ハロウィンと小児患者の話   作:とましの

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ハロウィンと小児患者の話

「おかしくれないとイタズラするぞ!」

やんちゃな声と共に柔らかい棒で背中をたたかれて光秀は歩いていた足を止める。背後を振り向くと5才程度の子供がドヤ顔で立っていた。

月城医大のロビーから一瞬だけ消えた喧騒はすぐに元に戻る。そしてそばにいた看護士が子供に棒を振り回してはいけないと注意を始めた。

スポンジ製のおもちゃだから怪我をすることはないが危ないことにかわりない。

 

光秀は子供から棒を取り上げると片膝をついて視線の高さを合わせた。

「今回は許してやるが、俺以外のヤツにぶつけたら承知しねぇぞ」

脅したわけでもドスを含んだわけでもない。だが小さな子供ならこの程度で恐れおののくことだろう。そう思っていた光秀だが、その子供は違っていた。

 

子供は不思議と怖がることなくポカンとした顔で光秀を見ている。だが子供から離れた位置にいた母親が駆け寄って来たためすぐにその視線は移された。

「すみません、うちの子が何かご迷惑を…」

会計か何かしていたのだろう母親は状況がわからないまま謝罪を向けてくる。光秀はそんな母親に何も問題ない旨を告げて棒を返した。

母親は謝罪をするとまだキョトンとしたままの子供を連れて帰っていく。

 

 

 

光秀が同じ子供を医大で見かけたのは二日後の事だった。仕事の合間の移動中に小児科病棟へ向かう親子を見かける。

母親が大きなバッグを持っていることから、子供がこれから入院するということはわかった。

以前より青白い顔で母親に連れられ歩いていく。そんな子供を眺めていた光秀は肩をつつかれて視線を移した。

「とりっくおあとりーと」

あり得ないほどの棒読みで言いながら真葉が手を差し出す。光秀は何か寄越せと言いたいらしい真葉の手を軽く叩いた。

「持ってねぇよ」

「イタズラしていいんだナ?」

「やれるもんならな」

挑発的な目を向けてくる真葉に笑い返しながら光秀は仕事に戻るべく歩きだす。

ハロウィンまでまだ数日あるというのに真葉は既にハロウィン気分らしい。むしろ菓子がもらえればなんでも良いのかと思いながら光秀は職員室へ向かった。

 

 

 

ハロウィンというものは元はケルト人の祭りであったらしい。冬の訪れを迎える節目の日に死んだ者の霊が戻ってくるという言い伝えがあった。そのため鎮魂の意味を込めて祭りをしていたのだとか。

しかし異教であるケルト人の祭りであるため、キリスト教圏ではいまも賛否がある。

けれどそんなものとは無縁の日本では他のイベントと同じく遊びとして定着していた。そして類に漏れず月城医大でもハロウィン当日は小児科を中心とした催しが行われる。

だがそんなものは自分と関係ないと光秀は考えていた。問題があれば手を貸すが、楽しむ理由も時間もない。

 

 

 

その日の光秀は研究室でコーヒーを飲みながら石黒が製作している論文を待っていた。

世間はハロウィンを明後日に控えて浮き足立っている。前木や浅日などは仮装の準備をしているほどだ。

だがこの研究室だけは世間に染まることを知らないかのようにいつもと同じ時が流れていた。

「石黒はハロウィンに興味あるか?」

休憩をかねた待ち時間の中で光秀は机に頭を落として問いかける。斜め前に座りパソコンを見つめている石黒は問いかけても視線を動かさなかった。

「ありませんが、小児科の患者に悪戯されている話は聞きましたよ」

「あー、あの子供か。前木情報?」

「ええ、心配してましたよ」

「どっちの心配してんのか当ててやろうか」

前木のことだから患者の心配をしているに違いない。そう考えながら光秀は苦味の強いコーヒーを流し込んだ。

 

以前ロビーで光秀の背中を叩いた子供は今も小児科に入院している。他の病院からの紹介で来たという患者は獣症を罹患していた。

子供の獣症は進行が早い。そのためすぐに治療方針が決められ、明日には手術をする予定になっている。

 

ただひとつ問題があり、患者本人が執刀医の変更を強く訴えていた。予定では真琴が執刀医となるのだが、患者本人はそれが気に入らないという。

 

「例の患者は昨日の検査ではステージ2でした」

「ふーん……」

ステージ2の状態で真琴が執刀医なら問題など起きはしないだろう。患者本人がおとなしくしていれば明日の午後には手術が行われる。

 

完成した論文を受け取った光秀はコーヒーを飲み干すと椅子から立ち上がった。だが研究室を出ようと扉に近付く光秀の横に石黒が立つ。

「明紫波」

名前を呼ばれて振り向くそばで石黒が頭を傾け顔を近づけてくる。眼前に迫る端整な顔を前にして光秀は呼吸を止めた。

少なくともこれが他の人間なら、相手は光秀よりも視線の位置が低くなる。そのため背伸びでもしなければ顔を近づけることはできない。

しかし長身の石黒は光秀よりも数センチ視線の位置が高い。そしてその数センチに、光秀は若干の苦手意識を持ち始めていた。

鼻先が触れるほどの接近に光秀は思わずぎゅっと目をつぶる。するとそばで笑うような気配がした。

目を開かせた光秀の目の前で石黒は笑みに目を細めながら顔を放す。

「壁に追い込まれているわけではないのですから、いくらでも逃げられますよ」

「…っせぇよ」

石黒の指摘に顔を赤らめながら反論する。けれどどうにも居心地が悪いためすぐにドアノブに手をかけた。

すると背後にいる石黒に声をかけられる。

「あなたはオペをしないんですか?」

おそらくそれは他の者も聞きたいと思っている事だろう。しかし光秀は眉をひそめて振り返る。

「執刀医より下手なヤツがしゃしゃり出る必要がないだろ」

真琴の代わりが自分に勤まるはずがない。そう考えるまま言い放った光秀は研究室を後にした。静かな地下廊下を歩きながら、やけに熱い耳に手を当てる。

だが階段の上にしゃがみこんでいる子供を目にしたとたん急いで駆け寄った。

「どうした。気持ち悪いのか?」

「おかしくれないとイタズラするぞ」

しゃがみこんでいた子供は光秀が近付くと不安な顔で見上げてくる。そんな子供の第一声は昨日聞いたものとまったく同じものだった。

 

この子供は初めて会った時からこんなことばかり言っている。親や小児科の主治医には、執刀医は外科部長でと駄々をこねているらしい。

しかし光秀自身はこの子供本人から執刀医を頼まれたことがない。

「病室を抜け出してきたのか」

「おかし…」

「手術前で食事制限もされてるだろ。そんなもん食えねぇよ」

既に病院食以外の摂取は控えるよう言われているはずだ。そう思いながらも光秀は子供を小児病棟へ送り届けるべく歩き出した。

「徳川先生はうちの医大で一番すごい先生なんだぞ」

「外科部長のがすごいってケージがいってた」

隣を歩く5才児から出た名前に光秀は思わず眉をひそめた。しかし子供に問いかけるわけにはいかず何も言うことなく小児病棟へ向かう。

 

小児病棟へたどり着くと周囲は慌ただしい雰囲気に包まれていた。駆け足で廊下をうろついていた看護士が子供を見つけるなりナースセンターに声をかける。

見つかりましたと声が上がったことから彼女らが何をしていたのかすぐにわかった。手術を明日に控えた患者が行方不明になれば、確かに慌てて探し回るだろう。

 

光秀は連れてきた子供を看護士に引き渡そうとする。しかし子供は光秀の足にしがみつき離れようとしなかった。そのため看護士たちはどうしようかと考えあぐねた様子を見せる。

 

そこへ小児科の医師とともに真琴がやってきた。明日の手術の打ち合わせでもしていたのだろう。

執刀医を務める予定の真琴は光秀とその足にしがみつく子供とを眺めた。

「光秀、少し良いか」

話があるという真琴とともに小児科医師が歩きだす。そのため光秀は足から子供を離させて看護士に引き渡した。

 

 

ふたりとともにカンファレンスルームへ入るとすぐに真琴がカルテを出してくる。ファイルに同封されていたCTの写真を見た光秀は眉をひそめた。

「ステージ2だが、腫瘍が臓器の裏に隠れている」

「取り除くにも難しいが、薬物治療じゃ消せねぇ大きさだな」

子供の小さな身体で、しかも腫瘍が臓器の裏に隠れている。だがだからと手をこまねいていては病が進行してしまう。

だから小児科は真琴を執刀医にと指名してきたのかと光秀は頭を巡らせた。このレベルの手術を安心して任せるなら真琴か緋田になるだろう。

「難しい状態だからと、いくつもの病院をたらい回しにされてきた。そのせいで患者は医者そのものに不信感を持っている。だから月城に初めて来た時、ロビーで医者を見つけて叩いたらしい」

どっかで聞いた話を持ち出されたため光秀は真琴に目を向けた。すると真琴はいつものクールさを捨てたようにくすりと笑う。

 

「検査だなんだと注射を何度もした上に追い出されてきたからな。その前に悪戯して追い出されたほうが良いと考えたそうだ。だけど叩かれた医師は、他の病院の医師と違って怒ることをしなかった。しかも今まで手術は無理だとあの親子に転院を勧めたのは『外科部長』らしい。そこまで話せばわかるよな?」

 

いつになく多弁な真琴は何かを期待するような目で光秀を見つめる。

 

おそらくあの子供にとって『外科部長』は病院から追い出す諸悪の根元だったのだろう。まだ5才では物事を理解するのは難しい。

自分の病院では対処できない場合、より施設の整った病院を勧めるのは当然のことだ。

そしてここ月城医大は獣症の治療で多くの功績を残し名前も知れ渡っている。そのため他の病院の『外科部長』の考えは何も間違っていない。

 

「あの患者は自分を病院から追い出さなかった外科部長に絶大な信頼を寄せている。そしてオペに挑む際に最も必要とされるのは、患者の生きたいという気持ちだ」

「わかった」

真琴の言いたいことは十分にわかる。その上で光秀は手にしていたカルテを差し出した。

「予定の調整をつけてくるから、真琴はあの親子に説明しといてくれ」

 

 

 

 

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