鳳翔の親父さんが倒れたらしい。
大事には至らないとのことであったが、心配なのか、鳳翔は何かと手付かずでいた。
「響と二人で話したのだが、やはり行ってやった方が良いんじゃないか? お前も心配しているのだろう?」
「えぇ……まぁ……。しかし……ここを空ける訳には……」
「俺たちは大丈夫だ。お前が来る前も、俺と響は二人っきりだったしな」
「そうだよ。私たちは大丈夫だから」
「久々に親孝行してやれ。あれ以来、帰っていないし、いい頃合いだろう」
「……そうですか? では……お言葉に甘えさせていただきましょうか……」
「あぁ、羽を伸ばしてこい」
出発する直前、鳳翔は俺に色々とやるべきことを伝え始めた。
「――それから、食器を洗う洗剤はこれで……」
「い、いや、もう大丈夫だ。そんなことまで教えて貰わなくても分かる。それよりも電車、時間は大丈夫なのか?」
「あら、もうこんな時間……。うぅぅ……提督が大丈夫なのは分かりますけど……やはり心配というか……」
「まあ、お前に比べたらアレなんだろうけどさ……。何かあったら連絡するから、とりあえず親父さんの心配をしてやれ」
「は、はい……。すみません……。あ……提督、一つ宜しいですか?」
「ん、なんだ?」
「あの……その……しばらく会えないので……」
鳳翔は恥ずかしそうに目を瞑ると、小さく顎を突き出した。
「フッ……」
軽く口づけしてやると、今度はそっと寄り添った。
「親にたくさん甘えて来い」
「帰ってきたら、提督も甘えさせてくれるのでしょうか……?」
「親に甘えるだけでは足りないのか?」
「足りないと言いますか……最近はあまり二人っきりになれていないと言いますか……」
「そうであったな。帰ってきたら、二人でどこかに行こうか。響が学校に行っている間にでも」
「約束ですよ?」
「あぁ、約束だ。もう時間だろ? 行ってこい」
「はい。行ってきます」
離れると、鳳翔は小走りで家を飛び出していった。
やっぱり時間ギリギリだったんだな。
「さてと、響が学校に行っている間にやっておかなきゃいけない事は……」
鳳翔が残していったメモを見ながら、俺は家事を始めた。
「ふぅ……」
洗濯物を干したところで、いったん区切りがついた。
以前はこんなに大変だとは思わなかったものだが、鳳翔の丁寧なやり方を真似てみると、いかに自分ががさつであったかを実感できた。
「提督さん……」
庭植木の向こう側で、瑞鶴がこちらを覗いていた。
「おう。学校はどうしたんだ?」
「今日はテストで帰りが早くて……って、そうじゃなくて……どうして家事を提督さんが……? もしかして……鳳翔さんに逃げられたの……!?」
「何故そうなる……。まあ、鳳翔が実家に帰っているのは事実だがな」
「えぇ!?」
家に上げ、事情を説明してやると、瑞鶴は安心したのか、いつものようにくつろぎ始めた。
「なーんだ。てっきり喧嘩でもしたのかと思った」
「何だとはなんだ。人が倒れたんだぞ」
「あ、そうだよね……。ごめんね。でも、そっかー……。提督さん、一人で大丈夫なの?」
「元々響と二人でやって来たしな。ある程度は出来る」
「ふぅん……。ね、私も何か手伝ってあげよっか?」
「何か出来たっけか?」
「前にお粥とか作ってあげたでしょ」
「加賀に教わったってやつか。それ以外は?」
「それ以外は……まあ……頑張れば出来ると思う……」
「頑張りの問題なのか……。だが、そういう気持ちは嬉しいよ。これから夕食の買い物に行くのだが、一緒に来てくれるか?」
「うん。もちろん、ご褒美はくれるんでしょ? 駅前に美味しいケーキ屋があってね?」
「結局それ目当てか……。分かったよ。帰りに買っていこう」
「わーい! 提督さん大好き!」
それから瑞鶴と買い物に出た。
献立とレシピは鳳翔から聞いているから、何を買うのかも把握済みだ。
「提督さん、おしょうゆ持ってきたよ!」
「おう……って、そりゃめんつゆだろ……」
「あ、本当だ。間違えちゃった。にひひ。戻してくるね」
「フッ……ったく……」
鳳翔が実家に帰っても、以前のように一人で買い物って訳には行かせてもらえないもんだな。
それだけ、俺の周りは随分とにぎやかになったと言うことなんだろうな。
「提督さん、今度こそおしょうゆ!」
「ん、でかした」
ケーキを買ってやると、瑞鶴はすぐさま帰ると言い出した。
「家で食っていけばよかろうに」
「そうしたいんだけど、これから鈴蘭寮に行く予定なんだ」
「鈴蘭寮? これまたどうして」
「大和さんがさ、お夕食食べに来ないかって。見学も兼ねて」
「住むのか?」
「そうしようかなぁって。提督さん達を見てて、私もなにかしなきゃって思ってたんだ。まだ学生だけどさ、親に甘えすぎているのもどうなんだろうって」
「ただでさえ俺に甘えているお前がか?」
「提督さんは甘えていい人だもん。だから話は別。それに……鈴蘭寮に加賀さんが来るんだって。だから、私も行こうかなって……思ったり……」
おそらくそっちがメインなんだろうな。
「そうか……。いや、そうか……」
「なになに提督さん? 何をそんなに噛み締めているの?」
「いや、なんというか……時は過ぎて行くものなのだなと思ってな……。響もいつか、俺たちの元から去ってしまうのだろうなって……」
「そういうものでしょ。親だったら、巣立つ子供を喜んで送るものだよ?」
「……そうだな。瑞鶴、お前も巣立つ時か。お前も俺たちの家族の一員みたいなもんだ。喜びもあるが、なんとなく寂しくも感じるよ」
「……やだ、提督さん。そんな顔でそんなこと言わないでよ……。なんか……私まで悲しくなってきちゃうじゃん……」
「フッ……駄目だな……。年を食うと、涙腺が緩くなってしまうものなのだな……」
「まだまだ若いでしょ……」
そう言うと、瑞鶴はそっと寄り添った。
「大人になりたいって、ずっと思っていたけれど……今は子供のままがいいかもって思っちゃう……」
「そう思えるって事は、大人になった証拠だ」
気が付けば、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
俺の背が縮んだのか、はたまた瑞鶴の身長が伸びたのかは分からないが、隣に寄り添うその影は、俺のとそこまで変わらないほどに、遠くまで伸びていた。
瑞鶴と別れ、公園横を通りかかった時だった。
「司令官」
園内を覗き込んでみると、そこにはブランコに乗った響がいた。
「おう。こんなところで何しているんだ?」
「司令官を待っていたんだよ。買い物に行っていたんでしょ?」
「あぁ。なんだ、家で待っていたら良かったものを」
「家、誰もいなくて寂しい感じだったんだ。ちょっと怖くてね……」
そういや、前にもそんなこと言っていたな。
「そうか。じゃあ、一緒に帰るか?」
「うん」
響はブランコから飛び降りると、小走りで公園を抜け、俺の手をぎゅっと握った。
歩く二つの影が、段々と大きく伸びて行った。
「今日は学校で何をしたんだ?」
「今日は図工の日だったんだ。ほら、前に紙粘土を買ってくれたでしょ? それを使ったんだ」
「あぁ、あれか。何を作ったんだ?」
「たらこだよ」
「たらこってお前……」
「たらこは意外と奥が深いんだ。粒粒とか血管を表現するのに苦労してね」
「そ、そうか……」
それから響と他愛のない会話を続けた。
鳳翔と三人でこういう話をすることはあったが、二人っきりで話すのは、何だか久々な気がした。
二人で暮らし始めた頃なんてのは、今のような会話は、探り探り話すような、話題が無い時に話すような、そんな話題の一種だったようにも思える。
「なんだか懐かしいね」
響も同じ気持ちなのか、俺の方を見てそう言った。
「あぁ、そうだな。あの頃は、不安ばかりだったな……。お前にも気を遣わせたしな」
「ううん……。むしろ司令官の方が気を遣ってくれていたよ。私は……ただ甘えていただけで……司令官の為に何も出来なかった……」
「そんなことはないさ。こうして一緒に居てくれるだけで嬉しいよ」
その言葉に、響はどこか恥ずかしそうに帽子を深くかぶって見せた。
「……荷物、持つよ」
「え? 重いぞ」
「大丈夫、持つよ」
買い物袋を渡してやる。
重そうに両手で抱えると、体を逸らせてよろよろと歩き出した。
「無理するなよ」
響なりの恩返しってやつか。
これも前に――。
「…………」
本当に響の父親になったんだな。
以前はこうなるなんて、考えもしなかった。
親が見つかるまでの関係だと思っていた。
それが今では、いずれ別れの時が来ると思うだけで、こう、寂しくなると言うか……胸が締め付けられると言うか……。
「ほら、無理するな」
「大丈夫だよ。ちょっと重いだけ……」
「無理しているじゃないか……。なら、一緒に持とう。それならいいだろう? ほら、片方ずつ」
「……うん。ごめんね、役に立てなくて……」
「いいよ、別に。俺はお前の親だ。親は子供の成長を、無条件で見てやるのが仕事だ。子供は見守られるのが仕事」
そう言う意味では、親元を離れて鈴蘭寮へ行こうという瑞鶴は、本当の本当に大人になったと言えるだろうな。
家に帰ると、響は何か手伝うことはないかと息巻いた。
「司令官はそう言うけれど、やっぱり恩返ししていきたいと思っているんだ」
「そうか。じゃあ、ハンバーグを作ってもらおうかな。鳳翔が来る前にやったの、覚えているか?」
「うん。今度は失敗しない様に頑張るから」
「おう。期待しているぞ」
響がハンバーグをこねている間、鳳翔に電話をかけた。
『そうですか。順調そうで良かったです。こっちは「大げさだ」って怒られちゃいました』
「親父さんらしいな。とは言え、久々に帰ったんだ。親父さんだって、こっぱずかしいだけで、お前の帰りを喜んでくれているのだろう」
『だと良いのですけれど……』
「とにかく、こっちは大丈夫だ。たくさん親孝行してやれ」
遠くで鳳翔の事を呼ぶ親父さんの声がした。
声質からして、酔っ払っているようだ。
「なんだ、やっぱり喜んでいるんじゃないか」
『フフッ、そのようですね』
「そろそろ行ってやれ。こっちも響を待たせている」
『はい。あ、提督』
「なんだ?」
『……あ……愛しています』
電話口にしか聞こえない。小さな声だった。
「あぁ……俺も愛しているよ」
『で、では……』
電話が切れると同時に、響が俺の顔を覗き込んできた。
「うぉ!?」
「鳳翔さん?」
「あぁ、もう切れてしまったがな」
「そう……」
響は急にきりっとした顔を見せると、低い声で言った。
「……俺も愛しているよ……だって。かっこよかったよ、司令官」
「……そうか」
鳳翔の声が小さかった理由が、なんとなく分かった。
ハンバーグは形が完璧で、味までも完璧であった。
「美味いな」
「鳳翔さん超えたかな?」
「かもしれないな」
相変わらず小さくはあるが、その方が響らしくて俺は好きだ。
「ほら、口にケチャップついているぞ」
「ん……取って」
「自分で取れ」
「取ってくれなきゃずっとつけているよ」
響らしからぬ我が儘だ。
鳳翔がいないときって、こんな感じだったか?
「仕方ないな……。ほら、取れたぞ」
「ん……。口、汚しちゃうから、食べさせてよ」
そう言うと、今度は口を大きく開けてみせた。
「食事中はふざけるなって言っているだろ?」
「ふざけてないよ」
飯のお椀俺の前に運ぶと、響は膝の上に座った。
「おい」
「さ、食べさせて?」
やけに甘えてくるな。
今までだって、こんなに甘えることは珍しかったように思えるが。
「降りろ。食わせにくい」
「じゃあ、こうする」
対面式に座ると、再び口を開けた。
子供って、口を開ける時、目を瞑るよな。
なんでだろうか。
「分かったよ。ほらよ」
「ん……」
「もういいだろ。降りろ」
「えー? いいでしょ?」
「駄目だ」
「いいじゃないか」
「おい、いい加減にしろ。何をそんなにふざけているんだ?」
「ふざけてなんかないって」
「いいから降りろ。ほらよっと……。ったく……」
無理やり降ろしてやると、響は不機嫌そうな表情を見せた。
「急にどうしたんだよ?」
「…………」
「響……?」
「だって……司令官、久々に二人っきりになったって言うのに、私を放っておいて鳳翔さんに電話しているから……」
「え?」
「私だって……いつも我慢しているんだ……。鳳翔さんがいないときくらい……私の事だけ見てくれてもいいじゃないか……」
脹れる響。
何と言うか、今まで見て来た響の甘え方とは違って、どこか大人びた甘え方というか、嫉妬というか……。
とにかく、あまり見たことのないパターンの怒り方をしていることは分かった。
「やきもち妬いているのか?」
「そんなところかな……」
「以前は我慢して、甘えていいと言われたら甘えていたお前が、随分積極的になったものだな」
「それは……私だって成長してきているし……同い年の子は皆、親離れしてきていて……中には親を疎ましく思っている子もいて……。そんな中で、私だけが司令官に甘えたいだなんて言えなかったし……思ったらいけないって……我慢してきたけれど……」
「けれど?」
「やっぱり……甘えたいし……鳳翔さんがいない今しか……甘えられないだろうって……。だから……」
しゅんとする響。
そうだよな。
いくら成長しているとはいえ、俺が親代わりだとは言え、俺と響の関係は、ちょっと複雑なものであるし、他の子と一緒に考えてはいけないのかもな。
「とは言え……食事中ふざけるのはいかがなものかと思うぞ」
「うん……。ごめんね……」
「甘えるのは食事が済んでからだ。その……お前がハンバーグをこねている時に鳳翔に電話したのは、悪かったと思っている。配慮が足りなかった。ごめんな……」
「ううん……」
「……さ、食べよう。料理が冷めてしまう」
「うん……」
それから俺たちは、静かに飯を食い始めた。
会話は無く、食器を叩く音だけが居間に響いていた。
飯を食い終えると、響が皿を洗ってくれた。
その間に風呂の準備を済ませ、再び居間に戻る頃には、響も仕事を終え、テレビを見ていた。
「何か面白いのやっているか?」
「普通かな……」
「そうか」
いつも三人で座っているソファー。
鳳翔がいないとはいえ、響との距離が、今日はやけに遠く感じた。
「響」
「なに……?」
「こっちこい」
響は俺の表情を見せないまま、隣に座った。
「よっと」
その体を持ち上げ、俺の膝の上に座らせる。
響は抵抗するわけでも無く、ただただされるがまま、テレビの方を見ているだけであった。
「さっきも感じていたが、ちょっと重くなったか?」
「……降りるよ」
「いや、そのままでいいよ」
そのまま、しばらくテレビを眺めていた。
お互いに何を言うわけでも無く、ただそうしていた。
「……響」
「なに……?」
「さっきはごめんな」
そう、一言だけ言うと、響は俺の方に向き、そのままぎゅっと抱きしめ、顔を埋めた。
一瞬見えたその表情は、どこか――。
「ずっと我慢してたんだな。知らなかったよ」
頷く響。
顔は埋められたままだ。
「お前が成長してさ、俺から離れていっているものだと、ずっと思っていた。瑞鶴も親元を離れて、鈴蘭寮に行くらしい。それと同じように、お前もさ……」
「…………」
「疎かにして悪かったな……。鳳翔を愛しているのと同じように、お前の事も愛している。その気持ちは変わらないよ」
「……私だって変わらないよ」
「そりゃありがたいが……そこは変えていかないといけないんじゃないか?」
「今じゃなくてもいいでしょ……」
「そうしてもらわないと、俺が響離れ出来なくなる。他の奴がそうなように、お前もいずれは俺を疎ましく思う時が来る。そうなった時、俺だけがお前から離れられないってのは困る」
「その時は……全力で司令官の事を罵倒してあげるよ……」
「響の口から罵倒か……。それはそれで、親父の気持ちが味わえていいのかもしれないがな」
「罵倒がいいって……変態だよ……」
響は顔をあげると、今度は逆に抱きしめるようせがんできた。
「デカい赤ちゃんだな」
「今はそれでいいよ……。むしろ、それが良い……」
「赤ちゃんになるのがいい……変態だな……」
「親子だからね……。そう言うところは似るのかも」
「フッ……そうかもな」
「フフッ」
それから何をするわけでも無く、ただただ響に甘えられていた。
いや、或いは俺自身も、響に甘えているところがあったのかもしれない。
それほどに、甘い時間であることは確かであった。
風呂も済ませ、就寝時間になると、響は枕を持って俺の部屋へとやって来た。
「まあ、大体予想はついていたが……」
「じゃあ、いいよね」
「いいっちゃいいが……。甘えるにしても、一緒に寝るってのは、流石に抵抗があるんじゃないのか?」
「ないから来ているんじゃないか」
「いや、そうなのだろうが……」
「布団、入るからね」
「どうぞ」
響は布団に入ると、何やら匂いを嗅ぎ始めた。
「司令官の匂い」
「臭いか?」
「うん」
「そ、そうか……」
「冗談だよ。司令官も入ったら?」
「日記を書いてからな」
戦時中からずっと続けていることだ。
昔は報告書に近い形で書いていたものだが、今は感情豊かな日記になっているように思える。
「司令官、まだ?」
「もうちょっとだ」
「うっかりしていたら寝てしまうよ」
「寝たらいいだろうに」
「司令官と寝たいんだ。私が眠るまで見守っていてほしい」
「我が儘なお姫様だな」
日記を書き終え、筆をおいた。
「終わりだ。電気消すぞ」
「夕焼けにしてね」
「はいよ」
オレンジの電球にしてやる。
久々につけてみたが、結構明るく感じるな。
「もうちょっと端に寄ってくれないか?」
「うん。司令官、体大きいね」
「お前も成長してるんだから、布団ぐらい持ってくればよかろうに」
「一つの布団に寝れるのは今だけだから」
響が入っていたからなのか、布団は温くなっていた。
「ふわぁ……」
「一日お疲れ様。鳳翔さんがいなくて大変だったでしょ?」
「あぁ、そうだな……。あいつには頭が上がらん」
「帰ってきたら労ってあげてね」
「分かってるよ」
沈黙が続く。
「司令官、寝た?」
「寝た」
「起きてるじゃないか」
「起こされたんだ」
「もうちょっとお話していようよ。私が寝るまで寝ちゃ駄目だって言ったよね?」
「承諾はしていない」
「王様の命令は~?」
「絶対~……って、何処で覚えたんだそれ……」
「大和さんに教わったんだ。王様ゲームっていうんだって。やったことある?」
「ないな」
「だろうね」
「どういう意味だ……」
沈黙が続く。
「司令官」
「なんだ? いい加減に寝たらどうなんだ」
「明日、一緒に出掛けようね」
「あぁ、いいよ。だから、もう寝とけ」
「うん。最後に、頭撫でて」
「はいよ」
頭を撫でてやると、薄暗い中、響は微笑んで見せた。
「お休み、司令官」
「あぁ、お休み」
王様の言う通り、俺は響の眠る顔を見た後で、眠りについた。
翌日は朝から響と電車で出かけた。
飯を食ったり、ゲームセンターに行ったり、買い物をしたり――とにかく、響のやりたいことは何でもやってやった。
「満足ですか、お嬢様」
「うん。ありがとう、司令官」
「いいえ」
思えば、二人っきりでこうすること、いつぶりだったかな。
鳳翔が居たからというのもあるが、二人の時間を取ろうとはあまり思わなかった。
響はずっと、こうすることを望んでいたのだろうか。
だとするなら、それに気が付けなかった俺は……。
「そろそろ鳳翔さんを迎えに行く時間だね」
「そうだな」
「司令官、今日はありがとう。たまにでいいから、こうして遊んでくれると嬉しい」
「あぁ」
こうして響から遊んでくれと催促されるのも、その内なくなってしまうのだろうな。
鳳翔の親父がそうなように、俺のいつか、響が帰ってくるだけで舞い上がるような、そんな父親になってしまうのだろうな。
「司令官、抱っこして」
「ここでか? 皆見てるぞ」
「いいんだ。チョットするだけだから」
「分かった。ほら、こっちこい」
抱きかかえてやると、響は俺の頬に口づけをした。
「今日のお礼」
「随分大人なお礼だな」
「きっと、もう少ししたらしなくなるだろうから、貴重なものだよ」
「だな」
響を降ろし、その小さな手を握った。
「鳳翔を迎えに行くか」
「うん」
ショッピングモールの最寄り駅。
電車を待っていると、鳳翔が向かいの電車から出て来た。
「提督!?」
「鳳翔。そうか。ここで乗り換えであったか」
「えぇ。びっくりしました……」
「鳳翔さん、お帰り」
「ただいま響ちゃん。二人でお出かけしていたの?」
「うん。デートだよね、司令官」
「ん? あぁ、そうだな」
「へぇ、デートですか……」
鳳翔は俺の目をじっと見つめた。
「浮気とはいい度胸ですね……」
「浮気ってお前な……」
「司令官、私の事を愛してるって。一緒に寝た仲だもんね」
「お前、意味分かってて言ってるだろ……」
「そうですか……。そんな提督にはお土産はお預けですね」
「お土産? 何を買って来たんだ?」
「内緒です。行きましょう響ちゃん」
「うん」
鳳翔は悪戯に笑うと、響の手を引いて、何やら二人っきりで話し始めた。
電車を降りる頃には、響はすっかりお眠モードに入っていて、鳳翔がおぶってやるとすぐに眠ってしまった。
「あらあら」
「よく寝る奴だな」
「今日は朝早かったのですか?」
「あぁ。先に目が覚めやがってな。たたき起こされたよ」
「フフッ、響ちゃん、ずっと提督と二人で遊びたかったみたいでしたから」
「そうなのか」
鳳翔は気が付いていたのか。
響が俺と遊びたがっていたのを。
「瑞鶴が、鈴蘭寮に行くんだそうだ」
「そうなんですか?」
「親元を離れて、自分で頑張ってみたいとのことだ。それを聞いて、何だか響の事を思ってしまってな……。こいつもいつかは、俺と遊びたいだなんて言わなくなって、俺を疎ましく思って、どこかの嫁に行ってしまうんだなって……」
「そういうものですよ。だからこそ、今は一緒にたくさんの思い出を作るんです。私は出来ませんでしたけど……提督と響ちゃんなら、きっと大丈夫です」
「お前も一緒だろ」
「フフッ、そうですね」
夕焼けが、徐々に夜へと飲まれてゆく。
「こうしている今が一番幸せってのが……なんだかな……」
そう呟くと、鳳翔は頬を膨らませて怒っているように見せた。
「なんだ?」
「提督は私と二人じゃ不幸だって言いたいんですか?」
「え、い、いや……決してそう言う意味では……」
焦る俺の様子に、鳳翔は吹き出すように笑った。
「冗談ですよ。確かに三人でいた方が幸せかもしれません。でも、なにも響ちゃんと永遠のお別れをするわけでも無いですし、お父さんと仲が悪かった私が、お父さんに会いに行ったのと同じで、きっと何度だって会うことは出来ますよ」
そう言って、鳳翔は背中を俺に向けた。
響はどこか幸せそうに、その中で眠っていた。
「……そうだな」
「それに……二人っきりにならないと出来ない事……たくさんできますし……。不幸な事ばかりではないと思いますけど……」
「例えば?」
「え? ですから……旅行とか……その……色々ですよ……」
「その色々って?」
そう聞いたのは、響であった。
「響ちゃん、起きちゃったの?」
「鳳翔さん、その色々って何だい?」
「色々って言うのは……その……響ちゃんにはまだ早い話かもしれないから……」
「それって……」
響が鳳翔に何やら耳打ちすると、鳳翔の顔は一気に真っ赤になった。
「ひ、響ちゃん! そんなはしたない言葉使ってはいけません!」
響は鳳翔の背中から飛び降りると、俺の後ろへと隠れた。
「こら!」
「響、お前何を言ったんだ?」
「えっとね」
「わー! 駄目です! ダメダメ!」
「その慌てよう……。響の言ったことが図星だったのか? うーん、気になるな……」
「500円で教えてあげる」
「安いな。よし、買った」
「響ちゃん!」
響は見えて来た家に向かって、一目散に逃げていった。
スタコラサッサーという感じに。
「もう……。提督も、買ったりしないでくださいね……?」
「どうしようかな」
そうからかう俺に、鳳翔は耳元で小さく言った。
「いつか二人っきりになった時……きっとお教えしますから……。それまで……ね……?」
そう言うと、鳳翔は響を追うようにして、家へと小走りで入っていった。
「フッ……」
響がいなくなって、いつか寂しい日が来るものだとずっと思っていたが、今の一言で、それも悪くは無いのだと思い知った。
「単純だよな、男って」
夕日が沈み、夜がやって来る。
「司令官、500円で買う? 早くしないと1000円になるよ」
「悪いな響。例え値引きされても買う気はなくなった」
「そう……。残念だ。今なら、いつでもどこでも永久に私にキスしていい券もついてくるのに……」
「うーん……それは魅力的だな……」
「提督!」
今は今を楽しんで、いつか来るそれは、その時の俺の任せよう。
楽しみも一つ増えたしな。
「ただいま」
そう、いつか――。
そのいつかが、徐々に近づいていることを、俺たちはまだ知らなかった。
――続く
多分ですが、次回が最終回だと思います。