ハロウィンと小児患者の話   作:とましの

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最終話

半ば強制的に早退させられた光秀は当然だが車の運転もさせてもらえなかった。石黒の運転でマンションに帰るが、その途中で石黒は寮へ寄ると言う。助手席で半分寝ていた光秀はそんな石黒の好きにさせて帰路に就いた。

そうして帰宅した光秀は解熱剤を飲むためキッチンへ向かう。しかし石黒に腕を捕まれリビングで足を止めた。

「あなたは寝ていてください。必要なものは俺が用意します」

「あー、それはいらねぇわ」

看病するつもりらしい石黒に光秀はいらないと言う。そんな光秀を石黒は真面目な表情のまま凝視してきた。

「食欲がないのはわかりますが、何か胃に入れたほうがいいですよ」

「いや食うけどさ。これ以上おまえの手間はかけねぇよ。ここまで送らせて悪かったな」

苦笑を浮かべて告げた光秀はそのまま寝室へ移動した。腕時計をはずしながらクローゼットを開かせ寝間着を取り出す。それをベッドに投げたところで身体のだるさが勝ってベッドに倒れ込んだ。

「やっぱ解熱剤だなこれ…」

身体がダルいというよりも、強烈な睡魔に襲われているような感覚に陥る。既に日が沈み薄暗かった室内はさらに暗く陰っていき光秀は目を閉ざした。

たかが風邪でここまで重症化するのは年齢のせいか。そう軽く考えながら力を振り絞って意識を覚醒にうながす。

ここで起きなければ解熱剤が飲めない。

そんな意気込みで起き上がろうとした光秀の肩に手が乗せられ押し返された。

目を開かせその手を見やり、そのまま腕を伝って相手を確認する。その真面目な顔を見た瞬間、光秀の中に小さな安堵感が生まれた。

「あなたは馬鹿なんですか?」

しかし光秀の中の安堵感は石黒の一言によってかき消される。

「なぜここまでの状態になっても誰かを頼ろうとしないんですか」

「たかが風邪で…」

「その風邪で、40度近い熱を出しているのは誰ですか」

光秀の反論を叩き潰すように石黒が体温計を見せてくれた。いつはかったのか、電子体温計が40度近い数値を示している。

自分の体温の高さに驚いている間に石黒が体温計をケースにしまった。そして顔を背けると眼鏡を押し上げる。

「最近もまた徹夜が続いたようですから、その疲れもあるのでしょう。そういう時は素直に周囲の人間を頼ってください」

「自覚してなけりゃどうしようもねぇよ。それにおまえは研究があるだろ」

「急ぎのものはありませんよ」

「けどヒマでもないだろ」

あくまで折れない姿勢を見せた光秀はベッドの上に置いたままの寝間着を手繰り寄せた。起き上がり服のボタンをはずしていると石黒が寝室から出ていこうとする。

部屋から出ていくその背中を眺めていた光秀だがひとりになると大きく息を吐き出した。

「…ほんと、不甲斐なさ過ぎてぶん殴りたくなるわ」

自分への苛立ちに薄い笑いをこぼしながら寝間着に着替える。帰宅した時に石黒が言っていたとおり、何か胃に入れたほうが良いだろう。そう思い立ち上がろうとしたところで石黒が寝室に戻ってきた。

差し出されたカップを受け取った光秀は湯気を立てた白い液体を眺める。

「なんだこれ」

「甘酒です」

「そういえば甘酒も米でできてんのか」

石黒らしいチョイスだと思いながらも、やはり笑ってしまう。

「飲む点滴と言われるほど栄養素が高いんですよ」

「それはすげぇな」

石黒の説明を聞きながら光秀は甘酒を少し飲んでみる。名前のとおり甘いそれはほんのりと子供の頃を思い出させる味だった。

「もし食べられるなら何か作りますが」

「これだけでいいや。甘酒うまいし」

普段ならこんな甘いものは飲めないだろう。しかし朝から何も飲み食いしていない今は甘酒も美味しく感じる。

甘酒を飲み干すと待っていた石黒が手を差し出してきた。その手にカップを持たせると再び寝ているよう告げられる。

「わかった。薬飲んで寝るわ」

そう返すと石黒は手にしていた水のボトルを差し出してきた。ボトルを受け取り石黒が出ていくのを眺めた上で薬袋を開かせる。朝のうちに診察を受けた光秀は風邪の診断とともに様々な薬を処方されていた。

二種類の錠剤と解熱剤を飲んだ光秀はふと手元のボトルに目を落とした。自分の家にはない物だが、石黒はこれと甘酒を取りに行くために寮へ立ち寄ったのか。そんなことを考えながらベッドに潜った。

 

 

時刻が午後11時を過ぎた頃、リビングでパソコンと向かい合っていた石黒の携帯が震えた。着信に出た石黒は顔をしかめたまま電話をかけてきた信長の話を聞く。

珍しく電話をかけてきた理由は光秀の書類をほぼ片付けたという報告のためらしい。つまり外科部長の仕事はないから安心して休ませろと言いたいのだろう。

そしてさらについでのように豊白が持っていた魔女の写真を消したとも言う。

「持っていたんですか」

『資料室で撮ったらしいね。慶次にそれを見せて説明していたよ。幸村から理由も聞いたけど、面倒だからさっさとくっつきなよ』

「うるさいですよ。もう電話を切ります」

不躾な忠告に反発しつつ石黒は通話を切った。しばらく携帯の画面を見ていたが、それを手放すとパソコンを閉ざす。

そこでドンっと何かの落ちる音が聞こえて目を見張った。急ぎ様子を見に行くと床に水のボトルと光秀が落ちている。

無言で眺める石黒の目の前で起き上がった光秀はマスクの位置を戻す。あげくふらりと立ち上がりベッドに腰を下ろした。

水のボトルを拾った石黒は光秀の前で膝をつくとそれを差し出す。

「これを取ろうとしたんですか?」

石黒の問いかけに光秀は押し黙ったまま首を横に振った。そのため自然とその目はサイドボードに向けられる。そこで携帯電話を見つけた石黒は目を細めた。

「携帯で誰に連絡をしようとしていたんですか? 仕事の指示でしたら……」

「……から…」

携帯に目を向け問いかける石黒の言葉の隙間に小さくかすれた声が忍び込む。その小さすぎる声が聞き取れず石黒は光秀に目を戻した。

「なんですか?」

しかし光秀は首を横に振ると無言のままベッドに潜り込もうとする。そんな光秀を追うよう立ち上がった石黒はベッドに手をつき枕元に顔を近づけた。

「俺には話せないことですか?」

追い込もうとした石黒の眼下で光秀が咳き込み始める。苦しげに丸められた背中をさすっていると咳が収まった光秀が顔を背けたまま口を開く。

「…まえが……いなかったから……」

「呼ぼうとしたんですか? 俺を」

ゆっくりと浸透していく驚きとともに光秀を見つめる。だが不意に袖口近くをつかまれる感触に気づいて目を移した。光秀の無骨な手がなぜかシャツの袖をつかんでいる。

それを見た石黒は夕方の研究室での出来事を思い出した。あの時の光秀は眠りながら真葉の袖をつかんでいる。しかし真葉はそれを間違えたのだと言っていた。

「リビングの明かりを消してきて良いですか?」

承諾を得るべく問いかけると袖をつかんでいた手が離れる。

リビングの照明を消して寝室に戻ると光秀はすでに眠り込んでいた。おそらく先程の行動も寝ぼけてのことだろう。そう思いながら石黒は光秀へマスク越しにキスを落とした。

 

 

ハロウィン翌日に病欠した外科部長はその翌日もマスクをつけた状態で出勤していた。早朝に出勤した前木は職員室で外科部長を見つけて駆け寄る。

「おはようございます。風邪は大丈夫ですか?」

たかが風邪とは言え、話を聞く限りかなり重症化していたらしい。そのため内科医である前木は心配のまま問いかけた。

すると書類に目を倒していた外科部長はマスクをつけたまま前木を見上げる。

「もう治った」

「ホントですか? 明紫波さん無理しすぎるところがあるし…」

さらに心配を向ける前木の目の前で外科部長は目を細めて笑った。

「俺より心配しなきゃならない相手が地下にいるぞ」

「地下ですか? あ、もしかしてみっちゃんまた徹夜続きなんですか?」

「あいつも風邪を引いてるんだよ」

笑いながら言い放った外科部長は再び手元の書類に目を落とす。それを眺めていた前木は首をかしげた。だがふと何かを思い出したように顔を赤らめる。

「そっ、そういえばみっちゃんに用事があるんだった! すみません明紫波さん失礼します!」

慌ただしく駆け出した前木はその足で職員室を飛び出していく。それを見送った外科部長は再び仕事に戻った。

ある程度仕事を進めて午前10時半を過ぎた事を確認した外科部長は席を立つ。職員室を出るとその足で小児科病棟へ向かった。

他の病棟よりはにぎやかな空間に入るとナースセンターがわずかにざわめく。その理由を知らぬまま歩を進めて目的の病室のドアを開けると明るい声が飛んできた。

「ここは仮面ライダーのおかしうってないんだよ!」

朝から母親相手に駄々をこねているらしい患者の声を聞きながらカーテンを開かせる。するとベッドに元気そうな五歳の少年がいた。

「おはようございます」

「外科部長!」

母親へ挨拶を向ける脇で患者の元気な声が飛ぶ。個室とは言えそこまでにぎやかでは看護士に注意されそうだ。

「徳川せんせーが外科部長はすげーいそがしいって言ってた。たくさん命たすけてるから毎日大変そうだって」

「ここの人間は全員そうだよ」

ここは命を救う場所だからと子供の戯れ言に笑顔で返す。

「看護士も医師も全員が患者を救うためにがんばってる。他の病院だってそうさ」

「けどほかの病院はおれを助けなかったぞ。外科部長がたすけてくれた」

病院をいくつかたらい回しにされたことをまだ根に持っているのだろう。そんな幼すぎる患者に外科部長はそんなことはないと返した。

「医者も神様じゃないから、できることとできないことがある。そんな時は、患者のために他の医者を頼ることもするんだよ。おまえが今まで行った病院からカルテが全部届いてるからな。検査の結果も病状も、全部教えてもらってる。俺はそのリレーのバトンを最後にもらったアンカーだっただけだよ」

今まで患者が出会った医師たちも自分にできる最善を尽くした。その結果として今こうして元気でいられる。そんな話をしても、五歳の患者には理解できないだろう。それでもと話をすれば患者の母親が確かにそうですねとうなずいてくれた。

「けど外科部長はすげーだろ?」

「俺ひとりだったら風邪にも勝てねぇよ」

「そんなわけないだろー」

何もわからない五歳児は冗談だと思ったらしく笑いながら否定する。しかし母親は何かに気付いたように大丈夫ですかと問いかけてきた。そのため外科部長は頭を下げながら大丈夫ですと返す。

「でも…声が、まだ少し枯れてますよね?」

「すみません。医者の不養生です。それよりご子息は明後日の退院が決まったそうですね。おめでとうございます」

話題をそらすように話を向ければ母親が嬉しそうに微笑んだ。するとベッドに座っている患者が退院したらお菓子を買うんだと教えてくれる。

「あとおれ、帰ったらべんきょうする。それで外科部長みたいな医者になる。外科部長はすげーヒーローだから」

「またそんなこと……すみません」

子供らしい無邪気さで語る息子の姿に母親は謝罪を口にする。そんな母親に大丈夫ですと返した上で改めて退院祝いの言葉を向けた。

そうして病室を後にすると顔の熱さを感じながらマスクを引き上げる。

 

 

仕事に戻る途中で売店に立ち寄った外科部長はコーヒーなどの飲み物を買った。その足で職員室へ戻るとまた前木がやってくる。

「明紫波さん、みっちゃんを診察してきました。風邪だったので薬をだして……」

前木の話を聞きながら売店で買った缶を取り出してふたを開ける。その缶を見た前木は間違ってませんかと問いかけてきた。

「何を間違ってんだ?」

「それ甘酒です、けど」

「あー、これうまいよな」

甘いものは大丈夫なのかと問いかけたいのだろう。そんな前木の目の前で外科部長はマスクを引き下げて缶の甘酒を飲む。

そして味の違いに驚き眉をひそめた。

「なんだこれ」

「ですから甘酒ですって」

「甘すぎるだろ」

「甘酒は甘いですよ」

互いに言葉をぶつけ合ったふたりはしばし見つめあう。そして前木以上に外科部長が困惑に顔をしかめ手元の缶を見つめた。

「俺の舌がバカだったのか」

一昨日の自分は高熱のあまりものの味もわからなかったのか。呆然としながらもつぶやいた外科部長は缶の中身をどうしようかと悩み始めた。

そんな外科部長の様子を見ていた前木はそばに立った気配に気づいて目を向ける。

「あ、みっちゃん。ここに来るの珍しいな」

「珍しくないですよ。それより…何をしてるんですか?」

嬉しそうな顔で声をかける前木に返しつつ、石黒は外科部長に問いかけた。すると外科部長は困ったような顔で石黒を見上げる。

「おまえこんな甘いもん飲んでたんだな。つーかこれうまくねぇわ」

そう言い放った外科部長は渋い顔で新たに缶コーヒーを取り出しふたを開けた。ブラックのコーヒーを飲みながら石黒の差し出した書類を受け取る。

「おまえが書類を取りに来させないなんて珍しいな」

「そうですか?」

軽く茶化した外科部長に素っ気なく返した石黒はマスクを押さえながら軽く咳き込んだ。そんな石黒と外科部長とを交互に眺めた前木は白衣のポケットから飴を取り出す。

「明紫波さん、これのど飴です。みっちゃんも」

のど飴をひとつずつ手渡した前木は仕事に戻るからとその場を立ち去った。その背中を眺めた外科部長は改めて石黒が提出した書類に目を通す。

「……市販の甘酒は砂糖が含まれているんですよ」

書類を読み込んでいた外科部長の頭上からぽつりと声が落ちた。それに驚いた外科部長はすぐに石黒の顔を見上げる。しかし石黒はマスクを押さえたまま顔を背けていた。

マスクに隠れてしまった横顔を眺めていた外科部長は不遜な笑みを浮かべる。

「風邪、移しちまって悪かったな」

「うるさいですよ。早く目を通しなさい」

「それが上司に向ける言葉かよ。ったく……」

愛想どころか不躾な態度を向けられた外科部長は笑いながら書類に目を通した。その上で認証印を押すと石黒に返す。

そこでやっと石黒の目がこちらに向けられた。

「手が空いたら研究室へ来て下さい」

「取りに行かないといけない書類でもあるのか?」

それなら今持ってくればいいのにと外科部長は軽く笑いながらマスクを引き上げた。その上で今から取りに行くつもりなのか立ち上がる。

「急ぎの論文はなかったよな」

石黒が何をしたいのかわからない。しかしそれを面倒に思うことなく外科部長は席を離れた。来週末は学会があり石黒も参加予定だ。だとしたらそれに関係することだろうか。しかしそれなら急いでするほどの事ではないだろう。

「俺が飲んでいるのは市販のものではありませんよ」

前を歩く石黒に言われて外科部長は眉を浮かせる。

「もしかしておまえの手作りだったのか」

「米本来の味を引き出すには糀だけで作らなければいけませんからね」

「あー、おまえっぽいわ」

砂糖の甘味は米の邪魔をするなんて事を言い出しそうだ。そう思いながら笑った外科部長は職員室の入り口で今河と遭遇した。

苦々しい顔で石黒を見ていた今河は外科部長に気付き会釈する。

「あー、そうだ。先生の担当患者なんだけどな」

「何かクレームでも?」

外科部長が話しかけると今河は苦々しい顔から一転して緊張の面持ちを見せた。そんな今河に笑いながら逆だと

返す。

「病院宛に礼状が来てたぞ。医師の名前はなかったが、患者の名前と内容から今河先生の担当だとわかった。説明もわかりやすく安心してオペに挑めたって書いてある」

そう告げた外科部長は今河の肩をたたき机に手紙があるからと告げて立ち去る。それを見送った今河は外科部長の背中を呆然と眺め、ふと眉をひそめた。

そんな今河の視線に気づくことなく外科部長は石黒とともに廊下を歩いていく。

「そういえば患者の親御さんに声のこと指摘されたぞ」

「前木ものど飴をくれましたね」

地下へ向かうべく歩を進めながら外科部長はのど飴を取り出した。それを袋から取り出すとマスクの隙間から口に放り込む。

「風邪のせいじゃねぇのにな。前木に気ぃ使わせちまった」

「良いんじゃないですか? 前木たちはもう知ってますから」

「何を知ってるんだよ」

主語を口にしない石黒を見上げて外科部長は問いかける。その間に階段へたどり着いたためふたりは地下へ向かうべく降りていく。

「おい、石黒」

地下へ降りながら外科部長は前を歩く部下を呼んだ。すると降り立ったところで石黒が振り向くように外科部長を見上げる。

「俺があなたを好きだという事を、既に彼らは知っています」

石黒は眼鏡越しに真面目な視線を向けながら言い放つ。それが外科部長の脳に到達すると同時にその手からのど飴の空袋が落ちた。

 

 

 

 

 

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