シロツメクサの恋   作:ライジング

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 公式設定によると妙子ちゃんの家族構成は「母・弟」とのことらしいので、本作ではその設定を採用しています。
 ただ義理の姉弟、弟の年齢等は捏造です。


①ねえ、シロツメクサの花言葉を知ってる?

 二つの選択肢が少年にはあった。

 

 人は幸せになるために生まれてくると、誰かがそう言った。

 今の君は果たして幸せか、と問われれば間違いなく幸せだと答える。

 しかし、その幸福には二種類が存在する。

 幸福の形は人それぞれだ。

 少年もまた異なる形をした幸福を選ぶことができた。

 ひとつは、本当に欲しいものは手に入らないが絶対の平穏が約束された幸福。

 もう一方は、最も求めているものを得ることができてもリスクを背負うことになる幸福。

 選択肢である以上、両方を選ぶことはできない。

 

 どちらが正しいのだろう。

 少年は問いかける。

 もし本当に人が幸せになるために生まれてくるというなら、なぜ運命はこうして選ばせるようなことを強いるのか。

 もっと遡れば……なぜ『この思い』を自分に気づかせてしまったのか。

 

◇◆◇

 

「ねえ、ショウちゃんはシロツメクサの花言葉を知ってる?」

 

 ある日、姉の妙子はそう尋ねてきた。

 シロツメクサ。

 妙子が好きな花だ。

 

「いや、知らないな」

 

 弟の奨真(しょうま)はそう応えた。

 花言葉どころか花そのものを知らない人のほうが多いのではないか、と彼は思った。

 

「どんな花言葉なんだ?」

 

「『幸福』とか『約束』の意味があるんだよ」

 

「へえ……」

 

「どう? お姉ちゃん物知りでしょ?」

 

「それぐらいで威張るなよ。今時スマホで調べれば誰だって一発で知れるだろ」

 

「むぅ。なによぉ。ショウちゃんはそもそも知らなかったじゃない。お姉ちゃんバカにする資格ありませーん」

 

 そう言って妙子は頬をプクリと膨らませて拗ねてしまった。

 一歳違いの姉がすごく年下の少女のように感じられた。

 思わず頬が緩みそうになるのを奨真はこらえた。

 

「ま、いい花言葉なんじゃない?」

 

 お詫びというには不適切な言動だが、奨真は拗ねる姉に一応のフォローをかけた。

 しかし、

 

「でもベタベタというか、ありふれてるよな」

 

 すぐに皮肉を飛ばしたくなるのも年齢的に避けられないことだった。

 弟のシニカルな態度に妙子は不満げな視線を送る。

 

「どうしてショウちゃんはそう捻くれてるのかなぁ」

 

「思春期なんだよ。察してくれよ姉貴」

 

「もう! その呼び方も捻くれてる! 『姉貴』じゃなくて昔みたいに『お姉ちゃん』って呼びなさい!」

 

「そう呼べないのも思春期なんだってば」

 

 15歳の少年としてはいつまでも姉を『ちゃん』づけで呼ぶのはやはり羞恥心が勝る。

 彼の中で妥協できた呼び方は『姉貴』だった。

 

「弟がすっかり反抗期だぁ。昔はあんなにかわいい甘えん坊だったのに」

 

「こんな歳になっても姉貴に甘えてたら気持ち悪いだろうが」

 

「お姉ちゃんはぜんぜん気にしないよ?」

 

「俺が気にするっつの」

 

「遠慮しない遠慮しない」

 

 そう言ってフニャリと破顔した妙子は両腕をいっぱいに広げた。「抱きしめてあげる」と告げる構えだ。

 小さい頃から妙子は弟を抱きしめることが好きだった。

 今もそうだ。

 

「あのなぁ……」

 

 もうそんなこと気軽にできる歳じゃないだろうと奨真は呆れた。

 妙子はまだ幼少時の気分が抜けていないのだろう。

 しかしお互い、カラダは立派に成長しているのだ。

 私服の上からでもわかる妙子の膨らみに視線が向く。

 視覚だけでも柔らかいとわかるたっぷりとした双丘。

 

「ほらほらおいで~♪」

 

 妙子が少し身を揺らしただけで、豊満過ぎる果実が波打つ。

 昔のように無邪気に飛び込めば、さぞ至福の感触に包まれることだろう。

 だが当然、奨真は飛び込まなかった。

 

「しないってば」

 

「むぅ。つれないなぁ~」

 

「そっちこそいい加減弟離れしろよ姉貴」

 

「また姉貴って言う~」

 

「もうガキじゃないんだ。そう呼びたいお年頃なんだよ」

 

 嘘だ。

 本当は『妙子』と名前で呼び捨てにしたかった。

 しかしその気持ちは必死に押し留めた。

 

 それは彼女の弟として、いろいろ間違っている。

 

「……けどさ、なんで急に花言葉知ってるかなんて聞いてきたのさ?」

 

 胸の内から込み上がるものを誤魔化すように奨真はそう尋ねた。

 

「ん……いや、ショウちゃんは知ってるのかなぁって思って」

 

「ふーん……」

 

 奨真は思う。

 もし知っていたら、彼女はどうするつもりだったのだろう。

 

「なあ姉貴」

 

「お・姉・ちゃ・ん」

 

「姉貴」

 

 呼び方を訂正させようとする妙子だったが、奨真は意気地に押し切った。

 言い聞かせるように。

 

「シロツメクサの花言葉ってその二つだけなのか?」

 

「え? どうして?」

 

「いや……花言葉ってひとつの花でもいっぱい意味があるじゃないか。だから他にもあるかなって……」

 

 奨真は妙子の反応をうかがった。

 いつもと変わらない『姉』としての表情。

 うーん、と記憶を漁る彼女に含むものは感じられない。

 

「あったと思うけど、忘れちゃった」

 

「……そう」

 

「むっ。今お姉ちゃんのこと『相変わらず頭悪い』って思ったでしょ?」

 

「自覚あんならバレーのことだけ考えるじゃなくて、もっと勉強がんばれって」

 

「バレーはお姉ちゃんの青春なの!」

 

「でも部員まともに集まってないんだろ? 大会出場できないじゃん」

 

「むぅ~! いつか集まるんだもん!」

 

「はいはい」

 

 姉弟らしい他愛ない口喧嘩をしながら奨真は思う。

 

 忘れていてくれてよかったと。

 もし知っていて聞いていたのなら、危うく気持ちが先走ってしまうところだった。

 

 シロツメクサの花言葉。

 知らないと言ったのは嘘だ。

 本当は知っている。妙子が忘れたという花言葉も含めて。

 妙子が好きだと言う花を知らないわけがない。

 だから妙子がシロツメクサに込められた言葉を尋ねたとき、奨真は困惑した。

 わかって聞いているのか? どういうつもりで聞いているんだ?

 冷静さを失いかけた。

 だから(とぼ)けた。

 そして妙子は知らないと言った。

 奨真は安堵した。

 一抹の口惜(くちお)しさもあったが、すぐに意識から振り払った。

 

 妙子が忘れたシロツメクサの花言葉。

 それは、

 

 

 

 ──『■を思って』『■のものになって』

 

 

 

 違う。

 妙子は別に深い意味で聞いたわけじゃない。

 思い上がるな。

 そして心を揺らすな。

 奨真は自分にそう言い聞かせた。

 

 彼女を『女性』として見てはいけない。

 それは自分の苗が『近藤』となり、彼女の『弟』になった瞬間から決まったことなのだから。

 

◇◆◇

 

 幼い頃の話だ。

 奨真は虐められっ子だった。

 その日もいつものようにクラスの素行の悪い連中から理不尽な暴力を受けていた。

 奨真は半ば無気力になっていた。

 痛くてしょうがなかったが、誰も自分を助けてなんてくれないからと諦めていた。

 子どもの彼は『社会的弱者』という言葉を知らなかった。しかし知識はなくとも、感覚で自分は『そういうものだ』と理解していた。

 大人たちがどちらを優先的に贔屓するのか、彼は経験で知っていた。

 この世は生まれた家で立場が決まる。

 そういうものなのだと、彼は幼くして残酷過ぎる真実に辿り着いていた。

 だからこれはしょうがないこと。

 助けてくれる神様なんていない。

 そう思っていた。

 しかし、

 

『やめなさい!』

 

 最初、目にしたのは白いバレーボール。

 まるで空から星が降ってきたようだと、幼い奨真は思った。

 投球が地面に直撃すると、凄まじい音を響かせた。

 一人の少年をよってたかって虐めていた連中はその音に竦み上がった。

 傷だらけの奨真は、次に少女の姿を目に納めた。

 とてもかわいらしい、お淑やかな雰囲気を持つ少女だった。

 捻くれ屋の悪童たちも、思わず心を奪われて見惚れるほどに。

 しかし少女の目には美しさとはまた別に、雄々しい正義心が宿っていた。

 それは奨真がいままで見たことのない、フィクションの中にしか存在しない悪を憎む目だった。

 

『虐めなんて最低だよ! 男の子らしくない!』

 

 いつも強気で傲慢な悪童たちは怯んだ。

 綺麗な少女に叱咤されたことが少年心に痛みを与えたのか、あるいは先ほどの投球に恐れをなしたか。

 どちらにせよ、自分たちよりも背の高い、そして肉体的にも精神的にも『強さ』を感じさせる少女を本能的に恐れていた。

 

『それ以上その子傷つけたら、許さないよ?』

 

 そのひと言がトドメになった。

 気づくと悪童たちは逃げていた。

 

『だいじょうぶ? ひどい、こんなになるまで……』

 

 少女は奨真に駆け寄り、そっと抱き起した。

 奨真は戸惑った。

 彼の人生で、今までこんなことをしてくれる人物はいなかった。

 

『お家はどこ? 送っていくよ。お母さんかお父さんに早く手当してもらわないと』

 

 しかし、少女のその言葉に奨真はまた意識を暗い淵に沈めた。

 

『……いないよ』

 

『え?』

 

『そんなのいないよ……』

 

 奨真は見知らぬ少女に自分の生い立ちを打ち明けた。

 自分が『ミナシゴ』と呼ばれる子どもだということ。

 虐められていた理由も『オヤナシ』で『シセツグラシ』だからだということも。

 少女にとってそれは無縁な世界の言葉だったのだろう。

 明らかに戸惑う様子を見せていた。

 しかしすぐに平静さを取り戻して、傷だらけの奨真をいたわった。

 

『……とりあえず、そこに帰ろう? ね? 怪我直さなくちゃ』

 

 帰りたくない、と奨真は言った。

 怪我をして帰っても、どうせまた適当に治療をされて叱られるだけだ。厄介事を持ち込むなと。

 奨真のいる施設は決して暖かい場所ではなかった。

 ほとんど義務的に、生活のためにいやいや働く職員しかいない、思いやりのかけた環境だった。

 奨真の態度から、子どもながら少女は何かを察したのかもしれない。

 少年の小さな手を優しく包み込んだ。

 

『……じゃあ、わたしの家に来る?』

 

 少女はそう尋ねた。

 

『……うん』

 

 自然と頷いていた。

 

 彼女に手を曳かれて、夕陽に染まる道を歩く。

 バレーボールでずっと練習をしていたのか、その手はとても熱かった。

 その温もりを手離したくないと彼は思った。

 少年の胸の中に、これまで経験したことのない気持ちが芽生えた。

 

『そうだ。自己紹介してなかったね。わたし、近藤妙子。君は?』

 

『……奨真』

 

『じゃあ、ショウちゃんだね。狭い家だけど、よかったらゆっくりしていって』

 

 そう言って微笑む妙子は、夕陽に負けないくらい輝いているように見えた。

 

◇◆◇

 

 それから奨真は妙子の家に招かれることが増えた。

 妙子が母親に事情を説明すると、快く受け入れてくれた。

 妙子の言うとおり決して広い家とは言えなかったが、奨真の心はとても安らいだ。

 その家で過ごす時間や、その家で食べる食事はとても暖かく感じられた。

 

『ショウちゃん。次はこれで遊ぼう?』

 

 妙子はよく奨真の面倒を見てくれた。

 弟のような存在ができて嬉しかったのだろう。

 奨真もまた、施設にいる陰湿な年上たちと違って、明るく優しい妙子に懐いていった。

 少しずつ、少年の表情に笑みが戻っていった。

 仲睦まじく遊ぶ子どもたちの影で、妙子の母は電話で施設と難しいやり取りをしていた。

 電話の内容は子どもでは理解できないものだったが、妙子の母の目には娘と同じ光が宿っていた。

 

 妙子の家にいると、幸せというものを感じることができた。

 ここが本当に自分の家ならいいのに。

 そう考えると、唐突に悲しくなって奨真は泣いた。

 

『だいじょうぶ。ショウちゃんは、何も心配いらないよ?』

 

 奨真がそうして泣き出すと、妙子はいつも胸の中に抱きしめて「よしよし」と慰めた。

 その頃はまだ小さな胸だったが、しかしたっぷりとした情を込めて奨真を包み込み、優しく頭を撫でてくれた。

 妙子の温もり、声、手つき、そして安心感を与えてくれる明るい笑顔。すべてが奨真は好きだった。

 

 奨真は自分が恋をしていることをやがて自覚した。

 好きという気持ちは、彼の心を穏やかにし、幸福で満たし、そして熱くさせた。

 大好き、といつも彼女に伝えるようになった。『わたしもだよ』と妙子も笑顔で応えてくれた。

 好きの意味は恐らくすれ違っている。

 でも構わなかった。

 妙子と過ごす時間が、少年にとっては掛け替えのないものだったから。

 一緒にいられればそれだけでいい。

 

 そして、その夢は叶えられた。

 

 気づくと、妙子の家は「お邪魔します」から「ただいま」を言う場所になった。

 大嫌いだった施設から離れることができた。

 

『今日からわたしは本当のお姉ちゃんだよ?』

 

 そう言って妙子は心から嬉しそうに弟の奨真を抱きしめた。

 奨真も喜んだ。

 願いは現実になった。

 ……けれど、叶えられなくなった夢もある。

 

 自分たちは姉弟になった。

 だから、姉に恋をしてはいけない。

 それは、おかしなことだから。いけないことだから。

 子どもながらに、そう思った。

 もしこの思いを打ち明けてしまったら自分たちはもう家族でいられなくなるかもしれない。

 この関係は壊してしまうかもしれない。

 それだけは、イヤだった。

 

 自分を迎えてくれる家がある。妙子の弟でいられる。

 それだけでもう充分過ぎる幸せだった。

 だから、それ以上は望んではいけない。

 

『ショウちゃん』

 

 自分の名を呼ぶ慈愛の込もった妙子の声。

 しかし、それは姉としての愛だ。

 思い違いをしてはいけない。

 この感情を伝えてはいけない。

 姉弟の絆を、壊したくないから。

 

 奨真はそうして、ずっと今も、義理の姉への恋心を隠し続けている。

 




 妙子ちゃんはいいぞ。
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