【完結】ハリー・ポッターと供犠の子ども 作:ようぐそうとほうとふ
ハリー・ポッターは幸福な子供時代を過ごしているとは言い難かった。髪はボサボサで、眼鏡は鼻あての部分が曲がってて、身長も小さくて痩せていた。
それでも新品の制服に身を包み目を輝かせながら天井を見る姿は他の子どもたちと何ら変わらず未来に向かって歩き出そうとしているように見えた。
彼が試練を乗り越え成長していくたびに、やがて訪れるであろう瞬間を思い、胸を痛めた。
ハリー・ポッターはいつの日か、ヴォルデモートの手によって殺されなければならない。
それによってハリーの命がどうなるかは神のみぞ知る事。なんせ前例がない。(ひょっとしたらリヴェン・マクリールは結末を知っていたかもしれないが。)
ダンブルドアは校長室から持ち出しておいたいくつかの瓶のうち、RPMとラベルの貼られた瓶を光に透かした。
そして白く光る記憶の糸を見て遠いあの日を思い浮かべた。
あれはセブルス・スネイプが寝返ってからすぐのことだった。ヴォルデモートが不死に執着し、辿り着いた1つの解答があると聞いた。
鬱蒼とした森のなか、時間の停滞した館にそれはいた。
セブルスの手引によりダンブルドアは難なく屋敷に入れた。
そしていつも彼女がいる部屋をノックし、ドアを開けた。
「…あなたを待っていた」
彼女は何かを抱いていた。
その大きな布にくるまれたものをそっとかごの中におろしてからやっとダンブルドアの方を向いた。
彼女の見かけは卒業してからほとんど変わってなかった。黒絹の様な髪と骨のような白い肌。目だけが澱み、感情をまったく失ってしまったようだった。
「アルバス・ダンブルドア。貴方に頼みがある」
ダンブルドアの返事も聞かずに彼女は続けた。
「私を葬ってほしいの。理由はもう、知ってるでしょう?」
憂いの篩に顔を突っ込むまでもない。忘れられなかった。
あの一族が繰り返してきた罪の一端をダンブルドアは担った。代償はないに等しい。しかし見返りも、これではないも同然だった。
サキ・シンガーが母親の代わりをこなせばすべてがもっと早く片付くはずだ。ハリー・ポッターに取り憑くヴォルデモートの魂の壊し方だって見つかるかも知れない。
セブルスは彼女が成人するまで選択肢があるということすら知らせたくないらしい。
けれども、時間はもう残り少ない。
リヴェン・マクリールはまるで予言者のようにダンブルドアへ呪いをかけた。
「貴方は目的を果たす前に死ぬ。だから、見返りにこれをあげる」
彼女は包みを指差した。
「ひょっとしたら運命が変わるかもしれないわ。私は変えたい運命があった。けど私じゃ変えられないから、この子に託すことにしたの。貴方も乗らない?」
その包みには、産着を着た赤ん坊が入っていた。
「私はもう死ぬ。死んだら、私の脳髄からある部位を取り出してほしい」
彼女の言葉にダンブルドアは一瞬呆気にとられた。
そして、1981年の10月31日。彼女はこの世から消えた。
……
ハリーは飛び交う呪文を見てDAがただのサークルだったのだと痛感した。
本物の魔法使いの戦いははじめから敵が向かい合って杖を構えて「いくぞ」なんて合図はしない。使う呪文が予めわかってたりもしないし、親切に大声で呪文を唱えたりしない。
呪文は無言、あるいはシューッとしたささやき声で唱えられ急所めがけて飛んでくる。
戦いは騎士団の有利だった。死喰い人は何人かサキやロンにやられていたせいもあってほとんど怪我をおっているし、人数でも不利だった。
しかし奴らは平気で粉々呪文や死の呪文を飛ばしてくる。
ハリーは身をかがめてそれを避け、避けられないものはなんとか盾の呪文で防いだ。
やられてばっかりじゃいられない。
ハリーはすぐやり返す。石化呪文は見事に死喰い人に命中し、そいつは3メートルほどふっとばされて動かなくなった。
「よくやった、ジェームズ!」
シリウスが歓声を上げ、ハリーに微笑みかけた。
ハリーもシリウスを見た。シリウスはハリーとジェームズを重ねて見ているんだと確信した。
スネイプをいじめ抜いてた高慢な父と勇敢に戦う父の姿がだぶる。
戦いの中ふと想起された、そんな迷いをーあるいは意識の隙をーベラトリックスは見逃さなかった。
「インカーセラス!」
「危ない!」
ベラトリックスが呪文を唱えたのとほぼ同時にハリーの背中がどんと押された。
ベラトリックスとハリーの間にサキが躍り出て魔法で作り出された縄に囚われる。ハリーは上体を縛られバランスを崩したサキを抱きとめようとしたが勢いに負けてハリーも倒れてしまう。
「ハリー!」
シリウスが叫んだ。
シリウスとベラトリックスの視線がハリーとサキの上で刹那交差した。二人の杖が胸の上まで挙げられる。しかしシリウスはハリーに別の死喰い人の杖が向けられたのに気づいた。
シリウスの注意が一瞬逸れて、そして
「アバダ・ケダブラ!」
緑の閃光がその胸を貫いた。
すべての音が掻き消され、時間が止まった気がした。1秒が無限に引き伸ばされてそのまま閉じてしまったみたいに、シリウスがゆっくり倒れていく。
目は見開かれて、まっすぐ正面を見ている。光がゆっくり消えていって、瞼は降りることなく濁った目が空中を無為にみつめている。
伸ばした手の先から杖が滑り落ちる。脱力した指がゆっくり開いて腕が重力に持っていかれる。
膝が折れて上体がアーチの向こう側に倒れていく。
重たい音を立てて、シリウスは地面に崩れ落ちた。
ハリーはサキに触れられるまで自分が絶叫していたことに気づかなかった。
青ざめた顔をしたサキが銀のナイフで縄を切り、ハリーの方を見ていた。
だんだん周囲に音が戻ってくるけど、どこか遠く隔たった場所から響いてくるようで聞き取れない。
サキが何か言ってる。
サキの向こうでにやりと笑い、扉をくぐって逃げるベラトリックスが見えた。
ハリーは思わずサキを振り払った。血が血管を駆け抜けていく音だけがする。目に見えるのはベラトリックスの翻るローブの端だけ。
シリウスが死んだーあいつに殺された
頭が痛くなるほどの絶望と憎悪がハリーの心の中を塗りつぶした。
ガシャンと大きな音を立ててエレベーターの扉が開いた。
「ハリー!」
腕を誰かに掴まれた。
息を切らして血を流したサキがハリーの左腕をしっかり掴み、一緒にエレベーターに乗っていた。エレベーターの扉はガシャンと閉まり、錆びた鉄のぶつかる音を響かせながら上昇した。
「ハリー…落ち着いて」
「落ち着く?」
「…杖」
「え?」
「君、杖持ってないじゃん」
ハリーは握りしめた右腕を開いた。
「ほら…落ち着かなきゃ、捕まえられないよ」
サキは開いた手の上にそっとハリーの杖を握らせた。
ハリーはやっと自分の五感が戻ってきた気がした。それと同時に自分が喪ったものにも気付く。
ああ、呼吸ができない。
息は浅くなり、頭が焼き切れそうなほど何かにせっつかれてる気がする。耳の中にはアーチから聞こえるささやき声が充満して、どうすればいいのかわからなくなる。自分の心の中身がどろりと溢れ出してエレベーター中に満ちていき溺れそうなくらい息苦しくなった。
「ハリー」
不意に体温を感じた。
サキがハリーを抱きしめて、ハリーの頭を腕の中に包み込んでいる。
「呼吸を合わせて」
サキの心臓はハリーと同じようにどくどくと脈打っていたが、呼吸はハリーより落ち着いていた。メトロノームのように一定のリズムで肺が膨らんでるのがわかる。汗の匂いと、女の子特有の甘ったるい匂いが混じってる。
「………魔法をかけるコツは…」
ハリーが落ち着いたのを見てサキが離れ、ハリーを見透かすように瞳を見つめた。
「決して乱れぬ意志と呼吸」
「ああ、そう。…そうだった、ね」
「ハリー。二人であの女を捕まえよう」
「うん。わかってる」
エレベーターが止まって、扉がひらいた。
アトリウムだ。
ハリーとサキは走った。
アトリウムの天井を照らす光が二人に濃い影を作る。そして暖炉がたくさん並んだ大ホールを駆け抜けるベラトリックスを見つける。
「エクスペリアームス!」
サキが矢のように呪文を放つ。ベラトリックスは不意を打たれて転び、杖を手放してしまった。
「グリセオ!」
這って杖を取り戻そうと立ち上がるベラトリックスはつるつる滑ってまた転び、額を激しく打ち付けた。怒りの咆哮をあげ、二人を睨みつける。
「いまだ」
サキが囁いてハリーは杖を振った。
『その女を殺せ』
呪文は知ってる。
どんな気持ちで振ればいいかも。
今なら殺せる。
このどうしようもない残忍な魔女を殺して、復讐できる。
「だめ!」
サキの悲鳴で我に返った。
自分が囚われた感情から立ち返り、ハリーの背筋に悪寒がはしった。
氷を突っ込まれたみたいな冷たさを全身で感じた。
べったりとしていてそれでいて乾ききった、矛盾した気配が濃密さを増した。
生臭い匂いがして、ぺたりと湿った肉の音が背後から響いた。
ベラトリックスはそのすきに暖炉の方へ飛び込み、エメラルド色の炎の中に消えた。
「ぅ」
サキの小さな唸り声に振り向くと、サキは震える手で暗がりへ杖を向けている。
「誰に杖を向けているかわかっているのか?」
響くのは、忘れもしないあの声。
永久に開けない冬の夜のような、永遠に融け出すことのない地底の氷のような冷淡な声。
「ヴォルデモート」
ハリーの口からその名がこぼれた。
白い顔が裂けて、真っ赤な口が弧を描き、笑みの形を作る。
「ハリー・ポッター」
闇の中からやつが来る。
ヴォルデモートは黒い衣をまとい、闇から滲み出るようにオレンジ色の光のもとへ現れた。
「エクスペリアームス」
突如サキが呪文を唱えた。しかし儚い羽虫のようにその呪文はヴォルデモートによって叩き落されてしまう。
「ああ、誰かと思えば…なんと健気な反撃だろう。サキ・シンガー。哀れな我が娘ではないか!」
「私に挨拶するのが先では?」
サキは小刻みに震えながらも気丈に振る舞い、なお杖を構えながらじりじりとハリーの方へ歩み寄った。
「そうだ、そうだったな。まずは反抗的な娘に罰を与えなければならんな」
サキが疑問符を口にするより先に、その手から杖が弾け飛んだ。それを目で追いかけていると突然世界がくるりと回転し、背中に衝撃が走る。
転ばされたんだ。とわかったときにはもうヴォルデモートの杖はサキの鼻先にあった。
「やめろ!」
ハリーが叫び、ヴォルデモートが再びハリーの方を向いた。
サキと、ヴォルデモート。
二人の赤い目がじっとハリーを見つめてる。
暗闇に浮かぶ二人の双眸は、今まで見つけられなかった共通点を文字通り浮かび上がらせた。
ぞく、と勢いを殺ぐようにまた背筋が凍る。
しかしヴォルデモートの後ろの暖炉が突如エメラルド色に燃えた。
「ここへ来たのは愚かじゃったな。トム」
黒い暖炉の中から出てきたのは白い髭を生やしてローブを着た、まるで絵本に出てくるような魔法使い。
ダンブルドアその人だった。
「貴様がな、ダンブルドア」
途端、サキとハリーは世界から閉め出される。サキはヴォルデモートに弾き飛ばされ、ハリーはダンブルドアに吹き飛ばされ二人とも暖炉に激しく頭をぶつけた。
二人の間に呪文の火花が飛び散る。
火花という言い方が適切かどうかはさておき、それは技巧や戦略といったものを超越した力と力のぶつかり合いだった。
ヴォルデモートが杖を振るうと、あっという間に炎でできた大蛇が牙を剥く。轟々と燃え盛りながらダンブルドアを噛み砕こうとする。
しかしダンブルドアは噴水の水を即座に増やし、それで大蛇をヴォルデモートごと飲み込んでしまう。
体積を増していく水はヴォルデモートをどんどん圧し潰していく。
だがヴォルデモートが水の中から杖を振ると、それは突然弾けてハリーとサキのところまで飛沫が飛んできた。
ハリーもサキも呆気に取られて動けなかった。
しかしヴォルデモートがそんな二人を見逃すわけはない。
ヴォルデモートはハリーに向けて杖を振る。それに反応してダンブルドアが盾を繰り出し、爆発したような音を立てて呪文が霧散した。
ヴォルデモートは咆哮をあげた。するとアトリウムを飾る窓ガラスが一斉に砕けて散る。
まるで星降る夜のように。
そしてその破片は空中で止まり、ヴォルデモートの邪悪な意思によりこちらにむけて飛ばされた。
鋭利な欠片が空を切って無数に飛来する。
ダンブルドアは盾の呪文を膜のように張った。全面に展開された呪文の層が飛来するガラス片を粉に変えてしまう。
ダンブルドアの真後ろにいたハリーはガラスの粉で真っ白だ。
ヴォルデモートはまだ息すら切らしてないダンブルドアを見て、不意に姿を消した。
「あいつは…」
サキがダンブルドアのそばに駆け寄る。
ダンブルドアはハリーを凝視していた。ハリーはまるでヘビのように体をよじらせ、苦しんでいた。
ハリーの傷跡がバックリ割れて血がざあざあ流れてる。
ハリーは苦悶に顔を歪めていて、ダンブルドアまでも青ざめた顔でハリーの方を見ていた。
「ハリー?どっか痛ー」
サキが駆け寄ろうとしたそのときだった。ふいに足が掬われ身動きが取れなくなる。
冷たい肌がサキの頬に触れた。蛇の腹みたいな色をした手が首筋にあてがわれてるのがわかった。
「さて、予言は手に入らなかったがこれで最低限だな…」
ヴォルデモートの言葉にダンブルドアが振り向いた。しかし苦しんでるハリーのそばを離れられない。サキは見捨てられるのか…と思いつつもやはりハリーを守るべきだと思っているので一言も声を発さなかった。
ダンブルドアのキラキラした目は真っすぐサキを見ている。意図を完全に汲み取ることはできないが、サキはゆっくり瞬きして自分が今のところは正気であることを必死に伝えようとした。
ヴォルデモートは捨て台詞一つ吐かずにダンブルドアを見たまま姿くらましをした。
サキの視界が暗転した。