こんなご時世だから海外での思い出とか外国人達との交流の思い出を語ろうぜ。
■もう十数年前かな?
英国に短期留学してたんだよね。
ホームステイ先は夫婦と当時娘10歳と息子6歳のいるご家族のところで、日本びいきだったのもあって大変よくしてもらった。なんでもご主人の勤めていた会社が老舗重工で会社の存続危機に日本の企業が助けてくれたことが切っ掛けで日本に興味を持ち嵌まっていったんだとか。
かつては日本に戦艦を作ってやったとか熱く語っていたがあんまり興味なかったから愛想笑いで聞き流したが許して欲しい親父さん。
奥さんも優しい、娘と息子も可愛くて、仲良くできたのでラッキーだったな。
ただし、飯は俺の口には合わんかった。
そんなある日、ついに我慢の限界がきて英国で手に入る日本の食材と調味料を使って料理をしたわけだ。豚のしょうが焼きとかそんなに手の込んだものじゃないんだが何品か、これが物凄い好評で「日本人は誰もが料理人なのか!?」とか言われたが、逆にこの程度の料理を絶賛する英国家族に驚いたわ。てか、普段やっぱり不味いと思ってたのかよ!と心の中でツッコミつつ週に何度か飯当番が回って来るようになり、それが帰国まで続いた。
そんで、留学期間も終わりに近づき、そろそろ帰国すると言ったときの娘と息子の絶望した顔が今でも忘れられない。
レシピは奥さんに渡してきたし、最近は美味い料理店も増えていたらしいから問題ないと思うのだが、また平和になったら美味い日本土産持って訪ねたいものだ。
■↑当方、英国に嫁いだ者。少しずつメシマズ時代に逆戻りしつつあり、日本食をこよなく愛する英国旦那が発狂するまで秒読み段階。至急料理の「さすせそ」を求む。あと紅茶。「し」は問題ない。お願いします。なんでもはしないけど。
■↑島国の辛いところだな。でも、ドーバーは泳いで渡れる距離だし、日本よりまだマシと考えるべし!
■海の化物が現れるちょっと前。
大学の夏休みを利用してドイツで一人旅してたんだよ。まぁ、そんな金も持ってないので貧乏旅行ってやつだ。その日も安宿を見つけるか、野宿するかで地図とガイドブックを公園みたいなとこで広げながら、自分では気づかなかったがぶつぶつと呟いていた。
そこに
「日本人か?」
といかにも職人ですと言った感じの老人が声をかけてきた。自分が「ヤー」と答えるとじっと俺を見つめてくる老人。
え、なんだろ? ドイツ語あんまりわかんねーから大丈夫かなとか、この場所に座り込んでるの迷惑だったかとか色々内心ビクビクしてたんだけど、案の定、重々しい感じで老人が何か言ってきたんだ。
「お前は何とかか?」って言ってるのはどうにか聞き取れたんだがインステティオン?ってのが何の事だがわからんので慌てて辞書とスマホ使って調べた結果……。
「お前は機関の者か?」
的な事を言っていることが判明。
旅行前に海外での体験談を語ったサイトを覗いておいて良かったと思ったと同時に「ちょwww.嘘だろww」とも思ったね。実際、自分がそれを体験するとなるとは。
こういうスレッド良く見てる奴なら知ってると思うが、有名な話の1つだ。日本には極秘の諜報組織があって世界中で暗躍しているっていう都市伝説。それを信じてる外国人が結構な数いるというカキコミ。日本人からすればそんな馬鹿なと思うが、老人は真剣そのものでちょっと笑ってしまった。
もし仮に俺が機関の者だとしても、そうです。とは言わないだろ。秘密の組織なのだから…とか、こんな冴えない男を何でそうだと思ったのか色々言ってあげたかったのだが、「観光客です」というのが精一杯だったな。
そう言ったにも関わらず懐疑的な様子。話題を変えるべく「安宿を知らないか?」と聞けばその宿まで案内してくれる親切さ。ただ、宿の前に着いてこっちがお礼を言うと
「誰にも言わないから冥土の土産に教えてくれ」
たぶん、こんなニュアンスな事を言っていたと思う。
もうね、ここまでくるとこっちもなんか面白いこと言ってあげなけゃって使命感がでてくるわけですよ。
でなんか言わなきゃって思ってスマホで翻訳して言ってやりましたよ。
「世に平穏のあらんことを」
とね。そんでフロントに逃げ込んだ。
あの老人は今でも日本に機関が存在してると信じているのだろうか?
■↑こうして更に都市伝説は広がっていくのだ。
きっとその老人もなんかの符号だと思ったんだろうな…。
■機関の話が出たんで俺もカキコ。
日本のパスポートって知らなかったけどかなりの信用度があるんだな。アメリカ本土に彼女と旅行しに行った際、ツアーだったんだけど日本のツアー客たち入国審査で指紋とられながら一言二言で拍子抜けするくらいスイスイ進んでく。時々、税関でインスタントミソスープを指さされて「こいつは何だ?」って聞かれてる人がいたくらいだ。他のアジア系は持ち込み禁止の生食材とか申請してなかったりで足止めされてる人が結構いた。
で、俺は初海外であったのでそれなりに緊張してたんだけど、他の日本人みてたら全然余裕じゃんって感じになった。いよいよ俺の番になっていかつい体型だが愛想のいい感じのおっちゃん審査官にパスポートを差し出す。
するとどういうことでしょう。
それまで愛想の良かったおっちゃんが急に真顔(かなり怖い)
「○○?(俺の名字)」
と聞いてくる。
当方、ファミリーネームが某大企業と同じ名前。
だが、全く関係ない九州男子である。
日本で多いという訳じゃないけど珍しいというほどの名前でもないよな?
「イ、イエス」
と俺が吃りながら答えると「ちょっと待ってろ」と言われた。後ろに並んでいた彼女の方を見ると何故か苦笑いしている。(彼女、カナダに留学経験あり、英語ペラペラ)
数分後に戻ってきて「行ってよし」と言われて無事入国できた。
後で彼女に聞いたら(彼女も留学先で聞いたそうだが)未だに米国は俺と同じ名字の方に相当なトラウマを抱えているらしく、しかも旅行の少し前に某変態企業にアメリカのファンド数社が喧嘩吹っ掛けて潰されかけたのが原因だったみたい。
全国の俺と同じ姓の方はやっぱり俺と同じように入国の際にひと悶着あるのだろうかと思った初海外の思い出。
■ ↑30年も前だが出張で米国に行ったとき現地で仲良くなった白人(仮にジョン)にホームパーティーに呼ばれてな。そこにそいつの家族とその両親もいたんだが、そのジョン父親の方が俺をジャップ呼びするんだ。
当時はまだ人種差別の風潮も色濃く残ってたこともあるが、家族がやめなさいといってもお構い無しだった。ただ「ジャップ、こっちきてこの酒飲め」とか「もっと肉食え」とか蔑称を抜けば世話好きの好々爺だった。
ジョン息子(小学校低学年くらい)がジョン父に影響されたのか「イエローモンキー」と言い出してな。
そしたらジョン父が烈火の如く顔を真っ赤にして怒るんだよ。普段は優しいお祖父ちゃんの豹変ぶりに孫はショックを受けたのか大泣きしてしまった。パーティーどころではなくなり俺はお暇することに。
後日、ジョンから謝罪と共に事の顛末を聞いた。
ジョン父は海軍軍人(退役済)で日本と戦った事もあったのだ。
「日本人が黄色い猿なら猿に負けた自分達は猿以下じゃないか!」と要約するとこういうことで怒ったのと、「日本人に対して蔑称を使って良いのは直接戦った自分達だけだ!」という事だという。なんていう分かり辛い認めかた。今で言うと見事なツンデレっぷりとでも言うんだろうか?
でもちょっと気になる点があったのでジョンに聞いてみたんだ。
俺「負けたのは日本だよな?」
ジ「親父たち、少なくとも海軍は日本に勝ったとは思っていないと思うな。俺もそう思う」
との回答。
その時、自分の歴史観と相手の歴史観に隔たりを感じた。
今ならネット環境が整いいくらでも情報を見ることができるけど、俺の子供の頃とか、この当時はまだまだ手軽に何か調べるってのが難しかったからな。ちょっと話が逸れたがトラウマもあったのだろうけど、それ以外にも敬意みたいなものもあったと思うよ。
■↑おそらくこの話の数年前の話になるのだろうけど、詠首相が訪米して米海軍から歓待を受けていたことはあまり知られていない。日本の自虐史がようやく改善されはじめた頃だから、誰かの都合が悪かったんだろうね。
■↑なんで日本は自虐的な歴史教える事になったのか?
■↑答えてあげるけど上二人スレ違いなんで気を付けましょうね。
自虐史うんぬんは、色々な要因があるんだけど、まず、戦後の日本の軍隊が大分オラついてたんで日米の両政府の思惑が合致したっていうのがある。これで時間かかるけど血の気が低くなるだろうってところかな。更に朝鮮戦争の前後で左派とリベラル(笑)と赤が色々と国内で
工作した結果、日本の絶対悪みたいな風潮が出来上がった。日本の占領地統治については悪いことも含め色々な事があったということは認めなきゃならないが東南アジアは親日国が多い。過酷で残酷な統治だったらそうはならないと思うよ。隣の国は知らん。
■↑日本の統治で思い出した話。
台湾は親日ってのは良く知られてるし高齢のかたは日本語を使える人も多いというのもよく知られていると思う。そんなわけで自転車で台湾一周なんていうチャレンジをしてみた。特に問題もなく親切な人も多く、若い子なんかは大体が日本に行ってみたいっていう話が多かったな。あとアニメや漫画。観光なんかしながら台湾の歴史なんか学んでたんだが、いわゆる先住民。○○族って結構な部族がいたんだな。アミ族くらいしか知らなかったよ。その部族達の戦士が日本兵として戦ったのも知らなかった。少し前に老人の話を聞いたんだけど、戦争の時に志願兵を日本が募ったら物凄い倍率で自分も志願したが入れなかったという話をしてくれた。志願した奴も戦わずに戦争が終わってしまったけどね。って言ってたから○○族(なに族か忘れた)の子孫だという方の話を聞いて驚いたわ。家には日の丸と陛下(多分、昭和)の写真があるよだってさ。日本が負けたあと陸軍の人が部族を訪ねてきて感状と戦死した遺族に見舞金を置いていったんだけど「今はこれしかお渡しできません。必ずお渡ししますのでしばらく時間を下さい」って頭を下げて回ったのだとか。
そっから中華民国の統治というか編入になったがひどいもんだったと言ってた。運良く台湾に戻れた彼のお父さんは銃を取り抵抗して殺されてしまったって。
毛も蒋もクソだと言ってた。
台湾には「犬が去って豚が来た」ってことわざみたいなのがある。少なくとも日本の統治時代の方がマシだったんだろうなって思ったね。
■しんみりする話が多いから俺が流れを変える。
フランス人の話。エンジニアでこっちにきて何年か過ごすことになったソイツ(仮にダミアン)はフランス料理こそ世界一だという奴だ。まぁ、否定はしないけど。
テレビやネットで日本の飯( ゚Д゚)ウマーってやってても大げさに言ってるだけやと。
ほほう?ならば食わせてやろう日本の食事をな!と俺の心に火がついた。
結論から言うと日本の飯は美味いと認めた。
初日、関空で俺が出迎え、観光したいっていうから京都に連れていった。
ダ「卵を焼いたものの専門店?」
と京都について目に入った店を見て頭おかしいんじゃねーのって顔をしてたから食わせて黙らせた。
懐石料理なんかは見た目はともかく味の好みが別れそうなんであえて外した。後日、機会があれば食べさせることにした。夜は神戸ビーフを出す店につれていく。
ダ「これで200ユーロもとるのかい?」
たしかに高いよな。俺の財布も大分軽くなるが今回は特別だ!たまたま付き合い競馬場に行って買った万馬券が大当りしてなければ連れてきてない。
やつはやはり黙った。
初日はこれくらいで勘弁してやろう。
次の日から仕事だ。昼や夜に時間が合えば俺の知る限りで美味い店につれ回した。寿司、天ぷら、すき焼きといったザ・日本食からカレー、揚げ物、ラーメン、エトセトラ……。
そして月日は流れた。
ダ「ハァー、スーツ新調しなければ…」
来日当初のスマートボディのダミアンはもうそこにはいなかった。
ヤツは日本に来て10㎏以上肥えたのだ。
で、まぁ、これは余談なんだが、オタク文化にもはまってしまったようで、
ダ「祖国に帰ったら深夜アニメをリアルタイムで見れないだろうがっ!」
とキレられた。ヤツは祖国に帰らず今も日本にいる。
そしてコミケに行くのだと意気揚々と準備をしていたのはつい先日の話だ。
■今日も日本は平和です。
本編の方がね、なかなか筆が進まないのでお茶濁し。
ゆるして