提督(笑)、頑張ります。 外伝   作:ピロシキィ

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後藤陸将さんからの寄稿。

別バージョンですありがとうございます。


History was changed at the moment 《結》 本編時間軸√

 

 

「これまで、長野の最期の戦いを見てきたわけでございますが、今日のその時を、司波さんはどう、お捉えになりましたか?」

「そうですね……やはり、この戦いで大きな損害を与えたことが、太平洋戦争の終結にほぼ直結していたと私は思います。長野艦隊の奮戦によって一時的に沖縄における連合国側の海上戦力が消滅しました。窮鼠猫を噛むともいいます。実際窮鼠となった日本海軍は三倍以上の数を揃えた艦隊を壊滅させていますから、これから先は窮鼠となった日本軍相手に再度坊の岬沖海戦のような惨敗を喫する可能性があると当時のアメリカ大統領のトルーマンは考えたそうです。しかし、対日戦の勝利にまで手をかけた状態で坊の岬沖海戦のような大量の損害を出せば、アメリカ国内からの批判の声があがることは勿論のことですが、トルーマンの描いていた戦後世界の構築にも大きな悪影響を及ぼしかねませんでした」

「トルーマンの描いていた、戦後世界というのは、一体どのようなものだったのでしょうか?」

「トルーマンが晩年に著した回顧録によれば、日本の占領、統治をアメリカ一国の手で行い、さらにソ連を牽制するために中華民国と緊密に連携するビジョンを描いていたようです。ただ、これを実現するには日本の勢力圏をほぼ自身の手に抱え込まねばなりませんから、アメリカとしては他国を対日戦において殆ど貢献させず、敗戦処理をアメリカがほぼ独力で行える権利を得る必要がありました。しかし、ここにきて日本軍の予想だにしない反撃とアメリカ軍の大損害です。このままアメリカ軍の力だけで対日戦を続けて日本を降伏に追い込もうとすれば、さらに数万人の――下手をすれば、一〇万人近い犠牲者がでるという想定もされたと言われています。かといって、アメリカ軍の犠牲を減らすためにソ連を対日戦に介入させた場合、ソ連は対日戦に参加したという事実を根拠に大陸利権の殆どを掠め取りかねませんでした。ドイツ降伏後の欧州の戦後処理を巡ってソ連が自国の利権を強く主張していましたし、トルーマンの中では、ソ連は半ば同じ陣営に属する国というよりは仮想敵国筆頭と言うべき存在になっていたと考えられています。その仮想敵国筆頭に、少しでも日本の有していた利権を分け与えるというのは、トルーマンにとって最も避けたかったことでしょう。これ以上対日戦におけるアメリカ軍の損害を大きくはしたくないし、アメリカ軍の損害をソ連参戦によって軽減させることもできない。だからこそ、多少日本に譲歩した講和を行ってでも、ソ連を対日戦に参戦させて貢献させずに勝利するという道をトルーマンは選んだのだと思います。そのような観点から考えるに、長野の描いた勝利というものが、太平洋戦争の終結を決定付けたと断言してもいいでしょう」

「なるほど。長野の勝利がアメリカの戦争を指導していたトルーマンの選択を左右したというわけですか。ただ、司波さん。一方で長野の勝利は日本政府側の講和への意識についてはどのような影響を与えたのでしょうか?」

「当時の政府は、海軍がスイスで行っていた和平工作とは別に、天一号作戦の前から早期講和をスウェーデンのルートで進めていたといわれています。そして、坊の岬沖海戦での勝利の報を聞いた彼らは、これが講和にいたる最期のきっかけになるということで、一年ほど前から本腰を入れていたスウェーデン経由の和平交渉、所謂バッケ工作を最終局面にまでもっていきました。この時提示された講和条件を日本政府はほぼ受諾します。一説には、長野は自身が戦死した後の講和工作の絵図を書いており、日本政府は彼の絵図通りの講和を果たすために、この講和条件を呑んだとも言われています」

「ミッドウェー海戦の運命の五分間と並び、太平洋戦争ではよく語られる“もしも”の一つとして、バッケ工作でアメリカが提示した和平案を鵜呑みにせずとも、さらに勝利を重ねてアメリカ側から譲歩を引き出せたのではないかという話がありますけれども、司波さんはこの“もしも”に対してどのような考えをお持ちでしょうか?」

「坊の岬沖海戦のあと、日本に残されていた戦力は僅かではありましたが、三ヶ月ほどの猶予があれば損傷艦の修復も終わりますし、新鋭艦も配備されたでしょうからもう一戦ぐらいならできるぐらいの戦力にまで回復していたでしょう。また、長野が主導して開発を進めていた新型の長距離爆撃機も完成していましたから、これを使ってアメリカに直接爆撃するという選択肢もありました。しかし、この“もしも”を現実のものとするためには、二つ乗り越えねばならない難関がありました。まず、一つ目が石油の問題です。爆撃機分の燃料であれば、日本中のタンクの底を攫えばどうにか工面できたかもしれませんが、艦隊を動かすだけの燃料となりますと、長野が天一号作戦のために輸送作戦をしたように、どこからか燃料を調達する必要がありました。まぁ、こちらの問題は天一号作戦の準備のための輸送作戦で長野が周辺を遊弋していた通商破壊部隊に大きな損害を与えていたため、成功する確率は決して低くはなかったのですが。二つ目の問題は、戦闘そのものですね。仮に、天一号作戦後に残された艦隊を使ってアメリカ海軍に大打撃を与えるということになりますと、必然的にアメリカ海軍の有力な艦隊と対決する必要があります。まず間違いなく日本側は戦力で劣りますし、対空支援を受けられる可能性が低いです。この状態でアメリカ海軍の有力な艦隊と激突したならば、それこそ長野のような天才戦術家として歴史に名を残すほどの指揮官でなければ勝利できなかったでしょう。勝利できないとまでは言いませんが、奇跡に頼らなければ勝てないと私は思いますね。そして、仮にこの二つの問題をクリアできたとしても、日本は戦争終結までにさらに多くの犠牲を出したことでしょう。アメリカ艦隊との決戦に挑む海軍の部隊の損害は勿論のことですが、硫黄島から出撃した爆撃機が都市部を爆撃して数万人の犠牲者を生む危険性もありましたし、大陸や南洋の諸島で孤立した陸軍の部隊でも病没者や餓死者が出る可能性がありました」

「時の政府は、多少不利な講和条件であろうと人命を優先したということでしょうか?」

「ええ。天一号作戦後の早期講和のために政府や陸軍上層部に働きかけていた長野の意図も、そこにあったのだと思います。あくまで、彼は国益を損なうことになろうと、戦争を継続することで増える犠牲者の数を減らすことを、優先したのでしょう。そして、政府もその身をもって沖縄を救った彼の意思を無碍にはできなかったのだと私は考えています」

「そうですか……司波さん、今日はありがとうございました」

「ありがとうございました」

 

 

 

「長野は、一人でも多くの国民の命を救うことが、日本の未来を救うことだと信じて絶望的な戦いに身を投じ、勝利することとなりました。そして、彼は、自身が守り抜いた人々と、人々が逞しく立て直したこの国の未来を見ることなく壮絶な戦死を遂げたのであります。この番組の終わりにあたり、終戦後、現代に至るまで長野壱業という一人の軍人がどのように伝えられるかということと、坊の岬沖海戦の直前に長野が親しかった友人に語った彼の見果てぬ夢。それらをご紹介しながら、番組を終わりたいと思います。今夜もご覧いただき、ありがとうございました」

 

 

 

 

 

 

 天一号作戦実施の直前、長野は戦艦榛名の艦長ら、同期の友人たちと呉市内の料亭に集まりました。

 そこで、長野はこれまでの功績を讃える友人に対してこう語ったといいます。

 

「これまで多くの部下に、同僚に、上官に勝利のために血を流させてきた。そして、今回の作戦でも一万人の将兵に血を流させることになるだろう。死ぬのが怖くないわけではないが、彼らの流した血の量に報いることができないことの怖さに比べればたいしたものではない」

「私は、この最期の作戦で彼らの挺身に報いるだけの何かをやれるのだろうか。これまでにこの国のために死んでいった彼らに、後悔させないだけの何かをさせられただろうか。そう思うと、私は自分の功績を誇ろうなどという気にはどうしてもなれない」

 

 長野は真珠湾攻撃の立案に始まり、ドゥーリットル空襲やソロモン海戦などで日本海軍随一と言える武功を積んでいました。

 しかし、彼は一度たりとも自身の成し遂げた功績を誇ることはありませんでした。

 自身が中心となって立案に加わった真珠湾攻撃。それから四年の間、その武功から戦神として周囲からは讃えられる一方で、長野は一人、亡き戦友の想いと犠牲となった将兵に対する責任を背負い続けて苦しんでいたのかもしれません。

 

 

 

 坊の岬沖海戦の勝利を機に、日本は連合国の降伏勧告を受け入れます。これによって、四年にわたる戦争はついに終わりを迎えました。

 終戦後、戦勝国となった連合国によって日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判が東京で開かれます。

 そして、この裁判によって長野は戦犯の指定を受けます。豪州本土に艦砲射撃を加えた帰路に病院船を撃沈したことと、日米の関係が悪化する前から真珠湾攻撃作戦を立案し、日米開戦の絵図を描いてその実現のために奔走していたというのが、戦犯指定の理由でした。

 戦犯指定を受けた長野は、靖国神社などの戦没者を祀る施設に合祀されることも許されず、各地に立てられた太平洋戦争の犠牲者の冥福を祈る慰霊碑に名を刻むことすら許されない存在となりました。

 また、日本国内で燻っていた講和条件への不満や、太平洋戦争を開戦に導いた時の指導者への怒りは、太平洋戦争の開戦の狼煙となった真珠湾攻撃の立案し、和平工作を影で主導していた長野にも向けられました。

 こうして、長野壱業はその名将としての業績ではなく、戦犯としての悪名をもって歴史に刻まれる存在になりました。

 

 

 

 しかし、例え戦犯としてその名が刻まれようと、長野への感謝を決して忘れない人たちもいました。

 長野によって救われた、沖縄に住む人々です。

 終戦の翌年から、沖縄では金剛が沈んだ日時に合わせて人々がごく自然に集まり、沖縄を救う為に戦った英霊に対する深い感謝と哀悼の意を捧げるようになりました。

 以来、沖縄県では毎年八月一九日、金剛が沈んだ時間に合わせて慰霊祭が行われるようになり、全島で黙祷を捧げる日とされています。

 

 

 

 戦艦金剛の沈没地点を見渡せる知念岬には、坊の岬沖海戦の戦死者の名を刻んだ慰霊碑が建立されています。

 しかし、慰霊碑に刻まれた戦没者の中には、戦犯となったために名を刻むことすら許されなくなった長野壱業の名はありません。

 その慰霊碑の隣には、慰霊碑と同時に建立された、金剛の艦橋を模した形の顕彰碑があります。

 不思議なことに、その碑には誰の功績を讃えるものであるかは全く記されていません。

 その代わり、この碑には、名も明らかにされぬ誰かを顕彰する言葉としてこう刻まれています。

 

 

 

「嵐を超えてこの島に駆けつけ、その命の限り戦った貴方のおかげで数え切れないほどの命が救われました。

 

 たとえ貴方の功績が歴史に埋もれようとも、私達は、貴方の成し遂げた奇跡と、貴方への感謝を決して忘れません。

 

 沖縄を救い、日本を救った英霊に、報いと安らかな眠りがあらんことを」

 

 

 

 

 

     アメリカ海軍が最も恐れた男、長野壱業 ~坊の岬沖に散った英雄の献身~

 

 

 

 

 

 監修     ピロシキィ

 

 資料提供   防衛省防衛研究資料館

        アメリカ国立公文書記録管理局

        長野壱業記念館

        (財)戦艦長門保存会・記念艦長門

        (財)戦艦陸奥保存会・記念艦陸奥

        長野出版「月刊海軍」編集部

        ○宝映画「水平線のダイヤ」 

 

 構成     後藤陸将

 

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 制作統括 後藤陸将

 

 

 

 終

 

 制作・著作 日本国営放送機構 大阪支局

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<ネタ予告>

 

 

 昭和二十年

 

 太平洋を巡る日米の争いに決着が迫る中、極東での勢力拡大を狙うソ連が日本へ侵略の手を伸ばします。

 

 しかし、ソ連の対日参戦の動きは帝国海軍に予測されていました。

 

 沖縄を救った男が、この国に最後に残した希望。戦艦長門を旗艦とする北方艦隊が北海道を目指すソ連軍をオホーツク海で迎え撃ちます。

 

 北方艦隊司令長官柳本柳作は、亡き友への想いと帝国海軍の幕引きの想いを籠めて戦艦長門にZ旗を掲げました。

 

 日本の未来を守るべく出撃した帝国海軍最後の決戦を描く次回の『History was changed at the momentⅡ』

 

 放送は、未定です。

 

 

 

 ソ連対日参戦とオホーツク海海戦 ~スターリンの野望と帝国海軍最後の栄光~

 

 

 

 総合 ○月×日(?) 夜9時15分

 

 

 

 

 

 

 




《後藤陸将さんからの補足》

1 長野氏が戦犯として指定されていますし、機密も漏れていないので、長野氏の終戦工作への評価は控えめということで書いてみました。
  終戦工作を考えるに、国民の命と国益を秤にかけてどちらを取るべきだったかというのが、(極度に右や左に傾いている方々を除いた)まともな歴史学者の評価の分かれるところでしょうかね。

2 長野氏の発言の元ネタは、銀河英雄伝説のヤン提督の台詞です。立場がかなり似てたので、長野氏も一度くらい、自分とヤンを重ねた台詞を言っていてもいいかなぁと思いまして。

3 沖縄は長野肯定派が多い地域となっているという設定です。
  単純に長野の活躍によって救われた住民も多かったということもあります。
  また、戦後四半世紀近くアメリカの統治下におかれたために県民の間ではアメリカに対するフラストレーションが溜まっていました。そのため、アメリカをボッコボコにした長野の功績が痛快でたまらなかった県民も多かったというのもあるでしょう。
  長野を賛辞していることを暗に示すことで、アメリカ人に不愉快な想いをさせたがる反米の活動家(隣国の息のかかったものや反米第一主義の地元紙等)も多々いたことが、沖縄における長野肯定派増加の一因となっているとかいないとか。

4 次回予告は最終回ということで、最後までつきあって下さいました皆様とこんな自作設定を多数採用した応援SSを許してくださいましたピロシキィ様への感謝を籠めたネタ予告です。また、こんなネタでお会いできる日を楽しみにしています。

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