正直、もう椅子に座って書類を捌くのは飽きた。親友は何故かいないし、結構作業は退屈だ。退屈じゃない作業なんて果たしてあるのだろうか?
「俊は…この時間なら勉強か読書か…どっちかね」
頬杖をつき、壁に掛けてある時計を何気なく見ながらそう呟く。彼の1日の生活は驚くほどワンパターンでシンプルだ。起きて、勉強して、読書して、偶に夕食を食べて、寝る。一度も変わったことはない。わたしが手伝いをお願いした日や、疲労が溜まった次の日は正午を回っても起きないことすらある。
(俊ならこの問題、簡単に解決してくれるんでしょうね…)
現在わたしが通っている国立音ノ木坂学院は廃校の危機に瀕している。学校が無くなるかもしれないという大きなトラブルには、わたしも流石に参ってくる。それでも、俊ならこれを問題なく解決してくれる気がしてならない。
もちろん根拠なんてない。これはわたしが彼を見てきて思った軽率な思考でしかない。わたしより3つも下の俊には荷が重い。
「やりたくなくてもやるしかないのよね…生徒会長も大変だわ…」
とりあえず資料から使える情報をかき集めるところからね。
◆◆◆◆◆
「これは…なるほど道理で」
インターネットでは、絵里さんの通う国立音ノ木坂学院が廃校になるかも、という噂が流れていた。絵里さんの様子を見た感じ、これが根も葉もないデマというわけじゃないらしい。
「早ければ…3年後でしょうか…?もう詰み一歩手前ということですね」
音ノ木坂学院廃校の原因は十中八九、UTX学園だろう。あそこは設備も最新鋭らしいし、今時の学生はそういうものに惹かれやすい。
「俗に言うお金持ち学校というものですか…」
言ってしまえば、このままの状態が続けば音ノ木坂が廃校になる確率は例えでもなんでもなく100%。避けられない事態である。絵里さんには悪いが、歴史と伝統では勝負にもならない。
「…あれ?こういうことって言うべきなんですかね?」
音ノ木坂の学生でもないし、卒業生でもない。特に思い入れもない。余計なお世話なのかもしれないし、もしかしたら絵里さんは既にそれ以外の考えがあるのかもしれない。
「まだ私が口を出すわけにはいかないか…?」
学校側に私がバレるのは不味い。絵里さんだって、聡明とはいえまだ高校生だ。人前で私そのものを偽るには限界がある。私の言葉でもやり過ぎればボロが出る。
絵里さんならきっとやってくれる。そう思わなければ私まで不安でどうにかなりそうだ。
◆◆◆◆◆
「……ここは!?知らない天井!?」
一方で、音ノ木坂学院の保健室では1人の女子生徒がそんなありきたりなセリフと共に意識を取り戻した。サイドテールが特徴的な容姿端麗な少女だ。
「あー…そうだった。私、気絶してたんだっけ」
「あら、目ぇ覚ましたみたいね、高坂さん」
「私…どれくらい気を失ってました?」
「そうねえ…ざっと1時間くらいかしら?運ばれてきたときは流石にビビったわよ。ショックでぶっ倒れるなんて、創作の世界だけだと思ってたわ」
私自身も、正直廃校という事実ひとつで意識を持っていかれるとは思わなかった。それほどにショッキングだったということだろうか。
「ま、高坂さんだし覚ましたってことは大丈夫でしょ。南さんと園田さんに感謝しなさいよー」
「はい。ありがとうございました!」
勢いよく扉を開け、勢いよく閉めた。そのあたりの元気は有り余っている。教室まで戻り、親友である海未ちゃんとことりちゃんへまずはお礼。
「ごめんねー!まさかあそこまでになるとは思わなくて…」
「本当です!まさか気絶までしてしまうなんて…」
「ビックリしちゃった…大丈夫?もう何ともない?」
「うん。先生も大丈夫だって」
ひとしきり安全確認を済ませると、目に見えて2人の顔が曇る。
「あの張り紙は…本当だったんですね…」
「なくなっちゃうなんて…やだよ…」
「そうだよね…」
今まで他人事だと思っていたことが現実に起こることは、普通にトラブルに遭遇するよりも辛い。それが避けられないものだとしたなら尚更。
「ことりちゃん、理事長はなんて言ってた?」
「入学希望者が定員を下回ったら廃校が確定するって」
「じゃあこの学校の魅力を伝えればいいんじゃない?」
「と、言っても…」
「歴史と伝統ですよね…」
どうしたらいいのかな?何が正解なんだろう?
◆◆◆◆◆
「亜里沙さん、お帰りなさい。おや、高坂さんも一緒でしたか」
「お邪魔します。俊さん、姉と被るから私は雪穂でいいって言ってるのに…」
「ええ。もちろん貴女のお姉様に会ったら変えますよ。それまでは高坂さんです」
「もう…どうしてそんなとこで頑固になるんですか…」
どうやら今日は高坂さんと一緒に勉強会らしい。亜里沙さんには家庭教師みたいな感じで教えて欲しいと頼まれたが、断っておいた。高坂さんならきっと大丈夫だろう。2人はハイレベルだ。
「じゃあ私たちが分からなかったらちゃんと教えてくださいね?絶対ですよ?」
「了解です。あ、古典に関しては全体的に難聴になって聞こえなくなる予定なので」
「聞こえなくなる予定!?」
「冗談です」
高坂さんは相変わらず真面目ですね。これくらいの軽いジョーク、分かってほしいものです。そんなに突っ込みばかりでは疲れるでしょう。いっそ3人で大笑いするくらいにならないと。
「じゃ、私たちは部屋で勉強してるから、なにかあったら呼びますね。行こ、雪穂」
「ごゆるりと」
青春とはいいものだ。高坂さんと亜里沙さんのやり取りは実に微笑ましい。見ているこっちも自然と頰が緩んでくる。
「そういえば、最後にあんな風に絵里さんが笑ったのはもう2年も前でしたっけ…?」
頭の良い絵里さんは、自分が3年生に進級した頃から廃校を危惧していた。こんな状況だ、笑えなどというのが無理な話。あの頃は結構色々あったせいで忘れてしまったが、笑った顔は名画に勝るほど麗しいのだろう。もう一度お目にかかりたいものだ。
「きっとこのままじゃ無理なんでしょうけどね」
物事の結果が見えてしまうのは興ざめだ。理解できれば、後はそれを待ち受けるだけ。それが良い結果であっても、逆に目を覆いたくなるような結果でも。
「おっと…?」
テーブルに置かれたスマートフォンの画面に着信の表示が出る。どうやら絵里さんのようだ。懐かしい。これは共同生活が始まって3日目に、連絡手段が無いと面倒だからと言われ買ったものだ。買ってから1日目は電源を入れるのにおよそ1時間かかった。二つ折りケータイじゃダメなのか?
「はい。どうしました?なにかご用でしょうか」
「あ、俊くん?やっほー。ウチだけど」
「…あなたですか、なんちゃって関西人」
「ヒドい!前から思ってたけどさぁ、俊くんってばウチと絵里ちの扱いに差がありすぎない!?」
「きっと気のせいですよ。で、希さん。何用ですか?また呼んでみただけとか宣ったら、録画してあるドラマ遠隔で消去しますよ」
「地味に恐ろしいなあ…で、本題、話してええか?」
露骨に話題を持って行こうとしないでくださいとは言わないでおこう。絵里さんのスマホでかけたということは何かしら事情があるのだろう。あんな間抜けっぽい副会長でも。
「絵里ちがどうしても俊くんの力を借りたいんだって。だからちょっと難易度高いけど–––」
「お断りいたします」
「まあまあ、絵里ちを助けるためだと思って、な?困ってるんよ、絵里ち」
「…詳細を」
難易度が高い、しかも廃校になりそうな学校の生徒会長からの救援要請と来れば、どんな馬鹿でも何が言いたいのか理解できるはず。つまりそういうことだ。
「今日な、今動ける生徒会のメンバーがウチと絵里ちの2人だけでなんよ。書類を捌くのは限界があるし、その内本当に書類の内容頭に入ってこなくなるし。だったら賢い俊くんに頼もうかなーと」
「冗談。私が女子校に行くなど…普通に考えなくてもおかしいでしょう。それに絵里さんは無能ではないし、希さんもいるでしょう」
「あー…それがな…」
急に希さんが口ごもる。
「…やるならもう少し上手くやってください。ボロが出ては用意周到とは言えませんよ」
やはり何を考えているか分からないことでおなじみの不思議系な希さんでも、嘘は吐けないらしい。
「でも、絵里ちが悩んでるのは本当のことやで。俊くんが適任だと思ってることもな」
「私が女子校で人前に出るなど…あ、不味い、ちょっと吐きそう…」
「ハーレムやで?」
「女子高生なんて
「傷つくなあ」
実際、女子高生に限らず中高生など矛盾の塊のようなものだ。バラエティーやドキュメンタリーや学園ドラマを見ていれば分かる。もしかして学校に行くとあんな感じになるのだろうか?だとしたら絵里さんも危ないのでは…?
「何時頃到着ですか?」
「別に早ければ細かい指定は無いよ。ウチも手伝うしな」
「生徒会室に誰かいます?」
「そう言うと思って、ウチらの貸し切りやで。生徒会のメンバーも分かってくれたしな」
「…はい?」
今、聞き捨てならないことを言った気がする。何て?つまり私のことを他の生徒会メンバーに話したということか?もしかして、もしかしなくても希さんは私を抹殺でもしたいのだろうか?
「……あ、詰んだ」
「心配無用。シャイな子がいるってことしか話とらんから」
「それってまさか理事長さんに?」
「ご名答。案外あっさり許可くれたで。てなわけで、正門にウチが立ってるからな」
「笑えない…」
この時間だ。生徒はもういないだろうが、やはりこれから女子校に行くとなると緊張もする。
◆◆◆◆◆
「来てくれるって。優しいな、俊くんは…な、絵里ち」
「そうね…」
隠しているつもりだろうが、絵里ちはやはり不安みたいだ。無理もない。絵里ちはウチよりも俊くんのことをよく知っている。学校に彼を来させるリスクはかなり大きいことだって。
「…なあ、心配なのは分かるけども、一回あの子の事、信じてみぃひん?あの子はウチらが思ってる以上な子やで。絵里ちも知ってるやろ?」
「分かってるわ…分かってるけど、やっぱり不安よ。15年生きてる俊でも、まだ4人しかまともに話せないのよ?」
わたし、希、亜里沙、その友人の高坂雪穂さん。生まれ育った境遇もあるだろうが、わたしが俊くらいの年齢ならば今頃どうしていただろう?
「絵里ち、ウチらがどう思っても今のあの子にはもう関係ないんよ。この意味、分かるな?」
「ええ…」
「ほな、迎えに行ってくるな。絵里ちは待ってて」
わたしも一緒に行くと言いかけたが、結局言えなかった。希のいうことも分からなくもない。俊は余程のことが無い限り取り乱さないことはわたしがよく知っている。だからこそ、怖い。
「どうしろっていうのよ…」
縋るように呟くしか、今のわたしにできる事は無い。
◆◆◆◆
正直、何を着ていけばいいのか少し迷ったが、それっぽくテーラードジャケットを羽織ることにした。学校の制服もスーツも持っていないのだからしょうがない。むしろ都合よくスーツっぽい服があっただけ幸運と考えるべきだろう。
「お、来た来た。やっほー俊くん、3日ぶり」
「来てから言うのもあれですけど、何故正門…?」
「やだなー俊くん。分かってるクセに、そんなこと言わんといてな」
分かる、分かりますよ。男子生徒と副会長が校舎裏で密会などと噂が立った暁には、私の精神がおかしくなる。
「ほな、誰もこないうちに行こか」
「そうですね。この状況を見られると不味いです」
「照れとんのか〜?可愛いとこあるなぁ?」
「知り合いだと思われたくないので」
「傷付くなあ…」
実際、言っていることは4割本気だったりする。私だって、こんな読めない人が隣にいると気が気でない。10秒後には手を出されるのではなかろうか。
「外観は綺麗ですね。校庭も…別に荒れているわけでもないですし」
「せやなー。でも、いくら綺麗でも見てもらわなきゃ意味がないやろ?流行には勝てへんのよ」
「特に子供は流されやすいですからね。ローテクよりハイテクの方が好きでしょうし」
「どうしたん?」
「何がです?」
不意に、希さんがそう尋ねてきた。唐突過ぎてこちらも反射的に聞き返す。
「いや、なーんか不機嫌そうだったから…あ、なるほどなあ、そーゆーことな」
「私にも伝わるようにお願いします」
「お金持ち学校やもんな」
あっさりバレた。これだから希さんは苦手なんだ。絵里さんの方が落ち着く。
「別に、向こうのことは何にも知らないんですから嫌いになりようがないでしょう」
理解もしないのに嫌う、ということは感情ひとつでの全否定にしかならない。そんなこと、やってはいけない。なにも理解できないということは哀れなものだ。
「校内も綺麗ですね。それでも廃校寸前とは、やはり流行の力は偉大です」
「やっぱキミもそう思う?無いんかな、どうにか存続させる方法」
「あったらよかったですがね。今はお上がどうにかするのを待つのみです」
結末を選ぶのは子供達ではない。大人と同じことが出来るなど、よほど実力が無い限りは思春期特有のアレでしかない。
「書類はどれくらいあるのですか?」
「聞きたい?」
「いえ、サプライズにしときます」
「せやんな。ここでやる気無くされても困るしな」
「そんなに多いのですか?いくら絵里さんといえど限界が–––」
「あー!!!」
突如、廊下に大きな声が響く。耳はキーンという甲高い音で音のデカさをよく分からせてくれるし、あまりにも突然すぎて身体が思うように動かない。猛烈に嫌な予感がする。これはセオリー通りに行くと私が変質者ってことになるのではなかろうか。
「知らない人がいるー!誰?お客さん?もしかして入学希望者!?」
「穂乃果!迷惑ですよ!」
「穂乃果ちゃん、彼は男の子だよ…?」
「え?もしかしてそういう人?」
「違います。断じて」
ほら見たことか。ここまで複雑な気持ちになるのも中々貴重だ。まずは予想が当たったことを喜ぶべきなのだろうか?
「私は…いえ、東條副会長に説明して頂きましょう」
ここで言葉に詰まれば益々怪しい人だ。大丈夫、いつもシミュレーションしていたことだから、きっと乗り切れる。
「はいはい。えっと、この子は俊くん。一応生徒会長の救援要請ってことでココに来たんよ。南さんは理事長から聞いてない?」
もういい。どうしてそんなにサラッと名前教えちゃうんですかとかもう突っ込まない。
「はい。そういう許可をしたという話は聞きました」
「そんなら話が早いわ。 そんなわけで、俊くんは不本意ながら来ちゃったんよ。悪いけど、詳しくは聞かんでくれるか?」
「何か事情があるのですね。分かりました。こちらこそ穂乃果がご迷惑をお掛けしてしまいました。行きますよ、穂乃果、ことり」
「うん。じゃあね俊くん。また会ったらお話しようねー!」
「バイバイ」
姦し三人娘は帰っていった。濃いなー…特に真ん中の人。正直あの人と話すだけで体力がごっそり持っていかれそうだ。できればもう勘弁してほしい。というか…
「あの理事長って娘さんがいたんですか?自分の学校に?」
「学園ドラマで見飽きた展開やったかな?」
「いえ、ドラマで何度も見た光景だからこそ現実で起こるのがとても面白いのです」
「せやな…せやんな。ところで、また問題発生か?」
「退屈になることはありませんよ。まったく、どうしてこうも…」
実際問題、希さんと彼女の理事長の娘という会話は100%私に対する警告、あるいは一種の脅しだろう。だがまさか、笑顔で脅迫されると思わなんだ。彼女もどうやら他の2人に負けず劣らずのキャラをお持ちのようだ。
(しかし普通の反応か…?)
年頃の女子であれば、女子校に男子がいるのは由々しき事態なのだろう。たとえその男子が生徒会副会長と一緒にいて、入校許可の腕章をつけていても。難儀なものだ。私が気を利かせてここまでやっているんだから、わざわざ絡んでまで脅しなんてやめてくれ。
「不安になってきた…私、定期的にこんなところ行かなきゃいけないんですね」
「いやいや、キミのことを知らないんだから普通の反応…なのかなぁ?」
「そう思われないためにあなたがいるのでしょう。あのお三方を見てはっきり分かりましたよ。もう早いとこ帰りたい」
今から憂鬱になってきた。こんな学校で生徒会長やってる絵里さんすごい。
「絵里ち〜?連れてきたで〜」
「ありがとう希。俊、大丈夫?何も無かった?何もされてない?」
心配してくれるのはありがたいのですが絵里さん、つねるのはやめてください。爪がそこそこ痛い。
「らいじょふれふ」
「そう…なら良かった。早速だけど、ハイこれ。資料」
「うえ…多いですね。もしかして、これ全部?」
「ええ。俊ならこれくらい平気でしょう?」
「まあ…出来ないこともありませんが…」
ざっと見ただけでもかなりある。これが全体の一部だと思うとゾッとする。超過勤務でしょう、これは。
「うーん…これはまた、すごいですね」
何がすごいって、この資料、絵里さんが纏めたとは思えないほど雑だ。重複した資料や、ページの間違いが目立つ。こんなもの、缶詰状態で読んでいれば流石にマズイ。何か重要なものを失ってしまいそうだ。
やはり凡ミスを連発するほど疲弊しきっているのだろう。
が、そんなことは私にとってどうでもいいことだ。無関係と言ってもいい。
当たり前でしょう?私は絢瀬絵里ではないし、音ノ木坂学院に特別な思い入れなど微塵もない。ここで絵里さんがぶっ倒れたら、廃校が決まって残念エンディングを迎える
誤字脱字等があれば教えてください。