体温計とはまったく違う圧迫感に息が詰まる。ゆっくりと体内に侵入してくるそれは下腹部だけでなく脳まで侵そうとしていた。
快感を手に入れるまでは途方もない苦しさだけが支配する。それでも繰り返してしまうのはこの行為に依存性でもあるからか。それともその後で待ち受ける快楽に脳が溺れてしまっているためか。
抜き差しを繰り返す中で苦痛は快楽に変わり完全に脳を支配した。あげく身体も自分ではない何かに操られているように快楽を求めて勝手に動く。
「……っあ、ぁあああっ」
上下に揺すぶられ、脳まで突き抜けるような刺激に声があふれる。それすらも光秀の意図しないものだった。
ただ最初に手加減しようとした石黒に、手加減するなと言ったのは光秀だ。それでもおそらく今の石黒は手加減してくれているだろう。
だが発熱と快感に支配された頭ではもう何をされているのかもわからない。できるのはただ相手の背中に手を回してしがみつくことだけだった。
やがて全身に電流が走ったような錯覚とともに何度目かわからない絶頂を迎える。
息を詰めて何かに耐えようとするが、何に耐えているのかわからない。そんな状態にありながら、頭の片隅で石黒は望んでこれをしているのかと考えた。
優しさとは遠い位置に立つ男は上司の戯れにどこまで付き合ってくれるのだろうか。
「……息を吸ってください」
不意に聞き慣れた声色が入り込み思考の世界から引き戻される。ゆるゆると視線を持ち上げるとすぐ近い場所に眼鏡越しの真剣な目があった。その目を見ながらこいつこんなにまつげが長かったかと考える。
「俺の声は聞こえてますか?」
「……は…っ」
優しい声に返事をしようとしたがうまく声がでなかった。呼吸器官が麻痺したように固まり喉もうまく動かない。
「大丈夫ですから、ゆっくりと息を吐き出してください」
言われるまま息を吐き出し、再びゆっくりと息を吸い込む。それを繰り返すことで脳内に酸素が取り込まれ視界がわずかに明るくなった気がした。
「いし…ぐろ」
「少し意識が飛んでいましたね。ここまでにしましょう」
離れかけた石黒の首にすがり付くように腕をまわす。
「……おれ…おまえが好きだわ」
理性を失ったように叫び続けたため声はかすれて聞こえにくい。それでも光秀は弱い笑みをこぼしながら告げていた。
そんな光秀を前にした石黒は目を見開かせた状態で硬直する。
病人の看病は行為の後始末ほど手間取ることではない。外科医ではあるが医療従事者として病人の対応は心得ている。それでもと石黒はソファで眠る上司を見つめた。
そもそも病人に酷使させている時点で医療従事者として間違っている。
そこまで考えた石黒は医療従事者として正しいことを求めて内線携帯を手にした。
真琴に電話をかけて外科部長の体調について質問を向ける。すると朝のうちに内科部長の診察を受け、薬も処方されているのだという。
説明を聞いた石黒はひとり立ち上がり研究室を後にした。既に薬が処方されているのならそれを飲ませなければならない。それに診察したという内科部長と話をして判断を仰ぐ必要がある。
職員室へ向かった石黒は内科部長を見つけて話しかけた。外科部長の状態を伝えた上でどうすべきかと対処法を質問する。すると内科部長から内科の病室がひとつ空いていると告げられた。
「それは入院させる、ということですか?」
「そこまでは言わないけど、半日こちらで預かって様子を見るのも悪くないと思うよ。彼は敵が多いから、弱った姿を外科部でさらすより良いんじゃないかな」
「でしたら、帰らせたほうが良いのではと思うのですが」
「彼を診てあげられる人がいるなら、それでいいよ」
「では問題ありません。ご助言ありがとうございます」
弱った姿をさらすというのなら、内科の人間にも今の外科部長を見せたくない。そう考えた石黒は内科部長に頭を下げてその場を離れる。
そうして職員室を出ようとしたところで慶次と出くわした。
白雪姫の仮装をしている慶次はこれから小児科へ行くところだと言う。そんな慶次の元へシンデレラに扮した秀吉が合流する。
「小児科で何をするんですか?」
「子供たちと簡単なお遊びやね。追いかけっこくらいは覚悟しとるよ」
石黒の問いかけに秀吉が答えた。午後は本格的にハロウィンの催しが行われるらしい。
「そういえば明紫波センセ見かけへんけど、石黒センセは知ってます?」
「何か用があるんですか?」
「用はないけど、昨日の魔女さんにはならへんのかなぁって」
青いドレスの裾をつかみながら秀吉はにっこりと微笑む。しかし対照的に石黒は不機嫌に眉をひそめていた。
「見たんですか?」
「資料室におったら、あちらさんが飛び込んできはりましたんで」
不可抗力やと笑顔のまま言い放った秀吉は慶次にもう行こかと声をかけた。そのため慶次は驚いた様子のまま秀吉と石黒とを交互に見やる。
「もしかしてあの魔女って…」
「ほら前木センセ、遅刻してまうよ」
確信に迫りかけた慶次の腕をつかみ秀吉が職員室から出ていく。その間際、秀吉はちらりと石黒に目を向け笑顔を強めた。しかし何を言うでもなく立ち去っていく。
片手に棒付き飴を持ちもう片方の手には営業から預かったサンプルを抱える。そうして研究室にやってきた真葉は無人の研究室を見回した。
「なんだ、いねぇのかヨ」
サンプルの入れられた箱を机に置いた真葉は奥の部屋に向かう。論文に集中する時などは奥の部屋にこもるのだと聞いたことがあったのだ。しかし奥の部屋に入っても石黒の姿は見つからなかった。
その代わりのようにソファで毛布にくるまっている光秀を見つける。
「……マスクつけてるってことは風邪かヨ。弱っちいナ」
自分の悪戯のせいとも知らない真葉はソファの横にしゃがみこんだ。マスクごしに鼻先をつついても光秀が目を覚ます様子はない。
「おーい、起きねぇとイタズラするぞ」
頬を軽くたたいても肩を揺すっても起きる気配が見られない。しかし肩に手を置いた拍子に触れた首の熱さに真葉は顔をしかめた。
「あちぃ…ナ」
改めて首元に手を当てて熱をはかる。だいたいの体温を把握した真葉は嘆息を漏らした。そんな真葉の目の前で眠っているはずの光秀の手があがる。
ゆっくりとあげられた手はそのまま真葉の袖をぎゅっとつかんだ。
「あけ…」
「……いし…ぐろ」
熱にかすれた声が呼んだ名前に真葉は口を閉ざす。マスクにおおわれた口許が何かを告げるようにゆっくりと動いた。耳を澄まていなければ聞こえないほどに小さな声が「いくな」と訴える。だがこの男がすがりたい相手はここにはいない。
しかし真葉の袖をつかむ手は離れることなく今も握られている。
「おまえら、年上のくせに手間ばっかかけるよナ」
ふたりとも素直じゃないから面倒なことになるんだろう。そう考えた真葉はだるそうな顔で床に座り込んだ。
薬袋を手に研究室へ戻った石黒は見知らぬ箱に目を落とす。箱にあるのは医大が使っている製薬会社で、サンプルと走り書きされている。それだけで用途を理解した石黒はさらに奥の部屋へ足を向けた。
そして一歩中へ入り、そこにいた金髪の麻酔医に目を止める。
「ここで何をしているんですか?」
「病人を見ててやったんだヨ」
問いかけた石黒に真葉が答える。それだけで石黒は眉をひそめ顔をしかめた。
「風邪、引いてるんだナ」
「あなたが薄着をさせたせいですよ」
「……そっか。悪かったナ」
ソファのすぐそばに座り込んでいる真葉はそう言いながら光秀に目を向けている。その状況も石黒が顔をしかめるには十分だった。
「あなたは明紫波のことをどう思っているんですか?」
「ウゼェし、めんどくせぇヨ」
石黒から向けられたまっすぐすぎる質問に真葉も素直に返す。その素っ気ない言葉とは裏腹に、袖をつかむ手を離させる手は優しい。そっと光秀の手を離させるとその手をソファに置いてトントンと優しくたたく。
そうして立ち上がった真葉は改めて石黒に顔を向けた。
「あいつ、石黒の名前呼んでたヨ。間違えておれの腕つかんでたけどナ」
そう言い放った真葉は飴をなめながら部屋を出ていく。石黒はそれを見送ると大きなため息を吐き出した。眼鏡を押し上げながらソファで眠る光秀を眺める。
肩をたたかれ目を覚ました光秀はしばらくぼんやりとそばにいる人間を見つめた。だが相手から大丈夫かと問われたため無理やり自分を覚醒させる。
「……すげー寝てた気がする」
「もう17時ですからね」
「は?」
告げられた時刻に驚いた光秀は手を持ち上げるようにして腕時計を確認しようとした。しかしいつもの場所に腕時計が収まっておらず、自然とその目は石黒に向けられる。
「俺の時計は?」
「着替えた時にはずして机に置いたでしょう」
「あー……そっか」
自分で置いたことを指摘された光秀はゆっくりと起き上がった。今も身体の節々が痛み頭も重い。それでも動けない程ではないため、書類の片付けくらいはできるかと頭を巡らせる。そんな光秀に石黒が腕時計を差し出してくれた。
そこでやっと、自分があの魔女の服から着替えられていることに気づく。
「着替え、やってくれたのか」
「ドロドロでしたからね」
世話になった礼をと思っていた光秀は石黒の言葉に絶句する。そうして黙り込んだ光秀は腕時計をはめると靴を履いて立ち上がった。それを待っていたかのように石黒が口を開く。
「帰りましょうか」
「ん? おまえ帰るのか?」
「あなたを帰らせるんですよ。内科部長から話は聞いています」
「マジかよ…」
そこまでされていたのかとつぶやいた光秀は大きなため息を吐き出した。