珱嗄とメアリーは、その後順調に進んでいった。複雑に入り組んだ道では無かったので、道筋は大分簡単に進む事が出来たようだ。作品も襲ってくるようなものは無く、小さな絵画くらいしか飾られていなかった。短い階段や曲がり角の多い道ではあったものの、これまでの道のりと比べれば幾分平和なものだった。
そして、その道の突き当たりにあった扉を開き、中にあったのは渡り廊下の様な空間だった。一本道で、突き当たりに同じ様な扉が見える。単なる通り道……だが、その道の途中が深い溝で断たれていた。
メアリーがしゃがみ込み、深い溝の下を覗き込んでいるが、やはり真っ暗な暗闇で何も見えない。取り敢えず珱嗄は傍にあった、ペンや数枚の紙が置かれたテーブルと水の入った花瓶に近づき、ペンを持ってまた溝に近寄る。そして、そのペンを溝に落としてみた。
すると、しばらくしてペンが地面に衝突した音が聞こえた。どうやら、この溝の下には地面のある空間があるようだ。
「メアリー、ちょっと抱えるぞ」
「え? うん」
珱嗄はしゃがみ込んでいたメアリーを抱える。すると、そのまま溝の中へと飛び降りた。
「え……ええええええええええええ!!!!?」
メアリーが急に訪れた浮遊感と、落ちていく感覚に悲鳴を上げる。珱嗄の身体にしがみつき、来る衝撃に目を閉じて備えた。
だが珱嗄は地面が見えると着地の体勢を取り、ふわっと落下の衝撃を緩和して着地した。メアリーや珱嗄の身体にはなんのダメージもない。
「お、珱嗄! 飛び降りるなら飛び降りるって言ってよ! びっくりした!」
「ああ、悪かったよ……立てるか?」
「こ、腰が抜けてる……」
「っははは! 仕方ないな、もうしばらくはおぶっててやるよ」
「むぅ……元はと言えば珱嗄のせいじゃない」
むすっとするメアリーをおんぶして、珱嗄は改めて降り立った空間を見渡す。壁にぶら下がった五本の紐と、別々の壁に設置された二つの扉がある。また、床には三角形の窪みも見えた。そして、片方の扉は鍵が掛かっている様だ。
「ふむ……どうやら、イヴちゃんとギャリーには早々に再会出来そうだな……」
珱嗄はそう呟いて、メアリーをおぶったまま鍵の開いている扉を開き、進もうとする。すると、扉を開けた所に何やら茶色い木の壁があった。これでは入れない。
だが、珱嗄はその木の壁を片手で軽く押す。すると、その壁は案外簡単に動いた。
「さて、と」
珱嗄は壁が遠ざかって出来た隙間からその中に入る。すると、そこは先程四人で調べた部屋だった。奇妙なぬいぐるみが並び、大きな怪物の絵が飾られている。あの空間。
「ここって!」
「そうだ、あの部屋だな」
「じゃあイヴとギャリーに会えるよ!」
メアリーがぱっと笑顔を咲かせてそう言うと、珱嗄はそれに頷いた。そしてそのまま部屋を出れば、そこは四人が分断された茨のある道。当然そこには、イヴとギャリーが珱嗄達の助けを待っていた。
「二人とも、待たせたな」
「! 珱嗄! それにメアリーも!」
珱嗄が声を掛けると、ギャリーとイヴは勢いよく振り返り、安堵の表情を見せた。思ったよりも早く珱嗄が来てくれたことで、幾分張り詰めていた緊張感と不安が解けたようだ。珱嗄はそんな二人に苦笑を浮かべて、歩み寄る。
すると、ギャリーが珱嗄に背負われたメアリーを見て慌てる。
「メアリーはどうしたの? まさか、怪我でもした!?」
「だ、大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだもん」
「わはは、腰がわぷっ……」
「もー! 言わないでよっ!」
珱嗄がメアリーをおんぶしている理由を話そうとしたら、メアリーが慌てて珱嗄の口を両手で塞いだ。頬を膨らませ、恥ずかしそうに怒るメアリーを見て、ギャリーは良かったと胸をなでおろした。
対して珱嗄もイヴに視線を向ける。
「イヴちゃんは大丈夫か? 怖くなかったか?」
「うん……ギャリーが手を繋いでてくれたから、大丈夫」
強がっているようには見えなかった。見ればイヴの手はギャリーとしっかり繋がっている。どうやら、ギャリーは珱嗄が助けに来るまでの間、ちゃんとイヴを支えていた様だ。大人として、護るべき存在を護っていた様だ。
珱嗄はギャリーに目を向けて、ゆらりと笑う。ギャリーはその笑みに言葉は無くとも『よくやったな』という思いが伝わり、照れ臭そうに笑った。
「さて、それじゃあ進もうか」
「そういえば、珱嗄達は何処からこっちにきたの?」
「ああ……あの部屋の本棚の後ろに扉があったんだよ。だから俺達は茨の向こう側の扉から遠回りに本棚の裏の扉に辿り着いたんだ」
「なるほど……そんな所に抜け道があったのね……」
珱嗄はおんぶしているメアリーを持ちやすい位置に調整し、イヴとギャリーを連れてまたぬいぐるみの並ぶ部屋へと戻る。
そして本棚の裏にある扉から、メアリーと飛び降りて来た空間に戻ってきた。相変わらず紐が壁に五本並び、三角形の窪みや鍵の掛かった扉がある。
「あれ? この扉鍵が掛かってるけど……珱嗄達は何処からこの空間に入ったの?」
「ああ……この上の階に渡り廊下みたいな所があって、道の途中に深い溝があったんだ、そこから飛び降りたら此処に辿り着いた」
「なんてアグレッシブな進み方なの……!」
「メアリーはそれで腰を抜かしたんだよ」
「わああああ! 言わないでよっ!」
珱嗄がゆらゆらと楽しげに笑うと、背中のメアリーは慌ててその言葉を遮ろうとする。だが、イヴとギャリーには既に伝わったようで、二人とも可笑しそうにクスクスと笑っていた。
メアリーはそんな二人にうぐぐと唸り、顔を真っ赤にして珱嗄の背中に顔を埋めた。
「で、ここからどうやって進むの?」
「メアリー分かるか?」
「うん……此処から先はさっきの上の道とこの扉の先の下の道で仕掛けが連動してるの。だから、やっぱり誰かが上の道を進んでこっちと上手く連携を取らないと進めない……」
メアリーがこの先のことを説明する。珱嗄はその言葉にふむと頷き、少し考え始めた。
だが、その思考はギャリーが遮る。
「ちょ、ちょっと待って! なんでメアリーがこの先のことを知ってるの?」
「あ」
「あ」
「あ、じゃないわよ!?」
珱嗄もメアリーも、今気がついたとばかりに大きな口を開けてそう漏らす。ギャリーはそんな二人に普通に突っ込んだ。
すると、メアリーは少し悩んだ後、珱嗄の着物をギュッと握って意を決したように話しだす。
「あ、あのね……私……美術館にいた人じゃないの……」
「え……?」
「どういう、こと?」
二人の反応に、メアリーはまた少しだけ言葉に詰まる。怯えられている、そう思ったからだ。故に、次の言葉をどう言ったらいいか、迷う。辛そうな表情をしながらも、必死に言葉を探すメアリーだが、そんなメアリーを見かねて、珱嗄が口を出した。
「メアリー、大丈夫だ。俺が付いてる」
「! うん……」
「イヴもギャリーも、そう怖がらなくても大丈夫だよ。メアリーは俺達の仲間だから」
「……そうね、ごめんメアリー……貴方のこと、怖いって思っちゃった」
「ごめんなさい……」
珱嗄の言葉で、三人に走っていた緊張感と疑心暗鬼な雰囲気が解けていく。メアリーも、少しづつだが自分のことについて話しだす様になった。無論、イヴもギャリーも、それをしっかり受け止めるように聞く姿勢を取っている。
「私は……この世界の作品の一つ……パパが最後に描いた作品……『メアリー』」
「パパっていうのは……ゲルテナ、のことね?」
「うん……それで、私はこの世界から外の世界をずっと見てた。外に出たいって思ってたの……でも、それは出来ない願いだった……だから、私は出来ないのに外を眺めているのは辛くて、外を見るのを止めた」
メアリーは、零れるようにそう紡いでいく。
「でもね、今日……ふと外を見たら、珱嗄達が見えたの。それで、不意に思っちゃったんだ……あの三人とお話したいなって……そしたら、この世界の作品達がそれを感じ取って、珱嗄達をこの世界に引き込んだの……だから、ごめんなさい……ギャリーもイヴも、私のせいでこんな目に遭ってる……だから、ごめんなさい……!」
珱嗄の背中で、そう言うメアリー。俯きながら、それでもちゃんと言った。責められても仕方が無いことは承知の上だ。イヴもギャリーも、メアリーを責め立てる権利があるのだから。
だが、イヴもギャリーも何も言わなかった。俯くメアリーの頭に、ギャリーはぽんと手を置く。
「馬鹿ねメアリー……そんなのメアリーは悪くないじゃない。謝る必要なんてないわ」
「うん……だから泣かないで、メアリー」
イヴもギャリーも、そう言って優しく笑う。メアリーはそんな二人に呆然とする。気が付けば、イヴの言う通り頬を涙が伝っていた。
珱嗄は、メアリーを地面に下ろす。
「だ、だって……私が……!」
「いいのよ、貴方は悪くない。だって、貴方は何もしていないもの」
「そうだよ、悪いのはこの世界の作品達だもん」
イヴがメアリーの手を取って、そう言う。メアリーは、ぐしぐしと涙を拭って珱嗄を見た。
「ほら、ギャリーもイヴも怒らなかっただろう? 良いんだよ、お前は俺達の仲間だ」
「………うん!」
珱嗄がそう言うと、メアリーはまたにぱっとヒマワリの様な笑顔を浮かべて頷いた。
こうして、メアリーはイヴとギャリーとも分かりあった。絆を深めた。作品だろうと関係無い、メアリーはメアリー、この先もずっと珱嗄達の仲間なのだ。四人は、メアリーの秘密を共有してさらに団結を強くし、先に進む。
―――だが、この世界はゲルテナの世界。メアリーを苦しめた煩わしい声や作品達の世界。そして、メアリーもその世界の一部。
だからこそ、珱嗄達はまだ知らない。この結束が、絆が、笑顔が、この先で……崩壊していくことを。