the Garden of demons   作:ユート・リアクト

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悪魔の境界  番外編①

 

 

「ああ、もうっ! 不幸だわ! 何でこんなことになっちゃったのかしらーっ!?」

 ダッシュに適さぬスカートだというのに大股で走りながら、私こと蒼崎橙子の元気な悲鳴が治安の悪い路地裏に響き渡った。我ながら健康的だと思う。

 頭上を擦過する鉄拳、飛来する長剣の刃をルーンで強化した脚力で逃れながら、私は考える。どうして。一体何があって。この私のような、いたいけなレディが半ばスラム化した深夜の裏通りを駆けずり回る羽目になっているというのかしらん。

 事の発端は、ひとつの依頼だった。

『英霊を受肉させる人形を作ってはくれないか?』

 ハイマスターである私の元に舞い込んできたそんな依頼が、この災難のきっかけであった。

 依頼主の名は、ユニテリウス・ウロボロス。

 複合企業(コングロマリット)、ウロボロス社の創設者にして、それを中心とした一大企業グループの前総裁。

 現在はその座を息子のアリウスに譲り、先立った妻を弔いながら静かに余生を送っている――表向きには、そういったプロフィールになっている。その実態は、私と同じく封印指定を受けた希少な魔術師だ。

 ユニテリウスは降霊術と召喚術とに通ずるエキスパートであり、限定的ながらも空間に歪みを引き起こした結果、『繋がってはならない場所』へのアクセスに成功したらしい。

 次元の狭間、神代の幻想種が移り住んだ『世界の裏側』とも違う座標から呼び出したのは、とある生き物――本来ならばこの世にいてはならぬ、しかし時折この世界に迷い込む異形。

 人はそれを悪魔と呼ぶ。

 悪魔の住まう世界と人間界とを隔てる次元の壁は、言うなれば大雑把な網のようなものであり、低級の魔物であればその網の目をくぐり抜ける形でこちら側に呼び寄せることが可能だった。

 しかし、そういった悪魔は力が弱すぎて、こちらの世界では肉体の維持もできない脆弱な存在だ。

 ユニテリウスが欲したのは、依り代に憑依することでしか地上に出現できない雑魚ではなく、もっと強大で自らの血肉を備えた、それこそ爵位を持つほどの大悪魔である。

 だが、それほどの上位存在が、魔術師とはいえ人間に使役できるはずもない。基本的に人間が制御できる相手ではないのだ。悪魔という存在は。

 だがそれも……ある〝戦争〟に通ずるシステムを応用すれば、あるいは可能なのではないか。稀代の召喚術師、ユニテリウス・ウロボロスはそう考えたらしい。

 人間以上の存在、世界最高峰の神秘である英霊を用いた大儀礼――『聖杯戦争』というゲームにおいて、その参加者たちは三つの聖痕を行使し、自分よりも強大な使い魔を使役したという。ユニテリウスはそこに目をつけた。

 むろん、この聖杯戦争のシステムを模倣しないことには『令呪』による主従関係は確立しない。であれば、その召喚のプロセスを踏んで呼び出されるのは、悪魔でなく英霊でしかあり得ない。

 ヒトの身に余る偉業を成し、その業績を讃えられて『英霊の座』に召し上げられた彼らの中には、もちろん〝人ならざる存在〟と交わって誕生した出自の者も存在する。ギリシャやアイルランドの大英雄がその好例だ。

 しかし、あくまでユニテリウスが望んだのは、神霊ではなく蛇蠍魔蠍の類である。彼の研究対象である悪魔の因子をその身に宿した英霊――そんな特異な存在など、私は一人しか知り得ない。

 魔剣士スパーダ。

 二千年前、悪魔でありながら同族を裏切って人間のために戦い、ついには勝利を収めた孤高の英雄。

 これはさすがに英霊の格にすら収まらぬだけに有り得ないが、その眷属であれば英霊として『世界』に登録されている可能性は高かった。魔剣士スパーダは大戦後、人間界に移り住んで人々の平和を見守ったという。であれば、彼が何らかの形で子孫を残していてもおかしくはない。そして、彼の実子が今もなお〝現代に生きている〟ことは、この世界の闇の領域では有名な事実だった。

 悪魔の研究に腐心するユニテリウスは、もちろん魔剣士スパーダにまつわる触媒も所持していた。その縁(えにし)を元に、かの伝説の魔剣士の眷属を『英霊の座』……抑止の力の御座より呼び寄せ、こちら側の世界に繫ぎ止める。

 だがしかし、その力の一部を招来して借り受ける程度のことならともかく、英霊などという神にも等しい霊格の存在を、まるごと召喚して現世に固定するなど、それこそ聖杯戦争でさえ不可能な話だった。だからこそ聖杯戦争では、あらかじめ英霊が憑依しやすい〝役割〟を用意し、かりそめの物質化を手助けしたという。かの魔剣士の眷属の降霊にも、そういった憑依に適した器、魂を注ぎ込むための受け皿が必要不可欠だった。

 もちろん、スパーダと同じ遺伝子を持つ者の肉体であれば、魔剣士ゆかりの英霊を降ろす依り代としては最適である。しかし、そもそもユニテリウスの目的は伝説の魔剣士の眷属を呼び寄せることであった。それを達成させる為にスパーダの血族を見つけ出さねばならぬというのであれば本末転倒も甚だしい。

 今もなお現代に生きるスパーダの実子を捕らえる、という手もあるが、それは不可能に近いと言わざるを得ない。直接お目にかかったことはないが、彼の実力は想像を超えて手に余るという噂だ。事実、彼の住まう地域には『魔術協会』と『聖堂教会』の二大組織でさえ無闇に干渉せず、不可侵を保っている。神秘とその秘匿を巡る闘争で騒ぎを起こした結果、彼に睨まれて大怪我を負ったという連中は数知れないからだ。聖杯のバックアップもなしに、かの大儀礼の英霊召喚システムを模倣するなどという、なんとも回りくどい方法にユニテリウスが奔走する羽目になった最たる理由が、そこにあった。

 だからこそ――そこで私の出番、というわけだ。

 ないのなら作ればいい。なるほど実に魔術師らしい発想である。

 英霊の降霊にも耐え得る人形(ヒトガタ)の作成。先にも述べた通り、それが私の受けた依頼の内容だった。

 封印指定を受けて姿をくらます前は、複合企業のトップだけあってユニテリウスの提示した報酬は破格だったし、人形作成にかかる費用も全てあちら持ち。しかも、超常存在である英霊を降ろす以上、今までの作品を大きく上回る性能の人形を作ることになる、そのことに対する興味と熱意。私が依頼を受けぬ道理はなかった。基本的に、お金よりも興が乗るかどうかを大事にする性分なのだ、私は。

 伝説に曰く、人間の姿を擬したスパーダは、銀色の髪を持っていたという。その話を参考にして作り上げた人形は、すこーしだけルックスに私の好みが反映されている以外、英霊を宿す器として相応しい風格と強度を備えた出来だった。そして、それをいざ納品し、つつがなく依頼が完了した直後――事件は起きたのである。

 ユニテリウスが隠れ蓑としていた、放棄された教会の地下墓地(カタコンベ)。そこに襲撃が入ったのだ。封印指定を受けた魔術師を追跡する『魔術協会』の執行者だけでなく、そういった異端を審問の名の下に抹殺する『聖堂教会』の代行者の襲撃までもが、だ。

 さしものユニテリウスも、二大組織の狩人に同時に狙われたとあっては、ひとたまりもない。英霊を呼び出して対抗する間もなく彼は始末され、その魔術工房は火の海となり、私の作ったイケメン人形も炎の彼方に消えたのだった。

 そこまでの話なら、まだ良かった。問題は、ユニテリウスと連絡を取っていた痕跡を辿り、芋づる式に私の居所までもが発見されてしまったという点だ。我ながら、とんだドジを踏んだと思う。魔術師という人種は世間一般のテクノロジーを忌避する傾向にあるが、私とユニテリウスはその性質とは裏腹に、電子機器による連絡を取り、追跡者の目を欺いてきた。『協会』の執行者も科学技術を軽視する手合い、まさかインターネットによるやり取りを追えるはずもない。

 その認識に間違いはないのだが、それが油断であったことも否定できない事実だった。世界規模の情報収集能力を持つ『教会』の追跡術(トラッキング)を侮っていた私は、まんまと居所を割り出され、こうして危機に瀕している。

 しかも始末の悪いことに、代行者のトラッキングの成果を目ざとく見咎めていた執行者までもが、その成果に便乗する格好で私を追い立てている。ユニテリウスが陥った状況と同じ構図だ。彼の二の舞にだけはなるものかと、必死に抵抗し逃げまわる私ではあるが、やはり状況は芳しくない。

 二大組織の狩人に同時に狙われるというだけでも絶望的なのに、より致命的なのが代行者と執行者とが〝協力して〟私を追跡している、という点だ。

 本来、聖堂教会と魔術協会は協力しあう仲ではない。不可侵協定の裏で今もなお殺し合っている連中だ。だから標的が同じともなれば、それこそ私のこともそっちのけで衝突しそうなものだっていうのに……

「二大組織の狩人が手を取り合うなんて、私と青子が仲良くするくらいあり得ないことじゃないの……って、どひゃああっ!?」

 とっさに身を低くした私の頭上を擦過する足先が、街灯のポールを直撃し、へし折る。私と同じ、ルーンの魔術で強化された脚力。逃げ遅れた髪の毛が数本、宙をたゆたう様を見て、直撃した場合は首のねん挫では済みそうにないことを直感した。どこかにヘッドギアでも落ちてないかしらん。

 ハイキックの主である魔術協会の執行者は、その手足を凶器とばかりに振りかざし、少しずつ、しかし確実に間合いを詰め、プレッシャーをかけてくる。対戦相手をロープ際に追いつめるボクサーの手際だった。総勢で三十人ほどしかいない対魔戦闘に特化した執行者の中でも、とりわけ格闘術に秀でたファイターのようね、この〝女〟は……

 戦慄とともに地面を転がる私の回避先を予期していたようなタイミングで、追撃が入った。

 今度のそれは、やけに細身の長剣だった。刃渡り一メートル余りの薄刃はフェンシングフォイルを連想させるが、刀剣にしては柄が極端に短い。『黒鍵』と呼ばれる、聖堂教会の代行者が使う特徴的な投擲武器である。私の右足を掠め、ふくらはぎを傷つけた刃がそれだった。

 聖堂教会においては代行者の基本装備のひとつに数えられている黒鍵だが、その取り扱いは難しく、実戦において使いこなせるのは、ごく一握りの達人のみであるという。そういう希有な一人に、どうやら私は行き会ってしまったようだ。まったくもって運が悪い。

「くぅっ!」

 痛みを噛み殺して立ち上がった私を、執行者の回し蹴りが襲う。魔術的な加工を施したコートを着ていなければ、ガードした私の両腕を粉々に粉砕していたであろう威力。

 その衝撃に、あえて抗うことなく私は吹っ飛ばされた。大きく距離を取って体勢を立て直すためだ。

 しかし、そんな私の考えすらも先読みしていたかのように飛来する、黒鍵の刃。

 その間断のなさは私を封殺し、次の動作に移らせるタイミングを奪う。獅子狩りの鉄則だ。私は反撃の暇さえ与えられず、そうしてまた執行者の猛攻が迫り、やっとの思いで回避したところへやはり黒鍵の牽制が差し込まれる。

 真綿で首を絞めるように、じわじわと私を追いつめるコンビネーション。

 反目しあう二大組織の回し者が、まるで申し合わせたかのように息の合った連係を披露する光景。これのどこが犬猿の仲なのだと私は不条理を訴えたくなった。

 たとえ標的が共通でも、決して相容れぬ間柄だからこそ行動にも不和が生じるはず。

 その隙こそが私の活路になると踏んでいたのだが、そんな目論見は儚い期待に終わってしまったようだ。

 もはや打つ手はなかった。戦力となる使い魔は妹とのいざこざで切らしているし、私自身も直接的な戦闘に向いている魔術師じゃない。第一級の殺戮者、人間兵器としての修練を潜り抜けてきた二大組織の狩人を相手取るなど土台、無理な話でしかなかった。

 となれば、あとは助っ人に頼るより外はない。

 むろん、私に『協力者』などという贅沢の持ち合わせはない。だが、アテならあった。

 そもそもの事の発端となった魔剣士スパーダ。

 その実子の住まう古びた事務所が、ここから程近い場所にあるのだ。

 ユニテリウスが魔術工房に定めた位置は、なんと実は魔剣士の息子が居住する区域であった。

 彼に見咎められぬようにだけ配慮すれば、なるほどユニテリウスのように封印指定を受けた魔術師にとって、ここより安全な場所など早々ない。彼の住まう地域には魔術協会と聖堂教会の二大組織でさえ無闇に干渉せず、不可侵を保っているからだ。

 此度の追手は彼のテリトリーに堂々と踏み入ることも厭わぬ手合いだが、ならば過去の事例を鑑みても、なおのこと魔剣士の息子の協力を得られる可能性は高い。そして、彼は父と同じく悪魔を狩ることを生業としている傍ら、裏稼業の便利屋として名を馳せているともいう。依頼という形で彼を味方につければ、これほど絶望的な状況でも逆転の望みは大いにあった。幸いにして、彼を雇うお金ならユニテリウスから支払われた報酬がある。やはり先立つものはマネー、マネーなのよ。それが世の真理であると私は実感した。我ながら、いい大人に育ったと思う。

 肉弾凶器と黒鍵の脅威に翻弄されながら、そんなふうに打算する私の視界に、とある看板が見えた。

 薄汚い路地を抜けた突き当たりに、『Devil May Cry』と描かれたネオンサインが、かすかな音を立てながら瞬きつづけている。間違いない。文字通り、あそこが〝悪魔も泣き出す〟という危険地帯だ。

「急げ、ダッシュだ私……!」

 ここぞとばかりに取っておいた早駆けのルーンを発動し、私は疾走する。

 その私の後を間一髪で掠めながら、雨のように降り注ぐ黒鍵の刃。

 手投げ武器でありながらアスファルトの地面を易々と貫く音を背後に聞きながら、私は目前に迫った事務所の扉に体当たりする勢いで手をかけ、

「ゴォー!」

 入り口手前にあるステップに足を引っかけ、つまずいた。

「……ル? きゃあああっ!」

 まさかのドジっ子スキルを発動した私は、そのまま頭から転がり込むような格好で事務所の中へと入っていた。

「いたたた……」

 顔面を打ちつけた私は、起き上がるよりもまず先に、ずれた眼鏡をかけ直す。レンズに傷が入った様子はない。貴重な魔眼殺しが無傷に済んだのは、ちょっとした幸運だった。

 薄暗い店内の片隅から、ひび割れた音のハード・ロックが流れている。

 床に倒れ伏す私の頭上から、ひどくクールな声が聞こえてきたのは、そのときだった。

「慌てた客だな……トイレなら向こうだぜ?」

 

 

 

 

 骨董品のジュークボックスから、年代物のハード・ロックが流れている。

 埃っぽい室内を飾る品々は、猛獣のトロフィーだったり、ビリヤード台だったり、髑髏のオブジェが付いた大剣だったりと、まるで統一感に欠けていた。

「いいねぇ、最高だ。夜中に美女か」

 そして、その中心で黒檀の机に足を投げ出し、スライス・レモンの付いたジン・トニックのグラスを傾けている、銀髪の男。

 三十代前半に見える、ハンサムな男だった。派手なこと極まりない真紅色のコートを違和感なく着こなし、愉快だとでも言いたげに私を見下ろしている。

「……どんな仕事でも請け負う便利屋というのは、あなたね?」

「ああ。やばい仕事は大歓迎だ、わかるだろ?」

 赤の男は首肯し、おもむろに立ち上がると、ゆったりとした足取りで私の元に近づいてきた。

 なにかを期待するような眼差しで先を促す彼に、私は懇願する。

「お願い、助けて。追われてるの! お金ならいくらでも払――」

 私の台詞をさえぎる風切り音が頭上を通過した時にはもう、赤の男の全身に、無数の黒鍵が突き刺さっていた。

 ビクン、と赤の男の身体が硬直する。全身から夥しい量の血を流し、そのまま背中から崩れ落ちた。

 そこに倒れることを拒否しようとする意思は全く感じられない。まさに糸が切れた人形のように彼は力尽きたのだ。

 無数の黒鍵は全身に突き刺さり、うち一本は確実に心臓を貫いている。誰がどう見ても、明らかな致命傷。私が頼みの綱としていた男は、こうして呆気ない死を迎えたのだった。

「あ、あ……」

 最後の希望が一瞬のうちに奪われて言葉もない私は、事務所の入り口に二人分の足音が聞こえたので背後を振り向いた。

 魔術協会の執行者と、たったいま赤の男を殺害せしめた聖堂教会の代行者が、そこにいる。

「観念しなさい、アオザキの魔術師」

「戦闘には向かない魔術師にしては上手く立ち回ったが、ここまでだ」

 男装の麗人と神父服の大男という、なんともアンバランスな二人組を、私は決死の思いで睨みつけた。

「……バゼット・フラガ・マクレミッツ」

 一人は、まだ若い女であった。フォーマルなスーツを着込んだ身体は戦闘的に鍛えられているが、胸や腰の辺りは女らしい曲線を描いている。アイライナーどころか口紅すらも使わない艶とは無縁の、まだ少女期を抜け切らない年頃の女が、封印指定執行者という人型の修羅などと、どうして思えよう。こと戦闘において右に出る者はいないと称される、ルーンの大家であるフラガの麒麟児が彼女だった。

「……言峰綺礼」

 もう一人は、名状しがたい威圧感を漂わせる、影そのものが厚みを得て立ち上がったかのような長身の男。漆黒の僧衣に身を包み、魂と繋がっていないような目をした代行者は、教会側の人間でありながら聖杯戦争に参加したという、異色の経歴の持ち主だ。そんな男と、どうして魔術協会の猟犬とが手を組む?

「抵抗しなければ手荒な真似はしません。先のユニテリウスは言峰に譲りましたが、その代わりに貴女は私が回収するという約束ですので」

 それが敵対する組織の回し者同士が手を組むうえで交わした条件なのだろうが、そんな事情など今さらどうでもいい。

 進退窮まった私は、せめて一矢報いようと火(アンサズ)のルーンに魔力を通し……抜き撃ちで投擲された黒鍵の剣先に、右手の甲を貫かれていた。

「いぐぅっ!?」

「言峰!」

 右手を床に縫いつけられた私を見て、マクレミッツは声を荒げる。

「殺しはせん。そういう約束だし、殺しては〝次の彼女が起動してしまう〟からな」

 だが抵抗されては手間なのでな、と抑揚のない声で言って、黒い聖職者は再度黒鍵を投げ放ち、今度は私の左手を磔にしていた。激痛が襲う。

「ああああああっ!」

「そう騒がしい声を立てるな。死人を起こしてしまうぞ」

「もう起きてる」

 言峰の無感情な軽口に、あり得ない返事があった。

 私は痛みも忘れて声のした方向を振り向く。さも当たり前のように立ち上がった死人が、その右腕を一閃する。室内の壁に飾られていた髑髏の大剣が、いつの間にか死人の手に握られていた。

 異変に気づいた言峰が、大剣による一振りから逃れるようにバックステップし、マクレミッツの横に並ぶ。だがやはり、その顔には驚愕の念がありありと浮かんでいた。さしもの歴戦の代行者でも、このような事態は初めてらしい。隣のマクレミッツも似たような表情だった。

「結構なトラブルに巻き込まれてるようだな、レディ?」

 何事もなかったかのように振る舞う赤の男が私の両手に突き立つ黒鍵を握ると、それだけで細身の刀身は跡形もなく霧散した。赤の男が帯びる魔力が、半霊体である刀身を打ち消した結果だ。単純に引き抜くなんて真似はせず、まるで痛みを伴わぬ方法で私を磔の状態から逃してくれた赤の男は、いたずらっぽく笑って言葉を続けた。

「悪いが、俺にできるのはここまでだ。応急処置は自分でやってくれ」

 止血は専門外なんでね、と言って今度は自分に突き刺さる黒鍵の除去に取りかかる赤の男は、私のときとは打って変わり、無造作な手つきで次々と黒鍵を引き抜いていく。そのたびに鮮血がほとばしるが、彼は靴裏のガムほどにも気にしていない。肉を裂く濡れた音が、しばらく続いた。

 やがて全ての黒鍵を抜き終えると、赤の男は凄みのある目つきで言峰を睨みつけた。

「随分なご挨拶だな。おかげで俺のコートが台無しになっちまった」

 不機嫌な声で、これ見よがしに切り裂かれた真紅色のコートを指し示す。

 自分の全身が串刺しにされたことよりも。

「……噂には聞いていたが、まさか本当に串刺しにされた程度では死なぬとはな。さすがは伝説の魔剣士の息子といったところかな。最強のデビルハンター……ミスター・ダンテ?」

「ガキの頃から俺の身体には悪魔がいた……」

 言峰に『ダンテ』と呼ばれた男の周囲の空間が、歪んで見える。大気が澱むような濃密な魔力。形のない魔力に色など付くはずもないが、私にはそれが炎のように真っ赤に見えた。

 それだけではない。

 ダンテの足元から伸び、薄暗い室内の壁に映りこむ黒い影。薄暗いとはいえ照明の下にいるのだから、あって当然のものだ。ただ一つ、その影が人間の形をしていないという事を除いては。絵本に出てくる悪魔の挿絵みたいなカタチを背にした男は、業火のような魔力に指向性を持たせて言峰とマクレミッツにぶつけていた。

「よければ紹介してやってもいいぜ?」

 二大組織の狩人が、とてつもない威圧感にたじろぐ。

 それを尻目に、ダンテが私を見やる。

「見たところ、あんたも魔術師のようだな?」

 値踏みするような視線。

 私の両手は、ルーンの治癒によって早くも回復の兆しを見せていた。

「……もしかして、魔術師の依頼はお断りなのかしら?」

「いつもならそうなんだが、美人となると話は別だな」

 試すような私の物言いに、おどけた笑顔でダンテは応じた。

 笑うと幼いのね、と私は思った。

「あんたには危険が付きまとってる。そして俺は美女が大好きで、危険なことにも目がないんだ」

 だから報酬もなしに私を助ける、とダンテはいう。

 正直、彼の正気を疑った。第一級の殺戮者、人間兵器としての修練を潜り抜けてきた執行者と代行者とを同時に相手にするというのに、そんな理由で見ず知らずの女を助けようというのだ。

 イカレているかどうかではなく、どれくらいイカレているか測るような目を向ける私に、ますます気分を良くした様子のダンテは、不敵な微笑みを浮かべて言峰とマクレミッツに向き直った。臨戦態勢の二人とは対照的に、まるで緊張した様子がない。むしろ、楽しんでる。

「This party is getting crazy(イカレたパーティの始まりか)……」

 髑髏の大剣を背負い、両手の自由を得たダンテは、懐から何かを取り出す。

 現れたのは、白銀の威容と漆黒の外観。純正パーツなどスプリングひとつ使っていない見た目の、コルト・ガバメントをベースにしたと思しき大型二丁拳銃であった。

 ダンテの両手が華麗な舞を見せ、二丁の銃が優雅に、優美に宙を踊り狂う。

 回転は激しさを増し、銃身それ自体が生を得たかのような場違いなパフォーマンスに、私は不覚にも目を奪われていた。やがて壮絶な銃の舞は、ダンテが両手を胸の前で交差させることでエンディングを迎える。

 今から撮影に臨むトップモデルのように、一分の隙もない、完璧に決まったポーズ。

 次の瞬間にはもう、最強のデビルハンターは二大組織の狩人に向けて銃をぶっ放していた。

「Let's Rock(派手にいくぜ)ッ!」

 

 




 今年初の投稿でございます、ユート・リアクトです。
 さてさて、ついに来ました、ダンテと橙子の出会いを描いた番外編! 長くなりそうだったので二部構成に分けております。後半は、ごりごりのバトルパート。まあ程よくお楽しみに。
 ユニテリウス・ウロボロスの設定については、賽子 青さんの代表作『黒き騎士王 -Alternative Edge-』の〝伝説の魔剣士編〟から引用しております。原作のデビルメイクライには登場しないキャラクターですので、どうか混乱なさらないように。
 感想や苦情は随時、受け付けております。
 でわでわ。

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