申し訳ありません。
「......我らの悲願が、遂に達成される日が来たのだ」
薄暗い部屋に蝋燭が一本だけ灯されている。
年老いた男が、目の前に立つ二人の男女に向かい言葉を発する。その声は歓喜に震え、目からは涙すら流している。
「聖杯戦争.......魔術師同士の殺し合い、ですか」
二人の内の男の方が口を開く。
「そうだ。聖杯、聖杯さえあれば、全ての願いは叶えられる。500年に渡る我が一族の悲願を、この妄執を終わらせることができる」
そこで老人は一度言葉を切り、俯いた。
「しかしながら、
「成る程、それで......」
男が大げさに頷き、それきり口を閉じる。
「.......分かっているとは思うが、これは
本来ならあり得ぬからな、と老人は言う。
「......ということは、当然カルデアも介入してくる、と」
「そういうことになる」
女の確認に即座に返答する。
カルデア。人理焼却という抵抗不可能な危機を打ち破ろうとする人類の希望。数日前のオケアノスを含めこれまで4つの特異点を修復した実績を持つ彼らならば、間違いなくこの特異点にも介入してくるだろう。
その存在は彼らにとって確かに厄介だが、それでも聖杯戦争が始まってしまえばもう後戻りはできやしない。
老人は時計を確認する。
「そろそろだ。もうすぐ最後のマスターが決まるだろう」
「では、始まるのですね」
「ああ。ーーー開幕だ」
◆◆◆
「新しい特異点が見つかった?」
カルデア唯一のマスター、
「うん。昨日は観測されていなかったんだけど、今日になって突然発生したんだ」
男ーーロマニ・アーキマン、通称Dr.ロマンは頷きながら返答する。
「今はまだそこまで優先度は高くないんだけど、突然発生したっていうのが気になってね。それで呼び出したのさ」
Dr.ロマンの横にいた女性ーーレオナルド・ダヴィンチが言葉を引き継いだ。
「まあそれほど危険度も高くなさそうだし、比較的安定してるから、そんなに心配はいらないよ」
「...何日か前にオケアノスから帰って来たばかりなのに、もう次の特異点ですか......」
はぁ、と香介は疲れた表情でため息をつく。
苦笑するロマンとダヴィンチ。
彼らも無茶を言っていることはわかっているが、これは人類の存続が掛かっている。休ませてやりたい気持ちはあっても、なかなかそう言っていられないのが現状である。
「それで、その特異点って一体どこなんですか?」
今まで黙っていた香介の自称後輩、マシュ・キリエライトが疑問を口にする。
「ああ、それなんだけど、なんというか......」
ロマンが言葉を詰まらせる。それは、事実を隠したいというものではなく、純粋に困惑している様だった。
「一応、日本...なんだけどね。その......
緊急会議を終え、部屋から出て一人で廊下を進む。香介の顔には深いシワが刻まれていた。
「まさか、誰も知らない場所だとはなぁ......」
八津木市。
ロマンが口にした特異点の情報だが、聞いたこともない地名である。
これまでは冬木、オルレアンなど、誰かはその名を聞いたことがある場所ばかりだった。
だが先ほども言ったように、今回は異質。誰一人知らない、歴史に残らない場所であったのだ。
「なんか...嫌な予感がするな.......」
今となってはオカルトや魔術というものに一応触れている身である香介だが、カルデアに来る前まではそういうものにほとんど関わってこなかった。その所為で、不測の事態に十分に対処できないのは彼の弱点である。
素養は問題ないが、どうしても経験が足りない。
カルデアからのサポートがある時にはいいが、それが届かない場合だって起こりうる、そう香介は考えていた。
今回はその万が一の場合かもしれない。その考えが、香介を不安にさせている要因であった。
「おや、マスター。どうしました?そんなに難しい顔をして」
「あ、沖田さん」
俯いていた顔を上げると、そこには羽織を着た少女が立っていた。
沖田総司。かの有名な新撰組一番隊隊長の天才剣士である。ここカルデアでは香介が喚んだ中で最古参のサーヴァントだ。香介が最も信頼しているサーヴァントでもある。
「いや、実はさ......」
香介は沖田に先ほど話していた特異点の事を話した。
「......ということなんだ」
「はぁ〜、新しい特異点ですか。まだ帰って来て3日しか経ってませんよ?流石の沖田さんも少し休みたいですよ」
と、ため息を吐く沖田。サーヴァントである彼女には本来なら休みなど必要はないが、そう言ってしまうのも仕方のないほど、前回の特異点であるオケアノスは激しい戦いだった。
その戦いを終え、特異点を修復し、帰って来て一息ついたところにまた特異点。彼女でなくとも弱音を吐いてしまうだろう。
「あはは......ま、まぁ出発は明日だし、今日はまだ休めるから、今日はずっと休んだ方がいいんじゃない?」
「それもそうですね。まだ時間はあるわけですし...あ!そうだ!マスター、この後何か予定ありますか?」
何かを思いついたという顔で香介に迫る沖田。その姿はまるで小動物のように見え、尻尾すら幻視された。
突然のテンションの変わりように驚く香介だが、戸惑いながらも口を開く。
「い、いやこの後は別に何も......」
「じゃあ食堂いきましょう、食堂!甘いものを食べれば、疲労も回復すると思います!」
ちょうど甘いもの食べたかったですし、と沖田は付け加える。そちらが本心だろう、そう思いながらも口には出さない香介であった。
所変わって食堂。
生き残ったカルデアのスタッフや、本来なら必要ない食事をしにくるサーヴァントなどが集まる場所である。
ここの担当は毎日ローテーションでサーヴァント達がやっており、そのどれもが美味しいと評判だ。
「さて今日の担当は、っと...」
「何か用かね、マスター。それに沖田。」
食堂に入り部屋の様子を確認する香介と沖田に男の声がかかる。声のした方ではエプロンをした、筋骨隆々で浅黒い肌に白髪の男が洗い物をしていた。
「今日はエミヤか。ちょうどよかった。ここにいなかったら探そうかと思ってたんだ」
「甘いものを作ってもらおうと思って来たんです!」
香介、沖田の順に事情を話す。
「ふむ。作るのはいいが、珍しいな。沖田はともかく、マスターがこの時間にここにくるとは」
いつもなら3食の時以外には来ないのにな、と言ってエミヤは少し笑う。
「明日からまた特異点に行くからさ。その前に甘いものでもって沖田さんが」
「ほう。先日帰って来たと思ったら、もう次か。...何か問題でも起きたか?」
少しだけ真剣な顔をして問うエミヤ。
「いや、そんなに大したことじゃないらしいんだけど、なんかよくわからない特異点ができたから見てこい、ってことらしい」
「...成る程な。レイシフト先は分かっているのか?」
話しながら香介と沖田は椅子に座る。エミヤはもう既に作り終えていたらしく、団子が6本乗った皿を持ってきた。
皿を置くとまた戻り、洗い物の続きを始めた。
皿が置かれると同時に沖田は一本とっていた。
そのあまりの速さに香介は苦笑する。
「うん。日本の八津木市って所らしいけど......どうかした?エミヤ」
八津木市、その名を聞いたエミヤは目を見開きこちらを見ていた。古参のサーヴァントであり、かなり付き合いも長いはずだが、そんな香介でも見たことがないほど真剣な顔になったエミヤは、暫く考える素振りをしてから口を開いた。
「......マスター。その特異点、私も付いて行って構わないか?」
「あ、うん。日本だし、詳しいサーヴァントの方がいいかと思って声はかけるつもりだったけど......どうしたの?」
香介は戸惑いながらも返答する。
「......生前、聞いたことがあってな。記憶が正しければ、そこはおそらく.........」
「ーー嘗て、聖杯戦争が開かれようとした場所だ」
◆◆◆
聖杯戦争。
7人の魔術師が、死後に『座』に招かれた英雄達ーー英霊をサーヴァントとして召喚してそれを使役し、万能の願望器たる聖杯を巡って殺しあう魔術儀式。
しかし、過去5回行われてきたこの儀式は、未だに一度も成功していない。
さらに、第3次聖杯戦争においてとある陣営がタブーを犯したために聖杯は汚染され、第5次聖杯戦争の終結と共に解体され、以後一度も行われていない、というのがエミヤの語った話である。
しかしながら、自らの望みのために聖杯を求めていたもの達にとって、それは絶望的な出来事であった。
当然、何人もの魔術師が聖杯戦争を再現しようと、また聖杯を模造しようとしたらしいが、全てうまくいかなかったはずだという。
だがその中でも、惜しいところまでいったものはあったらしい。
それが八津木市で行われようとした聖杯戦争。
聖杯戦争というシステムを構築し、令呪システムを完成させたところまではいったという。しかし肝心の聖杯がどうしても再現できなかったために、行われることはなかった。
「...私も人から聞いた話だ。あまり詳しいことはわからんが、特異点が発生したというなら、間違いなくそれに関係しているだろうな」
「............」
香介は下を向いたまま黙って動かない。沖田も黙って神妙な顔をしている。皿の上の団子はもうなかった。
「......聖杯戦争が、起きているかもしれない。そういうことなのか?」
「まだ断定は出来んが...可能性はあるだろう」
エミヤがそういうとまた俯く。
仕方のないことだろう。先ほどまではただ妙な特異点に行ってちょっと調査するだけのつもりだったのが、実はとんでもない危険度の特異点だったのだ。誰であろうと受け入れるのに時間がかかるだろう。
漸く落ち着いた香介が口を開く。
「......取り敢えず、このことをロマンとダヴィンチちゃんに報告してくる。エミヤと沖田さんは部屋に戻っておいてくれ」
「ああ、それがいいだろう。あとマスター。編成はなるべく少数がいい。大勢で行って無駄な警戒をされたくないからな。そうだな......私と沖田、それにマシュを含めて4人、といったところか」
「......うん。わかった。その編成にしておくよ」
そういって香介は食堂から出ていった。
これは、偽典の物語。
あるはずのない戦いと、いないはずのサーヴァント。
人理焼却と、特異点。
幻と現が交差するとき、全ては始まる。
人理定礎値A+ A.D.2010
偽典聖杯戦争 八津木 『救世の大罪人』