私だけのお星様。   作:神凪響姫

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あけましておめでとうございます。


コメディばっかり書いてて近頃シリアスノータッチだったので上手く書けない気がする今日このごろでございます。


第7話 背け合う心の在処

 

 

 

 気がつけば、夕日が傾き烏の鳴き声が耳に届いた。

 

 哀愁の念が漂う夕暮れの街。土地開発の及ばぬ緑残る住宅街の一角、公園の中で、ティアナは目を覚ました。

 

 正確には、眠ったままだ。

 ああ、これは夢なんだなと、夢中特有の漂う意識がぼんやりと答えを教えてくれる。

 

 だって、その証拠に、目の前には。

 

『ティアナちゃん、ばいばい!』

『また明日ねー!』

 

 幼い少女と戯れ、日が暮れるまでその日を満喫した顔で手を振り返す、

 

『うん! また明日ねー!』

 

 未だ幼く、ひまわりのような笑顔が眩しい、ティアナ=ランスターがいたからだ。

 

 苦笑。一体どれだけ遊び呆けたのか、あちこち擦り傷が窺え、頬に土の汚れが見えている。この頃は活発で男女の境も無く走りまわっていた。懐かしいものだ、と年寄りのような感想を抱く。

 

 だがその輝かしい笑顔も、やがて小さな歪みを生む。親しい友達が返る時、傍らには母親の姿があった。我が子の手を引き、今日一日の出来事などを語らいながら、影を伸ばして帰路に着く後ろ姿を、ティアナはずっと眺めている。皆そうやって、母と手を繋いで、さっきまでのものとは違う笑みを浮かべている。遠くでも鮮明に見える横顔に、複雑な想いを抱きながら、人気の無くなった公園の片隅、無人となったブランコに腰かける。

 鉄の擦れる音が虚しく響き渡る。夕暮れが寂しげな雰囲気に拍車をかけ、今にも泣き出しそうな漂い出すも、幼いティアナは辛抱強く何かを待ち続けた。

 

 やがて、足音が近づいてきた。

 

『―――ティアナ』

 

 声に、はっと頭を上げたティアナは、息を切らしながらやって来る人物に目を向ける。

 ティアナは呟き、そして叫んだ。

 

 

 

「『お兄ちゃん』」

 

 

 

 顔を輝かせ、一直線に向かう。行く先へと視線を向けずとも分かった。青年が一人、疲れたような笑みを零しながら立っている。懐かしい情景と忘れられない人の姿に胸を痛める眼前で、幼いティアナは青年―――兄であるティーダ・ランスターへと飛びついた。

 困ったように笑うティーダは、ティアナの手をとると、導くように引きながら歩き出す。疲労の色濃い横顔を、妹の無邪気な笑みが癒やしていた。仕事が遅くなったこと、友達と遊んだこと、今度遠出するから暫く留守にしなければならないこと、友達の家に泊まりに行くこと。何気ない日常会話を続け、ゆったりとした足取りで進む二人の影が、ティアナの足元まで伸びている。

 

 兄さん、と小声でつぶやく。囁き声に似た妹の声は、数寸先に映る兄の背に届くことは無い。彼は夢想の中でしか生きられない。過去の記憶の産物でしかない。現在を生きるティアナは、ただただ幸せだったあの頃の光景に憧憬を抱き、じっと眺めるしか術は無い。

 あの『ティアナ』も、いずれ兄の死去と上司の誹謗中傷で心を歪め、当たり前だった笑顔が浮かべられなくなっていくことだろう。墓石の前で悲観しては涙を流し、云われなき雑言に激情を抱き、それらを全て抱き留め無情の仮面で覆い隠す。

 

 強くなりたいと、最初にティアナは願った。

 兄のかたき討ちを考えた。夢半ばに倒れた兄の志を受け継ぐことも選択肢の一つ。しかしそれらの道筋を辿るよりも前に、ティアナはひたすら力を渇望した。

 

 力が無ければ何もできない。

 理不尽に抗うことも、不条理を打ち払うことも。

 

 才能が無いと判じられ、分不相応な魔法に手を伸ばしてでも、それでも彼女は諦めない。幾度失敗しようと、必ず立ち上がる。

 何故なら、醜かろうが無様だろうが、懸命に足掻くことでしか、強さを得られないと知っているからだ。

 

 願望は絶えない。己の実力不足を再度知り、仲間の秀逸さ加減を見せつけられた時。心の奥で黒い感情が沸き上がる。嫉妬、と言われれば、認めたくはないが首肯しよう。誰よりも現実を知り、事実を許容しながら成長して来たティアナ。妬まれることは少ないが、妬む機会は片手で数え切れまい。

 あの時だってそうだ。金髪の少年が奮戦していた時も、何故彼が、と思わなかったわけではない。年相応とは言い難い実力、新人でありながら高い汎用性を誇る戦闘力、年下であれども成人男性さながらの落ち着き払いぶりを感じさせられ、やがて溜まった鬱憤が爆発する。

 

 己の判断がミスだったとは思わない。

 倒せる、と踏んだからこそ挑んだ。真正面から挑んでも勝てないだろうから、相棒と一緒に搦め手を用いて不意を突いた。練習通りにやればなんとかなると、思っていた。

 

 結果が全て、と言われれば否定はできないが。

 

 少年にはできた。ティアナにはできない。

 しゃにむに挑む彼と、敗北の色濃さに臆した自分との差なのかと。

 

 現実を目の前に叩きつけられたようで、ティアナは夕暮れの中、肩を震わせ俯いた。

 

 最早背中すら見えないというのに、兄と妹の笑い声が、頭の中で響き回っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 日差しが眩しい。

 

「…………」

 

 窓辺から差しこむ暖かな光。空いた窓から入り込む風がカーテンを揺らしている。白亜の壁と天井の色。自分の部屋ではない。かと言って、医務室でもない。

 

 どこだろう、と身をゆっくり起こし、見渡してみる。

 殺風景な部屋だった。生活に必要な物だけを取り揃えた空間、と呼ぶのが相応しい。元々置いてあったクローゼットや本棚、テーブルや椅子を除けば、他にはハンガーに引っ下げられた衣服が一着とテーブル上の私物数点。

 一体誰のものだろう、と未だぼやける頭を動かし、外の景色を拝む。

 

 鳥たちが鳴いている。まだ陽が昇りきらない時間帯なのか、程良い温さの空気が肌を温める。

 

「……そうか。私は」

 

 思いだす。新たな敵を倒すべく、反対するスバルを強引に引き連れ、共に森林地帯へ足を踏み込んだ。自信はあった。覚悟もあった。シュミレーション通りに事態は動くとは思わないものの、ある程度の応用は効く作戦を立てた。なんだかんだで自分のわがままに付き合ってくれる友人の人の良さに感謝しつつ、危険な役目を押し付け、彼女の思いを無駄にしないとばかりに、機会を窺っていた。

 

 全ては完璧だった。

 スリンガーに気づかれるまでは。

 

 ぶるい、と身体が震える。視線だけで畏怖を植え付ける鋭い眼光、相対するだけで凡夫ならば腰を抜かしていよう明確な殺意。一身に受けたティアナは、思い出すだけで肩を震わせた。

 身動き一つできなかった。蘇る恐怖の中で、己に対する羞恥と叱咤が胸中で暴れる。どうして、と。何故あんな醜態を晒した、と。それを笑う者はいないだろう。ミッドチルダに住む者にとって、死と隣り合わせになる機会は数えるほどにも無い。次元犯罪者クラスとの衝突ともなれば命の危険もぐっと増すだろうが、新人のティアナからは縁遠い話だった。

 

 舌打ちしたくもなる。偉そうな口を叩いた結果がこれでは、兄に顔向けできない。

 

 大きく吐息。実力不足は、遺憾な話ではあるが再認識できた。

 

 足りないならば、もっと努力せねば。

 今までの鍛錬でも物足りない。

 

 少なくとも、あの少年のように、圧倒される殺意の中でも平然と立ち向かうだけの心を持たねばならな――

 

「―――あ」

 

 ようやく思い至る。急に身体の痛みが増した。冷やりとした空気が肩を撫でる。自分が受け止めるはずだった斬撃を、あの少年が代わりに受けていた。肉を焼き、ひょっとしたら骨さえ溶かした光の残影。背筋が震え、血染めの五体を幻視して、吐き気がこみ上げてきた。

 彼は無事なのか。上司は怒っているのだろうか。同僚は心配しているだろうか。憶測と不安がない交ぜになり、そのうちティアナは考えるのを止めた。 

 

「後で、謝らないと……」

 

 言いつつ、どこかやる気の萎えた溜め息をつきながら、目線をついと逸らす。

 

「…………」

 

 目を閉じ、耳をすませる。

 

 遠く、波の音が聞こえてくる。

 もうすぐ夏。日差しの鬱陶しい季節だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   第7話 背け合う心の在処

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段より重々しい空気が漂っている。

 

 机の前で腕組みするはやての面持ちは険しい。隣に控えるリインフォースは事の顛末を知るだけに迂闊なことを言えず、少々声をかけづらい空気を和らげることもできない。こういう時に限って他の守護騎士も仕事で外出しており、肝心の当事者らは負傷や事務が理由でまだ揃っていない。

 出だしから躓いている感が漂っている、リインはなんとなく思い、憂鬱になった。

 

 はやてが考えているのは分かる。先日起きたガジェットとスリンガーなる人物によるホテル・アグスタ襲撃の折り、ティアナが独断専行し、僅かな油断から仲間一人に重傷を負わせる結果を生んだ。経過を窺えば、負傷者の行動にも問題が見られるが、それはある種別問題。

 重要なのは、新人のミスで仲間が負傷した、という点……でもあるが、真に重要なのは、皆に指示を出す冷静な立場から不動であるべき人物が私情に駆られた挙句失態を犯したこと、だ。余人なれば差ほど気に留めない些細なことであろうとも、はやては割と深く受け止めている。己の観察眼が間違いだったとは言うまい。はやてだけでなく、なのはやフェイトのお眼鏡にかなったからこそ、ティアナとスバルは機動六課の新進気鋭のメンバーとして名を連ねるに至ったのだから。

 

 ティアナの件をもっとも懸念しているのは、副官であるグリフィスであった。不確定要素の多いティアナを抱え込んで良いものか、と彼はストレートな意見をはやてにぶつけた。即時対応、それが六課のスタンスである。少しでも素早い対応を行うにあたって、不安要素は極力省いておきたい。もう何度確認したか分からない、はやての方針。

 無駄なことが多い、なんて思いたくはない。ティアナを手放そうとは考えていないのも、ダイスケを引き入れたことも、全部はやての個人的な意見、つまり我ままに近い。人の上に立つ者にしては、随分と甘い。若さを考慮しても、非情に徹し切れないのは自分でも十分分かっているはずだ。

 

 それでもリインからすれば、一見大人になって打って変わってしまったはやてに残る、あの頃の優しさを垣間見れて、嬉しさを感じずにはいられない。

 

 反面、事態は不穏な気配を漂わせている。たかが新人のひと悶着がひと波乱を余ぼ起こすとは思い難い。ただそれが、六課の重役に多大な影響を及ぼしているのは、確かな事実なのだった。

 

「……ティアナのお兄さんは、任務中に殉職して、その失態を上司に咎められたことがあるの」

 

 原因を突き止め、後にティアナが頑なに強さを求める理由を察したなのはは、感情を押し殺すような声で言った。

 肉親がおらず、任務の最中殉職したというティーダ・ランスターに関しては、はやても少々事前に情報を掴んでいた。だが、それはあくまで書類上の情報。確たる証拠のない噂や死後の扱いなどは記されていない。今更聞いたところで何が解決するという話でもないが、少なくとも配慮の一つくらいはやてにもできたはずだ。

 

 結局はやてが下した判断は、ティアナとダイスケに対し厳重注意、後者は回復するまで安静とのこと。甘くはないか、とグリフィスに指摘されても、今後の精進に期待する、と涼しい顔ではやては意志を曲げない。公的立場からすれば注意で済まされるものではないだろうが、少なからずティアナの人となりを知る者は、今後は同じ失態を繰り返さないだろうと判断し、この件に関しては過ぎたことだと思い、事を済ませた。

 

 そして、もう一つ。

 

「鎖骨下動脈破裂、鎖骨間靱帯及び肋鎖靱帯断裂、その他靱帯複数が断裂。左胸骨一番から三番まで破壊。光剣の焼熱も考慮し、通常ならば致命傷どころか左腕が動かなくなるレベルの傷だというのに、シャマルが下した診断結果は、たったの『全治三週間』。健康の一言で済ませられる程度じゃない」

 

 診察結果が医務室から送られてきていた。身体が丈夫だとか、バリアジャケットのお陰とか、様々な憶測が脳裏を過るが、とても不自然な結果に疑問が尽きない。

 

 回復が見込めたのは朗報だろう。しかしそれでいて、あまりに異常な治癒力に不安が沸き上がる。

 

 例えば骨が完全に折れる事態に陥ったとする。若いうちならば高い再生力で早ければ一月、遅くとも二月ほどで完治できる。しかし骨の切断はそれとは比較にならない重症だ。更に加えて、筋組織も大分破壊し尽くされている。発見時には、左腕が身体を離れていないのが不思議なほどだった。

 

 無論、魔法と言う恩恵があればこそ、と判ずることもできよう。

 だがそれならば、シャマルも小首を傾げて言うまい。

 

 ―――あの子、私が応急処置を施した時点で、大分出血がおさまってたわ。

 

 シャマルの腕前は折り紙つきだ。伊達に約十年間、管理局で多くの者の怪我を見てきたわけではない。

 

 人造魔導師、という単語が浮かぶ。人間でありながら精巧な作りと高い資質を持つ、人間の紛い物。違法研究に分類され、神の真似事を仕出かす者は後を絶たず、人の世に貢献するといつか期待されていた技術は、現在凍結しているはず。それを額面通り受け止めているはやてではないが、知人に似た存在がいる以上、全面的に否定することもできない。

 それに、仮に彼が人造魔導師と仮定したとしても、最初の身体検査の時点でシャマルが気づかぬはずもない。彼女の目を欺くほど精巧に作られているとすれば話は別だが。

 

「……嫌な予感と予想は的中するもんやな」

 

 呟き、はやては背もたれに体重を預ける。心配げな目を向けるリインフォース。大丈夫ですよ、と言いたくても、根拠の無い励ましなどを送ったところで、はやては笑顔を見せてはくれないだろう。きっと力の無い笑みを見せて、大丈夫や、と言うだけだ。

 言いたくても言えない。もどかしい想いを抱え、リインは事の早期解決を切に願うのだった。

 

 

 

 

 

     ○   ○   ○

 

 

 

 

 

 時々、自分は何がしたいんだろうと考えることがある。

 

 ふとした時、今まで歩んだ短い人生を振り返り、はたと思い至る。

 

 今まで少しずつと思っていた矢先、夢への道筋に光明が差し込み、小さな一歩が、やがて大きな一歩へと変わっていた。

 

 追い風を受けて、私はどんどん加速する。

 

 次第に歩みが走りになり、隣を見知った顔が並んでいる。

 

 いつかはと、ずっと先になるだろうからと、遠くに見出していた何かが、私の眼先にまで迫っていた。

 

 思いだす。

 

 辿り着いた時、私は本当に満足なんだろうか―――

 

 

 

 

 

「―――どうしたの? こんなところで」

 

 珍しく談話室で時間を潰そうと立ち寄ったティアナと遭遇したのは、これまた数奇なことにダイスケだった。

 

 ベンチの一つを占領し、横手に本を数冊山にして置いている。どれも小難しい文字ばかりの書籍で、一般書店で販売されているものの中でも割りと高価なものだ。歴史や雑学、現代技術の基礎や経済事情の読本など、ジャンルは様々。次元漂流者と自称していたが、成程、こうして勉強しているのだなと少しばかり感心した。

 

 ダイスケは口数は多いが感情の起伏があまりなく、普段何をしているのかティアナも知らない。特に興味も湧かなかったからだが、姿を見ない間は勉強しているのか。ならば年上であるティアナと同レベルの思考回路を持っていても不思議ではない。

 

 そんな彼も、ティアナの訪問には軽い驚きを得たようで、眠たそうな眼をちょっと大きめに開いていた。

 

「……別に。暇つぶしよ。アンタこそ、こんなとこで読書?」

「部屋にいるより他の場所で読む方がはかどるかもしれないと思ってね。まぁ、こっちも息抜きみたいなものだよ」

 

 肩を竦める仕草が嫌に似合っていた。よく自分は大人びていると評価されるが、これは幾ら何でも例外すぎるだろう。彼が手にしている哲学の本は、子供にとって子守唄レベルだというのに。

 

「そんなの読んで役に立つのかしら……」

「存外馬鹿にしたもんでもないよ? ちょっとした雑学は人生を豊かにしてくれるよ」

 

 例えば? と問うと、ダイスケは少し思い出すように考えてから、

 

「『人生に分岐路が無限に存在する。一つの選択が過ちであるかは誰にも分からないが、正しき答えであったと気づくのは、振り返って正しいと思えた時である。』」

「……それ、何の受け売り?」

「どっかの偉い教授が書いた本のフレーズ。中身はただの愚痴と自己満足だったからつまんなくて投げたけど、そこだけはすごい気に入ってるんだ」

「ふぅん。まぁ、人生に失敗した男の教訓としてはなかなかじゃない?」

「前々から思ってたけど、ティアナって割と容赦ないよね」

「今更気づいたの?」

「結構知ってた」

 

 笑みを零す少年に、悪意はない。

 

 小気味の良い会話に、肩の力が自然と抜ける。気楽に感じたせいか、ちょっと話をしてみようと珍しく気が向いた。

 

「容赦ないって言えば、そっちこそ。エリオが訓練の時いい悲鳴上げてわよ、隙あらば連射してくるから近づき辛いって」

「俺射撃苦手」

「嘘つきなさいよ。なのはさんと模擬戦した時もバシバシ撃ってたじゃない」

「そんな過去の出来事など私はまったく記憶しておりません」

「なんでそんな無意味な誤魔化しするのよ……。ところで、アンカーガンの使い勝手どう?」

「思った以上に手に馴染む感じ。お手製にしては完成度高いね。あ、これ褒め言葉だから」

「最後のがなければ素直に受け取ってたわよ」

「あらら、余計だったかな」

「いいえ、ありがたく頂戴するわ」

 

 笑い返すと、ばつが悪そうにダイスケは口をとがらせる。

 我ながら意地の悪い笑みを浮かべたものだと感心する。

 

 ダイスケは息を吐くと本を閉じ、ベンチの下から小さな鞄を引っ張り出す。中身を漁り、手のひらサイズの箱を取り出した。

 

 ティアナに差しだす。何コレ、と無言で問うと、買ってきた、と短い返答。

 

「最近、疲れ気味みたいだから。これ食べて元気出してと」

 

 ティアナの動きが僅かに止まる。

 

「……そう? まぁ、近頃訓練の内容も大分濃くなってきてるしね。」

「誰かさんが夜な夜な部屋を抜け出して夜遊びに呆けているとのことなので、心配した善良なる市民・Sさんは止めようとしたのですが、あの年頃の子には色々あるんですよと諭され、優しく見守ることにしたのです」

 

 本当のことを耳元で叫んでクロスミラージュをぶっ放してやろうか真面目に悩んだが、大人げないことこの上ないので控えておいた。

 

「まぁ俺はそこまででもないけど、一応仲間だから。あんまり友達に心配かけないようにね」

 

 何事もほどほどに、と結論を出し、こちらの手に箱を押し付けると、ダイスケは荷物を片づけ立ち上がる。引きとめようにも、彼は小さく笑って振り返り、じゃあね、と言ってそのまま立ち退いた。

 後に残されたティアナは呆然としつつ、ひとまずこの箱の中身は何だと思い、蓋を開けた。

 

「あ……」

 

 手作りと思しきチョコレートケーキと、一枚の紙。丁寧に作られ、形の整ったそれを眺めつつ、折りたたまれていた紙を開く。書かれている文字は少なく、ただそこに、自分への励ましの一言が、誰が何を書いたか丸分かりの書き方で記載されている。四人分のメッセージ。頑張って、とか、身体に気をつけてねとか、短くても、彼らが伝えたいことを簡潔にまとめている。

 

 熱いものがこみ上げてくる。単純だなぁと思いつつ、ティアナは顔が綻ぶのを止められない。

 

 知らないうちに、皆に心配をかけていたのか。

 

 後でお礼を言おう。素直に言えるかどうか分からないけれど、とりあえず、部屋に戻ったらゆっくり味わおう。立ち上がったティアナは、来た時よりも軽い足取りで立ち去った。

 

 

 

 余談だがケーキの中にはカラシが混入されており、口から火を噴いたティアナが怒り心頭で某少年をクロスミラージュ片手に追い回しているのが後ほど目撃された。

 

 

 

 

 

 目指す山の頂を見据え、手段は確かに手元にある。

 

 けれども、そこへ至る道には、色んなものがある。

 

 友人もいる。仲間もいる。尊敬する上司もいる。

 

 気がつけば、一人で歩いていた道には、大勢の人がいた。

 

 恵まれていると思う。救われていたと思う。

 

 認めよう。一人で強がっても、結局人である以上、孤独には打ち勝てない。

 

 誰かと生きる喜びを知った。助けられるありがたみを知った。

 

 多くの大切な物を見つけられた。大事な物を見つけられた。

 

 幸せなんだろう、今の人生は。

 

 

 

 ―――けれど、

 

 

 

 優しく居心地の良い世界の中で生きていて、ふとした拍子に浮かぶのは、決してぬぐい去れない過去。

 

 いつか、立ち止まって考える。

 

 未来の現実は変わるだろう。しかし、過去の現実は変わらない。

 

 忘れてこの世を謳歌するのも、人並みの幸せを掴むのも、ひょっとしたら、ありなのかもしれない。

 

 でも、何かに背中を引かれて、私はそれを振りほどけない。

 

 後悔や意志を振り払うだけの強さは、なかった。

 

 願わくば、

 

 一度だけ、心を満たす何かが欲しい。

 

 きっかけでもいい。些細なことでも構わない。

 

 私が大きな一歩を踏み出し、本当に在るべき姿を手に入れる術が、あるならば。

 

 私はきっと、何かができる人になれるはずだ。

 

 

 

 そう、信じて。

 

 ティアナ・ランスターは、夜明けの訪れを待ち続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼下の光景を眺めていた青年、ヴァイス・グランセニックは、痛々しげに眉根を寄せ、静観に徹していた。

 

 かれこれ四時間は経過しただろうか。ティアナは一心不乱に銃を構えてはトリガーを引き続け、鬼気迫る表情で訓練を続けている。まるで何かに突き動かされるように、立ち止まって休む暇などないかと物語るように。

 

「……あいつ、今にブッ倒れるんじゃないかね」

 

 傍目にも過剰すぎる運動と訓練に、ほとんど交流のないヴァイスでさえ心配になってくる。彼女を含むフォワード達が、昼夜を問わず過酷な訓練に励んでいるのは知っている。自分が彼らと同じ十代の頃は、もっと年相応の遊びを満喫していたものだ。それに比べれば、ティアナたちの奮起ぶりは目を見張るものがある。やはり目標の明確化と具体的な方針があると成長の幅も違うものだろうか。

 自分はどうだったろう。ヘリのパイロットに憧れ、魔導師としてそれなりの活躍はしてきた。六課にシグナムの推薦で入るまで、割りと普通の人生だった気がする。

 

 妹の件が人生の分岐路だったように、今では思う。あれさえなければ自分は一般魔導師らしい、ごくごくありふれた生活の中に埋没していた。

 今でも鮮明に思い出せる、忌まわしい出来事。何が悪いか、と問われれば、自分以外の何物でもない。だから簡単には割り切れない。自分だけの問題ではないから、尚更。

 

 意識を戻し、ティアナの横顔を見る。

 何かに囚われたように、彼女は動き続けている。

 

 

 ―――お前は何に囚われているんだ?

 

 

 ふと、上司だった人の鋭い指摘を思い出す。

 

 かつての自分も、あんな顔を四六時中していたのか。だとすれば、相当辛気臭いものだったろう。

 

 しかしだとすれば、ティアナに何も言うことはできないし、言う資格もない。資格くらいはあるかもしれないが、言ったところで本人が乗り越えられねば意味はない。

 

 声をかけるだけでも少しは違うだろう。実際そう思い、実行したはいいが、ティアナはヴァイスの気遣いをやんわりと受け止め、また自主訓練に戻ってしまった。同僚として少なからず彼女の人格を悟った彼はその場からスタコラ逃げ出した。

 

 最早何も届くまい。上っ面だけの言葉では、きっと彼女は変われない。

 変われるとしたら、それは、本当の意味で『魔法』と呼べる奇跡。

 自分で変わろうと強く願うか、誰かの優しさに直に触れるしかない。

 

 ティアナの奥底には強い力がある。苦難を乗り越え、困難を糧に次へ活かすために己に成長を促せる強い目。彼女にはそれがある。観念論でもなく、ただの厳然たる事実。客観的に自分を見つめても何も分からずとも、諦めず懸命に足掻く姿に何かを感じる者は必ずいる。目立たずとも揺るがぬ意志と確たる想いを抱える人間。恐らく今それを伝えても、彼女には決して届くまい。今、ティアナは自分の行く先を見据え続け、立ち止まって顧みる機会を失っている。自分が如何に多くの人に想われ、どれだけの力が根付いているか解らなくなっている。状況に呑みこまれ、ともすれば立ち止まりかける足を叱咤し走り続ける。

 本当に大切なことは何なのか、見失っているのではなかろうか。

 所詮個人の力量は差ほど大局を左右しない。けれどもその中で何かを変えられる。広く知れ渡ることで、何かが残される。育んだ想いが意志の繋がりとなり、暗雲に満ちた世界を闇の縁から引き上げることだってできるだろう。

 

 魔法とは、人々の救いの象徴でもあるのだから。

 

 迷走するティアナの周囲に立ち塞がる闇の帳は深く長いだろう。でも、無限に続きはしない。走り続けていれば、いつか抜け出せる。絶対に諦めない心を彼女がまだ持ち続けていられるのであれば、或いは彼女を大きく成長させる何かが見つかれば……。

 

「悩めよ少女。自分が何を求めているのか、今何をすべきなのか。そうやって立ち止まって考えてみる時間も、今のお前には必要だろうさ」

 

 それこそが、

 

「まだ光さす世界で生きられる、お前の特権なんだから」

 

 寂しげに笑い、遠い少女の背中を見つめるのだった。

 

 

 

 

 

     ○   ○   ○

 

 

 

 

 

「―――で、結局ティアナとスバルの独断専行は、隊長どのの恩情により厳重注意で済み、ダイスケの行動も仲間の救援行為ということで処理されることになったわけか」

 

 半ば不服そうに眉を歪め、椅子の上であぐらをかくヴィータは言う。

 

 普段の言動を見ていると分からないが、彼女は割と実直な人柄で、個人の感情で多少態度に変化があっても、公私はきちんと分けて考えられる人だ。先程も立場上上司となるなのはに敬語を使っている場面を目撃し、それなりに驚いたものだ。

 

 そんな彼女も、今回の件には随分お冠なようで、ホテル・アグスタ事件から数日が経った今でも時折愚痴を零している。新人のフォワードを見守る立場でありながら、役目を果たせなかった後ろめたさがあるのかもしれない。なんだかんだで部下想いな少女である。

 

「……それはいいんだけど、何で包帯グルグル巻きにされた挙句手足縛られてんの俺?」

「オメェアタシが『話がある』つった瞬間逃げ出したじゃねーか!」

「えっ、やだ……だってそんな。恥ずかしい……」

 

 恥じらっていたら頭をぶっ叩かれた。

 

 ダイスケの怪我は的確な治療を施され、意外なことに僅か数日でほぼ完治した。治療を担当したシャマルも驚く再生能力だったそうだ。それでも暫くは安静にしていろと軽い注意を受けている。当然の話であるが、筋肉を焼かれ骨まで達するほど右肩を切り裂かれた人間が数日で完治など有り得ない。あくまで外見はほぼ完治の領域であるものの、一度破壊された体組織はすぐ再生し切ることは無い。まず表面を取り繕い、中身を時間をかけて癒やしていく。動けば鈍痛が半身の動きを束縛するが、腕の繋がっている証拠だと思えば安いものだった。

 

 本人は魔法のお陰、とのたまっているが、その高すぎる再生力が上司に疑られる要因となっていると露とも思わなかった。

 

 壁に背を預けて二人のやり取りを聞き流していたシグナムは、閉じていた眼を開いた。

 

「しかしスリンガーと言ったか。噂は耳にしていたが、それ以上に危険な男だな」

「まさか非殺傷設定解除済みで挑んでくるとは思いませんでしたよ」

「社会で敷かれたルールに背いてる時点で我々の常識は通用しないだろう。次元犯罪者とはそういうものだ。こちらが平和的交渉をもって接したところで、相手が正直に応じてくれる可能性など皆無に等しい」

「それでもこちらは穏便に事を運ぶために手を尽くす、ね……。管理局って結構甘くないですか?」

「否定はしない」

 

 というより、六課の存在が異例すぎる気がするのは、まぁ今更始まった話でもないわけだが。

 

 身だしなみを整える。暫くは訓練の見送りが決定し、完治するまでの間、時間の浪費はできない。戦力を期待されて入隊したのに、足手まといではいられない。

 

「意外だったな」

「はい?」

「お前がランスターを助けに入ったことも、ランスターが無理に突撃したことも」

「一応俺、仲間なんですけどね……」

「言葉で示しても態度で示せる者は多くはない。ましてや命がけとなれば尚更だ。……そんな顔するな。私はお前の勇気ある行動を評価しているぞ」

 

 だが、と言葉を濁す。上司の間でも、ティアナの行動には憶測を呼んだらしい。

 

 なのはは知っているのだろうか。自分の直属の部下とも呼べる、あの少女の異変を。

 もし知っているならば、何故何もしないのだろう。教導官ならば、何かしらのリアクションがあったしかるべきだろうが……。

 

「ったく。いつも通りのアイツならまともな行動とれただろうによ、なんだってあん時だけ出しゃばったんだか……」

 

 まだ苛立ちが治まらないのか、ヴィータは頭を掻きながらブツクサ文句を言う。シグナムも同意見なのか、何も語らない。

 確かに、上司からすればダイスケやティアナの行動は許し難いものだ。命令を無視して独走した挙句、負傷。扱いの困る部下にほとほと手を焼いている様子。陰口のような言葉が漏れても、別段おかしくはない。

 

 だが、

 

『邪魔なんだよ!』

 

 本人は、無意識のうちに発しただけの何気ない言葉かもしれない。だが、言葉の刃は確実に人の心を切り刻む。言葉の暴力、というものがあるように、人は暴力や権力を振るわずとも他者を不幸に陥れることができる。ただ対面に立って、いわれなき誹謗中傷や心無いの否定の言葉を投げつけるだけでいい。人を傷つけるのに悪意は決して必要なわけではない。その人の受け取り方一つで、ただの言葉が人を死に追いやることさえある。

 外へ感情が出ない分、内向的な性分なティアナは、湧き上がる衝動や御し切れない感動を内側で処理してしまう。もしかしたらティアナは、言葉の一つにさえ過敏に感じ取ってしまい、心の内に吐き出しきれない感情を抱え過ぎてしまっているのかもしれない。ならば普段の言動の変化や態度の変貌にも説明がつく。一つ一つは小さな出来事でも、積み重なって圧しかかれば、塵も積もって山となった重圧に耐えかね、心の芯が歪んでしまう。

 

 ……聞けばティアナの兄、ティーダ・ランスターは、任務不達成と誤認した任務内容から謂われなき誹謗中傷を受けたという。その煽りを受けた唯一の肉親であるティアナ。慕っていた肉親の全てを否定された幼少の彼女の心中は如何ばかりか。

 

 しかし成程、ティアナが必要以上に力を渇望する理由は分かった。公私混同は御法度だが、まだ子供の彼女には己の感情を律するだけの精神の強さが足りていない。だから上司の心遣いも届かないし、仲間の気遣いも聞き入れない。意固地になっている、というよりは、自分の目的のために躍起になっていて周囲にまで気が回らないのだろう。

 

 ……などと偉そうに考察している自分があまりに滑稽だと気づき、人のこと言えないな、と内心苦笑した。

 

「俺はティアナの気持ち、分かるよ」

 

 呟く声は、ヴィータとシグナムにも届いていた。

 怪訝な顔が二つ向く。彼女らには分からないのか。弱者の気持ちが。

 

「役立たずのままでいるなんて、できないんだよ」

 

 例え足元にも及ばぬ強敵の前でも、挑まずにはいられない。

 

 決して引けない時だって、あるはずだ。

 

 誰にでも。

 

 ヴィータが眉を歪め、どういうことだと問い質そうとした。

 

「た、大変よっ!」

 

 突如、扉を全力で開いて突入して来たシャマルの一声に、その場の全員が視線を向けた。

 

「どうしたんですかシャマル先生。二か月ぶりくらいに月ものが来たような声を出して」

「そうなのよもう歳なのに……んなわけないでしょうが!」

 

 律儀に突っ込むシャマルを、まぁまぁと落ち着かせるシグナム。

 しかし何が起きたのか。焦燥気味のシャマルの顔に、一同は緊張を高めた。

 

「―――何? 高町とランスターが?」

 

 事情を聞き終えたシグナムはすぐさま現場へと向かおうとする。ヴィータも苛立たしげに舌打ちをしてから、立ち上がった。

 

「ったく、アイツ子供か!? いちいち面倒事おこしやがって……!」

「あんたに言われたくないと思うよ」

 

 ゴスッ

 

「おら、とっとと訓練場に行くぞ」

「そうれふね」

「……ダイスケ、鼻血でてるぞ」

 

 シグナムが心配げな目を向けてきた。

 この人意外と優しいな。呑気にダイスケはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 既に事態は深刻化していたらしい。

 

 訓練場に辿り着いた時には、棒立ちするなのはに向かってスバルが突撃を敢行し、ティアナがダガーモードに切り替えたクロスミラージュを突き立てていた。傍目にも見事なコンビネーションであったが、どうやら無理を効かせた作戦になのはは怒りを抱いたようで、素手で攻撃を掴みとっていた。白刃取り、というにはあまりにお粗末な受け止め方。手は傷つき赤い血が滴り落ちている。だが顔を俯かせたなのはは気に留めた様子もなく、口を真一文字に結んで沈黙している。

 

 ややあって、なのはは下向き加減のまま、言った。

 

『―――おかしいな。二人とも、どうしちゃったのかな?』

 

 スピーカーから聞こえてきた声。あまりに無機質で感情を欠落させた声音に、耳を傾けていた者は一様に驚いた。ぞっと背筋を凍らせる、あの暖かな笑みを浮かべた女性のものとは思えないもの。近くに立つフェイトでさえ、口元を押さえて驚愕している。

 

『頑張ってるのは分かるけど、模擬戦は喧嘩じゃないんだよ? 練習の時だけ言うことを聞いてるふりで、本番でこんな危険な無茶をするなら、練習の意味、ないじゃない』

 

 ねえ、私の言ってること、間違ってるかな?

 

 尋ねるような台詞。だがそれは、下手な脅しや恐喝よりも怖ろしい。平坦すぎる彼女の言葉一つ一つは、聞く者に胸を掻きむしりたくなるような不安を抱かせた。

 

『―――少し、頭冷やそうか』

 

 やめて、と誰かが叫んだ。

 

 それが聞き届けられるよりも前に、光が溢れた。

 

 

 

 

 

 違和感を抱いたのは、模擬戦が始まって間もなくのことだ。

 

 スバルとティアナ、二人のコンビネーション力の高さは既知のものだ。Bランクの試験時、直に目撃したからこそ分かる、長年の信頼関係から来る、息の合ったフォーメーション。六課に異動してからも幾度も感嘆させられる思いで、彼女らの成長を見守っていた。

 

 だが今回のは今までのと違う。スバルが荒々しく攻撃を繰り出し、隙を突いたティアナの精密射撃が襲いかかる。記憶にあるパターンと同様、彼女らのスタンダードな戦法。そこに、スバルが半ば自暴自棄気味の猛攻が加えられ、防御を明らかに軽視した突撃を仕掛ける。これにはなのはも瞠目する。何だこれは、自分はこんなものを教えてはいない。己が身を削り、勝利を貪欲に求める戦い方など、私が一番忌避するものだ。幾度となく戒めてきたというのに、どうして今になって。

 何故こんなことをする? 問いかけるも、スバルは応えず、力強い打撃を間断なく撃ち込む。無視している、というより、意図的にこちらの発言を聞き流している。

 

 スバルは特攻めいた攻撃をする人間ではない。

 ならば、と視線を一瞬、視界の隅に立つ少女を捉える。

 

 ティアナの指示なのか? こんな、自身を省みない戦法を強いているのは。

 

 疑念が頭を占めていく。回らない頭が答えのない問いかけを解決しようと蠢き、けれども納得のいくものは見当たらない。

 

 思考が身体を束縛する。普段より切羽詰まった攻防、長く続けばスバルも危うい。ならば早い段階で切り上げさせる必要がある。

 

「どうして……」

 

 歯噛みするなのはが、躊躇いながらもカートリッジを消耗しようとした。

 だが、動きの鈍い上司の隙を一部たりとも逃さんと観察していた冷静な銃士は、致命的な隙を絶対に見逃さなかった。

 

 動きが生じる。カートリッジを消費し、貫徹力を上げたスバルの拳が、一瞬遅れて反応したなのはのシールドを打ち鳴らす。火花が散り、初めてなのはが苦渋に満ちた顔で防御に専念する。がむしゃらな攻撃はなのはを焦燥させるだけの効き目はあった。それと同時、なのはの中で何かが大きく膨れ上がる。言い様のない何かが、口元までせり上がり、弾けそうになる。

 いけない、と自制をかけるも、ティアナの接近が思考を吹き飛ばす。

 

 視線が合う。

 冷ややかな目。自分の想いを無言で否定している。

 

 緩やかになる時間の中で、ああ、となのはは思った。

 

 なんだ、ティアナは初めから―――

 

 

 

 

 

「レイジングハート。モード・リリース」

 

 

 

 

 

 ―――私の言うことを、何も聞いてなんて、いなかったんだ。

 

 瞬間、自分の思考が切り替わる。今まで焦りで満ちていた心が瞬く間に凍てついてゆく。乱れていた呼吸が整えられていく。眼を見開くスバルを無視。ティアナの方へ意識を飛ばす。

 

 目が一瞬閉ざされ、感情に溢れていた瞳が姿を消す。

 

 そして今一度開かれた時、そこには人としての温かみが一切省略されていた。

 

 優しい教官から、歴戦の戦士へ。

 

 不安は悲しみに、焦燥は怒りに。

 

 そして、混乱は混沌へ。

 

 感情を投げ捨て、機械のように肉体が再起動する。

 

 反面、ティアナは目に見えて混乱していた。デバイスを待機状態に戻したなのはは、あろうことか、ティアナのクロスミラージュを素手で掴んだのだ。防御のために、シールドを展開するならば分かる。だが、形成された魔力の刃を、手のひらで受け止めている。直に触れた彼女の柔肌は切り裂かれ、徐々に橙色の刃を鮮血で彩ってゆく。

 

 今に至り、ようやく彼女は平静を取り戻したのか。

 けれども、それよりも早く。

 

 なのはは冷徹を取り戻していた。

 

「クロスファイアー―――」

 

 指先に魔力が集う。呆けていたティアナは慌てて後退するも、空中を自在に飛べぬ彼女にとって、数秒の思考停止は致命的だった。

 

「ティ、ティア! 逃げ……ッ!」

 

 スバルの悲鳴のような叫びと同時、

 

「―――シュート」

 

 死刑宣告に近い、無情の断罪。

 

 桃色の光弾がティアナを滅多撃ちにし、小規模な爆発が上がる。衝撃がこちらにも届き、絶望が飛び出したスバルの顔を撫でる。

 

 粉塵が舞う。地面へと落下したティアナは意識を失ったのか、身動き一つしていない。既に原型を留めなくなったバリアジャケットが痛々しく、なのはが放った魔力弾の威力を物語っている。意識を刈り取るだけの力を孕んでいた。

 少なからず後悔している。けれども一度冷え切った感情が熱を持つことはなく、湧いた動揺も後悔もすぐに冷却される。

 

「……模擬戦はここまで。二人とも撃墜されて終わり」

 

 しかし、

 

「ところで、君は何しに来たのかな?」

 

 振り向けば、金色の少年が、虚空に佇んでいる。

 

 

 

 

 

 止めるつもりはなかった。

 

 どちらの言い分も正しいし、どちらの意見ももっともだと頷ける。互いの立場を尊重して考えれば、いずれの答えも納得のいく結果だろう。人々を教え導くなのはとて人間だ。時に過ちを犯すだろうし、納得のいかぬ事態に腹を立てることだってある。まだ経験の浅いティアナは無理を押し通し、やがて破滅しかねないと表面上は理解していても、やがて直面した時後悔しないとは言い切れない。

 難点があるとすれば、お互いのコンセンサスがとれていなかったことだろうが。互いに上司と部下以上の信頼関係が結べず、胸の内に抱えた感情諸々を吐き出すことができていれば、或いはこのような事態に発展することはなかったかもしれない。

 

 

 ―――人を信じる心があって、人を好きになる思いがあれば、誰でも人と深く繋がれる。

 

 ―――けれど、私たちは物事を深く捉えて考えてしまいがちになる。解ろうにも正確に相手の心を把握することなんてできない。

 

 ―――私たちに真にできることは、話し合って、分かり合う努力を続けることと、せめて誰かが悲しい思いをしないよう教え導くのを続けることだけ。それが一番の近道だと信じているし、教える子たちの夢の第一歩を手助けできるなら、私もそれがいいと思う。

 

 ―――だからもし、今君が話せないことがあっても、いつか分かり合えたのなら、お話してくれるんだって、私は信じてる。

 

 

 空を見上げながら、ダイスケは思う。なぁ、高町さん。あんたが何を努力していたか、俺は知らない。ティアナを案じて何を思ったのか、彼女のために何をしていたのか、知らない。貴女は信じることが大事だって言っていた。敢えて何もせずに見守っているのも、それはそれで一つの手なのかもしれない。

 

 それでも。

 

 なのはは上に立つ者として、やってはいけないことをした。

 教え導く者として、他の者より長く生きる先輩として。

 

 対話することを諦めてしまった。

 

 それは最終手段だ。人は獣と違う。言葉で意志疎通を図り、互いに譲歩し合うことで平和な関係を築き上げることだってできるはずだ。話し合いが無駄だと判ずる愚か者がいるならば、数千年もかけて発展し続けた言語によるコミュニケーションを根本的に否定することに他ならない。

 

 話すことは無駄じゃない。

 

 ただそれを、自分が口にして良いとは決して思わない。

 何故なら、力こそ全てにおいて優先される世界で、彼は生きていたのだから。

 

 けど、

 彼女たちは違う。

 

 まだ、何も手遅れになっていない。

 道を踏み外しかけているだけで、まだ手遅れになってはいない。

 

 だから。

 

 今ここで、正さねばならない。

 

 そんな資格がないとしても。

 

 貴女は間違っていると、そう言った。なのはの整った顔が歪む。既に瓦解しかけた心の亀裂が広がる。普段の彼女ならば聞き流すその発言も、醜い感情が露わになった今となっては、否定一つさえ挑発になる。

 

 一触即発の空気が再び舞い戻る。

 なのはが先に口を開いた。

 

「……お話、しようか?」

 

 直後、両者は動いた。

 

 

 

 

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