おそらく、これが年内最後の投降となります。この先、少々立て込みそうなもので。
再会は一月中旬あたりを予定しております。畏れ入りますが、しばしの間、どうかお待ち下さいませ。
夢を見る。
見続ける。
形容もできず定義の下せぬ無始曠劫の中核で、少女はひとり、血に染まった夢を見る。
其は封じられた恥の記憶。上位者の怒りに触れ、尽きせぬ呪いに囚われた愚か者どもの断末魔。
覆い隠された罪の跡にして、いつか暴かれるべき秘密である。
事の発端は、実に六百年もの昔に遡る。
それは臣具の生まれた時代。野心家で自己顕示欲に満ち溢れた皇帝は、しかしそれゆえに不幸であった。
偉大なる始皇帝が帝国を建立してから、既に四百年もの時間が流れている。これだけ長々と国体を維持することに成功したなら、ふつう君主の賢愚は国の興亡にさして影響を及ぼさない。発達し、洗練された官僚機構の存在が、最高権力者の手を煩わすまでもなく実務のほとんどを処理してしまうし、逆に君主が能力の表現を求めて新規の事業を興そうとしても―――その内容が暴虐であれ善政であれ―――「さあ、それは」と口を挟み、難癖をつけ、わかったようなわからぬような、とにかく不得要領な訓戒を垂れつつ煙に巻き、遂にはそれを立ち消えさせてしまうからである。
そして、このひたすら旧習の中に引き籠り、事なかれのなあなあでやって行こうという処世法が、秩序維持には案外都合が良いのである。社会的動物としての人間は、一般に生活環境の急激な変化を望まない。技術の飛躍的な進歩なりを契機に深刻な内憂を抱えた場合や、他国との全面戦争状態にでも陥った、所謂火急の
無能者ならばよい。
めしを食い、酒に酔い、女を抱くこと以外に何らの興味も示さない者にとってはこれほど適した職種もあるまい。
が、なまじっか才に恵まれ、世に志を立てんとする者がこういう座に着いてしまうと、誰にとっても不幸であった。
そういう輩の骨を抜くべく、「女」を駆使した技術も宮中内では発達し、この当時にはほぼ完成の域にある。
が、時の皇帝はそれを以ってすら篭絡されない、尊貴な血筋の末裔としては極めて珍しい鉄腸の持ち主だったらしい。彼は公務と言えば時々差し出される書類に
「おれは何のためにいるのだ。こんなことをするために五体満足で産まれ出たのか」
と、毎日のように繰り返し、時たま頭皮を掻き毟り、発狂寸前にまで陥った。
「人として、男として産まれたからにはせめて己の生きた爪痕を、深くこの世に遺したい。市井の無頼漢ですら抱く願いが、何故皇帝たるおれに限って許されんのだ」
募るばかりで衰えを知らない憂憤は、やがて一つの思想を生むに至る。
―――我が帝国には帝具なる、四十八の至高の兵器が存在する。畏れ多くも我らが祖たる始皇帝が、国家の永久的安寧を祈って遺し下されたものである。
―――が、だからといってそれに甘えて、縋り続けるばかりでは恥であろう。子は父を超えるものである。あらゆる先人は後進に超えられるを以って快とする。
―――安寧の裡でも乱を忘れず、力を蓄え、大いなる発展を成すことこそ始皇帝が未来に懸けた本懐であろう。文化・文明の爛熟期たる今こそが、その大義を叶える時なのだ。
臣具創造事業の根底的思想である。重臣たちは難色を示した。
(折角安定している国境線が、またぞろ騒がしくなるではないか)
強力な力を手にしたならば、使いたくなるのが人情である。現に帝具創造後の始皇帝を見よ。たちまち四方へ押し出して、地政学をもまるきり無視し、取らでもな領土を取ったばかりに今日まで残る紛争の火種を撒いたではないか。
(超兵器を持たず、純粋に兵理を重んじられていた若き日の彼ならば、決してあのような真似はなさらなかったはずなのだ)
第一、周辺国家が反応しないわけがない。
帝具に匹敵する超兵器を作成中と聞きつければ、どの国も慌てて軍拡へと乗り出すだろう。敵の戦力向上を、指をくわえてじっと見ている馬鹿はいない。いたら国賊と罵られるのが当たり前の時代である。場合によっては厭戦気分の強い国民どもをして、軍備増強へ賛同せしめる出汁に使われかねなかった。
(お止めしたい。したいが)
いかんせん、民意が既に出来上がってしまっている。
この頃になると、皇帝も小手先の技を覚えたらしい。栄爵に目のない御用学者をひきつけて、民間に自分の思想を鼓吹した。
長く続いた平和に倦む雰囲気が、そろそろ目立ちつつある時期である。
景気よく、かつ勇壮な語句によって彩られたこの新説は、民衆からは熱狂を以って迎えられた。
重臣たちの反応と、見事に正反対といっていい。これに逆らい、あくまでも諌止する姿勢をとれば、君側の奸として罵倒され、血迷った民衆が一揆を起こし、城門前に虚しく首を晒されかねない。
(馬鹿げている)
無駄死にもいいところである。沈黙する他なかった。
この、日頃口やかましい老臣どもの沈黙ほど、皇帝の溜飲を下げたものはない。
(それみよ、やったわ。漸くおれの才腕を自由に揮える日が来たぞ)
得意満面で、皇帝は臣具作成に取り掛かった。
が、そうは言っても、なにもこの男自身が槌を取り上げ鋼を叩き、ふいごを動かし風を送って打ち伸ばし、武具を鍛造したわけでは、むろんない。
彼の仕事は予算を引き出し、これを適切に分配することで、実行者は別にいた。
国中から集められた、えりすぐりの職人集団がそれである。
大半を占めるのが無骨な鍛冶師で、しかし全てではない。生まれてこのかた槌など握ったこともないような、痩せぎすの白衣の男が居れば、解読不能な文字で書かれた御札を全身余すところなく貼り付けた、見るからにあやしげな土着の呪術師まで混じっている。
噂では、他国で魔女認定された錬金術師まで招いたらしい。
これらの人間百景を眺めても、皇帝が如何に本気であったか窺える。彼は本気で帝具を超えようとし、その成功を梃子に自らの発言力の拡張を期するという
……ただ、彼にとって最大の誤算は。
自分が集めた人材の中に、極めて危うい―――独自の世界観と行動学によってのみ駆動する、とびきりの異端集団が混入していたことだろう。
その存在は歴史から完全に抹殺され、名すら何処にも残っていない。狂気的な悪夢の世界に無限に滴る血の中に、唯一遺るのみである。
客気に富んだこの皇帝の耳元で、きっと彼らはまことしやかに説いたろう。
―――おそれながら、陛下。
「この世界に存在する鉱石や危険種を幾ら素材に使ったところで、出来上がるものは所詮帝具の二番煎じに過ぎませぬ。この四百年間に、新たな鉱石や超級危険種が発見されたという噂も聞かぬ以上、これは必定の話かと」
「貴様、泣き言を垂れおるか」
冠の下、こめかみの血管が怒張した。
「いえいえ、滅相もない。我々はただ、発想を四次元的にする必要があると申し述べたいだけでございます」
「よじげん、とな?」
「左様で。なに、簡単なことでございますよ。この世界にあるもので足らぬなら、」
と、そこで一旦言葉を切って、
「
不気味な笑みと共に囁かれたその言葉は、この上ないほどこの権力者の柔い部分を衝いていて。
その精神を電磁的に感応せしめるには充分だった。
「ふうむ、世界の外から、か。なるほどもっともらしく聞こえるが、現実的に当てはあるのか? 空理空論では話にならぬぞ」
「ございます。陛下はアーレルスマイヤー家をご存知で?」
「知らいでか。我が皇統成立に最初期より大なる貢献を果たし続けた、譜代も譜代の重臣だ」
「では、彼の者どもの領内に、十五年前天蓋を突き破って飛来した星の話も?」
「ああ、そんな事件もあったな。確か、何処ぞの農園に落ちたのだったか。お陰で幸いにも死者も出ず、隕石自体何の変哲もない鉄隕石で、農具に利用したと申しておったが」
「ああ、陛下、陛下、おいたわしや」
大仰な身振りで嘆いてみせて、そこから先に語った内容が尋常ではない。
「陛下は欺かれております」
と言うのである。
「何の変哲もない、などと一体どの口が申すのでしょう。あの隕石の落下痕を一度でも目にした者ならば、絶対にそんな発言は出てきません。凄まじいものですよ、有機無機物のべつなく、あらゆるものが命を吸われ、灰色の塵しか残っていない光景は。十五年もの月日が経過したにも拘らず、未だに周囲の植生は奇怪にねじれ、新たに芽吹く命もなく、どんなに小さな虫けらとてもあの場所へだけは絶対に近付こうと致しません。土地では『焼け野』と呼ばれていますが、まったくそれ以外に名付けようのない、異界の景色が広がっております」
「なんだと? おれは知らんぞ、そんな話。アーレルスマイヤーはおろか、臣下の誰からも、間諜の報告にさえ載っていない」
「情報統制です、陛下。アーレルスマイヤーは持てる力の全てを使い、あの場所が外部に漏れないよう計らっているのです。
「馬鹿な!」
たまりかねて叫び上げた。もし事実だとすれば、既に割拠であり、叛逆ではないか。
「あのアーレルスマイヤーが、信じられん。何故だ、何故そうまでしてたかが隕石の落下痕を隠蔽する?」
「勿論、ただの隕石ではないからですよ、陛下」
「では、なんだと」
「力です、陛下。あれは星海からの贈り物。この世の外に無限に広がる、光も腐る高次元暗黒よりの使者。それ自体が大いなる神秘の結晶であり、超越的思索へ至る道。その利用方法を、アーレルスマイヤーの連中も見出したに違いありません」
「まさか、独占しようとしているとでも」
「流石はお聡い、その通りにございます。陛下、どうか帥を起こし下さいませ。急ぎアーレルスマイヤーを討ち、我らをあれに、あの宇宙からの色彩に見えさせて下さいませ。さすれば我らはそれを以って、如何なる帝具だろうとも足元にさえ及ばない、超越の力を御前に披露してみせまする。陛下、どうか、どうか我らを、あの『焼け野』に―――……」
帝都からの軍勢が、一切の予告無きままに、突如大挙してアーレルスマイヤー領に押し寄せたのはそれから暫くのことである。
あちこちで火の手が上がり、軍勢同士が衝突し、一帯は手の施しようもない混乱に陥った。
その騒ぎに乗じて、明らかに軍隊と装束を異にする一団が「焼け野」に侵入。もう誰も使う者のいない、質量的な暗闇に満たされた井戸の底へと身を投じ、やがて再び地上に這い出た時には数が半数に減っていた。
が、それでも彼らは笑顔であった。
畢生の大作を仕上げた芸術家のような。
最前線にて敵国が降伏したと知らされた兵士のような。
大願を成就させた者のみが浮かべ得る、あのはじけるような笑顔そのもので。
ついにやった、手に入れたぞと、狂いきった笑声を響かせながら、混沌の坩堝より離脱した。
……これこそが、帝国の犯した最大最悪の愚行の端緒。
好奇の狂熱に衝き動かされた空前絶後の冒涜者達は、その夜、「焼け野」の底にて何かに見え、如何なる手段に依ったものか、本来物理的接触が不可能な筈のそれに干渉し、何処かへと連れ去った。
きっと、口に出すのも憚られる―――出そうものなら途端に舌が腐りかねない―――陵辱を加えた結果だろう。でなくば、その後の「焼け野」があれほどの呪いを孕むわけがない。
ただでさえ忌み地扱いされていた場所が、完全にこの世の法則から脱け堕ちた、どうしようもない極地へと変貌したのである。推して知るべし、というものだ。
一朝明けて事態の全貌が把握出来るようになると、時のアーレルスマイヤー家当主は己の努力が無為に帰したと完膚なきまでに理解して、
―――なにもかも手遅れか。
と、暗澹たる気持ちで灰の空を見上げている。
…。
……。
………。
ああ、あなた、泣いているの?
………。
……。
…。
夢を見る。
見続ける。
すべてに繋がり何処へも通じぬ、矛盾が矛盾のまま矛盾なく成立する人智の及ばぬ超次元を揺り籠に、桜花の少女は夢を見る。
其は耽溺する血髄の子守唄。拝領した聖血は羊水にも似て、常軌を逸した親和性が同調を超えた合一を叶え、ここに声なき声の噎びを聴く。
目覚めの時は、近かった。