―――可哀想なメアリー、ソンナニ急いでどうするツモリ?
声が響く。薄暗い廊下を速足で進む少女は、その声を聞かないように耳を塞ぐ。煩くて、煩わしくて、聞きたくなくて、必死で耳を塞ぐ。でも、その声は頭に直接響いてくる。聞こえないようにしようとしても、聞こえてしまう。
頭ががんがんと痛み、狂ってしまいそうなほどだった。
それでも少女は進む。自分の馬鹿な願いでこの世界に引きずり込んでしまった三人の人の下へ、迷いない足取りで進んでいく。
少女は、声が聞いたことを考える。彼らに会って、少女はどうしたいのか。
分からなかった。自分が何をどうしようとしているのか、自分でも分からなかった。三人の人間をこの世界に取り残し、そして自分は夢見た色彩鮮やかな世界へと出たいのか、それでも自分のせいで引きこんだ三人を、外へと出してあげたいのか。自分でも分からない。
分からないままに、少女はその足を進めていた。彼らはもうすぐ近くにいるのが分かる。生命の存在しない世界の中で、一際鮮やかかつ生命の鼓動を感じさせる存在が感じられる。
―――可哀想なメアリー、如何するの? どうするの? ドウスルノ? キャハハハハハハ!!
煩い! 少女は叫ぶ。分からない、そんなの分からない。どうしたいのかなんて、分からない。でも、会わないといけない。そうしないといけない。だって、此処にあの人達を連れて来たのは、私の願いなんだから。
金糸の様に美しく、ふんわりと癖のある長い金髪を、少女は掻き乱して呼吸を荒げさせる。そして初めて、足を止め、座りこんだ。頭が痛い。心が壊れそうになる。とにかく、この頭に響くこの声を止めて欲しい。もう嫌、黙って、煩い、五月蠅い、黙れ、黙れ黙れ黙れダマレだまれ!!!
声から逃げる様に、少女は立ち上がり、駆け出した。付いて来ないで! 叫びながら、必死で走った。もう前を見ていない。頭を抱え、涙を堪えながら必死に走った。それでも、声は付いてくる。狂ったような笑い声を響かせてくる。
そして、走り続けた先に扉があった。少女はその扉が見えていない。このままではぶつかってしまうだろう。しかし、その扉にぶつかる寸前で、
扉が開いた。
少女は扉とは違う、もっと柔らかいものにぶつかり、そのまま尻もちをついた。
「あうっ……!?」
「おっと……?」
少女は自分とは違う、いままで頭に響いていた声とも違う、もっと低く大人っぽい声にハッと顔を上げた。少女の碧く大きな瞳が丸く見開かれ、その声の主を捉える。そこには、青黒く自分と同じ癖のある髪と、青黒い瞳で此方を見る、着物姿の男がいた。そして、その後ろには長身の男性と、少女と同年代位の少女がいる。少女が、自分の願いでこの世界に引き込んだ三人だった。
呆然としていると、自分がぶつかった男が近づいて来る。それに気がついてハッとなったが、男は自分に向かって手の平を差し伸べていた。
「悪いなお嬢ちゃん、大丈夫か?」
身体に染み込む様な、そして安心するような聞いていて心地の良い声色。自然と、少女の小さな手が差し伸ばされた大きな手の平を掴んだ。すると、力強い大きな手の平が少女の小さな身体をぐいっと引っ張り上げて、立ちあがらせる。
少女は未だに瞳を丸くさせて、自分の手を引っ張った男を見上げていた。
「? どうした?」
「え……あっ……!」
男がそう言うと、我に返った少女は手を放して一歩後ろに身を引いた。
「お嬢ちゃん、一人か?」
「え? う、うん」
「そうか……お嬢ちゃんも気がついたら此処に?」
「そ、そう……気がついたら此処に居て……」
男の質問に、少女はたどたどしく答えた。嘘を言っているのは分かっている。だが、少女はいざ男達に会うと、どうすればいいのか分からなくなったのだ。とりあえず、男の言っていることに便乗して、そうだと肯定する。
「そうか……一人で良く頑張ったな。お嬢ちゃん、名前はなんていうんだ?」
男の言葉、一人で良く頑張ったな、というその言葉は、少女の胸にすっと染み込んだ。男の言っている言葉の意味は違うけれど、ここまで狂いそうになりながらもやってきた自分を認めて貰えたようで、嬉しかった。自分に命は無いけれど、胸の奥底が暖かくなった。
「……メアリー」
少女、メアリーはそう名乗った。金色の髪をふわりと揺らし、碧く大きな瞳で男を見て、この世界ではもう滅多に見せなくなった笑顔を浮かべながら、そう名乗った。
対して、男は少女の前にしゃがんで同じ様に笑みを浮かべる。
「そうか、良い名前だな。それじゃメアリー、俺の名前は
珱嗄、それがこの人の名前。メアリーは心の中で、何度もその名前を半濁させる。心に刻み込むように、その名前を何度も心の中で繰り返した。
「ああ、そうだ……メアリー、こっちの二人も紹介するよ。こっちの大きいのがギャリー」
「ギャリーよ。よろしくねメアリー」
「こっちの子がイヴちゃんだ」
「よろしくね」
そして、珱嗄がメアリーに後ろに居た二人の名前を紹介してくれた。イヴとギャリーも、メアリーに対して柔らかい笑みを送ってくれる。メアリーにとって、これまで向けられたことがないのに、どこか懐かしい表情。友達もいなかったメアリー。故に、こんな感情を向けられるのはなんとなく、気恥ずかしかった。
「よ、よろしく……!」
でも、絞り出す様にそう言った。珱嗄達は、そんなメアリーを見てまた優しく笑った。メアリーも、自然と笑った。
気が付けば、先程まで響いていたあの煩わしい狂ったような声が、嘘みたいに静かになっていた。
◇ ◇ ◇
こうして三人と少女が合流し、四人となった訳だが、珱嗄は気が付いていた。少女、メアリーが人間ではないことに。
まずおかしいと思ったのは、体温。先程転んだ際に手を貸したが、その時握ったメアリーの手の平から、『体温』が感じられなかった。人肌並に温かい訳では無く、死人のように冷たい訳でも無く、無機物の様に自分の体温が返ってくる感覚。この時点で、珱嗄はメアリーが人間ではないと疑い始めた。
次におかしいと思ったのは、重さ。メアリーを引っ張り上げた時に感じた彼女の体重は、驚く程に軽かった。これまで抱きかかえた時のイヴの体重と比較しても、異常な程に軽過ぎた。珱嗄でなくとも、それこそイヴであっても片手で持ちあげられるほどだった。
それでも珱嗄がメアリーを攻撃したりしなかったのは、メアリーに自分達を攻撃しようとする意志が感じられなかったことや、彼女自身の瞳の奥に一種の寂しさを感じ取ったからだ。
何故彼女が自分達の前に現れたのか、何故こんなに悲しい瞳をしているのか、何故この世界の作品であろう彼女が、こんなに人間らしいのか、それはきっとこの世界を作ったゲルテナの想いが一番込められた作品だからだろう。今までの作品よりも必死に、愛情深く、作りあげたからだろう。
ならば、拒絶する事も無いだろう。彼女は倒すべき作品では無く、忌諱すべき脅威でも無い。彼女が知っている事は脱出の糸口になるだろうし、彼女自身の事もこれから知って行けばいい。
「さて、それじゃメアリー。聞きたい事があるんだが……」
「何?」
「この廊下を進んだ先、何か気になる様な事はあったか?」
「えーと……分かんない」
メアリーは問われたことにそう答えた。彼女にとっては、ここが常識の世界であり、おかしな点と言われても彼女の常識では分からなかった。
「そっか……まぁこれから進んで行けば分かるさ。それじゃ、一緒に行こうか」
「うん!」
珱嗄が差し出した手を、メアリーは力強くぎゅっと握った。珱嗄が先に一歩足を進めると、メアリーやイヴ、ギャリーがそれに続くようにして、進み始めた。