月光が導く   作:メンシス学徒

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 蔵の門前に幾つかの気配が現れたのは、丁度その時といっていい。

 輸血液を一滴残らず注射して、サヨの容態が劇的に好転するのを見届けた直後である。

 ほんの数十秒前までは今にも三途の川を渡るのではないかと危惧されていたサヨであるが、みるみるうちに顔色が戻り、現在はセリューの腕の中で穏やかな寝息を立てている。

 

(うん、ひとまず急場は脱したな)

 

 輸血液の効能、その凄まじさに改めて戦慄させられるが、いつまでもそれに浸っていてはまずい。この蔵に接近しつつある何者かにどう対処するか考えねばならなかった。

 

「まあ、何者か、と言っても十中八九この屋敷の主であろうが。日中溜め込んだストレスを発散でもしに来たのかね、浮かれ気分が壁を隔てたこの距離からでも丸分かりだぞ、俗物め」

「護衛も連れていますな。四人でしょうか、小心な野郎だ」

 

 どうします、とオーガが視線を以って問い掛ける。コジマはしばし黙考した。

 数々の証拠に加え、サヨという生き証人を抑えた以上、もはや問答無用で制圧作業に移ってもよい。

 勝算は十分にあった。

 この場の戦闘に於ける勝算ではない。そんなものは戦力差がありすぎて、そも勝負にすらならぬだろう。コジマがそろばんを弾くのは、その後待ち受けるに違いない政治上の後始末。司法官を筆頭とした汚職官僚、延いてはオネスト大臣を向こうに回してなお此方の正当性を押し通す机上の激闘についてである。

 

(現状でも勝てる。まず勝てようが、いかんせん)

 

 どうにも時間が掛かりそうなのである。

 コジマの揃えた武器は多いが、快刀乱麻を断つ如く、一撃でぐうの音も上げられぬほど敵の反論を叩き潰せる威力を備えたものがあるかと問われれば、否だった。

 

(敗色濃厚と悟った連中が、ひたすら重箱の隅を突いて審議を引き延ばそうとするやもしれん。いや、きっとそうする)

 

 コジマにとって時間は貴重であった。それはもう、叶うのならば同時に二・三箇所に存在したいと願うほど。

 帝都警備隊の浄化と掌握こそ完了したものの、王城内部に於けるコジマの勢力はまだまだ小規模。おまけに誠意はあれど人がいいばかりで実務能力に乏しい面々揃いで、例え一時であろうと自分の代理を任せるなどと、思いもよらない沙汰だった。

 もっともそれだけの手腕を持つ者が居たならば、最初からコジマの傘下になど加わらず、自力で所謂良識派文官達を水面下にて糾合し、反オネスト連合なるものを立ち上げていたに相違ない。で、実質戦力確保のためにコジマに取引を持ち掛けて、都合よく彼女を操作しようとたくらむのだ。

 その意のままになってやるかどうかは別として、コジマはそうした悪辣さが好きだった。

 

(政治家たるもの、それくらいのふてぶてしさがなくてどうする)

 

 と、思うのである。

 ところが現実にはその手の動きは一切なく、コジマが政界に踊り出るや雨に打たれて濡れそぼった老犬の如く尻尾を垂れて保護を求めに来たという時点で、彼らの器量のほどが窺える。

 結局彼らは、この悲惨な現実に対して処する術を知らず、婦女子(おんな)のように泣き濡れて相手の情感に訴えるのが精々な、極言すれば小物であった。

 このためコジマは時にほとんど絶望しかけ、

 

 

 ―――馬鹿と無能を大勢集めたところで所詮は馬鹿と無能の結合体に過ぎない。こと現下の帝国の政治体制にあっては、多数即ち強力ということにはならんのだ。

 ―――如何に意気軒昂であろうとも、こういう物質をいつまでも背負っていると、やがて来るしっかりした分子が仕事をする上で邪魔にしかならぬに違いない。

 

 

 当時のコジマの日記を紐解くと、彼女らしからぬほとんど呪いを籠めた文体でこう書き付けられたページが発見出来る。現にこの記述が為された日以降、コジマは王城内の良識派文官を良識派だからという理由のみで保護するのを止め、大臣に謀殺されそうになろうと冷厳と黙殺する態度をとりだした。

 が、それまでに抱え込んだ連中だけは、相も変わらず保護し続けた。

 

(一度受け入れた以上、使えないからといって放り出しては信義に悖る。誰も私を頼ろうなどとはしなくなろうさ)

 

 授業料と思って諦観している節がある。

 こうなれば、野に埋もれた人材を発掘するしかないであろう。

 警備隊の詰め所をしょっちゅう視察しているのも、自分の手持ちに才気あふるる人材が眠っていないか検分する意図も含むらしい。

 甲斐あって、何名か有望そうな若者を見出し引き立てはしたものの、やはりまだまだ経験不足。迂闊に大きな権限を持たせれば、逆上(のぼ)せてしまって思わぬ下手を打ちかねない。ものになるまで、時間がかかる。秀才は居ても天才が居ないのがコジマの悩みの種だった。

 

(彼女さえ生きていれば)

 

 姉の横顔を思い浮かべて、何度嘆息したか分からない。あの叡智と折衝能力がどれほど貴重であったことか、いよいよ思い知らされる。彼女相手ならば何の憂いもなく、それこそ一時的な全権の委譲さえすらすらやれたことだろうに。

 更に、武官上がりの新興組と根っからの文官たる古参組との間にそろそろ軋轢の音が立ち始めている。

 コジマ・アーレルスマイヤーという核を失えば、この勢力が四分五裂するのは誰の目にも明らかだった。

 当然、敵対派閥にも、である。彼らこそが一番よく承知していたであろう。

 

(私の足を止め、耳を塞ぎ、拘束し続けるその裏で、妙な工作を施されてはたまらない)

 

 例えば急な御前会議を催して、コジマが頑強に反対し続けている幾つかの法案を一気呵成に通してしまう、などである。

 この展開を警戒して、視察に赴く際も王城内に独自の連絡線を保ち、一報あるやすぐさま取って返せるように準備してあるコジマであるが、流石に審問と称して王城内の一室に閉じ込められ、あの手この手でのらりくらりと謀略成るまで時間稼ぎに徹されてはどうにもならない。今夜の「勝利」も、何のための「勝利」であったか分からなくなる。

 

(その愚は避けたい。……本当ならば、現行犯で抑えられれば最上なのだが)

 

 それならば、過去の判例と照らし合わせて強行捜査の一件も瞬時に不問にしてしまえる。正に快刀、乱麻を断つが如く、だ。

 

(しかし、なあ)

 

 ちらり、と鉄柵が飴細工よろしくひん曲げられた檻を見る。

 やがて入って来るであろう貴族がこれに気付かず、暢気に他の虜囚の拷問に取り掛かってくれるだろうか?

 

(可能性は低いな)

 

 とても楽観できなかった。

 むしろ、この蔵の中で唯一正気を保っていたサヨにこそ、主は一際執心していると見るべきであろう。今更サヨを檻に戻し、鉄柵を整えるわけにもいかず―――純物理的に見れば可能だが、セリューからの信頼が地に堕ちるのは確実である以上、到底選べる選択肢ではなく―――理想的な展開には、もはやどうあっても至れそうになかった。

 

(が、それでも、一厘でも残されているのなら―――)

 

 賭けてみたい、とコジマは思った。

 ハンドサインで適当な場所に隠れるよう、部下二人に指示を下そうとして―――漸く、気付く。

 セリューの形相が尋常ではない。口は耳元まで裂けんばかりにつり上がり、噛み合わされた犬歯が哀しいばかりに震動している。白目は血走り、薬の切れた中毒者のよう。こんな獣性を丸出しにした人間が、やらかすことなど一つだろう。

 

(まずい)

 

 あれは視えていないし聴こえていない。脳の全領域を、殺戮に傾けきっている。生半可な手段では、到底引き戻せなどすまい。

 コジマは思索に熱中し、セリューに科した鎖が千切れかけていることに気付けなかった己を悔いた。扉から、鍵の外れる音がする。今更間に合わない。彼女を無理矢理引き倒したところで、隠れる時間がないだろう。扉が開かれ、屋敷の主が姿を現し、セリューの笑みが一層深まり、ああ、そして。

 

「コロ、捕しょ―――」

「待ていセリュー!」

 

 コジマの雷が落ちた。

 蔵の骨組みが鳴動し、梁に積もった埃が落ちて、泡を喰った蜘蛛や鼠が逃げ出した。

 今にも巨大化を果たさんとしていたヘカトンケイルも、ぴたりと止まる。

 俄かには信じがたいことだった。如何にセリューの命令が途中で掻き消されたとはいえ、その意図は明白。帝具ヘカトンケイルの性質から考えて、自己判断の下実行してもおかしくない。むしろ、するのが当然と言えた。

 それが、止まった。コジマ・アーレルスマイヤーが如何に常軌を逸したモノか、この一事からでも十分伝わることだろう。

 

「ッ……! 何故です、長官ッ!」

 

 そのコジマに向かって、鼓膜の痺れを引き摺りつつもすぐさま反駁してみせたセリューとて、やはり並ではないのだろう。今にも両眼から火を噴きかねなかった。彼女は完全に、一個の激怒の塊と化していた。

 

「こんなことをやらかす悪を、あんなものをこれ以上、一秒たりとて生かしておいてはなりません! いけないんですよ、同じ空気を吸わせては! 速やかに全力を以って正義の鉄槌を下すべきです! それが出来ずしてなんのための警備隊か、なんのための絶対正義かあッ! 何故、何故わかって下さらないのです!?」

 

 控えろっ、と一喝しかけたオーガを制して前に立つ。その僅かな間にもセリューは、顔中を口にしながら叫び続けた。

 

「お答え下さい、隊長、長官! 何故、こともあろうに貴方がたともあろう御方がこのような、まるで悪を庇うかのような真似事を!? 有り得ない、絶対におかしい、これではまるで道理が合わないではありませんか!」

 

 その熱量に、辟易よりもいっそ感動したくなる。幼稚だろうが盲目的だろうが、ここまで苛烈に一つ主題で自らの人生を貫ける者が他にどれほど居るだろうか。

 啓蒙的真実、超越的思索からは最も遠い、血の医療を施した瞬間獣に堕ちかねない愚かさの塊ではあるけれど。

 これはこれで、紛れもなく得難い資質であろう。矯正などあまりに勿体なさすぎる。狂熱の迸る方向だけをほんの僅かでも調整出来れば、己と帝国の未来にとってどれほど有益に働くことか。

 

「何故か、だと?」

 

 その価値を、きっと誰よりも知る故に、猶更ここで退けはしない。己が主で、セリューが従だ。自らの思想で彼女を染め上げるのであって、セリューの熱に自分が牽引されるのでは断じてない。

 

「理由を問うか、この私に」

 

 この場合、議論は禁物であったろう。状況が許さないのみならず、やれば必ず負けるからである。

 なにしろ、人情としての正義(・・・・・・・・)は一点の曇りなくセリュー・ユビキタスにこそ在る。人はこんな残虐を許してはならないし、下手人の権利などまるきり無視して殺してしまえと言い騒ぐのも感情の流れからはまったく自然だ。

 なにせ、彼自身がこれまで他人の人権を散々無視してきたのだから。

 因果応報、やり返されても文句は言えまい。

 

(が、我々官憲がそれを認めていては、やがて社会など破綻する)

 

 何故ならば、官が依って立つべき正義とは、人情ではなく法の正義(・・・・)なのだから。

 

「決まっている。これは仕事だ、巡査官! 職務に私情(・・)を持ち込むな! 社会人としての基本だろう、こんなもの」

 

 しかし、コジマはその理屈を持ち出さなかった。

 感情論で頭を煮え滾らせている相手に対し、理屈を以ってかかるのは禁物であろう。どれほど弁舌に優れていようと、火に油を注いで猛烈な駁撃を受ける結果にしかならない。

 

 ―――まず相手に殴らせるのだ、先に殴りかかる奴があるか。それでは名分が立たんではないか。

 

 と、小手先の技術論を弄すのも悪手。

 よって、悪びれもせず、堂々と。コジマはセリューの憤激を、一切相手にしない態度を示してみせた。

 お前の私的な好悪をこんなところで持ち出すなと、頭から突っ撥ねてのけたのである。

 

「は、え、は―――?」

 

 この「返答」が、よほど慮外であったらしい。セリューは一瞬、呆然となり、異星言語でも聞かされたかの如く白っぽい表情を晒してみせた。

 

 ―――私達の仕事は、職業じゃない。生き方(・・・)でしょう、長官!

 

 もう少し彼女が議論慣れしていれば、このように切り返すことも可能だったやもしれない。

 が、これまでセリューは、自らの正義について他者と意見を競わせたことがなかった。

 困ったことに世間では、この手の論議を青臭いと一蹴し、ただ冷笑を以って報いてしまうむきがある。本気になって付き合ってくれる者が居なかった。

 外部からの刺激が乏しい以上、自問自答にも至りにくい。よって、これが正真正銘初体験。政界という蛇の巣を、弁舌を以って渡り歩くコジマ・アーレルスマイヤーが初っ端の相手なのである。

 

(ひでえ)

 

 手合い違いもいいところだ、とオーガは他人事のように思った。相撲で云えば、虫眼鏡の序ノ口が横綱に挑むようなものだろう。むろん、一瞬とはいえ確かに生まれた空白地帯、これ以上ない心の隙を見逃すような横綱(コジマ)ではない。セリューの心が大反発を起こすより先に、

 

「しばし黙って見ていたまえよ、仕事のやりかたを教えてやろう。それが終わったら、ああ、楽しみに待っていろよ? お前には説教が山ほどある」

 

 と言葉を滑り込ませ、そのエネルギーを散らしてしまった。

 もしコジマが、ほんの少しでもセリューに理解を示すそぶりを見せていたり、自らの言動に対する疑いがあったのならば、展開は逆になっていただろう。セリューはますます激昂し、手の施しようがなくなっていたに相違ない。

 が、コジマにはそうした弱弱しさが微塵もなかった。徹頭徹尾自らの行いを正しいものと信じきり、セリューに対しても出来の悪い生徒を叱りつけるような態度を一貫した。

 鋼もかくやとばかりの精神強度。そこから生じる威を以って臨まれると、如何な正義狂いのセリューでさえなにやら粛然としてしまうのだから恐ろしい。彼女はいま、幼き頃に粗相をして父親に叱られたあのときの心細さを追体験しつつある。

 

(ひとまずは、まあ、これでよし)

 

 暴走の危険は去ったと判断して、コジマは漸く外の連中へと向き直れた。

 

 

 

「おやおや、これはこれは」

 

 当たり前だが、あれだけの大声を出したのである。

 集結した衛兵により、蔵はすっかり囲まれていた。

 曲者の侵入に一時は腰を抜かしかけていた主人であったが、数の利を頼んで落ち着きを取り戻したのだろう。特に屈強な男二人を盾にして、じろりと蔵の内部を覗き込んだ。

 

「誰かと思えば、警察長官殿ではありませんか。はて、貴女を我が家に招待した覚えはありませぬが―――こんな夜分に、一体何用ですかな」

「何用か、とはあまりに白々しく過ぎましょう」

 

 腕を広げ、ぐるりと地獄の光景を見回し、言う。

 

「私が足を運ぶ以上、用件は犯罪者の逮捕、これ以外にありますまい。この蔵の有り様、今度こそ言い逃れは出来ませんよ。まさか知らない間に変質者に潜入されて、蔵を勝手に拷問部屋に変えられたなどと仰りませぬな」

「流石英邁を世に謳われたコジマ長官。正にその通りなのですよ」

「おたわむれを」

 

 一度は沈んだセリューの気配が、俄かに膨れ上がるのを背中で感じる。

 犬神に仕立て上げられるべく首を残して土中に埋められ、目前の美食に喰いつきたくても喰いつけない犬だけが、辛うじて彼女の心境を理解できるに違いない。いざとなったらしがみついてでもセリューを止めろ、と言いつかったオーガは、人間の顔とはこれほどまでに怒りを湛えられるのか、となにやら場違いな感心をした。

 

「……なにか、勘違いをしておられる」

 

 その凶相にあてられた、というわけでもないのだろうが、貴族は話の方向を変えた。

 

「犯罪などとは甚だ心外。ここに揃えた人体は、一つ残らず正統な取引に基いて買い集めた奴隷どもです。私の所有物を私がどう扱おうが、長官、貴女が首を突っ込める沙汰ではないでしょう?」

「おっと、偽証罪まで追加で負って下さいますか」

「言いがかりだ。不愉快極まりない。このことは然るべき筋を通して正式に抗議―――」

「私の目が節穴とお思いか。貴方がその言い逃れを試みると、予想だに出来なかったと、まさか本気で?」

 

 そう言って取り出したのは、セリューに見せた例のリストである。

 

「それは?」

もの(・・)がものであるだけに、人身売買を行う際には買い手と売り手のみならず、官庁に対しても正式な書類の提出が義務付けられる。ご存知ですね」

「……待て。まさか」

「ええ、過去半年に遡って、帝都に於ける売買記録を全部調べ上げました。資料作成は骨が折れる仕事でしたが、相応の成果はありましたよ」

「馬鹿な! それは警察の、貴女の権限が及ぶ範囲ではない! 彼らが易々と書類を差し出するはずが―――」

「これでもそれなりに顔は利くので。交渉も人並みにはこなせますし。ええと、続けましょうか。このリストと照合してみたところ、此処に居られる何方(いずかた)も、貴方の云う『正式な取引』とやらに基いたものではありませんね。『正式』の定義が、私の聞き知らぬところでいつの間にか変わっていたなら別ですが」

 

 言質を取れたのはサヨだけなのだが、態々正直に喋ってやる必要もないだろう。コジマは少々、話を盛った。

 

「官庁の許可がない以上、これらの行為は商取引にあらず、ただの拉致・監禁であり、貴方がやっているのは殺人です。これだけでも私が貴様をしょっぴくには充分。―――神妙にお縄を頂戴しろ、下劣な犯罪者ふぜいめが」

「この、小娘―――」

 

 首筋の血管が怒張する。

 

(撃つか)

 

 と期待を籠めて待ったが、生憎そうはならなかった。この貴族の沸点は、存外高いところにあるらしい。

 

「長官」

 

 にまにまと、気味の悪い愛想笑いを浮かべながら言うのである。

 

「思いませぬか、こんなことは無意味だと」

「思わんね、砂漠の砂の一粒ほども」

「まあまあ、聞きなされ。歳を重ねているぶん、私は貴女より世の仕組みというものをわかっている」

 

 そこから展開されたのは、予想通りの講釈だった。自分を捕まえ、牢にぶち込んだとしても、それは所詮一時的な話。あちこちにいる「友人」達が扇動して、必ずや自分を釈放させる。権力の前では法など何らの意味をも持たない。そんな徒労を重ねるよりも、ここは一つ、自分と取引をしないか―――

 

「貴女が私のささやかな愉しみ(・・・・・・・・)を見逃してくださるのであれば、私からも相応の対価を支払いましょう。そうですね、表向きは今の派閥に属したまま、しかし裏ではこっそり貴女に情報を流し続ける、というのはどうでしょうか」

「………」

「いっそのこと、一度きりなら更に輪をかけて大胆な、目に見える工作を請け負ってもいい。悪い話じゃないでしょう、どうかこれで」

「貴様、自分の頭目がどんな男かも知らんのか」

 

 兆歩譲ってこの口約束が正しく履行されたとしても、そんな真似をすれば三日どころか三秒でバレる。オネストとはそういう男だ、そうでなければとっくに自分が蹴落としている、とコジマは叫びたかったろう。

 

「答えは否だ。否、否、否、否、断じて否。法に力がないと言うならば、この私が付与せしめるまでよ。よって、貴様の申し出は端から考慮するにも値しない。さて、そろそろ法で認められた権限を発動させてしまおうか」

「ぐっ……くそっ、物の道理も知らん小娘が!」

 

 男はヒステリックに足元の地面を蹴りつけた。

 

「無駄な足掻きと、何故わからん!? こうして私の機嫌を損ねるほどに、釈放された後の復讐が苛烈になるだけだぞ!? もはや楽に死ねると思わんことだな!」

「前任者ならいざ知らず、私にその手は通じんよ」

 

 せせら笑って、コジマは言った。

 

「忘れてもらっては困る。私自身、これでも貴族の身の上だ」

「あっ」

「うん、だからお前達の生態も掌を指すように知っている。各方面の『友人』が、貴様を獄から助け出す? 馬鹿を言っちゃあいけない、貴族とはそういうものじゃない。如何に他家をうまく欺き、身内を裏切り、恩ある者に毒を盛るか。それが今の帝都に於ける『良い貴族』の条件で、そうでない方などとっくに墓の下だろう」

「ぬぅ、ぐっ」

「まあ、嫁なり息子なりを娑婆に残せたなら、或いは話は別かもしれんが。そうと知るがゆえに、ええ、勿論手抜きは致しませんとも。家族、衛兵、猫の子一匹に至るまで、この屋敷に生息する生命体は残らず屯所に招待します。さて、そうなると家が空っぽになるだけでなく、権力機構に重大な空白地帯が出現しますね」

 

 物理的に、空間は真空を忌むよう出来ている。よって真空(その)状態を維持したいと願うなら、緻密な計算に基いた仰々しい機構が必要となるだろう。

 

「居ませんよ、多大な資本と労苦を投入し、ついでに私と真っ向対立するリスクを負ってまで、貴方のためにそんな機材を揃えてくれる物好きなんて。こうまで完璧に証拠を握られ、愚物であることを露呈した以上、もはや誰一人として恐れますまい。皆悉く、貴方の屍肉を啄ばむ烏と化すに決まっている。そうですね、一週間も拘留すれば、すっかり骨になりますか」

 

 でしょう、と。

 大輪の花が開くように。コジマはこれ以上ない、最高の笑顔を浮かべてみせた。

 それが何よりの挑発になると、確と認識していたゆえに。

 

「ふざけるなこの売女めがァァァ―――ッ!」

 

 貴族にしては驚異的な我慢強さを持っていた男も、遂に自制心を失った。怒号し、懐から取り出したのは黒光りする回転式拳銃(リボルバー)

 ぱぁん、と。

 乾いた音が木霊した。

 

 

 

「―――撃ったな」

 

 コジマの笑みがいよいよ深まる。

 弾丸はライフリングに導かれ、回転しながら飛翔して、彼女の頬をわずかに掠め、朱色の線を残していった。

 値千金の傷だった。

 碌に狙いをつける暇もなかったにしては、なかなかの腕前といっていい。

 

(いや、違う。態とそうなるように身を動かした)

 

 セリューにははっきり見えていた。トリガーを引くべく男が指に力を入れた、その刹那。コジマがさりげなく首を傾け、本来ならば虚しく空を切るばかりであったはずの軌道上に、自身を割り込ませた瞬間を。

 

「罪状を述べ、投降を勧告し、極めて文明的に扱ってやった。にも拘らず、暴力を以って法網から脱しようとしなさるか」

「やかましい、何が法だ、何が罪だ! 貴い血筋のこの私が、馬糞臭い田舎者共をどう扱おうと勝手だろう! どうせ奴らなど、生きていたところで何にもならん! いくらでも替えのきく、無価値で無意味な人生をただダラダラと送るだけだ! それに比べてたとえ一時でも私を愉しませられるなら、それはどんなに価値のあることだろう! 感謝されこそすれ、咎など断じて受けるものか! ―――なにをぼさっとしておる、衛兵ども!」

 

 怒号され、為す術なく事態の推移を眺めていた兵隊達に魂が戻る。

 

「殺せ、さっさと殺さぬか」

「し、しかし旦那様、相手はあの(・・)『アーレルスマイヤーの虐殺者』です」

 

 懐かしい呼び名に、コジマの片眉がぴくりと上がる。主人はふんと、馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 

「それがどうした、相手はたかだか三人ぽっち。数で圧倒的に勝る上に、奴らめ、身に寸鉄さえも帯びていないではないか。何を恐れることがある。第一、貴様、わかっているのか。あの女は貴様ら衛兵をもしょっぴくとぬかしたのだぞ」

 

 兵どもの顔色が、さっと変わった。高高と逆さ吊りに処された主人の下の地面に於いて、仲良く首を刎ねられて、一直線に並ばせられた自分達の姿が見えたのだろう。

 この人間集団の頭上に漂う雰囲気が、俄かに変じた。ぴりぴりと殺気を纏ったのである。

 

「そうだ、殺れ。あの雌畜生さえ屍にしてしまえれば、後はどうとでもなるのだァッ!」

「あくまでそういう伝で来ますか。うん、ならもう、これは仕方ない」

 

 と言った時にはもう、コジマの手には一振りの大剣が握られていた。

 

「えっ」

 

 驚愕の声はセリューから。誓って言おう、彼女は瞬きをしなかった。

 コジマ・アーレルスマイヤーの意図を理解せんがため、その背をじっと―――そうすることで、やがて肉の体が透け、心が露になると言うかのように―――凝視し続けていたのである。にも拘らず、大剣が出現した瞬間がわからなかった。

 セリューだけではない。オーガも、貴族も、衛兵達も。誰一人として、コジマがいつ何処からどうやって剣を取り出したのかわからない。それは本当に、気付いたら既にあったのだ。

 それも当然である。何故ならこれは、コジマの愛する月光とは、剣にして剣にあらず。

 切っ先から柄頭に至るまで、この星の要素を一片たりとて含まない、正真正銘の外宇宙兵装なのだから。

 よって、人間世界のあらゆる道理はこの聖剣の前では意味を持たない。

 物質と概念のちょうど中間の存在に身を置いて、状況に応じて都合のいい側へと性質を偏らせてみせる程度の芸当、当たり前のようにこなしてのける。

 だから、貴族の男が丸腰と判断したのは完全なる誤りなのだ。

 啓蒙の低い―――いっそ皆無といっていい―――彼には見透せなかっただけである。月光は、常にコジマと共に在る。物理的手段では永遠に辿り着き得ない、観測すらも不可能な、虚空を掻き毟る(かそ)けき音色の反響する、あの窮極の深淵へと導くために、決して彼女の背から離れない。

 

「官吏に傷を負わせ、あまつその殺害を声高々に指示する凶悪犯だ。こんな輩はあらん限りの戦力を投入して可及的速やかに鎮圧するしか他にない。ああ、本当に仕方のない、已むを得ざる措置であるよ」

 

 そんなものを見てしまったのである。

 この場に立つ総ての人間が、眼球の奥に発生した形容不能な痛みに呻きを上げた。視覚を通して叩き込まれた啓蒙的真実が、視床の陰、脳梁後端上部より突出した石灰化の進む小器官―――松果体を直撃し、今にも血を噴き上げんばかりに叫喚させているのだ。

 彼らが未知の痛みに動揺しているその隙に、コジマは更なる一手を打っていた。

 聖剣の剣身を、根元から中腹にかけて恭しく撫で上げる。その動作を合図として、月光はその名の通り、己が身を輝かしく一変させた。

 

「………綺麗」

 

 呆然と、童女のような口ぶりで、セリューが漏らした一言が総てであった。これほど美しいモノは、この先千年生きたところで、決して拝めはしないだろう。

 迸り、大刃を為すは花緑青(はなろくしょう)。明暗によって浮かび上がった紋様の奥に何かが見える。絶対に理解してはいけない、人間の脳味噌では理解しようのない、慈悲深く覆い隠されるべき啓蒙的真実が、この宇宙の実相が。

 これが、これこそが月光の聖剣。彼方より来りて我々の脳を揺らすもの。厳にして秘されるべき、コジマにとっての「導き」である。

 それをこうして曝した以上、敵対者の末路は決まっていた。

 

「あ」

 

 だらしなく垂れた貴族の唇から、音がこぼれる。

 声ではない、「(おと)」である。なんらの意味も、感興も含んでいないこんなものは、こちらの単語こそ当て嵌めるのに相応しかろう。

 男はまったく、急に白痴化でも進行したかのようだった。

 自分の兵隊が片っ端から塵と化し、光波が奔流となってとうとう我が身に殺到しても、彼は身じろぎひとつしなかった。涎を垂らし、何処か遠くを見詰める眼差しで、五体が砕け散るのを待っていた。

 ひょっとすると、自分が死んだということにすら気付かなかったかもしれない。彼がこの地上にて重ねた罪業に比べれば、些か釣り合いが取れていないのではないか、と非難したくなるほどに呆気ない最期であった。

 

 

 


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