【完結】ハリー・ポッターと供犠の子ども 作:ようぐそうとほうとふ
11歳の少女という生物は毎年見ているけれど、どれもこれも意味不明な思考回路をもつ、自分とは全く違ったルーツを持つイキモノだと思っていた。
だからリヴェンに託された娘を引き取る時期が近づくにつれ、セブルスはどんどん憂鬱になっていた。ここ一年は特に悩んでいたし、学期末試験の問題を考えるのも手間取っていた。しかし、5月末日に突然ダンブルドアが報せを持ってきた。
サキ・シンガーの孤児院が全焼した。
腹を決めかねるまま、あの森の中の冷たい棺のような屋敷に足を踏み入れ出会ったのは、全く違うイキモノでも普通の十一歳の子供でもなく、リヴェン・マクリールの生き人形だった。
生き人形…実際の人間の素材を用いて作られた人形のこと。髪、爪等は本物が使われ、人形ならば必要のない性器などを備えた生きているかのような人形…。それ以上相応しい喩えはない気がした。
生気を欠いた白い肌とやけに赤い唇、火事のせいで少し先端が焦げているがしっとりとした黒髪。ガラス玉のような瞳。何処をとっても彼女のものだった。写真一枚残さずにバラバラに解体されてしまったリヴェン・マクリールに。
サキ・シンガーはひどく傷心していた。今まで過ごしていた場所と友達と保護者を失ったのだ。当然だろう。だが聞かれた質問には答えるし、魔法界のアレコレについての最低限のルールもすぐに理解した。話しているうちに、サキがリヴェンに似てる箇所は少しずつ消えていった。
まず、サキはリヴェンより会話がうまい。(変な話だ。)自分の好き勝手喋る彼女と違って理路整然と会話を進めていけるようだった。
そして、食事に好き嫌いがある。サキは夕飯に出されたブロッコリーを見てものすごく顔を顰めて皿から弾いて残した。(一応たしなめたらこちらを睨みながらなんとか飲み込んでいた)
あと、所作が雑だった。リヴェンもリヴェンで自分のどうでもいい事にまるで関心を払わなかったが、サキはどうやら大雑把な性格らしい。四角いところを丸く掃いていた。これも注意するとこちらを睨みながら四隅を掃除していた。
生き人形といったが、蓋を開けてみればサキのほうがよっぽど人間らしかった。
「あの、これ超深刻な問題なんですけれど…あの…いいですか?」
「何か」
「もしかしてなんですけど、パパって呼んだほうがいいんですか?」
「……………先生と呼べ。どうせ9月にはそうなる」
「あ〜よかった。悩んでいたんです、パパってツラじゃないよなあって思ってたので」
人間らしい…いや、子どもらしい慇懃無礼さはすくなくともリヴェンは持ち合わせていなかった。
マクリール邸に3日滞在してから学校に戻り授業をこなし、夜行けそうな日はできる限り様子を見に行くようにしていた。しかしそれでも家族を失ったばかりの子どもにとって充分なケアとは言えないとはわかっている。
なんの関わりのない子どもならばともかく、あれだけ世話になり、そして…どのような末路を辿ったか知っている人の子どもともなれは話は別だ。
サキは自分が来ると明るい表情を浮かべる。だが、本当に明るい気持ちならば、自分が来るまで食堂の小さな電灯一つで買い与えた教科書の同じページを開きっぱなしにしているよりも相応しい待ち方があるはずだった。
「今日も来てくれるとは思いませんでした」
そう言ってサキはドアを開け、赤い目を隠すように俯く。まるで襟元が気になるんだという演技をしながら生活スペースにしているキッチンまで歩いていく。
「テレビがほしいです。せっかく自由になったし一日中ダラダラ見ていたいな」
「…買ってもいい、がここで電波が入るかどうか」
「えっ。テレビってどこでもうつるんじゃないんですか?!」
「ここは魔法がかけられていて、マグルの干渉は届かない。電波であろうと」
「へえー…つまらないですね」
まあホントはテレビって嫌いです。と小さな声でつぶやく。自分相手に雑談なんてわざわざ振らなくてもいいのだが、気遣いのつもりかなるべく飽きさせないようにしているように感じる。
きちんと食べているのだろうか。作り置きの料理以外に調理している形跡は無かった。
日中は何しているのだろうか。足りないものはないだろうか。
11歳の少女の面倒を見ると言う事がいかに神経を削るかわかっていればリヴェンからの頼みだろうと断ったかもしれない。わがままで奔放でないのはありがたいが、ちょっとしたことで砕けてしまいそうな危なっかしさを覚える。
翌日は休みなのでマクリール邸に泊まることにした。十年前も使っていた狭い使用人室。この屋敷は時が止まったままだ。
庭は荒れていた。よく見ると少しだけ雑草が抜かれている場所もある。サキが掃除したのだろうか。リヴェンの愛した庭だけは…きちんと十年の歳月を経て朽ち果てていた。そう思うと、何だかやるせなくなる。
「リリーから手紙が届いた」
リヴェンはいつも通り庭を眺めながら言った。
「結婚したって。写真付き。欲しい?」
「……何馬鹿なことを」
自分も風の噂に聞いていた。リリーがついにポッターと結婚したと。前々からわかっていた。もうリリーの人生に自分は関わることはなく、自分から遥か遠く離れたところであの忌々しいポッターと幸せに一生を過ごすのだと。
そう考えると、頭が煮立つように痛んだ。結婚したという事実はその痛みを掻き消すほどの目眩をもたらした。そんなところを見せないように取り繕っては来たが、リヴェンがそのような演技を見破れないはずがない。
黙り込む私にリヴェンはなにもかもお見通しのような眼差しを向けた。
「要らないなら捨てるわ」
「…いり、ません」
「あら、いいの?見納めかもしれないわよ」
「いりませんったら!」
監禁するまでもなく家に閉じこもっていたリヴェンは見張りに来た私やルシウスをからかうのが趣味で、特に私に対しては意地悪だった。彼女が私に送った手紙が原因で闇の帝王はこの屋敷の場所を探し出したのだ。だからこの意地悪は彼女のささやかな復讐なのだ。
「本当に素敵な笑顔をしてるわよ。私にはできない。あらゆる幸福から締め出されているから」
私は怒っていて彼女の独白に似た会話に返事をしなかった。今思えば、何か言葉をかけてやるべきだったと思う。だが何もかも後の祭り。手遅れだった。
「あのー、先生…おねがいが…」
物思いに耽ってると遠慮がちなノックの音がして、続いて小さな頭が扉の向こうから覗いていた。
ベッドから立ち上がりサキの案内する方へ向かうと、錆びついた芝刈り機が転がっている場所へ連れて行かれた。
「芝を、ガーって刈っちゃいたいんです。夏いっぱいで庭を完璧にするんで!」
「しかし…ここまで来たらこれは芝刈り機ではなく鉄屑だな」
「つまり手でやれと?」
「次の休みにダイアゴン横丁へ買いに行く」
「お、棚ぼた棚ぼた」
サキは外出が決まって嬉しそうだった。やはり屋敷に缶詰では飽きるだろう。面倒くさいが半分と申し訳なさが半分だ。11歳の女の子に数カ月付き合うだけで一生分の気遣いをしたような気がする。やはり子供を育てるなど自分には無理だ。
リヴェンが生きていたらどのような会話をするんだろうか。彼女が子供を育てる姿を全く想像できない。
リリー。
また唐突に彼女のことを思い出した。リリーは子供を産んだが、育てることはなかった。
彼女の子供は、今年からホグワーツに通うことになる。ハリー・ポッター。リリーが命を投げ打ち守った男の子が。奇しくもサキと同じ学年だ。
「先生?」
急な悲しみに襲われた私を不思議そうな顔でサキが見ている。なんでもない。とつぶやいてから、目に見える雑草を呪文で一気に抜いた。
「…悔しくて死にそう」
次来るときまでに除草剤を作ってきてやろうと思った。
自分にはリリーしかいないと思っていた。彼女が私の全てだった。その彼女を失って、世界は終わったと思った。自分の目の前にあるものが不意に失くなり、真っ暗闇に一人きり。どろどろとした感情が喉を締め上げ、肺を潰し、心臓をずたずたに切り裂いていく。それでも体は生きている。
リリーを救うと約束して救えなかったダンブルドアを殺して自分も死のうとさえ思った。いや、私がダンブルドアを殺せるわけがないので正確に言うならば、ダンブルドアに殺してもらいたかった。
しかし、ダンブルドアが提示したのはリリーの遺した希望と、その子に将来迫る危機だった。
心はもうとっくに冷たくなっているのに、ダンブルドアは死を許さなかった。逃げることを決して許さなかった。そして許されない事に、ほんの少しだけ救われた。
月日が立つにつれて、悲しみは以前より致命的なものではなくなってきた。日々生徒たちの悪戯や信じられない調合ミスに苛立たされながら、マクゴナガルにどやされたり、スプラウトのおせっかいを受けたりしながら過ごしている内に、私の悲しみは鈍化していき、平穏な日常に埋没していった。
それを罪悪感に思うときがある。
先ほどサキの前で起きた悲しみの発作が多分それだろう。
なぜ私は生きているのだろう。
リリーの遺したものを守るため。
リリーが過ごすはずだった日常を守るため。
そこに私がいてもいいんだろうか。たまに、そう思う。
芝刈り機を乗り回し汗だくになったサキが黄昏時の日を背にして手を振っている。
私は渋々手を振り返し、3日後にホグワーツに来るはずのハリー・ポッターについて思いを巡らせた。彼に待ち受ける困難について。そしてやがて始まる闇の魔術との攻防について。
「魔法の道具ってすごい!もうガーデニングマスターですよ今日の私は。芝刈りロデオガールと言ってもいいですね!見ました?私の芝刈り機捌きを!」
そして、この子の背後に付き纏う忌まわしいあの魔法についても。
シャワーを浴びたサキは薄い肉付きの骨ばった体をしていて、しなやかな体躯をこれでもかというくらいに伸び伸びと動かしている。見た目は母親とそっくりなくせして性格は正反対だ。
「…楽しいか。今」
「え?」
サキは目を丸くして、唐突で漠然とした質問にほんのちょっとだけ悩む。
「先生がいてくれるので楽しいですよ!」
それと芝刈り機も。と付け加えてサキは笑った。リヴェンにはできなかった笑顔で。
「多分ね…今いる場所が地獄だと、まるで世界全てが地獄のような気がするのよ。幸せって地獄以外の何処かにあるんだろうけど、私はここから出られないんだもの。ないのと同じだわ」
「…それじゃあ、何処かに逃げますか」
闇の帝王がリリーを殺すかもしれない。そうわかったあとの会話だった。リヴェンはもうサキを孤児院に預けていて、死を予期していた。彼女も私も、幸せから一番遠い場所にいた。
「誰も居なくて、何もない、天国でも地獄でもない所に」
「………あら、連れてってくれるの?」
「ええ。いや、どうだろう。連れて行ってほしいのかもしれない」
「……あなたには、無理よ。ここから逃げ出すなんてきっとできない。ましてや、私なんかとは…」
リヴェンは震える声で言った。彼女を苛む何らかの病。震える舌で、朦朧とし始めた意識のせいで瞳はいつも涙で濡れている。神経までも震えだし、何もかも制御がつかなくなった体を抱えたリヴェン。
「あなたは、リリーを見捨てることなんてできないわ。もし彼女が死んでも、きっとあなたは一生彼女に囚われ続けるのよ。どこにいっても、いつになっても。だから、あなたはずっとそのままなんだわ」
リヴェンには全てお見通しのようだった。
けれども、十年経ってその呪いのような言葉はいささか効力を失った。確かに心にはいつも彼女がいる。だが、リリー以外に自分の世界にはもう少し人が増えてきた気がする。ホグワーツの騒がしくて幼稚な日常や、同僚の厳しさ。やがて訪れる戦いでの使命。
どれもこれも傍から見れば価値がないかもしれないし、リヴェンに言ったらめちゃくちゃに論破され叩き潰されるだろう。
けれども、多分そういうものだ。生きると言う事はいろんなものが積み重なったり、削り取られたり。その繰り返し。
今いる場所が全てではなくなる時が来る。
サキ。君を守るということもきっと今自分が生きている意味なんだろう。絶望から救えなかった君の母親へのせめてもの手向けだ。
スピナーズエンドの書斎に隠した彼女の脳を思い浮かべる。
瓶に入った海馬があのまま家とともに朽ちていきますように。そして、サキ・シンガーが母親の手に入れられなかった幸福をつかめますように。
柄にもなく天に祈ってから、いつも泊まっている使用人室へ帰った。
時の止まった部屋に。
私だけが生きている今に。
ハリー・ポッターを守りきって、サキ・シンガーが幸福を掴んだら、自分の役目はおしまいだ。
あと何年かわからないけれども、自分は死ぬまで生きている。
そして、ここではない何処かで息をし続けるのだろう。