――――衝撃展開。
本当に成功してしまったよ。
唖然としているのは私と部長や桜空先輩、他の剣道部部員たちだけではなく、張本人の正岡先輩が一番、眼を丸くさせていた。
「千帆。私は昔から女の子にしかそういう対象には見れなかった。男になりたいと思ったことはないから、性同一性障害ではないらしい。……むしろそうだったらまだ、説明も理解もしやすくて、少しは楽だったのかもしれんがな。
私は千帆が入部した時から、可愛いと思っていた。慣れない剣道を一生懸命練習する君が、たまらなく好きだった。千帆が私と同じ思いを抱いていてくれないかと、いつも願っていた。……その願いが、叶うことないと諦めていた願いが今日、叶ったよ」
そういって、折口先輩はぎこちなく、けれど嬉しそうに、本当に本当に、どうしようもなく嬉しそうに笑った。
少女漫画の主人公のように、ハッピーエンドを迎えたヒロインのように。
「……先……輩……」
正岡先輩は、まだ檻口先輩に言われた言葉が理解できていないのか、きょとんとした顔のまま。
それでも、おずおずと怯えるように、それでも精一杯の勇気を振り絞って、彼女は自分に差し出された手を取った。
その手を優しく掴み、両手で包まれて、やっと彼女はこの現実を認識した。
正岡先輩も笑う。
驚きのあまり止まっていた涙をまた溢れさせて、ぐしゃぐしゃに顔が歪む。
涙だけではなく、鼻水まで出てしまい、ズビビと盛大に鼻をすする音が聞こえる。
可愛らしい顔がむしろ見苦しいものになっているはずなのに、……私が今までに読んだどんな少女漫画のヒロインより、恋愛ドラマの主人公より、その人は、その顔は綺麗だった。
パチパチと、手を叩く音が聞こえた。
音のした方を見てみると、部員の一人が目をまだ丸くさせつつも、手を叩いていた。拍手だ。
それにつられ、一人、また一人、手を叩き始める。
……ちょっと待った。何、この状況。最終回が始まるの?
檻口先輩と正岡先輩も、その拍手に困惑して周りを見渡すと、部員の一人が檻口先輩に駆け寄って言った。
「伊草! 何で相談してくれなかったの! 信用してくれなかったの!?」
その人は檻口先輩の友達だったらしく、憤慨しながら問い詰めるが、目は優しい。
「千帆! 良かったじゃない! 先輩なら下手な男子なんかよりも百倍優しいし、かっこいいし、紳士だよ!」
「もしかして、この間『好きな人いるの?』って訊いて、泣いちゃったのはこの所為? ごめん! 千帆、本当にごめん! しつこく訊いてごめん!」
正岡先輩にも友達が集まって、冷やかしたり謝ったりし始める。
それは、どう見ても同性同士というマイノリティな恋人ではなく、ごくごく普通の恋人が誕生した時の反応。
……え? 何で?
予想外の展開が起こり続け、脳の処理速度が追い付かない。
解説を求めて蒼木屋先輩の方に目を向けると、先輩はニコリと優しく微笑んだ。いや、微笑まれても。
「ちょ、ちょっと待て!」
部員たちにももみくちゃにされながら、檻口先輩が声を上げる。この人も、この状況を理解できていないようだ。そりゃそうだろう。
「み、皆の言葉や反応は嬉しいが……その……、いいのか?」
「何がよ?」
檻口先輩の言葉に、何で自分に同性愛とかそういう悩みがあることを相談してくれなかったのかと怒っていた友達が、まだ少し怒りながら逆に尋ね返す。
「だって、……私はさっきも言ったが同性が恋愛対象で……」
「そ、そうですよ! あの……言ってみれば、今まで女の振りして、男が混じってたみたいなものですよ! ……それなのに……それなのに――」
まだ座り込んだままの正岡先輩も声を上げて、でもその言葉は最後まで言えず、か細くなる。
愛しい人が言いきれなかった言葉の続きを、檻口先輩が引き受ける。
「……気持ち悪くないのか?」
『全然』
部員たちの声が、唱和した。
見事な異口同音に、あっけを取られるもはや部活内公認カップル。
そんな彼女らの反応を、むしろ不思議そうにしながら部員たちはそれぞれに言う。
「正直、先輩たちみたいな人たちを何ていうのかは知らないけど、気持ち悪くなんかないですよ。二人とも、超いい人だし」
「漫画とかフィクションみたいに、おねぇさまぁ~! とか叫んでまとわりつく奴なら気持ち悪いし、心が男なのに女子更衣室に入ってたなら最低だけど、どっちも普通だったじゃん。むしろ、相談とかできず、辛かったんじゃないの?」
「って言うか、私だってオリー先輩のファンなのに! 千帆、うらやましすぎ‼」
……どうやら、ここの剣道部女子部員たちはものすごくそこらへんに理解があり、なおかつ二人には人徳があったらしい。
びっくりはしたが、本気で全然引いていないらしい。懐が広すぎる。
* * *
「水辺山吹」
「みゃっ!?」
怒涛の展開に押されて、ただただ傍観するしかなかった私に蒼い王子様は耳元で呼びかけて、私に変な悲鳴を上げさせる。
実はMじゃなくてSじゃないか、この人。
「な、何なんですか!?」
私の意思を無視して紅くなる顔をどうしようも出来ずに、ただ照れ隠しに怒鳴り返してもやっぱりこの人は嬉しそうに笑うだけで意味がない。
「そろそろ、ここを出よう」
言いつつ、先輩は軽くせき込んだ。同時に、桜木先輩が駆け寄って、蒼木屋先輩を支えようとする。
それを断りながら、先輩はきゃいきゃいと部活そっちのけで女子トークしてる剣道部に背を向けて、剣道場から出ようとする。
うん。確かにもう、私たちはここにいる必要はない。
「! あ、あの!」
私も、その背を追って出入り口に向かうと、背中に言葉が投げつけられた。
「ありがとう! 応援してくれて! 告白、させてくれて、ありがとう!!」
……あぁ。
どうして、今、こんな結末を迎えられたかが、良くわかる。
勘違いしてただけなのに。真実を知っていれば、私も部長や桜空先輩と同じことを言うような、偏見にまみれた人間なのに。
蒼木屋蒼澄がいなければ、きっと最悪でしかない結末しか迎えられないようなことをしでかした奴なのに。
あなたは、礼を言うんですね。正岡先輩。
私はバカだから、気の利いた言葉は何も思い浮かばない。
けれど、自分の気持ちを正直に顔に出すことは出来る。
私は、振り返った。
正岡先輩と檻口先輩が笑った。
他の部員の方々も笑っていた。
その理由がほんのほんの一欠片、砂粒くらいに小さくったて構わない。
私が笑ったからだったら、良いのにな。
* * *
私はにへらにへらと顔面の筋肉を緩ませて剣道場から出て来ると、鬼が仁王立ちしてた。
私死ぬなと悟ってから、その仁王立ちしているのは鬼ではなく、朱子部長だと気付く。あ、結局鬼だった。
緩みきった筋肉が今度は急速に強張って引きつる。これだけで筋肉痛が起こりそうな急速な変化だ。
「……ぶ、部長……」
どうしようどうしようどうしよう! 部長にクソ生意気なこと言って、結果オーライとはいえ、新聞部の評判が下がってもおかしくないマネをしたあげく、部長の大嫌いな蒼木屋先輩が全てを持っていく形で解決させちゃった!
部長の気分が、機嫌がいいわけない!
必死でテストの時すらあんまり働いてくれない脳みそを大回転させて、言い訳やらを考えるけど、大股で私に近づく部長が考えに集中させてくれない!
ジョーズの脳内BGMを流してる余裕があるなら、この危機を何とかする考えを絞り出せよ私の頭!!
部長が私の目の前に立ち止まり、眉間に梅干しかってくらい皺を寄せて、私を見下ろして睨み付けた時点で、もうあきらめた。言い訳も人生も。
ただ、さすがに体は本能に忠実で、部長が手を上げた時は反射で目を閉じた。
ぽん
女の子とはいえ、高校生の人間一人をふっ飛ばす平手打ちでもなく、落とされた人間の意識を一日、記憶を三日奪うとされる拳骨でもなく、振ってきたのは優しい感触。
私の頭に軽く部長は手を置いた。
「今日は、あんたが正しいかったわよ」
私が目を開ける前に消えた感触。目を閉じている間に聞こえた言葉。
それが誰のものか、認識するのにえらく時間がかかった。
目を開いた時には、部長は踵を返して去っていた。
やっぱり、褒めるように謝るように、私の頭に手を置いたことも、バカに辟易する目で私を見て、私の考えを否定したことを取り消す言葉も、嘘だったのではないかと思える。
嘘じゃないと気付けたのは、部長の進行方向で苦笑しながら桜木先輩が言った「素直じゃねーな」という言葉と、先輩を「うるさい!」と怒鳴りつけた時、ちらりと見えた部長の赤くなった耳。
部長が今、どんな顔をしているのかがものすごく気になったが、さすがに追いかけて追い越してみる勇気はない。そんなことしたら、ソバットでもかまされそうな気がするから。
ただただポカンとしながら、部長の背中を見送っていると、桜木先輩と目が合った。
先輩に少し気まずそうに笑ってから、隣の蒼木屋先輩に目を向ける。
少し体調を崩したのか、軽くせき込みながら背中をさすってもらっていた蒼木屋先輩が、身をよじってその手を掴んで止め、目で促した。
私の方へ。
桜木先輩は、「そうだよな」と恥ずかしげに笑って同意して、私の元に駆け寄って、腰を90度に折った。
私よりも背が頭一つ半以上高い人が、勢いよく頭を下げられると異様な迫力がある。頭突きでもされるのかと思った。
「水辺ちゃん、ごめん! 君の言うとおり、俺らの方が無責任で面倒くさがりだった!!」
部長のような行動は困惑するけれど、こっちのどストレートな謝罪は対応に困る。困り果てる。
「え? あ、謝らないでくださいよ! 顔上げてください! 私、本当に勘違いしてたからあんな偉そうなこと言っちゃっただけで、知ってたらたぶん先輩や部長と同じ意見でしたし……」
年上でこんなにでかい男の人に、こんなにも真剣に謝られる経験などなかったので、慌てふためいて言い訳を始めると、廊下の壁に寄りかかっていた蒼木屋先輩が口を開く。
「本当に、同じ意見なのかい?」
私は、蒼木屋先輩の方を見る。桜空先輩も、頭を上げて同じように視線を向けた。
見られている本人は、少し顔色が悪くなった顔で、一人で立っているのも辛そうに、壁に縋るように立っているのに、手を貸すのはむしろ無礼だと思えるほど、気高く、凛とした声音で語る。
「水辺山吹。君は、本当に押芽朱子や桜空桃也のように、『諦めろ』というつもりだったのかい?」
その問いに、私は改めて考える。
正岡先輩の好きな人、檻口先輩が同性だと初めから知っていたら、私はどうしていたかを、具体的に。
「……先輩。先輩は、初めから檻口先輩も……」
「そのことを教えてしまっては、私の問いの意味がないだろう?
水辺山吹。私が君に失望するなんてありはしない。君を否定などしない。だから、答えておくれ。私は、君の意見が聞きたいんだ」
最後まで言わせてはくれず、先輩は私に問いかける。
確かに、これは我ながら卑怯な質問だった。
「ごめんなさい」と苦笑して謝ってから、私は答えた。