三雲が迅のコネでボーダーに入ってから、数日後に空閑遊真は三雲が通う中学校に転校してきた。
白髪で一般中学生と比較すると小柄の少年は最近まで外国に暮らしていたせいか、クラスメイトの中ではかなり浮いている存在であった。しかも、幼い見た目に関わらず意外と好戦的な性格な為、不良グループに目を付けられている。最も空閑に喧嘩を売った不良達は例外なく返り討ちにされていたが。
「……まったく、空閑。これで何件目だと思っている」
昼食時、空閑と屋上で昼食を取っていた三雲が責め立てる。
本日も空閑は不良グループに絡まれ、一分も経たない内に黙らせたのであった。
もはや恒例行事と化していると言ってもいいほどになっている。
「んと……。三百七十七回か?」
「違う。三百七十八回だ」
「数えていたのか。オサムも暇だな」
「誰のせいだと思っている。お前が問題を起こすたびに、なぜか僕が先生に呼ばれるんだぞ。あの校則違反に煩い学年主任の森林先生が泣いて「頼む、三雲くん。あの白い頭をどうにかしてくれ」と懇願してくるんだぞ。懇願される僕の立場も考えて欲しんだが」
思い出すだけでげんなりしてしまう。
転校初日、左人差し指に付けている指輪――空閑が言うに親の形見だそうだ――の件でもめてから空閑の事を苦手意識が芽生えてしまったらしく、喧嘩で問題が起こるたびに肩に手を置き「頼む、三雲くん」と頭を垂れてくる。
そんな先生の頼みに三雲は「はぁ」と間の抜けた声を出さずにいられなかった。
「ふむ。それは悪かったな、オサム」
「本当に悪いと思っているなら、少しは喧嘩を控えてくれると嬉しいんだが」
「けどなオサム。やり返さなきゃやられっぱなしになるのがあたりまえだったから、あれぐらいしないとあいつ等は大人しくなんないぞ」
「それは……」
空閑の言葉は一理あるだけに、反論しようがなかった。事実、三雲が彼らを止めようと呼びかけても聞く耳を持たないどころか、教科書などを投げ出してくる始末。この頃は、問答無用で拳を振るって来る傾向にあるほどだ。
やり返さないとやられてしまうだけ。空閑の言葉はもっともだが、やり返しただけ事が大きくなるのも事実。何度も恥をかかせたせいで、空閑に仕返しをしようと何度も絡んできている。
「それよりオサム。さっきから不思議に思っていたが、両手両足に括り付けているそれは何の意味があるんだ?」
指差す場所に視線を向けて、三雲は目を細める。
「何のことだ?」
「なにって、両手両足に変な何かを付けているだろ? ここ最近のオサムの動きが鈍く見えたのもそのせいか?」
それは、と言いかけて口を閉ざす。
誤魔化す事は簡単であるが、なぜか空閑に嘘が通じた事がない。
三雲は制服の袖口をまくり上げて、空閑が指摘したそれを見せる。彼の腕には黒色のリストバンドが付けられている。
「ふむ。……察するに重りが入っているみたいだな。身体でも鍛えているのか?」
「まあ、そんな所だよ。先輩にお前はどんくさいんだから体を鍛えろ、って言われてね。普段から体を鍛えるなら、こう言った重りを使って日常生活を過ごせばそこそこ鍛えられると言われたんだよ」
ちなみに「本当は中学生のお前にあまり進めたくないんだがな」と木崎レイジはため息交じりに付けたしたのであった。
「オサム。めちゃくちゃ弱いもんな」
不良に一発腹を殴られて悶絶する三雲の姿を思い出して、空閑はにやつく。
「そうだな。……だから、もっと精進しないとな」
少しずつであるが実力がついている自覚はある。けど、それでもまだまだ自分が追い求める姿には程遠い。
B級になってからと言うものの、一度も個人ランク戦に出た事がないので自分の力がどれほどのものか分からないが、玉狛支部の師匠達と模擬戦をすると手も足も出せずに終わってしまう。まだまだ強くならないといけない。
「あれ? 空閑君と三雲君じゃん。二人もお昼は屋上でとっていたの?」
食事を取っている二人の元へ駆け寄る一人の少女。その少女は三雲と同じクラスメイトであった。
「やあ。比企谷さんも昼食?」
「そうなんだよ。まったく、お昼休みまで生徒会にお仕事を押し付けなくてもいいと思わない? おかげで今の今までご飯を食べる事ができなかったんだよ。ひどいよね」
「それはお疲れ様です。比企谷さん一人?」
「うん。副くんも佐補ちゃんは自分のクラスで食べるって言っていたから、小町は一人寂しく食事をするであります」
「あははは」
敬礼の姿勢を見せる比企谷小町に三雲は苦笑いを返すだけ。話しの流れから、一緒に食事に誘えと言われているのは察したが、親しみ易く可愛らしいクラスの人気者の彼女に気軽と食事を一緒に誘う度胸はなかった。
彼女に気のある男共の嫉妬の眼差しに耐えられないと言う理由もあるが、何より彼女の事を誰よりも大切にしている師の八幡に知られたら、何をされるか分からない。以前、彼女の話題が上がっただけで「小町に手を出したらただじゃすまさないからな」とすごまれた事がある。
「なら、コマチも一緒にどうだ? 食事は多いほどいいってオサムが言っていたからな」
「そう? それじゃ遠慮なくお邪魔します」
空閑の誘いに待っていましたと言わんばかりに、その場に座って弁当箱を広げる比企谷小町。止めようと思った三雲であったが、ここまで来て一緒に食べる事を遠慮してなど言える訳がない。はぁ、と一息ついた三雲に「そう言えば――」と小町が会話を切り出す。
「三雲君ってお兄ちゃんの弟子って聞いたけど本当なの?」
「……弟子?」
小町の質問に口を開いたのは空閑の方であった。
「あれ? 空閑君は知らなかったの? 三雲君はボーダー隊員なんだよ。玉狛支部B級隊員三雲修。……その様子だと知らなかったみたいだね」
「オサム、ボーダーだったのか」
「凄いよね。同い年なのにボーダー隊員なんて」
まさかの展開に困惑する三雲。今の今まで黙っていたのにも関わらず、こうもあっさりとばらされた事に冷静さを保つ事ができずにいた。
「あの、その。……出来ればその話し、内密にしてほしいんだけど」
「え、なんで? ボーダー隊員ってだけで凄い事なのに。きっと女の子にもてもてだよ。……ま、例外がなくもないけどね」
「その例外が誰かとは追求しないけど、僕は別にモテたくてボーダーに入った訳じゃないし、あまり公にしないでくれると嬉しいかな」
「けど……。副くんと佐補ちゃんには話しちゃったよ。ほら、二人のお兄ちゃんもボーダー隊員だし」
嵐山副、嵐山佐補の兄はボーダー隊員の中でも知名度が高いA級嵐山隊の隊長を務めている。ボーダーの内部事情を知らない小町からしてみれば同じボーダー隊員の家族を持つ者として話して問題ないと判断したのだろう。
「まあ、言っちゃったのは仕方がないけど、これ以上あまり流布するのだけはやめてほしいかな」
「そう? 三雲君がそう言うなら小町は黙っているけど……。あ、でも。ボーダーでのお兄ちゃんの事は聞いてもいいよね。お兄ちゃん、小町が聞いても「お前が気にする事じゃない」の一点張りなんだもん」
「僕が話せる範囲で良ければいいけど」
「ほんと!? ありがとね、三雲君。じゃ、小町は残ったお仕事を片付けるので、この辺で」
「……え? 生徒会の仕事は終わったって――」
言い終わるよりも早く、小町はその場から消え去ってしまう。
「まるで嵐の様な奴だな、コマチって」
「そうだね。風の様に現れて風の様に去って行く子だね」
「……で、オサム。オサムがボーダーって本当なのか?」
「あぁ。かれこれ、もう半年は経つかな」
「半年。ちょうど、俺がこっちに来たぐらいだな」
「そうなるな。……僕がボーダーでおかしいと思うか?」
「ん~。ま、いいんじゃないか。オサムが何になろうとオサムの勝手だしな」
「なんだよそれ」
おかしいと笑われると思ったのだろう。興味ないと言いたげな言葉に目を丸くする三雲であったが、逆に空閑らしいなと思ってしまい「ぷっ」と息を吹きだす。
「……そうか、オサムがな」
だから気付かなかったのかもしれない。空閑が浮かない表情で言葉を漏らした事に。
「……あ。そろそろ、お昼休みが終わるな。空閑、次は数学だけど宿題はやったか?」
「宿題?」
頭上に疑問符が乱舞する空閑の姿を見て、盛大にため息をこぼす三雲。
「昨日言ったじゃないか。今日はお前が指される番だから、宿題をちゃんとやれと」
「なんと? そうだったのか」
「まったく、お前と言うやつは。……そうと分かれば急ぐぞ。教室に戻って、お前の当たる場所だけでも解かないといけないからな」
弁当を片付けた三雲は早足で教室へ向かう。宿題を忘れた空閑を放っておくと言う選択肢は彼にはないのだろう。自分が面倒を見る事が当たり前に行動する親友の姿を見て、空閑はいつものお決まり文句を口にする。
「ほんと、オサムは面倒見のオニだよな。オサム様様だな」
「煽てても何も出ないからな。ほら、急ぐぞ空閑。お前も放課後に数学の補習なんて受けたくないだろ」
「そりゃそうだ。片付けたらすぐに行くから、先に行っててくれ」
「……早く来いよ」
「ほいほい」
先に準備を始める為に三雲が屋上から立ち去ったのを確認した空閑は、壁に背中を預けて空を仰ぎ見る。
『……まさか、オサムがボーダーだったとはな』
指輪から触手の様な物が伸び、空閑の耳元で囁く。長年の相棒の言葉に空閑は「そうだな」と答えるのみ。
『やるのか?』
「そう言う取引だったからな」
『何度も言うが、決めるのは私ではない。ユーマ自身だ。だが、ユーゴが言うに後悔だけはしない事だ』
相棒のお決まり文句に空閑はしばし考えを巡らす。
空閑の任務はミデンに溶け込み情報を収集する事。また、可能ならば敵の戦闘員を拉致し相手の情報とトリガーを手に入れる事であった。
「(オサムの持つ情報とトリガーで、アイツらを救えるな)」
ふと、記憶の片隅にしまっていた三人の顔が思い浮かぶ。
己の不甲斐なさで父親を失った後、自分を励ますように傍にいてくれた人たちの顔が。
「……やるぞ、レプリカ。どっち道、俺に任務を放棄する道はない」
『心得た。ユーマの思うがままにやるといい』
覚悟は決まった。空閑は懐からボール状の何かを取り出す。
「出てこい、仕事だ」
高々とそれを放り投げると、空間に亀裂が生じる。それは徐々に大きく広がり、やがてネイバーを呼び出すゲートとなる。
【緊急警報、緊急警報】
ゲートが開くと同時に、アナウンスが告げられる。
【ゲートが市街地に発生します。市民の皆様は直ちに避難してください。繰り返します。市民の皆様は直ちに避難してください】
ゲートから出現したネイバー、モールモッド二匹が現れたのを確認した空閑は他の生徒と同様に避難行動に移る。
「……オサム、悪く思うなよ」
後に語られるイレギュラーゲート事件の幕開けであった。