私だけのお星様。   作:神凪響姫

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あまりにも先が長すぎて……アニメ本編から始めたのは失敗だったかな。

ううむ。



第8話 僕は何も知らない

 

 

 ティアナは倒れ伏した後も、意識を失ってはいなかった。

 

 

 意識が揺らぐ。痛みが全身から伝わって来る。

 

 なのはから受けた射撃は尋常ではないダメージをティアナに与えた。それでも意識を保っているのは、偏にクロスミラージュの優秀さに尽きる。咄嗟の判断で防壁を張り、かろうじてダメージを軽減させた。

 

 もっとも、圧倒的火力の前では薄皮一枚程度に過ぎなかったが。

 

 

 むしろ気を失わなかったことで、ティアナは痛みによって意識を覚醒させられ、押し寄せる後悔と落胆の念に呑みこまれそうになった。

 

 反発してしまった挙句、上司へ刃を向けてしまったという後悔。凡人の自分では勝つどころか抗う事さえできなかったという、目を逸らせない現実への落胆。

 

 

 何をしていたんだろう。ティアナは暗闇の中で思考する。一生懸命に走り続け、がむしゃらになってしがみついて来た。

 

 自分の全てを投げ捨てるつもりで、己の夢へと駆け抜けてきた。

 

 その志半ば、ここで潰えようとしている。

 

 全てを台無しにしてしまった。ただ一度きりの人生で、とんでもない間違いを犯した。

 

 

 私のしてきたことは、無駄だったんだろうか。

 

 

 遂にはティアナは闇に身を委ねようと、意識を手放しかけた。

 

 このまま眠ってしまえば、楽になれる。後で目が覚めた時、きっと私はまた何かを思うだろうが、少なくともその時まで、何も考えることなく静かに過ごせる。

 

 その方が、ずっと楽だから。

 

 

 すぅ、と意識が薄れていく。深い闇の奥底へと沈んでいく。このまま目を覚まさずにいるのも悪くないなんて思った、その時だった。

 

 

『無駄なんかじゃありません』

 

 

 声が聞こえる。

 聞き覚えのない、幼い少女のもの。強い意志を感じられる、芯の通った透き通る声音に、ティアナの意識が引っ張られる。

 

 

 一体誰だろう?

 

 この、どこか聞き覚えのある声は。

 

 思わず目を向けてしまうような、力強さを感じる声は――

 

 

『さぁ、起きて下さい。そして見てきて下さい、貴女が「想い」が、人を変えるその瞬間を』

 

 

 声が遠のいて行く。

 

 待ってくれ、と思わず手を伸ばす。貴女が誰だか分からないけれど、その凛とした声はどこかで―――

 

 

 

 瞬間、ティアナは覚醒する。

 

 倒れ伏したままの状態。地べたにうつ伏せになったまま、握り締めたままのクロスミラージュを眺める。

 

 意識を失っても、手放してはいなかった。

 心はまだ、折れていなかった。

 

 

 空を見る。

 そこに、金色の光芒がある。

 

 

 星の輝きを彷彿とさせる、美しい光が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     第8話 僕は何も知らない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空間戦闘は通常の陸上戦闘と異なる。上下左右あらゆる方向から攻撃が飛来するのだ。

 

 人間の視野は狭い。前方180度を見渡せる目を持ちながら、実際脳へ伝達される情報の大半はほぼ真正面だけであり、斜め左右になればあやふやな映像データが送られてくる。進化の過程で頭脳や複雑な動きへ特化していった反面、野生としての本能や牙を次第に欠いていったためか、動きを察知することはできても、全てを把握することはできない。

 当然のことだが、人間は後ろを見ることができない。一度振り返らねば視覚で捉えることができず、そのため背後の守りが薄くなる。如何に優れた魔導師でも、背後は絶対の死角であるため、サポートするデバイスの存在が必要不可欠となる。

 

 空戦魔導師が希少であり、その中でも優秀と太鼓判を押せるのが数えられる程度という時点で、実力の高い空戦魔導師がいかに困難な道のりを辿ってきたのかが窺える。

 そして高町なのはは、幼少の頃から高い空戦の資質と莫大な魔力をもって数々の苦難を打ち破り、後に数年にわたってミッドチルダで訓練を行い、空戦のエキスパートとなった才女だ。砲撃・飛行・防御etc……優れている点を挙げればキリがない。かつてダイスケが一打すら与えられず敗退したことからも、その鉄壁と呼べる防御能力に僅かな隙も窺えないことが分かるだろう。

 

 

 空戦では通常、死角とされる背後からの攻撃に加え、日常生活ではほとんど気にかけることのない真下からの攻撃も念頭に入れねばならない。

 ダイスケは空戦経験がある。しかし、空戦を主体とする魔導師からすれば、彼の動きは止まって見えるだろう。ほぼ一直線にしか動けず、自由自在に飛び回れない空の敵など、良い的とされてもおかしくはない。

 

 とにかく慣性運動を数秒以上行うと、敵からすれば止まっていると見做され横殴りの攻撃が止め処なく撃ち込まれるのが関の山だ。

 なので、自分の体に負荷を強いることになろうと、規則性のないジグザグ飛行をするしかなく、それでも高い誘導性を誇るなのはの光弾を回避し切るには、一発一発を懸命に受けるか紙一重で避けるしかなかった。

 

 

 なのはのアクセルシュートは、模擬戦の時とは比べようもないほど誘導性が高く、以前のヴィータとの交戦で見た弾丸と同じ対応をとることはできない。

 至近距離での回避を行おうにも、なのはは僅かな誤差さえ見逃さない。射撃に長ける魔導師ゆえの精密な射撃は、確実にダイスケから希望を奪っていく。

 そのため、射撃させない戦い方をとろうとした。

 が、先制を許した時点で彼女に主導権を握られている。否、空中を戦場と認定した時点で、高町なのはという空戦のエキスパートに敵う道筋はほとんど消失している。

 

 以前、模擬戦という名目で相対した際、為す術もなかったのを思い出す。滅多撃ちにされた記憶は新しい。圧倒的な勝負結果は、下手をすれば敗者にトラウマの一つでも植えかねない。

 

 加えて、懸念事項が一つ。

 

(く……!)

 

 左肩の鈍痛が酷い。身体を小さく左右に振るだけで苦悶の声を上げそうになる。全治三週間さえ早期回復と診断された身体を酷使するのは、重労働など生ぬるいレベルだった。

 

 それでも、懸命に動き続ける。

 なけなしの体力を使い、一歩たりとも留まらない。

 

 僅かな勝利の光さえ見逃すまいと、己の力を信じて。

 

 

 ―――オメェはとにかく魔力量も多くねぇんだし、空も得意じゃねぇんだろ? だったら、立ち止まったら死ぬと思え。

 

 ―――攻撃するのは二の次だ。動いて動いて、自分の周囲を観察しろ。そうすりゃ多分、見たいものが見えてくるだろーよ。

 

 

 かつて上司である赤毛の少女から授かった知恵を、自分の仲間との戦いで披露することになるというのは、皮肉もいいところだった。

 

 

 ダイスケは飛び続ける。飛来する弾丸を時に斬り払い、時に射撃を返して相殺することで、被弾を極力避けている。

 防戦に徹することができているのは、なのはが主力となる砲撃を一切行っていないからだ。彼女が本気になった時――つまり砲撃の発射体勢に入った時、それが戦いの終焉だろう。

 

「どうして……」

 

 動き続ける中、なのはは歯を剥き出しにして叫んだ。

 

「私は……自分の無茶な行いが、どれだけ人に迷惑をかけるのか、どれだけ後悔することになるのか、知ってもらいたかっただけ! だから私は理解して欲しかった! 誰だって痛いことや辛いことは嫌なはずだから……それの一体何が悪いって言うの!?」

 

 語気の強さと同調して、飛び交う弾丸の数が増えていく。

 

 なのははダイスケに対して言っている……ようには見えなかった。あれは恐らく、長い間溜め続けていた負の感情の発露だ。常日頃微笑を携えているなのはとて人間、簡単なことで腹を立てたり、小さなことで悲しんだりする。ティアナの反抗的な態度に不満を抱いてもおかしくはないし、わざわざ乗り込んで来て武器を構えるダイスケに苛立ちを覚えても不思議ではない。

 

 不満、悲しみ、怒り、焦燥。

 溜めに溜めた小さな感情。それがこの場で、溢れだした。

 

 溢れた想いが飛び出して、感情の渦が巻き起こる。

 

 

 なおも彼女は叩きつけるように言葉を作る。

 

「ティアナに危険なことして欲しくない、皆私の言うこと聞いてくれれば、危ない目に遭わないんだって教えてあげてるのに、どうしてみんな分からないの!? 怪我をしてからじゃ遅いのに、誰かが泣く思いをしてからじゃ間に合わないのに!」

 

 

 射撃は絶えず、四方八方から押し寄せる。感情を込めた、怒声のような叫びと共に。

 

 ダイスケは無言で回避を続ける。言葉を返す余裕なんて無いに等しい。降り注ぐ精密射撃の雨を、どうにか防ぐので精いっぱいだった。

 

 

 反論する言葉は用意してある。自分が辛い想いをしたからって、自分のエゴを他人に押しつけていいわけがない。自分の主義主張を上下関係任せに押し付けて良いものだろうか。単純な上司と部下ならいざ知らず、なのはがどういう思いを抱えて仲間と接しているかを少しでも知るダイスケは、思わずにはいられない。

 

 もっと上手く解決できたんじゃないのか。

 ティアナを理解してあげられたんじゃないのか。

 

 もし、とか、たら、とか。そういう言葉が脳裏に浮かんでは次々に消えていった。何故ならダイスケとて知っていたからだ。ティアナが身を削るような思いで励んでいる光景を。なのはがどこか辛そうなモノを押し殺した笑みを携えているのを。どちらも知り、どちらも理解できているからこそ、彼は苦悩している。彼我の主張を分かってしまったからこそ、何を言うべきか迷っている。

 

 

 それに、

 今、平静を失っている彼女に叩きつけたところで、何も響くまい。ただ我を通すやり方を変えないなのはに逆らったところで、必死な否定を続け、力づくで上から反論を押し潰すだけ。下手に芯が強い分、手折るのにそれ相応の力と意志が必要になる。

 

 ダイスケでは、きっと届かない。

 それは、痛いほどに理解していた。

 

 この分からず屋、と叫びたくなる衝動を抑え、滲み出そうな怒りの力を回避にあてる。次第に射撃の正確さが鋭くなってきた。ダイスケが回避するパターンを予測し、動いた先へと光撃が叩き込まれている。間もなく疲弊しつつあるダイスケに致命打が撃ち込まれる頃合いだろう。誰もがそう予測してしまう展開、それは彼とて承知の上だ。

 

 承知の上で、ここにいる。

 

 

 だから。

 

 だからその前に、これだけは問うておきたかった。

 

 

「本当に?」

 

 

 ダイスケの小さな呟きが、風の音に乗ってなのはに届く。

 

 

「貴女は、それで正しいと思っているの?」

 

 

 その声音は、平静そのもの。怒りも悲しみも何もなく、純粋な疑問を突きつけるように、問うた。

 

 

 なのはの攻撃が止まる。

 

 たった一言、ただ一度だけの問いかけに、なのはは一瞬だが、呆然と眼を見開いていた。

 何気ない一言が、彼女の心を確かに揺さぶった。

 

 

「私は……」

 

 レイジングハートの先端が下がる。

 

 なのはの半ば呆然気味の声が聞こえた。もしかして、今、冷静にかえってくれているのだろうか? 今までの自分を省みて、自分の意志で腕を止めてくれたのであれば、希望はある。

 

 まだ、話し合う余地がある。

 声が届いているならば。

 

 

「お願い……だから、―――」

 

 

 俯き加減に何事かを呟いた。聞こえなかったが、肩に入っていた力が抜けていき、徐々に敵意が薄れていくのが伝わって来る。

 

 

 分かり合える。彼女はそう望んでいたはずだ。かつて最初に出会った時、分かり合えたと微笑んでくれた彼女なら。必死に投げた言葉をきちんと噛み砕いて嚥下し、本来あるべき自分の有り様を思い出してくれたら。

 大丈夫、まだ彼女は最後の一線を越え切っていない。ティアナに後できちんと謝って、考え方を改めてくれれば、なんとかなるはずだ――。

 

 

 未だ躊躇う彼女の理性に、ダイスケは一縷の望みを託し、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――私を理解(わか)ってよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、呆気なく潰えた。

 

 

 劇的な変化は起こらなかった。ただ彼女の中で留め金となっていた何かが弾けた。

 

 ダイスケが最後の一歩を後押ししてしまったことを悔いるよりも早く、コッキングする音が響き渡る。数にして三。カートリッジを消耗する音に、目を剥いたダイスケが慌てて後退を選択する。

 しかし機先を制するように発動した桃色の呪縛が彼の動きを全て奪い取った。両手と関節から自由を奪うバインド、無詠唱で放つには異常とも言える驚異的な速度と精度に、見守る者は例外なく息を呑む。

 

 瞬く間に指先一つ動かせぬ状況に追いやられたダイスケは、無駄な足掻きと思いつつも抗おうとする。しかしそれも徒労であり、発射された二発の弾丸が足元を通過して爆発を引き起こしたことで、抵抗の意志も消え失せた。

 唯一彼が空間を飛翔できる術――AGGドライブが、完膚無きまでに粉砕されていた。粉々に砕かれ、パラパラと散っていく銀色の破片。なんだかんだで今まで使い続けた相棒の終焉としては、ひどく呆気なく、物悲しい結末だった。

 

 眼前で静かにデバイスを構えるなのはを見る。俯き加減に佇む姿は、触れれば壊れる硝子細工のように見え、同時に間もなく爆発する核弾頭にも見える。薄暗く窺えない目元からは表情は見えずとも、きゅっと硬く結ばれた唇の形が、今にも吐き出しそうな剥き出しの感情を必死に押し留めているのが分かる。

 

 否、それはもう既に、決壊していた。

 

 きつく握り締められたレイジングハート。射撃形態に移行し、先端部に膨大な魔力が収束していく。人一人を葬り去るには十分すぎる砲撃が放たれようとしていた。遠くで叫びが上がるが、なのはの耳には届くまい。届いたところで、聞こうとする意志は無いだろう。煌々と輝きだす桃色の光に、拒絶の灯が宿る。

 

 悲鳴が聞こえる。怒声が届いた。

 駄目、と呼ぶ声。止めろ、と叫ぶ声。

 そのどれもが、最早遠い世界の出来事でしかなかった。

 

「どうして……」

 

 歯が砕けんばかりに食いしばるなのはの顔。微動だにできないからこそ眼で追って捉えることができた彼女の素顔は、あの日見た大人の女性らしい余裕と包容力溢れる笑顔ではなく、ただただ純粋で馬鹿正直な感情を剥き出しにした少女のそれだった。

 

 

 光が一際強く輝く。

 

 弾ける寸前、なのははそれを解き放った。

 

 

「どうして誰も、分かってくれないのッ!!」

 

 

 ああ、とようやく思い至る。

 

 彼女も、人間だった。

 

 たった、それだけのことなのだ。

 それだけのことだったのだ。

 

 

 

 

 

(……予想していなかったわけやないけど、ここまでとは)

 

 はやては事態を静観しつつも、内心焦燥に満ちていた。

 

 なのはが精神的に参ってきているのは薄々感づいていた。それでも彼女なら、と思い留まったのは、単純に長年の付き合いからくる信頼と、教導官という地位、良識ある大人ならば、という至極真っ当な思考からだ。一時の感情に流されるほど彼女は短慮ではない、そう信じて疑わなかった。

 けれども、如何ななのはといえど一人間。些細なことで怒りもするし、悲しみもする。聖人君子ではない、ただの一人の人間なのだ。

 

 そんな当たり前のことさえ、自分は見落としていたのだろうか。

 

 上司であるがゆえ、個人的な干渉ができず、友達であるがために、強く言い聞かせることもできない。仲間を信頼し、部下を信用し過ぎたがゆえの失態。はやては迷うことなく己のミスと判じた。采配を間違える、成り上がりの指揮官にはキツい蹴躓きだった。

 

 大きく吐息。思考は後回しだ、今は騒ぐ周囲を落ち着かせ、事態の収拾を急がねばならない。部下の行きすぎた行動、同僚の過剰攻撃、いずれも無かったことにできる領分ではない。何らかの決断を下さねば、はやての後々の評価に繋がるやもしれない、なんて不意に考えてしまう自分に、反吐が出そうだった。

 

 

 重い腰を立ち上げる。ともあれシャマルを呼ぼうと口を開きかけた、その時。

 

 

「ん……?」

「ど、どうしたんですか? はやてちゃん……?」

「いや、今確か―――」

 

 

 視界の隅で、何かが光ったような……?

 

 

 

 

 

 空を引き裂いた桃色の光芒は、やがて収束していく。

 通り過ぎたところには、何も残っていない。探せばボロ雑巾のようになってうち捨てられた少年が転がっていることだろう。

 

 正真正銘、本気の一撃だった。

 敵でない者に対して放って良い攻撃では無かった。少なくとも、仲間に放つべきものではなかった。

 

 

 沈黙したままのレイジングハートを下ろし、息も絶え絶えのなのはは、怒りの感情を顔から消した。

 

 

 悲しい思いをしたくない。

 悲しい思いをさせたくない。

 

 偏に人のため。例え見知らぬ他人であろうと心痛める不幸など誰が喜ぶものか。誰も不幸になって欲しくない。ただその一心で、人々に教えを説き、身を守る術を伝授し、やがて人のために尽くせる立派な魔導師になれるよう経験を積み上げさせた。

 そこに驕りはなく、その人を純粋に想い、心配し、決して不幸な道へと踏み出さぬよう導いて来た。

 

 それの何が間違ってるんだ。

 それの何が悪いというんだ。

 

 

 私は何も、悪くない。

 何も悪くないんだ。

 

 

「……二人とも撃墜されて終わり。後は―――」

 

 

 踵を返す。後ではやてに怒られるかもしれないし、下手をすれば問題を起こしたことで責任追及なんてことになるかもしれない。

 

 でも、もう、どうでもいい。

 やってしまったことへの贖罪は、後でしよう。

 今はただ、何も考えたくない。

 

 沈む気持ちを隠そうと努めながら、なのははダイスケ達を回収すべく地上へ降りようとした。

 

 だが、

 

 

「え……?」

 

 

 煙が晴れる。視界が澄み渡る。

 空があるべき姿を取り戻す。

 

 

 そこに、彼女が望んだ結末は無かった。

 

 世界で一番、ひどい裏切りを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が頬を撫でている。

 

 春のような心地よい風、人肌に優しい日差し。さんさんと降り注ぐ太陽光に、思わず眼を細めた。午後の陽だまりの中でのんびりとくつろいでいると、時間の流れも忘れてしまう。芝生の感触を感じ、いつまでも空を眺めているだけで、不思議とささくれ立つ心が洗われてゆく。

 ごろりと横になる。ちょうど木陰に隠れ、太陽の光が遮られる。眩しかった陽光が木の葉の隙間から差しこみ、それが丁度良い温かみを分けてくれる。

 

「―――こんなところで、何をしているのですか?」

 

 背後から、声。急に現れた人の気配に、少年は思わず飛び上がりかける。高鳴る胸の音などいざ知らず、少女のものと思しき声の主は、芝生を踏み、こちらへと近づいてくる。

 

「う、ううん。なんでもないよ」

 

 照れたように頬を染め、見られぬよう急いでそっぽを向いた。

 

 後ろに立っているのは、茶髪の少女だった。青々とした瞳は無感情に揺らがず、しかし少年の姿を捉えて頬は緩み、細い唇は弧を描いて、柔和な微笑をつくっている。背丈は少年と同程度だが、落ち着いた雰囲気と言葉遣いがどこかちぐはぐであった。

 少年が着込んでいるのは簡素な白いTシャツと藍色の短パンである。対し、少女は鮮明な黒のドレスのような姿だった。長いロングスカートが風に揺れ、なびく前髪が眼を覆った。

 

 片手で髪をはらい、無言のまま、少年の傍にまでやって来ると、すぐ隣に腰を下ろした。肩と肩が触れ合う距離、年頃の少年にとっては心音が高鳴る距離感だった。ますます強張る身体を悟られまいとするあまり、少年もまた無言になってしまう。

 静かな空気、そこに緊張はなかった。物静かな雰囲気が漂う今の情景こそが、彼らの普段の姿なのだった。

 

 その時、頭上から音声が聞こえた。

 

『シーケンス:天候-晴天、気温-23度、人口密度:低』

 

 女性……というより、幼い少女の声が響き渡る。淡々と事実を語る口調、それが聞こえると同時、付近から人の声が聞こえ始めた。今まで人の気配一つ無かった空間を満たす音の数々。次第に喧騒に包まれる辺りの空気が、穏やかな午後の時間を見事に再現していた。

 

 

 ―――ここが地下空間とは、初見の人間には到底見抜けまい。

 

 

 ドーム状に展開された地下空間。仰ぎ見た頭上、目線の遥か先に、突き抜けるような青空が広がっている。心地良い風が時折吹き、雲が少しずつ流れていくのが見える。

 

 当然のことながら、本物ではない。厚さ数メートルはある壁面は住民に癒やしを与えるためか、スクリーンになっている。今日は青空、先日は曇り、その前は雨と、最適な環境を構築するために気候は常に変化し続けている。

 ドーム内部の環境維持システムは今日も正常に稼働している。一昨日までの雨雲はなりを潜め、からっとした晴れ模様が研究所を照らし出している。ここでは三百六十五日全ての環境を機械が調節し、管理している。そのため、地下空間内にいる人間の肉体的、精神的健康を維持するべく、日々最適な状況を形成していた。

 道を行く者、立ち話をする者、急ぎ足になる者……そのほとんどが、立体映像である。ざわめき声も機械任せの人工物であり、人の気配がなくとも人のいるという感触は確かに感じられる。

 

 人工の箱庭。全てが管理された有限の世界。そこは偽りの平和で満たされている。環境が整えば人の心も荒まない。心が病まねば肉も絶えない。人と人とが諍い合う根源を全て絶ったこの空間は、自然の中で生きる物からすれば檻の中と同義かもしれないが、少なくともここに住まう者にとってはこの上ない理想郷だった。

 ここから出たことは無い。少年も少女も、生まれた時からこの箱庭にいた。外部の世界を情報として知る二人は、荒廃し人の憎悪と激情をぶつけ合う醜い世界を敬遠し、争うことなき世界で暮らしている。

 

 どうして争いは絶えないのだろう。モニター越しに眺める遠い世界の出来事。自分とは無縁なセカイは、哀れで虚しいモノだった。

 

 感情があるから、憎しみ合う心があるから、そうなってしまうのだろうかと、呟いた。人も獣も、世界の中で生きる一つの生命であるならば、その命は平等に絶えて行くべきだ。なのに人間はこうして生態系の頂点に立ったつもりで、限りある自然を破壊していく。それがどうも傲慢で、同じ人である身を呪いたくなる、それが少年の感傷だった。

 

 けれども、隣の少女は異なる見方をしていた。

 

「感情とは、心を持つ生き物にだけ許される神の贈り物です。人と獣は違うのです、だからその死は、決して無碍であってはならないのです。ゆえに、自らを律し、尊厳を取り戻さねばならないのです。―――かつて人々が伝えてきた希望を、残すために」

「……何言ってるかわかんないよ」

 

 苦笑する。彼女の話は抽象的すぎて分からない。小難しい物言いに頭を悩ませる。

 

 けれども、そんな彼女が好きだった。

 いつも無表情だけど、たまに見せてくれる微笑みも、暖かい手のひらの感触も、何もかも。

 

 

 無言が続く。居心地の良い空気を、突然少女の放った声が吹き飛ばした。

 

「『―――』、よく聞いて下さい」

 

 誰かの名前を呟いた。少年は顔を上げる。それが少年の名前なのかは、分からなかった。

 

「そろそろ、貴方の居場所へ戻る時間です。本来貴方が生きるべき居場所へ」

「え……?」

 

 戸惑う少年の手に、少女の手が触れる。少年の手を掴む、少女の細い手。優しさと暖かさを伝える、人のもの。

 

「お行きなさい、貴方の心の赴くままに。正しさが人を救うとは限りません。けれども正しき心を持ち、人が人たる想いを携え、前を見据えていれば、明日への活路を見いだせることでしょう。信じて下さい、貴方の心が選んだ人たちを。さすれば自ずと夜天の星々が導いてくれることでしょう」

「何を……」

「――、ごめんなさい」

 

 唐突に、少女は眉根を伏せ、謝罪した。

 

「何もかも忘れ、辛い過去を振り返ることなく、新たな人生を謳歌して欲しいと願うのも、私の偽りようの無い本心です。けれども時折、こうして私を思い出してくれることを、嬉しく思うのは、私の自己満足なのでしょうか」

 

 何か言い返そうと口を開く。しかしそこから声は出ず、明確になっていた意識が急に遠のいて行く。それがこの世界からの帰還であるとなんとなく気づいた少年は、血相を変えて手を伸ばす。

 待ってくれ、まだ聞きたいことがあるんだ、貴女は誰だ、ここはどこ? どうしてそんな悲しそうな顔をしているの? どうして僕は何も分からないの? 僕は――

 

 

 僕は一体、誰なんだ?

 

 

「今は何も思い出せなくても良いのです。けれども、これだけは覚えておいて下さい」

 

 やがて光の中へと消えて行く寸前、少女は口を開く。無感情な眼を優しさで満たし、精いっぱいの笑みを浮かべて、愛しき子を見送るように、微笑んだ。

 

 

 

「私は、――貴方の幸せを、心から願っています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――メモリ再起動。

 

 改竄部をカット。深層領域よりサルベージ完遂致しました。

 感情の力……想念力の増大を確認。始動キーを確保。

 

 Error……Error……Error……

 

 Access……Code enter:『Astel』

 

 ―――Clear。System all green.

 

 システム展開。発動を了承しました。

 

 プログラム名称『U-D』、再起動しました。

 これにより、術式の発動を承認致します。

 

 

 Sensibility OverUtilization,Limited blaster

 

 解き放て、鳥籠の中の感情。

 いざ行こう、新たなる世界の境地へ。

 

 

 ようこそ、貴方が望んだ力の故郷へ。

 

 

 さぁ、行きなさい。

 正しき空で、自由を体現なさい。

 

 

 ―――世界を照らす、お星様(・・・)の光のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なのはが帰還しようと眼を閉ざそうとした、その時。

 

 視界の隅を、影がよぎった。

 

 

「―――ッ!?」

 

 

 急いで回頭、しかしそこに人影は無い。空気をかき乱した痕跡だけが残り、今度は背後で何かが通過するのを感知する。何か自分の到底予測もできない事態が眼前にまで迫っている。言い知れぬ不安が急に湧いてくる感覚を、なのはは吐息と共に捨て去った。

 

 危機感が急に湧いてきたなのはは、すぐさまレイジングハートに目を向ける。しかし彼女の期待とは裏腹に、相棒は何一つ応えない。敵性反応ならば即時自己判断で動くレイジングハートだが、不気味な沈黙を貫いたままだった。

 

 眉を潜めるも、なのはは深く考えず、先程視界に映った影を探し出す。気のせい、と楽観視はしない。自分の第六感的なモノが警鐘を鳴らしている。見過ごしてはならないんだと、長年戦いの場に身を置いていた感覚が警告していた。

 急に湧きたったこの感覚の正体は、何だ? なのはは目線を忙しなく動かす中、事態は急変する。

 

 背中から衝撃が来た。

 

「ぐっ……!?」

 

 予想外の一撃に意識が飛びかける。重い一撃、強かな衝撃に、混乱が生じる。

 魔力反応が無かった。そのため、反応が遅れ、被弾した。ただそれだけのことなのに、なのはの不安と焦燥は急激に加速し出す。

 

「……ッ!」

 

 僅かな気配を察知し、身体ごと大きく振り返る。

 

 視線の向かう先、虚空に佇む影がある。一振りの刀剣を持ち、空中にて留まる人影。黒いバリアジャケットはところどころ破け落ち、窺える素肌には負傷の形跡が見られる。それでも、まったく息の乱れる仕草もなく、ただただ空を足場に直立している姿に、なのはの方が身構えずにはいられない。

 

 

 彼は……ダイスケは静かに、なのはを見下ろしている。

 

 

 

 ―――その瞳に、赤い光を携えて。

 

 

 

 

 

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