「カズヤはすぐにあの人を手当てしてあげてください!ニーナは、やることがあります!今からニーナに、絶対に話しかけないでくださいね!」
「え、手当てって言われたって……やってみるよ。とにかく話しかけなければいいんだね!」
焦った様子のニーナは、少し離れた場所に向かってゆっくりと歩いていった。この緊急事態で何をやっているか気になるが、僕は自分の役割をしなければ。心の中で、緊急事態なんです、ごめんなさい、と謝り倒れ伏す女性の体を仰向けにした。着物を着ている時点である程度わかってはいたがやはり日本人で、美しい顔立ちが苦痛に歪んでいるのは、不謹慎であるが艶やかに見えた。何故か血の海に沈んでいるのに、着物は汚れていなかった。露出している肌の部分には血が付着していて、どこが出血元なのかがわからない。
「大丈夫ですか!聞こえていたら何らかの行動をお願いします!」
顔を軽く叩きながら呼び掛けてもなんのアクションもない。
「……失礼します。」
着ている着物の帯に手を伸ばし慎重にほどいた時、急に視界の一方が明るくなった。
それはニーナだった。森の隙間から差し込む光の元で、彼女は美しく舞っていた。神に祈りを捧げるかの様なその舞いに呼応してか、彼女の回りには沢山の光の球が浮かんでいる。
「……うぅ…」
「あっ!大丈夫ですか!!聞こえてますか!今から助けますからね、頑張ってください!」
見とれてしまっている間に介抱していた彼女が呻き声を上げた。覚悟を決めて着物をはだけさせ、見てはいけないものに気を付けつつ探るも、傷は見当たらなかった。
「じゃあこの血はいったい………」
近くには抜き身の日本刀と鞘が落ちているところを見ると、これで何かと争ったのだろうか。相手の血、ということはないだろう。血の海は彼女を中心としている。
「カズヤ!準備は済みました!処置は済みましたか!?」
額にうっすらと汗を浮かべたニーナがこちらへと走ってくる。
「それが、怪我がどこにも見当たらない。毒とかかもしれないけど、取り敢えずできることは無さそうだ。それで、さっきの舞とか、準備ってなに?」
「毒ではないでしょう、エルフの老人からも、このような症状は聞いたことありません。一応あとで薬草をとってきます!すぐに、血の臭いに誘われて肉食動物が来るはずです!早急に逃げます!そのための準備のようなものです!」
血がまだ暖かいことや鳥が飛び立った時間を考慮すればこの人が倒れてからそんなに時間は経っていない。確かに肉食動物が来る恐れがある。
「…っ!今、遠くで狼か何かの声がしました!もう行きましょう!その人、担ぎましょう。せーの、で持ち上げるので背負ってください!走れますか?」
女性とはいえ意識の無い大人を担ぐのは大変で、負担も大きいけれど、なんとか歩けた。ここで見捨てる、という選択肢は僕にもニーナにも無かった。
「幸いなことにこちらは恐らく風下側なので、多少の時間稼ぎにはなります。川の上流の洞窟、あそこを目指しましょう。川沿いに進んでください!ニーナは他に必要なものを集めてきます!」
マンゴスチンを入れたかごを背負って、ニーナは森の中へかけていった。
「安心してくださいね、必ず、助けますから。」
聞こえているかわからないがそう呟いて、僕は必死に川沿いを歩いた。
もう追っ手が辿り着くかもしれない、身に迫る恐怖に怯えながらもなんとか洞窟に辿り着くことができた。もう足はガクガクで、我ながらよく辿り着いたと思う。洞窟の中を覗きみてみると、意外と浅い洞窟であり、動物の気配は無いように思われた。中に入って彼女を降ろそうとしたときに、ニーナが息を切らしながら帰ってきた。かごや手には枝や葉をたくさん持っていたところをみると、どうやらかなり負担をかけてしまったようだ。
「無事、辿り着けましたね。この葉っぱを敷くので、そこに寝かせてあげてください。」
敷き詰めた葉っぱに寝かすと、急に雨が降り始めた。
「あれ、さっきまで快晴だったのに……」
「これで音も聞こえにくいですし、血の臭いもかぎ分けられる心配はしなくて良さそうですね。ふふ、雨乞い、上手くいって良かったです。」
「雨乞い………?この雨はニーナが降らせたのか?」
そういうとニーナは頬を赤く染めながら可憐に微笑んだ。
「はい、特技なんです。ニーナは伝統のある雨乞い一家の生まれで…そのことは後で話すので取り敢えずこの人、看病しましょう。」
「へぇ……雨乞いの……。看病はニーナに任せてもいいか?何分男だから、あんまり役に立てそうにないや。」
生肌を見て正気を保つことは難しそうであった。枝葉を集めて走っていたニーナに任せるのは悪いが、何か他のことをやれば問題ないだろう。
「じゃあカズヤは、火をつけてください!必要な枝とかは集めて来たんで!火打ち石もありますよ!」
「……任せてといて」
果たして火をつけるのにどのくらいかかるのだろうか……
やっとの思いで火をつけたら、もう辺りが暗くなり始めていて、スイッチ1つで火がつくのは素晴らしいことだと改めて認識させられた。途中休憩がてらベルホルトさんのスマホに電話をしたのだが、コール音がなるだけで応答がなかった。仕方がないので森で倒れた人を介抱するため、納品が送れる旨を送信しておいた。
ふと二人を見ると、二人とも穏やかな表情で眠っていた。ニーナは看病疲れで寝てしまったようで、葉も敷かずに地面に寝ていた。着物を着ている日本の人と比べ、ニーナの服装は薄いもので、いくら夏といえど寒い洞窟で寝るには心もとない。着ていたYシャツをかけてあげた。二人を眺めているうちに、なんともいえない気分になってしまった。今日という日のニーナの寝顔を忘れたくなくて、美人二人が無警戒に眠る様子を思わずスマホのカメラで撮ってしまった。非常識なことだが、後で二人に聞いてみてダメだと言われたら消せばいい。僕は最後の一人として自動的に見張り役になった訳だが………そういえばこうして一人で考える時間は、こちらに来てから初めてかもしれない。
「こっちの世界から早く帰らないと、受験やばいよなぁ…勉強道具も持ってきてないし…家族にも心配かけるからなぁ…」
なんとかして帰る手がかりを見つけるしか無さそうだ。そのためには、今のところ善行を積むのがベストだろうか。
「あ、スマホ…誰に貰ったのか聞くの忘れてた。またあったときに聞かなきゃな…」
ベルホルトさんにスマホを渡した人は、たぶん僕に近い所から来た人だ。何か情報を交換できるかもしれない。一緒に行動をすることも、可能かもしれない。
さっきまでのことが嘘のように、月が輝いていた。雨はすっかり止み、月を妨げる雨雲など存在しなかった。
今夜はここで過ごすことになりそうだ。動けない人を一人つれて、肉食動物が活発になる夜を歩けるとは思えなかった。町までさほど距離はないといえども、安全策をとるべきであろう。
「………雨乞いって、ベルホルトさんの言ってた力っぽいよなぁ。一族代々、雨乞いを極めている、みたいな。じゃなきゃ雨なんて降るわけがないし……」
火に枝を投げ入れてボーッと眺めていると、ニーナが目を擦りながら歩いてきた。
「起きててくださったんですね、それに洋服もかけてくださって。ほんと、ありがとうございます。ちょっと疲れが出ちゃったみたいで気がついたら寝てしまっていて……。あの人は大丈夫そうですよ。毒でも無さそうです。見張りはニーナがしますので、カズヤも寝てくださいね。」
彼女の優しさが素直に嬉しかった。彼女にお礼をいってから、僕は自分用に葉を敷いて横になった。時間が正しいのかはわからないが、スマホは0時を示していた。6時に目覚ましをかけて目をつぶると、ぱちぱちと火の音が響くばかりで、意識はすぐに落ちていった。