「……あのねー、山吹? 熱くなってるところ悪いんだけど、無理なもんは無理。あり得ないもんはあり得ないの」
「それを決めるのは部長じゃなくて、檻口先輩です」
私はベッドから降りて、面倒くさそうに私に言いきかす部長を睨んだ。
短気な部長はもちろん、私の反抗的な態度に眉を跳ね上げて、不機嫌そうに舌を打った。……自分でやっといて今、泣きそうなくらい怖い。この人が本気で殴ったら、私は本当に体が吹っ飛ぶ。部活初日で殴られた子は確か丸三日、顔の腫れが引かなかったし。
「おい、朱子。殴るなよ。水辺ちゃんに悪気なんてねーんだから」
じりっ……と近づいてきた部長の前に割って入り、桜木先輩が止めてくれた。
けど、この人は決して私の味方じゃない。
「水辺ちゃん。水辺ちゃんの言ってることは正しいよ。でもな、水辺ちゃんは知らないだろうけど……」
ほら。愛想笑いしながら、面倒くさいって思ってるのが見え隠れしてる。
私の正しさを認めても、面倒な綺麗事を排除しようとする。
私が知らないだろうけど? 確かに私は檻口先輩も、正岡先輩の顔さえも知らない。
けど、そんなのどうでもいいことじゃない?
応援ぐらいしかできない私が知るべき情報なんて、檻口先輩には彼女がいないから、正岡先輩には可能性があるってことで十分だ。
「私が正しいのなら、私は私が思うことをします」
桜空先輩の言葉を最後まで言わせず、宣言して走った。
あはははは! 言ってやった! この言い逃げだけで心臓爆発しそう! 私ってマジ、チキンハート!
「って、おーい! 水辺ちゃん!?」
「あははははっ! やっぱりいいな、水辺山吹は! 最高の人材だ!」
「こらぁー! 待たんか山吹ぃーっ! あんた、勘違いしてるでしょうけど、檻口は……」
先輩達が何か言ってるのは聞かず、廊下を全力疾走! 言い忘れてたけど私、運動が嫌いなくせに、実は結構足が速いんです! 体力ないから長距離はダメダメだけど、短距離なら陸上部の中堅選手くらいの記録らしい!
私は部長の怒鳴り声と桜空先輩の呼びかけ、そして蒼木屋先輩の大笑いとそれにむせる咳を背中で聞きながら、やたらと脳内麻薬が分泌されてハイになったテンションのまま、体育館のわきにある剣道場まで猛ダッシュし続けた。
* * *
「……た、たのもぉぉーっっ!!」
いきなり練習中に入ってきて、ゼイゼイと荒い息立てながら訳のわからんことを言い出したあげく、その場で座り込む私。違うだろ。道場破りにでも来たのか、私は。
もちろん剣道部の皆さん方……男子は練習メニューが別なのか、女子しかいないけど、全員ドン引き。……なんか、色々とごめんなさい。
「……あの、大丈夫ですか?」
やたらと皆ドン引きされている中、一人だけ私に近寄ってペットボトルの水を差しだしてくれる天使がご降臨。
「……あ、あり、ありがとう……ございます……」
遠慮してる余裕もなく、一気に水を半分近く飲み干すことで体力をやや回復させて、気がついた。私に水をくれた天使様の防具の前垂れ。そこに書かれた名前が、「正岡」だと。
この人が、正岡先輩か!
正岡先輩はウェーブがかかった綺麗な髪をアップにした、小動物みたいな可愛い人だった。
檻口先輩の好みは確か、可愛らしくて一生懸命な子らしいから、勝率結構あるんじゃない?
「……正岡、先輩ですね。……私、新聞部です」
まだちょっと荒い息のままそう名乗ると、先輩は顔を真っ赤にさせた。
「どうしたんだ、千帆? 新聞部って、何か頼みごとでもしたのか?」
防具をつけていない、ショートカットでボーイッシュなカッコイイ先輩らしき人が尋ねると、正岡先輩は裏返った声で「え? えぇ!? な、何でもありません‼」とパニクった。
それと同時にドタバタと足音がしてきた。ヤバい! 部長達が追い付いてきた!
正岡先輩を連れ出して頼まれてた情報を教えて、誰が何と言おうとも私は応援してますからと焚きつけるつもりだったけど、その暇はない!
もういい! 正岡先輩には悪いけどちょうど今は男子いないし、ここで言う!
アドレナリン大量分泌でハイになってる頭が、普段なら到底考えつかないことを考えて、しかも実行してしまった……。
「正岡先輩!」
ガシリと先輩の両手を握って、私は一生後悔する羽目になるセリフを言った。
「檻口先輩には彼女はいませんし、いたこともありません! 好みのタイプは、可愛らしくて何にでも一生懸命な子らしいです! あなたなら十分勝率があるので、頑張ってください!!」
…………私が大声で正岡先輩の気持をほぼ暴露してしまってからしばらく、剣道場は沈黙が支配した。
「この大バカ早とちりがぁぁーっ‼」
部長が走ってきたと同時に、私の頭に思いっきり拳骨を落としても剣道部皆様方の石化は解けなかった。
っつか、痛ぁぁぁーっ!
ゴンとか、ガンとかじゃなくて、ゴガン! って音なった! 目の前に星が見えた!!
悲鳴も上がらないくらいの苦痛に呻く私の様子は完全無視されて、部長は胸ぐらをつかみ上げて鼓膜が破れそうなぐらい怒鳴る。
「この糞ガキ! 人の話は最後まで聞け! いい!? 檻口伊草っていうのはねぇ……」
「私だ」
部長の言葉を、途中で遮って名乗り上げた。
「私が、檻口伊草だ」
正岡先輩に尋ねていた、ボーイッシュで背が高くてカッコイイ、……女の人が。
* * *
…………ええぇぇぇっっ!?
檻口伊草って、女の人!? いや、確かにこの名前は私の名前と同じくらい、男か女か、そもそも人名かどうかすらよくわかんない名前だけど! えぇぇぇ!?
「……山吹? あたしらが止めていた訳、わかった?」
「――――――はい」
ぜ、全部つながった……。部長が同じクラスなのに、手紙の「檻口先輩」がクラスメイトの「檻口伊草」だとすぐに気付けなかったのも、桜空先輩が遠い眼してたのも……
「で? 山吹? この状況をあんたはどう責任取る気?」
胸ぐらをつかみ上げられたまま、こめかみに青筋を何本も浮かばせた部長が低い声で尋ねる。
いきなり赤の他人から同性の後輩の告白を聞かされた檻口先輩は、困った顔をしている。他の部員たちも黙りながら、どうしたらいいかわからなそうに困惑している。
そして本人の前で告白をされた正岡先輩は、赤かった顔を今度は真っ青にさせて、泣きそうな顔になっている。
……これは最悪の展開としか言えない。私の自己満足と早とちりのせいで起こった最悪だ。
「とりあえず、歯の一・二本、折れるくらいの覚悟なさい。それから土下座したら、少しはマシかもね」
もの凄く嫌な覚悟をしろと言われた。でも、確かに最低でもそれぐらいした方がいいと思う。っていうか、それでも足りないくらいだ。
「はい。どうぞひと思いにやってください」
眼をつぶって歯を食いしばって、まずは部長の鉄拳を受ける覚悟を決めた。
「よし。潔さは評価しておいてあげる」
部長がそう言って、拳を振り上げる気配がした。
でも、その拳は私に降りてこなかった。
「やめなさい」
気まずすぎる沈黙が続いていたはずの剣道部の皆が、一瞬息をのんだ。
ブルー・ブラッドの登場で。
* * *
「事態の収拾は私がつける。だから、水辺山吹を降ろせ」
桜木先輩に付き添われて、いつの間にか蒼木屋先輩も剣道場にやってきていた。
すぐ後ろで心配そうに、止めようかどうしようかを悩んで中途半端に手を伸ばす桜空先輩をしり目に、蒼木屋先輩はさっきまで保健室で罵られるたびに悦っていた人とは思えないほど真剣な顔して、振りかぶっていた部長の腕を掴んで止め、そう言った。
「……はぁ? この馬鹿がやらかしたぐだぐだで最悪の状況を、あんたがどう収拾つけんのよ?」
部長はいらつきながら、先輩の手を振りほどく。
バランスを崩して後ろに倒れかかるけど、桜木先輩に受け止められる。
先輩は、目でやめろと言っている。部長にではなく、自分の友達であり、主人である、蒼木屋蒼澄に。
私のことなんて、視線もくれない。
早とちりでバカやって、一人の人間を死にたくなるくらい気まずい空気を作って追いつめた私を、責めるように見ることすらしない。思いを暴露された、正岡先輩に対しての同情も、もちろんない。
この人が心配するのは、傷ついて欲しくないと思うのは、ただ一人だけ。
蒼木屋先輩は、一言「すまない」と言った。
そして、自分を支える彼の手から離れて、自分の足で立ち、歩き、部長の手をもう一度掴んで、今度は少し怒ったような声で言う。
「水辺山吹を離せ」
「先輩! いいんです! 私が全面的に悪いんですから!!」
気持ちは嬉しいけど、この気まずすぎる状況をつくったのは、……ドン引かれるくらい怪しい私に真っ先に近づいて、心配してくれて水をくれた優しい人が、今にも泣きそうになっているのは私のせいだ。
私が殴られて少しでもこの状況がマシになるんなら、私はいくらでも殴られるべきなんだ。
だから、いいんです。
今はどうか、私の味方にならないでください。
私のそんな願いとは裏腹に、先輩はにこりと優しく微笑んだ。
自分がお姫様ではないかと錯覚してしまいそうな笑顔で、その人は言う。
「悪い? 何を言ってるかまったくわからないな。水辺山吹、君は何も悪いことなどしていない。間違ったことなどしていない。酷いことなんて何もない。君は正しい。この場の誰よりも正しいことをした。
私は、それを証明しに来たんだよ」
ちっ! と舌を打つ音と同時に、私は降ろされた。
「勝手にしろ!」
部長はそう言って、不機嫌そうに剣道部入り口に腕を組んでよりかかった。
そして、先輩が静かに剣道部に足を進める。
途中、私の頭を一度、褒めるように撫でて。
そして、蒼き血の王子様は、よく通る声で言った。
「これでいいのかい?」
真っ青な顔で座り込む正岡先輩の前に立ち、視線は降ろさず、真っ直ぐ前を見て語りかける。
「他人の口からの告白でいいのかい?」
誰に伝えているのか、誰に語りかけているのかよくわからない。独白じみた問いかけ。
「勘違いしていたとはいえ、反対する者を押しのけて応援すると言った者がいるのに、このまま何もせず、何も伝えず、ただ曖昧に何もなかったことにして、偽りの平穏を続けたいのかい? そんな関係を望んでいるのかい?
違うだろう? どうしても踏み出せない一歩を踏み出すきっかけが、勇気を出すきっかけが、幸せな未来を得る為のきっかけが欲しくて、ずっと待っていたのだろう? 失うものを恐れず、勇気も出さずに手に入れた幸せなど、幻だ。
……きっかけは今、この時じゃないのかい?」
嗚咽が聞こえた。
先輩の前で座り込んでいた正岡先輩が泣いている。
泣きながら、子供のようにしゃくりあげながら、ゆっくりゆっくり振り返って、真後ろを振り返って言った。
「……先輩……。檻口……先輩。……私は……先輩が好きです。……先輩としてでは……なく……、恋愛……感情として……愛しています」
泣きながら、とても可能性が低い、あり得ない諦めさせた方が優しさだと言われた恋慕を口にした。
檻口先輩は一度、眼を伏せた。
そして真っ直ぐ、座り込む正岡先輩を挟んで正面で語っていた蒼木屋先輩を一度見て、微笑んだ。
「貴方は全てをお見通しなんだな」
そんなことを呟いて、檻口先輩は正岡先輩に手を差し伸べた。
「私も、千帆が好きだ」
本来警告タグをつけるべき内容でしょうが、決定的なネタバレになってしまうためつけず、「特殊性癖注意」でお茶を濁しました。
不快な思いをされた方がいらしたら、誠に申し訳ありません。