本日、三雲がどうしても外せない用事があるとの事で訓練はなしとなった。
平塚先生との約束では今日は奉仕部と言う怪しい名前の部に行く日ではないのだが「今日も奉仕部に行くこと」と暗躍マンに出頭命令が下ったので、仕方がなく奉仕部へ向かっているのであった。
扉を開けようと手を掛けるのだが、正直言って気が重い。また、あの雪の女王様と対面しないといけないと考えると胃が痛くなってしまう。迅の言葉を無視すればいい話しなのだが、弟子の運命に関わると言われたら断れなくない。
「(ほんと、ちょっと前の俺だったらありえない事だよな)」
自分の献身ぷりに思わず苦笑いを浮かべる。過去の自分がいたら「なにやってんだよ、お前」と悪態をついた事であろう。
部室の扉を開くと、昨日と全く変わらぬ姿勢で読書に勤しんでいる雪ノ下の姿があった。
「……」
扉が開いた事で雪ノ下の視線が八幡へと向けられるが、直ぐに興味が失せたように文庫本へと視線を戻す。
「……うす」
「こんにちは。もう来ないのかと思ったわ」
「色々と事情があってな」
「普通、あれだけの事があったら二度と来ないと思うんだけど……。ボーダーってそれほど暇なの?」
「暇じゃねえよ。事情があるって言っただろ」
「……ストーカー?」
「どうしてそうなる。なんで俺がお前に気がある事になっているんだよ」
「違うの?」
小首を傾げてきょとんとした表情になる。雪ノ下の中では八幡が自分に好意を抱いていて、会いに来ているとなっているようだ。
「すげえなお前。その自信過剰ぶりには俺もひくぞ」
「私にとっては至極当たり前の帰結よ。経験則と言うやつね。私って可愛いでしょ。近づいてくる男子はたいてい私に好意を寄せて来たわ」
「まあ、性格はともかくその容姿だしな。言い寄って来るだろうな。ってなんだよ? 奇妙な人間でも見るような目で」
「べ、別に面と向かって褒められた事などないから慌てている訳じゃないのよ。勘違いしないでちょうだい」
「は? 急に早口になりやがって、意味わかんねえよ」
突然慌てふためく雪ノ下を訝しむ。彼女自身も取り乱した事を帳消ししたいようだったのか、一度軽く咳払いをして間を開ける。
「それで……って、貴方は何をしているのかしら?」
話している間、八幡が机に数々の器具類を用意している様子を見て気になったのであろう。
「ん? なにってパソコンを設置しているんだよ。見てわかんないか?」
「バカにしないでちょうだい。なんで、部室にそんなのを設置しているのって聞いているの」
「……俺がここにいる間、仕事が滞っちまうんだよ。これ、仕事道具なの」
八幡が用意した器具類は三台のノートパソコン。市販品のパソコンだと性能が低いため、複数を同時稼働して使わないと玉狛支部と同様のパフォーマンスが発揮出来ないとのこと。
三台共に立ち上がったのを確認して、各パソコンに必要なプログラムを立ち上げる。
「驚いたわ。ボーダーってそんなことまでするのね」
作業内容が気になったのか、読んでいた文庫本をしまった雪ノ下は八幡の後ろに回り込み、映し出された画面を覗き見る。
「おい。何見ているんだよ」
「あなたが卑猥な動画やゲームをしないか見張っているのよ。気にしないでちょうだい」
「こんな所でするか。てか未成年なんだからそんなの一切入っていないからな」
このパソコンには、とは胸中で付け足す。
「プログラムの一種らしいけど、C言語ではなさそうね」
「……お前みたいに覗き見る奴がいるから、わざわざ全て暗号化しているの。てか見ないでくれる? おちおちプログラムの一つも作れないから」
「あら、A級のボーダー隊員様はこれぐらいで仕事も滞ってしまうのかしら。あとそこ、入力ミスしているわよ」
「なに? この一瞬で俺の暗号を解き読んだのかよお前。それはいくらなんでも……」
雪ノ下が指差す箇所を見て、目を丸くさせる。指摘箇所を確認すると指摘通り入力ミスしていた。
「なにお前。変態なの?」
「変態の貴方に言われたくないわね。……あと、そこはこのコードよりも、こっちのコードで短縮した方が処理速度も上がるわ」
勝手に共通キーボードを取り上げて、タイピングし始める。それを見てギョッと大きく見開く。
「おお……。いや、これだとリソースがデカくなりすぎるか。なら、こっちのプログラムを改ざんするか」
「ちなみに比企谷君。これは一体なんのプログラムなのかしら?」
「俺が考案中のオプショントリガーの一つだ。ま、ちょっと癖があって万人受けじゃねえけどな」
「トリガー。それって、貴方でも簡単に出来る代物なのね」
「否定はしねえよ。俺の様な奴でも指導してくれれば、これぐらいの代物は作製できる」
「そう。それで比企谷君、そのトリガーはどんな代物なのかしら?」
「あん? そんなの聞いてどうするんだ。もしかして気になるのか?」
「そんなわけないわ。けど、貴方の様な腐った根性の人が作った代物で守られる市民の人が哀れだから、私が直々に査定してあげるだけよ。た、他意はにゃいわ……ないわ」
「(うわぁ)」
いま、明らかに噛んだのに、直ぐに言い直して勢いでなかった事にしてしまった。目線で「何もなかったわよね」と強く訴えて来たので、八幡は聞かなかった振りをして操作し続ける事にした。
「悪いがそれは無理だ。一応守秘義務があるからな。雪ノ下がボーダーに入った後ならば、教えなくもないが」
「それは暗に誘っているのかしら、すけこまし君」
「なんでそうなる。同じボーダーならば命を預ける道具の事を教えなくもない、と言っているだけだ。最も、お前ほどの美貌の持ち主は嵐山隊みたいに報道部隊に回されると思うがな」
「ま、また……」
シュミレートを行っている画面に夢中で気づかなかったが、同い年から褒め慣れていない雪ノ下は八幡の無自覚の口説き文句に薄らと頬を染める事になる。
その後、雪ノ下は八幡の仕事内容が珍しかったのか、あるいは気に入ってしまったのか、何度も後ろから自分が気づいたプログラム箇所を指摘し、それを修正あるいは改善する作業が続いたのであった。
***
八幡が雪ノ下と共同でオプショントリガーを作成している間、三雲は迅と相対していた。
両者の手にはお互いが愛用しているトリガーが握られている。
「んじゃ、メガネ君。始めようか」
「ちょっと待ってください、迅さん。一体全体なんでこうなったのか説明してください。それに、その手に持っているトリガーって――」
今すぐ戦闘状態へ移行する迅に慌てて待つように呼びかける。
本日、三雲は迅に八幡との訓練を休む様に頼まれたのである。初めはなんでそんな事を頼むのだろうと首を傾げた三雲であったが、迅が「お願いだ」と頭を下げたので、頼まれるまま了承したのであった。
「悪いけど時間が惜しいんだ。今回は目が慣れる様になればいい」
迅のトリガーが起動する。瞬間、修の身体が一刀両断される。
「三雲、ダウン」
無機質の機械音が三雲の敗北を知らせる。
「なっ!?」
仮想戦闘モード状態なので、三雲の身体は一瞬に元通りになる。だが、全く分からない内に自分の身体が真っ二つに切り裂かれてしまった事に恐怖し、腰が抜けてしまう。
『ちょ、ちょっと迅さん。それはいくらなんでも修君には酷すぎますよっ!』
終始、三雲と迅の行く末を見守っていた宇佐美栞が珍しく動揺した声で諌める。
「悪いな、宇佐美。今は黙って見守っていてくれ。……メガネ君、立ち上がるんだ。そのままでは俺の風刃を対処する事なんて出来ないぞ」
風刃。トリガーには規格外の性能を持つトリガーが存在する。そのトリガーの名前を使い手はブラックトリガーと呼び、威力は通常トリガーの数倍以上の性能を誇ると言われている。
迅が使った風刃はボーダーが所有する数少ないブラックトリガーの一つである。当然、つい最近B級になった三雲が対処する事など出来るはずがない。
「どのトリガーを使っても構わない。八幡達が作り上げたホークを使用してもいい。この風刃に対処できるようになるまで、どんどん仕掛けるからな」
と、言った直後に風刃を薙ぎ払う。
三雲はシールドを展開して防御を図ったのだが、シールドごと三雲の身体は両断され二度目の敗北が知らされる事になる。
「ダメダメ、メガネ君。メガネ君のトリオン量じゃ、風刃の攻撃を防ぐことは万に一つないよ」
「む、無理ですよ。僕の実力じゃブラックトリガーを対処する事なんてできません」
「けど、対処出来なければキミは守りたい誰かを護れなくなるよ。それでいいのかい?」
言われて、思い浮かんだのは幼馴染の思いつめた顔であった。理由は定かでないが、三雲の幼馴染はトリオン兵を誘い寄せる何かを持っている。そのせいで、彼女は数多くの大切な人を失ってしまった。
幼馴染の絶望した表情を思い出して、三雲の目の色が変わる。闘志が込められた眼差しを見やり、迅は口角を上げた。
「八幡や京介。小南やレイジさんに色々と教わっていると思うが、それを実践で熟せないと意味がない。俺は嫌ってほどこの風刃で相手をしてあげる。頭で学習した事を身体に叩き込むんだ」
「はいっ! よろしくお願いいたします」
やる気を取り戻した三雲は両手にレイガストを展開させる。レイガストのオプショントリガースラスターを駆使して、全力で風刃を回避する算段であろうと迅は予想した。
「よし。では、最初は一刃だ。慣れたら、どんどん刃を増やすからな」
「はいっ!」
それから、迅との訓練は夜遅くまで続く事になる。
結局、その日は一度も迅の風刃を対処する事は出来なかった三雲であった。