提督(笑)、頑張ります。 外伝   作:ピロシキィ

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後藤陸将さんからの寄稿です。

ありがとうございます。


History was changed at the momentⅡ[前編]《鋪》

 

 

 

「真珠湾奇襲。これは聯合艦隊司令長官の山本五十六が一撃講和論を実現するために選んだ方策として知られていますが、実際のところはアメリカ国民に厭戦感情を抱かせるどころか、逆に敵意を抱かせる方向に作用してしまったわけですね」

「はい。宣戦布告の前に攻撃をしたという事実は、卑怯な騙まし討ちとアメリカ国民には捉えられ、彼らの復讐心を煽る結果になったと言えます」

「長野もこの真珠湾奇襲を海軍大学校時代に真剣に検討し、それを理由に聯合艦隊司令部に招かれて実際の作戦の立案に加わったと言われていますが、彼は一撃講和論が失敗することは予想していたのでしょうか?」

「長野は一撃講和論が実現しないことは初めから分かっていました。長野は太平洋戦争末期に同期の島崎利雄氏に対して、山本長官の対米戦略は最初から実現できないことは分かっていたし、今思えば、真珠湾攻撃の立案に加わっていたのだから、長官には開戦前に一撃講和論を諦めさせる機会はいくらでもあったと話しています。ただし、あくまで一撃講和論自体が誤りであって、長野は対米戦を行うのであれば真珠湾攻撃は必須であるという考えは間違っていなかったと確信していたでしょう。長野が海軍代学校時代に作成した『真珠湾攻撃想定』にも、真珠湾攻撃の目的はあくまでアメリカ太平洋艦隊の封じ込めなど、可能な限りアメリカ軍の反攻までの時間を稼ぐことだとされています。また、長野の同期、柳本柳作氏の備忘録によれば、長野は真珠湾攻撃の目的はあくまで敵戦力を奇襲で削ることによって、開戦当初に戦力的優勢を手にすることと、戦力が優勢なうちに南方の資源地帯を速やかに奪取し、戦争遂行のための資源を早期に確保することで長期戦にも耐えうるだけの資源の備蓄を進めるためであったと述べています。それができなければ、日本とアメリカの国力差、戦力差から鑑みて、まともに戦争をすることすらできないと考えていたのでしょう」

「山本と長野は、共に対米開戦をするのであれば開戦直後の真珠湾奇襲そのものは必須だと考えていながらも、その理由は全く異なっていたということですか」

「そうです。真珠湾にいるアメリカ太平洋艦隊の開戦直後の撃滅という戦術的目標以外は、長野と山本の抱いていたものは全く異なっていたと言ってもいいと私は思いますね。実際、ミッドウェー海戦の前に長野は山本との戦略観の違いから聯合艦隊司令部附の任を解かれ、第四艦隊へと異動させられていますから」

 

 

「開戦から日本陸海軍は次々と大戦果を挙げる一方で、アメリカ陸海軍は劣勢に立たされ、各地で敗北を喫します。真珠湾奇襲の怒りと復讐心から日本への早期の報復を求める世論は、中々戦果をあげる事ができない軍と政府への批判を強めていきました」

「次々ともたらされるアメリカ軍の敗北に対する国民からの不満と、早期の報復を求める突き上げ。それらに応えるべく、アメリカは日本本土を直接叩く作戦を立案するのでございます」

 

 

 

 

 昭和一七年初頭

 

 前年末に日本海軍航空部隊による真珠湾奇襲によって始まった太平洋戦争は、開戦直後から日本陸海軍の優勢が続いていました。

 真珠湾にいた太平洋艦隊の主力の大半を撃破されたアメリカ海軍は攻勢に出ることができず、アジア方面の連合国は制海権を奪われて劣勢に立たせられます。

 そんな中、アメリカ全土を揺るがす大事件が起こります。

 

 

 

 昭和一七年二月二二日

 

 北太平洋にてアメリカの貨物船を攻撃する任についていた日本海軍の伊号第一七潜水艦が、カリフォルニア州にあるエルウッド石油製油所への砲撃作戦を実施。

 二〇発の砲弾はそのほとんどが製油所の施設へと着弾し、大火災を引き起こします。製油所は運転再開まで一年を要するほどの大きな被害を受け、さらに火災に巻き込まれた職員など一〇〇名近い死傷者を出す大惨事となりました。

 インディアン戦争におけるニューオーリンズの戦い以来、戦争によってアメリカ本土が直接攻撃を受けたことはありませんでした。そのため、この一二五年ぶりの本土攻撃に対し、アメリカ国民はこの事実に大きなショックを受けます。

 ルーズヴェルト大統領も日本海軍の航空部隊によるアメリカ本土空襲と、アメリカ本土への上陸作戦が行われる可能性が高いと判断し、ロッキー山脈で日本陸軍を迎え撃つ防衛計画をアメリカ陸軍に立案するように命じていました。

 アメリカ西海岸では、潜水艦の港湾侵入を阻止する防潜網や上陸舟艇を足止めする機雷の敷設を行い、それ以外の都市でも日本海軍航空部隊の空襲に備えた防空壕を作り、防毒マスクの配布、灯火管制や避難訓練、学童疎開までもが行われていました。

 さらに、二月二五日には日本海軍航空部隊による空襲という誤報をきっかけに、アメリカ陸軍が対空戦闘を実施、アメリカ全土にその模様が報道された結果、死者六名、その他住宅や車両数台を巻き込む被害を出す事件――世に言う、ロサンゼルスの戦いが起こりました。

 まさに、アメリカ国民は日本陸海軍への恐怖を現実のものと認識し、パニック状態に陥っていたのです。

 

 このアメリカの過剰反応ともいえる日本陸海軍への恐怖はエルウッド石油製油所への砲撃だけが原因ではありません。

 エルウッド石油製油所砲撃の以前にも、日本海軍の潜水艦部隊はアメリカ西海岸を中心に活発に活動しており、真珠湾奇襲の直後から航行中のアメリカの油槽船や貨物船を一〇隻以上撃沈していました。その中には、市民の眼前で撃沈された船も少なくなかったのです。

 

 相次ぐアメリカ陸海軍の敗北や苦境を知らせる報道に対する不安、そして現実味を帯びてきた日本陸海軍のアメリカ本土侵攻に対する恐怖から、アメリカ国民は政府と軍部に対する不満を募らせていました。

 国民へのアピールと士気高揚のために、アメリカ海軍は早期に戦果を挙げることを迫られました。それも、アメリカ本土攻撃に震える市民の恐怖を一挙に晴らすことできるほどの、圧倒的な戦果が望まれていたのです。

 そして、昭和一七年三月中旬。アメリカ陸海軍はある計画を発動させます。

 

「特別飛行計画一号」

 

 それは、空母から発艦させた航空機によって日本の首都東京を空襲するという前代未聞の大作戦でした。

 しかし、作戦の実行には二つの難問が立ち塞がります。

 一つは、航続距離の問題です。アメリカの占領地から日本本土まで往復できる航続距離があり、かつ爆弾を搭載可能な航空機を当時のアメリカ陸海軍は保持していませんでした。

 そうなると、日本の近海まで航空機を運ぶことが出来る空母から航空機を発進させるほかありません。とはいえ、日本近海は日本海軍のホームグラウンドです。下手に近づけば補足され、真珠湾攻撃を免れた貴重な空母を危険に晒すことにもなりかねません。

 可能な限り日本から離れた海域から航空機を発艦させ、航空機を発進させた後の空母を安全なところに速やかに退避させ、かつ爆撃後の帰路は日本の手が及ばない他国の勢力圏まで離脱するためには、長い航続距離を持つ機体が必要でした。

 二つ目の難問は、離陸距離の問題です。空母の艦上は、通常の空港の滑走路に比べれば遥かに狭いスペースしかありません。限られたスペースで離陸に必要なだけの速度を出せ、離陸ができる機体が必要となりました。

 そして、アメリカ陸軍はこの二つの難問を突破できる航空機として、ある爆撃機に目をつけました。

 

 ノースアメリカンB-25ミッチェル。九〇〇kgの爆弾を搭載し、燃料タンクを増設すれば三七〇〇kmの航続距離を有する、防御力の優れた中型爆撃機です。

 

 さらに、B-25に搭乗する乗組員には、最初にB-25が配備された部隊出身の搭乗経験豊富な人材を選抜され、指揮官にはアメリカ大陸一二時間以内の横断という飛行記録を最初に達成したアメリカの空の英雄、ジェームズ・ドゥーリットル中佐が就任しました。

 彼らは極秘裏に一ヶ月間訓練を重ねた後、B-25と共にアメリカ海軍の最新鋭空母、ホーネットに乗り込んで東京を目指します。

 

 ドゥーリットル中佐らが猛訓練の日々を過ごしていたのとほぼ同じ頃、マーシャル諸島など日本軍の拠点を空爆する任務を終え、真珠湾に帰港していたハルゼーは太平洋艦隊司令部に呼び出され、そこで日本本土空襲計画を知らされます。

 太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将から、B-25を搭載したホーネットの護衛を命じられ、ハルゼーはそれを笑顔で引き受けます。

 

「イタズラ小僧のように日本の拠点を叩いては逃げるという繰り返しにはもう飽き飽きしていたところでした。ところで、余裕があれば私の護衛部隊も存分に日本軍を叩いてもよろしいか?」

 ハルゼーのこの強気な発言に、ニミッツは苦笑しながらこう答えました。

「最優先目標はトウキョウの空襲、第二に艦隊の被害を僅少にすることだ。万が一B-25の出撃前に聯合艦隊(コンバインド・フリート)と一戦交えねばならなくなったのならば、如何なる被害を出そうともホーネットを守りとおせ」

 

 

 

 昭和一七年四月二日午前一〇時一八分

 

 フライトデッキに所狭しと一六機のB-25を繋止した空母ホーネットは護衛の巡洋艦三隻を引き連れてサンフランシスコを出港しました。そして、一三日にミッドウェー環礁北方で、道中の護衛を務める第一六任務部隊と合流。一路、太平洋を東に進みます。

 第一六任務部隊の指揮官はハルゼーです。指揮下には空母一隻と、巡洋艦二隻、駆逐艦四隻。

 アメリカ太平洋艦隊が日本軍に警戒されない規模で動かしうる最大の戦力がそこに集っていたのです。

 

 日本に向かう道中、ハルゼーは危険が伴う任務に向かうドゥーリットルとこんな会話を交わしていたといいます。

 

「真珠湾の蛮行の代償はできることならば海軍の手で思い知らせてやりたかった。海軍の機体では空母からトウキョウまで届かないのが残念でならない。今からでもいいから、俺にB-25の操縦桿を握らせてもらえないものか」

「ハルゼー提督ならばきっとトウキョウまで辿りつけるでしょうが、発艦地点までの護送ではハルゼー提督以上に安心できる護衛はいません。私や部下たちの安心のために、提督には艦隊の指揮をとって頂きたいですね」

「君たちにとっては避けたいことだとは分かっているが、俺としては日本海軍が立ち塞がってくれることを望んでいる。直接トウキョウを叩けないのであれば、せめてその鬱憤を晴らす相手が欲しいからな。トウキョウへの一番槍を譲るのだから、パレスにふんぞり返っているヒロヒトがひっくり返るような一撃を頼むぞ、中佐」

 

 ~『ドゥーリットル最後の空へ』より

 

 

 史上初の東京襲撃を担うB-25を搭載した空母を含む艦隊は、本州から九二〇km離れた発艦予定地点に向けて突き進みます。

 

 

 

 一方、アメリカ海軍が東京空襲に向けた部隊を編成していたのと同じころ、日本は緒戦での連戦連勝の知らせに沸きかえっており、各地で勝利を祝う提灯行列が行われていました。

 市井だけではなく、陸軍、海軍の内部にもこの空気に酔っているものが少なくありませんでした。

 しかし、浮かれた空気が漂う日本海軍の中で、長野は全く警戒を緩めていませんでした。

 アメリカがやられっぱなしのままでいるはずがない。そう確信していた長野は毎日のように米国の戦略分析をしていた軍令部の第三部へと脚を運び、アメリカの最新の情報を分析し続けていたのです。

 そして、ついに長野は一つの可能性に気づきます。

 きっかけは、メキシコに構築されたスパイ網からもたらされた一つの情報でした。

 

「サンフランシスコから空母出港。甲板上に多数の艦載機あり。巡洋艦三隻を伴う」

 

 軍令部では重要視されなかったこの情報に長野は違和感を覚えました。

 通常、空母に載せる艦載機は可能な限り艦内の格納庫に収められます。荒天下、甲板にある艦載機は強風と豪雨、高波に晒され、損傷する可能性があるからです。

 出港時に甲板上に多数の艦載機を載せていたということは、機体を格納庫に格納しきれなかったという可能性が高い。最初にこの情報を入手した軍令部は、一隻の空母に、格納庫では収まりきらない数の航空機を載せたかったという考えで動いているとするならば、輸送任務に当たっている可能性が高いと判断したのです。

 しかし、長野は違った考えを抱きました。

「現在、アメリカの戦果を伝えるニュースといえば、ハルゼーの率いる空母機動部隊の日本軍要衝地への一撃離脱ぐらいなものだ。アメリカの新聞を見る限り、アメリカの世論は戦果がほとんど上がっていないルーズヴェルト大統領の戦争指導に対してかなりの不満を挙げていることが分かる。その時期に、態々空母をただの輸送任務に割り当てるだろうか」

 そして、軍令部に寄せられる多種多様な情報から様々な可能性を検討した長野は、ある結論に至りました。

 

「アメリカは、日本本土の空襲を狙っているのではないか」

 

 

 

 昭和一七年四月四日

 

 聯合艦隊司令部と軍令部が米豪分断のためにフィジー・サモア方面に進攻する計画の賛否に揺れている中、長野はアメリカの本土空襲を迎撃すべく動き回っていました。

 しかし、司令部附の参謀らの反応は冷ややかでした。

「空母に陸上爆撃機を載せるなどという非合理な方法を取るはずがない」

「もし本当にアメリカが空母による本土奇襲を企てていたとしても、哨戒艦の監視網に引っかかった段階で迎撃すれば十分に間に合う。そう神経を尖らせる必要はない」

 彼らは長野の主張を机上の空論、あるいは妄想の類だとして一蹴します。

 長野は参謀らの説得を早急に諦め、参謀らの中で唯一長野の懸念に理解を示した宇垣参謀長と共に、聯合艦隊を統率する山本長官に直接詰め寄りました。

「アメリカのサンフランシスコから出港した空母が怪しい動きをしています。アメリカ海軍が、日本本土空襲に向けて動いていると見て間違いありません」

 それを聞いた山本長官は、最初はまともに取り合おうとしませんでした。

「グアムは陥落し、フィリピンも陥落寸前。この世のどこにも、航空機で日本本土を直接攻撃できるアメリカ軍の航空基地は存在しないし、それができるだけの航続距離を持つ爆撃機は存在しない。もしも空母艦載機による空襲があったとしても、空母艦載機の航続距離など知れているから、発艦前に哨戒網に引っかかって迎撃され、失敗するのが目に見えている。それを分かっていて攻撃をするような酔狂な軍人はいないだろう。その空母とやらも、ただの輸送任務についているだけだ」

 長野は、それに対して猛烈な反論をします。

「航続距離の問題ならば、陸軍の双発爆撃機を空母に搭載すれば解決します。帰路を中国大陸に向ければ、艦載機を回収する必要もなくなりますので、空母も発艦後すぐに日本近海から離脱できます。日本本土空襲は現実的に見て、不可能ではありません。また、アメリカは長官もご存知のように国民の力がとても強い国です。国民の士気高揚とルーズヴェルトへの支持率向上に向けて、日本に何か強烈な戦果を早急に挙げることを彼の国は強いられているのです。状況証拠から見て、アメリカが本土空襲を計画しているのは確実と見込まれます」

 その後、一時間に亘って長野は山本長官を説得し続けましたが、山本長官は長野の考えに中々同意しません。

 煮え切らない態度を取る山本長官に対し、長野は頑なに迎撃を主張しました。

「サンフランシスコを米空母が出港した日時から考えるに、日本本土空襲は今月中に必ず実行されます。もしも、米機動部隊が来なかったなら私は潔く腹を切る所存です」

 長野の強い覚悟と、米機動部隊来寇の確信を得た表情から、山本長官は「君がそこまで自信を持って言うのであれば」と、ついに長野の提案を了承しました。

 

 

 

 

 昭和一七年四月一三日

 

 山本長官から出撃の許可を勝ち取った長野は、佐世保から横須賀に回航された空母加賀に乗り込み、軽空母祥鳳、巡洋艦三隻、駆逐艦八隻を率いて出撃します。

 アメリカの空母は必ず来る。

 長野はそう信じ、艦隊の針路を小笠原諸島へと向けました。

 

 

 

 それは、長野とハルゼーの因縁の始まり、ドゥーリットル空襲の五日前のことでした

 

 

 

 

「テイトクゥーどーして、ワタシを連れてってくれなかったデスカ?」

 

「「「そーだそーだ」」」

 

「…無茶言うな」

 

何で皆さん不満顔なのさ。

長波様に関しては竣工していないじゃない。

ほんと無茶な事言いなはる。






1 史実ではエルウッド製油所砲撃作戦で発射された二〇発の一四cm砲弾のほとんどが不発弾だったために大きな被害は出ませんでしたが、長野の関与による信管の工作精度向上の恩恵か、不発弾の割合は低く、結果として史実とは比べ物にならない大きな被害をもたらしました。

2 『ドゥーリットル最後の空へ』はドゥーリットルの部下で、作戦の生き残りが戦後に出版した本という自作設定です。
  本作戦に従事したドゥーリットルの部下のうち、生き残りは僅かだったため、後世の貴重な資料とされています。

3 メキシコのスパイ網からサンフランシスコの情報が入ったというのは、自作設定です。
  史実でどこまでアメリカの情報を入手できたのかは分かりませんが、海軍ならば敵の軍港に停泊している艦の状況などは絶対に注視していたと思いますので、監視体制と通報態勢を整えていたという解釈で設定しました。
  手持ちの資料に戦時中アメリカでの日本の諜報活動を詳しく記したものがなかったものですから色々とおかしなところがあるかもしれませんが、目を瞑ってください。

4 加賀はドゥーリットル空襲のころ佐世保に回航されており、航空部隊は千葉の木更津にいましたが、長野の一声で横須賀まで搭乗員ごと集められたという設定です。


ピロシキィからの補足

この時の艦隊編成

空母(加賀、祥鳳)
第四戦隊(愛宕、高雄)、
軽巡木曾
第4駆逐隊(嵐、野分)、第7駆逐隊(潮、曙、漣)、第10駆逐隊(夕雲、巻雲、風雲)

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