【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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6.作戦会議

 ──遠い、夢を見る。

 

 此処ではない、どこか。

 現在(いま)ではない、いつか。

 

 異世界と言っても疑いようのない、どこまでも異なる世界。しかし、遥かな彼方に続く森林、日の照り返す砂漠は、そこが紛れもなく地球なのだと示している。

 そんな自然に覆われた地平の中央に、巨大な街があった。強固な城壁に守られ、幾多の建造物が立ち並ぶ、大きな都市。

 整備された街路を歩くのは、活気に溢れた人々。店舗では見たこともない物が売られ、工廠では聞いたこともない物が作られていく。

 

 そんな中。一際高く聳える城の中で、その男は立っていた。

 

 地の全てを見通すかのように、世界を睥睨する真紅の瞳。

 陽光を受けて燦然と輝き、空を照らすかのように逆立つ黄金の髪。

 人では有り得ぬ容貌を持つその男は、全身から威圧感を放ち、世界そのものを畏怖させる。背後にある黄金の玉座は、その存在こそがこの世界の支配者──即ち、王であると万人に知らしめる。

 

 王の背後にて侍り、傅き、阿るのは数え切れぬ程の人々。

 十や二十ではきかない。

 百や二百には届かない。

 だが実数がどうであれ、人に数え切れぬのであらば、それは無限と呼ばれるだろう。

 

 その威光に怯えるように、跪き恭順の姿勢を示す人間たち。誰一人として例外なく、彼らは王を畏れ敬っていた。

 ただの一度も判断を誤らず、冷酷に冷徹に、全てを裁断していく王。敵なるものは悉く打ち滅ぼし従属させ、財宝を技術を文明を、何もかもを収奪する絶対王者。

 人間には理解が及ばぬ、遥かな先を見据える王。その半身に神の血を受け継ぎ、今や神ですら手出しのできぬ存在となったその男。

 神にも等しい存在を前にして。人の採れる選択肢は、ただ従う以外に有り得ない。抵抗も叛逆も交渉すらも、この王の前には許されない。

 

 天地を統べる王者は、誰にも理解されぬままに全てを支配していく。

 その在り方は、鋭利にして純然。ただまっすぐに、ただひたすらに、男は自分の道を歩み続ける。

 

 ──それを。まるで、剣のようだと思った。

 

 

***

 

 

 ……目が覚める。

 じりじりと体を焼く日差しは、心なしかいつもより明るい気がする。ひょっとして、寝過ごしてしまったのだろうか。

 まあ、そんな事は後回しでいい。今重要なのは──

 

「──―なんだったんだ、あれ」

 

 今の今まではっきり見えていた、おかしな夢。

 夢にしては、妙な現実感が残っている。だというのに起きてみれば、靄がかかったように要所要所を思い出せない。

 でも、ただ一つ覚えているのは、あの姿。

 

 ──黄金の王。

 

 細かい所はよく覚えていないし、それ以外の物になんて見覚えはない。

 けれど……見違えるはずもない。あれは、間違いなく──

 

「………………っ、あ……」

 

 それを思い出した途端。何の前触れもなく、目の前の視界が歪んだ。

 口の中に感じるのは、鉄の味。鼻血とかが出ると、喉に回って来た時に感じるアレだ。

 なんで口の中が血塗れになっているのかは知らないが、ただ息をするだけで気持ち悪い。この感じからすると、多分胃の中にも血が溜まっている。

 ……むかむかと、吐き気がする。

 あまりの不快感に、脂汗すら浮かんでいる。体中が濁った血液になってしまったような苦痛。目眩に吐き気に胃の痛みと、体調不良の三点セット。

 一体、何がどうしてこうなったのだろう。いたって健康で体も鍛えているはずの俺が、ここまで具合が悪いというのは尋常ではない。最近は寒いし、何か悪い病気でも貰ってきたのだろうか。それとも、胃や喉に響くような怪我でも──

 

「──ふん、我より目覚めが遅いとはな。つくづく礼儀を知らぬ男だ、貴様は」

 

 と。

 金髪の青年が、すっごく偉そうな態度で壁に寄り掛かっていた。

 

「は──―!?」

 

 咄嗟に、そんな間抜けな声が漏れる。直後、無理に口を開いたせいか、せり上がってくる嘔吐感。

 その衝撃で一気に思い出した。この黄金の男は、アーチャー。俺が昨日召喚したという、人間を超越した英霊(サーヴァント)

 黄金に彩られた甲冑ではなく、裾の短い黒のライダースーツの下に、白いシャツを着込むという簡素な平服。だがこの豪華絢爛な男が纏うと、それすら至上の礼服のように錯覚してしまう。

 そうだ。昨夜俺はこのサーヴァントと、遠坂凛と、セイバーと一緒にいたはずだ。

 そして、バーサーカーと戦って……殺されそうになったセイバーを助けようとして、俺はあの斧剣に叩き斬られたのだ。

 

「…………なんで生きてるんだ、俺?」

 

 自問自答する。

 確か、昨日も同じようなことを言った気がするが……間違いなく、これは夢じゃない。朧げだが、昨夜の最後の記憶を思い出す。

 自分の内臓が吹き飛んでいるのを、確かにこの目で見た。俺の腰から下は、ぐちゃぐちゃに砕け散ったはずなのだ。その感覚を、俺は確かに覚えている。

 ……思い出したら、無性に吐き気が込み上げてきた。無理矢理に唾を飲み込み、込み上げてきたものを押し戻す。 

 恐る恐る視線を下ろすと、俺の腹部には包帯が巻かれている。どうやら、誰かが手当てをしてくれたようだが……それにしてはおかしい。昨夜の傷は、果たしてこんな包帯程度で隠せるようなものだったか。いや、そもそも、腰から下が付いていること自体がおかしい。

 そういえば、聞いたことがある。事故や何かで手足がなくなった人間は、現実から逃避したいがために、手足がまだついているような錯覚を起こすケースがあるらしい。じゃあ……ひょっとして、今俺が見ている物って──?

 

「あ、アーチャー。俺の足、ちゃんとくっついてるか!?」

 

 恐ろしい想像をしてしまい、思わず踏ん反り返っているアーチャーに聞いてしまう。

 

「──―」

 

 急に慌て出した俺を見て、どう思ったのか。黄金の青年は、一つため息をつくと、呆れたような目を俺に向けてきた。

 

「たわけ、見て判らぬか。多少の傷は残っていようが、粗方の傷は既に治癒している。

 ──何の取り柄もない雑種かと思ってみれば、どうやらそうでもなかったらしい。随分と、()()()()()を持っている」

 

 そう言うとアーチャーは笑みを見せ、淡々と昨夜のことを話し出した。

 

 なんでも、俺がセイバーを助けようとして斬られた後、バーサーカーとそのマスターは去って行ってしまったらしい。

 その後、ぐちゃぐちゃになっていた俺の体は勝手に再生し始め、あっという間に元通りになってしまった。

 生き返ったはいいものの、昏倒したままの俺は、セイバーが担いで運んでくれたようだ。……自分のマスターを運ぼうともしなかったサーヴァントに嫌味やら文句やらを言われたが、うん、今のところは無視しておこう。それより重要なことが、まだ幾つも残っている。

 

 まず最初に。何故俺が生き残っているのか、ということだ。

 あの傷は間違いなく致命傷だったはずだし、俺には治癒や回復の魔術なんて使えない。そして俺の知る限り、現代の医学ではあそこまで壊された人間を一晩で治すことなどできない。

 となると、誰かが助けてくれたとしか思えないのだが……まさか、この黄金のサーヴァントが何かしてくれたのだろうか。

 そう聞くと、アーチャーは不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

「勘違いするな、貴様は自分の力で助かったのだ。そこに我の介入する余地はなかった。

 少なくとも今の我には、死にかけの貴様を蘇生させる術などない。自分自身の力で、貴様はその腹を治したのだ。

 ──いや、それにはちと語弊があるか。何にせよ、貴様は中々に頑丈な雑種のようだ」

 

 ふふん、と上機嫌に微笑むアーチャー。

 相変わらず、この男の発言は人を煙に巻くようで解り難い。けれど……自分の力で治した、とは一体どういうことなのか。

 昨日ランサーに刺された時も、確かに心臓を穿たれていたはずなのに、気が付けば元通りになっていた。一度ならず二度までも死の淵から戻って来るなんて、偶然では有り得ない。俺の体には、何らかの力が働いている。

 便利と言えば便利かもしれないが、俺には全く心当たりがない。知らない所で体が変になっているのは、どうにも気持ちが悪い。

 アーチャーの口ぶりからして、この男はその正体に心当たりがあるようだ。答えてくれるかどうかは判らないが、思い切って訊いてみよう──

 

「──―ところで」

 

 その瞬間。笑っていたアーチャーの瞳が、鋭く細められた。

 身に纏う雰囲気が一変する。血の色に濡れた双眸が、俺の目をまっすぐに見つめていた。

 

「雑種。貴様は、何故セイバーを助けた?」

 

 嘘など許さぬ、と言外に含ませた問い。その鋭い眼光の圧力に、思わず生唾を飲み込む。

 過程を飛び越えて理解した。一つ選択肢を誤れば、瞬きの後に自分の体は消し飛んでいる。ただこの男が口を開いただけで、自分は殺されるという直感。

 昨夜バーサーカーに直面した時に匹敵する恐怖が、今目の前に顕現している。黙っていても、死の運命は免れない。

 ならば。

 ならば、どうするか。

 道はただ一つ、このサーヴァントが気に召す答えを返すだけ。しかし俺には、この男の気性など知らない。どんな言葉がアーチャーの逆鱗に触れるか、予想すらできない。

 

 考えろ。考えろ。考えろ。

 

 この男は何と言った。俺が何故セイバーを助けたのか、と訊いた。

 そんなもの、考えるまでもない。理由などない。ただ俺は、セイバーを放っておけないと思っただけ。女の子を見捨てておけるほど残酷になれる人間じゃなかったという、それだけのことだ。

 それ以外には何もない。衛宮士郎が衛宮士郎である限り、俺は何度でもセイバーを助けるだろう。

 

 嘘などつけない。誤魔化す事などできない。なら、自分の心をそのまま言葉に乗せるだけ。アーチャーから目を逸らさず、震える体を押さえて口を開く。

 

「……女の子を助けるのに、何か理由が要るのか?」

 

「ハ──貴様の目は節穴か。アレこそはサーヴァント、神話伝承に語られし英雄、人類の守護者にして英霊よ。

 英雄とはな、不可能を可能にし、人の身で奇跡を起こし、己が視野に映る全てを背負うもの。雑種風情とは比較するのも烏滸がましい。

 ──それを、貴様ごときが助けるだと? 妄言も甚だしいわ、雑種」

 

 背筋の凍るような怒りと共に向けられる、アーチャーの侮蔑。

 この英霊は、身の程を弁えろと言っているのだろう。俺のように凡庸な人間が、英雄を助けようなどという考え自体が不遜。また、そんな人間に助けられることは、それだけで英雄にとっては侮辱だと。

 唯我独尊を地で行くこのサーヴァントにとっては、確かにそうかもしれない。明らかに他者を見下しているアーチャーは、他人の手助け自体を拒絶するに違いない。

 

 ──けれど。それがどうしたと言うのだ。

 

「それでも、セイバーだって人間だ。助けられるものなら、助けたいと思うのは当たり前だろ」

 

「ふん。貴様は盲目か、それとも埒外の阿呆か?

 ──本来なら死んでいたぞ、雑種。あの狗畜生(バーサーカー)めに近寄ってどうなるか、それすら理解できなかったのか」

 

「それは──―」

 

 いや。

 理解していた。

 あの暴力、あの暴風、あの暴威。その一片でも受ければ死ぬと、見ただけで解っていた。

 

 ──しかし。()()()()()よりも、セイバーを助けることの方が俺にとっては大事だった。

 

 バーサーカーに殺される? 大剣で体を両断される?

 知らない。そんなことは知らない。あの女の子が殺されることに比べればどうだっていい。目の前で、人に死なれるよりはずっといい。俺が殺されるよりも、セイバーが傷つくことの方がずっと恐ろしい。

 何よりも。目の前で他人を見捨てるなんて、正義の味方にとっては有り得ない。

 あの地獄、あの十年前とは違う。あの時とは違って、俺にはセイバーを助けられる可能性があった。なら、俺はそれに賭けるだけ。

 五年前。あの日、あの時。衛宮士郎は、正義の味方になると誓ったのだ。それを裏切るようなことをすれば、衛宮士郎(自分)正義の味方(理想)を貫けなくなってしまう──。

 

「──よもや。自分の命より、他人の命の方が重いなどとでも言うつもりか、小僧」

 

 俺の葛藤を見抜いたように。アーチャーが、冷酷無比な声を叩きつけた。

 その言葉に言い返せず、口を噤む。それを見下ろすアーチャーは、不愉快そうに眉を顰めた。

 

「たわけめ。自らを犠牲にする行為など全て偽りに過ぎぬ。自分の命を秤に乗せずに他者を救える者などいるものか。

 仮に、そのような者が存在したとするならば──それは聖者でも英雄でもなく、救世主と呼ばれる最もおぞましい人間だ。

 貴様のごとき雑種が、救世主(メシア)の真似事だと? 道化ぶりも大概にするがいい」

 

「……いや、俺だって死ぬのは怖いぞ。あの時は体が勝手に動いただけで、正直どうかしてた。思い出すだけで体が震えるし、そんな聖人なんかにはなれっこない」

 

「ほう。では貴様は、何も考えずにセイバーを救ったということか。打算も計算もなく、ただ自然に助けたと?

 ──それこそ異常だ、雑種。

 死の恐怖を前にして、凡百の人間が採り得る選択肢は数少ない。だが貴様は、サーヴァントの脅威など視野にも入らぬとばかり、身を挺してまで自らの敵を庇ったのだぞ。

 信念もなく、目的もなく、ただ人を助けたいというのならそれは狂人だ。否──例え譲れぬ物を持ち合わせていたにせよ、その在り方は歪んでいる」

 

 紅蓮の瞳。血より尚紅いその眼に、ぞっとする程の凄みが宿る。

 鑑定するように。裁定するように。息の詰まるような真剣さで、黄金の男は俺を譴責していた。

 

 狂っていると。

 歪んでいると。

 

 無言の圧力が、俺の体を責め苛む。

 それに反発しようとして……俺は、アーチャーの言葉が何も間違っていないことに気付いた。

 昨日出会ってからというもの、この男は腹が立つほどまっすぐな正論しか言わない。俺は何度も論破され、一度たりとも明確に反論できていない。この男の慧眼は、いつも遥かな先を見つめている。

 

 けれど──何と言われようと、俺はこの在り方を変えるつもりはない。

 俺にとって。誰かの死とは、自分の死よりも遥かに重い。誰かを見捨てるなんてこと、衛宮士郎には許されない。

 

 十年前の、あの日。世界が業火で焼き尽くされた、あの日。俺は、数えきれない人間を見捨てた。

 力が足りなかった。方法がなかった。時間がなかった。今更幾ら泣き叫ぼうとも、俺が人間を見殺しにしたという事実は変わらない。

 

 あの声を、覚えている。

 

 助けてくれ、死にたくない。そう叫んで手を伸ばした男は、建物に押し潰されて死んだ。ぐちゃり、という冗談みたいな音と、肉片が飛び散る光景を、微かに覚えている。

 自分はいいから、子供だけでも。そう言って縋った女は、生きたまま焼かれて死んだ。赤子と共に焦げていくその残像が、今も脳裏に焼き付いている。

 それは、俺が犯した罪の記憶。他の全てをなくしても。この記憶だけは、いつまでも永遠に残り続ける。

 

 現実的に考えれば、俺が彼らを助けようとしたところで、死体が一つ増えるだけだっただろう。だがそれでも、彼らを助けることができたかもしれないという可能性は残っていた。

 それを。俺は、他ならぬ自らの手で握り潰したのだ。彼らに背を向けて。ごめんなさいと、何の助けにもならない自分勝手な謝罪だけを残して、俺は逃げたのだ。

 後に残ったのは、怨嗟の声。理不尽に憎悪し、現実に恐怖し、神を呪う数多の人間の叫びだけ。

 その全てに背を向けて。死にたくないという、その一心だけで走り続けた。……俺が見捨てた人たちも、同じように思っていたにも関わらず。

 逃げて、逃げて、逃げて。どこまでも逃げ続けた。

 他人を助けようとした人は、死んだ。誰かを救おうとした人も、死んだ。そうして──みんなを見捨てて一人だけ逃げた、俺だけが生き残った。一番死ぬべきだった、卑怯な人間だけが生き残ってしまった。

 忘れることなどできない。これは俺の罪だ。逃避など許されず、死者たちの想念はいつまでも俺を呪い続ける。間接的にではあるが、俺は人を殺したのだ。その罪過は、未来永劫この身に付き纏う。

 

 故に──俺はもう、人を見殺しにすることはできない。例え何と言われようとも、俺は人を助けて──正義の味方になると、そう決めたのだから。

 

 救世主なんかじゃない。俺は、そんな高尚な人間じゃない。これはただの、独り善がりな贖罪に過ぎない。

 いくら他人を助けたところで、過去は変えられない。事実は変わらないし、死者は蘇らない。そんな事は理解している。とっくの昔に、俺は知っている。

 だけど、約束した。

 俺は約束したのだ。

 正義の味方そのものだった、父の前で。俺は最後に、誓ったのだ。

 

「──フン、偽善者か狂人の類かと思ったが、存外に芯は強いらしい。

 貴様は余程珍妙なマスターのようだな、雑種。我ながら、星の巡り合わせが悪かったと見える」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らすと、アーチャーは腕を組んで再び壁にもたれかかった。会話を拒絶するように、その双眸は閉ざされている。

 どこまでも傲慢に振舞うこの男に、俺の意思は伝わらないだろう。またアーチャーの考え方も、今の自分には理解できそうにない。

 合理的で、必要とあればどんな物でも切り捨てる。情など微塵もなく、ただ冷血に物事を判断するこの英霊は、誰よりも冷酷で残忍だろう。

 だけど……それが悪と詰れるかと言えば、そうでもない。何と言うか、この男はこの男なりに筋が通っているような部分がある。事実、このサーヴァントの振舞いには冷徹さこそ感じられても、醜悪さや陰湿さといったものは欠片もない。

 記憶がないという状態でこれなのだから、本当のアーチャーはどのような人間だったのだろう。少なくとも、気軽に付き合えるような相手ではないことは確かだ。

 

「……ん?」

 

 ぴくり、とアーチャーが身動ぎした。その直後、廊下の方で足音が聞こえてくる。

 一呼吸おいて、がらりと開けられる扉。清涼な空気と共に、姿を現したのは──。

 

「あ、起きてたのね。具合はどう、衛宮くん?」

 

 その姿を、見違えるはずもない。

 夜の丘。つい数時間前、セイバーを従えあのバーサーカーと戦っていた、遠坂凛という少女だった。

 

 

***

 

 

 その後。

 居間に降りた俺とアーチャーは、遠坂とセイバーを交えて色々なことを話し合った。

 まず驚いたのは、遠坂が「私たちと同盟を組まない?」などと提案してきたことだ。どういう風の吹き回しかと思ったが、どうも昨日のバーサーカーが原因らしい。

 遠坂の説明にもあったが、英雄というのは基本的に、有名であればあるほど強くなる。昨夜のヘラクレスなど、最高クラスの大英雄と呼んでも過言ではない。並大抵のサーヴァントでは、まともに戦う事すらできないだろう。

 勿論、セイバーだって強力なサーヴァントだ。けれどそれでも、あのバーサーカーの前には一歩劣る。

 加えて、あの異様な再生能力。おそらくは宝具なのだろうが、傷を与えても回復されるのではたまったものではない。

 とはいえ。バーサーカーに宝具があるなら、こちらのサーヴァントも同様の物を持っている。記憶を失っているアーチャーは宝具を使えないと言っているが、十全の状態で召喚されているセイバーにはそんな問題はない。

 しかし、必殺技だという宝具をポンポン撃てるわけもなく。基礎能力のほぼ全てで劣っている以上、どうやっても単独でバーサーカーへ勝利できる確証が持てない。そこで、バーサーカーを倒すまでの間、俺たちと同盟を組むことにした……という流れだ。

 俺としても遠坂やセイバーと戦いたくはない。彼女たちと戦う心構えなんてできていないし、知識も技術も情報も、戦うための準備は何一つとして揃っちゃいない。

 少しの間だとしても、遠坂たちが味方になってくれるのなら心強い。俺の未熟な魔術についても指南してくれるということなので、ありがたく同盟の申し出を受けることにした。

 

「──じゃ、これで契約成立ね。バーサーカーを倒すまでは、味方同士ってことで」

 

 よろしく、と差し出される手。華奢なその手を、しっかりと握り返す。

 

「ああ。よろしくな、遠坂」

 

 俺の答えに、遠坂は満足そうに微笑んだ。その自然な笑みに、思わずドキッとする。

 学校での姿とは全然違うけど、こっちの遠坂も断然魅力的だ。今まで忘れていたけど、俺は女の子と手を握る機会なんてなかったから、こうして握手すること自体がレアだ。

 女の子と全然関わりがないわけではないが、桜は後輩だし、藤ねえは……アレは、そもそも女子という範疇に含まれるのかどうかも怪しい。

 まあ、それはともかくとして。同盟を組むことになる女の子は、遠坂一人だけじゃない。ちゃんとセイバーにも挨拶しておかなくちゃいけないだろう。

 遠坂から向き直り、セイバーに右手を差し出す。アーチャーと同じように私服姿に着替えているセイバーは、こうして見ると普通の女の子にしか見えない。

 

「……?」

 

 不思議そうに、俺の手を見つめてくるセイバー。

 ……そういえば。彼女には、まだ自己紹介すらしていなかった。

 

「まだ、セイバーにはちゃんと挨拶もしてなかったしな。俺は衛宮士郎。これからよろしく頼む、セイバー」

 

 それを聞いて、納得の行ったという表情を浮かべるセイバー。柔らかい微笑みを浮かべて、俺の手をしっかり握り返してくる。

 

「ええ。よろしくお願いします、シロウ」

 

 落ち着いた声が、耳朶に心地よく響き渡る。

 穏やかにこちらを見つめてくる翡翠の瞳は、見たこともないほど綺麗で。不覚にも、心臓の鼓動が速まった。

 今更だけど、セイバーはとんでもなく美人だ。アーチャーも人間離れした美貌だけど、あれは何というか、どこか普通とは隔絶したものを感じさせる。感嘆するよりも先に、畏れや怯えといった感情が湧いてくるのだ。

 でも、セイバーは違う。自然な美貌、とでも言うのだろうか。人間味に溢れながらも、完璧な人形のような造形。そんな子が目の前で微笑んでいるのだから、破壊力は抜群だ。

 

「──シロウ。同盟を組む前に、言っておきたいことがあります」

 

 唐突に。氷のように冷たい声で、セイバーは怒りを向けてきた。その豹変ぶりに、思わず気圧される。

 

「シロウ。何故貴方は、私を庇ったのですか」

 

「なんでって、そりゃ──」

 

 そうしなければ、セイバーが死んでいたから。

 先ほども、アーチャーに問い詰められたばかりの内容。また同じ話を蒸し返されることに不快感を覚えるが、セイバーが俺にそれを聞くのは当然だ。

 アーチャーに答えたのと同じ言葉を、セイバーにも返す。誰に何度聞かれようと、俺の本心は変わらない。

 すると。ますます不機嫌な表情を浮かべて、セイバーは俺をむっと睨んだ。

 

「貴方はアーチャーのマスターでしょう。私のマスターだというのなら、まだ私を助けようとしたことも理解できる。

 ですが、私は本来なら貴方と敵対するサーヴァントです。敵を助けようなどという行動は、控えて貰わないと困ります」

 

「でも、セイバーは味方になってくれるんだろ?なら、助けるのは当たり前じゃないか」

 

「いいえ。サーヴァントにとっては、マスターとしての役割に徹して頂けることが何よりの助けになります。戦闘は私の領分なのですから、シロウも私を庇おうなどとは思わないで下さい。その必要はありませんし、そんなことで無駄死にをされては、いくらサーヴァントでも守りきれません」

 

 遠回しではあるが。助け自体が迷惑だと、セイバーは暗に告げていた。

 アーチャーも言った通り、英霊とは存在自体が人間より高位にあるモノ。そもそも、彼らにとって人間の助力など必要ないのだ。昨夜のようなことは、有り得ないはずの事態。

 理解している。何の力もない俺が、サーヴァントを助けるなんてできるわけがない。昨日のあれは、あくまでも偶然。砂漠から一粒の金砂を掴み取るような、そんな途方もない幸運が作用しただけのこと。もう一度同じ状況になれば、俺は確実に死んでいるし、セイバーを助けることもできないだろう。

 でも、それでも。

 俺の目の前で誰かが……女の子が、傷ついていて。それを何もせずに放っておくなんていうのはおかしい。

 

 ──血を流して、ボロボロになったセイバー。

 

 あんな光景を、何度も見ることになるなんて。そんな現実は、到底許容できない。

 どんな魔術が働いたのか、今のセイバーは至って普通の状態だけど。治るからといって、傷ついて良いという問題じゃない。

 

「──は。忠言耳に逆らう、とはこの事よな。無駄な説教は止めておけ、セイバー。そこな雑種は、お前の言葉など聞きもせん」

 

 一人だけ、泰然と座っていたアーチャー。

 同盟についての相談を持ちかけても、好きにするがいい、としか答えなかったサーヴァント。こちらに興味すら見せなかった男は、諌めるようにセイバーに視線を向けていた。その瞳に、昨夜のように揶揄するような色は見られない。

 一体、どんな心変わりをしたのか。至って真剣に、アーチャーはセイバーを止めていた。

 

「それはどういう意味ですか、アーチャー。不適切なマスターの行動は、本来サーヴァントである貴方が止めるべきでしょう」

 

「ふん。その小僧は、貴様が考えているような人間ではないという事だ、セイバー。

 ──もっとも、素質すら持たずに聖杯戦争などという遊戯に選ばれた男だ。まともである道理がなかろう」

 

 睨み合う二人の英霊。紅と翠の瞳が、互いに互いを見つめ合う。目の前で自分のことを議論されているにも関わらず、二人の雰囲気の前には口を挟めない。

 ……昨夜から思っていたが、どうもこの二人は相性が良くないらしい。口を開けば、すぐに口論を始めてしまう。

 謹厳実直なセイバーと、傲岸不遜なアーチャー。どこまでも対照的な二人は、その性格も真逆のようだ。

 

「あーもう、なんですぐケンカするのよ、アンタたちは」

 

 はあ、と遠坂が盛大にため息をつく。

 昨夜から、二人のサーヴァントの諍いを止めているのは遠坂だ。一般人の喧嘩と英霊の争いは文字通り次元が違う。下手をすれば昨夜のような大破壊を招く羽目になる以上、遠坂の気苦労は並大抵ではないだろう。

 アーチャーのあの偉そうな態度も揉め事の原因なのだから、マスターである俺も止めるべきなのだろうが……誰あろう俺について言い争っている以上、張本人が介入してはより事態をややこしくするだけだ。

 

「衛宮くんのことは措いておいて、もうちょっと建設的な話をしない? 例えば、これからの方針とか」

 

 やってらんない、と言わんばかりの表情を浮かべて、遠坂がこちらに向き直る。

 

「ん? バーサーカーを倒すまでは手を組もう、ってことじゃないのか?」

 

「だから、その方法よ。どうやってバーサーカーを倒すのか、その話を全然してないじゃない」

 

 む。言われてみればそうだった。

 セイバーとアーチャーの、二人がかりでも敵わなかったあの巨人。何の策も持たずに挑めば、蹴散らされるだけなのは明白だ。

 今考えるべきなのは、現実的な脅威にどう立ち向かうか。この同盟も、あくまでバーサーカーを倒すために結んだものなのだから、その前提を忘れてはいけないだろう。

 

「結論から言うと。わたしたちだけじゃ、あのバーサーカーには勝てないわ」

 

 断言する遠坂。その内容に、思わず絶句する。

 隣のセイバーが浮かべている沈痛な表情からして、それは真実なのだろう。しかし……勝つのが難しい、ではなく勝てない、とはどういうことなのか。

 昨日、セイバーはバーサーカーと互角に戦っていた。最終的には斬り伏せられたとしても、セイバーはバーサーカーとまともに打ち合っていたのだ。

 確かに終始押されていたとはいえ、それはバーサーカーが先手を打ち、その後もセイバーが反撃する隙を与えなかったからだ。こちらから機先を制すれば、勝負がどう転ぶかは判らない。

 

「もちろん、負けるとは思わない。あっちのサーヴァントが強力だとしても、わたしのセイバーだって特別よ。

 でも、規格外なのはバーサーカーだけじゃない。そのマスター……あの、イリヤスフィールって娘も普通じゃないわ。寧ろ、どちらかといえばそっちの方がおかしいかも」

 

「え──?」

 

 思い出す。バーサーカーの傍らに立っていた、雪のような白い少女。

 あの小さな女の子が聖杯戦争に参加したマスターということ自体が信じ難いが、魔道の世界に常識は通用しない。そういうモノなのだと、理解するしかないのだ。

 けれど──それを納得できるかといえば、そんなわけはない。あんな女の子が人殺しの戦争に参加するなんて、そんなのは何か間違っている。

 

「貴方とアーチャーは色々と特別みたいだけど、普通、サーヴァントの現界にはマスターの魔力が必要なの。

 サーヴァントはこの世界の住人じゃないから、留めておくには楔が要るわけ。それが、マスターとその魔力。聖杯の補助があっても、サーヴァントを現世に留め続けるのは簡単なことじゃないわ。

 サーヴァントが強力な英霊であるほど、マスターの消費する魔力は増えていく。サーヴァントが十分な能力を発揮するためには、それだけ多くの魔力が必要なの。いくら速い車だって、ガソリンがなくちゃ走れないでしょ?」

 

 要するに。サーヴァントを車だとすると、マスターはガソリンタンクで、魔力はガソリンだという事なのだろう。

 車を速く、長く走らせようとすればそれだけ多くの燃料が必要になる。マスターとサーヴァントの関係も、要約するとそれと同じだ。

 

「あの子が召喚していた英雄は、かの有名なヘラクレスよ。あんな英霊、ただ維持しているだけでもマスターの負担は尋常じゃないわ。

 ──それを。あの子は、よりによってバーサーカーのクラスで召喚して、サーヴァントとして従えてる。これがどういうことなのか、解るわよね?」

 

 バーサーカー。

 このクラスで召喚されたサーヴァントは、理性を剥奪される。その代償として、バーサーカーのサーヴァントは本来のステータス以上の性能を発揮できるようになる。

 本来は、ステータスの低い英霊を強化するクラスらしい。だが、マスターの魔力消費量が膨大になるという欠点も持ち合わせている。

 ただでさえ凄まじい英霊であるヘラクレスを、本来の性能以上に強化する。その脅威がどれほどのものなのかは、昨夜十分過ぎるほどに思い知った。

 しかし。狂戦士のサーヴァントを使役するあの少女は、あれ程バーサーカーが戦っていても、何ら辛そうな素振りを見せなかった。つまりそれは──あの少女は、莫大な魔力を消費する英雄を何の問題もなく従えているという証拠に他ならない。

 

 ……なんてことだ。

 

 遠坂に指摘されるまで気が付かなかったが、凄まじいのはバーサーカーだけではない。そのマスターも、桁違いの能力を持っている。

 立場を置き換えてみる。アーチャーが肉体を持っているせいか、俺は魔力の消費を感じていないが、もしそんなイレギュラーが起こらなかったとすれば……半人前の俺ではアーチャーへ魔力を供給し続ける事など不可能だろう。

 

「サーヴァントかマスター、どちらか片方だけが優れているなら、わたしとセイバーが負ける理由はないわ。

 ……でも、その両方がわたしたちより上っていうのは厳しい。真正面からぶつかっても、勝つのは難しいでしょうね。

 というわけで、どうにかしてあの怪物をやっつける方法を考えなくちゃいけないんだけど……一番厄介なのは、あの再生能力ね」

 

 むう、と遠坂が唸る。

 そうだ。いくら高い攻撃力を持っていても、殴られる前に倒してしまえばいいだけの話だ。当たらなければ、銃も剣も意味を持たないのだから。

 しかし、あのサーヴァントが反則的なのは、アーチャーの矢を以てすら殺しきれないどころか、すぐに傷を塞いでしまった回復力。あれをどうにかしない限り、こちらに勝ち目はない。

 

「それだけではない。あの狗畜生(バーサーカー)めの宝具は、再生能力など副産物に過ぎん」

 

「何か知っているのですか、アーチャー?」

 

 口を挟んできたアーチャーに、セイバーが質問する。やはりアーチャーとは反りが合わないのか、その口調は固いまま。

 一方、悠然と胡坐を組む黄金の青年は、飄々とした笑みを浮かべてセイバーへと視線を送る。一体何が楽しいのか、このサーヴァントがセイバーを相手にしている時は常に上機嫌だ。

 

「知っている、と言うよりは看破した、と言うべきか。あの肉達磨は、貴様らの想像より上を行く。

 貴様らは煙で見えていなかったようだが、我の矢はバーサーカーを一度()()()()()。にも関わらず、アレは立ち所に死から蘇った。

 ふん──斬ろうが焼こうが倒れぬ英雄は珍しくもないが、よもや本当に死から蘇る男がいるとはな。あの狂犬めは、一度や二度殺した程度では滅びぬらしい」

 

「は──!?」

 

 セイバーの表情が驚愕で固まった。有り得ない、と言わんばかりに見開かれた瞳。

 

「え、それって……!?」

 

 冗談だろ、おい。

 セイバーが必死に傷ついて戦って、アーチャーがあれだけの武器を使って、遠坂が掩護してくれて、それでやっと一撃が届いたんだぞ。そもそも攻撃が届くかさえも怪しいのに、それを何回も殺すだって?

 サーヴァントが二人がかりでも相手にならない程の能力を持った怪物。そんなヤツが、一度や二度殺したくらいでは死なないときた。出鱈目にもほどがある。

 なら、どうやったらアレを倒せると言うのか。そんな不可能を可能にする存在が居たら、そいつは神様みたいなものだろう。同じ英霊であるはずのセイバーとアーチャーを易々と凌駕したあの実力、上回るなどできるはずがない。

 

「……って、ちょっと待った。アンタ、どうやってそんなの見抜いたのよ」

 

 衝撃でぽかんとしていた遠坂が、思い出したようにアーチャーを睨む。

 それに対し……座ったままのアーチャーは、あろうことか、退屈そうに欠伸すらして見せた。

 

「さてな。如何な理屈かは知らぬが、我の眼は大抵の事柄を見抜くようだ。

 あの男のあれは、逸話を宝具として昇華したものだろう。その真価は再生ではなく()()能力。かつて乗り越えた試練の数だけ、ヤツは命の貯蔵を持つというわけだ。

 神どもがヤツに与えた祝福(呪い)、"十二の試練(ゴッド・ハンド)"。死へ至らせようにも、あの肉体は生半な攻撃など通すまい。

 ハッ──我の知ったことではないが、バーサーカーめに立ち向かうのであれば相応の策を講じねばならぬだろうよ。精々足掻くことだな」

 

 あくまでも他人事のように振舞うアーチャー。

 真剣な俺たち三人に対して、その雰囲気はどこまでも軽い。退屈な映画を眺めているように、興味なさげな瞳をこちらに向けている。

 とんでもない情報を暴露しておきながらの無関心な態度に、セイバーが怒りを露にした視線を叩き付ける。遠坂ですら、むっとした表情でアーチャーを睨んでいた。

 みるみるうちに険悪になっていく空気。このままでは、結んだばかりの同盟がご破算になってしまいかねない。

 ……正直に言うと、俺も少しイラッと来た。いくらアーチャーにやる気がなくても、俺たち三人は真面目に話し合っているのだ。自分は関係ない、というあからさまな態度を見せつけられては、一体何様なのだと言いたくもなる。

 

「アーチャー。おまえ、無関係だって言ってるけど、それじゃあ聖杯戦争なんかどうでもいいって言うのか」

 

 セイバーがアーチャーを叱責しようと口を開いた瞬間、それを遮って問いかける。すると、何を今更と言わんばかりに、アーチャーは冷笑を浮かべて見せた。 

 

「言ったであろう、元よりこの戦いは我の物ではない。自らの戦でない以上、我は一切の執着を持たぬ。

 勝利も敗北も貴様の物だ、雑種。貴様の道は、貴様自身が決めるが良い」

 

 自分の戦いではないから、勝とうが負けようがどうでもいい──。

 信じられないことを言い放ったアーチャーを、セイバーがますます怒りの籠った目で睨む。生真面目な彼女にとって、アーチャーの言動は見過ごせないのだろう。

 だが……不思議と、俺はその言葉に怒りを覚えなかった。

 乱暴に突き放すような言葉ではあるが、つまりこの男は、俺の好きにしろと言ったのだ。背中を押してくれるようにも思えるその内容に、続けようとした言葉が止まってしまう。

 

 どうでもいいと言いながら、バーサーカーの情報を教えてくれる。

 自分の戦いではないと言いながら、未熟なマスターのサーヴァントとして戦ってくれる。

 執着はしないと言いながら、後押しをするようなことをしてくれる。

 

 この黄金の英霊は、本当にわけがわからない。矛盾だらけかと思えば筋が通っているし、合理的かと思うと一貫性がない。理解を超えた存在と言うのは、多分この男のような人間を指すのだろう。……いや、そもそもコイツは英霊だけど。

 

「はぁ……まあいいわ。アーチャー、バーサーカーの宝具の話って本当なのよね?」

 

 怒りを堪えるセイバーや口を閉ざした俺に代わって、遠坂がアーチャーに質問を続ける。

 

「うむ。我は嘘は吐かぬ、信じるが良い。最上級の武具を以てすれば、あるいはヤツの命を削る事も可能だろうよ」

 

 その言葉を聞いた遠坂が、うげ、と女の子にあるまじき響きを漏らす。……うん、そう言いたいのは俺も同じだ。

 反則だろ、それ。

 作戦を練って、幸運が重なれば、ひょっとしたら一回か二回くらいはあの怪物を倒すこともできるかもしれない。こちらには二人のサーヴァントがいるし、アーチャーの矢もバーサーカーを傷付けることはできた。なら、致命傷を与えられる可能性はある。

 

 しかし──それを十二回と言われると、どう考えても不可能だ。

 

 最上級の武器を使えったって、アーチャーの武器は確かに通用したが、同じ手が何度も通じる相手じゃないだろう。そんなもの、いったいどこで用意すればいいというのか。

 どうしたものか、と首を捻る。遠坂も、俺と同じように難しい顔で唸っている。

 

「とんでもない反則宝具ね……ランサーの槍がまだ可愛く見えるわ。

 あなたは、なにかそういう宝具を使えたりはしないわけ? アーチャー。記憶がないって言ってたけど、少しは何か思い出した?」

 

「──いや」

 

 遠坂がそう訊ねた途端、アーチャーの顔が曇る。

 

「武器を使えた所から察するに、この肉体は過去を覚えているようだ。となれば、いずれ記憶も思い出すだろうよ。

 ──だが、それが何時になるかは断言できん。一時間後か、一日後か、一週間後か。忌々しいが、それすら判然とせぬ。

 記憶が戻らぬ以上、我の宝具は使えぬ。故に、我の助力は期待せぬ事だ」

 

 はあ、と今日何度目かのため息をつく遠坂。ため息を吐くと幸せが逃げるぞ、と言いたいが、藪蛇を突くのは止めておく。

 

「……こいつ使えねー」

 

「ん? 何か言ったか、小娘」

 

「何でもないわよ。

 ……ふう。アーチャーの記憶が戻るまでは、こっちで何とかするしかないか」

 

 そう諦めたように首を振ると、遠坂はてきぱきと方針を纏め出した。

 セイバーによると、彼女の宝具はあのバーサーカーを打倒できる可能性を持っているらしい。が、燃費が悪い上に攻撃範囲が広すぎ、昨日のように住宅街が近くにある場所でおいそれと使えるようなものではないとのことだ。

 一方でアーチャーの方はと言うと、宝具こそ思い出せないものの、昨日見せたあの双剣は自由に使えるようだ。弓にもなる双剣と、黄金の強固な鎧が今の弓兵の手札。これだけで、どうにかやりくりするしかない。

 一応、サーヴァントを度外視した戦術として、マスターであるイリヤスフィールを倒すという手段もあるが……それは難しいだろうし、何より俺自身が絶対にやりたくない。

 

 というわけで、作戦が決まった。

 こちらからは打って出ず、有利な場所──つまり、セイバーの宝具を使えるような場所にバーサーカーを誘い込む。

 首尾よく誘いに乗ってきたら、アーチャーの掩護を受けたセイバーが宝具を使ってバーサーカーを倒す……という算段だ。

 ……とはいえ、急場凌ぎで立てただけのこの基本方針は穴だらけだ。

 

 第一に、バーサーカーを誘い込めなかったらその時点で計画が破綻してしまう。昨日のように先手を打たれると、何もできないままあの暴力に蹂躙されるのがオチだろう。

 第二に、確実にバーサーカーを仕留められる保証はない。セイバーの宝具は強力だというが、アーチャーの推測が確かなら、あの英霊は防御力と蘇生能力を持ち合わせるという。それを上回れなかった場合、俺たちの方が返り討ちに遭う。

 そして第三に、俺たちには情報がない。あのサーヴァントが他にも宝具や能力を持っていた場合、何も知らない状況ではそちらへの対抗手段を講じることができないからだ。

 真名が判っている以上、そこから推測すれば良いという案も出たが、ここに来てもあの英霊がどれだけ規格外なのかが判る。数々の魔物や神々と戦った十二の試練の逸話に加えて、棍棒に弓矢、黄金の杯といった用いた道具の数々。これらを宝具として持っているのならば、ますます旗色が悪くなるばかりだ。

 

 こんな不利な状況でも、俺たちは戦うしかない。例え俺たちに戦う意思がなかったとしても、向こうは確実に俺たちを殺しに来るのだから。

 当面の間は、あの大英雄(ヘラクレス)が聖杯戦争の壁となるだろう。

 それを乗り越えた時、俺はどうすればいいのか。遠坂やセイバーと、戦うことはできるのか。まだ、何も答えは出せていない。

 

 ──今はただ、十年前のような惨劇を繰り返させないという、その覚悟があるだけ。それさえあれば、俺は前に進んでいける。

 

 

***

 

 

 深夜。

 誰もが寝静まった夜、一人土蔵で息を吐く。澄んだ夜の空気が、隅々まで沁み渡って気持ち良い。

 昨日のように、ランサーに襲われることもなく。また、アーチャーが突然現れることもない。あの騒ぎが嘘のように、この場所は普段通りの静寂を保っている。

 あんな出来事があった後でも、ここはいつもと変わらない。十年近くもの間、俺が遊び場にしてきた土蔵。他のどんな場所よりも、ここにいると心が落ち着く。

 

 午前中に色々と話をした後、同盟を組むのだからという理由で、しばらくの間遠坂とセイバーは俺の家に住むことになった。

 部屋は余るほどあるので、彼女たちには別棟を使ってもらうことにした。自宅から遠坂が何やら運び込んでいたようだが、魔改造されていないことを祈りたい。

 遠坂たちもやはり疲れているのか、大分前から別棟の電気は消えている。神経が太いと言うか何というか、あの御仁はあっという間にうちの環境に慣れてしまったらしい。

 

 アーチャーも、俺の隣の部屋にいるはずだ。あの偉そうなサーヴァントは、事もあろうに俺の家を陋屋呼ばわりした挙句、与えられた部屋も嫌がるという我儘振りを見せてくれたが、怒り心頭のセイバーに根負けする形で我が家の一室に住むことになった。

 聖杯を巡った戦争の渦中にいる以上、全員が眠っているのはどうかと思わなくもないが、この家には結界があるし、サーヴァントは少しでも異常があれば感知できるらしい。本来、サーヴァントは眠らなくても問題はないそうだが、昨夜のダメージがまだ残っているようで、魔力を回復させるためにセイバーも今日は休むと言っていた。

 

「……ふう」

 

 深呼吸をして、雑念に満ちた心を落ち着ける。夜の冷涼な空気が、意識をクリアにしていく。 

 今俺がここに来ているのは、昨日サボってしまった魔術の鍛錬を再開するためだ。

 実を言うと、今日一日ぐらい休んでしまってもいいかという考えもあったのだが、そんな甘い考えでは死んだ親父に申し訳が立たない。

 そして何より……鍛錬によって鍛えられるのは自分自身だ。それはつまり、鍛錬を止めれば自分が鈍り切っていくということ。そんな怠惰は、衛宮士郎には許されない。自分の誓いも守れない奴が誰かを助けようだなんて、思い上がりも甚だしい。ましてや、高々「忙しい」という理由で自己の鍛錬を投げ出すなど、それこそ絶対に許せない。

 理想を目指すと、戦うと決めた。なら、こんなところで立ち止まっていられるか。

 

 決意も新たに、近くに転がっていた古いラジオに手を伸ばす。

 これは、いつものように藤ねえがどこからか持ってきたものだ。直せばまだ使えるだろうと考えて、何日か前に引っ張り出しておいた。今日の鍛錬は、これを修理することだ。

 ……と言っても、ただ直すだけじゃない。当然だが、俺が修理に使うのは魔術。

 

 物体の解析。今日俺が訓練するのはそれだ。

 と言っても、大したことじゃない。他の魔術師なら、きっと当たり前のようにできること。けれど俺にとっては、使える魔術の数自体が少ない。だから、こうして手持ちの技術を鍛えるのだ。

 強化や投影といった魔術も一応は使えるが、まずは基本から入る。一日サボったのに、いきなり難しい分野から始めて上手く行ったらそれこそ驚きだ。

 

 頭を現実に引き戻して、手に握ったラジオに意識を集中する。全身に魔力を通したら、やることはただ一つだけ。

 

「──同調(トレース)開始(オン)

 

 構造を解析する。機械の全てを見渡し、壊れている部分を把握。

 ……よし、判った。

 電波を音声に変換する、変波回路の調子が悪いようだ。多分、何かの拍子に壊れてしまったのだろう。

 修理すべき場所さえ判ればあとは簡単で、いつものドライバーを手際よく使い、ラジオを分解していく。破損しているコンデンサを取り除き、新しいものに取り換える。以前、何かのついでに部品屋で買ってきておいたのが役に立った。

 一通りの作業が終わったところで、電池を交換。スイッチを押すと、若干古ぼけたスピーカーから音が流れ出した。

 うん、好調。部品がイカれていたせいで、今までは上手く電波を拾えなかったみたいだが、この通り元気に動き出した。

 最近はインターネットの普及でラジオを聞く人も少なくなったようだが、俺はこれが嫌いじゃない。画面を見ていると目が疲れるけど、ラジオならその心配はない。 

 今の時間帯は何をやっているのだろう、と考えながらチャンネルを合わせる。……日付が変わるから、そろそろニュースをやっている頃だろう。

 たまに聞くローカル番組の周波数にチャンネルを切り替える。ほどなくして、慣れ親しんだ音楽とともに今日のニュースが流れ出した。

 

「──昨日未明、冬木市南部で『不審な人影を見た』と警察に通報がありました。

 警察官が駆け付けたところ、通報があった家の敷地内に血痕が残されていたことから、警察は連絡が取れなくなっている斉藤さんご夫妻が何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いと見て調査を進めています。

 また事件当時、斉藤さん宅には鍵が掛かっていたため、警察では計画的な犯行との見方を強めています。

 冬木市では、最近同様の事件が多発しており──」

 

 ……ん?

 何らいつもと変わりのない、事件の報道。でも、何故か奇妙な違和感を覚えた。 

 住人からの通報。

 鍵が掛かっていたのに、通報したはずの人間は行方不明。

 残されたのは血痕。

 加えて、最近こんな事件が多発している──?

 

「サーヴァントの仕業か……?」

 

 考えられる可能性。その中で一番高いのは、間違いなくそれだ。

 最近頻発し出した奇妙な事件は、全て聖杯戦争絡みだと見ていいだろう。何も知らない普通の人間からすれば、魔術が関わった不可解な事柄でも「変な事件」としか思われない。日々のニュースにも、もっとよく気を配っておくべきかもしれない。

 しかし……やはり、一般の人が巻き込まれているのか。何の目的かは知らないが、同様の事件が何度も起きているということは、下手人は明らかに何らかの目的を持っている。

 直ぐにでも止めに行きたいが、今の俺はあまりに無力だ。できることなど何もないし、闇雲に動くこともできない。

 だから、今はただ……自分を鍛えて、人を救えるような正義の味方を目指すだけ。普通の人を巻き込むような奴が居るなら、俺が必ず止めてやる。

 聖杯戦争が、全てのサーヴァントを蹴落とすものである以上──こんな事件を引き起こしているヤツとも、いずれ必ず会うことになる。その時こそ、そんな蛮行に終止符を打つ時だ。

 気合を入れて、自己の精神に埋没する。いつも以上に、今日は集中できそうだ。

 

 ──キイキイと鳴く、虫の音。それだけが、妙に耳障りだった。


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