性能に任せた半分捨て身の攻撃。

 肩に刺さった槍からは冷気が骨を凍らせ、膝を裂いた斧からは毒が肉を腐らせ、腹を薙いだ剣からは熱が血を焼くのを感じる。それらの激痛を知ったことではないと無視し、超速再生能力で強引に傷を塞ぐ判断は、ギルガメッシュの先見を上回っていた。

 

「ほう──」

 

 一本では防ぎきれぬと判断したのか、セイバーの斬撃が降り注ぐ寸前、左手で『無毀なる湖光(アロンダイト)』が引き抜かれる。重ねられた双剣に黒い聖剣が激突し、押し込まれたギルガメッシュがたたらを踏んだ。

 

「さすがは雑種どもを救おうと謳いながら、殺戮を求める女の剣だ。重みが違う」

 

「貴様の戯言は、確証のない推測に過ぎん。愚論の代償に、今ここで沈め──!」

 

 鍔競り合うエクスカリバーに魔力が叩き込まれ、防ぐギルガメッシュが耐えられなくなっていく。セイバーにとって相性最悪の原初宝具を二本同時に振るい、体格で上回り、『無毀なる湖光(アロンダイト)』による身体能力強化まで受けているにも関わらず、両者にはそれだけの性能差がある。こと白兵戦において、今のセイバーは最強だ。

 至近距離から宝具を撃ち放って距離を置こうにも、一度受けた攻撃を甘受する騎士王ではない。巧妙な位置取りと体捌きで射線を通さず、圧倒的に優る膂力を以て宝具の相性をねじ伏せる。その桁違いの剛力に、ギルガメッシュの体が衝撃で傾いた。

 

 ──取った!

 

 その僅かなブレを見逃さず、黒の聖剣が閃く。芸術的なまでの剣技によって、鍔競り合っていたギルガメッシュの宝具が、二刀共に手から弾き飛ばされた。

 完璧に決まった一撃だった。もはやセイバーを阻むものはなく、返す刀でその首を──。

 

「っ……!?」

 

 無防備な首を断ち切ろうとした刹那、何かに右足を引かれ、セイバーが前のめりに転びかけた。踏み込みのために全体重を右足にかけた、まさにその一瞬を狙いすました奇襲。

 一点に集中した重心を崩されては、どれだけの身体能力を持とうと、人体の構造上耐えようがない。驚愕するセイバーは、網のようなもので右足が絡め取られていることに気づいたが、魔力放出で体勢を立て直そうとした時には一秒遅く。

 

「──視野狭窄も極まったな」

 

 剣を握っていた右手首が掴まれたかと思うと、セイバーの視界が反転していた。直後、背中を襲う強烈な衝撃!

 強靭な鎧を纏っていようと、純粋な衝撃は内側まで通る。呼吸ができなくなり、苦鳴を零したセイバーは、それでも最大級の警告を鳴らす直感に従い身を捻った。ちらつく視界に黒い影が落ちたかと思えば、耳の側で爆音と衝撃が響き、その余波でセイバーの体が吹き飛ばされていく。

 不十分な視界と僅かな空気の振動、そして命綱の直感を頼りに、これだけは離すまいと握りしめていた聖剣を振るって身を守る。空中で飛来する宝具群を凌ぎきり、なんとか両足で着地する頃にはダメージは回復していたが、セイバーの顔には理解不能なものを見た混乱があった。

 

「まったく、馬鹿の一つ覚えよ。近づきさえすれば我を倒せるとでも思ったか、たわけ」

 

 ()()()()()()()()右足を引き戻し、腕を組んだ偉そうなポーズに戻るギルガメッシュ。堂々たる佇まいの英雄王とは対象的に、いったい自分の身に何が起きたのかを整理したセイバーは、肌が粟立つのを抑えられなかった。

 

 最初から、全てが彼の思惑通りだったのだ。

 

 僥倖の拘引網(ヴルカーノ・カリゴランテ)──セイバーは預かり知らぬことだが、イタリアの伝承において、凶悪な巨人カリゴランテが人間を捕らえて貪り食うために用いた網である。人間どころか巨人や神すら捕縛するという宝具の拘束能力は折り紙付きだ。

 しかし、今のセイバーの身体能力は桁が外れており、拘束宝具を力づくで打ち破りかねない。故にギルガメッシュは、文字通り絡め手としてその宝具を用いたのだ。

 あの網は、セイバーが通るルートに予め罠として敷かれていた。ギルガメッシュは彼女の力に押されて後退したように見せかけ、罠の場所に移動。先程からの交戦で、セイバーは白兵戦によるごり押しならば英雄王を圧倒できるという確信を得ていたが……それさえも、()()()()()考えにすぎない。そもそも、彼の王が同じ手で何度も窮地に立たされるということからして異様だったのだ。

 まんまと罠に嵌まり、よろめいたセイバーを地面に叩きつけたのは柔道でいうところの投げ技。その後の踏みつけ、それを避けられた際の宝具投射と、ギルガメッシュの罠は五段構えにも及んでいる。その尽くを首の皮一枚で凌ぎきれたことは、ほとんど幸運の産物だ。

 

「──見えている世界(モノ)が違う」

 

 慄然とする騎士王。ギルガメッシュが全英霊の頂点と謳われる所以の一端を、彼女は垣間見ていた。

 彼より優れた戦士は大勢いる。驚異的な戦闘能力も、各神話体系の頂点に近い英霊であれば比肩する者はいるだろう。政治家として、あるいは戦略家として、彼に近い頭脳を持つ者もいるだろう。ではなぜ、殊更に英雄王を恐れなければならないのか?

 その答えは、彼の持つ総合能力にある。すべてを見た人(シャ・ナクパ・イルム)とまで記された視野の広さ──そして、その眼が映し出した道を具現化するあらゆる手段(宝具)

 以前セイバーはサーヴァントを将棋の駒に例えたことがあったが、ギルガメッシュはゲーム盤そのものをコントロールしているのだ。力が強かろうが、頭が回ろうが、立っている次元が違うのだから勝ちうる道理がない。

 

「ふん。目に映るものは変わらぬ。貴様が盲目なだけだ、セイバー」

 

 しかし。畏怖の目を向けられたギルガメッシュは、呆れ果てたように首を振った。

 

「おまえは戦う理由、求める願いの本質を見失っている。己の足元さえ見えておらぬ者が、どうやって先を読むというのだ」

 

「私が、願いを見失っている……? それこそ世迷い言だ。私の悲願は最初から変わっていない」

 

「いいや。そうであったならば、貴様は未だ星の輝きを放っていたことだろう。理想が妄執へ堕ちたからこそ、おまえは無様な姿に成り果てているのだ」

 

「私を侮辱するか、英雄王。統治するべき国を捨て置き、不死を求めて放蕩に明け暮れた貴様に、私の願いの何が分かる」

 

 叙事詩に曰く。死の呪いによって親友を喪ったギルガメッシュは、不死の秘宝を求めて幾年も荒野を彷徨ったという。その間、統治者が不在だった国がどうなっていたかなど、想像に難くない。

 最後まで国家を延命しようと足掻き続け、今も戦うセイバーにとっては、その無責任さが腹立たしい。そんな男に説教される謂れはない、と殺気を叩きつけるセイバーに、ギルガメッシュは苦笑を浮かべてみせた。

 

「まったく耳が痛い、神官(シドゥリ)めの説教を思い出すわ。不死の探索の後、我がウルクに戻った折に、残っていたものは怒れるあやつと廃墟だけであった。あそこから立て直すには苦労したものよ。

 だがな、セイバー。おまえは、かつての我と同じ愚かさを繰り返している自覚はあるのか?」

 

 予想外の返しに、セイバーは言葉に窮してしまう。プライドが天より高い男が過ちを認めたのが驚きなら、自分が彼と同じことをしているというのは意味不明だった。

 

「我が過去を語るなど、それ自体がありえぬ事だというのに、よもや一夜のうちに二度とはな。玉音を賜らんとするなら、死に等しい代償を払うのが道理だが──それは()()()で良しとしよう。

 いかにも。貴様の言う通り、我は死から逃れる術を求め、玉座を放り捨てて彷徨い歩いた男に他ならぬ。さて──かつての我と今の貴様、どこに違いがある?」

 

「ふざけたことを。国に身命を捧げた私が、私利私欲に溺れた貴様と同じとでも言うのか」

 

「同じだとも。己の欲に取り憑かれた貴様は、自らの王道を見失った。王道のために手段を求めたはずが、手段と目的が入れ替わり、何のためにそれを志したのかすら忘れた愚か者よ。

 アーサー王よ。貴様は、何を以て選定の剣を手にしたのだ」

 

 ──それを手にする前に、きちんと考えたほうがいい。それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ。

 

 かつての記憶が蘇る。

 選定の剣に手をかけた時、いたずら好きの魔術師は、そんなことを言っていた。それに対し、果たして自分は何と答えたのだったか。いや、そもそも自分は、どうして剣を抜こうとしていたのか──。

 

「セイバー。我と貴様はある意味では真逆だが、ある意味では似通った在り方をしている。我も貴様も、王としてはじめから『設計』された存在だ。

 我は生まれながらの王だった。我は遠くを見通す目を持ち、多くのものを眺めてきた。賢者の閃きも、愚者の醜態も、尊ぶべき発明も、唾棄すべき汚物も、何もかもを目にしてきた。神どもは、人と神とを繋ぎ止める楔になれと我に命じたが──我は自ら、己が王道を見定めた。

 無造作に、無作為に増え続ける人間の創造物。それらを蒐集し、裁定し、価値を定める超越者──人でもなく神でもない、絶対なる存在にしか叶わぬ役割こそが、我の仕事だと結論づけたのだ。古びた神どもは、その仕事の邪魔でしかない」

 

 ギルガメッシュが神々と戦った理由。ただ不愉快な仇敵に過ぎなかった彼が、毅然と語る己が王道。その瞳の気高さに、セイバーは口を挟めなかった。

 自分と彼は違う。しかし、同じ部分はある。ギルガメッシュが神に抗ったように、セイバーは敵と戦った。彼女にとって、ブリテン島の魔物や侵略者たちは、平和という理想を阻む障害だったのだ。彼女と同じように、目的のため戦い続けたギルガメッシュは──。

 

「しかしある時、我は最大の脅威に襲われた。『死』に打ち勝たねば、人の行く末を見届けることなどできぬと気がついたのだ。

 そこから先は、おまえも知るとおりだ。我は死を打破する手段を求め、何年も彷徨い歩いた。そして、不死の霊草をこの手に収め──失って、ようやく目が覚めたのだ。そんなものを使っては、我の仕事は果たせなくなる。そんな手段は、我の王道には不要であるとな」

 

 朧気にだが、彼の言いたいことが見えてきた。この男は、かつての自分にとっての『不死』が、今のセイバーにとっての『聖杯』だと示唆しているのだ。

 それは分かったが、背景がまるで見えてこない。そもそもギルガメッシュは、どうして不死を手放したのか。自分が故国救済のために聖杯を求めているように、人類の歴史を見届けるというのならば、不死の霊草は彼にとって必要不可欠だったではないか。その結論のどこに過ちがあったのか、その過ちが今のセイバーにどう繋がるのか、結論を見いだせない彼女は内心で困惑を深めていた。

 

「──今にして思えば、そんなものはとうに気づいて然るべきだったのだ。だが、恐れが眼を曇らせ、単なる手段であったものが妄執へと変わった。

 笑える話だ。我は愚かさにおいても、貴様らの遙か先を行っていたというわけだ。たかがそんなことのために、荒野を何年も彷徨い歩いたのだぞ? 答えなど、最初から目の前にあったというのにな。それに気づいていれば、己の誤りなど明白であったわ」

 

 困り顔のセイバーとは対象的に、ギルガメッシュは肩を揺らして笑う。

 目的を果たすための答えは、最初から目の前にあると彼は口にした。では──セイバーの目的は、アルトリアという少女が抱いた理想は、いったい何から始まったのだろうか?

 

「──私は」

 

 カムランの丘。

 自分の臣下や領民たちの躯が、数限りなく並ぶ死の戦場。目に焼き付いているのは、その夕暮れの光景だった。

 惨劇と絶叫、最後には不気味なまでの静寂しか残らない、地上に溢れ出した地獄。たとえどのような手段を使おうと、あのような惨禍を否定する。恐怖と流血を招いた自分のような愚者ではなく、より優れた王を選び直し、嘆きに満ちた結末を変える。それだけが、今のセイバーに残された願い。

 死という結末に怯え、その恐怖を覆そうとしたギルガメッシュと自分が重なる。彼は不死の霊草を求め、自分は万能の願望機を求めた。かつての彼は終わりに怯え、今の自分は終わりに取り憑かれている。始まりの理想がどこにあったのか、セイバーは未だ思い出せていない──。

 

「我はな、セイバー。当世で多くのものを見てきた」

 

 押し黙る彼女に、ギルガメッシュは静かな口調で語りかける。人ならざる紅の瞳は、セイバーに向けられているようで、どこか遠くの光景を思い浮かべているようでもあった。

 彼の『誤り』を質そうとしたセイバーだが、機先を制されては言葉を放てない。認めるしかないが、この男のカリスマはずば抜けている──セイバーの心を揺さぶり、最も彼女が知りたいところに意識を向けたところで、彼は思わせぶりに話を転換してくるのだ。主導権を握られている、場を支配されていると理解していても、こうなっては聞き手に回らざるを得ない。

 

「この十年、我は惰眠を貪っていただけではない。我の治世より五千年、雑種どもの世界は広くなり、この星の大半を覆い尽くした。どのような変化を迎えたか、検分するのも王の努めであろう?

 今の時代は、数日もあれば星の裏側に手が届く。北欧から南米まで、主な場所は見て回ったさ」

 

 魔術や神秘が支配していた時代とはまるで異なる現代社会。聖杯から付与される基礎知識のみならず、自分自身の目でも、セイバーはその真髄を目の当たりにしている。

 十年前の聖杯戦争においては、アインツベルンの領地から日本までを飛行機で移動し、オートバイを駆使して冬木市を駆け回った。見たこともない機械の数々、世界中をリアルタイムで繋ぐインターネットという文化──それは超常の神秘を見慣れた彼女をしても、幾度となく驚きに瞠目したものだった。

 しかし、それらの驚きは本当の意味でセイバーの心には響かない。彼女に見えているものは、あの血に濡れた終わりの風景だけ。ギルガメッシュが親友の死に囚われ続けたように、彼女は今も、過去の罪に苛まされている。

 

「貴様の母国、英国(イギリス)にも足を運んだぞ」

 

 びくん、とセイバーの肩が震える。

 自分の治世から、何世紀も経たこの時代。現代のイギリスは名だたる大国の一つに数えられるという情報を、彼女はとうに知っていた。

 だが、それはあくまで僅かな知識としてでしかない。セイバーはそれ以上の情報を持たない──いや、()()()()()()()()()

 聖杯戦争の渦中とはいえ、四六時中剣を振るっているわけではない。大概の事柄は即日調べがつく現代において、調べ物をしようと思えばいくらでも調べる時間はあった。そうしなかったのは、関心がなかったからでも、余裕がなかったからでもない。セイバーは、()()()()()()()()()()()のだ。

 臣下や民の信用を失い、国を二分をする内乱を引き起こし、国土を荒廃させ、数え切れない死体の山を作り上げた愚かな王……それが、アルトリアの自己評価だ。王として下した決断に後悔はないが、その行き着く先があの惨状であるのなら、自分はどうしようもなく間違えていたに違いない。見る影もなくなった王国がその後どうなり、自分はどんな王として謗られているのか、今の彼女にそれを掘り下げる勇気はなかった。

 

「食文化はひどいものだが、面白いものもあった。アーサー王の墓地(グラストンベリー)など、今は観光地になっているそうだ」

 

「は──観光地?」

 

 現地でどんな扱いを受けているのかと内心怯えていたセイバーは、ギルガメッシュの言葉を理解できぬという表情になった。

 今いる時代が、自分の治世から遥かな未来だと理解はしているが、彼女には在りし日の記憶が残っている。過去の懺悔と自己否定に満ちたセイバーにとって、つい先日まで自分がいた土地が人気のスポットになっているというのは、二重の意味で理解し難いものだった。

 

アーサー王生誕の地(ティンタジェル)に、花の魔術師(マーリン)めの洞窟──ああ、カムランの丘(アーサリアンセンター)もあったな。我は数日かけて見て回ったが、どこもなかなかに賑わっていたぞ」

 

「……何が言いたい」

 

「まだ解らぬか。アーサー王という英雄が築き上げた功績、貴様という為政者が見せた王道は、この時代でも輝いているということだ」

 

 人類史に名前を刻んだ英雄は数多い。

 王族、戦士、学者、政治家。民族、地域、宗教、国家ごとに多種多様な英雄が存在し、歴史や文化に強い影響を与えてきた。

 しかし、英雄たちの中にも格の差は存在する。一つの集落で崇められている勇者と、土地や人種の垣根を超えて名を轟かせた覇者であれば、一般的には後者がより上位の格を持つといえるだろう。

 英霊としての格や強さは人類史における知名度、ひいては信仰が影響する要素が大きいが、アーサー王は極めて強力な英霊の一人である。それは即ち、彼女がそれだけ大勢の人々に知られている──英雄として認められているという証左。

 

「国が滅びたといったな、セイバー。だが、国と人とは別のものよ。人間というのはな、その生命力で神どもから星の覇権を奪い取った種族の名だ。たかが国が消えた程度で、人間どもが、奴らが生み出したものがそうそう消えるものか。

 そも、民どもが死に絶えているならば我らの記録など残るまい。貴様が英霊としてこの時代に存在していること、それ自体が貴様の功績の証明だ。

 伝説にしろ悪評にしろ、アーサーという王の業績は民どもが千年先まで伝え継いだのだろう。おまえが守った、おまえに救われた人間は、それなりにいたということさ」

 

 衝撃で、セイバーの目が見開かれた。血みどろの内戦を引き起こし、時空を超えた先でまでかつての臣下(ランスロット)に剣を向けられる顛末を迎えた彼女は、結果的に自らのしたことは悪政だったのだと結論づけていた。

 かつての過ちを償うために、セイバーは聖杯を求めている。その悲願は執念を超えて強迫観念の域に近く、この世全ての悪(アンリ・マユ)に魂を汚染されてなお、彼女の身を突き動かしている。

 英雄王の言葉は、その根底を揺るがすものだった。彼個人の評ではなく、客観的な証拠を突きつけられたことが、感情的な反論を封じてしまう。

 

「聖杯で過去を覆す──なるほど、よかろう。地獄へ続く悪路であろうと、道を選ぶ権利はおまえの自由だからな。

 だが、歴史への干渉がどのような影響を引き起こすのかは我の眼でも未知数だ。最悪の場合は、先の我の予測が実現しよう。しかし、最善の場合……そうさな。貴様の想定通り、より優れた王が選定され直され、時代が乱れなく進んだとしよう。その場合ですら、貴様の選択は、()()()()()()()()()()()()

 アーサー王の姿を見た人間が作り上げ、この時代まで残した文化や伝承。それを見た後の時代に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()もいるやもしれん。我の宝物庫にもないそれらの財を、貶めようとしている愚か者が貴様だ。なにせ、貴様の後に続いたモノ、その全てを消し去ろうとしているのだからな!」

 

「な──っ」

 

 セイバーは危うく剣を取り落とすところだった。慌てて手に力を込め直すが、微かな震えが止まらない。

 己が間違っていると糾弾されたことは初めてではない。十年前、かの征服王と言葉を交えた際、彼はセイバーの王としての在り方を批判した。欲望のままに大陸を制した王と、国民の救済に忠を尽くした王とでは道が交わる道理がなく、セイバーは征服王の理解を得られなかったことにある意味では納得していた。

 その席には英雄王もいたのだが、彼はセイバーを肯定するでも否定するでもなく、何がツボに入ったのか不愉快なまでに笑い転げていた。まがりなりにも征服王とは議論の余地があったが、英雄王は話の通じる相手ではない──セイバーはそう断じ、以降は彼を警戒すべき不快な敵と認識した。

 何故自分が嘲笑されたのか、その時のセイバーにはまるで分からなかった。当時の英雄王にも、それを語るつもりはなかっただろう。しかし、十年経った今になって、セイバーはその理由を突きつけられてしまった。

 民を救うと訴えるのと同じ口で、救った民を踏み躙ると公言する。しかもそれを、何一つ理解していないままに。形は違うにせよ、王であり政治家であった者からすれば、セイバーの姿はさぞ滑稽に映ったに違いない。

 

「かつてのおまえは美しかった。身に余る理想を掲げ、どのような現実にも屈さぬという、その信念が純粋だったからだ。手段はどうあれ、おまえはよりよい未来という『先』を目指していた。

 だというのに、今の貴様はなんだ。ただ過去の失敗を帳消しにしようと足掻き、生まれる犠牲から目を背け、手段に拘らぬなどと戯言を吐いて自分自身すらも騙している。自らを善と信じる殺戮者なぞ、滑稽を通り越して醜悪だ。

 普段であれば捨て置いたのだがな。まがりなりにも、貴様は我が価値ある宝として見出した女だ。輝きを失い、朽ちさせるには惜しい。我の()()を阻まんという愚か者に、丁寧に語ってやっている寛容を知れ、セイバー」

 

 ギルガメッシュの言い分は身勝手だった。セイバーという人間を一方的に評価し、断罪し、挙句に恩着せがましい態度を取る相手など、一蹴して然るべきだろう。

 十年前のセイバーであれば、おそらくそうしていた。征服王と三人で盃を交えた宴席のように、侮辱なら剣を以て語れと一喝したに違いない。しかし──今の彼女は、動くことさえできないほど打ちのめされていた。英雄王の言葉は、今の彼女が拠り所としていたものを、ずたずたに引き裂いたのだ。

 いや……引き裂いたというよりは、ベールを剥がしたというべきだろう。セイバーが見ようとしていなかったもの、セイバーが目を背けていたものを、ギルガメッシュは最初から見抜いていた。おそらくは、十年前のあの時から。

 

『セイバー。おまえの願いは、おまえを信じた者たちへの裏切りではないのか?』

 

 記憶を失っている間も、この男の根底は変わらなかった。自分という人格を形作る根本である、過去の記憶。それが消え去ってもなお、彼の言動が揺らがなかったのは。

 

「我は人間を裁定する王だ。人間どもが生み出す知識を、技術を、財として収め価値を測るのが我の仕事だ。その我を差し置いて、財を無価値と断ずるばかりか、財そのものを消し去ろうなど、度し難いにも程がある」

 

 その王道が、何よりも強固だからだろう。

 常人の理解と隔絶した、ある種狂っているように見えて、英雄王の言葉には芯が通っている。途方もなく身勝手な物言いだが、彼の目線、彼の王道からすれば、それは至極当然の内容なのだ。

 翻って、セイバーはどうか。人々によりよい営みを、故国に安寧をもたらそうと走り続けてきたが、信念と行動が矛盾していることを示されてしまった。信念の正誤ではなく、信じた理念に背を向けていると詰られては、言い返しようがなかった。

 彼女は、かつて生まれてしまった大勢の犠牲を救おうと心に決めていた。そのためなら、どんな代償でも払う心算だった。セイバーが見ていたものは、あの血塗れの戦場であり、彼女に失望して去っていった臣下や民衆の姿だったからだ。

 だが、ギルガメッシュは彼女の功績が現代まで残っていると語った。それはアーサー王に救われた者が、確かに存在したという証拠。犠牲をなかったことにするというのは──その一方で、救ったはずの人々を殺すということになる。

 

「……いや。いや、違う。私より優れた王を選び直せば、私が救った人はそのままに、さらに大勢の人を助けることができるはず──」

 

「少なくともあの小僧は、未来を見据えていたぞ」

 

 それでも、と縋るセイバーの言葉を、ギルガメッシュは切って捨てた。

 衛宮士郎──英雄王のマスターは、十年前の大火に巻き込まれ、多くの死を目の当たりにした。それを自己の責任であるとし、罪を償おうと身をすり減らす姿には、セイバーも思うところがあった。

 しかし、士郎はセイバーとは違い、聖杯を求めていないという。セイバーのように救えた人がいたわけでもなく、彼はただ苦痛を受け、被害を見てきただけの立場。聖杯戦争による災禍は誰が得したわけでもなく、ただ死と絶望を撒き散らしただけだったのだから、その過去を帳消しにするというのは()()()()()の選択肢だ。今のセイバーのような葛藤も必要ない。

 だから尚更、セイバーには分からない。どうして彼が聖杯に価値を見いださないのか。どうしてギルガメッシュが、そんな彼を肯定しているのか──。

 

「簡単な話だ。過去を帳消しにするというのは、その過去に耐えた者どもへの侮辱に他ならぬ」

 

「──っ」

 

「ふん。その顔を見れば、おまえの考えていることぐらい我でなくとも読めるわ。

 人類の歴史も、人の生も、その全てが幸福に溢れているわけではない。誰の得にもならぬ、誰にとっても起きぬ方がよかった出来事など数多あろう。それによって失われたモノも数知れぬ。

 だが、どんな物事にも必ず残るモノはある。それが財産であれ、負債であれな。己の過失によらぬ出来事に苦しみ、過去に苛まされながらも、それでも負債に屈するまいと前に進む者はいるのだ──あの小僧のように。過去を変える手段を示されても、()()()()()()に牙を剥かれても、『それでも』と前に進めるのが人間というものだ。我が認める『価値あるもの』だ。

 貴様の愚かな考えは、ヤツの矜持への最大の侮辱だ。その傷を、その苦しみを無価値と断じられるのは本人のみ。

 それをなんだ貴様は。苦しいなら聖杯で過去を変えればよいだと? 負債と戦うあの男に価値はないと? 神にでもなったつもりか、たわけッ!」

 

 英雄王の一喝に、今度こそセイバーは怯んだ。彼の怒りは正当なものだと、頭よりも先に心が理解してしまっていた。雷に打たれたような衝撃が、彼女の心を駆け巡る。

 

『──その滅びは必定だ。悼みもしよう。涙も流そう。だが決して悔やみはしない。

 ましてそれを覆すなど! そんな愚行は、余とともに時代を築いた全ての人間に対する侮辱である!』

 

 十年前、征服王イスカンダルから向けられた怒声。あの怒りの意味が、今になってようやく理解できた。

 英雄王にとっての価値ある財。征服王にとっての臣下との絆。セイバーの悲願は、彼らの重んじるものに泥を塗る行為に等しいのだ。

 誰も彼もが死に絶えた、カムランの丘という血塗れの地獄。彼女を見限り、裏切っていった臣下たち。だが──よく考えてみれば、国民や臣下の全てが裏切ったわけでも、全員が死んでしまったわけでもない。あの内乱は深い爪痕を残しただろうが、艱難辛苦に耐え、今の英国へ至る道筋を築き上げた者たちがいたはずだ。自分の治世を否定し、歴史を書き換えるということは、彼らの存在そのものを貶める恥知らずな決断ではないのか。

 

「っ──では、犠牲となった者たちはどうなる!? 苦しみに耐えた者たちが尊いと、彼らの功績を汚すなというのなら、私の過ちで死んでしまった皆へどう顔向けすれば──」

 

「馬鹿め。全ての人間を満たし、生かすことなど不可能だ。それすら理解せずに王を名乗るか、小娘。

 違うだろう。犠牲が生じると、輝かしい未来ばかりではないと、おまえには分かっていたはずだ。それでも、と前へ進むに足る光が、おまえの裡にはあったはずだ。

 思い出せ騎士王。おまえは一体、何が欲しかったのだ」

 

 自分が本当に欲しかったもの。

 その言葉が鍵になったように、靄に覆われていたかつての記憶が、溢れるように広がった。摩耗していた記憶が、呪いに侵されていた魂が、この一瞬はっきりと蘇ったのだ。

 

 ──もう、ずっと昔の話だった。

 

 それを抜いた者が王となる、という聖剣。国中の名だたる騎士が集まり、その剣を抜こうと試みたが、誰一人栄光を掴むことは叶わなかった。

 誰にも抜けないなら挑戦する意味もないと、騎士たちは剣に興味をなくして離れていった。そうして、岩に刺さった剣だけがぽつんと取り残された静寂に、ただ独り近づいたのが彼女だった。

 剣に手をかけようとした時、魔術師は言った。それを手にすれば、待っているのは破滅だと。あらゆる人間に恨まれ、惨たらしい最期を迎えるのだと。その光景を、悲劇に満ちた未来を、はっきりと見せられた。

 だけど。

 

『──多くの人が笑っていました。それはきっと、間違いではないと思います』

 

 そうだ。自分は、この結末を知っていた。だから後悔などしないと、最後まで誓っていたはずではなかったか。

 だって、見せられた未来にあったものは、それだけではなかったから。苦難や惨劇を乗り越えて、笑って暮らしている人たちの姿があったから。ああ、どうしてそんなことを忘れていたのか。剣を抜いたあの時から、答えは自分の中にあったのだ。

 犠牲にしたものがある。失われたものがある。いつか必ず、終わりの日がやってくる。だけど──そこには必ず、残されるものもある。

 

「そう、か──。英雄王。()()()()()、あなたは不死の薬を打ち捨てたのですね」

 

 彼の結論が、今なら問うまでもなく理解できる。

 世界とは、そういうものなのだ。どれほど尊い命でも、どれほど偉大な功績でも、いつか必ず土に還る日がやってくる。そして残されたものが輝き、新たなものが芽吹いていく。その移ろいこそが、人の世の根幹に他ならない。その枠から外れ、ただひとり不死となったところで、いったいどうして人の世界を測れようか。

 彼が求めた不死も、自分が願った聖杯も、結局は同じことだ。聖杯に奇跡を願い、首尾良くそれが叶えられたところで、それでは今度こそ何も残らなくなってしまう。かつての自分の誓いも、人々の笑顔も、犠牲の意味も、何もかも。

 

『奇跡には代償が必要だ。アーサー王よ。君はその、一番大切なものを引き換えにすることになる』

 

 聖剣を抜いた時、マーリンから告げられた言葉。あの魔術師は、この未来をも見通していたのだろうか。

 

「私の治世は──無駄ではなかった」

 

 そうだ。多くの人が笑っている光景、あの日抱いた理想が叶った世界を、自分はもうこの目で見ている。

 苦しみと死、恐怖と飢えが隣り合わせだったかつての治世と比べ、現代社会は凄まじいまでの進歩を遂げた。聖杯戦争の関係上、主に目にしたのは日本の風景だが、母国はこの国に並ぶ先進国だという。十年前も今も、自分は見ようとしていなかっただけで、栄誉ある英国の姿を一度ならず見聞きしていたはずだ。そこには間違いなく、笑顔と活気が満ちていた。

 

 なんだ──聖杯に願うまでもなく、自分の理想(ユメ)は、叶えられていたじゃないか。

 

「──む?」

 

 いつの間にか、手から滑り落ちていた聖剣。垂直に突き刺さっていたそれを、ゆっくりと大地から持ち上げる。まるで、かつて選定の剣(カリバーン)を抜いた時のように。

 

「なんのつもりだ、セイバー。この期に及んで、まだ貴様は聖杯に縋る気か?」

 

「……いいえ。私も、目が醒めました。私に聖杯は必要ない。私の願いは、もう叶っていたのですから」

 

 文字通り、憑き物が落ちたかのような晴れ晴れとした表情。先ほどまでの半死人めいたものとは違う、生気に溢れた表情は、瞳の色こそ違えどかつてのセイバーのものと同じ。

 しかし、穏やかな雰囲気とは裏腹に、彼女は聖剣を正眼に構えていた。その滑らかな動きには一分の隙もなく、星の剣はまっすぐギルガメッシュに向けられている。

 

「だからこの戦いは、私の願いとは関係がない。この場を任された騎士としての誇り、サーヴァントとしての責務──そして、()()()()()()()()()です。

 他の王に言い負かされ、やすやすと膝を屈したなど……それこそ、私の民に顔向けできませんから」

 

 力強い微笑み。戦意に溢れたそれは、十二の会戦を勝ち抜いた勇士のもので。

 

「見たがっていたでしょう? 私の聖剣を。この場で何度か振るいましたが──この剣の真価は、あんなものではない。

 ありがとうございます、英雄王。あなたのおかげで、私は光を取り戻すことができた。返礼は、この輝きに代えさせていただきます」

 

 ザ、と踏みしめる足に力が籠もる。それと同時、構えられた聖剣が、眩く()()()輝き出した。黒々とした呪いに染まり、血のように走っていた赤い紋様が、洗われるように光に飲まれていく。数瞬の後、彼女が握る至上の剣は、星の輝きを完全に取り戻していた。

 

「────ク。ククク、フフ、フハハハ、ハーッハッハッハッハ! 

 そうだ! それでこそ騎士王、それでこそ我が見込んだ女よ! ()()()とは言ったが、こうも早く良い対価を払ってくるか……!」

 

 堂々たるセイバーの威容に、ギルガメッシュは上機嫌に笑い出した。そこには先ほどまでの嘲笑や冷笑の色はなく、ただ純粋に、良いものを見たという快なる笑い。呪いに侵され、自分を見失っていた彼女が再び立ち上がる姿は、この王をしても予想外だったのか。

 ひとしきり肩を揺らして大笑した後で、頬に笑みを残したまま、指を鳴らすギルガメッシュ。途端、この空間を埋め尽くすような武具の大群が、ずらりと刃を覗かせる。英雄王の笑みは、純粋な楽しさのそれから、残酷さを滲ませたものへと変わっていた。

 

「──それで、どうする? その剣だけでは我へは勝ち得まい。まだ手があるのならば早々に披露するがいい。

 我にここまで語らせたのだ、生半なものでは()()には程遠い。我を興じさせることが叶わぬなら、その対価は貴様の首となるぞ」

 

 ……ギルガメッシュの見立ては真実だ。

 聖杯のバックアップにより跳ね上がった身体能力。竜の炉心で生成され、それ以上に絶え間なく供給される無限の魔力。際限のない連射が可能な、最上級の対城宝具。

 これだけの武装を備えても、英霊の頂点には届かない。英雄王が油断しており、慢心する余地があるなら押し切れただろうが、今の彼にそんな甘さは期待できない。この男は自分どころか、かつての円卓の騎士が総掛かりで挑まなければならない、次元違いの怪物だ。

 故に──()()()()()()必要がある。

 

「ふぅ……っ」

 

 大きく深呼吸するセイバー。莫大な魔力を、隅々まで行き渡らせる。

 だが、聖杯から流れてくるものは魔力だけではない。膨大な呪詛が、悪意が、この世全ての悪(アンリ・マユ)の力が牙を剥く。魂を侵す、悪であれという方向性には誰であれ逆らえない。正当な英霊であるセイバーが、蝕まれながらも自我を保っていることすら奇跡的なのだ。

 それほどの力、それほどの呪い。故にこそ……この世全ての悪(アンリ・マユ)には、利用価値がある。

 魔力供給源である聖杯との経路に、ほんの少しだけ干渉する。僅かに多く、呪いの力が流れてくるように。

 

「ガ──ぐ、っ……!?」

 

 途端、セイバーの顔に苦悶が浮かぶ。体から、可視化できるほどの黒い魔力が立ち上り、膝が崩れ落ちるのを剣を支えに辛うじて持ちこたえる。人類全てを滅ぼす呪いが、有り余る悪意を以て彼女を襲い始めた。

 

「馬鹿な──なんのつもりだ!?」

 

 さすがのギルガメッシュも、その異様に目を剥いた。セイバーのやっていることは、自殺行為以外の何物でもない。

 マスターとサーヴァントを結ぶ経路はパイプのようなもので、その両端には蛇口がついている。どちらかの意図で供給量、需要量を絞ることも、また増やすことも可能だ。過去にはサーヴァント側が強制的にマスターから魔力を吸い上げ、供給量を制御する間もなくマスターが瀕死になった例もある。

 魔力が増えればサーヴァントは強くなる。そういう意味では、魔力供給量を増やすのは正解だが、今のセイバーは立場が特殊すぎる。悪性呪詛に飲み込まれ、霊基そのものが悪意に汚染された彼女は、この世全ての悪(アンリ・マユ)()調()()()()()()()()()のだ。

 間にマスターを挟んでいるものの、彼女と聖杯の繋がりはほとんど直結に近い。少し手を加えるだけで、滂沱と呪いが流れ込んでくるほどに。既に汚染されているため、呪われることは問題なくとも、自らの許容量を超えたエネルギーに晒され続ければ霊基そのものが保たなくなってしまう。風船に空気を入れ続ければ、いつか弾け飛ぶのと同じ道理だ。

 

「まだ、だ……!」

 

 剣を支えにするセイバーが、修羅の形相で歯を食いしばった。荒れ狂う呪いを、膨大な魔力を、驚異的な意志で制御し、エネルギーの方向性を絞っていく。

 

 ──英霊アルトリアは、精霊や宝具による多数の加護を受けている。

 

 水の上を泳ぐことなく駆け抜ける加護や、変わったところでは髪結の精霊の加護。中でも特筆すべきは、聖剣による不老の加護だ。

 老いによる弱体化が発生しないというのは大きなアドバンテージになるが、それは成長による強化を得られないことと引き換えでもある。セイバーは膨大な魔力によって戦闘能力を底支えしているが、魔力を差し引いた素の身体能力の低さ、少女故の体格の小ささは戦闘において不利に働く。格上の相手になるほど、その短所は無視できないものとなる。

 この戦いでもそうだ。より長い手足があれば、英雄王の首に刃が届く機会があった。より強い膂力があれば、剣戟で押し切れる機会があった。より上の体格があれば、容易に投げ飛ばされることもなかった。

 

 故に──不老の加護を、今ここで消滅させる。

 

「ぐ……あ、ああ、あああああああ──ッッッ!」

 

 魂が割れる。霊基が軋む。規格外の呪詛が、アルトリアの自我を蝕んでいく。

 当然の展開だ。宝具の加護を、呪いの上書きによって塗り潰そうなど正気の行いではない。そればかりか、加護が消えていくのに並行して、彼女の肉体は()()を受けているのだ。精霊によって抑制されていたモノが溢れ出し、その揺り戻しが、現在の彼女に相応しいものへ霊基を書き換えていく。その苦痛は、尋常な精神で耐えうるものではない。

 だが、それでも騎士王は。

 

「っ──こんな、痛みなど……!」

 

 歯を食いしばる。自分がしでかそうとしていたことに比べれば、こんな痛みは取るに足りない。自らの治世で失われた命の重さ、民が味わった苦しさは、この何倍にも及ぶだろう。

 この世全ての悪(アンリ・マユ)……この呪いには、あるいは彼らの憎しみも含まれているのかもしれない。痛くて、苦しくて、どうにかなってしまいそうだ。

 けれど。あの結末を、受け入れると決めた。聖杯による逃げを選ばず、彼らの犠牲を受け止めると。この怨嗟に耐え切らなければ、それこそ彼らに顔向けできない。この程度の痛み、乗り越えられずして何が王だというのだ。

 乗り越えた上で、前を向く。そうでなければ、今までの自分の道に、自分の治世の結果に意味がなくなってしまう。そんな当たり前のことを、最初から知っていたはずのことを、自分はあの王に教えられた。

 いけ好かない男だった。不愉快な人物だった。だけどあの英霊は、誰よりも偉大な英雄王だ。あらゆる英霊の先達が、彼女を『王』と呼んだのだ。ならば──王の矜持を見せずして、どうして騎士王などと名乗れようか。

 剣を手放したくなる。膝をついてしまいそうになる。埒外の苦痛を、ただ意地だけで支えきる……!

 

「は、あ──あああああああ……っっっ!!!」

 

 一閃。

 セイバーを取り巻いていた黒い呪いが、聖剣によって散り散りになる。靄のように漂う魔力の中から現れた彼女は──一瞬前とは、別人になっていた。

 

「なに……?」

 

 呆然とするギルガメッシュ。彼らしからぬ、戸惑いを隠しきれない表情は、それがどれだけ尋常ならざる事態なのかを物語っている。

 

 一回り半ほど大きくなった身長。

 すらりと長く伸びた手足。

 メリハリが利きすぎるほどの体型。

 

 小柄な少女だったセイバーは、大人の女性へと変身していた。元の外見からすれば、軽く十歳は年齢が違っている。

 聖剣によって抑制されていただけで、本来の年齢に相応しいのはこちらの姿なのだろう。成長に伴ってか、その体から感じられる力は、先程までと比べても優に一段階は跳ね上がっている。

 もはや自分がまともに斬り合える相手ではないと、ギルガメッシュは即断した。今のセイバーと近接戦闘でやり合うならば、かつての朋友(エルキドゥ)か、それこそヘラクレス並の身体能力が必要だろう。宝具によって身体能力を跳ね上げることはできるが、技量差を考えれば相手にもなるまい。

 

「──ふむ。我としては、前の見た目の方が好みではあるが。こちらの方が骨はありそうだ。

 さすがに驚かされたぞ。よもや己が加護を帳消しにしたばかりか、霊基構造そのものを強引に書き換えるとはな。半歩の誤りで、バーサーカーめと変わらぬ獣と化していたところよ」

 

「このぐらいの無茶をしなければ、あなたには届きませんから。

 ──先の私と同じだとはゆめ思わぬことだ、英雄王!」

 

 苦笑いを見せた後、空気を切り替えるように言い放つセイバー。先程まで使わなかった風王結界(インビジブル・エア)が轟と唸り、呪いの残滓を千々に吹き飛ばしていく。

 それに応じるように、目を細めるギルガメッシュ。空間に溢れ出していた無数の鋒が、目に見えてその数を増す。その数は百や二百どころか、優に千を超えていた。

 

 僅かな睨み合い──先に動いたのは、セイバーだった。

 

「はぁ──ッ!」

 

 神速の踏み込み。疾駆する地上の流星を、無数の宝具が打ち砕こうとするが。

 

「ぬ……!?」

 

 風王結界(インビジブル・エア)が、彼女の速度を押し上げた。

 英雄王の予測より尚疾い動きに、宝具群は後塵を拝すばかり。ランサーにも比肩しようかという速さを与えた風の宝具は、ようやく日の目を見たとばかりに吹き荒れ、ついでのように迫る刃を蹴散らした。

 唯一、正面からの宝具投射が有効火力となるが、星の聖剣がその尽くを切り伏せる。鎧も強化されているのか、成長に合わせて形の変わった防具は、守りを潜り抜けた宝具を弾いて防ぎきってしまう。

 攻防は刹那。ギルガメッシュが対応するより疾く、セイバーの剣が振るわれる……!

 

「ッ──」

 

 破滅の黎明(グラム)。星の聖剣に比肩する宝具が、斜めの軌道で受けに回る。

 武器の性能は同等。しかし、二人には剣士としての差がありすぎた。まともに受けることさえできず、太陽の魔剣は弾き飛ばされ、返す刀が黄金の鎧を一閃!

 

 ──ギィィィィィィン!

 

 響き渡る金属音。魔剣を弾いた影響で、威力が減衰していたこともあってか、超級の防具は斬撃を辛うじて防ぎきった。だが、燦然と輝く鎧には、剣の痕が深々と刻まれている。同じ場所に一撃を受ければ、次の刃は耐えきれまい。

 トドメを刺そうとするセイバーだが、さすがに英雄王の対応が間に合った。上下左右から降り注ぐ宝具が足を阻み、これは突破できぬと諦めたセイバーは一旦距離を取る。

 

 ここまでは、今までの戦闘の繰り返しにすぎない。セイバーは唯一の勝機である白兵戦に持ち込むべく距離を詰め、ギルガメッシュが猛攻を捌き切るという一連の応酬。違っているのは、セイバーは『距離を詰める』という行為のために数少ない手札を消費しており……そして、英雄王を相手に一度切った手札は二度と通用しないことだ。

 自分の損傷を織り込んだ特攻は使ってしまった。次は罠にかけられ、窮地に陥った。能力の上昇と風の宝具によって、目論見を狂わせた今でさえ押しきれなかった。

 ギルガメッシュの攻略法は、対応できない間に初見殺しで圧倒する以外に存在しない。どれほど強力な武器であろうと、どれほど特殊な能力であろうと、英雄王にはそれに対応する手札がある。

 

 ──セイバーは手札を晒してしまった。今の一撃で仕留められなかったのであれば、もう彼女に打つ手はない。上昇した身体能力も、強力な風の宝具も、既に()()()だ。

 

 そう判断したギルガメッシュは、この戦闘を終わらせるべく無数の演算を始めた。セイバーに最も有効な宝具は何か。彼女に対し最も有効な戦術は何か。

 普段の彼が、自らの頭脳をフルスペックで活用することはない。戦いなどという()()に本気を出すなど、王の沽券に関わるからだ。英雄王が全力を出せば向かうところ敵なしであろうが、王が本気を晒すという時点で彼の矜持に瑕がつく。それ故の油断、それ故の慢心。

 しかし、今の騎士王は同じ王として自身に挑んできている。この世全ての悪(アンリ・マユ)に耐えきるどころか、呪いを利用して自身の霊基を書き換えるなど、ギルガメッシュをしても度肝を抜かされた。それほどの覚悟を示し、それほどの矜持を見せられて、どうして生半な戦いができようか。

 

「だがここまでだ。鎧に傷をつけたのはよかったが、それでは我には遠く及ばぬ。よく抗った方だが、そろそろ引導を──」

 

 ──待て。セイバーが握る、あの()はなんだ。

 

「聖槍、抜錨──」

 

 聖剣ではない。いつから持ち替えたのか、桁外れの力を持つ槍をセイバーは振るっていた。力を押し留めるように封環が絡みついた、馬上槍のような長さの武器は、防御に不向きであるにも関わらず、その膨大な魔力で降り注ぐ宝具たちを薙ぎ払っていく。

 

 ──その槍を、最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)という。

 

 アーサー王は生前、多くの武器を使用した。最も有名なのはエクスカリバーだが、巨人の剣であるマルミアドワーズ、変化能力を持つ盾プリドゥエンなど、彼女が用いたとされる武器は複数ある。モードレッド卿が振るった燦然と輝く王剣(クラレント)も、元はと言えば彼女の所有物である。

 中でも最も重要な局面で使用されたという槍が、聖槍ロンゴミニアド。救世主の生死を確認したロンギヌスの槍とも同一視される兵装である。

 

複層封印(カタフラクティ)、展開」

 

 宝具の雨を防ぎ、弾き、払いながら、槍に絡まる封環がゆっくりと解けだした。聖剣の輝きにも劣らぬ、眩い黄金の光が現れ、粒子状の魔力が螺旋のように広がり始める。まるで封印が解かれるかのように、封環が外れるごとに輝きは大きくなり、溢れ出す魔力量は指数関数的に跳ね上がっていく。

 

 ……本来、セイバーというサーヴァントはこの武器を使用できない。

 これには二重の要因があり、一つは彼女が正式な英霊ではないこと。死後に座に登録された存在ではなく、死の寸前の状態で召喚されるという特殊な事情を経ているため、セイバーはその時持っていた武器しか聖杯戦争に持ち込めなかった。それがエクスカリバーと、それに付随する風の宝具である。

 もう一つは、サーヴァントというシステムそのものの事情による。英霊の情報を全て再現しようとするのは、聖杯を以てしても至難の業。サーヴァントシステムは、英霊たちの性能の一部を除外して情報量を制限することで、彼らの召喚を可能としている。今回の参加者で言えば、ヘラクレスは宝具のほとんどを持ち込むことができず、クー・フーリンも戦車や城といった宝具を使用できていない。ギルガメッシュが『宝物庫の鍵』を宝具とすることで、別次元にある宝物庫から無制限に武器を引っ張ってきているのは、ある意味システムの裏側を突いた反則技なのだ。

 

「目覚めの時です、我が槍! 輝きは、今こそ此処に!」

 

 では何故、彼女がこの槍を持っているのか。

 答えは、先程用いた自滅に近い裏技だ。英霊の存在を定義する霊基を書き換えたことで、彼女は()()()()()()()()()()()()()。剣士ではないのだから槍も持ち込める、という無茶苦茶な理論である。正式な英霊としてなら、彼女はこの武器を所有しているのだろうが、今やっていることは言ってしまえば()()()()()()だ。

 そしてもう一つは、聖杯の召喚機能の故障(エラー)だ。そもそもセイバーは、遠坂凛に召喚される予定ではなかった。凛が用いた円卓の触媒は、アーサー王とギャラハッド(盾の騎士)に限っては適用されない。別の事情から召喚が確定していたとはいえ、縁となった触媒は衛宮士郎が有していたにも関わらず、彼女は凛の下に姿を表した。

 煽りを受けたのはギルガメッシュである。召喚対象のサーヴァントがいない場合、聖杯は英霊の座を参照して次の召喚対象を検索するが、どういうわけか現世に留まっている手空きのサーヴァント──言峰綺礼との関係は前回の聖杯戦争由来のため、考慮されなかった──を()()したのだ。召喚システム、サーヴァントという存在の定義が、あやふやになってしまっている。

 

「感謝します、大英雄(ヘラクレス)。あなたがいなければ、私はこの手を使えなかった」 

 

 それらの欠陥を利用し、本来なら持ち込めないはずの宝具を召喚してみせたのがヘラクレスだ。彼と直接剣を交えたセイバーは、その奇跡を目の当たりにしている。

 とはいえ、それを成し遂げたのは膨大な魔力(令呪)による後押し、最高位の英霊の格、小聖杯によるバックアップ。更には、尋常ならざる強固な意志だ。奇跡というのは、通常起こり得ない確率であるから奇跡という。

 しかしここには、ヘラクレスが成し遂げた偉業の条件が全て揃っている。ならば──ヘラクレスにできたことを、アーサー王ができないはずがない。

 

 ──轟、と槍が唸る。

 

 槍を取り巻く十三の拘束、その全てが解き放たれる。四方から刀剣が降り注ぐが、もはや迎撃の必要すらない。槍から広がる魔力の粒が霧状となり、宝具の軌道を狂わせて明後日の方向へ逸らしてしまう。

 魔術世界に於いて、この聖槍は単なる武器ではない神造兵装とされる。世界の裏側で、もう終わった神秘の時代を封じるモノ。人には届かぬ最果ての塔をスケールダウンさせたそれは、超絶級の神秘を拘束によって押し留め、辛うじて英霊が扱う宝具としたものだ。並大抵の武器では足元にも及ばない。

 

「…………!」

 

 まずい、とギルガメッシュが目を見開く。

 瞬時に跳ね上がっていく聖槍の脅威度に対し、繰り出す宝具の更新が追いつかない。なまじ相手の性能に対して、最適な宝具を合わせようとしたことが仇になった。有無を言わせず、初手から高神秘・高火力の宝具を叩き込むべきだったのだ。

 切り札を切るか。いや、宝具の召喚が間に合わない。自分が剣を引き抜くよりも、あの槍が放たれる方が早い──!

 

「空の彼方、大地の向こう。其は世界の果てに立つ──光の楔!」

 

 収束する燐光。世界を穿つほどの魔力が、ただ一点に集められ──

 

「"最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)"──!」

 

 槍の穂先から、黄金の奔流が放たれた。

 大地も空気も宝具も、その光に触れたものは瞬時に蒸発する。世界の表裏を繋ぎ止めるに足る膨大なエネルギー。その神秘の一端は、現世にある物質全てを焼灼してしまう。

 純粋なエネルギー量でいえば、ロンゴミニアドは聖剣と同等だ。しかし、あちらの真骨頂が斬撃であるのに対し、この一撃は刺突。破壊力は同等でも、貫通力という面で桁が違う。英雄王に予め召喚されていた宝具の盾、その尽くが、薄皮を貫くように破砕されていく──!

 

 ──激突。

 

 驚きを露わにする英雄王を光が飲み込み、その後方にあった山門を消し炭に変えた。それでも尚飽き足らぬ破壊のエネルギーは、空を貫いて遥か天上まで駆け上っていく。天に神がいたとすれば、問答無用で叩き落としたであろう光量だった。

 会心の一撃。エクスカリバーの斬撃は凌がれようと、ロンゴミニアドの槍撃は防ぎきれまい。これは決まったかと、束の間気を抜きかけたセイバーだったが──。

 

「……やってくれる。恐れ入ったぞ、騎士王」

 

 地獄の底から響くような声。赤と金が入り混じった光が、聖槍の残滓を吹き飛ばした。

 大地を踏みしめ、光の中から現れたのはギルガメッシュ。しかし、その姿は見る影もなくボロボロだった。

 逆立っていた黄金の髪は、乱れるどころか下ろされているような状態。頭部を怪我したのか、額から赤い血を流している。黄金の鎧に至っては上半身が根こそぎ損壊し、溶けかけた素肌が嫌な音を立てて煙を上げている。甚大なダメージを負っていることは、傍目にも明らかだ。

 だが、聖槍の真名開放を受けて()()()()で済んでいることがおかしい。疑問を抱いたセイバーは、彼の手に握られている槍の存在に気がついた。

 運命の槍(ロンギヌス)。かつて円卓の騎士第二席、白光の騎士(パーシヴァル)が有していたもう一つの聖槍である。

 振るえば王城さえ吹き飛ばし、敵に癒えない傷を与えるという対城宝具。その超絶たる威力で、ロンゴミニアドの一撃を軽減したのだろう。かつての部下が振るうその槍の力は、セイバー自身がよく知っている。

 

「我が槍を受けてその程度とは……恐れるべきはあなたです、英雄王。

 しかし、何故その槍を? 時間を与えれば、あなたは聖槍にも対応したでしょう。ならばこそ、新たな宝具を使う隙は与えなかったはずですが」

 

「知れたことよ。切り札というのは、初めから準備しておくものだ。

 ……とはいえ、我の見立ても甘かったか。まったく、飽きさせぬ女よ。こうまで次々に、我の読みを超えてくるとはな」

 

 無毀なる湖光(アロンダイト)燦然と輝く王剣(クラレント)転輪する勝利の剣(ガラティーン)痛哭の幻奏(フェイルノート)

 セイバーの動揺を誘う目的も兼ねて、ギルガメッシュはかつての円卓の騎士が用いた宝具の原典、源流となった武具をすぐ近くに配置していた。運命の槍(ロンギヌス)もその一つである。

 宝物庫から召喚したのでは間に合わなかった。即時対応できるよう、すぐ側に置いていた武器。その柄に手が届いたことが、致死の一撃から辛うじて英雄王を守り抜いた。騎士王の一撃を円卓の武器が阻むという、あまりに皮肉めいた展開。

 ぽつり、と槍から血のような魔力が滴る。それが体に落ちた瞬間、ギルガメッシュの流血がぴたりと止まった。常に血を滴らせ、あらゆる傷を癒やすという伝承──破壊の力のみにあらぬ、もう一つの聖槍が持つ神秘だった。

 

「音に聞こえた星の聖剣に、星を縫い止める聖槍。どちらも我が蔵にはない逸品だ。それほどの武器に認められるとは──フン、やはり貴様は騎士王の名に相応しい英雄ということよ。

 貴様に従った騎士ども、貴様を信じた民どもの輝き。聖杯の呪詛に飲まれ、尚も立ち上がるその気高い光。支払いには十分すぎるものを見せてもらったぞ。騎士王(セイバー)

 

 鎧は半壊し、ところどころが焦げ付き、あちこちに血の跡を残しながらも、英雄王の威光は微塵も陰らない。あまりに堂々たる威容に、セイバーは称賛されているのだと気づくまでしばしの時を要した。

 他者を嘲笑う軽侮でも、女として見る厭らしい目でもない。ギルガメッシュは一人の王として、一人の人間として、この時初めてアルトリアという人物を評価していた。自身以外の万象を見下すこの男が、彼女を対等に見ていることが、いったいどれほど異様なことか。

 

「──では。こちらも、相応しい物を見せなければな」

 

 空気が変わる。

 ギチ、と世界が軋んだような音さえした。死神の鎌が首に触れているような、怖気が走るほどの冷たさに、セイバーが思わず息を呑む。

 彼女が最も頼りにする直感が、ここに来てかつてないほどの警鐘を鳴らす。未来予知に近いはずのそれは、甲高い悲鳴を上げるばかりで、明確なビジョンを見せてくれない。ただ一つ、『死』という恐怖だけが伝わってくる。

 しかし、死の運び手となるはずの何千という宝具たちは、この時何故かかき消えていた。大地に散乱し、突き刺さっていたはずの宝具さえ、霞のように消えていく。回収されたのだと気づき、その理由を想像するより早く──ギルガメッシュが、鍵のようなものを取り出した。

 

「『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』──ここには人類の知恵と技術、その全てが収蔵されている。貴様ら英霊が持つ宝具、その源流も元を辿れば我が蔵の一欠片に過ぎん。だが、それらは我しか持ち得ぬ武器というわけではない」

 

 掌に収まるほどの柄と、歪な形状の刀身は、どちらかといえば短剣を思わせる。しかしそれは、紛うことなき『鍵』だった。

 ガシャン、と解錠の音が響く。鍵剣が揺れ動いたかと思うと、そこを起点にして、空中に途方もなく巨大な赤い紋様が描かれた。一つの大樹のように見えるそれこそは、黄金の宝物庫の縮図。人類が生み出す財宝、その系統樹に他ならない。

 無数に分かれた枝の一つが、怪しく輝く。赤と白に点滅する光は、回路を走る信号のような動きで、大樹の根本へと向かっていき……鍵剣へと到達した刹那、眩い光が放たれる。

 その直後。英雄王の手には、異質な『剣』が握られており。

 

 

「──出番だ。起きるがいい、エア」

 

 

 セイバーの体が凍る。あの剣が、『死』のイメージの根源だった。

 剣だと判断できたのは、柄や刀身を持ち合わせているから。しかし、その刀身があまりにも異様だった。

 赤い紋様の走る黒い円柱。それが三層に区切られ、互い違いに回転している。剣というより、現代の工作器具を思わせるような形状は、今までセイバーが目にしたどのような武器にも該当しない。

 びゅうびゅう、と風が鳴る。円柱の回転は、触れれば止まりそうなほどゆっくりであるにも関わらず、その音は竜巻のそれに等しかった。否、それは世界が恐怖した、命乞いの喘鳴だったのか。

 重々しい円柱は、一つ一つが世界そのものを司っているようにも思えるほど、途方も無いエネルギーを有していた。あまりのスケールの違いに、現実感が湧いてこない。だというのに、体を凍りつかせる死の予感は、ますます強くなるばかり。まるで人が持つ遺伝子そのものが、あの剣に怯えているように。

 

「これは我しか持ち得ぬ武器。正真正銘、英雄王ギルガメッシュだけの『宝具』だ。これを見せるに相応しきは、我が認めた真の勇者のみ」

 

 エア。

 エンキとも言われる、メソポタミア神話における創造神の一柱である。その名を冠すこれこそは、原初の地獄から天地を切り分け、世界を創造した剣。神々ですら及ばぬ巨人を両断した、究極の武器だった。

 

「セイバー、おまえの聖剣はあの程度ではないと豪語したな。ならば見せてみよ、その真髄を! 貴様の王道、この英雄王が裁定してくれる──!」

 

 徐々に回転を早める円柱。吹き出す魔力は空間を軋ませ、周囲には比喩ではない本物の竜巻が発生していた。

 膨大と呼ぶのさえ馬鹿らしいほどのエネルギーが収束していく。その魔力量は、先の最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)さえ優に凌駕しよう。あまりの熱量に空気中の電子さえ狂ったのか、プラズマ化した大気がそこかしこで放電を起こしている。

 到底一サーヴァントが振るっていい領域の力ではない。あれは神霊が行使する権能、世界の根底たる法則(ルール)を書き換えるほどの神秘に他ならない。あれほどの力を制しうる英霊は天上天下に唯一人、あれこそ彼が『英雄王』たる力の象徴。

 

 ならばこそ──騎士王(セイバー)は、力強く微笑んだ。

 

「いいだろう。ならば我が聖剣、我が王道の重み、その身でとくと味わうがいい!」

 

 聖槍を聖剣へと持ち替える。この場に相応しきは、世界を繋ぐ錨ではない。今握るべきは、彼女が誇る王道の象徴だ。

 聖杯から送られてくる無尽蔵の魔力、それを柄から叩き込む。だが、己が理想を思い出した彼女の剣は、もはや呪詛には染まらない。無限の悪意さえ跳ね除ける、彼女を信じた人々の想いが、刀身を眩く黄金に輝かせる。

 人々の願いを蓄え、星の内部で精製された最強の幻想(ラスト・ファンタズム)。ただの暴力機関に過ぎなかった先刻とは異なり、本来の役割を思い出した聖剣は、その真価を十全に発揮していた。

 神霊の魔術行使に等しいほどのエネルギーが、輝ける剣に収束する。剣に課せられた十三の拘束が、次々と外されていく。美しい星の輝きと、制御された絶大な力は、まさしくアルトリアの王道の具現。人々の理想を背負い、道行きを照らし出す、暖かな光に他ならない。

 

「この灯りは星の希望。地を照らす命の証──!」

 

 騎士王が笑う。己が剣に迷いはないと語るように。民が彼女に託したもの、後に残したものを、もう忘れないと謳うように。

 

「──裁きの時だ。世界を裂くは、我が乖離剣!」

 

 英雄王が笑う。絶対王者として判決を下すように。騎士王が示す王道の形、それすらも見定め、裁定を告げると示すように。

 

 ──そして。

 

「"約束された勝利の剣(エクスカリバー)"──!」

 

 ただ一振りで地を薙ぐ聖剣。光の断層による、究極の斬撃が解放され──

 

「──"天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)"!」

 

 世界を両断する破滅の一閃。天地創造の究極の一が、真っ向から激突した。

 

 ──音が消える。

 

 凄まじいまでの力の衝突に、全てが罅割れた。

 竜巻が大地を蹂躙し、プラズマ化した大気は雷となって空を廻る。辛うじて立っていた木々は根こそぎ吹き飛ばされ、寺社の残骸は発火、融解を超えて蒸発していた。

 恐るべき天変地異の数々は、()()()()()に過ぎない。破壊の中心点は、地上に太陽が現れたに等しい猛威であり、核爆発にさえ比肩しようかという熱量が正面からせめぎ合っている。

 子供の悪戯のような罅が、空間に次々と走っている。悲鳴を戯画化したような形は、文字通りの世界の断末魔。絶大なエネルギー、殊に乖離剣エアの副次効果である擬似的な()()()()が、世界そのものを捩じ切っているのだ。

 時間が止まったように感じられるほどの長時間か、目にも留まらぬほどの一瞬か。感覚さえ覚束なくなるほどの力のぶつけ合いは、どこまでも拮抗する。この瞬間、英雄王と騎士王は、確かに互いを理解していた。

 

 ギルガメッシュは、ヒトの領分を超えた彼女の理想が、稀有な愚かさであると再確認した。しかし、届かぬ理想(ほし)を目指し、地上の全悪さえ跳ね除けた姿こそ、輝ける唯一の星。

 力でこれをねじ伏せ、従わせようという以前の考えは、その価値に瑕をつけるものだ。星とは天にあっても地にあっても届かぬもの、だからこそ美しい。騎士王の王道は、自分が判を押すに足る『宝』である。

 

 アルトリアは、孤高を選ばざるを得なかった彼の誇りを、初めて目の当たりにした。希望を集めた光とは真逆、個にして星さえ分かつ力こそが、彼の在り方の象徴。

 人の価値を正しく測るためには、自分は世界の内側にいてはいけない。それはいったい、どれほどの孤独と重さだろう。ただ一人、世界の涯から全てを担う原初の王。英雄王の王道は、心から尊敬に値する。

 

 永遠に続くかと思われた王道の激突は、しかし。

 

「──ああ。一歩、届きませんでしたか」

 

 拮抗が崩れる。敗北を悟ったセイバーが、ふっと口元を緩める。

 そうして。聖剣の光は、世界を断つ風に呑まれていった。

 

 ──静寂に、金属音が鳴る。

 

 それは、騎士王が地に膝をついた音だった。

 全ての力を使い果たしたように、前のめりに崩れ落ちるセイバー。強化され、さらに頑強になっていたはずの鎧は、ずたずたに引き裂かれていた。髪結の加護さえ引き裂かれてしまったのか、流麗な金髪が血に染まって流れ落ちる。天地を割くほどの一斬は、ほぼ全て聖剣で相殺しきったが──僅かな余波でさえ、彼女を打ち倒すには十分すぎるほどだった。

 だが。五体満足であるのが不釣り合いに思えるほど、ボロボロに傷ついた状態でも。輝きの残滓を纏う聖剣だけは、力強く握られていた。例え地に伏せようとも、理想は手放さぬと訴えるように。

 対するギルガメッシュは、乖離剣を振り下ろした姿勢のまま動かない。傲然と立つ英雄王と、地に伏せた騎士王。二人の勝敗は、ここに決した。

 

 人々の理想を束ねる王と、世界の全てを背負う王。明暗を分けたのは、宝具(在り方)の違いだった。

 

 騎士王が振るう約束された勝利の剣(エクスカリバー)は、都市や城塞すら蒸発させる対城宝具。その火力は破滅的な領域であり、最強の聖剣の名に偽りはない。

 しかし──英雄王が執る乖離剣(エア)は、敵や国などという矮小な単位に用いるものではなかった。この剣が裁くのは、天地に亘る()()()()()()。究極の対界宝具は、聖剣の光を世界ごと断ち切ったのだ。

 

「────見事」

 

 短い、それだけの言葉。

 それがどれほど価値を持つことか、彼を知る者がいれば目を見張ったことだろう。英雄王が他者に対し、敬意を以て称賛するなど、それ自体が神秘の領域だ。

 現世においてその栄誉を授かったのは、これまでにただ一人。乖離剣の一閃を人の身で潜り抜け、宝具の雨で穿たれても尚前進を止めなかった、征服王イスカンダルのみである。彼方にこそ栄えあり(ト・フィロティモ)と謳い、最果ての海(オケアノス)を目指して人の夢を束ねた王の生き様を、ギルガメッシュは本心から賞賛した。

 しかし、今。

 

「見事だ、騎士王。そなたの王道は、このギルガメッシュが見定めた。この宇宙を時空(とき)の果てまで駆けたとしても、そなたを超える星などあるまい」

 

 英雄王は、彼に比肩する王として、アルトリアという英雄を裁定した。その価値こそは、唯一無二のものであると。

 十年前の彼女は、考慮するに値しなかった。かつての朋友を彷彿とさせる貴重な在り方には価値を見出し、己が所有物にすると決断はしたが、それは愛玩動物に向ける視線に近い。無様な姿を愛でるだけで、対等な王だとは端から思っていなかったのだ。

 今は違う。この世全ての悪(アンリ・マユ)がどれほどの難敵であるかは、ギルガメッシュ自身が身を持って知っている。その呪いに染まろうとも壊れず、かつて抱いた理想を思い出し、ついには呪いを跳ね除けるに至った彼女。絶え間ない苦痛と呪詛に晒され、過去の刃に苛まれながらも、セイバーはそれさえ耐えきった。

 

 自らの理想は引き継がれ、遠い未来で叶っている。ならばこそ、自らの治世の結果を受け止め、その犠牲を背負い抜こう。過去ではなく未来へ進むのだと、光で道を切り開こう──。

 

 口で言うのは簡単だ。為政者として、英雄として、自らの行いに責任を持つなど最低限の前提に過ぎない。とはいえ、だ。

 全ての失敗をやり直せるという、甘い誘惑をちらつかされて。

 親友だと思っていた臣下に、時空を超えてまで剣を向けられて。

 人類全てを覆い尽くして余りある、触れれば発狂どころか即死するような呪いに侵されて。

 苦痛と絶望の中、夢も理想も見えなくなって、執念だけの残骸に成り果てて。

 なおも己を取り戻せる者が、いったいどこにいるというのだ? なお矜持を示せるものが、どれだけいるというのだ?

 ギルガメッシュは、確かに彼女を誘導した。しかし、道を見失った者が正道に戻れるかどうかは、本人の魂の強さによる。呪詛を跳ね除けるだけでなく利用し、英雄王の喉元に牙を届かせたセイバーは、類を見ないほどの奇跡を起こしたのだ。

 

「価値ある宝を獲得し、これを保護する。それこそが我の王道だが──ふん。手元にないからこそ、輝ける宝もあるか。

 褒美だ、騎士王。その首は預けておく。今生の命、思うがままに使うがいい」

 

 傲然と決断を告げる英雄王。セイバーは地面に崩れ落ちているが……僅かに、その背が動いている。彼女の再生能力を考えれば、そのうち回復するだろう。だが、ギルガメッシュにとどめを刺す気は毛頭なかった。

 例えあったとしても、すぐには動けなかっただろう。彼の纏う王気(オーラ)は、あれほどの激戦を経て尚些かも衰えてはいないが、その体はセイバーに負けず劣らず傷だらけだった。

 軽減したとはいえ、対城宝具の直撃に、最終宝具の全力使用。運命の槍(ロンギヌス)で外傷を治したからこそ立っていられるようなもので、十全からは程遠い。宝具も数え切れないほど損壊し、半分が消し飛んだ鎧も合わせれば、修復にどれだけ時間を要することか。

 だが。

 

「勝ったんだな、ギルガメッシュ──って、どうしたんだアンタ! ボロボロじゃないか、大丈夫か?」

 

 聞こえてきた馴染みある声に、王の口元が愉快げに歪む。

 傷を癒やす薬などいくらでもある。すぐには動けぬ、などと言っていられない。

 この分では、あのマスターは聖杯の使い魔を根こそぎ退けてきたのだろう。己の価値を示した勇者に、どうして弱った姿など見せられようか。

 

「たわけ。この程度、かえってよい肩慣らしだ。

 首尾よく前座を潰してきたな、雑種。ならばよい──ここからが本番だ。貴様の宝を取り返しに行くぞ」




公式で明言されているのはカリバーンを抜いた時点での成長・老化の停止、アヴァロンが有する老化抑制の効能です。しかし、それだけでは生前にこの二つを紛失した後も成長・老化が起きていない理由が説明できないことから、エクスカリバー自体にも不老の加護があると判断しました。

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