Plains Walker -次元世界遊歩道中- 作:sasandra
なにとぞご容赦を。
001:転移
太陽が地平線に沈みかかり、空の支配者が橙色の夕暮れ模様から、夜の帳に変わろうとしている頃。道々の電燈が、濃くなりだした闇の浸食を食い止めようと必死の抵抗を試みている下を、一人の青年が物がいっぱいに入っているリュックサックを背負って歩いている。両手には手提げ袋、トートバッグ、スーパーの袋、風呂敷の包みをぶら下げていて、これらも物が目いっぱい詰め込められている。挙句の果てには、青年の履いているカーゴパンツのポケットすら、ひとつ残らず詰め込められていた。
まわりは不安を掻き立てずにはいられない薄暗さだというのに、青年はそんな事も気にせずに、満足のほくほく顔で歩いている。持っている物を投網かクーラーボックスに変えてみて、この人物は獲物が大量で満足している漁師(もしくは釣り師)だ、と説明してもなんら違和感は感じられないであろう。
「大漁、大漁っと」
と、過去同じ心境にあった漁師達が幾度となく吐いたであろう定番のセリフを言い、帰り道をご機嫌のステップを踏みながら青年は歩く。時折、青年の顔に横切る車のライトの光が当たり、青年の幸福そうな表情を一層際立たせた。
「山岡さんがマジックをやめるって聞いたときは驚いたけど、こんなにカードもらえるとは思わなかったな。エントリーセットも買ったし、崇のやつと思う存分ゲームできるぞ。それにしても崇のヤツ、初回のデッキ構築からこんなにカードが選べるなんて、なんて恵まれてるんだ」
青年が運んでいる荷物の中は大量のカードの束が詰まっている。このカードの束はトレーディングカードゲーム、マジック・ザ・ギャザリング(以降MTGと省略)という名前の遊戯で使われる物である。MTGは基本的に1対1で遊ばれる。各プレイヤーは最低60枚からなるカードの集まり、「デッキ」と呼ばれるカードの束を使って、お互いを倒す。MTGの最大の醍醐味は何千種類とあるカードから自分だけのオリジナルデッキを作成できる点であり、デッキの作成パターンが無数に存在するといっても過言ではないほど、カードの種類が豊富である。また、トレーディングカードゲームとしての歴史も古く、その面白さから全世界で流行った事もある。まさに世界的に有名なカードゲームといっても差し支えはないだろう。
「あー、でも山岡さんともうプレイできないのはさびしいよな。山岡さんのメタデッキにボコられた日々も今となってはいい思い出に………、いや、それはやっぱないか」
青年は長年通い詰めたカードゲームショップからの帰路途上であった。同じショップの常連であった山岡(30歳独身男性)が「引退宣言」をし、今までためてきたカードを処分すると言ったのだ。引退の理由は結婚であるのだが、今回のカード処分という名目のバラマキ劇の裏に、部屋を埋め尽くすほどのカードの山に呆れた山岡夫人の撤去命令発令という事情がある事をこの青年は知らない。カードショップ常連内でも屈指の実力者であった山岡新郎のカード財産は凄まじく、その恩恵に預かる事となった他の常連達は、一抹の同情を腹に抱えながらも、よだれを垂らして山岡を尊大に崇め奉ったという(カードショップ店長談)。
「それにしても山岡さんの資産すごすぎっ! これで俺のデッキも夢のレア満載デッキになる!」
山岡神の施しから1時間以上経ったというのに、青年のにやけ顔は止まる気配はない。おそらく、今日という日は彼の今までの人生の中でも、上位3位以内に入るほど充実した日になるのであろう。
いつまでも上機嫌が続くかと思われた青年に、突然、突風が吹きつける。風の強い冬の日に突然吹き付ける強風というちゃちな物では断じてない。台風の暴風域圏内に居てはじめて遭遇できるかどうか、というほどの突風だった。浮かれていた青年は当然そんなものに対する備えなどできているであろうはずもなく、恐ろしい物の片鱗さえ感じさせられる突風にされるがまま、後ろに転んでしまった。
「うおおおおおっ、っていてててて、カードは大丈夫だよな」
情けなくも後ろ回りで一回転半してこけた少年に、前から転がってきた木の枝や小石が当たる。ガラガラとゴミ箱の蓋が直立回転して横をかなりの高速で転がる。他にもゴミや葉っぱが猛烈な勢いで青年が歩いてきた方向に飛び去っていく。青年は姿勢を元に戻そうしたが、風が強く身を起こすことさえできなかった。風が吹く方向に面する面積が少なくて済む今の姿勢で辛うじて飛ばされずに済んでいるのだ。青年は風が止むまでこの姿勢を維持しせざる得ないと断じ、我慢するしかなかった。彼にとって宝の山であるカードが詰まった荷物をすべて死守したのは驚くべき根性であろう。彼はすべての荷物の口を結んだ、過去の自身の行動に感謝をした。そうして、されるがままの間しばらくして、ようやく風が収まり始めた。
「いっつー。一体なんだってん……」
身を起こした青年が見たのは、空間にぽっかりと空いた『穴』であった。どうやら、先ほどの突風はこの『穴』から吹き出しているようだった。まさに今この時でも、先ほどよりかは弱い風が『穴』から吹き出し、少年の髪をなびかせている。何もない住宅街という絵画を背景に、突然真っ黒い『穴』が空いている光景は、青年に何かが間違っているという違和感を想起させた。あまりの出来事に、目の前の現象がドッキリか何かだと感じてしまうくらいに事態が突飛すぎる。いつの間にか、日も完全に暮れ、自分を含めた穴の周囲が常闇に覆われた感覚に囚われる。周りを黒く塗りつぶされて、目の前の『穴』は近寄り難い雰囲気を醸し出しているようにも感じられた。ようするに、青年は『穴』怯えてしまったのだ。
青年は、しばらく口を開けて呆けていたようだが、恐る恐る『穴』に近づいていく。何よりも青年には事の原因がこの『穴』にあるように感じられた。先ほどから吹き付けていた風は今はそよ風程度となり、近づくのにも特に苦労することはなくなっていた。何が起きたのか確かめようとするならば、原因と思われる物を調べるのは当たり前の行動だと言えよう。しかし、青年のこの時の行動は正解とは言えなかった。突然、穴の周りの空気が逆流し始めたのである。
「これもしかしてまずっ」
と、後ろに下がろうとする間もなく、風の勢いはあっという間に強まり、当初の突風ほどにまで迫るほどになった。青年は今度は風に押され前転をすることとなった。
「うおぉぉぉぉぁああああああ!」
昔のお伽噺に『おむすびころりん』という話があるが、青年の転がり具合は、その話に出てくる『おむすび』であった。『穴』に転がり突っ込むまでの擬音をつけるとしたら「ころころころりん」という文句以外考えられないほど滑稽でもあった。青年は手に持っていたいくつかの手荷物と伴に、一直線に『穴』に向かい、『穴』に入った後、『落ちる』こととなる。『穴』は青年を食った後、非情にもその口を閉じる。その様は「ばくり」という物を食べた時に当てはめる擬音が似合っている程であった。そうしてこの世から青年『境目 亘』は姿を消した。
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「なっ、んあっ、なにっ、なっにっがおきたんっ」
突然、風に吹っ飛ばされたと思ったら、今度は吸い込まれた。そして気がついたら落ちていて、今は闇一色の中で、ものすごい勢いの風に流されてもみくちゃにされている。もうこの状態で何分も流されている。穴に落ちた当初は何がなんだかわからず、今のように多少落ち着いて考える事さえできなかった。風にすっ飛ばされっぱなしの状態では、姿勢を維持して体を安定させ、後は風まかせなのが一番楽だという事に気づくのにそれほど時間はかからなかった。はじめは抵抗しているつもりなのか、手足をぶん回していたので、手に持っていた荷物や背負っていたリュックはすっぽ抜けてどこかに飛んで行ってしまった。内心もったいなかったかもという気持ちが生じる限り、腐っても自分はMTGプレイヤーなのだなと思わないでもなかったが、今はそんな事を言ってる事態ではない。
しかし、風に流されっぱなしの現状では、この状態を楽しむ事くらいしか俺にできることはない。昔遊園地でバンジージャンプをしたことがあるが、今の状態をいうなら、バンジージャンプの状態でジェットコースターに乗っているという感じだろうか。自由落下顔負けの速度で右に曲がり、左に反転、下に急降下したと思ったら今度は上昇、実は宙返りでした、というような動きばかりなのだ。ジェットコースターみたいに叫んでみれば少しは気分がすっきりするかもしれないと思ってしばらく叫んでみたが、のどがつかれるだけなのでとっくの前にやめた。いい加減今の状態に飽き飽きし始めたところだった。
「っに、っしてっもっ、イヤなっ感じがっ」
実はさきほどから、心の中が嫌な予感というか、何か妙な気持ちに変わってきたのだ。例えるなら、カンバスに絵を描いていて、自分はそんなつもりはないのに、いつの間にか背景色が薄暗くなって、徐々に全体が黒一色に塗りつぶされていくような感じ。俺が落ちた『穴』に対して感じた恐怖や不安といったものが俺の心を塗りつぶそうと押しつぶしてくる。そんなイメージが少し前から俺の心を蝕んで止まないのだ。されるがままの俺に対抗手段はなく、徐々に闇に心は塗り替えられていく。
「がぁあああああああああ!」
本能的な部分がそうさせるのか、俺は恐怖し泣き叫ぶ。そして、泣き叫ぶ本能的な部分でさえ塗りつぶされていく。俺は自分ではそうと気づかない間に意識を手放していた。
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夜。
この言葉だけでも情景を思い浮かべるには十分すぎるほど事足りる。人によって思い浮かべる光景は千差万別の区別がつくだろう。例えば、輝く星や月が全く存在しない、邪悪な気配漂う、夜。または、まぶしいほどの光にあふれた美しく輝かしい、夜。今、目の前に広がるのは、どちらかというと後者の夜であった。大地に身を横たえて空を仰ぎ見れば、どんなに乏しい美的感性であろうとも、感動せずにはいられない光景がそこに広がっていた。天を覆い尽くすは「宝石箱をひっくり返したような」という言葉では事足りないほどの星の数々、そしてそれらがこぞって持ち上げるは、青、緑、赤、白の4つの月。それぞれ星々のおしゃれを身に着けて、声高に自分の領域を主張している。大空での静かな闘争をよそに、横たわる大地は静寂の独壇場であった。時々聞こえるのは風にそよいでいる草花の音や虫の鳴く音のみ。この光景は、見る者にとっては、そう、例えば境目 亘の住む世界の住人ならば溜息をつかずにはいられない絶景なのであろう。しかし、そんな光景もこの世界にとっては当たり前の光景の1つにしかすぎないのであった。
そんなこの世界では当たり前の1つの光景の中、ボロ雑巾と呼べる真っ黒い煤けた人間のよう『何か』が、どちゃっと不法投棄されているのだった。
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目を開ける。見えるのはとても綺麗な星空。少しデカイ気がする白い半月もあり、ずっと眺めていたくなってしまうほど美しい。
聞こえるのは虫の鳴き声、それと時々さらさらと草の擦れる音が聞こえて、風情が感じられる。
「って、あれ?」
ようやく自分が突飛な場所にいるのだという事に気づいた。俺は確か、山岡さんからカードをかっぱらって、あのカード無くなっちゃったけど勿体無かったなぁ。じゃなくて、通い詰めたカードショップから家に帰ろうとしていたはずだ。確か、突然風が吹いて転がされたと思ったら、宙にぽっかりと『穴』が空いている現象に出くわして、様子を伺ってたら吸い込まれて――
「ははっ。月が四つもあらぁ」
最初に見た月は白色に輝いている。ここまでは良かった。少し視線を横にずらすだけで、緑、青、赤と白色の月よりも大きかったり小さかったりする月、としか呼べないようなまるっこい衛星が夜空にさも当たり前のようにドッカリと居座っているのだ。
否定したいのはやまやまだが、こうまで見慣れない光景を見せ付けられると認めざる得ない。ここは、自分の住んでいた世界とは違う、異世界だという事を。
「ははははははは、ってなんじゃこりゃぁぁぁ!!!」
風情ある情景をバッサリ断ち切る、俺の金切り声がこだました。
ひとしきり叫んで落ち着いた後、現状の確認をする。自分の体に異常はないか、五体満足手足もしっかりつながっていて、俺の意思通りに動く。「穴」に飛び込む前に転んだのか、こちらに来た時に地面にうちつけたのか、尻が痛いが問題はない。
次に、道具だ。といってもカードががっぽり詰まったリュックサックや荷物はどっかに飛んでっちゃったし、後はカーゴパンツのポケットに財布と携帯くらいしかない筈だ。あ、そういえば荷物に詰め込めなかったカードがあったはずだ。ズボンの上からポケットに物が入っているのを確かめようとしてパンパンたたいてみるが……
「あれ? 財布と携帯はあるのに、カードが無くなってる?」