【完結】ハリー・ポッターと供犠の子ども   作:ようぐそうとほうとふ

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02.MEDEE

途端、目眩がサキを襲った。

地面が突然消えたような浮遊感と共に脳みそを握り潰されそうなくらいの鈍痛が走った。

 

息を大きく吸った。肺が膨らんで血管に大量の血が流れてく。それと同期するように突然視界が開けた。

 

白いシーツだ。

かび臭い。

 

 

ハッとして体を起こすと、そこは馴染み深いマルフォイ邸のゲストルームだった。

「ふ…」

鼻の穴からふいに熱い何かがたれてきた。

指で拭ったはしからみるみる溢れてきて袖口まで真っ赤に染まる。鼻血だ。

血のシミを見て連鎖反応が起きるように今日まであった出来事を思い出す。

 

ダンブルドアの殺害後に起きた様々な出来事…これはサキが実際に体験した出来事とそう変わらない。おそらくは。記憶が混濁していてよくわからなくなってくる。魔法省襲撃…ナギニの怪我…もしかして、全てが夢だったのか?

サキは枕元にある日付が書かれたメモを見た。

今日はどうやら1998年4月9日のようだ。メモは日付がつらつらと書かれており、1から8までは真っ黒なインクで塗りつぶされていた。

イースターは12日で、確かその日にハリーたちが人さらいに捕まってマルフォイ邸に来る。それはなんとしても防ぎたい。(またベラトリックスにタコ殴りにされるのは嫌だ)

サキはパジャマを脱いでシワ一つない黒いスーツに着替えた。

長い髪を後ろにまとめ、鏡を見た。

貧血で真っ青な顔に、血潮のように赤い唇。黒髪は栄養失調のせいか少しぱさついている。

確かにサキだ。自分はサキ・シンガー…。

しかし脳裏には記憶の中でみかけたたくさんのマクリールの鏡像が浮かぶ。

先祖たちの顔はぼやけて重なり、モンタージュ写真のようないびつな偶像としてサキの網膜に現れる。いま姿見に映る自分がどのマクリールにも似てるような気がするし、似てないような気もする。気が狂いそうだ。

まだ鼻の下にこびりついている鼻血を拭い、サキは魔法省へ姿くらましした。

 

分霊箱はハリーたちに任せよう。

果実にはもぎ穫られる最良の時期がある。

万事がうまく行くように、計画的に立ち回らなければならない。

 

サキは魔法省でかなり…というか記憶と全く異なると確信できるほど畏敬されていた。

受付も顔パスだしやたらと挨拶される。こんなに偉くなったのはなぜだっけ?と疑問に思う前に思い出す。そう、サキはバーティ・クラウチ・シニアよりも過激に迅速にマグル生まれをアズカバンにぶちこみ、反乱者を摘発したんだった。

 

ああ…

 

思い出した。

サキ・セレン・マクリール魔法大臣付補佐官。私の役職。(ちなみに魔法省襲撃事件後アズカバン送りにされたドローレス・アンブリッジの後釜だ)独裁主義故にいつ首をはねられるかわかったものじゃないが、かなり高い位だ。

 

「ああ!マクリール…マクリール、これは一体なんの用で」

パイアス・シックネス魔法大臣がヘラヘラしながら寄ってきた。彼は服従の呪文にかかって以降いつもひどく下手だ。彼はヤックスリーがハリーを取り逃がしてヴォルデモートにボコボコにされたあと、呪文をかける必要もなく思想的に矯正された。

結局服従の呪文なんてドーピングのようなもので、いっときの麻薬にすぎない。麻痺のあとに襲ってくる理性の逆襲についてはクラウチ親子で十分学んでいた。

マクリールが提案したのは拷問による思想矯正、すなわち洗脳だった。

呪文に頼らない洗脳はマグルの得意分野で、幸いそういう専門書は山ほど残されている。マクリールはそれをちょっとこずるい死喰い人に渡してやっただけだ。成果は上々だ。

シックネスはもとから打たれ弱い人間だったのもあってか頭の中身はすっかり選民思想と純血崇拝、力への欲望に書き換えられている。馬鹿な神託をまともに飲み込むとどうなるかという見本になっていた。

 

哀れだと思う。けれどもすぐにサキの脳にある先人たちの経験がそれを打ち消した。マクリールの綴る暴力の歴史はマグルも魔法使いも見境なく地続きだった。彼一人に同情したところで大局は変わらないし、セブルスは助からない。

 

「シックネス。先月は検挙数が少なかったね」

「ああ…逃亡しているマグル生まれも随分減ったので」

「母数なんてどうだっていいんだよ。アズカバンはまだ空きがある」

「し、しかし捜索にも限度がありましてね…人手が足りんのです。イギリス全土をカバーするには、あの無法者だけではあまりにも…」

「あいつらにしっかり言ってやったほうがいいね。明日は我が身、と。くだらん副業に性を出す屑どもの為にもアズカバンは門戸を開いている」

サキの口ぶりにシックネスの体がこわばるのがわかった。

「すぐに全員今どこで何をしているか報告を挙げさせます」

「頼むよ」

 

偉いというのは気分がいいなと思いつつ、いつから自分はこんなに冷酷になったのか思い出そうとした。余計な記憶はたくさん浮かんでくるのに、それだけはどうしても思い出せなかった。

そもそもいつ…という概念がよくわからなくなってきた。

物語のページを飛ばして読んでる気分になる。そこにある状況は理解できるしどう感じているかもわかる。たしかに私は喜んだり悲しんだりしている。

けれどもこの悲しみは私の感じたものだろうか。それとも記憶を通して書き込まれた別の誰かのものだろうか。実感と体感は違う。けれども区別することすら馬鹿馬鹿しく思えるほどの沢山の体験してないはずの思い出が脳裏を過る。

 

これが過去のすべてを知る魔法。

その言葉に伴うキラキラしたオカルティックな幻想は全くの見当違いだった。

今サキは砂を噛むような現実とも過去とも記憶とも取れないよくわからない感覚にとらわれている。

 

どこまでもどこまでも続く記憶の螺旋。サキは時間の十字路に閉じ込められた。

 

 

 

「この間は悪かったわね」

私は心にもない事を言った。そんなこと全然思ってない。私は彼女を傷つけようと思って衝動的にーその衝動が私にとってどれだけ貴重な感情だったかーひどい言葉を口走ったのだ。

突然話しかけたせいでリリーはすっかり驚いて恐縮していた。

「あの…私…」

私と彼女は3歳差、怖がるのも無理はないだろう。

「謝りたいの。酷いことを言ったわ」

私は手を差し出した。不安そうな彼女を見て、自分が暴言を吐いた記憶にちゃんと戻ってこれたか不安になった。何回も同じ過去をやり直してると時々どの思い出が実現し、どの思い出が消え去ったのか正確なものかわからなくなる。さらに改竄すると時間が大幅に飛んだり飛ばなかったり、体感時間が普段よりめちゃくちゃになるので私はすっかり混乱してしまうのだ。

「私もあのときは、その…失礼な事をしたかもしれないので…」

 

どうやら正解だったらしい。

 

「いいえ。私が一方的に悪いわ。セブルスが大切な友人を紹介したいなんて言うから、私思わず身構えちゃったのね」

いろんな記憶で見た、付き合い上手の人間たちの顔を真似る。私は不細工なマネキン。

でもリリーには効果覿面だったらしい。

「私も、マクリール先輩のことはセブに大切な先輩だって言われました」

「本当?嬉しいわ。…私ってこう見えてとっても子どもなの。だから貴方には不快な思いをさせたわ。ごめんなさい」

正直で誠実な女の子にはストレートに謝ったほうがいい。時代を問わずに言える真実。

案の定リリーはあっさり私を許した。何度も何度も…。

 

 

「セブルスは必死だった?」

 

乾いた口のなかでやけに粘り気のある唾が湧いていた。ダンブルドアはたおやかな指先で私が落として拾えないでいた肩掛けを拾い、肩にかけてくれた。

「ああ、それはもう…ああも狼狽する彼は初めて見たのう」

「そう」

私の中に、形容しがたい思いが沸き立ってくる。口の中がものすごく苦い。

「美しいわね。ガラスのような愛…」

「君はそれでよいのか?」

「あら、どうして」

「わしが思うに、君は随分セブルスの事をすいておったが」

「年寄りは嫌ね」

私は返事を濁した。どうせこのダンブルドアという老人は私の言葉なんか聞いちゃいない。彼は何においても自分が正しいと確信を持っている。反論しても無駄だし、事実を誤魔化してもなんの意味もない。彼にも致命傷になる弱点はあるが、私の手の及ばないところだ。

「さて…君の言う取引について改めて話すとするかの」

「ええ。私は目的を持って行動しているわ。…座ったままね。あなた無くしては成功しないから取引をしたいの」

私の最後の試み。

セブルスが生存するためのたった一つの冴えたやり方は、①私と結ばれず②ダンブルドア側にいて③トムに信頼されており④ト厶、ダンブルドア両名が死亡する。の4つの条件が必要だと考えられる。少なくともこれまで失敗した1500回ほどの過去にこの全てを満たすものはなかった。

またトムの死は私の運命の輪とは別にハリー・ポッターの生死に直結しているのでトムの死はハリー・ポッターの生存を示すわけだが…私にとってあの子の生死は別にどうだっていい。

「娘をあげるわ。好きにしてちょうだい」

「赤ん坊を猫の子のようにはもらえんのう。わしのメリットは一体なんじゃ?君は代わりに何を差し出す」

「この子がメリットそのものよ。過去を改竄する力…あなた、手が出るほどほしいはずよ」

「儂の過去を変えられるわけではない。君たちが変えられる過去は魔法行使者が生存している時代でなければならんのじゃろう」

「あら、あなたほどの大魔法使いが改竄したい過去を持ってるなんてね。違うわよ。貴方の死ぬ未来の話」

ダンブルドアはめずらしく痛いところをつかれたように眉を顰めた。私は彼が変えたい過去を知っているが、それはおくびにも出さない。

「この子をうまく調教すればいい。きっと助けてくれるわ」

「おお、リヴェン。何も知らない子どもに人食いの罪を犯させ、更に君の言う呪いの中に突き落とせと?」

「そうよ。あなたはそれが出来るくらい残酷だわ」

 

セブルスを殺した。何百回も。私はあなたが憎い。憎い憎い憎い。

 

だから呪った。

貴方の心を言葉で縛った。あなたの振りかざす愛とか正義とかいう不確かでどうしようもない言い訳があなたを縛る枷になる。

 

娘に私を食べさせればー貴方は人でなしだわ。

娘に私を食べさせなければー貴方は死ぬわ。

 

ダンブルドア。想像もしてなかったでしょうね。

私があなたを憎んでいたなんて。ましてや死を願っているなんて。

私にとって、セブルス以外の世界のすべてはどうだっていい。

どうしてセブルスを死地に追いやるの?

ねえ、どうして私がセブルスとの時間を捨て去ってからも彼を奪うの?

あと何千回繰り返せば、あなたは私から何も奪わないでいてくれる?

 

ダンブルドア。

 

あなたの割れた頭の中身をぐちゃぐちゃに踏み潰してやりたい。

ザクロのように弾けた顔面を蹴っ飛ばしてやりたい。

セブルスを失ってくうちに私の中で彼を失った悲しみはいつの間にかこんな残忍な欲望にすり替わっていった。

でもどうしたって私はセブルスの涙の中に立ちかえる。彼の死に帰結する。

まるでウロボロスのように私は己の命を喰らいながらあなたの死の運命を廻り続ける。

もう私にはあなたの死を覆すという目的以外に何もなくなった。

 

 

私の気持ちが、わからない?サキ。

わかるはずよね。感じるんだもの。

 

 

 

「ひ……ッ」

 

サキは引きつけを起こして起き上がった。また白いシーツの上だ。

バクバク脈打つ心臓をどうにか落ち着けようとするが上手くいかない。呼吸も早くなりすぎて苦しい。

 

「サキ…?」

 

ドラコがドアを開けて入ってきた。

 

「な、んで。ドラコ…」

「そろそろ夕食だから…どうしたんだ?」

「なんでも…なんでもないよ。…今日は何日だっけ?何年?」

「何馬鹿なこと言ってるんだ?4月9日だよ。夕方に帰ってくるっていったろ?」

 

サキはそれを聞いて絶句した。サキはほんの少し、10分か15分ほど居眠りしただけだったのにあれだけの密度の記憶を見せられた。母のどろどろとした暗く、重たく、生暖かい感情がまだ全身にへばりついてるような気がしてサキは身震いした。

サキ自身が本当に感じてるように、生々しい殺意と憎しみが脳髄の細胞の隙間に入り込みその指を食い込ませたみたいだ。

 

自分のものなのかリヴェンのものなのか(はたまた別の祖先のものなのか)わからない渦を描く怨念。

ほんの少し眠っただけで記憶はサキの理性を蝕んでいる。

 

怖い。

 

サキは肩を抱く。心配したドラコが背中を擦ってくれた。

でもその体温が届かないほどに心が冷え切っていた。まるで心臓の奥から凍りついているようだ。

 

眠ってはいけない…正しい判断ができなくなる。

 

サキは頭を振り、立ち上がった。

「さて夕ご飯だっけね。すっかりお待ちかねだよ」

突然スイッチが切り替わったサキにドラコは驚いたようだったが、サキのなかで何が蠢いているのか彼には知りようがなかった。

 

睡魔との戦いは熾烈を極めた。はじめの方こそカフェインときつけ薬でなんとか意識を保っていたものの、38時間を越すとちょっとでも気を抜くとすぐに何処かへ飛んでいき(文字通り、サキの意識は遠い過去の記憶へ飛んでいる)気付けば戦場や地下牢、石壁の工房などにいたマクリールの記憶を漂っていた。

断続した睡眠は再生される記憶を細切れにし、起きている間の意識からも現実感を削ぎ落とした。

 

とりわけリヴェンの記憶がサキの正気を削っていた。彼女の記憶はこれまでのどのマクリールより鮮烈な感情で彩られている。

 

まだ魔法を継いでないリヴェンの一番最後の思い出は赤かった。リヴェンは突発的な母親の自殺に当惑していた。母は到底自殺するような人格ではなかったし、その自殺というのもピストルで脳を破壊するなんていう魔法使いとしてあるまじき方法だったからだ。

幸運にも(あるいは不幸にも)弾丸は海馬を逸れていた。発砲音を聞きつけた父はすぐに母の遺体を新鮮なままになるように家に伝わる保存液をふりまいた。今思えば、その冷静な行動それ自体が父が母を愛していないという証明だった。

 

「どうする?このままにはできない…ああ…酷い匂いだ」

知らせを受けて駆けつける頃には頭以外がどんどん腐り始めていた。血の巡らない肉体は急速に朽ちていく。

「なぜ俺がいるときに自殺なんか…ああ、クソ」

 

父はスクイブで、魔法薬を煎じることは出来るが杖を使う魔法はできない。魔法界の鼻つまみ者同士ひっそり暮らすために利害が一致して結婚したのだとよく言っていた。…じゃなきゃ誰があんなサイコパスと結婚する?…父は酔いながらよく言っていた。

 

「おい!お前んちの問題だろうが!」

私は誰にも愛されていなかった。両親にさえも。

脳髄を食べれば自分の存在に理由が見つかる気がした。いいや、それしかなかったんだと思う。母親の脳髄を食べれば、母親の感情をしれたはずだから。もしかしたら欠片だけでも愛が拾えるかもしれない。だから食べた。跪きゲロを吐く父を差し置いてザクロのように開いた母の頭蓋に口づけした。

 

頭の中には憎しみがいっぱい。

 

私は学校でもいじめられてた。出来損ないのスクイブの子どもだし、なんだか怪しい家系の出だし、なにより母親クインを知る同級生の親たちは子どもに警告を発してるに違いなかった。

気が狂った女の子ども。危ない子ども。

レッテルが私を埋め尽くしていき、私はどこでも息ができなくなっていた。

 

私は醜くて小さくて汚い出来損ない。卵の中で腐った雛。

 

「おい、久々に帰った父親に何も言うことがないのか?」

「ここにあった鉢植えはどこ?」

「邪魔だから外に出しておいた。土を入れるなよ、家に」

「あれはこの季節、中に入れておくものなのよ」

 

セブルスにもらった鉢植えは父に枯らされていた。

私はその時クインの…拳銃で頭を撃ち抜いたときの母の感情を思い出した。

 

その時私ははじめて人を殺したいと思った。

これほど強い殺意は、父親と…そしてリリーにしか抱いたことがない。

 

 

「お父さん。カンタレラを知ってる?」

「なに?」

 

 

 

 

サキは父がー正確には祖父になるのかー呼吸困難で青黒くなった顔でこちらを見たところで目を覚ました。

ルシウスがグリンゴッツにハリーたちが訪れたというニュースを運んできたおかげで父親の死体をあれ以上見ずにはすんだが、できればもう少し早く目覚めたかった。

目覚めは最悪だ。

ダンブルドアを殺したときと同じ、胸の奥に鉛の塊をぶら下げているような気分だ。

 

「……今、何時…」

「午後3時。ずっと寝ていたのか?」

 

ルシウスはドラコが任務を果たしても相変わらずいじめられる運命にある。分霊箱であるトムの日記を私欲のために使ったのだから当然だろう。しかしこの時間軸のサキは上手くやってたらしい。前見たときよりは血色がいい。

「多分二時間くらい寝てたと思う。…で、ハリーが?」

「グリンゴッツに侵入しようとし、失敗した。ロビーに入るまでもなかった」

「そうか…グリップフックと会ってないから…」

「グリップフック?」

「こっちの話です。そう…ベラ、ベラトリックスは?」

「彼女なら今ちょうど下に」

「会いたいから待たせておいてくれますか?」

「ああ」

ルシウスは返事をしたが、出ていかずにサキを変な目で上から下まで見た。サキが何?と言いたげに視線をやるとまるで幽霊でも見たかのような顔をして出ていく。

サキはゆっくり自分の状況を整理しながら着替えた。この服はいつからきているんだっけ?着たばっかりの気もする。どうでもいい記憶はすぐに混ざってしまう…サキはもともと服に関心がなかった。

サキは深緑色のワンピースを脱ぎ黒いスカートを履く。ノロノロと着替えてから降りていくと案の定ベラトリックスはイライラと足を組み替えながら待っていた。

 

「こんにちは」

「なんの用だ」

相変わらずサキには攻撃的だ。リヴェンの記憶はすべて見れていないのだが、いくつか好意的なベラトリックスと話した記憶がある。今となっては誰も覚えてないサキ、いや。リヴェンだけの思い出だ。

 

「ハリー・ポッターがグリンゴッツに現れたって聞きましたか?」

「ああ。それが?」

「いえね、ちょっとあなたは心配なんじゃないかと。…あなたの金庫にあるものについてですが」

「貴様…」

ベラトリックスは一気に警戒心を顕にする。しかし彼女の心が棘で覆われる前に私は優しく囁くのだ。

「大丈夫。金庫を確認しに行くなら私を連れて行けば余計な詮索はされずにすみます。なんてったって管轄だから」

ほしいものをはじめに提示すれば、そしてノーと言わせる前にイエスを前提とした話を進めればいい。案の定ベラトリックスはサキの提案にすぐに乗った。

ベラトリックスはフラフラした足取りでノクターン横丁を横切る。その横にはサキ。ヴォルデモートの両手の花が連れ立って歩いているせいでひどく人目を引く。しかしベラトリックスと目があった瞬間死のリスクが高まるため人々はちらちら横目でサキ越しに彼女を盗み見ている。

 

「なぜお前が金庫の中身を知っている」

「剣の贋作を作った覚えがありまして」

この世界ではないけれどもダンブルドアの事だ。セブルスに作らせ保管させているに違いない。

「誰に依頼された」

「ダンブルドアです」

「お前はそれを黙っていたと?」

「忘れていただけですよ。いやだな…そうカリカリしないで。まだ私が信じられませんか?」

「ああ、そうだ」

 

グリンゴッツの入り口にはこれみよがしにガード魔ンが立っていて通行人を威嚇している。ロビー内もどこか張り詰めた雰囲気で金貨のぶつかり合う音と紙束をめくる音くらいしか雑音がしない。もとよりおしゃべり好きではないゴブリンたちですらやりにくそうだ。

 

「私の金庫を確認させろ」

 

ベラトリックスはそう言って杖をデスクに叩きつけた。

「レストレンジ様…マクリール様まで」

「お前たちの警備は信用できん」

「悪いね忙しいところ。マダムは心配性で…」

「ご心配ももっともですが金庫への侵入は何人にも許しておりません」

ゴブリンは不機嫌そうなベラトリックスを見て震え上がっている。ブルブル震える手で杖を見聞しているゴブリンに苛立ってベラトリックスは怒鳴る。

「早く!」

「か、かしこまりました。担当のボグロッドを連れてまいります」

受付はほとんど転げ落ちるようにして椅子から飛び降り、大きな金属音のする革袋を取り出して扉へ向かった。

ホールから奥へ続く扉は分厚く、閉まると外部からの音を完全に遮断した。空気があるか心配になるほどの無音のなかを小鬼と魔女二人が歩いていく。やがて錆びついたレールとトロッコに行き当たり、ボグロッドはキビキビと運転席についた。

「これ、嫌いだ」

「…ここに来たことはないと言っていたはずだぞ」

サキの小さなつぶやきにベラトリックスが敏感に反応した。

トロッコはガタゴト揺れながら鍾乳洞をくぐり抜け、コウモリの糞だらけの壁を抜けて地中へと降っていく。

「昔から乗り物酔いしやすくて」

「トロッコ酔い、とでも?」

サキの誤魔化しにベラトリックスは眉を顰めた。彼女の鋭敏な猜疑心は僅かな扠さくれも見逃さない。

ずっと地下まで行くと大きな空間があった。

ボグロッドはトロッコを止めると金属音のする革袋を振り耳障りな音を立てながら迷いなく進んだ。

美しい石柱と石畳が広がるホールの中央に老いたドラゴンがいる。ドラゴンは音に怯えて隅に縮こまっていた。よく調教されている。

 

「お待たせいたしました」

 

ボグロッドが手を扉に押し当てると、扉は霧のように消えた。

ベラトリックスが深呼吸をして金庫に一歩踏み入れた。

 

財宝の数々はベラトリックスのボロみたいな衣装とは不釣り合いの輝きを放っていた。(彼女のファッションセンスはアズカバンでおかしくなった)人々が金銀財宝と聞いて思い浮かべるすべての物がその中にあるようだった。

ベラトリックスの様子を見ていれば、サキが探しているものはすぐにわかる。

彼女がまず手に取ったのは剣ではなく、小さな金のカップだった。

 

「インペリオ」

 

サキはボグロッドの耳元で囁いた。

ボグロッドは不意に食らった呪文になんの抵抗もなくかかり、溶けそうな白目をだらんと剥けた。

 

ベラトリックスはカップを置くと棚の上に鎖と混じって置かれたグリフィンドールの剣を手に取りじっくり眺めた。

 

「ゴブリン…ハリー・ポッターはほんとうに」

 

ベラトリックスが何を確認したかったのかはわからなかった。

というのも彼女が続きを言う機会は永遠に失われたからだ。

ベラトリックスは呼ばれて近づいてきたボグロッドをまるで警戒していなかった。小鬼は古来より危険視される存在だが、彼らは彼らの利益がない限りは人間に対しては不干渉だった。だからこそベラトリックスは小鬼のたった一人の意味なき反逆なんて頭の片隅にもなかっただろう。

最もボグロッドがベラトリックスの腹部に深くナイフを差し込んだのはサキの服従の呪文によるものだが。

 

「く」

 

それでもベラトリックスは反射的に魔法でボグロッドの首を刎ね落とした。

ボグロッドは首無のままよろよろと力が抜け、ナイフを握りしめたまま床に倒れた。

 

「ああああああ!」

ベラトリックスが野獣のように叫んだ。サキはそれをただ見ていた。

 

「シンガー!シンガー!血止めをよこせ!」

 

血は固まることなく裂傷から吹き出している。刃に塗られた薬は鼻血ヌルヌルヌガーにも使われている手に入れやすいものだ。

「エクスペリアームス」

サキはベラトリックスの杖をとりあげた。ベラトリックスはぽかんとした顔でサキを見た。

サキはベラトリックスが取り落とした剣を拾い、振り上げる。

「きさ」

ベラトリックスが呪詛を投げかける前に、彼女の右肩にそれを振り落とした。

悲鳴を上げてなお襲い掛かってくる彼女を無視してサキはカップを杖の先に引っ掛けた。ベラトリックスはまだ動く左手でサキから杖を奪おうとした。火事場の馬鹿力というのだろうか。とんでもない力で倒された。彼女とボグロッドの血の池に落ちる。血脂は金庫の床へ拡がり続けている。

「おおおおおまえ、あの方の愛を、独占するつもりで」

見当外れの呪詛を投げかけるベラトリックスはサキに馬乗りになって落ちているナイフを拾い上げた。

サキは冷静に彼女のぶら下がって千切れそうな右腕を引っ張った。普通に生きていたら経験したことがない痛みでベラトリックスの目が見開かれる。その痛みで真っ白になった脳に、サキは杖を突き刺した。

杖は眼球を突き抜けて頭蓋にまで達した。骨を突き抜けると杖は突然抵抗を無くし、まるで泥の中に突っ込んだかのようにぐちょり、と湿った感触を伝えた。杖先は脳幹を破壊し、眼窩から髄液や血や涙やいろんな液体を零した。

 

「…はあ…」

 

サキの肺いっぱいに血なまぐさい空気が巡る。

気づけば随分呼吸を荒げていたらしく、体が熱い。

 

やり遂げた。

ベラトリックスはここで殺しておかないとホグワーツに甚大な被害をもたらす。そして一番重要なのはこのハッフルパフのカップ。これはハリーたちがグリンゴッツに入れない以上サキが回収する他ない。

ヴォルデモートに分霊箱が壊されていると知られるまで前より猶予が生まれた。

万事滞りない。

サキはベラトリックスの死体をどかし、急ぎボグロッドの手を切り落とした。

ゴブリンの手がないとトロッコを運転できない。

鳴子を奪い、サキは血脂に足を取られながらカップを杖先に引っ掛けて金庫を脱出した。

 

かつて無いほど血塗れだ。けど、盗人落としの滝が血を洗い流してくれるだろう。

 

サキはトロッコにボグロッドの手を押し付け、スピードを出し過ぎながらなんとか帰還した。

仕舞に洞窟の深い深い穴の中に手を落としてしまえば証拠隠滅完了だ。数日は稼げるだろう。

 

無音の洞穴を上がっていくとロビーにたどり着く。サキは振り向くことはなかった。

 

「おや、マクリール様のみですか」

「レストレンジさんは金庫の整理をしたいらしいからね。人の金庫の中身をジロジロ見ていても失礼だから」

「左様ですか…」

「ありゃ数日かかるかもね。…イライラしてたし、私は先にお暇させてもらったよ」

「旧い金庫です。かなりの手間でしょうね」

ゴブリンはベラトリックスの顔をしばらく見なくても良さそうなのでホッとした顔をした。もう二度と見なくて済むと知ったら小躍りするんじゃないか。

 

「じゃあ失礼するよ」

「はい。またのご利用をお待ちしています」

 


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