でもヒロインはまだまだ出てきません。
なぜかというと、話が全然進んでいかないからです、さーせん。
階段を使って2年生の階まで上がっていくとすぐ、学校というには似つかわしくない部屋が目に入った。
Aクラス――この学園において最優秀者の教室だ。
入学金や授業料において、ここ文月学園は試験校という事情で近隣の高校に比べ破格の安さを誇っている。
それでもなお、このAクラスのような華美な装飾を可能とするのはこの学校に注目する投資家、企業など多くのスポンサーが出資し支えているからだ。
無論、俺の父の会社もその例に漏れない。
その分データはきっちりと取らせてもらっているから、十分に見返りのある出資といえる。
そういった背景から、この学園の資金力は半端ない。
それを用いて豪華設備や様々なイベント、支給品など様々なものが用意される。
【ご褒美】の存在のおかげで、ここの生徒達は多少の無茶なら大抵のことは受け入れてくれるというわけだ。
俺達にとっては実に都合の良い実験体。
『(――でもさすがに、たかが学校に金かけすぎじゃね?)』
周りがキラキラしすぎて、むしろ勉強する気が萎えるのは俺だけか。
…理解できねーや。
『(でもこんなエサがなきゃ勉強できないってのもそれはそれで悲しいねー。…ま、んなもん俺の言えたことじゃねぇか)』
さっさとFクラスに向かってしまおう。
Aクラスは今の俺には無縁のクラス。
正直、特に興味はない。
階段付近で止まっていた足を前へ動かし、目的地へと進んだ。
AからEまで全てのクラスを一通り見て回った後、最終目的地のFクラスまでたどり着いた。
…相変わらず圧倒されるな、この教室。
2-Fと書かれた木枠は折れて取れかかっており、外観からしてこの教室の荒廃ぶりが伺える。
ドアをスライドさせて部屋に入ると、中は…うん、Aクラスとは違った意味で学校とは思えない。
以前は教室に入ることなく外から見るだけで終わったので、足を踏み入れたのは今回が初だ。
『うぉ、すっげ…』
隙間風の入ってくる窓。
勉強机と思われるちゃぶ台。
交換時期をとっくにすぎただろう畳。
綿が申し訳程度に入った座布団。
こんな部屋今まで入ったことない。
そのもの珍しさにある種の感動を覚えた。
これが底辺…もはや異次元だ。
全体を見回すとちらほらと生徒がまばらに座っている。皆表情が暗いのは定められたクラスに不満があるからなのかもしれない。
…さて、俺の席はどこだ。
勝手に座っていいのか、いや日本は出席番号やらいろいろ決まってるんだったか?
「…そんな物珍しそうにしてどうしたんだ?確かにこの設備見せられたらしょうがないかもしれんが…というかお前見ない顔だな。誰だ?」
入り口で突っ立っている俺を不審に思ったのか、赤髪でやや長身の男が話しかけてきた。
単純に一見すると不良。恐らくFクラスのクラスメイトと思われる。
『たとえ覚悟してたってクラスを実際に見るのとはまた違うだろ?…ホントおもしれぇなー、この学園は』
「そうか、それは良かった。…で?後者の質問には答えてくれないのか?」
どうやら先程の質問は俺の正体のほうに比重が置かれていたらしく、相変わらず見定めるような目を隠そうともしない。
新学期早々喧嘩でも売る気か、こいつは。
『俺、転入生だからさ。つーかこれ席どーなってんの?自由?』
「まぁ、Fクラスはな。適当に座っていいらしい」
何だそれ。
つまりこのクラスだけ手抜きだとでも?
いろいろ突っ込みたいところだが、まぁ俺にとっては都合が良いから良しとする。
『ふぅん。じゃ、早めに登校したのは正解だったわけか』
そう言いながら選んだのは真ん中の一番後ろの席。
内職(押し付けられた書類by父)がはかどるし、クラス全体を見渡すには最適だ。
「…随分のんきだな。こんなクラスに配属されて、普通は悔しがるもんだろう」
『いや別に。正直言うと、これはこれで楽しい』
なんていうか、キャンプで野宿したときのような。
Aクラスよりよっぽど新鮮味があっておもしろいと思う。
「…変な奴だな、お前」
呆れたような視線を感じるが、俺はそれ以上に気になることがある。
『(…オマエもこの状況を楽しんでいるように見えるんだけど?)』
先程の会話からして、まるでFクラスの教室に不満を感じて欲しかったかのようだ。
あの人を煽るかのような発言。きっと何かしらの意図があるに違いない。
そしてそれに思い当たることが一つだけ、ある。
俺に無害なら構わないけど……そうは行かないだろうな。
ある種、諦めるかのようにため息を吐きながら席に着いた。
できれば、俺の予想が外れますように。
Fクラス51人。
男子49名、女子2名。
何てむさい教室だ。
絶対体育の後は汗やら清缶剤のスプレーの入り混じったにおいで運動部の部室並みにキツくなる。
女子には厳しい環境で少々同情する。かわいそうに。
担任である福原慎先生の自己紹介の後、教卓がぶっ壊れるというアクシデントにより自習へと変貌を遂げた。
先生がいなくなった現在、こんなバカクラスで自習を行う生徒がいるわけもなく。
一人一人が昼休みのような時間を過ごしている。
ある者はゲームを。
ある者はうたた寝を。
ある者は壊れたちゃぶ台を修理し。
ある者は…鎌を持って頭巾を被り、変な集会に参加している。
隣の席にいる坂本に至っては座布団を枕に眠る気満々だ。
あれ、自習ってこうやって過ごすものだっけ。
確か自分で勉強することじゃなかったかな。
あれ、俺の認識が間違ってるのか?
『(――さすがFクラス)』
これ以上考えるのは無駄だと悟り、そういって結論を締めくくった。
そんな環境でまともに苦手科目の古典を勉強している自分が妙にアホらしく見えてくるから不思議だ。
格助詞、係助詞、反語、助動詞、音便…あーもうめんどくせぇ。
「本当にひどい教室だよなー。ここで1年過ごすのかぁ…」
不満を口にするのは遅刻してきた吉井。
今はちゃぶ台の足を修理している。
振り分け試験のときにバカだとは思ったが、まさか最下位クラスに配属されるとは。
本当に俺の親切は無駄に終わったのだと複雑な気持ちを抱いてしまう。
「文句があるなら、振り分け試験で良い点取っとけよ」
愚痴をこぼす吉井に、見た目不良な坂本は見た目に反していかにもな正論を告げる。
「雄二!雄二も同Fクラスに?」
「他にもいるぞ。ほら」
「ハロハロー。ウチもFクラスよ」
「島田さん!」
その後いろいろと吉井が失言を言い放った事から間接を決められていた。
島田という人物は随分乱暴な女性のようだ。
「みっ見えそうで…見え、見え…!!」
そしてたなびく彼女のスカートを必死に覗こうとする小柄な少年。
こいつ捕まえた方が良いのか?
しかし島田自身特に何も感じていないようなので、ほっといてもいいんだろうか。
「ウチは帰国子女だから、出題の日本語が読めないだけなのよ!」
何だそれ。
言い訳にも程があんだろ。
日本語が他の言語に比べて習得が困難なのは分かるが、日本に来たからには学べよ。
「相変わらずにぎやかじゃのう」
「秀吉!」
のほほんと彼らの集まりに入っていったのは木下秀吉というらしい。
これまた中性的な容姿をしている。
男子の制服を着ていても女に間違われてもおかしくないほどだ。
「しっかし…さすがは学力最低クラス…見渡す限りむさい男ばっかりだなー」
吉井、発言者であるお前もその一人だという事を忘れるな。
「でも良かったー。唯一の女子が秀吉みたいな美少女で」
え ?
「ワシは男子じゃ」
「ウチが女子よ?」
「分かってないなー。女子というのは、優しくおしとやかで、見ていて心和む癒しのオーラをただよわせる存在であって、島田さんのようにがさつで乱暴で怖くて胸のないのは背骨の間接に激しい痛みがぁぁぁぁ!!!」
今のは吉井が悪い。普通女にそこまでひどい事言うか?
というか、今のは単なるお前の好みの女性像を並べただけだろーが。
にしても女子か…あいつも無得点のはずだけど…どうやらまだ来てないみたいだ。
よく考えると、さっきの吉井の女性像にはあいつがぴったり当てはまる。
…無自覚か?
ガラッ。
不意に教室のドアが丁寧に開かれた。先生かと思って顔を上げると、それは俺が今まさに考えていた女の子だった。
「あのー…遅れてすみません」
その声に皆が視線を向ける。
「保健室に行っていたら、遅くなってしまって…」
「姫路さん…」
呟く吉井をよそに、教室中の男がざわめきだす。
…もう今度から耳栓でも持って来ようかな。マジでうるせぇ。
「あ、あの…藤本君」
イライラしていた俺にいつの間にか瑞希が近づき、話しかけてきた。
『あ?』
「この間はありがとうございました!」
そういってわざわざ頭を下げて微笑む瑞希に思わず毒気を抜かれた。
『…どういたしまして。ってか保健室行ってたって…瑞希お前、まだ風邪治ってねーの?』
「えぇ、少し…」
もともと虚弱体質なのだろうか。
それなら春とはいえ、隙間風が常時入ってくるこの教室は姫路にとって厳しいのでは、と邪推する。
そんなとき、吉井が瑞希に近づいたと思ったら。
「あぁっ!君は振り分け試験のときの!」
『…お前、気づくの遅せぇよ』
あんな至近距離にいて、ようやくか。
恐らく姫路との会話がなければずっと気づかれなかった気がする。
というかもう無視されているのかと思った。
「そっか、二人とも試験を受けてないからFクラスなんだね」
まるであのときのことを忘れているかのように俺に友好的に話しかけてくる吉井に、もういいやと投げやりに言葉を返す。
『俺はどっちにしろFクラス並の学力だったから、受けたって結果は変わんないけどな』
そういって軽口を叩く俺は、ちゃんとこの底辺のクラスに染まって見えるだろうか。
「そうだ、まだ自己紹介してなかったよね。僕は吉井明久」
吉井明久、か…。
木下秀吉同様、名前だけは男前だ。
『俺は藤本京。よろしくな、明久』
「保健室でも自己紹介しましたけど改めて。姫路瑞希です。よろしくお願いしますね、藤本君」
「あぁ、よろしく瑞希」
三人で自己紹介をし合っていると、他の四人も話の輪に入ってきた。
「俺は坂本雄二。これでもFクラス代表だ。さっきぶりだな、藤本」
「え!?雄二が代表なの!?バカなのに!!」
「お前にだけは言われたくねぇな、明久!」
『よろしくな、雄二。あと五十歩百歩だからいちいち争ってんじゃねーよ』
「「どっちが百歩だ!?」」
どっちでも良いから黙れ。
低次元な争いから目を背けて他のクラスメイトと交流を再開することにした。
「…土屋康太」
キリッとカメラを構えながら自己紹介をされるも、さっきのスカートの中を覗こうとした姿が目に焼きついて離れないため、無意味だ。
『よろしくな。あと良識はわきまえろよ、康太』
「…善処する」
そこで了解せずに譲歩しようとするあたり、もうダメかもしれないな。
とりあえずクラスメイトが逮捕されない事を祈るか。
いろいろと諦めて残る二人に体を向ける。
「ウチは島田美波。ドイツからの帰国子女なのよ」
「へぇ、ドイツか。じゃあ英語は得意だったりする?」
「うーん…英語はあんまり。でも数学なら得意科目よ!日本語必要ないし!」
「…ホントに苦手なんだな。でも後々必要になるだろ?大変だけどちょっとは頑張れよ。で、お前は確か…」
「木下秀吉じゃ。Aクラスに双子の姉上がおる。似ているゆえによく間違われるのじゃが、ワシは男じゃ…」
今まで散々女の子扱いされてきたのか、困ったように言うその姿にどこか哀愁が漂っていた。
一人称がワシなのは、少しでも男らしさを見せようとしているのか、ただ単にジジくさいだけなのか…謎だ。
「…ま、お前男子の制服だしな。間違えたりはしねーから、安心しろ」
そういった瞬間の秀吉のキラキラした表情を見て、こいつの苦労がヒシヒシと伝わってくるようだった。
「本当か!?良かった…最近は学園の誰もがワシの性別を疑っていて――」
「えー?もう、何言ってるのさ秀吉。いくらボーイッシュにふるまっても、秀吉は女の子に決まってるじゃないか!」
「明久よ…先ほども言ったように、ワシは男じゃと言うておろうが!」
これからの騒がしい学校生活に気が思いやられるのは確かだ。
事実、さっきまでの俺は教室の喧騒さに苛立っていたから。
でも、それでも…今までにない新しい生活っていうのは。案外悪くないかもしれない。
新たに知り合った彼らを見て、そう思った。
「っけほ、こほっ!」
「…姫路さん、やっぱりまだ体調良くないんだね。」
「はい、少しだけ…」
「隙間風の入る教室、薄っぺらい座布団、カビと埃の舞う古びた畳。病み上がりには良い環境じゃないよなー」
…確かに、虚弱体質にはこの環境は辛いな。
それに俺だっていくらなんでもカビや埃までは許容しきれない。
…とりあえず、今日は掃除を入念に行うとしよう。
『秀吉、理科室に行って酢とエタノール持ってきて?』
「別に構わんが…ケイよ、そんなものを持ってきて何に使う気じゃ?」
『掃除に使うに決まってんだろーが。ボロいのは許せても不衛生な教室は許せん、本格的に掃除する』
見てろ、ダニもカビもほこりも俺が葬り去ってやる。
『窓は全部空けろ!掃除時間くらい空けて換気しないと、湿気でさらにカビが生えるからな』
「了解っ」
『畳は目に沿って丁寧にはけ。ほこりはダニのえさになるし、ダニの死骸やフンもたまってるから妥協すんなよ』
「は、はいっ」
『ほうきではいた後は雑巾でからぶき。ほうきで取りきれなかったゴミを取りきれ!』
「イエッサー!」
「ケイよ、酢とエタノールもらってきたぞ!」
『よし。からぶき班、酢を雑巾に浸した後固く絞って拭き掃除!カビの生えた部分は酢と同じようにエタノールで拭くんだ。畳に湿気は大敵だ、その後もう一回からぶきで水気を取ってくれ!どっちもにおいがつくから、拭き終えたら廊下の日が当たる部分に立てかけて置いて、その間に畳の裏も同様の作業を繰り返すこと!』
「分かった、任せろ!」
『よーし、今のうちに畳の合った床をほうきと雑巾で連携して掃除!』
「おし、俺の能力を見せてやるぜっ!」
「雑巾検定1級の俺に敵うものかっ!」
「うわー…すごいテキパキと掃除が進んでいくね。ケイって掃除上手なんだ」
『そりゃ、一人暮らしのために必要な知識は大体詰め込んだよ』
それに何年も一人で暮らしていれば、掃除の要領も経験から分かってくるし。
まぁまさかそんな知識がこうして学校で役に立つなんて思っても見なかったが。
そもそも学校で掃除した経験は無いからな、俺。そういうのはどこも用務員の仕事だったし。
掃除時間は限られている事もあり、今日は畳のみに重点を置いた掃除を行った。
明日は…窓と机かな。
ま、なんにせよ俺達個人で出来るのはここまでだ…。
*******【30分後】*********
「終わった…」
「こんなに疲れる掃除初めてよ…」
「大掃除と変わらないです…」
「もう…畳は運びたくねぇ…」
みんな意気消沈としてマイナスな発言ばかりだが、表情は達成感で満たされていた。
『応急処置としては、できるのはここまでだな』
俺の発言に納得できないのか、明久が食い下がる。
「あれで応急処置!?な、何でさケイっ、こんなに綺麗にしたのに!」
『もともと畳の寿命がとっくに過ぎてんだよ。暴れ盛りな高校生が頻繁に使用する部屋で、畳がそんなもつわけないだろ』
「そんな…」
「どんなに工夫しても、クラスの設備はこれ以上向上しないか…」
そういって雄二が思考にふけるその姿に、俺は出会い始めの時の感情を思い出し、嫌な予感が杞憂であることを祈った。
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