【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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2.廻り始めた歯車

「──問おう。不遜にも、貴様が(オレ)の光輝に縋らんとする魔術師(マスター)か」

 

 冷酷な声。およそ情というものを感じさせないその声で、傲然と男は口にした。

 

「は……マス、ター……?」

 

 冷たい瞳に射竦められ、呆然とそう口を開く。

 頭の中はもうパンク寸前で、何が起こっているのかなんて判らない。

 ただ、一つだけ判っているのは──この黄金の男は、青い鎧の男と同じモノだということ。

 

 いや──本当に、同じモノなのか?

 

 ただ見下ろされているだけだというのに、震えが止まらない。

 恐ろしい。

 コイツの目は、悪鬼のそれだ。ルビーのような双眸には、何の感情も浮かんでいない。

 解ってしまった。一つ答えを間違えれば、一片の躊躇もなく、コイツは俺を殺すだろう。

 これなら、槍男の殺気の方が余程マシだ。この男はただ立っているだけで、この上ない恐怖を感じさせる。

 

 ──格が違う。

 

 そう本能的に感じ取れるほどに、その男の威圧感は強大だった。

 

「………………」

 

 言葉が出ない。カラカラに渇いている喉からは、何も声が出ない。

 男も俺を観察するように見下ろすばかりで、何も口にしない。

 数瞬の静寂の後、男は微かに肩を竦めた。

 

「──フン。まだ己の立場に理解が追いつかんのか。呆れた愚鈍さよな……我を呼び出した無礼者が、どんな猛者かと思ってみれば。ただの雑種に過ぎんとは、度し難いにも程がある」

 

「な──」

 

 絶句する。

 男の言い回しは、古風で難解だ。それでも今、この上なく見下された事は解った。

 だが、未だに混乱している俺は動けない。それを嘲笑うかのように鼻を鳴らすと、男は俺から視線を逸らす。

 

 ──それだけで、どこか安心してしまった自分がいた。

 

 目を合わせているだけで、死の恐怖を感じさせる。そんなモノと相対しているだけで、俺はもう限界だった。

 

「──っ」

 

 気が抜けた瞬間、左手に鋭い痛みが走った。

 思わず、左手の甲を押さえつける。焼きごてを突き付けられているかのような痛みで、額から脂汗が滲む。

 激痛の発生源に視線を向けると……今朝の蚯蚓腫れが、煌々と紅く輝いていた。その異常さに、痛みを忘れて見入ってしまう。

 悠然と立つ黄金の騎士は、そんな俺を一顧だにせず、視線を別のものに向けていた。

 

 ──視線の先には、槍を構えた男。

 

 土蔵の外。紅い槍を構えた男が、警戒心も露わに黄金の男を睨んでいる。その殺気は、俺に向けられていたものの比ではない。

 先程俺を追い詰めていた時も、あの男は恐ろしかった。しかし、あんなものは遊びに過ぎなかったのだと──そう言われても納得してしまうほど、今のアイツは本気だった。

 

 倒す。

 斃す。

 殺す。

 

 そう全身から溢れる意思は、絶対零度の冷気となって黄金の男を刺し貫く。心臓の弱い者なら、それだけで心臓が止まってしまうような、規格外の殺意の波動。

 そして、その敵意を向けられている黄金の男は──

 

「………………」

 

 微動だにせず、堂々とそこに立っていた。

 柳が風を受け流すように、その威圧感は微塵も揺らがない。いや……この男はあれほどの敵意を向けられているというのに、何の脅威も感じていない。

 紅い瞳には、値踏みするかのような色。手に持つ剣は構えられもせず、自然体でぶらりと下がっている。

 

 ──次の瞬間。目にも留まらぬ速さで、男は外へと飛び出した。

 

 

***

 

 

「────」

 

 空白の思考。

 状況が理解出来ず、俺は呆然としていた。

 気が付いた時には、黄金の男の姿はなく……月明かりだけが、誰も居ない空間を寂しく照らしていた。

 

「くそっ」

 

 悪態をついて、立ち上がる。

 蹴られた脇腹に、ぶつけた背中。痛まない部分なんてないほどボロボロだけど、そんなのはどうでもいい。

 あの金ぴか男が何者かなんて知らない。途轍もなく恐ろしい男だったし、あの冷たい瞳には、俺のことなんて何とも映ってはいないだろう。

 

 それでも──あいつは、俺を助けてくれたのだ。

 

 あと一瞬。あいつの剣が遅ければ、俺は今頃槍で串刺しにされていただろう。そんな意図などなかったにしても、結果的に俺の命が救われたことに変わりはない。なら……助けられたまま、黙っていることなんてできない。

 立ち上がった勢いのまま、土蔵の出口へ走り出す。何を言いたいのかも分からないまま、声を出そうとした口は──

 

「な…………っ!?」

 

 意味を為さず、そのままの状態で固まっていた。

 

「なんだ、あいつ──?」

 

 それは、神話の再現だった。

 

 響き渡る金属音。

 飛び散る火花。

 

 月光は雲の合間に隠れ、世界は再び闇に染まる。

 影に覆われた庭が、伝説の戦場へと変貌していた。

 

 土蔵から飛び出した黄金の男。対する青い男は、極限の敵意を叩きつけ、瞬時にそれに飛びかかったのだ。

 その一撃を、黄金は苦も無く弾き返す。手にした剣を横薙ぎに払い、男の槍を跳ね除けると、距離を詰めて刺突を放つ。

 しかし、男もさるもの。弾かれた勢いをそのままに、右足を支点に回転。黄金の剣に貫かれる刹那、神速の薙ぎ払いが剣を地に叩きつけた。

 

「────」

 

 なんだ、これは。

 

 力量の差などないかのように、黄金の男は青い男と打ち合っている。

 

 見惚れるような槍術を振るう男には、一種の優美さすら感じられる。その動きは、校庭で見たものと遜色ない。

 目にも留まらぬ、とは正にこのこと。紅い軌跡が迸った後に、一瞬遅れて風を斬る音が響く。音すら置き去りにする速度は、到底視認することなどできない。

 その圧倒的なまでの技量。あれは天賦の才だけでも、極限の努力だけでも辿り着けない。その双方で頂点に立たねば、あの域には至れぬだろう。

 槍に縁などないが、見ただけで断言出来る。これ程の槍術は、神話の中でしか見られまい。

 

 突き、突き、突き、突き、突き。

 愚直なまでに繰り返される、紅の前後運動。その常軌を逸した速度の前に、小手先の戦術など必要ない。点の一撃である筈の刺突は面となって、雨霰と降り注ぐ。

 

 ならば──それを防ぎきる黄金の騎士もまた、尋常な腕ではなかった。

 

 素人目にすら判る。黄金の男は、青い方の男に遠く及ばない。

 剣術と槍術、という違いはある。リーチの差、という相性もある。しかしそれを差し引いたとしても、黄金の騎士の力量は遥かに劣っている。

 無論、その腕は常人を遥かに上回る。力強さ、スピード、精確さ。どれを取っても、間違いなく一流だろう。

 だが、単なる一流は超一流の前に後れを取る。神域にまで至っている男の槍に、ただ優れているだけの男の剣では到底及ぶ道理がない。

 にも関わらず──刺突は防がれ、打突は払われ、薙ぎ払いは打ち返される。二人の戦いは、全くの互角だった。

 

 その理由の一つは、武器の特性。

 

 青い男が手にする得物は、二メートルを超す長槍。

 そのリーチは確かに脅威だ。射程距離が長いということは、それだけで大きなアドバンテージに成り得る。

 しかし逆に言えば、それは戦い方を予め知らせているのと同義。槍の基本戦術は、刺突・打突・薙ぎ払い。幅と長さ、穂先の鋭さが判っていれば、対策を講じることも可能だろう。

 

 一方、黄金の男が手に執る武器は、鎧と同じ黄金の剣。

 しかしその剣は、通常のそれでは有り得ない。刀身のみならず、柄の部分より生える鋭利な棘。一方向にのみ飛び出した二本のそれは、戦士の槍をいなし、弾き、変則的な動きを以て穂先を絡め取る。

 

 そしてもう一つの理由は、双方の戦い方にあった。

 

 青い男は、攻めきれない。

 リーチや技量で上回っていても、二人の身体能力にはそう大差があるようには見えない。

 なら、優劣を決定するもう一つの要素は武器だ。その影響が、この攻防には如実に現れていた。

 結果として、一見攻勢であるように見えながら、青い男は守勢に回っている。

 

 それに対して、黄金の男は常に的確に動いている。

 ()()()()()。相手の視線の先、筋肉の動き、槍の軌道。それだけではない。風の流れ、地形、月の光。そういった全ての要素を、あの男は俯瞰している──。

 そう思えてしまうほどに、黄金の騎士の動きは正確無比だった。明らかに視界の外からの攻撃にすら、予め計算していたような動きで対処している。

 戦略的な戦い方、とでも言うべきか。一手一手が次の行動への布石であるかのように、男は斬撃を振るう。技量の差を、この男は武器の性能と眼力のみで補っている。

 

 故に、この戦いは互角だった。

 まさしくそれは千日手。戦況の膠着をよそに、響く剣戟の音は、上限知らずに高くなっていく。

 だが……この状況が続く限り、戦いは終わらない。そんなことは、当事者である二人が一番理解しているだろう。

 ならば、どちらかが必ず動く。己が勝利を掴み取るため、決め手に訴える。

 

「おおお────ッ!!!」

 

 先に動いたのは、青い男だった。

 

 身を震わせるほどの怒声。

 斜めに振るわれた黄金の剣に対し、勢いよく槍を叩きつけた男は、後方に大きく跳躍して距離を開ける。

 前傾姿勢を取ると、槍を正確に構え直す。守勢から攻勢に回るための、仕切り直しのつもりか。

 男の狙いは心臓。槍の穂先は寸分の違いもなく、甲冑に守られた胸部を狙っている。

 対する黄金の騎士は、無言。貫けるものなら貫いてみろと、傲岸な覇気が語っていた。

 

「そらそらそらそらそらそらそらそらァァァ────ッ!!!!」

 

 空気が爆発したと、そう錯覚させるような突撃。

 繰り出される槍の速度は、先程までの比ではない。際限など知らぬとでも言うように、どこまでも速さが上がっていく。

 瞬きの内に攻守が交代する。今や、守勢に回っているのは黄金の男の方だった。

 後退する黄金を、青い男が攻め立てる。一瞬前まで捌き切れていたはずの槍撃が、弾くだけで精一杯になっていく。

 

「オラァッ!」

 

 青い戦士の雄叫び。

 一瞬遅れて、甲高い擦過音が響いた。

 

 飛び散る火花。

 黄金の甲冑に、槍の穂先が掠めたのか。宵闇の中、ストロボのように点滅する光は、一瞬ごとに煌めきを増していく。

 打ち落とすことすらできない。弾き損ねた槍の連撃は、瀑布となって黄金の鎧を襲っていた。

 しかし、騎士は踏み止まる。鎧の性能もあるのだろうが、紅い閃光は男の体を貫けない。

 

 唐突に、連撃が止む。

 次の瞬間、強烈な踏み込みと共に紅い稲妻が閃いた。迸るは、天も裂けよと言わんばかりの横薙ぎの一撃。

 一際甲高い音と共に、黄金の剣が舞った。

 持ち主の手から弾き飛ばされたのだと理解するより先に、青い男が叫ぶ。

 

「貰った────!!!」

 

 槍が狙うのは、顔面。

 男の槍は、黄金の鎧を貫けない。数十、いや数百の槍撃を受けたにも関わらず、その光沢には歪みすら見られない。

 だが、頭部は別だ。鎧に守られていない頭部は、あの一撃を受けたが最後、柘榴のように砕け散るだろう。

 黄金の男は無手。剣が弾き飛ばされた今、男を守る武器は何もない。

 

「まず…………!」

 

 い、と続けようとした口は、今日幾度目かの驚愕に固まった。

 

 ──現れたのは、黄金の波紋。

 

 宙に一瞬だけ見えた光。錯覚かと疑うほど短い時間の後、重い衝突音が響いた。

 

 突き出された槍。

 黄金の男を屠るべく放たれた必殺の一撃は、その左手に握られた剣によって防がれていた。

 

 その剣もまた、黄金。

 両手剣に匹敵する長さの刀身は、片面のみの刃を持つ。叩き切るのではなく、ただ斬ることを目的とした武装。

 反りも鍔もなく、刀身の根本に二本の刃が付いているそれは──間違いなく、先程吹き飛ばされたはずの剣と同じものだった。

 僅かな時間、二つの武器が鍔競り合う。その時間で、俺は紅い槍が凌がれていたもう一つの理由に気が付いた。

 込められている神秘。纏っている魔力の量が、男の槍を遥かに上回っている。そのあまりの濃度に、攻撃した側の槍の方が微かに軋みを上げていた。

 

 有り得ない。

 どこからあんなものを出したのか。第一、男の武器は失われたはずではなかったか。

 俺が驚いている間に、黄金の男が動きを見せる。瞬きの後、男の右手には、弾き飛ばされたはずのもう一本の剣が握られていた。落ちてきた剣を掴んだのだと把握するより早く、男が疾風となって再び走る。

 捻られる双剣。踏み込むと同時、槍に絡んだ二筋の黄金が対の方向に動いた。左の剣で穂先を逸らし、右の剣が柄を滑り、青の腕を斬り落とさんと奔る──!

 

「チッ、双剣使いか──!」

 

 青い男は甘くはなかった。

 柄を滑って迫る剣。その軌道を読むや否や、槍を手首で半回転。双剣を跳ね上げつつ、回転した勢いのまま石突で頭部を狙い返す、カウンターの一撃。

 己の頭蓋を砕かんとするそれを、黄金は自由になった右の剣で防御。槍の底部を弾くと同時、反動のままに後部へ跳躍。

 

 ──神域の攻防。

 

 つい数時間前の校庭での戦いも凄かったが、この戦いはそれを上回る。

 あの時の青い男と金の少女の戦いは、遠目には互角に見えた──いや、それは正確ではない。青い男は槍のリーチを活かして立ち回っていたが、終始金の少女に押されていた。

 金の少女の攻撃は、重戦車のそれだ。一撃一撃の力が尋常ではなく、ただ振るうだけで衝撃波を伴う。

 それに加えて、不可視の剣。それを扱う技量も、こちらが見惚れる程に凄まじかった。

 自らを上回る身体能力、不利な武器の特性、超級の技量。それらを相手にして互角に戦っていた青い男は、賞賛に値するだろう。

 

 しかし、この黄金の騎士にはそれらがない。

 青い男の身体能力と大差はなく、技量では遥かに劣る。ならば、圧倒的な力を持つ金の少女とすら互角に渡り合った戦士に、黄金の男が勝てる道理はない。

 にも関わらず──ただ己の戦略のみで、この男は拮抗して見せた。

 おそらく……土蔵を飛び出した直後から今の攻防に至るまで、この男は全てを計算して戦っていたのだ。そうでなければ、あの緻密な戦いぶりはありえない。

 驚嘆すべきは、この男の眼力だ。天地程の技量の差を埋めるその戦い方、一体如何な視野で戦場を視ているのか。

 

 気付けば俺は、その黄金の男に魅入っていた。

 天賦の才。そんなものを持たずとも、戦い方次第で、あんな超人と戦うことができるのかと──。

 

「──チッ」

 

「──フン」

 

 舌打ちを漏らすと、青い男は殺意も露わに黄金を睨む。その怒気に、空間そのものが軋むよう。

 対する黄金は、挑発に近い嘲笑を浮かべて見せた。これ程の殺意を前に、微塵も揺らがぬその自信。その胆力は、どれほど人間離れしたものなのか。

 

 ──無音の静寂。

 

 青い男の敵意に対し、黄金の男は揺らがない。その覇気に根負けしたかのように苦々しげな表情で、青の戦士は口を開いた。

 

「──テメェ、一体何者だ」

 

「ほう?」

 

 男の問いに、騎士の眉が跳ね上がる。

 双剣を無造作に提げたまま、どこまでも傲慢に、黄金の男は戦士を見下ろした。

 

「問いを投げるか。雑種風情が、よもやこの(オレ)に向けて?」

 

 ぎちり、と空が歪む。

 そう錯覚してしまうかのような殺意が、黄金の男から放たれていた。

 戦士の問いの、一体何が気に食わなかったのか。視界に入ること自体が不快だと告げるように、男の殺意は膨れ上がっていく。

 

「身の程を知れ、雑種。飼い犬風情が一端の口を叩き、あまつさえこの我に問いを投げる非礼。本来なら手討ちにするところだが──()()()()()()雑種なぞ、我が手を下すまでもない」

 

 黄金の殺意にも動じぬ男。だがその一言で、青い男の表情が変わった。

 その動きを、黄金の男はどう取ったのか。空間を歪めるほどの殺気を唐突に消し、戦士を嗤うかのように酷薄に口の端を歪める。

 

「──判るのか。テメェの能力か宝具かは知らねえが、どういう目をしてやがる」

 

「たわけ、我の目を侮るな雑種。ああ、貴様は確かに全力だろうさ。だが十全ではない。その程度、手に取るように判る」

 

 意味の解らない会話の応酬。

 黄金の断言に、青の戦士は忌々しげに舌打ちする。その様子を見るに、黄金の男の指摘は図星らしい。

 だが……青い男が、あれで力を振るえていない、だと?

 困惑し、立ち尽くす俺を蚊帳の外に、人外たちの話は続いていく。

 

「解せねえな。見た所剣使いのようだが、剣士(セイバー)とはオレが一戦交えてきたばかりだ。何より──セイバーのクラスがこの程度なら、興醒めにも程がある。

 その戦い方からすると……真っ当な一騎討ちをする戦士には見えねえ。テメェ、やはり弓兵(アーチャー)か」

 

「フン。クラスなど、然したる問題ではなかろうに。その程度の瑣事も逐一気に病まねばならぬとは──飼い犬の辛さか。哀れな事だな、槍兵(ランサー)

 

「抜かせアーチャー。弓兵風情が剣で戦おうなんざ、いい度胸じゃねえか」

 

 ランサー。アーチャー。

 ここに来てようやく、この二人の名前が判明した。

 青い男の挑発に、黄金の騎士──アーチャーと呼ばれた男が、不愉快そうに鼻を鳴らす。

 

「下賤な狗には、これでも過ぎた恩寵よ。餌をくれてやったのだ、狗らしく無様に這い蹲るがいい」

 

「──狗と呼んだか、貴様」

 

 ランサーの顔から、表情が消えた。

 しかし、その強靭な体躯からは燃えるような怒気が立ち上っている。

 能面に近い無表情は、激怒を凌駕する殺意によるものか。憎悪すら滲ませ、槍兵は黄金を睨みつける。

 それだけで射殺せそうな目線は、アーチャーを捉えて離さない。弓兵の一言は、何か越えてはならない一線を越えたに違いなかった。

 

「ならば受けるか、我が槍の一撃を」

 

 最後通牒とも取れる、ランサーの言葉。

 それ程の感情が籠った一言を──アーチャーは、嗤って斬り捨てた。

  

「貴様ごときの槍が、この我に届くだと? 笑わせるな雑種。一つ教授してやろう──そういう物はな、()()()()()()()と言うのだ」

 

 その嘲笑は、他の何よりも冷たかった。

 

 無駄だと。

 全ては無駄だと。

 お前の攻撃は己には届かぬと──あれ程の力量の差にも関わらず、アーチャーは奇妙な確信を持っている。

 

 しかし、これ以上ない侮辱にも関わらず、ランサーは口を開かない。

 言葉を交わすだけ無駄だと感じたのか。語るべきは槍だと告げるように、ゆっくりと得物を傾けていく。

 その構えに、俺は見覚えがあった。それは間違いなく……あの校庭で、この男が放とうとした一撃だった。

 ランサーの動きが止まる。その瞬間──大地が鳴動した。

 堰を切ったように、槍へと収斂する魔力。根こそぎ奪い尽くせと言わんばかりに、その槍は魔力を吸い上げる。

 全てを蹂躙する、力の奔流。捧げられた魔力の束は、ただその量だけで脅威だった。

 

「その心臓、貰い受ける──!」

 

 ランサーの宣言。

 そこに偽りなどないのだと、何よりも槍が断言していた。

 放たれる前から理解してしまう。あの一撃から逃れる者など存在しない。狙った得物は過たず穿たれる、文字通りの必殺。

 

 槍兵が地を蹴る。その速度は、先程までの比ではない。

 まるで瞬間移動をしたかのように、アーチャーの眼前に現れるランサー。

 しかし、それは俺から見ても下策だった。あの間合いでは、槍など振るえまい。事実アーチャーは、間合いに入ったランサーに肉薄し、その首を獲らんと双剣を振り上げる──!

 

 その、瞬間。

 

「"刺し穿つ(ゲイ)"──」

 

 轟、と槍が唸る。

 それ自体が、強力な魔力を帯びた言葉と共に──

 

「──"死棘の槍(ボルク)"──!」

 

 ──彗星が迸った。

 

 間合いなど知らぬと、振るえぬはずの槍が振るわれる。

 下から掬い上げるように、神速の槍撃を放ったランサー。全霊を賭して放たれたそれは、音を遥か置き去りにして怨敵を狙う。

 穿つべきは黄金の心臓。真紅の魔槍が、弓兵を打ち砕かんと吼える。

 直前の動きはフェイントだったのか、自ら後方に跳ねるアーチャー。振り上げられていた双剣は交差され、槍を弾くべく防御の構えを取っている。

 胸元へと迫る朱槍。他の何よりも迅い一撃は、見切ることすら能うまい。

 しかし、それすら読んでいた黄金の騎士。必殺の槍撃は、双剣に阻まれる──そう思った瞬間、

 

「な、に──!?」

 

 アーチャーの驚愕。如何なる攻撃にも動じなかった男が、この時初めて驚きを露わにした。

 

 槍が曲がった。

 

 いや、正確には──槍の軌道が変わっていた。

 直線を描く槍撃は、双剣に防がれる寸前、物理的に有り得ぬ方向に捻じ曲げられた。

 それは、起こり得ぬはずの一撃。

 物理法則を超えたその神秘は、奇跡と呼ばれる類のものだろう。まるで()()()()()()()()()のように、ランサーの槍は、双剣の守りを超えて黄金の甲冑に喰らい付いた。

 今までにない一撃に、軋みを上げる鎧。鎧ごと心臓を貫かんと、朱い魔槍が高らかに叫ぶ──!!!

 

「────」

 

 魔力と魔力が鬩ぎ合う。渾身の一撃で穿たんとする槍兵と、鎧と双剣で防がんとする弓兵。永遠とも思える攻防は、しかし一瞬にして終わりを迎えた。

 響き渡る、金属の悲鳴。

 ランサーの朱槍はアーチャーの鎧を削り穿ち──その堅牢さの前に、必滅の穂先を逸らされた。

 その攻防は、僅かに一瞬。黄金の鎧を貫けなかった魔槍は、双剣によって叩き伏せられた。

 ク、と頬を歪め、アーチャーが愉快げに呟く。

 

「ほう、因果逆転の呪詛か。なかなか面白いものを持っているな、ランサー」

 

 その声に浮かぶのは、勝者の余裕。

 ランサーの槍は、確かに最強だった。その一撃は正確にして無比、その速度は正しく神速。

 そして、あろうことか……その槍は突如軌道を変え、有り得ぬ方向、有り得ぬ形に伸びていた。

 あまりにも奇怪な一撃。有り得ないはずの軌道。だから、それはきっと──軌道ではなく、事実を書き換えたのだ。

 奇妙な言葉と共に放たれた槍は、『既に心臓を貫いている』という結果を持つ。結果が決まっている以上、過程はそれに追従するだけだ。

 あの槍の前では、あらゆる防御が意味を為さない。狙われた時点で、運命を決定する魔槍。放てば必ず心臓を貫くという、どこまでも出鱈目な槍。

 

 ──故に、あれは必殺。あらゆる敵を刺し穿つ、死棘(イバラ)の槍。

 

「────」

 

 だが、その必殺は必殺足り得なかった。

 最高の幸運。先読みの慧眼。黄金の鎧の防御。恐らくは、幾つもの結果が作用したのだろう。

 致命傷どころか、傷すら負う事無く黄金の弓兵は必殺の名を地に落とした。

 ギリ、とランサーの口から歯軋りの音が響く。

 無駄だ、と。

 届かぬ、と。

 そう傲然と宣言したアーチャー。因果改竄の神槍を、その魔性を尚上回る幸運。

 それは俄かに信じられぬ光景。地獄から響くような唸りを以て、ランサーはアーチャーを睨みつけていた。

 

「──防いだなアーチャー。我が必殺の一撃(ゲイ・ボルク)を」

 

「馬鹿め。死力を尽くさずしてこの我を倒そうとは、不敬にも程がある。

 ──クランの猛犬よ、貴様には失望したぞ」

 

 興味をなくした、とでも告げるように。アーチャーは、感情の籠らない瞳でランサーを見下ろす。

 対するは、渾身の一撃を防がれたランサー。極限の怒りの眼差しは、未だ無傷のアーチャーの心臓に向けられていた。

 黄金の鎧はその胸部を、槍によって穿たれていた。その傷は深く、衝撃で甲冑全体が歪んでいる。だがそれでも、男の槍は肉体まで届かなかったのだ。

 紛れもない必殺の槍撃を以て、敵を打ち倒せなかったのだ。敵が生き残っている以上、必殺の槍は必殺足り得ない。

 その屈辱は、果たしてどれほどのものか。

 

「……ちっ。こいつを出すからには、必殺でなけりゃマズいってのにな。有名過ぎるってのも考え物だ」

 

 ランサーの顔が曇る。先程までの殺気が、嘘のように消えていく。

 舌打ちを一つ残し……くるりと槍を回すと、ランサーは黄金に背を向けた。

 

「己の正体を悟られたなら、相手を消すのが聖杯戦争の常道だが……オレのマスターはとことん腰抜けでな。倒せなかったのなら戻ってこい、と抜かしてやがる」

 

 予想外のランサーの言葉に、思わず目を見開く。

 必殺の一撃を防がれたとはいえ、アーチャーの鎧は中破している。このまま攻め立てられれば、防御力を失ったアーチャーはランサーに倒されるだろう。

 しかし、有利な状況にあるにも関わらず、ランサーは動かない。それどころか、アーチャーに背すら向けている。

 追い打ちをかけようともしないランサーを、アーチャーは紅蓮の双眸で見据えている。僅かな間の後、悠然とアーチャーは頷いた。

 

「良い、逃亡を許すぞクー・フーリン。全力を出せぬ雑種を潰したところで、面白みの欠片もない」

 

「──覚えていろ、アーチャー。貴様の心臓、次は必ず貰い受ける」

 

 恨みの籠った台詞を残し、青い槍兵は跳躍する。

 音も無く塀を跳び越え、消えていくランサーを黙って見つめるアーチャー。その表情は冷たく、何一つ語るべきものを持たない。

 数瞬の後、ランサーの気配は完全に消えた。後に残されたのは、素性も判らぬ黄金の男だけ。

 

「────」

 

 傲然と立つアーチャーは、どこまでも冗談みたいな奴だった。

 黄金の光沢を放つ鎧は、紛れも無く本物の甲冑だ。あれだけの攻撃を受けて微塵も揺るがぬその硬さ、一体何で出来ているのか。

 驚くべきことに、ランサーの魔槍を受けて破損した部分すら、鎧の内側までは穴が開いていない。確かに損傷はしているが……その傷すらも淡い光と共に、勝手に塞がれていっている。アレがどれ程の神秘で括られた物なのかは、想像を遥かに超えている。 

……いや。何よりも冗談みたいなのは、そいつの存在感だった。

 神々しい、とでも言うべきか。

 燦然と輝くその金髪は天を衝くように逆立ち、男の俺すら見惚れるほどに整った美貌。

 そして──人のモノでは有り得ない、真紅の双眸。そこに宿る神威は、そいつが紛れもなく人を超越した存在であると知らしめる。

 

 そこで、はっと気が付いた。

 

 コイツは……とんでもない奴だ。さっきのランサーもわけの分からない奴だったが、この男はそれすら凌駕している。

 俺を殺そうとしたランサーを撃退してくれた以上、敵ではないのだろうが……味方だとは、絶対に思えない。

 

「──おまえ、一体何者だ」

 

「────」

 

 男は黙して答えない。数瞬の沈黙の後、その紅い瞳がこちらに向けられた。

 それだけで、背筋が硬直する。ただ俺を見ているだけだというのに、何故か恐怖が湧き上がる。

 嫌でも解ってしまう。コイツは、俺を人間だと思っていない。こんな冷たい目線は、ヒトに向けられるものではない。

 

「っ……!」

 

 気圧される。

 何かを口にすれば、次の瞬間には、自分の首が飛んでいる気がする。

 けれど、黙っているだけでは何も変わらない。せめて、今何が起こっているのか、それだけでも把握しなくては──

 

「──む」

 

 思い切って口を開こうとした瞬間、アーチャーが目を逸らした。

 黄金の雰囲気が僅かに変わる。その視線は、近くの塀を鋭く見据えている。

 いや──塀ではなく、その向こう。俺には見えない何者かを、アーチャーの紅い瞳は睨み付けていた。

 整った口角が、微かに吊り上がる。先ほどランサーと対峙していた時のように、何かを愉しむような邪悪な微笑。

 

「────。まだ雑種が潜んでいたか」

 

 言って、アーチャーは軽やかに跳躍した。がしゃん、という甲冑の音が微かに響く。

 後に残されたのは、ぽかんと口を開けている俺だけ。

 

「まだ、潜んでいる……?」

 

 そう、呆然と口にして。一瞬遅れて、どんな状況なのかを理解した。

 

「ちょっと待て、まだあんなヤツがいるってのか──!」

 

 後先考えずに、門の方へと走り出す。もうわけが分からないが、ただ黙っているなんてできない。

 アイツが敵か味方かは知らないが、少なくとも俺を助けてくれたのは事実だ。鎧も壊されたというのに、アイツはまだ戦おうとしている。

 俺はどうすればいいのかも分からないけど、今はただ、全力でアイツを追いかける──!

 

「アーチャー、どこだ……!?」

 

 閂を外すのももどかしく、門を飛び出し、周囲を慌てて見渡す。

 こんな時に限って、月も出ていない。電灯も少ないこの地域は、夜になれば真っ暗だ。

 視界には何も入らない。けれど──聴覚は、その音を捉えてくれた。

 

「そこか──!」

 

 近くの小道に走り寄る。

 そこに滑り込んだ瞬間、雲から月が顔を出す。天から降り注ぐ光が、幾つかの人影を照らし出した。

 

 

「──無礼者。凡夫雑種の分際で、(オレ)の許しなくして(オレ)を見るな」

 

 

 塀の上に傲然と立っているのは、先程現れた黄金の騎士。

 月の光すら圧倒するその偉容は、壮麗にして絢爛。堂々と佇むその姿は、ただそれだけで周囲の闇を吹き飛ばす。

 それで、再び理解した。あの存在は、人の上に君臨するものだ。

 およそ人間と称するには、あまりに異質なあの男。あれは何だ。人間でないとすれば、アイツは一体何なんだ。

 

「貴様ら俗人が我を見る事は許さん。我に請う事も許さん。我と語る事も許さん。

 ──雑種。我を覗き見た大罪、その命を以て償うがいい」

 

 あまりの暴言に、思わず体が固まる。

 状況も何も判らない。だけどアイツは言った。命を以て償えと、確かにそう口にした。つまり──アイツは、誰かを殺すと言ったのか。

 

 ──意識が凍る。

 

 ほんの僅かに、天から月明かりが漏れている。それで、アーチャーと相対している相手が人の形をしていると判った。

 それが誰なのかは判らない。先程のランサーの仲間なのか、それとも別の人外(バケモノ)なのか。

 あの弓兵に容赦はない。殺すと宣言したならば、次の瞬間にはアイツは人を殺している。

 

 人が死ぬ。

 衛宮士郎の前で、人が死ぬ。

 

 圧倒的な暴力。理不尽な猛威。助けることも叶わず、人が死ぬ。殺される。

 血の幻視。返り血が舞う光景すら、脳裏に浮かび上がってくる。その光景は、まるで──

 

 

 ──十年前の地獄ではなかったか。

 

 

「ほう。我の威容を目にして尚その気概、雑種にしては見所があるが──今の我は機嫌が悪い。塵は疾く塵になるがいい」

 

 アーチャーが何か言っている。

 知らない。アイツの言葉なんか知らない。

 ただ俺の目に入るのは、アイツが振りかぶった黄金の双剣だけ──!

 

 

「止めろーーーーーーっ!!!!!」

 

 

 叫ぶ。

 力の限りに叫ぶ。

 ヤツの剣先が、俺に向くなら構わない。それでも──俺の目の前で、人が殺されるのだけは、断じて許せない。

 

「──貴様」

 

 ぎろり、とアーチャーがこちらを睨む。

 その迫力。ただ睨まれただけで、心臓が竦み上がるのを感じた。

 一瞬遅れて、恐怖と後悔が胸を襲う。

 黙っていれば良かった。

 隠れていれば良かった。

 そんな臆病な心に目を瞑って──俺は、もう一度アーチャーに話しかけた。

 

「頼む。お願いだから、殺すなんてことは止めてくれ」

 

 冷酷な双眸。

 炎より尚紅いその瞳を見据えて、真っ向からそう口にした。

 

「────」

 

 アーチャーの瞳には、何も浮かばない。

 宝玉のようなその真紅。憤怒を向けられると覚悟していたが……意外にも、一瞬前までの怒りは消えていた。

 俺を観察するような目線。

 冷静に、冷徹に。遠い何かを思い出そうとするかのように──黄金の騎士は、俺を真剣に見つめていた。

 予想外の反応に、俺も口を開けない。睨み合ったままで、数秒の時が流れる。

 

「────ッ」

 

 静寂を破ったのは、音だった。

 踏みしめられた砂利が鳴る。俺とアーチャーは、同時にその方向に目を向けた。

 

 ──風が吹く。

 

 曇天の切れ間。螺旋を描く夜空に、三度月が顔を覗かす。

 地を撫でる優しい光。青白く降り注ぐその光を見て、俺は僅かに息を飲んだ。

 

 月光に照らされる白銀の甲冑。その下に纏われた紺碧は、銀に良く調和している。

 風に揺れる金砂の髪。柔らかささえ感じさせるそれは、まるで人形のようで。

 凛々しく澄み渡った翡翠の瞳が、真っ直ぐこちらを見つめている。

 幻想的なまでに可憐な少女。見目麗しく美しい騎士が、名画のように立っていた。その清廉な輝きは、傲然と聳える黄金と比して尚劣らない。

 

「──ほう」

 

 不意に。

 俺を見ていたはずの黄金の男が、驚いたように声を漏らした。

 その目の色は、先程俺に向けられていたものとは全く違う。あれは観察者ではなく、品評者の目だ。

 まるで、よくできた人形を検分するかのように……舐めるような目で少女を見た後、アーチャーは軽い笑みを浮かべた。

 ランサーに向けていた、皮肉げな笑みではない。子供が玩具で遊ぶ時のように、純真で──しかし、羽虫を潰す時のように、邪悪な笑み。

 親愛とも取れる微笑に、悪意とも取れる愉悦を乗せて。アーチャーは、その少女を見下ろしていた。

 

「まさか、貴方は…………アー、チャー──!」

 

 黄金を見つめる少女の目には、驚愕の色。

 信じられないものを見たという表情。その体躯は、予想外の衝撃に微かに震えている。

 死者と再会してしまったような、そんな顔。昔馴染みに出会ったように、少女は呆然とアーチャーを見上げて──

 

 ──待て。あの黄金の男は、一度でも自分がアーチャーだと名乗ったか。

 

「ん? 我を知っているのか、女」

 

 違和感に気付いたのか、アーチャーが眉を顰める。先程までの酷薄な笑顔は消え、少女の真意を探るように冷淡な瞳を向ける。

 その反応からして、アーチャーがあの少女を知っているとは思えない。しかし少女の方は、明らかにアーチャーを見知っていた。

 状況が混乱しすぎていて、頭が追いつかない。一体、何がどうなっているんだ。

 呆然と立ち尽くす俺をよそに、二人は見つめ合う。僅かに、しかし確実に互いの目を見つめていた二人は、やがてどちらともなく視線を外した。

 少女の表情に、既に驚きの色はない。あるのはただ、怒気を孕んだ警戒心のみ。

 軽い金属音を立てて、少女が何かを握る。それは紛れもなく──あの校庭で見せた、視えない剣の柄だった。

 白銀の具足が、アスファルトを踏みしめる。地面に罅が入る脚力は、その矮躯の何処から生まれるのか。

 清涼ささえ感じさせる翡翠の瞳が、黄金の男を睨みつける。怒気すら凌駕する殺意を以て、少女はアーチャーを敵視していた。

 

 ──空間すら軋ませて、少女の体から膨大な魔力が迸る。

 

 それだけで見る者を圧倒する青い魔力は、今や可視化できるほどに立ち上っている。夜の冷気が、少女の殺意を具現化するような熱気へと変わっていく。

 

「──良い憎悪だ。貴様が何者かは知らぬが、その清廉な闘気……事によると、存外に価値ある宝やもしれぬ」

 

 あれだけの殺意を向けられて尚、黄金の男は揺るがない。

 憎悪すら宿した緑の瞳。切り刻むような魔力の余波。激情を露にする白銀の少女を見下ろし、アーチャーは静かに独語する。

 その手に握られた双剣は、構えすら見せる気配がない。不可視の剣先からほんの十数歩の距離だというのに、アーチャーは傲然と立ったまま。

 

 ──だが、その紅い瞳。

 

 人間のものでは有り得ない残忍な双眸だけが、激怒に震える少女を観察していた。

 

「貴方は……時を越え、空を越えてまで尚、私の前に立ち塞がるのですか。そこまで──そこまで私を貶めたいのですか、アーチャーッ!!!」

 

 気合一閃。

 黄金に向けられていた剣先が、力任せに叩き付けられる。

 少女の怒りの一撃を受けた大地は、トラックが激突したかのような轟音を残して爆ぜ割れた。

 その規格外の膂力に、背筋に震えが走る。さっき俺を蹴り飛ばしたランサーの力など、あれに比べれば子供の遊びだ。大地すら砕けるその力、戦車の砲弾と何が違うというのか。

 

「──良いだろう。ならば、今度こそ貴方を斬り伏せるまで。貴方がどんな宝具を取り出そうとも、その悉くを打ち砕いて見せましょう!」

 

 ゆらり、と剣が再び持ち上がる。その狙いは今度こそ、黄金の弓兵だ。

 少女から立ち上る威圧感は、アーチャーに勝るとも劣らない。神話のように淡く輝くその威容は、怒れる女神のそれに等しいだろう。

 その脅威を見て取ったのか、黄金の具足が僅かに動く。

 先ほどまで見せていた、余裕の笑みは消えている。細められたその瞳は、少女の一挙手一投足を見逃さない。

 此処に至って、アーチャーも認識したのだ。一瞬でも目を離せば、倒されているのは己の方だと。

 アーチャーの鎧は今、ランサーの魔槍で破損している。高度な魔術が働いているのか、勝手に修復されているようだが、その動きは遅々として進まない。

 少女の膂力は、見て取っただけで異常に過ぎる。あの力で振るわれる一撃は、中破した鎧など粉塵と化して尚余りあるだろう。

 黄金の双剣が、静かに掲げられていく。絶大なまでの威圧感はそのままに、アーチャーもまた臨戦態勢を整えていた。

 

「────」

 

 口を開けない。いや、身動き一つすら出来ない。

 二人が相対する空間は真空のようで、触れただけで切り刻まれそうだ。

 ……情けない。

 人が殺し合うのを止めるために飛び出してきたのに、俺には何もできないのか。一体俺は、何の為に出てきたんだ。立っているだけなら、カカシと同じだ。

 震える体を根性で無理やり抑える。

 恐ろしさも臆病さも封じ込め、拳を握りしめる。

 何が起きているのか、あの少女は何者なのか、何故二人は戦おうとしているのか。

 ──知らない。そんな事はどうでもいい。

 ただ認められないのは、衛宮士郎の前で人が死ぬこと。それを止めるためだけに、俺はもう一度口を開く──!

 

 その、瞬間。

 

 

「ストーーーーーップ!!! ちょっと待ちなさいよ、アンタ達!!!」

 

 

 第三者の少女の声が、殺意の戦場を霧散させた。

 今にも斬り合いを始めようと睨み合っていた二人が、呆気に取られたように固まり、その声に視線を向けた。

 自然と、口を開いた間抜け面のままで俺もその方向を見る事になる。どこから出てきたのか、腕を組み、憤然としているその姿は……って、え、あれ!?

 赤いコートに、特徴的なツインテール。見間違えるはずもない、ここいるはずがないアイツは──

 

「お、おまえ遠坂……!?」

 

「ええ。こんばんは、衛宮くん」

 

 にっこり、と学校で出会った時のように極上の笑みを浮かべる遠坂凛。

 そのあまりの自然さに、つい俺も返事をしそうになる。……って、そうじゃない。

 なんでこんな時間に、こんな場所に遠坂がいるんだ?あの少女の隣に立ってる、ってことはつまり、ええと、どういう……!?

 

「…………はぁ」

 

 オロオロしている俺を見て、遠坂の口から呆れたようなため息が漏れた。

 

「いいから話は中でしましょ。どうせ何も解ってないんだろうし、一から説明してあげるわ。

 ──セイバー、その金ぴかと戦うのは少し待って頂戴。こいつ、わたしの知り合いなのよ」

 

 さらりとおかしなことを言って、ずんずん歩いていく遠坂。

 あまりの情報量に脳が処理できる容量を超え、ぽかんとその背中を見つめてしまう。

 遠坂の行動に呑まれたのか、白銀の少女は驚いたように硬直していた。遠坂を追うその視線からは、あれだけの殺意が嘘のように消えている。

 一方、塀の上に立ったままの黄金の男。少女に向けていた警戒心は既に消えている。その顔色は一瞬前とは打って変わり、面白い物を見たと言うように、口元に愉悦の色を宿している。

 ……って、待て、ちょっと待て──!

 

「と、遠坂、わけわかんないぞ、なに考えてんだおまえ……!」

 

 俺の詰問に、遠坂がくるりと振り向く。

 その顔は、さっきまでの笑顔とは別物だった。冷たい、見知らぬ別人のような表情。

 

「バカね、色々考えてるわよ。だから話をしようって言ってるんじゃない。衛宮くん、突然の事態に驚くのもいいけど、素直に認めないと──」

 

 ──いつか、死ぬことになるわよ。

 

 そう冷たく口にした遠坂。こちらを睨む瞳から、目が離せない。

 ごくり、と息を飲む。その迫力は、学校で見ている姿とはまるで別人だった。

 

「そ。分かればよろしい。それじゃ行こっか、衛宮くんのおうちにね」

 

 自分の家に入るかのような気楽さで、遠坂は我が家の門を潜っていく。気のせいか、その体からは怒気が立ち上っているようにも見えた。

 ……いや、気のせいじゃない。あいつ、すっごく怒ってる。

 

「…………」

 

 自分の家に勝手に入られたというのに、俺の体は動かない。後に続くべきだと冷静な部分が言っているが、驚きを越えた驚きで、冗談のように体が硬直してしまっている。

 だが……僥倖、と言うべきか。心臓を竦ませる殺意の波動は、予想外の少女の登場で、綺麗に消えてしまっていた。

 

 動けない俺の代わりに、まず動き出したのは黄金のアーチャーだった。

 泰然自若を地で行くように、優雅ささえ感じさせて地面に降り立つ。握っていた双剣はどこに仕舞われたのか、影も形も消えている。

 その口元に宿るのは、どこか不気味さを感じさせる笑み。嘲るように、愉しむように、紅い眼差しは遠坂の後ろ姿を見つめている。

 悠然とした足取りで、俺を置き去りにして門を潜っていく男。今になって気付いたが、アイツが歩くたびに、がしゃんがしゃんと鎧が擦れる音が響いている。

 ……というか、アレ。わざわざ門へ向かわずとも、塀を内側に降りれば良かったんじゃないだろうか。

 

 次に動いたのは、金砂の少女。

 黄金の男と同じように、その手に握られていた剣は既にない。凛然とした表情のまま、毅然と門を潜っていく。

 その横顔に見惚れていると、少女の瞳と目が合った。

 アーチャーの冷酷な緋色とは違う、静かで透き通った美しい翡翠。宝石めいたその瞳は、何かを推し量るように俺を見つめていた。

 邂逅は、僅かに一瞬。やがて少女は踵を返し、静かに衛宮邸へと消えて行った。

 

「────」

 

 一人取り残された俺は、呆然と立ち竦む。一瞬の後、はっと我を取り戻して、門へと歩き出した。

 体は動いてくれたようだが、頭は全然回っていない。

 

 今夜、一体何が起きたのか。

 俺は、一体何に巻き込まれてしまったのか。

 

 ランサーと呼ばれた青い戦士が襲ってきて。

 アーチャーと呼ばれた黄金の青年が現れて。

 名前も知らない白銀の少女は、アーチャーを知っているかのようで。

 そして……密かに憧れていたアイドル、遠坂凛までもが非日常の列に加わった。

 

 もうなんか異次元空間に迷い込んだのではないかという状況だが、このまま腑抜けてはいられない。俺だって一応、魔術師の端くれなのだ。

 遠坂は、俺に説明すると言った。ならまずは、その話を聞かなければならない。

 疑問も疑念も追いやって、俺は門を潜っていく。慣れ親しんだはずの我が家が──まるで、魔物の巣窟のように感じられた。

 

 

 ──この夜。俺の知っている場所で、俺の知らない何かが、確実に始まろうとしていた。


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