「君の料理は
真司は、一人の料理人に向け、何でもないように口にした。
「理由を伺っても?」
それに相対するのは、遠月学園最高決定機関『遠月十傑』の上位者、司瑛士その人である。
その腕は一流料理人にも比肩し凌駕するポテンシャルを誇る。そしてそれ相応の自信と自負がある彼には、その返答に納得がいかないのも当然である。
「納得いかないか。まぁこれだけの品を作れるんだ、それも当然。ならば、着いてくると良い」
彼らの出会いは偶然だった。たった一本の電話によって産み出された奇跡。司瑛士からしてみればもらい事故のような遭遇でたまっものではないだろうが。
それは、数時間前に遡る。
真司が18を迎える前に、薊と真司が共に行動する機会が減り始めた。それは計画を実行するために必要な根回しに時間を回し始めたからである。
今まではあくまでも人脈作り。これからが本番なのだろう。
薊は一番近くにいた真司にもその胸のうちの計画を晒さなかったが、度々遠月学園の情報を探っているのを見ている真司は、何かをやろうとしていることだけは悟っていた。
故に、彼は趣味と実益を兼ねて、遠月十傑卒業生を巡る食べ歩きツアーを開始した。勿論莫大な時間と金が掛かるが、味見役としての報酬があるため金は問題なく、時間も前述した通り、一人になる時間が増えたので合間に入っている仕事だけ気を付ければ自由なものだった。
「さて、本物を口に出来た礼とは言え、まさか向こうから再チャレンジの機会をくれとは。珍しいな」
その日は、そんな食べ歩きの成果である一人の卒業生からの依頼で料亭を訪ねていた。そこは数ヵ月前、彼が失格を叩きつけた料理人がいる場所であった。
何でも、彼が失格を叩きつけたその次の日には、断髪し教えを乞いに涙ながら門を叩いていたらしい。
元々真司の味見役を受けられるだけの実力はあったので、真摯に取り組んだ結果、卒業生に認められるまでになった。そこへ真司が来たので見てやってはあげられないか、と話が来たために、最後のチャンスと向こうに伝えた上で訪れたのである。
「ようこそいらっしゃいました。私が当料亭の主人でございます」
「あぁ、聞いていると思うが私が葉継だ。最後のチャンス、掴めなければ板前を怨んでくれ」
「えぇ、理解しております。しかし、食が多様化したこの時代の料亭。もとより彼に建て直して貰ったようなもの。彼と最後まで粘らせていただきますよ」
「……最初からそのくらいの気概を彼が持っていれば良かったものを。だが、期待できそうで何よりだ」
心なしか店主である男も気合いが入っているのか、案内する声に張りがあるな、と真司は感心する。
彼等の側からすれば当然ではあるが、葉継の名は経営に大きな影響を与える。
仙左衛門が葉継の名を極限までえりなに届くのを遮断していたが、薊と過ごした期間、さらには食べ歩きツアーのせいで味見役として料理界に与える影響は、えりな以上である。箱入り娘として料理に集中しているえりなにも、彼の名が届いてしまうほどに有名だ。
そんな男に作られた最後のチャンス。成功しなければ後がない。
「……庭の手入れは素晴らしい。薙切のお祖父様が好みそうだ」
「えぇ、一度だけですがお越しいただいたことがございます。料理もお褒めの言葉をいただき……」
そこで言い辛そうにする店主に真司は、あぁ、と味が落ちた理由を察した。
「つまりは、慢心が生まれたわけだ」
「お恥ずかしながら」
その答えに、真司は笑うことはなかった。
誰であれ、指摘する人間がいなければ落ちていくものである。それが仙左衛門程の人物から認められたとなればなおのこと。
彼の回りにはそれが出来るだけのスキルを持つ者がいなかった、そして真司がそれを指摘できた、それだけだ。
「では、失望させないでいただきたいですね」
「勿論でございます。では」
客室に案内された真司は、店主が去った襖をしばらく眺めながら柔らかく口許が緩む。
「良かった。まだ諦めていなかったか……」
感慨深く、そう口にする。
当然ではあるが、味見の場での真司には情け容赦はなく、冷たく終わりを告げる。
しかし、薊も気付いてるだろうが、真司は諦めない人間にはチャンスを与えることにしていた。
だが、存外に再起を図ろうとする人間が少ない。だからこそ薊は真司の行動を容認しているのだろうが、潰した人間が料理界からいなくなるのは毎回堪えるもの。
だからこそ、今回のようなケースは痛快であったりもする。
「彼女の御墨付きならば間違いはないだろう」
痛快であり、今回の件に限って言えばほぼ間違いなく口に入れて不快はない。
今さらではあるが、彼の料理に対する評価を改める。
彼の仕事である味見役であるが、特殊なものを除き、その性質上、出来立てを出せる調理の現場に直接立ち会うことが多い。
そこで最初の篩が掛かる。
彼の聴覚は、肉であればその油の音を逃さず、包丁が食材を切る音で繊維を傷つけたか否かを把握する。
雑な切り方はその場で叩き出し、焼きすぎを聞き当てると調理法を聞いてから判断し、ここで半数以上が落とされる。
聴覚を突破すると、次の壁は嗅覚である。
臭くても美味しいものと言うのは確かに存在するが、彼の鼻は加えられた調味料を嗅ぎ分ける。
明らかに配分を失敗したものはここで終わる。それでまた半分、全体の八割近くが口に入ることすらない。
そして、最終関門。
これが一番の問題である。彼の今までの食事の中で、えりな以外で旨いと言う言葉が出たのは十人いるかどうか解らない。
食事と言うものは、口だけでするものではない。
口に入れ、先ず舌がその料理を迎え、香りが鼻を抜けていく。この段階で味覚と嗅覚で味を感じ、次いで更なる味を求めて噛み締めるのだ。
真司の持論だが、旨い料理は音が違う。噛み締め、骨を伝った音を直接鼓膜で受けて始めて真司にとっての料理の味にたどり着く。
そう、味覚と同時に他の嗅覚、聴覚が口に入れる段階で被るのである。
彼の中では、ここでそれなりと感じれば妥協点、二流止まり。旨いと感じれば合格点の一流と言うわけだ。
一般的な評判ならば、それなりと言う言葉が出れば一流の仲間入り。繁盛が約束されたようなものである。
「……お待たせいたしました。こちらが当料亭の一番の品。うちの板前、最高の、ここではあえて『
時間が経ち、満を持して出された品に、真司の鼻はその香気を吸い込んで、舌に唾液を出すように脳が指令を飛ばした。
それを感じ取った彼は箸に手を伸ばす。
「……見事ですね」
旨い、とは言えない。
彼の舌を満足させる品ではないが、それでも口に入れて不味いと感じないのは、板長を勤める男が努力した結果であろう。
一度叩きのめされ、再起の一皿で以前の自分を越えてきた。だからこその見事である。
「彼の料理は覚えています。一度目は一口で食べるのを止め、二度目は品を見ることすらしないほど酷い出来でした。が、今日は彼の顔が見えるようです」
スペシャリテとは、その料理人の人生が乗った品と言って良い物だ。料理を食べ、作った人間の顔を思い浮かべられることが絶対の条件。彼の前にあるのはその条件をクリアした最高の一皿に違いない。
「合格ですね。次から呼ばないと言うのは取り下げます。次回は味を落とすことなく、越えることを祈ります」
真司の言葉を聞き、店主は静かに頭を下げ、畳に染みを作り、扉を隔てた場所からすすり泣く声が聞こえてくる。
「このあとに約束があるので失礼させていただく」
「またの、お越しをっ……!」
絞り出すような店主の声を受け、立ち上がる。
と、そこに何やら焦った様子の従業員が入ってくると店主の耳元で囁き、店主は目を見開かせた。
「バカな!?お断りを入れた筈ではなかったのか!?」
「どうも、ここに来る予定でスケジュールを組んでいたから、味見役としてではなく挨拶としてこられたとか」
「挨拶だけだとしても、なにも出さずに彼を無下に扱えるか!板長は精神をすり減らせて今の品を作ったんだぞ。遠月の十傑を満足させられるわけが----」
「もし、店主。今の話、詳しく聞かせていただきたい」
真司には聞き逃すことのできない名があり、店主に詳しい事情を求めた。
その結果。得られた情報に真司は歓喜した。現十傑。それも上位に位置する席次だと言う人間が来ているのだ。
元十傑は、金さえ積めばある程度その腕を味わうことが出来るが、現十傑になると、名は広まるがその腕が披露される場はかなり稀少だ。
それが、彼のスタジエール先であった縁で、再起した板前の味見を依頼した所、真司が依頼を受けた日と重なってしまったのである。
先約は間違いなく、その学生。一流に比肩する腕の持ち主で、忙しい中この日のために予定を空けている彼が優先されるべきだが、それを差し引いても、この料亭の人間からすれば真司に味を見てもらう機会方が稀少で、それを取ったのである。
そして、当の断られた彼も、なにも気にしたようすもなく、せっかく時間が出来たのだから挨拶に来たのだと言う。
「私が押し掛けたばかりに申し訳ないことをした。その詫びではないが、その彼には私から謝っておこう。部屋に案内してくれないか?」
「い、いえ!葉継殿には来ていただいただけで充分すぎるのに、これ以上など!」
「私が興味があるんだ。口実として使わせてほしい」
「そう、仰るならば……」
店主に案内され、学生がいる部屋の前にまで辿り着いた。
おもむろに部屋にはいると、学生と目が合い、会釈してから彼の前に着いた。
「え?あれ!?もしかして部屋間違いました!?」
「あぁ、そのままでいいよ。なにも間違えていない。私が押し掛けたのだ」
「どう言うことですか?」
「先約だった君の予定を潰した張本人さ。板長は今疲労困憊だ。故に、私が説明に伺ったのと、君に会いに来たんだ。遠月学園十傑に席を置く君に」
「……失礼ですが、貴方の名は?」
「葉継真司。ただのグルメだよ。どうだろう、私に一皿作ってくれないか?」
彼らはこうして出会ったのである。
司瑛士は、料理において絶対の自信を持っていた。それは普段神経質すぎる程、他者を気遣う中に料理の質問が一切入らないことがあげられる。
そんな彼が料理を上手くないと切り捨てられ、今は黙々と真司にある場所に案内されていた。
瑛士は隣に座る男について、僅かだが情報を持っていた。
曰く、塩水を入れた十種類のペットボトルの水と塩の原産地を当てた、や、十枚あるフライパンの上の肉を目を瞑っていても最適の焼き加減が解るなど、人間なのか理解に苦しむ逸話がある。
神の舌を持つ薙切えりなもとんでもないが、この男はその上を行く化物、いや、神にも等しいのかもしれない。
「入るぞ。ここに、君の料理のヒントがあると思っている」
「霧のや……?」
そこは先程の料亭の依頼をした遠月の卒業生、乾ひなこが営む日本料理屋である。
「あらあら、予約の時間から大分遅くなりましたね」
「たまたま、この彼と会いましてね。一皿ご馳走になっていたんですよ。それと依頼の件は合格、名店だ」
「短くとも、ここで勉強したんです。そうじゃなければ激オコです!ぷんぷん!」
そんな軽口を交わす二人を緊張した面持ちで眺める瑛士。
未来を約束された遠月の上位者の彼だが、現在は一学生。ビックネームが二つも揃っている光景は、心臓に悪いだろう。
「さぁ、私の奢りだよ。明日日本を立つ予定でね、最後に彼女の『
元十傑のスペシャリテ。学生から飛び出し、現場に出て尚、成果を上げ続けるその腕が、当時のままであるはずがない。
知らず、瑛士の喉は音を出した。
「彼女の在学中に付けられた名は『霧の女帝』。君と同じ自己を削ることで自己を表現した方だ」
「僕と、同じ?」
「そう、同じ道を見ながら、君の上を行く先達だ」
そして瑛士と乾、何が決定的に違うのかを語りだす。
「君の料理は良く出来ている。だが、熱がない」
「熱、ですか」
「あぁ、物理的なそれではないよ?この場合は熱意のことかな。だが乾さんは違う。極限にまで自己を削りながら、決定的な所でそこにいる。熱を感じるんだ。だからこその霧の女帝。見えないのにいるのは解る、そんな料理だ」
仕込みはあらかじめ終えていたためか、座ってから十分もしない内に目の前に皿が置かれる。
ただただ、美しい。言葉が出ない程の衝撃が、食べる前から伝わってくる。
「これ、が」
「オフレコなのだが、私は近い内に遠月学園に根差すつもりだ。これも何かの縁、前祝いとして君の成長の糧になれば嬉しい」
「得意気に語ってますけど、作ったのは私ですよ~?」
「あぁ、すまない。しかし、評論家気取りは良く喋るものだと聞く。私もその類いなので許してほしい」
「葉継さんが評論家気取りなら、評論家なんて廃業ですよ」
「まったくですね」
彼らは知らない。この出会いが、後に最良の結果を生むことを。
女帝云々は捏造設定。
料理には冷酷とか日常で抜けてたりとか、瑛士と被るんですよ。