ハロウィンと小児患者の話   作:とましの

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5話

「クソッ、あの若造め。ちょっと緋田先生のお気に入りだからって…」

悪態つきながら足早に歩を進めた今河はその足で階段に向かっていた。昨日の女性が石黒の知り合いだというなら何か情報を聞き出そうと考えたのだ。もちろん真琴の忠告にあった『諦める』という選択肢はない。

地下へ降りた今河はその足で研究室へ向かった。扉を叩くことなく開かせると中へ入るが、研究室は無人で石黒の姿もない。そのため別の場所を探すべく踵を返そうとした。

だがそんな今河の耳に何やら話し声が聞こえた。

 

小さな声であるため内容もなにもわからない。しかし奥の部屋にいることがわかったためこっそりと足を向けた。奥の部屋に通ずる扉は上半分にガラスがはめ込まれ中を見ることができる。

背を屈め身を隠すと今河はそっと中をのぞき込んだ。そこで扉に背を向けて椅子に座る長い茶髪の女性を見ることができる。肩から下は椅子の背もたれに隠れていて体型を確認することはできない。しかしその服装と帽子は確実に昨日の女性そのものだった。

 

どうやら彼女は本当に石黒の知り合いだったらしい。意中の相手を見つけた高揚感に包まれた今河はじっと女性の長い髪を見つめる。

すると女性の前に屈んでいた石黒が腰を浮かせて立ち上がろうとした。しかしそのまま立ち上がらずに女性の頬に手を当て顔を近づける。

キスをするのだと認識した瞬間、今河は見ていられずしゃがみこんでいた。言い知れぬ悔しさとともに、先程あの生意気な徳川真琴が向けてきた忠告を思い出す。

 

諦めろと言うのは、既に石黒と付き合っているからという意味だったのだろう。そう考えた今河は敗北感と哀愁を頭に乗せながら研究室を後にした。

静かな地下の廊下を歩いていると前方に別所が立っている。今河は別所のそばで立ち止まると強く顔をしかめた。

「俺と石黒のどこが違うんだ。年齢も肩書きも同じはずなのに」

「髪の量が違うだろ」

「そういうおまえもかなり後退してきてるからな!」

怒りを撒き散らしながら階段をあがり始めた今河のそばを別所も歩き出す。

「あの人が石黒相手で幸せになればそれでいい。けどなんでよりにもよって石黒なんだ」

今河は階段を進みながらあいつよりも自分のほうが優秀なのにと恨み節をつぶやく。その様子から美女は存在していて今河が失恋したことは確実だった。

 

 

 

再び仮装させ、その上で自分の姿を鏡で確認させる。それでも光秀は自分のどこが可愛いのかと考え込んでいるようだった。そんな光秀を椅子に座らせたところで部屋の外から物音が聞こえる。

 

誰かが入ってきたのはあきらかだが、呼び掛けられることもない。ならば放置しても構わないかと思った石黒は扉にはめ込まれたガラスの向こうに薄い頭を見つけた。

「誰かいるのか?」

石黒の視線に気付いた光秀も確認のため背後を振り向こうとする。そのため反射的に光秀の頬をつかみ振り向くことを防いでしまった。

そこで我に返った石黒は光秀を見つめたままどうしようかと頭を巡らせる。すると向こうから顔を近付けられ口の端に一瞬触れるだけのキスをされた。

突然のことに驚き光秀を見ればなぜか勝ち誇ったような顔を見せている。

「やりたいならガツンとやれって言ってんだろ。ばーか」

 

こちらは今河から女装姿の素顔と正体を隠そうとしただけだった。しかし何も知らない光秀には手を出そうとしてためらったように見えたのだろう。

何も知らず下手な情報に踊らされて感情的になるのは彼らしくない行動だ。だが風邪気味らしくマスクをして現れた時点でそれは仕方ないことだと思っている。

そしてそんな不調の相手に手を出そうとは、普通の人間なら思わない。

 

「熱があるように思えるのですが、今の体温は?」

「…あー…、どうだろ」

近い距離は保ったまま石黒が真面目な顔で問いかければ光秀が顔を背ける。

「さっきはかった時は熱なかったんだけどな…」

今はたぶんあるよなとつぶやく光秀から離れた石黒は研究室へ移った。棚から温度測定器を取り出すと研究室の施錠をした上で奥の部屋へ戻る。

そして無言で機械を光秀に向けて測定し始めた。

「おまえそれ体温計じゃねぇだろ」

「放射温度計ですからね。しかしだいたいの温度はわかりますよ」

「正確に体温はかれねぇだろって話だ」

高温の鉄板などの温度をはかることを目的とした道具で体温をはかることは難しい。それを指摘した光秀の目の前で石黒は仕方ないですねとつぶやいた。

温度計を元の位置に戻すと今度はごく一般的な体温計を持ってくる。

「向こうのソファに移動しなさい」

「は? ここでも体温くらいはかれるだろ」

「座った状態では無理です」

「…そう、だったか?」

外科として長い光秀は石黒に断言されて自信を弱めた。体勢を横にして安静にした状態ではかるべきだと石黒は言いたいのだろう。そう考えるまま石黒が寝所として使っているソファへ移動する。

だがソファに腰かけたとたん乱雑に押し倒され光秀は思わずカツラを手で押さえた。だがさらに石黒の手がスカートの中に入り込むと慌ててその腕をつかむ。

「てめっ、なにやってんだよ!」

「正確な体温を測れと言いましたよね?」

「だからふざけてねぇで体温計渡せ」

「無理ですよ」

「は?」

発言の意味を理解できない光秀は足をつかみ上げられ慌ててスカートの裾をつかんだ。しかし石黒は光秀の足を自分の肩に乗せてさらに反対の足を押し広げさせる。

その状態で棒状体温計をケースから取り出すとスカートの中に手を入れ下着を引っ張った。

 

魔女の衣装に着替える際、光秀は律儀に下着まで変えてくれている。もちろんそうしなければガーター部分がおかしくなるということもあるだろう。しかし元々真面目で律儀な性格がここに出ているのだろうと石黒は考える。

「動かないでください。体温計が割れて怪我をしますよ」

「まさかおまえ…」

「直腸で測ったほうが、より正確な体温を知ることができますからね」

石黒の落ち着いた声色を聞きながら、光秀は体内に入り込む違和感に息を詰めた。細い棒が中に入り込んでも違和感以外の何もない。痛みも何も感じない状態に戸惑っていると不意に石黒と目があった。

「体温計を入れた程度では何もないみたいですね」

「何が言いたいんだよ」

「物足りなさそうな顔をしてますよ。しかしこのまま三分は我慢してください。その後であなたの欲しいものを差し上げますから」

滅多に笑顔を見せない石黒がにこやかな顔で卑猥なことを言う。その性格の悪さに悪態つこうとした光秀だが返す言葉は思い付かなかった。

 

発熱のためともわからない顔の熱さを感じながら石黒の襟元をつかみ強引に引き寄せる。そうして顔を近付けさせるとにらむように見つめ軽いキスをした。

「こっちが先だろ」

「その服装になると欲しがりになるんですか?」

「あー、そうだよ。だから三分も待たせんな」

女装した状態で顔を赤らめ挑発してくる上司を前にして石黒はため息を漏らした。眼鏡を押し上げながら、「あなたという人は」とつぶやく。

 

 

 

午後の回診を終えた真琴の内線携帯に着信が入る。急患かと思われたが電話の相手は石黒で光秀の状態を確認するものだった。そのため朝のうちに内科部長に見つかり診察されたらしいことを告げる。

その上で慶次が渡した薬を一回飲んだ事も付け加えた。

にぎやかな院内の廊下を歩きながら電話で話していた真琴は前方を歩く白雪姫の仮装を眺める。しかしすぐに目を移すとそばを歩く小児患者たちを眺めた。

昨日手術した五歳の患者はかなり回復していて今日の朝食は残さず食べたと聞く。もちろん開腹手術の後であるため献立は重湯を主とした消化の良いものだ。それも気に入らない患者はお菓子が食べたいと母親や看護士に訴えているらしい。

「真琴っ、なんで無視するんだよー」

小児患者を眺めていると背後から肩をたたかれた。振り向くと仮装姿の慶次がいて、真琴が電話中であることを知る。

「あっ、ごめん。電話中か」

照れたように笑った慶次はそのまま半歩引き下がった。真琴は慶次が来たことを告げながら、できれば病人はそのまま引き留めて欲しいと頼む。

「溜まってる書類の大半は俺たちでも片付けられるものらしい。信長が総回診の後で分担して片付けてくれるから、俺も手伝うことにしてる。だから三成はそこの病人をす巻きにでもして寝かせておいてくれ」

真琴はにこやかな顔で頼み込むと電話を切った。その上で慶次に目を向けるとなぜか赤い顔を見せている。

「どうした? 慶次」

「あー…いや、かっこいいなーって…」

みっちゃんに指示を出せるなんてと慶次はふやけたような笑みをこぼして言う。そんな慶次を驚きの目で眺めていた真琴は、ややあって顔を背けた。そのまま周囲に目を走らせ知った顔がいないのを確認すると慶次の手をつかむ。

戸惑う慶次の手を引き近くの部屋へ入った真琴はひとつ嘆息を漏らした。そうして改めて慶次を見れば、なぜか緊張した様子で背筋を伸ばしている。

「慶次の白雪姫も可愛いけどな」

「そういうことは真顔で言うな! 本気で照れる……っていうか、かわいいって褒め言葉じゃないだろ」

真琴が少し褒めただけで慶次から倍以上の言葉が返ってくる。それに笑って返すと慶次から緊張が薄れたように見えた。

そのため改めて真琴は真面目な顔で慶次を見つめる。

「慶次、例の幽霊の噂なんだが…」

「あーあーあー、聞こえない聞こえない」

本題に入ったとたんに慶次は耳をふさいで顔を背けてしまう。その仕草すら今の仮装のせいか可愛く見えて仕方ない。

「いや、聞いてくれ。あれは幽霊じゃなく、幸村の悪戯なんだ」

「あーあー…へ? 幸村のイタズラ?」

話から逃げようとしていた慶次だが、悪戯だと聞いて耳をふさぐことをやめた。

「もしかしておれを驚かそうと…」

「違う。幸村がある人の服を隠して、魔女の衣装とすり替える悪戯をしたんだ。俺たちが研究室で見たのは、三成に助けを求めたその人だ。しかも俺たちが見た時はキスをしてたんじゃない」

「けど…き、キスをしないであんな顔を近づけることってないだろ?」

少しのウソをまぜて説明する真琴に、慶次は赤い顔のまま反論してきた。そのため真琴は目を細めると半歩前に出て慶次に接近し、顔を近づける。

ますます顔を赤らめた慶次は一瞬戸惑ったように目をさ迷わせた。だがすぐにぎゅっと力を入れたように目を閉ざす。

「…キスをしなくても、顔を近づけるくらいはできるだろ」

鼻先が触れるほど顔を近付けた真琴はささやく慶次の頬を優しく撫でた。そうして半歩引き下がり慶次から離れる。すると目の前には耳まで赤くした慶次がそわそわと周囲に視線を走らせていた。

「わかったか?」

「わわわわかった。みっちゃんはキスしてないし、人助けをしてたんだな!」

「ああ、そして今河が見たのは悪戯されたその人だ。だけど恋は絶対に実らないし、その人はもう現れない。ハロウィンの悪戯ができるのは今日までだからな」

恋について語ることができるほど、真琴は経験が豊富ではない。しかし幸村が誰のために悪戯をしたのかくらいはわかるつもりだ。そしてそんな幸村の親切が本人たちにまったく伝わっていないだろうこともわかる。

「…恋って、面倒だよな」

他人に背中を押されないと気持ちを伝えることもできない。しかも背を押されたことにすら、本人は気付いていない。光秀は臆病でも鈍感でもない頭の良い男で、外科医としても外科部長としても優秀だ。そんな彼がそこまでの状態に陥るほど恋というのは厄介なものらしい。

だとしたら自分はそんなものに関わりたくないと、真琴は少しだけ思う。今は患者に集中していたいし、なにより外科医として負けたくない相手がいる。

 

唐突に白衣の胸ぐらをつかまれた真琴はそこで我に返った。しかし相手に焦点を合わせる前に頬に一瞬だけキスをされる。

それに驚き慶次を見れば彼は赤い顔のまま勢いよく真琴から離れた。あげく部屋の扉に手をかけ勢いよく開かせる。

「油断してると噛み付かれるからな!」

白い肌を真っ赤に染めた慶次は謎の言葉を残して飛び出していく。そうしてひとり残った真琴は頬に手を当てたまま立ち尽くしていた。

 

 

 

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