【完結】ハリー・ポッターと供犠の子ども   作:ようぐそうとほうとふ

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09.絶望の神が支配する

ハリーはサキと敵対しただけでなく、スラグホーンの記憶集めにも難航していた。ホークラックスという忌まわしき闇の魔術について、彼の口を割らせるにはまだ何かが足りない。加えてロンとハーマイオニーは未だ喧嘩中で、最近三人で一緒にいた記憶がない。

ロンが惚れ薬入りのチョコレートにやられておかしくなったとき…あの時こそスラグホーンを口説き落とす最後のチャンスだったのかもしれない。

 

ダンブルドアに見せられた記憶は、トム・リドルの母親に関するもの、幼少期、学生時代ときて今度は成人後だった。そして哀れなしもべ妖精ホキーの記憶を見て、ついにヴォルデモートが何をしようとしていたのかがわかった。

ホークラックス、分霊箱による魂の保存。

ハリーからすれば荒唐無稽に等しい、殺人により成す魔法。

あいつは自分のために一体何人の人を殺してきたのだろう。そう考えるだけで背筋が凍りそうになる。

 

「理に抗う魔法が肉体にどのような負荷をかけるかはよくわかったじゃろう」

ホグワーツにやってきた見るも無残なトム・リドルの記憶を見たあとに、ダンブルドアは静かに言った。

魂を引き裂いてまで不死を求める気持ちは理解しがたい。しかし、現に分霊箱のおかげで彼は今ここにいる。

 

さらに、サキの動向が全くつかめないのもハリーの焦燥を煽っていた。

 

「ドビーめらはドラコぼっちゃまを必死に追い続けましたのです!けれども、シンガー様と合流した途端、見失うのです」

ドビーは自傷でボコボコになった頭をハーマイオニーに治療されながらキーキー喚いた。横でクリーチャーがうんざりした顔をして頭を振っていた。

「サキの魔法かな」

「ううぅぅん…断言できないわ」

ハーマイオニーははっきりしないことはなかなか口にしない。ハリーとサキが決別してからも、ハーマイオニーはサキとよく話していた。とは言え、ほとんどが雑談のようだが。

 

「何かしようとしてるのはもう確実だよね?」

「それは、そうね。でもスネイプもマルフォイたちとグルだっていうのは論理の飛躍だわ。サキの保護者なのよ?もしかしたらサキたちを止めようとしているのかも」

「そうかもしれないけど…」

 

不信は募るばかりで一向に解消しなかった。再度開いた失恋の傷口は、更に深く抉れて膿んでしまった。

ハリーはずっと憂鬱だった。誰に何を言われても心の何処かで重しがかかってるように親友(と初恋)を失った痛みがついて回る。

 

そんなハリーがいかにも怪しげに授業時間に廊下を歩くサキをみて追いかけたのは、ある意味必然だった。

 

「あ、先生。よかった。例のブツは」

「ああ。…しかし何故今こんなものを?」

 

サキの声とスネイプの低い声が天文台へ続く階段の上から聞こえてくる。ハリーは透明マントを被って、床の隙間からこっそり二人を見た。位置が悪かったら危うくスカートの中を覗き見てしまうところだった。

サキはガラス瓶を受け取っていた。中に入ってるのは…なんだろう。かなり大きい。

「スクレピーに罹った羊の脳。間違いないですね」

サキがそれをしげしげと眺めながらハリーの疑問を見透かしたようなことを言うのでハリーは思わずドキッとした。

「ほんとに海綿状になってる」

サキはどこか恍惚とした声で言った。隙間からはよく見えない。しかしなんで家畜の脳みそなんてわざわざスネイプに頼んだんだろう。

「…母の脳と、似ていますか?」

「……サキ、これはどういう事だ?」

「先生、薄々勘付いていたんでしょう?母は病気だった。この羊と同じプリオン病です」

ハリーはサキとスネイプの会話に全神経を傾けた。母親の話をしているサキなんていままで見たことがない。

「確かに、リヴェンは何かを患っていたと思うが、プリオン病の事がわからん。マグルの病名か?」

「魔法使いでもなりますよ。プリオン蛋白質というものの異常により引き起こされる、重篤な中枢神経障害群です。発病率こそ低いですが、治療法はありません。この病気の厄介なのは異常がどんどん伝達していくという点です」

「リヴェンがそれだったと?」

「ええ。母の残した研究論文はその事ばかりです。クールー病はわかりますか?」

「食人により発症する、パプアニューギニアの風土病…」

 

食人という聞きなれない言葉にハリーはぎょっとして思わず口を抑えた。スネイプの声は怖れを含んだようだった。対してサキはまるで用意してきた原稿を読んでるような平坦さで続ける。

 

「主たる症状は体の震え、認知障害です。これらの厄介なところは潜伏期間が長い割には発病して一、二年であっという間に死んでしまう点です」

「…リヴェンが発病し、その後過去を改竄すれば…」

「何年遡るかわかりませんが脳が負荷に耐えられなくて改竄自体できるかできないかわかりませんね」

サキは大きなため息をつき、羊の脳詰めを撫で回すのをやめてスネイプの方へ一歩歩み寄った。

「過去の改竄は…母の記述に拠ると…過去へ跳んで、それから事実を改竄する。その後起きた事実が現在の脳に書き込まれます。ですが母は改ざんのし過ぎで本来生きてるはずの未来まで死で上書きしてしまったようですね」

「事象はリヴェンの脳に書き込まれた時点で確定する、のか」

「そして書き込まれれば書き込まれるほどプリオン蛋白質の異常は伝達し、脳が変質していきます」

「それで死んだと?」

 

スネイプは絶望的な声色で呟いた。ハリーはあまりに多くの情報が耳に入ってくるせいで混乱状態だった。穏やかじゃない会話だというのは二人の間に流れる空気でわかる。

 

「全く。マクリールの家系の特殊性が招いた悲劇ですね。魔法のために罪を犯した天罰ですかね?」

サキは淡々と言った。極めて冷静に、淡白に。

「どの段階で異常プリオン蛋白質が血に混じったのかはわかりませんが、ただ一つ言えるのは異常なプリオンを摂取すれば、ほぼ確実にその異常は伝播するということです」

「……だとすれば、君は脳を食べたら…」

「母と同じ病気になりますね」

「何ということだ」

「いや、すぐ死ぬわけじゃないですよ?母の論文には潜伏期間は中央値で14年って書いてありましたし、長ければ40年くらい症状は出ない例もありますから。ってまあそこまで生きる前に食べられなきゃいけなかったわけですが」

 

…脳を食べる?サキが?

ハリーは耳を疑った。聞き間違いではないようだった。なんでかわからないが、サキは脳を食べようとしている。そしてー食べれば死ぬらしい。

 

「君は、それでも脳髄を盗み出すつもりなのか?」

 

脳髄ーサキが盗み出そうとしてるのは脳髄なのか。

 

「ええ。ドラコが殺されるよりかはマシでしょう?」

「マシな訳がない!」

スネイプは怒鳴った。スネイプの怒鳴り声は閉心術のとき以来聞いたことがなかった。

「君が死ぬことを、彼女が望むはずがない」

「でも、母はダンブルドアに頼んだ」

「君が犠牲になることを誰も望んでいない」

「でもドラコが殺されれば先生も死んじゃいますよ?」

「私は、君に生きていてほしい」

「私もですよ。先生は大事な家族です」

二人の会話は平行線だった。

サキはドラコとスネイプ、二人の命と自分を天秤にかけているらしい。そして、自分を犠牲にしようとしている。

 

「本当なら、私は火事で死ぬはずでした。だからいいんです」

 

スネイプはその言葉を聞いて言葉を失った。呼吸が早くなるのが、階段下にいるハリーにすらわかった。

 

「ずっと罪悪感を懐き続けていたのか?6年前のあの日から、ずっと。自分はあの時死ぬべきだったと思って過ごしていたのか?」

 

「そうですよ」

 

木漏れ日も、灯りも、

燭台のぼんやりとした光の中で

凍えるような霜降る夜も

べたつく梅雨の昼も

薄暗い森の中で迎える朝も

天国へ迎えられなかった

十字路の死者のように

死に焦がれて抱かれていた。

 

 

「私は死に損ないです。気づかないふりしてたけど…あの火事は、もしかしたら…」

「そんなことはない。君は本当にたまたま生き残った。全ては偶然だ」

「だとしても、先生の命は私のささやかな余生より重要なはずです。貴方はダンブルドアの懐刀。去年、私を取り返したせいで先生はヴォルデモートの不信を買っています。それを取り返すにはー」

「違う、あれは私の不手際だ」

「私は、ハリーたちなんか放っておいて寮でゴロゴロしてればよかったんです。そしたら…」

「そんな議論は無意味だ。サキ、こっちを見ろ」

 

また、沈黙。

ハリーの中では様々な感情が渦巻いては消えていった。漠然とある、取り返しのつかないような喪失感と罪悪感だけが早まる心臓の音で浮き彫りになる。

 

「私は君の母親に誓った。闇の帝王に彼女を差し出した償いに君を必ず守ると。何に替えても」

「貴方の償いは貴方の償いとして、私は私でドラコのために脳髄を盗むしかないのです。私は、目的のためなら手段を選びません」

サキの決意は固いようだった。いや、むしろ病的にすら思えるほどに誰かの犠牲になる事を自分に課しているようにすら見える。ハリーは今までそんなサキの一面に気づかなかった。

 

「……手段を選ばないなら……他にも道はある」

 

スネイプは沈黙のあと、絞り出すように言った。

 

 

「ダンブルドアをーー」

 

 

と、そこでけたたましく鐘がなった。なんていうタイミングだろう。天文台の真上にある大きな鐘が授業終了時刻を告げていた。スネイプが何を言ったか聞き取れない。ハリーは思わず身を乗り出したが、サキはやたら地獄耳だ。ハリーがちょっと足元のバケツに足を引っ掛けた途端、こちらを見た。

透明マントを見透かす力はないはずだ。けれどもハリーはゾッとして固まった。

 

「………次、魔法生物飼育学なんですよ」

ふいにサキがいつも通りの声色で言った。

「アラゴグ…ハグリッドの友達の、アクロマンチュラが死にそうなんです」

「…あれは希少な生き物だ」

「毒液、要りますか?」

「必要ない」

「…考えさせてください、もう少し」

「君は心配しなくてもいい。もうそうする他ないのだから」

 

サキは、ハリーにそうしたようにスネイプの元から去って行った。スネイプはしばらく天文台から見える森を眺めて、大きなため息を吐いてから立ち去った。

ハリーは取り残されたまま呆然と、二人が去ったあと天文台でぼうっとしていた。

そしてたった今盗み聞きした事実をどう受け止めるか考えて考えて、ついに結論は出なかった。

 

 

……

 

 

灰色の雲がゆっくりと湖の端から端へ流れていく。水面は青と灰の斑で底に生える水草が時々濁った緑色を見せる。

何年も見てきた風景だがその変わらない風景の中に美しさがあるのかもしれない。死を前にして、ダンブルドアは改めて自分の人生の殆どを過ごした校舎を見回した。石は何年もそこにあって、雨風で削れながら日々違った顔を見せる。

マールヴォロの指輪をはめてから世界はより一層美しく見えた。死が近づくにつれ、光は強くなり、影を濃くした。

 

アリアナ…

 

たった一つの失敗は、周りにどす黒い欲望の穴を穿ち、いくつもの罪を重ねていく。

ダンブルドアはセブルスからの報告を聞いて、目を瞑り彼女の顔を思い出した。

「脳髄より価値のあるものとは何かと考えれば、自ずと答えは絞られる」

セブルスは黙った。

初めからそう決まっていたかのように運命的に、死にかけの命がここにある。

「わしの命を、かわりに差し出すがいい」

セブルスは黙っている。

もとより一年と保たない命だ。どう考えてもそれしかない。だから、何も言わない。

「ただし、必ず君が終わらせるのじゃ。わしは痛いのは嫌じゃからのう」

「心得ております」

セブルスには辛い仕打ちばかりしてきてしまった。彼に課してきた任務は全て危険で、残酷だった。しかし彼は傷を負う覚悟をもっていて、傷に耐えうる強さを持っていた。

これからいう最後の任務は一番彼の心を傷つけるだろう。けれども伝えなければならない。

 

『貴方は目的を果たす前に死ぬ』

 

リヴェンの呪いがダンブルドアのすぐ後ろまで来ている。

 

「よいか、セブルス。ハリー・ポッターの中にある奴の魂は…」

 

 

 

 


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