――この世界にはいくつか、おかしな点がある。
そう切り出したのは、珱嗄だった。
メアリーは珱嗄を見上げて首を傾げるが、珱嗄は目を合わせることなく前を向いたまま口を開いた。
「まず、どうして作品達は俺達の薔薇を狙うのかだ」
「どうしてって……」
「そもそも、俺達をこの世界に招き入れた理由はメアリーが願ったからだ。それは既に成し遂げられているし、閉じ込めておきたいのなら脱出手段そのものを潰せばいい……なのに、わざわざ俺達の薔薇を狙う理由はなんだと思う?」
珱嗄はこう考える。
メアリーの願いに呼応して珱嗄達をこの世界に呼んだのだとすれば、作品達は珱嗄達を狙ってはいけないのだ。何故なら、メアリーがそれを望んではいないのだから。
だとすれば、作品達が珱嗄達の薔薇――命の結晶を狙う理由はただ一つ。この世界に珱嗄達が留まってくれれば、生きていようが死んでいようが構わないということ。
しかしそれは暗に、珱嗄達が外へ出るための手段を潰すことが出来ないということの証明でもある。手段がないのか、理由があるのかは別としてだ。
彼らはメアリーの願いを叶えようとしている。それが狂気に塗れた手段だとしても、強行してやり遂げようとしているのだ。
「でも根拠は?」
「メアリーが俺達の薔薇を狙わないことが根拠だ。もしも作品全部が共通した狂気で動いているのなら、メアリーもそうでなければおかしい。つまり、彼らは狂気に支配されているのではなく、自分達の意思でこんな方法を取っていることになる」
「自分達の意思で……?」
珱嗄は続ける。
「そこで二つ目。ならばメアリーは彼らにとって、この世界にとってどんな存在なのか?」
「私……?」
「メアリーの願いを叶える。何故そんなことをする必要があると思う? そもそも、メアリー自体が他の作品とは違って異質なんだ。なら、メアリーはこの世界にとって他の作品以上の何かがあるんだ……そして、それは他の作品達からしても同じことだろう」
メアリーはこの世界において、そして他の作品達にとって"特別"な存在なのだ。
どう特別なのかは分からない。しかし、メアリーが願ったことを他の作品達は叶えようとし、この世界もそれに従う様に珱嗄達を招き入れた。
それは紛れも無く、メアリーが特別だということに他ならない。
ならば、メアリーとはなんなのか。
ゲルテナという人物は、この作品にどのような何を施したのだろうか。
「だとしたら……俺達は最初からとんでもない勘違いをしていたのかもしれない」
「勘違い? それって……」
「俺の考えていることが正しければ……わはは、まんまと出し抜かれたわけだ。人外を出し抜くとは恐れいった」
珱嗄はメアリーの手を取って、イヴとギャリーが進んだ扉とは違う、もう一方の扉へと手を掛けた。
えっ、と驚くメアリーだが、声を上げる暇もなく珱嗄は扉を開けた。メアリーの絵を持って入ったその扉の向こう側――そこには賑やかなパーティなんてものはなかった。
小さな部屋に、古ぼけた机が一つ。
「え……」
その机の上には、質素な花瓶。
「……これ、は」
そして、その花瓶には輝く一本の黄色い薔薇が活けてあった。
部屋を照らし、薄暗い空間の中で華やかに輝いている。暖かな光からは生の鼓動を感じ、命そのものが凝縮されたような瑞々しさがあった。
造花ではない。紛れも無く、珱嗄たちと同じ本物の薔薇だ。
メアリーは信じられないものを見るように、ゆっくりとそれに近づいて――触れた。
メアリーの手に取られた黄色い薔薇は、まるで本来の居場所へと戻っていくようにメアリーの身体の中へと入っていく。
「きゃっ……!?」
「……ゲルテナの作品はきっと、全部未完成だった」
瞬間、メアリーの身体に変化が起こった。
見た目が変わったわけではない。肉体に変化が起こったのだ。
――どこか質素な金髪が、まるで金糸のような艶のある輝きを得た。
――暗いブルーの瞳に、潤いと光が差した。
――真っ白な肌に、血が通った様な赤みが付いた。
メアリーは胸に手を置くと、目を見開いて驚く。心臓の鼓動があったのだ。
ドクンドクンと、命の鼓動が自身の体の中から聞こえてくる。それは生きている証。作品ではなく普通の女の子として生きている証。
呼吸が苦しい。顔が熱い。涙が温かい。心臓が爆発しそうなほど鼓動している。
これが、生きているということ。苦しい肉体のしがらみが、溢れようとする感情に歓喜している。
「きっとゲルテナは、一つの命が作りたかったんだ」
「命……」
「メアリーは、ゲルテナが最後に残した最高傑作にして失敗作――だからこそこの世界が生まれた。ゲルテナの残した遺志を、彼の残した作品達が受け継いで……歪んだ芸術の世界が生まれたんだ」
それはきっと、ゲルテナの願いだった。
メアリーを普通の女の子にする。それはメアリーの願いでもあって、他の作品達の願いでもあって、ゲルテナの願いだった。
だからメアリーは特別なのだ。
ゲルテナの創った最後の作品――それは、ゲルテナの生んだ一人の娘。
この世界も、作品達も、心の底でメアリーが可愛かった。末っ子ともいえる彼女は、きっと彼らからは大切な宝物であっただろう。
「でも……ならどうして、私にあんなことをしたの? どうして、珱嗄達の薔薇を狙ったの?」
「簡単さ……メアリーを外へ出してあげたかったからだ」
「な、なんで……」
「メアリーを外に出してあげたかったから、俺達を呼んだんだ。メアリーを幸せにするために、俺達の薔薇を狙ったんだ。メアリーを悲しませないために、メアリーを苦しめたんだ」
そう、全てはメアリーの為。
メアリーには魂がない――ならば他から掻き集めるしかない。だから珱嗄達をメアリーが願ったからという理由で呼び込んだ。そして三人の内誰でもいい。命を結晶化した薔薇を、少しでも奪おうとした。
――奪った命の欠片で、メアリーの薔薇を創るために。
先程メアリーに命を与えた薔薇は、珱嗄やギャリーから奪った薔薇の花弁で作った薔薇。つまり、彼らは珱嗄とギャリーの魂の力をメアリーの命にするために薔薇を狙ったのだ。
そしてメアリーを苦しめたのも同じ理由。メアリーはあんな目に遭って尚この世界の作品達を嫌いになっていない。それだけ作品達を大切に想っていて、優しい子なのだ。
メアリーが心置きなく外に出るために、彼らは悪役を演じたのに。
「そんな……そんなことっ……!」
「彼らにとっての葛藤はきっと、俺達が薔薇を失ってこの世界に死体として残ること……そうすればメアリーはずっとこの世界に残るからな。外に出してあげたくても、別れたいわけじゃないからな」
「……!」
珱嗄の言葉に俯いたメアリーの足元に、青い人形がいた。メアリーを心配そうに見上げていて、元気づけるようににっこりと笑う。
メアリーはその笑顔にとうとう堪え切れず、涙をあふれさせた。
人形を抱き締め、手に入れた本物の涙をこれ以上なくボロボロと流し続ける。
「うわあああぁぁぁ!! ひぐっ、えぐっ……! そんなことまでしなくても、良かったのに……!! 私だって、皆が大好きだよっ……別れたくない! でもっ、でも……こんなことまでして貰ったら……私外に行くしか出来ないよ!!」
――メアリー、ボクたちは君を愛シテルンダよ
「ッ他になにもしてあげられない……! 皆は、私にいっぱいくれたのに……! 私だって……私だって皆に何かしてあげたかった! ふぐっ……ぅぅぅぅ!!」
――生まれてきてクレタ……それだけで良かったンダ
「でもっ!!」
――大好きなんだ、メアリーが。だから外に行って欲しい……ミンなが、メアリーの幸せを願ってる。普通の女の子ミタイにサ、いっぱい遊んで、いっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい……いっぱい……幸せにナッテヨ
それが、悲しきゲルテナの願い。作品達の願い。メアリーの幸せを手に入れるために、これだけ多くの意志が動いた。その身を投げ打った。
メアリーが幸せになれるなら、関係のない人間も巻き込もう。
メアリーが幸せになれるなら、狂気にも身を委ねよう。
メアリーが幸せになれるなら、メアリーも苦しめて見せよう。
メアリーが幸せになれるなら、メアリーに恨まれたって構わない。
――"メアリーを愛している"
それが分かればいい、それだけあればいい。他のことなんでどうでもいいから、大好きな娘に、大切な妹に、せめて人並みの幸せを――!!
「えぐっ……ああああぁぁ……!!」
メアリーは自分がどれほど愛されているのかを知った。愛されてきたのかを知った。その愛は世界で一番大きく、そして温かい。作品であろうが関係ない。
――ほら、メアリー……お別れだよ。いっておいで
「……っ……う゛ん……」
メアリーを突き放すようにして人形はメアリーから離れる。その表情は、どこから泣いているようにも見えた。
すると人形は珱嗄の方を見て、真剣な声色を届けてきた。
――メアリーを幸せにシテ。不幸にしたら、絶対にユルサナイ……!
「ああ任せろ、この不器用人形め」
珱嗄は人形にむかってゆらりと笑みを浮かべてそう言う。
メアリーの幸せを願った人形達は、ゲルテナは、芸術者のクセにどこか不器用だった。苦笑を漏らして珱嗄は立ち上がったメアリーの手を取る。
そしてメアリーの絵をその場に置くと、奥にあった扉の前に立った。命を手に入れた以上、メアリーの絵は既にただの作品だ。持っていく必要はもうないし、この世界においていった方が良いだろう。
そして珱嗄は扉を開いた――
◇ ◇ ◇
メアリーと共に扉を潜ると、その先には美術館に飾られていた巨大な絵があった。向こう側に美術館の光景が見えて、この絵がこの世界の出口になっていることを二人は理解する。
「メアリー!」
「メアリー……!」
するとそこへ、イヴとギャリーがやってきた。二人とも無事の様で、汗だくではあるがメアリーを見つけたからか表情は喜色に塗れている。
「イヴ、ギャリー……良かった、無事だったんだ」
「アンタこそ大丈夫なの!? ああもう心配したんだから……っ! ……良かった……本当に、また会えて良かった……!」
「ギャリー……!」
ギャリーはメアリーを抱き締め、肩を振るわせる。メアリーも先程泣いたからか目が赤く、ギャリーもイヴもお互いの無事を確認して安堵の涙を流していた。
そして数秒後に抱擁を止め、立ち上がったギャリーは珱嗄を忌々しげに睨み付けた。イヴもどこか文句ありげな表情をしている。
「珱嗄! アンタさっきはよくもやってくれたわね!? メアリーを連れてきたから良かったものの、下手したらどうなってたか分からないのよ!?」
「珱嗄……四人で出るって約束した……」
「あー……はいはい、悪かったよ。許してくれ」
「イヤよ。外に出てアタシ達にマカロン奢ってくれない限り絶対許してあげないんだから!」
ギャリーの言葉に、メアリーはハッとした表情をする。
それが分かったのだろう。ギャリーはニコッと笑ってメアリーの視線の高さまで屈むと、メアリーの両手を取った。
「メアリー、外にはマカロンってお菓子があるのよ? 此処を出たら、皆で一緒に食べに行きましょ?」
「メアリー……行こう?」
「……うん!」
メアリーはギャリー達が自分の日記を見たことを理解したが、二人が気を遣ってくれていることも分かった。だから、素直に頷いて見せる。
前から食べてみたかったお菓子。外の世界のカラフルな光景は、今でも彼女の胸の中で色づいている。
四人は手を繋いで、顔を見合わせた。
「じゃ、行くぞ」
「ええ」
「うん!」
「……うん!」
珱嗄の言葉に皆が返事を返すと――
「「「「せーのっ」」」」
――いっせーので、四人は絵の中へと飛び込んだ。
――――――
――――
―――
出来た。紛れも無く、私の最高傑作だ!
ああそうだ。君は私の最高にして最後の作品……いや、愛すべき娘だよ。
君はきっと人の目には留まらないだろう。だけど、気にすることはない。君は私の作品の中で最も美しく、最も幸せな作品なんだ。そうでなくては、私の生涯は意味がなかったものになってしまう。
良いかい? 君は幸せになりなさい。私はそれを願っているよ。
ああそうだ、君にも名前を上げないとね。
君の名前は"メアリー"……ありきたりだけれど、だからこそ普通の女の子として当たり前の名前をあげよう。
きっと幸せになれる。君の家族は私だけではないから、寂しいと感じる必要もない。
でもそうだな……結婚するときくらいは、報告して欲しいなぁ。
――――
―――
――
数年後、ゲルテナの生涯最後の作品が見つかった。
作品名『黄色い少女』
金髪でブルーの瞳の少女が、とても幸せそうに黄色い薔薇を持っている絵だ。その絵を見に来た人々は、口を揃えて言う。
――この作品は、幸せを顕現させた芸術だ
この少女は誰かをモチーフにしたのか、それとも架空の人物なのかは分からない。でも、絵の裏面に小さく"Mary"と書かれていたことを今では誰もが知っている。
稀代の芸術家、ゲルテナの作り上げた生涯最後にして大傑作の絵画。歴史に残るその作品は、後世までこう語り継がれる。
"幸せのメアリー"、と
ED 幸せの絵画 fin
完結です!ありがとうございました!