少女は白けたような顔をして、かつての上司を眺めていた。女性の立派な胸の上には、白々しく輝く勲章が貼り付けてある。
先の大規模な戦闘から一月が経過していた。おおよその処理を終え、統合航空歩兵団を受け入れた基地は漸く落ち着きを取り戻したと言える。そこで、と開かれたのが指揮官であった我らが魔女への表彰であった。
しかし悲しきかな、勲章の授与という晴れ晴れしい場において、つまらない表情をしているのはカッサンドラだけではない。マルセイユ――アフリカの星も、加東圭子も、その他合流した面子も以前からの兵士たちも、誰もが爽やかな青空の下で苦々しく口元を引き下げていた。
原因は授与する女性にある。言わずもがな、タリア・スミスである。彼女は一連の戦闘とこれまでの戦績をようやっと認められ、縁起でもないことに一階級飛び越して少佐となったのであった。二階級特進であった。
その辺りに、上層部も彼女からちくちくと投げられていた言葉の矢に苛ついていたことが垣間見られる。
なお、やたらと長ったらしい名前の勲章と新たな階級を与えられたタリアは、他の人々とは反面素晴らしい笑顔を見せていた。何とも清々しい、向日葵が咲いたような鮮やかな微笑みである。それもそのはず、彼女は休暇を得ることに成功していたのだ。
まずストームウィッチーズが中尉殿、もとい少佐殿の基地に合流したということが大きかった。名実共に世界最高の魔女に数えられるマルセイユである。実力はそれなりだとしても、人格と知名度に極めて大きな欠陥のある我らが少佐では、多角的に考えても比較にならない。
唯一タリアが勝てる点としては、その無駄に膨張し発育した胸の大きさくらいのものだろうか。
水浴びなどをすれば必ず黄の14に見せつけるように胸の脂肪を持ち上げてみせる
無論、戦術的優位性は一切ない。しかし、そこくらいしか勝てる場所がないので、周囲の人間は生暖かく見守っていたものである。
ともあれ何故、彼女はじっとりと湿りきった視線で眺められているのか。その答えに言及すべきだろう。
――これで全ては片付いた。
面倒な事務仕事は加東に
もちろん無償ではない。きちんと礼に
ここからはストーム・ウィッチーズが居るというのだから、配給が滞るということはあるまい。少なくとも以前よりはマシになるだろう。今回の侵攻で敵も奇襲のようなものを仕掛けてくるということが明らかになった。その意味でも手薄にされることはないはずだ。
そもそも、連中がアンブッシュを得意とすることなど、別に目新しい情報ではない。
ネウロイの侵攻というのは奇襲が基本だ。今は予測ができるようになっているというだけで、突然現れて暴れてくれたからこそ、カールスラントのような大国が手酷くやられることになったのだ。現在世界各地で活躍する熟練の魔女を輩出する彼の国でも備えと心構えが足らなかったのだ。今回の襲撃にしても然りである。
祖国はそれほどでもなかったが、人的被害が相応に出たことは事実だ。自分はそれを知っている。目で見て、耳で聞き、堕ちた娘たちの言葉を伝えられている。
だから戦った。戦って、そして義務を果たした。
したがって、もう戦う理由はない。
式典が終わり次第、この砂だらけの土地とはおさらばである。
という次第である。
休暇は悪いことではない。
だが加東への半強制的な事務仕事の放棄と、マルセイユとの日常的な喧嘩が積み重なり、冷ややかな反応が目立っているというだけである。日頃の行いが悪いせいで、これまで長く戦場を共にしてきた部下たちも総じて苦笑いである。
件のワインは、当然部下からふんだくった賭け金のカタに奪い取ったものだった。そして口喧嘩にすら自身の固有魔法を小狡く使用し、アフリカの星・人類史に残るだろう英雄の弱点を抉りまくる大人気ない姿勢が、瞬く間に一瞬盛り上がったタリアへの信頼を瞬間冷凍していったのであった。
元よりやる気というものがないおかげで、本人に戦場への愛着はない。彼女が嫌っていたのは無駄に死んだり、死んだ者を無視したりすることであって、平穏は望むところなのだ。
では平和な世界で彼女に何ができるのかといえば微妙な話になってくるが、当人としては後方で怠けていたいだけである。
残った人間が頑張ればいい。やる気のある者が戦えばいい。
最初からそんな考えなのだから、悔いも無し。
世界的な兆候、地域的な視点、どのようなレベルでも戦争は終わっていない。人類は依然として脅威に晒されており、まさにこの時この瞬間とて誰かが無惨に死んでいる。
だが、少なくともタリア・スミスの戦争は終わった。
あらゆる皮肉と小言を抜きにして、今はそう言うべきだろう。
多くの人命と夢と希望と、ついでに酒と薬を消耗して、やっと一人の魔女は休息を得たのであった。
「中尉!」
「少佐だよ。少佐、いい響きだよね」
カッサンドラは息を切らしていた。
式典の後、早速バカンスを満喫しようと少佐殿は輸送機のタラップに足をかけていたのである。
「一声かけてくださればいいものを、どうしてあなたは毎回そうなんですか」
「面倒じゃない。どうせ小言でしょ」
「当然です! ミス・カトーはおかんむりですし、あの方とは喧嘩してばかりですし……」
分かった分かった、と手を振るとカッサンドラは眉間に皺を寄せた。
感情がすぐに顔に出るところは、これからの課題だろう。自分とは違い出世は容易いはずだ。マルセイユの下にいて嫌がらせを受けるということはあるまい。
「それで何? 酒でもくれる?」
タリアはまさかと思って肩を竦めた。
その予想は外れ、なんと少女は背後に隠していた酒瓶を上官に押し付けた。
上品な包紙に包まれた一本の葡萄酒である。カッサンドラの趣味でないことは明らかであった。
「昇進祝いですよ」
「頭でも打った?」
「あげませんよ」
「いただきます」
ずっしりと重い。不思議とそう感じる包みを受け取った。
感謝なのだろうか。
それとも皮肉か。
分からないが、わざわざ明らかにすることもないだろう。
世の中には知らぬが仏という言葉もある。仏というのがどこの誰かは知らないが、いい言葉は適当に使っても意味が通るものだ。
タリアは一呼吸ほどの沈黙を挟んだ。
迷いというよりも、思考を間に挟んだといった様子である。
「まぁ、あんたにしては悪くない贈り物だね」
「……最後までそれですか」
「何、感謝の言葉が欲しかったの? え、そういうの私に期待する?」
「期待してませんよ! 中尉、いや少佐は少佐だなぁと感服していただけです!」
少女は膨れっ面を明後日の方向に向けてしまった。
どこまで行っても人の性根は変わらない。少佐は少佐として、いつも通りに素直ではなく捻くれているのだ。
歳のせいなのだろうか。それとも固有魔法が性格を歪めてしまったというのも、一説としては考えられ得る。
だがもっと無難な答えとしては、本人はきっと認めないだろうが、単なる照れ屋というのが有力である。
本心を伝える魔眼を塞いでいるのも、自分の考えを全て語ろうとしないのも、誰かに自身の内心を伝えるのがどうしようもなく照れ臭いからだろう。
一人の乙女を魅力的に見ることができるのだから、そのように考えた方がいいだろう。親愛なる少佐殿を乙女と呼ぶかどうかということは、後の議論に任せるとして。
「まぁ、まぁね……そうね。そうだね……」
だからこれは、俗に「柄にもないこと」というのだろう。
「ありがとう」
発動機の駆動音でまともには聞こえなかっただろう。
そのつもりで彼女は小さく口にしたのかもしれない。
しかし少女には確りと聞こえていた。間違いなく、感謝の言葉が届いていた。むくれていた表情は驚きに満ちて、そして薄い涙と共に笑顔に変わった。
「……よく聞こえなかったのでもう一度」
「調子に乗るんじゃない」
「乗ってません。ただよく聞こえなかったのでもう一度と」
「喧しい」
「へえ、へえ。そうですか。少佐が……ふうん」
にやりとカッサンドラが笑った。
どこか上官の仕草を思わせるような、嫌らしい表情であった。
この娘とくれば、意味もなく嫌なところばかり吸収して役立ててくる。
なんというのか、素直なままに育てばよかったものを、どうしてこのような素直で可愛らしくもない部下になったというのか。
言うまでもなく自分のせいだ。
だとして、気に入らないが。
なんとなく同属嫌悪というには及ばず、居心地が悪いのだ。
「とにかく、私はもう行くからね。ふん、せいぜい野垂れ死ぬことのないようにしなさいよ」
「はいはい、分かっていますよ。素直じゃありませんね、全く」
「く、この……! まあいい。とにかく、マルセイユに頼りなさい。あいつならそんなに妙なことにはならないでしょう」
「言われずとも少佐よりは頼りにしていますよ」
「ふん」
憎まれ口の応酬のように見える。
だがこれが彼女らの交流で、ある意味仲の良いことのしるしだ。
本当に、もう少し簡単に率直に自分の感情を表せば良いものを、ご苦労なことである。
タリアは輸送機の席に着く前に、もう一度だけ振り返った。
「――死なないように」
「了解!」
少女は敬礼を返した。
命令ではない。
単なる願いに、懇願に――敬意を示した。
レシプロが喧しく吠え立てた。出発を告げる旗が揚がる。
魔女がひとり、旅立つ。
しめやかに、静かに、見送りの者は少なく、それでも堂々とした去り際であった。
思えば老兵の失せ際というのは、こういうものが理想なのかもしれない。新兵に気遣わせることもなく、将兵を煩わせるでもなく、ただ居なくなる。最後までやることを遣り通し、満足の内に戦場を去る。戦いはいまだ続くが、それでもひとつの区切りがつく。
と、言えたならよかった。
「――スミス少佐! 一体どういうことですか!? 休暇申請の期間がおかしなことになっているのですが!? 私が見たときには半年だったはずなのに、この文面では一年になっているのですが何か心当たりは!?」
加東圭子であった。
猛然と走っている。最近体力が落ちてきた、と自己も認める体ではあったが、それでも全力疾走であった。
何しろ、この隊である。タリアが指揮していたのである。様々な面倒事を押し付けられ、そしてこれから文句を言われるのである。
その期間が単純計算で二倍だ。抗議も当然である。というか、公文書偽装である。
タリアは無言で輸送機の昇降口の扉を閉めた。
「こ、このっ!! 確信犯ですね!?」
「聞こえませーん! さあさあ、さっさとロマーニャに出発しなさい!」
「そんなことだから上層部に嫌われるのよ!」
「ああ、小言が煩い。だから行き遅れるんですよ、加東少佐!」
「似たようなもんでしょうがっ!!」
「……出発してよろしいですか?」
操縦席の兵が訊ねたので、出発と手で伝えた。
操縦桿を握る男はそれでも指示に従ってくれて、きちんとプロペラの回転数を上げ始めた。
窓からは地上に残る、この乾いた大地で戦い続ける面々が色々な表情でこちらを見上げている。加東は言うまでもなく、いつのまにか集まってきていたらしいマルセイユはとても子供らしい身振りで再戦を誘っていた。
部下は、たった一人、自分の下に居ながら生き残ってくれた娘は、笑っていた。
何か、これが自分らしいと言いたげである。自分だってやればできるのだ。それを、あの娘は全くふざけている。
いや、自分らしいではない。
この隊はどこまでもこんな調子なのだと笑っているのだ。
くだらないことで苦労して、つまらないことで笑うのだ。
それでいいと思うから、とうとう自分も毒されている。
タリアはポケットの大麻葉巻を咥えようとして、そのまま握りつぶした。
「ま、こんなものなら上等かな」
大空に飛び立った機体は真直ぐに大気を切り裂いて進んだ。
彼女の仕事は終わり、これにて休息をとる。
ようやく、魔女は眠りにつけるのであった。
――そのはずだった。
「――見えてない、見えてない……ネウロイの砲撃なんて、見えてないからね」
ロマーニャの海岸、砂浜にタリアは寝そべっていた。
大胆なビキニ姿である。彼女の唯一の美点といえるプロポーションが存分に発揮され、恐らく男性であればそれなりに惹かれずにはいられない、その様な格好であった。
にも拘らず、彼女に話しかける者はいない。正しくは、数分前までは居たのである。残念ながら彼女はロマーニャ語を理解できても喋られるわけではないので、白馬の王子様作戦は起点において失敗していたのだが、それだけは彼女の名誉の為にも記しておこう。
問題は異形であった。
鳴り響くサイレン、上空を通り過ぎる機械仕掛けの箒。
戦闘である。
嗚呼、悲しきかな。休暇先でこのような目に遭うとは、本当に不幸な女である。
しかし何故か、どうにも予定調和のような気がしてならないが、本人にとっては死活問題である。なにしろ、散々加東の嫁ぎ遅れを馬鹿にしたのである。ここで婿殿候補の一人二人は集めておかないと、女として負けである。というか、顔が立たない。
「そこのおにいさん、今暇!?」
声をかけた男性はたぶん「たすけて」と叫んで走っていった。
「こんなの夢だ……酷いじゃないか……なんで私ばっかり……」
しくしくと泣きたい気分の少佐殿の傍らにネウロイの機関砲が線を引いていく。
舞い上がった砂が、彼女の目を潰した。
「……こ、この」
砲撃でビーチにクレーターが出来る。
またもふっとんだきめ細かな砂が、彼女の顔面を強打した。
「いや、いやいや。休暇だから。休んでいいはずだから……!」
続いて墜ちてきたのは、少女だった。
辛うじてシールドを張ったのか、大きな怪我は見られない。
しかし継続しての戦闘は厳しい。痛みで呻き、背を丸めている。
そこに小型のネウロイが風を切って現れた。
とどめを刺さんとして放たれた光線を遮ったのは――タリアが展開した大型の魔力盾であった。
「この戦闘だけ……この戦闘だけ……」
「あ、魔女の方ですね! 皆さん、ちょうど居合わせたウィッチが助けてくれました! 大丈夫です」
「がっ……!? この余計な……」
そして何故だろう。
ビーチを急襲したネウロイたちが一斉にタリアに銃口を向ける。理不尽なことに、彼女が一度だけ攻撃を防いで離脱することは難しいようだ。
タリアは怒った。
それはそうだ。何年も待ち望んだ休暇なのだ。このような形で潰されては、平常心を保つことはできまい。
「私は、ただ眠りたい、だけなのに……! いいかげん、私は眠りたいのよ――――!!」
可愛そうに、彼女は落ちてきた魔女の手にある銃器を奪って水着姿で突貫した。
どうにも締まらないが、彼女のやることなど基本的にこのようなものだ。
だからこそ、このように彼女は戦い続けるのだろう。
いつだって個人の事情など、世界や国は知ったことではないのだ。
いつかまた、これまで背を預けてきた誰かと再会して、また戦場に赴く時が来るかもしれない。
その誰かが何の気負いもなく眠りに就ける時にこそ、彼女も深く、邪魔されることなく睡魔にその身をゆだねることができるのだろう。
希望的観測に過ぎないが、その時彼女はひとりではないにちがいない。
きっと誰かが――彼女と正反対で、どこか似通ってしまった少女が、そこに居るはずだ。
ご拝読ありがとうございます。
これにて「怠惰な魔女は眠りたい」完結となります。みなさまの応援がなければ、ここまで書き続けることは出来なかったものと思っております。
長くのご愛読、ありがとうございました。