エボル機能を使ってもイルガーが陥落する未来は変わりなかった。しかし、ジンが見た未来では堕とした人間は自分と対峙している迅のはず。黒トリガー【風刃】の遠隔斬撃を使う意外に大ダメージを与える手段はなかったはずだから。
それが現実ではどうだろうか。堕とした人間は見知らぬトリガーを使ったある少年ではないか。しかも運がいい事にトリオン兵の核を的確に貫き、十八番の自爆戦術を防いだのである。あれではイルガーの切り札、自爆戦術は使えない。今の状態のイルガーなら目の前の街程度簡単に崩壊させられるだけの威力を有しているのだが、自爆をする前に倒されたら意味がない。
「ちっ」
「あんたの玩具も俺達自慢の弟子が破って見せた。さて、まだ闘うか?」
【風刃】を構える迅に斬りかかるかと思いきやジンは【鎌風】の起動を停止させた。
「……今日の所はここで立ち去ろう。当初の目的は達成した事だしな」
「へぇ。面白い事を言うな」
「さらばだ、迅悠一。貴様の首、必ずや俺がもぎ取って見せる。せいぜい首を洗って待っている事だな」
ジンの周囲にエスクードが出現する。それはあからさまな目晦まし。ジンはエスクードを盾にしてこの場を逃れようとしているのは誰の眼から見ても明らかであった。
そうはさせまいと烏丸が動くのだが、迅がそれを制す。
「……京介。今日の所は止めだ。これ以上続けたら俺達ももたなくなるだろう」
「了解です」
大人しく迅の指示に従う。己自身負傷の身。迅が止めだと言えば、自身だけ深追いをした所で痛い目に合ってしまうのは必然であった。
「宇佐美先輩。修の方はどうなりましたか?」
顔に出してはいないが、やはり弟子の三雲の事が気になったのだろう。自分たちの戦いが終ったのを機に通信で確認を取ったのである。
『大丈夫、無事よ。最後は生身に戻ってひやっとしたけど、こなみがちゃんと衝突する前に受け止めたから』
「そうですか。さすが小南先輩。グッジョブですね」
ほっと胸を撫で下ろす烏丸を見て、迅は茶化す様に笑いかける。
「そんなに心配ならば、さっきの時に「やめろ、修」と言えばよかったのに。京介が止めればメガネくんも考えたかもしれないよ」
「修に言ったところで、言うこと聞かないでしょ。意外と頑固なところがあるんですから」
「まぁな。……さて、俺達はレイジさん達と合流しよう。アイツが離脱したことを考えると向こうも同じだと思うが」
「はい。まだ戦いの最中なら援護しないといけませんね。何せ、あの二人がコンビを組んでも倒しきれない相手なんですから」
二人は宇佐美にレイジと八幡の援護に行くと伝えてその場から去った。
***
「まさか、あのイルガーを倒せる奴がいるなんてな」
玄界のトリガー技術は後進的だと耳にしていたが、それはあくまで噂であったようだ。
こうして肌で感じてみて敵のトリオン技術が卓越していると身に沁みたことであろう。
「当たり前だ。俺達の自慢の弟子なんだからな」
木崎の高速打撃が放たれる。狙いはユーゴの側頭部。腰を回転させて弧を描いた打撃はユーゴにとって避けるのは容易なこと。逆にその腕を掴んで投げ技に持ち込む事だって難しくはない。
しかし、ユーゴは上半身を沈めて木崎のフックを躱した。木崎のパンチは囮であることを知っていたのだ。ユーゴが屈むと同時に先ほどまで首があった空間に一筋の光が流れる。
短剣に変化させてレイガストの太刀筋によるものだ。
「その手は見飽きた。もはや俺には通じないぞ」
己の後ろに回り込んできた八幡を蹴り飛ばし、二人との距離を開ける為に後方へ下がる。
「……ちっ。アイツ、戦い慣れすぎだろ。どうやったら、片腕であんなカウンター投げ技なんか持って行けるんだよ」
「それだけ奴の実戦経験が豊富なのだろう」
「アステロイドが使えればな」
ユーゴのトリガー性能のせいで木崎と八幡は弾丸トリガーの使用を制限されている。
トリオンに関係したもの全てを跳ね返してしまうのだ。欠点として使用者が視認出来なかったトリオン攻撃は通るのだが、それを実行に移すのは困難を極めている。
「弱音を吐く暇があるなら、どんどん仕掛けろ」
「ほんと、人使いが荒いんですから」
いざ再び刃を交わさんと重心を前のめりにした所で、両者の地を抉る鎌鼬が襲い掛かる。
「……風刃?」
八幡が風刃と間違えるのも無理はない。何せ、性能は瓜二つにも等しい。
この場で「そうだ」とブラフを張ったら間違いなく騙されていた事であろう。
「ユーゴ殿。今日の所は撤退しよう」
遠隔斬撃で今にも跳びかからんとしていた八幡を牽制し終えたジンが現れる。
「……この戦いで動くのではなかったのか?」
事前の作戦と異なる撤退命令に、ユーゴはそう聞かざるを得なかった。
「予想に反して他のボーダー隊員の方々が奮戦してしまってね。計画を変えざるを得ないようだ。だが、当初の目的は達成した。これで面目を保つことが出来よう」
「そうか。お主が言うならそうなのだろうな」
「左様。……と、言う事でボーダーの諸君。我々二人は今日の所はお暇を致しましょう」
ジンの撤退宣言を信じたのだろうか。二人は己がトリガーを解除して、その場から去る様に促したのである。
「帰ると言うなら止めはしない。さっさと自分たちの世界に帰ってくれ」
「そうさせていただこう」
――唸れ、大地の咆哮
エスクードで己の姿を隠して逃亡に図る。
「……後を付けますか?」
「やめておけ。素直に逃げると言っているんだ。藪蛇を突く余裕は俺達にないだろ」
「でしたね。……宇佐美、こちらは比企谷。人型近界民の撤退を確認」
戦闘終了を告げられた宇佐美は声高に「了解」と受け答えして、残存トリオン兵がいない事を確認。戦闘が終了したことを本部へ通達した。
今回の件は異例に異例を重ねた事件である。きっと本部も黙ってはいないだろうな、と予想しながら報告を終えると本部から招集命令が下される。考えるまでもなく招集対象は迅悠一。未来が視えるサイドエフェクト持ちの迅を使って今後の防衛作戦を練るのだろう。
本部の通達を聞かされた迅は「了解、分かった」と嫌な顔一つ見せる事無く了承する。
「悪いけど、後始末はみんなに任せてもいいかな?」
合流直後に通達を受けた迅は本部から招集を受けたと話す。
異例時に未来視のサイドエフェクトを持つ迅が招集されるのはいつもの事なので、三人は快く送り出したのであった。
「では、修と合流しましょう」
「だな。アイツには少し説教をしないといけないだろうから」
烏丸と八幡、師匠ズは真先に弟子と合流する為に走り出す。そんな二人の弟子の背中を見守る木崎は呆れつつ、二人の後に付いていく。
全速力で駆けだしたおかげで三人とも直ぐに修たちと合流する事が出来た。師匠ズは開口一番に文句の一つでも言ってやろうとしたのだが、目の前の光景を目の当たりにして言うに言えない状態になってしまう。
「まったく! 修は少し自分の実力を考えたらどうなの!」
腰に手を当て、玉狛支部全員の弟子である三雲を怒鳴る小南と木虎。
「そうよ、あなたが無理をする必要はなかったわ。あたしか小南先輩に任せておけば、何の問題もなかったのよ」
「えと……。あの。ですから」
「返事は?」
「あ、はい。その、すみません」
二人に命令されたか知らないが、この場で正座をさせられている三雲は木虎の睨みによって畏縮してしまう。彼女の後ろには誰もが恐れる斧姫様が控えているのだ。下手に反論しようものならば、疾風怒濤の如く説教の言葉が放たれる事であろう。
「まぁまぁ、二人とも。なにもそこまで怒らなくても。三雲君は困難を極めた状況を打開してくれた張本人なんだし」
怒り心頭の二人を宥め様と葉山が間に割って入るのだが、それは愚策もいい所であった。矛先は葉山に向けられてしまう。
「あなたもです、葉山先輩。なに後輩の無茶に付き合っているんですか。あんな無茶苦茶な臨時接続なんかして」
本来の臨時接続は自身以外のボーダーが生み出した武器を自身で使う際に行う手法である。先の三雲が使ったようにトリオンだけを受け取り、自身の力へ変換し操作するなんて手法は特殊にもほどがあった。ただでさえ自身の体内に別の隊員のトリオンを流す事でトリオン障害が起こり易くなるのは常識として知られている。それが分かっているにも関わらず、笑顔を繕って納めようとする葉山を木虎は問い詰める。
「今回は小南先輩が助けたからいいものの、次は上手くやれるか限りません」
「そうだけど、あんな無茶をまたやるとは到底思えないんだけど……」
ねぇ、と三雲を見やり同意を求める。
大抵の人間だったならば、この場をやり過ごす為にウソでも「そうですね」と頷く場面であったのだが、三雲は違った。彼は「えっと……」と言葉を詰まらせて葉山から視線を反らすのみ。それが何を意味する事なのか把握した葉山は「おいおい」と呆れ口調で三雲にツッコミを入れる。
「甘いわ葉山君。修は同じ状況になったらきっとやるわ、絶対に。賭けてもいい。無茶と無謀は修の代名詞なんだから」
胸を張る小南の姿を後ろから見ていた木崎は「そうだそうだ」と納得して頷く八幡と烏丸に気付かれない様に溜息を吐く。
「……小南」
これ以上責め続けるのはよくないと判断した木崎が止めに入る。自分の説教に気を取られていたためか、いまになって男三人組が合流していた事に気付く小南。木虎なんか意中の烏丸がいる事に大層驚く。
「ちょっと三人とも……。って迅は?」
「本部に招集がかかった。今頃、城戸さんを初めとした怖い上の人間達に責められているんだろうな」
一度、オリジナルのトリガーを本部採用する為にプレゼンテーションを行った事があるが、城戸にダメ出しを喰らって不採用になった苦い経験がある。その時の威圧を思い出して身震いをする八幡であった。
「……ところで、何で木虎がいるんだ?」
今の今になって烏丸が当然の疑問を浮かばせる。事情を知らない玉狛支部の人間達は「そう言えば」と同意する。
いつの間にか矛先が自分へ向けられた木虎は「それは……」と言葉を詰まらせる。言えるわけがない。同い年の三雲の力を確かめる為に校門で待ち伏せていたなんて。特に意中の相手である烏丸には口が裂けても言えなかった。
「えっと、それはですね」
言い辛そうにしている木虎の代わりに説明しようと口を開く三雲であったが、木虎の親の仇を視る様な睨み付けによって言葉を紡ぐ事が出来ずにいた。
「それは……?」
「あ、あはは。何でもないんですよ、烏丸先輩」
下手な言い訳も考え付かなかった木虎は自慢の笑顔を繕って全力で誤魔化す事にした。
答えにならない回答が返って来た事に頭を傾ける烏丸であるが、話しが進まないと判断して話しの先を促す。
「それで、俺達はこれからどうしましょうか。回収班と救助班に依頼は宇佐美先輩が出してくれると思いますから」
「――そうだな。俺達は一度玉狛支部に戻るとするか。迅から何か連絡があるかも知れないしな。修、お前もそれでいいな?」
言葉をつづけた木崎に「はい」と頷き返す。
「木虎、それに葉山。今回は世話になったな。この件の報告書は俺達の方で提出しておくから、お前たちはもう戻って貰って構わないぞ」
年長者の立場として場を仕切る木崎の言葉に木虎と葉山は言葉に甘えてそれぞれの持ち場へ帰還する事にした。
一言二言、別れの言葉を交わした二人はトリオン体のまま駆け出していく。そんな二人の背中が見えなくなったのを確認して、玉狛支部一同は本題に入る事にした。
「んじゃ、そろそろ出てきてもらうとするか。いるんだろ?」
話しを切りだしたのは八幡であった。虚空を見つめて声をかけるあたり、既にその場で息を潜めて隠れていると見当が付いていたのであろう。
「空閑、大丈夫だ」
八幡が誰に向けて声をかけているのか三雲も分かっていたのであろう。隠れている本人、親友の空閑に向けて出て来るように伝える。三雲の言葉に従い、身を潜めていた空閑がレプリカと共に現れる。
「よっ。さっきぶりだな」
「そっか。初めから知っていたのか」
自分を見ても驚かない八幡を見て、既に自分の正体がばれている事に気付く空閑。
「まぁな。学校の時は迅先輩に言われて知らない振りをしていたんだ」
「なるほど。流石はオサムの師匠ですな。全然気づかなかった」
「それはどうも。自己紹介は後にして、とりあえず空閑だったか? 一緒に玉狛支部に来てもらいたいのだが構わない?」
「それは好都合ですな。オサムと一緒に玉狛支部とやらに向かう途中だったので、問題ないよ」
「そうか。それじゃあ、一緒に向かうか」
「了解。……ところでオサム。さっきから何をしているんだ?」
滝の様に冷や汗を流す三雲を見やり、空閑が不思議そうに尋ねる。会話の矛先が三雲に注がれた事で、今の今まで正座をさせていたことを忘れていた一同が気まずそうに視線を反らす。
「……ぼ、僕が無茶をしたから怒られているんだよ」
「あぁ。エボルイルガーに突貫した件だな。それなら納得だ」
空閑自身、三雲がやった事は無謀にも等しい突撃行動であったので、そのせいで責められると聞いたら納得するしかなかった。
その直後、移動する為にやっと解放された三雲は慣れない正座をしたせいで痺れたのであろう。数分間は立ち上がる事が出来ず、それをネタに小南と烏丸によって弄ばれたのは言うまでもなかった。
……やはり、二つのシナリオを混ぜて進めるのは展開が遅いから間違っているだろうか。