比企谷八幡はボッチだった。
毎日の練習は勿論のこと、休日のロード練でも1人で山岳を、平地を湾岸を走破する。休憩するコンビニや施設等で同じ自転車乗りに会えば挨拶と少しの話はするのだが、彼は1人で練習メニューを決め、1人で黙々とペダルを回すのだ。
自転車競技は非常に過酷なスポーツである。
普通の練習では2500~5000kcal、ハードなものになると7000~9000kcalものエネルギーを消費すると言われている。
よって、ハードトレーニング前には消費するエネルギー以上に補給をしなければならない。実際ツールなどに参加するレーサーは大会期間中は物凄い量の食事を摂る。
その食事も朝食は後からエネルギーになる炭水化物を多目に、朝食からレース前の間にはフルーツやナッツ、エネルギーバーなど。
おまけに、彼らは自転車に乗りながら食事を摂る。
おそらく地球上で唯一の食事しながら行うスポーツ。それほどに過酷で、単純に人間一人の蓄えられるエネルギーを超えて行われるスポーツなのだ。
つまり土日の朝の彼は、
「小町、おかわり」
「まだたべるの!?」
とにかくよく食べる。
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満腹を通り越すほどに食事を取った彼が腹ごなしに(もちろん自転車で)向かうのがドン・キ⚪ーテ。ここでロード中に摂る食糧を買い込む。
エネルギーバーとジェルを主に、他にグミやコーラなどを買う。コーラは炭酸を抜くと即席のドリンクになる。(ただしあまり美味しくない)
そのままサイクルコースまで低速巡航。このときもトレーニング。ロングスローディスタンス(通称LSD)と呼ばれ、自転車練習の基礎だ。
有酸素運動のベースを作った上で無酸素運動でレース用の能力を鍛えるのだ。逆に言えば、その土台がないままきついトレーニングをしたところでレース用の能力は
身に付かない。何事も基礎が大事なのだ。
千葉県は「千葉県サイクルツーリズム」と銘打ち、サイクリングを推奨している。北総、中房総、南房総にそれぞれ初級、中級、上級のコースがある。
彼も例に漏れず、それを利用するのだが、よりによって各エリアの中級、上級コースは遠すぎた。家からコースに出るのにも自転車の彼は必然と中房総初級コースを使うようになっていた。(それでもたまには別エリアのコースを走るのだが)
コースに出るまでLSD、小休止の後本格的に走り込む。
交通量なの多い所だと低速巡航になるが、登坂や平地では恐るべきスピードで走行する。
それでも、
(なんか違う……)
彼の表情は冴えない。右脚の筋力が追い付いていないのか?違和感は登坂時から顕著に現れた。
低速で走ることに関しては何ら問題はない。
しかし、アタック時やスプリント時にはどうしても右脚の踏み込みが弱い気がする。
この日彼は50数キロのコースを往復し、片道2時間40分ほどのタイムで走った。
タイム的には問題はないはずだ。しかし、怪我をする前の走りがてきない気がする。削ぎ落ちた右脚の筋肉も戻ってきているのに。
気の抜けたコーラを煽り、空になった缶を握りつぶす。
この日、彼の表情は晴れることはなかった。