異世界に召喚された当初、優斗には勇者という自覚は全くなかった。親はごく普通の2人であったし、妹も可愛らしいごく普通の妹だった。いや、反抗期の頃の妹を知らないだけかもしれないが少なくとも優斗の記憶にある妹は可愛らしいごく普通の妹であった。
自分に魔術の才能があるとは思っていなかったが、勇者としての自覚を持てたのはとある帝国の皇太子に出会ったからだ。
『私は、この世から差別をなくしたい。エルフも魔族もドワーフも獣人も、そして人も関係なく暮らせる国を作っていかねばならない。魔王とは、そんな話ができればと思っている』
歴代最強の皇帝候補と称され、周りだけではなく兄弟姉妹の期待さえも背負った友人は、まさに文武両道であった。皇帝の身ではなかったが、獣人やエルフの隠れ里へ辿り着く事を成し遂げ、皇帝になった暁には種族差別を撤廃すると宣言していた。
戦場に出れば誰よりも戦績をあげ、そして部下を信頼していた。彼の周りには、彼に認められた人物であり戦いだけではなく頭も切れるような人物が何人もおり、日々切磋琢磨しながら友情を育んでいた。
彼を憧れて、彼を目標に勇者として戦った。
種族なんて関係なく、そこに悲しむ人がいれば駆けつける気持ちで魔王と戦った。帝国とは対照的な王国で召喚された事を恨んだ事もあるが、自分を信頼してくれる人物とも出会えたからには文句を言うのは筋違いだろう。
だが、魔王もまた自身の正義のために戦っていた。それが滅びゆく運命と知っていても、全ての魔族の為に立ち上がったのが魔王だ。
周りには、立派な人物ばかりがいた。それに対して自分は……。
◇
「……朝か」
こちらの世界に戻ってきてから初めて異世界の夢を見た。異世界での出来事は、今では経験できない事だらけではあるが勇者としてではなく一人の男として良い経験になった気がする。
もしかすれば、あの魔王と再び話し合う日も近いかもしれない。
そんな事を思いながら、ベッドから起き上がる。
最近はバイト先でもようやく認められ始め、戦力の1人として働けている。その事実が、この世界に必要とされているようですごく嬉しかった。働く事の素晴らしさを改めて知った。
第一印象は怪しげな本屋であったが、働いてみるととてつもない本の揃い方をしており、言っては悪いが知名度のないマイナーな本であっても取り扱っているのがバイト先の本屋であった。店長が裏社会の人に見える時もあるが、そう滅多に関わるような社会でもない気がするので恐らく気のせいだろう。
同じバイトの
『ねえ、工藤くん。人って何の為に生きてるんだろうね?』
『自分の為じゃないですかね?』
『なにそれ、工藤くんは変わってるなぁ』
こんな会話をしたのも記憶に新しい。
年齢も何をやっているかもあまり知らないが、人と仲良くなる、もしくは人の事を知っていくというのは存外悪いものでもない。
「優斗か、おはよう」
そうこうしていたら父親が挨拶をしてくれた。
父親が仕事に行っている姿をあまり見ない気がするが、それでも立派な一軒家を維持し続けることができるのはきちんと収入があるからだろうか。
「父さんおはよう」
それを聞くと父親は新聞を読み始めてしまった。まあ、この歳にもなって親からの挨拶で一喜一憂するのも珍しいかもしれない。だが、5年という長い時間を待ち続けてくれた父親を無視できなかった。
まあ、父親は父親で親バカなのだが。
(優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた優斗が挨拶してくれた……今日もイケる!)
訂正、親バカを超えていた。
だが、5年前も親バカであったにも関わらず、5年間も息子に会えなかった父親がそう簡単に息子を手放そうなどとは思うはずがない。さらに言えば彼は妻が娘を連れて家を出て行った程なのだ。彼にとって優斗とは最後の依り代なのだ。
優斗はそんな事も知らず朝食を口にする。トーストの下地にバターを塗り、ベーコンエッグをのせて食べる。あえて半熟のベーコンエッグにする事により黄身を噛んだ瞬間に溢れ出る。この黄身がバターを染み込んだトーストとまた合うのだ。
そしてサラダへと手をつける。ドレッシングはあまりかけない事によって野菜そのものを味わう。レタスのシャキッという音を出しながら黄身のついたトーストを口にする。
そして毎回思うのだ。生きているのは素晴らしい。
◇
「いらっしゃっせー」
「こらこら工藤くん、また挨拶が崩れてるよ」
八木沼さんに注意されるが、もはやこれは癖になってしまったようなものなので直そうにもなかなか直らないのだ。
だが、常連客はそれをまた良しとしているため、そこまで問題は出てこない。
例外以外は。
「そうだ、優斗さんはもっとやる気を持って働かねばならぬ」
「なんで警察の山本さんがこんな本屋にいるんすかね」
ここ数週間で突如表れたお客さんだ。というより半ばストーカーだ。こいつおまわりさんです。
「山本さん今日も異常はないですか?」
「ええ、優斗さんがいるのでノープロブレムですね」
「またまたご冗談を」
「いえいえ、本官よりも立派に働いている優斗さんこそ素晴らしいのです」
内心、バイトをそんなに褒めるなと思っているが、それを表情に出さないのが勇者だ。いついかなる時でも無表情に事を済ます。魔王に辿り着くまでに慣れた習慣の一つだ。
戦闘中も相手が無表情だったらどう思うだろうか。自分の攻撃を通じていないのではないかと思うのが常人だ。いや、自身の武に自信がある者ほどこれには嵌りやすい。自慢の技が効かない相手に自信を喪失していくからだ。こちらからしたら願ったり叶ったりである。
とまあ、他にお客さんもあまりいないからのんびりしていた。実際、常連客しかいないこの店で店員が多少騒ごうが、叱るのは店長ぐらいしかいないだろう。その店長にしても、基本的に怒る姿は未だかつて見た事がない。厳しいという点においては何度も見た事もあるが、怒るというのは常人ならあり得ないと思う程ない。
「そういえば店長って怒らないですよね」
「ああ、店長はそういう人なの」
なんでも一度だけ堪忍袋の尾が切れた事があるらしいが、暴れまくって店が半壊し閉店間際まで落ち込んだらしい。というよりなんでそんな事を知っているのだろう。
「八木沼さんはその時もここにいたんすか?」
「店長とは昔馴染みだからね」
「僕と優斗さんみたいな関係ですね」
「山本さんは仕事しなくていいの?」
警察なのにこんなにも仕事をしないなんて、国民の税金をなんだと思っているんだろうか。それとも実は給料は税金ではなく個人の懐から出ていたりするのだろうか。そんな事を思いながら優斗は外を眺める。
スーツを着た男が殺気を放ちながらこちらへ歩いていた。山本さんを見るとかなり緊張した顔をして、こちらを見ていた。ドアが開く音が聞こえたと思ったら店長が売り場へと戻ってきていた。だが、その顔には緊張が感じられる。
スーツを着た男も緊張しながら来店してくる。来店したらお客様だ。
「いらっしゃせー」
「帰れ、『死の運び屋』」
お客様を向かい入れようとしたら店長に止められてしまった。その店長はまるで怨敵とでも出会ったかのような強張った顔をしていた。
「死の運び屋、最強の殺し屋、魔術界の異端、請け負ったら最後命はない。噂は聞いているがいつの間に日本に来たのだ。警察でも貴様の事は警戒していた筈だ」
「国家の犬に裏世界の裏切り者……俺はあくまで勇者に用があって店に来ただけだ。お前ら如きに労力を割くわけないだろ、それも俺が直々にな?」
山本さんはもの凄く悔しそうにしている。行動を起こしたいが実力差を理解して行動できない事に、自分に対しての怒りだ。店長に関しては無表情だ。何も感じさせない冷酷なものである。
「さて、工藤優斗。俺についてこい」
スーツを来た男がそう宣告する。優斗の命はないかもしれない、拒否権はないと誰もが感じた。だが、彼は勇者だ。魔族の戦争において、誰よりも戦場を駆けた男だ。常に主導権を握り、戦局を傾けさせた事さえあるような男に殺し屋が優位に立てるだろうか?
「仕事あるんで後でいいっすか?」
スーツを着た男以外は誰もが絶句していた、悪名高い最強の殺し屋の宣告をはね除ける優斗に対して。
殺し屋は笑う。否、笑わずにいられなかった。とある裏ルートから仕入れた戦闘時の映像に映っていた優斗と目の前にいる優斗があまりにも変わらなかったせいだ。
「そうだな、仕事は何よりも優先しなくてはいけないな。じゃあ、ここで仕事が終わるのを待たせてもらうからな」
そう言ってスーツを着た男は立ち読みを始める。
「んじゃ、俺は本の整理に行ってきます」
優斗は決闘がある事など知らないかのように仕事に専念する。嬉しそうに、楽しそうに。勇者は狂気に満ち溢れた者がなるものなのやもしれない。