麻酔が切れて意識を取り戻した患者の第一声は「おかし」だった。子供のお菓子好きはフランスも日本も同じかと思いながら徳川真琴は患者を見つめる。
患者の様子を観察しながら指を一本立てて問いかけた。
「この指、何本に見える?」
「いちほん、おれは5才」
人差し指を立てた真琴へ見せるように患者が手を広げる。その反応を見た真琴は穏やかな笑顔をそばに付き添う母親へ向けた。
「もう大丈夫です。麻酔の影響もないようなので。ただ鼻声になってしまっているので、それだけ主治医に報告しておきます」
手術をすれば必ず身体は疲弊する。そんな時に風邪などにかかる患者は少なくない。それを踏まえた上で説明した真琴は母親から礼を向けられた。
そんな大人ふたりのそばで主役である患者が口を開く。
「げかぶちょーは?」
鼻の詰まった状態の五歳児は病室内に目を走らせなごら問いかけてきた。そのため本当に好きだなと思いながら真琴は笑顔を向ける。
「外科部長はとても忙しい人だから、別の仕事をしてるよ」
「そうだよな。いつもすごくはやく歩いてるからいそがしそうだと思ってた」
やや生意気な口ぶりだが、それでも素直に納得してくれる。そのため真琴は今度こそ病室を後にすることができた。
小児科の廊下を歩きながら腕時計を確認すれば既に午後の六時を過ぎている。午後の一時の始まった手術は三時間かかり四時過ぎに終わった。その時点でモニター室にいた信長は、自分ならもっと早く終わったと言っている。もちろん真琴もそれは否定しない。
だが光秀はどちらかと言えば政宗と同じ堅実なタイプの外科医だ。そのためひとつひとつの処置が丁寧かつ確実に行われる。だから時間はかかるが、ミスが起きることもない。
医者を育てる大学病院としては、最も模範的で必要とされる外科医だろう。
逆に真琴自身や信長などの天才タイプが学生の見本になることはない。つまり人を育てることに不向きな外科医だ。
休憩室に戻った真琴はそこで三成と出くわした。幸村がロッカーから白い紙袋を取り出してそれを三成に渡している。
その様子を眺めていると幸村が飴を舐めながら首をかしげた。
「服、取りに来るの遅かったナ」
「理由を説明する必要がありますか?」
「…ねぇけど、アレを可愛いと思ったんなら感謝くらいしろヨ」
「しません」
幸村の態度はいつもと変わらないが、三成の態度はいつもより刺が鋭い。その理由はおそらく二時間前の光秀の服装にあるのだろう。
光秀が喜んで仮装する性格でないことは真琴も知っている。だとしたら幸村がまた何か罠にでもハメて無理矢理させたに違いない。
ふたりの険悪な雰囲気を遠巻きに眺めていると不意に幸村の目が真琴に向けられる。
「真琴も見たんだよナ? アレ」
「…それは…」
研究室で見つけたアレのことだろう。それはわかっているが、三成の視線が不穏すぎて口を出すことすらはばかられる。
「かわいかったろ。一番似合うものを選んだからナ」
そう言い放った幸村は珍しく満足げな顔を見せている。その雰囲気の変化に目を見張る真琴の目の前で三成が不機嫌なまま口を開く。
「他事にもそれくらいの熱意を持てませんか」
「持ったらつまらなくなるよナ」
「どういう意味ですか?」
「まだ独り立ちしたくねぇからサ」
幸村の返事に三成はさらに厳しい顔を見せる。もちろん真琴にも、幸村の言いたいことはわからない。
しかし元々真琴は幼馴染みから他人の機微に疎すぎると言われてきている。さらに言えば幸村は同僚の中で最もわかりにくい部類の人間だ。そのためわからないのは仕方ないような気がした。
「それに…あいつも素直じゃねぇからナ」
いつもより穏やかな表情の幸村はいつもと同じ棒付き飴を舐めている。その様子を見ていると幸村は光秀に特別な思いがあるのではと思えてきた。
「背中を押すくらいしてやらねぇと…」
「こんなところにいたのかユキちゃん!」
勢いよく扉を開かせて現れた政宗の声に幸村の発言がかき消される。それだけでなく幸村の穏やかだった雰囲気までもが消えてしまう。
その変化に驚く真琴の目の前で政宗は三成に顔を向ける。
「ここで会うのは珍しいな。研究の手が空いたのか?」
「いえ、所用で立ち寄っただけですから、もう戻りますよ」
政宗に問われた三成は素っ気ない返答をすると出て行ってしまう。そのため政宗は首をかしげつつ真琴に顔を向けた。
「石黒は何の用だったのだろうな。実はさっき、研究室に絶世の美女がいるという噂を耳にしてな。別の場所では昔亡くなった女医の霊がハロウィンに舞い戻った、と変化していたが。石黒は何か言っていなかったか?」
真琴が研究室でとんがり帽子の仮装を見たのは二時間前だ。その時に一緒にいた慶次が噂の発端なのだろう。それが二時間で幽霊話にまでねじ曲げられたようだ。
伝聞の恐ろしさを垣間見た真琴は改めて幸村に目を向けた。
すると幸村は素知らぬ顔で政宗を眺めている。そして何も知らない政宗はくるりと幸村に顔を向けた。
「それよりユキちゃん。昼にも言ったが、食事はきちんと取らなければならんぞ。先程聞いたが、顔色が悪いと内科部長に指摘されたそうではないか」
「あー、ウゼェ」
いつもの説教が始まったため、真琴は別の場所へ移ることを決めて動き出した。そうして荷物を手にして幸村に目を向けるとなぜか視線がぶつかる。
素っ気ない表情でべーと舌を出した幸村はその舌に棒付き飴を乗せた。
そこで真琴は、つい先程幸村が言っていた言葉を思い出す。独り立ちしたくないというのは、世話を焼かれたいということだ。
そう考えた真琴だが、相手は誰かなどの事実確認をしないまま休憩室を後にした。
幸村は光秀との付き合いが長く、その影響で喫煙者となったと聞く。しかしただ一緒にいるだけでそこまでの影響は受けないだろう。それに彼らは常に反発しあっているが、それでも気付けば一緒にいる。
そんな近い位置で光秀を見てきた幸村には、真琴の見えない何かが見えていたのだろう。だから今回は、詳しい事は知らないが光秀にあんな仮装をさせている。
と、そこまで考えた真琴は眉をひそめて首を傾けた。
「…なんでアレで三成が怒ったんだ?」
魔女に扮した光秀は、後ろ姿を見ただけでも可愛かったと思う。しかし三成の好みではなかったのだろうか。そう考えながら職員室へ向かうべく歩き出した。