──1907年(明治40年)6月
謎のリーゼントに「日本を救ってくれ」と言われて転生して早くも9年である。
文明開化が花開くなんて言っても、それは東京市を中心とした都会のお話。
ここグンマーの我が故郷では公的機関(警察とか郵便局員とか)を除き、庶民は洋装の人間の方が少ない。
襤褸を着て農作業に出ていく親子なんてよく見る光景で、子供が労働力としてカウントされている。小学校の教師がそんな家庭に赴いて子供を学校に行かせてくれと頭を下げている光景も、まぁ、よく見る光景ではある。
学校の体育の授業も弓道とか普通にあって時代を感じさせる。
一応、グンマーも上野から高崎、前橋まで汽車は通っているし富岡製糸とか明治政府の政策で早くから恩恵をうけているのだが、遠い未来を知る身だと、何もかもが時代遅れで不便極まりない。しかも今世のうちの実家、客商売をやってるのにも拘わらず辺鄙なところに店を構えてる。その名を長野豆腐店。豆腐屋である。なんでこんな場所に店を開いたのかは祖父に聞かねば分からないそうだが、故人である。
一応、親父殿(未だに二十代半ば)に昨夜、聞いたところ、我が祖父は沼田藩士の家の出であるらしい。だけど、維新の戦いの中、官軍に降るのを良しとせず、脱藩して会津に行ったようである。
しかし、会津側にいきなり行って受け入れられるものなのだろうか?
──沼田藩と会津藩は婚姻関係にありました。
へぇーそうなんだ。なるほどねぇ。
頭に超高性能なアンドロイドが寄生しているのに未だに違和感は拭えないが、めっちゃ便利である。
話を祖父に戻す。その祖父、会津敗北後も官軍と戦い続け、函館まで行って抗戦したというのだから、その話が本当ならすごいもんである。
──贋物ですが、堀川国広が屋根裏にあることから信憑性がないとは言い切れません。
堀川国広とは刀である。分類は脇差? 脇差にしては長いけど。鬼の副長の愛刀の一つである。
可能性としては無くはないけど、こじつけだろう。
嘘くせえー。
まぁ、とにかく嘘か真か定かじゃないが、明治政府が勝利して函館から再び逃避行して戻ってきた。そんな経歴持ってれば地元に帰り辛いだろう。その結果、沼田の隣町の渋川伊香保くんだりのここに居を構えることになり豆腐屋をはじめたのだとか。まぁ、でも武士ではあったんじゃないかなぁとは思う。屋根裏に刀やら槍やら鉄砲やら甲冑やらがあるし、剣術親父殿も修めているみたいだし。ただ、落武者狩りをしたという線も有るけど…。
そんな我が家の苗字は長野である。
群馬生まれなのに長野である。ご先祖様を遡ると地元の
豪族で上杉家(越後の軍神にあらず)の家臣にたどり着くのだと聞かされた。群馬の長野と言えば長野業正が有名だろう。お隣の風林火山の地上げ屋ヤクザに「アイツがグンマーいるうちは手を出すのやめとこ」と言わしめた戦国チート爺の一人である。
でも長野家は滅びてるよな?
──成田氏の側室の一人が長野家の娘です。
そこから紆余曲折あって御家再興果たしたと申すか?
家系図改変まかり通ってた江戸の世から半世紀も経ってないし、確たる証拠もないので、そうかもね程度で良いだろう。
しかし、どうやって成り上がるか。
平成時代の教科書で見た幕末の志士達がまだご存命であったりするので何とかお知り合いになれんかななんて考えもしたのだが未だに数えで十歳の小僧である。
出生届け出した時点で既に一歳。お役所もそれを普通に受理する時代。いや、都会はどうだか知らんけど。
地方の官僚機構もまだまだ発展途上。文民統制って言う言葉も最近終わった日露戦争でようやく民衆も理解しはじめた頃だ。未だに幕藩体制との違いがようわからんっていう人も結構いるのだ。
「豆腐屋さんちょっと待っててくれる」
つらつらと取り留めのない考えを脳内で垂れ流していれば、声をかけられる。
「……(こくり)」
現在、家業手伝い(アルバイト)中である。
1日中家業の手伝いをしてるわけではない。
きちんと小学校には通わせてもらっている。というか、家はそれなりに裕福なのではないだろうか?と思う。
でもまぁ、気兼ねなくお小遣いもらうために担桶を天秤棒で担いで集落まで売り行である。
ただし、ラッパも吹かなきゃ、声も出さないで黙々と売り歩くのである。なんなのこの体。必要最低限の言葉しか発しないんだけど。超不便。
おかげで集落じゃ豆腐小僧とのあだ名をつけられた。
妖怪である。しかも人畜無害の気弱な妖怪である。
一応、有力者の目に留まるように神童なんて呼ばれるように目立ってみたのだが、地元の噂止まりだし豆腐小僧の方が定着して凄くいたたまれないのですわ。
「じゃあ二丁ちょうだいな」
「3銭」
「はい、どうぞ」
今回は当たりである。呼び止めてくれたお姉さんは着物である。着物ってのはきっちりと着込むのは面倒なので着崩して着ることも多い。素晴らしきかなチラリズム。
ふむ、なかなか良いお胸をお持ちですねお姉さん!と言って場を和ませたいところだ。大丈夫、セクハラなんて言葉の欠片もない時代。ぼく、純粋無垢な九歳児だもん。
担桶から豆腐を掬い、お姉さんの持ってきた器に移して金をいただき頭を下げる。下げたときにめくれている太ももをガン見である。
「…感謝を」
圧倒的感謝を!
さて、気分新たに豆腐を捌く。金をもらってもこれが使えるわけではなく、おうちに一旦納めなくてはならない。そこからいくらかが、我がお小遣いとなるのである。
何が言いたいかと言えば俺は今、餓えているのだ。
今すぐ腹いっぱいに肉が食いたいのだ。
幸いここは榛名山の麓である。山に分け入って鹿か猪でも捕まえようと思い立った訳です。もうすぐ夕暮れ時、野性動物が活発に動き始めるはずである。
待っていろよ!ジビエ!
このあとめちゃくちゃ狼に追われた。
時間に余裕できたら続き書くかもしれませんが、期待しないでください。