惑星アルクスの赤道に近い位置に存在する密林地帯。
トーラピリア王国の領土であり、その殆どは未開拓状態であり、多種多様な生物群が過酷な生存競争を繰り広げている。
その奥地にはヘビビトとムレビトと言う種族が集落を構えており、彼らは互いに手を取り合い、自然と共存しながら静かに暮らしていた。
しかし、異世界から転移してきた国家日本とトーラピリア王国合同の調査団が訪れた事により外界との繋がりが生まれ、手探りながらも互いの文化の理解を深め、交流を始めた。
ヘビビトは洞窟に暮らし、あまり洞窟の外には出てこないが、洞窟付近に集落を構えるムレビトは比較的広範囲を移動するため、調査団の拠点へ訪れる者が多い。
『ユーイチ!あめだま!ほしい!』
『飴玉はこの前渡したので最後なんだ、次の補給までお預けだね。』
『みぇ・・・あめだま?ないの?』
『あぁ、僕は持っていないよ。他の人は持っているかもしれないけど・・・・。』
ムレビトはあまり貴金属類に興味が無く、生活に必要な道具や食料に強い興味を持つ性質があるので、彼らとの交流では嗜好品の類が土産物として好まれる。
特に携帯性に富んだ栄養ブロックや飴玉などが人気であり、彼ら同士の物々交換に使われることが多く、疑似的ながら通貨的な価値を持つという。
『めぃ・あーリュ?』
『うん?あぁ・・・ええと、ルぅ・あーリュ、ルぅ・あーリュ。』
『ルぅ!』
『ユーイチ!またね!るぷ!りィあーリュ!』
『はいはい、リュ・リュ。』
ムレビトは人語を理解するが、あまり複数の言語を扱うのは得意でなく、どうしても片言になってしまうので、調査団の方から彼らの言語を習得しようと翻訳を進めるのであった。
「しかし、ムレビトにも信仰があるなんてなぁ・・・まぁ、原始的な生活を送っていればそういう文化も生まれてもおかしくはないか・・・。」
「知恵の女神様・・・ねぇ・・・。」
ムレビトの集落の中央部に、密林の草花が色鮮やかに積まれており、積まれた草花の下に石板らしきものが埋もれている。
「ムレビトに知恵と言葉を齎した女神さまのお墓・・・か・・・。」
(女神様なのにお墓なのか・・・彼らにとって神も死から逃れられない存在なのか?)
ムレビトの女神の墓標にはこう刻まれている。
[女神リュリュここに眠る]
「もしかしたら女神様とやらはムレビト達の偉人か何かだったんだろうか?」
その昔、1000年以上前、惑星アルクスでトガビトが生まれる前、安定した環境の中リクビトから他の亜人に変異する事が少なかった時代に、森の奥深くで原始的な生活を送る亜人が存在した。
彼らは、リクビトと祖先を共にする種族であるが類人猿の段階で別れた種族のためその外見はどちらかと言えば獣に近い姿をしていた。
彼らは言葉らしい言葉を持たず、言葉が生まれる前の段階の動物の鳴き声、そう・・・危険を知らせる声・仲間を呼ぶ声・食べ物を見つけたことを知らせる声など、簡単な合図のみを意思疎通の手段として使っていた。
ある日、とあるリクビトの治める国に奇妙な獣が持ち込まれた。
その獣は、器用に物をつかみ道具のように扱い、人のように二足歩行で歩き、植物の蔦や葉を体に巻き付け服のように身に着ける動物であった。
『ほう、これは何とも珍しい獣だ。』
『へぇへぇ、魔物の生息地の森の奥で見つけた奇妙な獣でさぁ、人の真似事をする珍しい習性を持っている様です。』
『よくぞ捕まえてきた。褒美を取らそう』
『ははっ!有難き幸せ!』
その国の領の一部を任される領主は珍獣の類に目が無く、珍しい生き物を捕えさせては領内に持ち込み、鑑賞をするという事を生き甲斐としていた。
しかし、お世辞にも捕獲した生き物の取り扱いが良いとは言えず、領内に連れ込まれた獣の命は長くは続かないことが多い。
更に領主は、死亡した動物の死骸の角や毛皮などを飾る趣味を持っていたので、唯でさえ扱いの悪い動物たちは、領主の気まぐれで屠殺され装飾品へと加工されてしまうのだ。
『ははは!どうした!もっと鳴け!もっともがけ!もがけ!もがけ!ははははぁっ!!』
ヴエェェェェ!!
そして、捕獲された動物たちにとって最悪な事に、その領主は動物性愛の持ち主であったのだ。
『なんだぁ?服のつもりなのかぁ?畜生如きが生意気な!蔦と葉では服とは言えぬぞぉ?』
『みゅえぇぇ!!ぴぎぃぃ!!』
『言葉すら扱えない様では人間にはなりきれぬぞぉ?このケダモノめがぁ!はははっ!!』
『ふぎぃぃ!!』
獣は領主に弄ばれた後、ぐったりと檻の中で蹲り動かなくなってしまった。
獣は周りの檻の中の動物たちが力尽きた順に運ばれて行き、最後には解体されて毛皮にされてしまう事を理解していた。だからこそ、意地でも生き延びようと自分自身に誓っていた。
最低の衛生環境の中、野草や木の実などの動物用の餌を頬張り、泥水をすすりながら獣は何とかその日その日の生を繋いでいた。
ある日、領主の男が人間の真似事をするという獣の檻の前に立つと、体を震わせながら檻の扉を開いた。
『お・・おぉ・・・こ・・これは何という・・・。』
獣は干し草の山に蹲り、へその緒のついた子供を両手で抱き子供の体をくまなく舐めていた。
『腹に子供を宿していたのか?これは興味深い。』
領主の男は、その時ばかりは獣には手を出さず、生まれたばかりの子供とその親を興味深そうに観察するにとどめていた。
それから時は流れ、獣の子供は檻の中で育ち、母親と共に珍獣として領主に観察され、他の獣に比べてではあるが、栄養の質が良い餌を与えられて過ごした。
『みゅ・・みゅ・・・みぇ・・・みゅ・・・。』
『ぴりゅ!うりゅ!』
獣の子供は檻の中の世界が全てであった。
ただ母親の愛情だけがあればいい、時折気まぐれに振るわれる鞭の痛みに耐えていれば、後には母親の抱擁と愛が待っている。
それに、鞭は自分だけが振るわれる訳では無い、むしろ自分をかばってくれる母親の方がよりその身に痛みを受けているのだ。
『しかし、奇妙な獣だぜ、人間の真似は姿だけじゃなくて子育てすら人間様に似せようとしているんだ。』
『可哀そうなことに、どう頑張ったって人間様にはなれないんだよなぁ!はははは!!』
領主の下で働く兵士と思われる男たちが檻の中の獣たちを話題に談笑していた。
獣の子供は、自分たちを観察する男たちをまた、観察していた。
『みぇ・・みゅ・・カワイソウ?・・・みゅ』
『うりゅみゅ・・・みゅぅ』
気まぐれに振るわれる鞭、そして嘲笑、獣の子供にとって苦しくて悲しい時間であった。
それでも、痛みだけではないものが獣の子供に齎されていた。
『みゅりゅ・・みゅりゅ・・・痛い、可哀そう・・・。』
『きゅう・・・。』
獣の子供は、リクビトの扱う声に特定の意味がある事に気づき、気が付けば彼らの言葉をある程度理解するに至っていた。
獣の子供は言葉と言う概念を身に着けていたのだ。
『みゅりゅ・・・痛い?痛い?可哀そう・・。』
『ぴぎぃ・・・。』
『りゅりゅ、痛くない、みゅりゅ、悲しい?痛くない、痛くない。』
彼女は覚えた言葉を使い、母親を慰めていた。
その体は既に母親よりも大きくなっており、全身を覆う体毛も幾らか薄い、獣ながらリクビトに近い姿に成長していた。
その様子を領主は薄気味悪さを感じながらも、好奇心から観察を続けていた。
ある日、獣の子供は近くに母親が居ない事に気づき檻の中をひっくり返す勢いで探し回っていた。
『ついに領主様もあの獣に飽きが来たか』
『腹をすかせた雄の血濡れ虎と掛け合わせてやると、同じ檻に放り込むとは勿体ない話だな?』
『まったく、あれ以来あの獣を捕まえた森で1匹も見つかっていないってのにさ』
獣の子供は、リクビトの兵士たちが喋る内容を深くは理解していなかったが、何となくその声色から、母親がもう戻る事が無いと悟った。
だが、何となくではあるが、外の世界のどこかに母親の同胞が居るかもしれないという気配を感じていた。
獣の子供は・・・彼女は・・・この檻の中の世界から脱出を図った。
サボり癖のある召使いの行動を観察し、檻の扉を開けたまま酒に酔いつぶれて居眠りをした隙をついて、音も立てずに走り去ったのである。
リクビト離れした手と足とそして背骨をバネに使った四つん這いでの走行、動物にも負けない嗅覚と聴覚、それらを駆使して草木に紛れ、川を渡り、ついに領主の納める土地から脱出する事に成功したのである。
『りゅりゅ・・・ひとり・・・みゅりゅ・・・居ない。』
彼女は脱出する事に全てをかけ、それ以外を考えていなかったが、いざ逃げ出してみると自分の母親が居ない、独りぼっちであることに気が付いた。
『みゅりゅ・・・どこ?・・・みゅりゅ・・居ない・・・うぅん、知っていた。』
『りゅりゅ・・・りゅりゅはりゅりゅだけ、ひとりだけ』
『みゅりゅ・・・みゅりゅ・・居ない・・・。』
倒木に腰掛け、涙を流す彼女は周りを取り囲む気配に気づいていなかった。
がさがさと草木を掻き分ける物音に目を赤く腫らした顔を上げると、どことなく自分や母親に似た生き物が集まっていることに気が付いた。
『うりゅ?みゅ?』
『ぴりゅ!』
彼女は本能的にそれが自分の仲間である事を察した。
そして、彼女は自分や母親の同胞である彼らの存在を認識する事により、自分は一人でないという事を理解した。
『みゅりゅ・・・りゅりゅ、一人、違う!りゅりゅ!一人、違う!』
困惑する仲間たち、そして歓喜の涙を流す彼女。
彼女はリクビトの支配する領域から逃れるうちに、偶然母親の暮らしていた森へと辿り着いていたのである。
その後彼女は、森の仲間たちと共に過ごすうちに原始的な生活の中に、違和感のようなものを感じ始めていた。
言葉らしい言葉が存在していないことに気づいたのだ。
『りゅりゅ、らんて!』
『きゅ?』
りゅりゅ、そう呟き指を自分にさすと、らんて、と呟くと指を仲間に向ける。
『りゅりゅ、りゅりゅ、みゅぇ・・・らんて!』
『きゅぅ・・・。』
特定の意味を持った合図、でもそれだけでは足りない、もう少しその声に意味を詰め込める筈、その為には合図をさらに細かくし、意味を持たせる必要があった。
合図と意味の細分化、短い声に小さい意味を、それらを組み合わせるうちに、合図はだんだん言葉と言えるものに変化しつつあった。
『リュリュ!木の実!いっぱい!』
『リュリュ!虫!芋虫!蛹!蛹!食べる!』
獣たち・・・のちにムレビトと呼ばれる者たちは、彼女・・・リュリュから齎される知識と言葉、一部リクビトの発音を流用し独自の言語を操るようになっていた。
リュリュは、仲の良い友人ランテと長く過ごすうちに夫婦となっていた。
だが、自分以外に夫婦となった仲間たちは子供を産んでいるのに自分とランテとの間に子供を儲けることは出来なかったのである。
ムレビトにしては高身長で、リクビトにしては小ぶりで獣よりの姿、彼女は既に女性らしい丸みを帯びているが、どうやってもランテの子供を産むことは出来なかった。
『ランテ、ごめん、リュリュ、悲しい・・・。』
『リュリュ・・・悲しい?ランテ、悲しい、でも平気、リュリュが居る。』
ムレビトは短命種族であるが故に、リュリュは夫のランテと共に過ごす時間はとても短く、彼女はムレビトにしては長命であるが、リクビトとしては短命であった。リュリュは余生を仲間と共に過ごすうちに心臓が止まりその短い一生を終えたのであった。
初代村長ランテと知恵を齎し者リュリュは、その後ムレビトに崇められ、リュリュは女神に、そしてその夫ランテは村長の称号になったのである。
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「ふむぅ・・・まさか、あっさり墓の中身を見せてくれるとは・・・。」
日本・トーラピリア合同調査団は、ムレビトに女神の墓について尋ねると、彼らは気前よく女神リュリュの逸話を話してくれた。それは突拍子もない話でもあったが、彼らの文化を理解するうえでかなり興味深く、彼らのルーツを匂わせる情報も聞けた。
合同調査団は、女神の墓に眠る遺骨について尋ねると、驚くことに石棺をどかして女神リュリュの遺骨を見せてくれたのである。
「知恵の女神、賢い巨人・・・初代村長の妻、色々な伝説はあるらしいが・・・これは、本当にムレビトだったのだろうか?」
石棺の中から現れた女神の遺骨は、ムレビトにしては巨大で、どことなくリクビトに近い部分が見受けられた。
土葬であるが故に、骨格の保存状態はそれほど悪くなく、添えられた草花の影響か、防腐剤のような効果があったのか遺骨は原型を保っていたのである。
「この世界の人間は、ぱっと見同族には見えない程に外見がかけ離れていても子供を産むことが出来る、遺伝的な互換性があるのは知られているが・・・・。」
「まさか、ムレビトとリクビトのハーフだった・・・という訳では無いだろうな?うむむ・・・。」
調査団とムレビトの交流はまだまだ始まったばかり、密林の奥深くにひっそりと過ごしていた小さな文明は、この大陸にどのような影響をもたらすのか・・・・。
女神リュリュ
ムレビトが知恵の女神として崇める者。
神話の神と思いきや、女神の墓と遺骨が存在するので、恐らくムレビトの文明が発達する段階で大きく貢献した偉人の様な者だったのかもしれないと、推測される。
その骨格から、ムレビトとリクビトのハーフだったのではないかと推測される。
しかし、地球の動物でライガーやタイゴンの例があるので決して健康体ではなかったと推測される。生まれつきの心疾患持ちだった可能性もある。
ムレビト自体、類人猿からリクビトと分かれたとされる種族のため、遺伝的に近いものの他の亜人の様な互換性はなかった可能性が高いので、議論がされている。