絶望の果てに
「リリア!」
死を前にしてザックが最後に想ったのは、やはり可愛がっていた妹のことだった。
***
「おはよう、母さん」
「おはよう、ザック。朝食は出来ているわよ」
「うん。リリアはまだ寝ているの?」
「ふふ、気持ちよさそうに寝ているわよ」
「そっか、じゃあリリアの寝顔を見てからご飯を食べるよ」
「まったく、ザックは本当にリリアの事ばかりね」
リリアの名を口にする度にデレッとした顔になる息子に、母親はつい苦笑をしてしまう。
自分達の子供とは思えない程に頭のいい息子だったが、幼い妹には凄まじく甘く、完璧な息子の唯一の欠点といえるものだった。
「それは仕方ないよ。だって、僕のリリアはもの凄く可愛いんだからね。一番に考えるのは当然のことだよ」
ザックは当然とばかりに胸を張って毅然と言い放つ。
その姿は我が子ながらに凛々しく、村の女の子達が騒ぐのも無理はないと母親は思った。――もちろん、言っている内容に目を瞑ればの話だが。
「じゃあ、リリアの天使の寝顔が僕を待っているから見てくるね」
「見たら朝食を食べるのよ」
デレデレとした顔になり、スキップするような足取りで妹の寝室へと向かう息子の後ろ姿に声をかけながら彼女は思う。
“あの子達は絶対に二人っきりにしないようにしよう”
母親として……いや、女としての危機感を息子に感じてしまった彼女は、両手を握りしめながら、フンッとばかりに静かな気合いを入れて決意をする。
そんな毎朝恒例の幸せな光景を見ながら、父親は静かにお茶を飲んでいた。
*
王国の村で生まれたザックには秘密があった。両親からは神童と思われている彼は、前世の記憶を持っていたのだ。
ただ、前世の記憶といっても今と違う人間の記憶ではなかった。前世でもザックはザックだった。
今と同じ両親に愛する妹がいた。いってみれば同じ人生をやり直している状態だった。
前世では、ただの貧乏な農民だったザックは、何ものにも代えがたい愛する妹を奪われた。そして、成り上がろうと剣を手にとったが、理不尽な化け物に無残にも命を奪われた。
生まれ変わったザックは、幼い頃にそんな前世の記憶を取り戻した。そして、その事を神に激しく感謝した。
何しろ記憶を取り戻した彼の前には、母親が膨らんだ腹をして座っていたからだ。
“あそこに愛する妹がいる”
絶望と共に終わったはずの人生が再びやり直せる。きっと神が不幸な人生を送った自分達を哀れんで奇跡を起こしてくれたのだ。
ザックは純粋にそう考えると、愛する妹がいる母親の腹に頬擦りをし、涙を流しながら神に感謝の祈りを捧げた。――直後に気持ち悪がった母親にぶん殴られた。
記憶を取り戻したザックは、今度こそ幸せな人生を送るために動き出す。
前世では貧乏だったせいで妹を奪われた。だが、前世の記憶を取り戻したザックは頭の悪い農民ではない。世の中の裏側を知っている頭のいい農民にレベルアップしていた。
領主に作った作物を奪われる?
それがどうした。
何を馬鹿正直に作った作物を全部教える必要があるのだ。今になってザックが思い返してみれば、前世でも余裕を持っている他の家があった。
自分は腹を空かしてフラフラしているのに、そこの家の子供は血色の良い顔をしていた。当時は分からなかったが今なら分かる。
領主に奪われる作物は作った全体の量から決められる。ザックの両親は馬鹿正直に全てを教えていた。だが、頭のいい奴らは一部を隠し持っていたのだ。
もちろんバレたら首が飛ぶだろう。だが、バレる危険はなかった。何しろ農民は馬鹿ばっかりだから、そんな誤魔化しをする知恵はないと役人は思い込んでいるからだ。
役人が行う作物量の把握の仕方は、各農民の自己申告のみ。現物の確認すらしなかった。
申告された量から納める量を計算して、納める量だけを役人の荷馬車に積み込ませるだけだ。
“前世の俺は途轍もない馬鹿だった”
ザックは両親に知恵を授けた。
*
ザックは村でも信仰心が厚いことで有名な少年だった。彼は村にある教会には毎日欠かさず礼拝していた。
教会の年老いた神官も信仰心の厚いザックには好意を抱いていた。身の回りの世話もしてくれるザックに彼は信仰系魔法を教えた。
本来なら多額の寄付を貰わずに魔法を教えることは、教会上層部から固く禁じられていたが、辺鄙な農村に左遷された老神父にとってはどうでもいい決まりでしかなかった。
それよりも自分のことを尊敬しているザックの方が大事だった。
ザックの厚い信仰心は、老神父が教える信仰系魔法を瞬く間にザックのものとさせた。
魂の底から神を信じるザックにとって、信仰系魔法は相性が良かったのだ。
ザックが老神父が使える全ての信仰系魔法を身につけた日に、老神父は村の神父の座をザックに譲った。
当然ながら、普通ならそのような勝手な真似は許されるわけがないが、老神父は左遷はさせられたが、歳を食っている分だけ教会内にも顔が効いた。自分と交代でザックを辺鄙な村の神父にさせる程度の無理は通すことが出来た。もちろん、ザックが信仰系魔法を使えたことも大きな要因である。
高位の治癒呪文も使いこなす彼は、村人でも払える金額で治癒を行なった。
もちろん、教会上層部には内緒でという建前でだ。何しろ上層部が示す金額でしか治癒をしなかったら、こんな辺鄙な村では客…ではなく患者など来るわけがなかった。
上層部も何とく把握はしていたが、辺鄙な村でのことだからと大目にみていた。逆に厳しく指導をしてしまうと、客からの治療費…ではなく信者からのお布施がないからと支援金を要求される危険がある。そんな勿体無い危険を犯してまでザックに指導をする気など上層部にあるはずが無かった。
ザックが村人から聖者のように崇められるようになるのに時間はそうかからなかった。
「お兄ちゃんは聖者様なの?」
「違うよ。お兄ちゃんはリリアだけのお兄ちゃんだよ」
「えへへー、わたしだけのお兄ちゃんだー!」
無邪気に抱きついてくる妹をデレデレとしながら抱きしめ返すザック。
他人にお兄ちゃんを取られないと安心する妹。
抱きしめ合う子供達に危機感を高める母親。
子供達を真似て、妻を抱きしめようかと迷う父親。
*
年に一度だけ、ザックは王都に出向く。教会の収支報告の為だ。
収支報告とはいっても、本部に上納金を収めることが出来るほどの収入がない農村部の教会のため、おざなりのチェックを受けるだけだ。
上層部としても、一年に一度だけでも王都に来させて羽を伸ばさせることで、農村部に派遣されている神父達の鬱憤晴らしをさせようという意味合いが強かった。
神父達が田舎暮らしにブチ切れて、冒険者にでもなられては上層部としても困るからだ。
ザックはというと、両親と妹を連れて王都に来ていた。本当は妹と二人だけで来たいのだが、母親が許してはくれなかった。
完全なお上りさんといった様子で観光をしていても、神父服のザックがいるため絡んで来る奴らはいなかった。
一度だけ物騒な雰囲気を放つ女にぶつかってしまったが、咄嗟に謝ると興味無さげに無言で立ち去ってくれた。
ザックは前世の経験で、教会に喧嘩を売る真似を裏の人間がしないことを知っていたため、多少は窮屈でも神父服を脱ぐことはなかった。
「これも美味しいぞ。食べるかい、リリア?」
「うん、食べるー!」
デレデレとしながら愛する妹にアーンさせながら食べさせるザック。
モグモグと幸せそうに食べる妹。
それを見て、夫にアーンをせがんでみる旅行中で浮かれている母親。
いきなり窮地に立たされて脂汗を流す父親。
ザック達にとって、王都観光は楽しかった。
*
ザックには日課がある。毎日必ず妹にこう尋ねるのだ。
「リリアは大きくなったら何になるんだい?」
「お兄ちゃんのお嫁さん!」
愛する妹が満面の笑みと共に口にする愛の溢れた言葉に、ザックの顔が気持ち悪く崩れる。
デレデレとしながらザックは、妹の口の中に村では貴重な甘い飴を入れてあげる。
気持ち悪いデレ顔で妹に頬擦りをするザック。
ニコニコ顔で甘い飴を舐める妹。
息子を警戒する母親。
幸せそうに家族を見守る父親。
今日もザックは幸せだった。
ザックが幸せになるお話でした。
めでたし、めでたしだね♪