ガゼフの弟子のラキュースが冒険者になった。そしてその日の内に彼女はガゼフの家に転がり込んだ。
「冒険者になるのは構わんが、俺の家を拠点にする意味が分からんのだが?」
「私は家出をしたのですよ。師匠が可愛い弟子の面倒をみるのは当然ですよね」
「うーむ、可愛い? 可愛いのか? 少々疑問だが、まぁ、確かに弟子は弟子だな。家出をしたのなら一応は若い娘でもあるからな、無責任に放り出すわけにもいくまい。しばらくの間なら面倒をみてやるぞ」
「はい、不束者ですが末長くお世話になりますね」
「ふむ、挨拶はそれで合っているのか?」
「さあ? お母様が師匠の所に行くって言ったら庶民の場合の挨拶はこうですよって教えてくれたんです」
「そうか、それなら合っているのか? 俺はあまり礼儀作法には通じていないからな、正直よく分からん」
「はい、そうですよね」
「……こういう場合は嘘でも否定をするもんじゃないのか?」
「はい、確か『親しき仲でも礼儀あり』――どんなに通じ合っている者同士でも相手の事を思いやる初心は忘れるな。それが添い遂げる為の心構えである。東方の諺ですね」
「ん? そんな意味の諺だったか?」
「はい、お母様に師匠のところ行くって言ったら長続きする為のコツって事で教えてくれたんです」
「そうか、それなら合っているのか? 俺はどうも学に乏しくてな、正直よく分からんがな」
「はい、師匠の弟子なのでよく知っています」
「……だからこういう場合は嘘でも否定するもんじゃないのか? さっきお前も言っただろうが、親しき仲でも礼儀あり、とな」
「だから『学が乏しいじゃなくて学が無い』じゃないかなって、思ったけど言わなかったんですよ。えへへ、偉いでしょ! 褒めてもいいんですよ!」
「……どうやら師匠を揶揄っているようだな。今一度、師匠の偉大さを思い知らせてやろう」
「きゃあきゃあ、師匠に襲われるー、誰か助けてー」
「ぬおっ!? こんな夜更けに人聞きの悪いことを口走るな!」
「むぐむぐー」
ガゼフはラキュースの軽口を塞ぐため、慌ててその口を押さえた。そしてその勢いでラキュースをソファに押し倒してしまう。
「あ……すまん」
「ん……」
咄嗟に謝るガゼフだったが、ラキュースは何故か黙りこんだ。その瞳が潤んでいるように見えるのは錯覚だろうか。
「それでガゼフとラキュースは、どうして私の目の前でラブコメっているのかしら?」
一部始終を見学していた王女が据わった目でラキュースを睨む。
ラキュースはその言葉に慌てる事もなくゆっくりと見せつけるかのようにガゼフから離れる。離れる瞬間にガゼフの頬を優しく撫でるのも忘れない。
ラキュースはにんまりと笑うとその口を開く。
「なんと! こんな夜更けに王女殿下ともあろうお方がこんな所にいてはなりません。ささっ、早くこの大きな袋に入って下さい。朝まで袋の口を縛って王女殿下の身を誰にも触れさせないように、この私がふかふかベッドの中で祈っておきます」
王女はピキリと、こめかみに青筋を立てた。
「アインドラ家の御令嬢こそ、こんな粗野な男の住まいに押し掛けるだなんて少々破廉恥ではないかしら? お父上がお知りになったらお相手のガゼフが縊り殺されるわよ」
「おほほ、お父様如きが師匠を殺せるだなんて随分と王女殿下は夢見がちなお方ですわね。師匠が本気になればアインドラ家が誇る騎士団ですら壊滅させられるというのに」
ラキュースは笑顔だが、その目は微塵たりとも笑っていなかった。
「……はっきり言わないと世間知らずの御令嬢には理解できないようですね。
「……箱入りの王女殿下こそ現実を知らないようですね。
王女とラキュースは互いに髪を逆立てて威嚇し合う。その様は子猫同士が威嚇し合うようだとガゼフは思った。
「お前らここは俺の家だ。それとお前達は友達同士のはずだろ? なんか雰囲気が悪くないか?」
「ラキュースとは仲良しですよ」
「王女殿下とは親しくさせて頂いておりますわ」
ガゼフの問いにそれまでの剣幕が嘘のように二人は仲良さそうな雰囲気に変わる。
「でも、ラキュースとは仲良しとはいえ、それとこれとは別問題です。私にとってはガゼフの方が付き合いは長いわ。ただの腐れ縁とはいえガゼフは私の友です。その友をラキュースのような貴族関係で苦労すると分かっている女の手に落ちるのを見過ごすほど私は薄情ではありません」
「それはこちらの台詞ですよ、王女殿下。我が敬愛する師匠を王位継承権が絡む厄ネタすぎる女に渡してしまっては、愛弟子として女がすたるというものですわ。師匠を助けるためになら貴族令嬢の立場などいつでも捨てて師匠の腕の中に飛び込んでみせます」
宝石の輝きを放つラナーと、生命の輝きを放つラキュース。タイプの違う二人の美少女に愛の告白同然の言葉を告げられたガゼフだったが、彼はげんなりとした表情を浮かべた。
「お前ら、今度はなんの舞台を見てきた?」
「うふふ、三角関係でドロドロした恋愛劇ですわ」
「最後は刃傷沙汰になって、男を滅多刺しにした女二人が禁断の愛に目覚めて駆け落ちをするハッピーエンドな最後です」
「どんなラストだ!? そんな教育に悪い舞台を見るんじゃない!」
「ガゼフったら親父くさいこと言うわね」
「師匠、巷では大人気の舞台なんですよ。師匠も一度見れば滅多刺しの良さが分かりますよ」
「どこに注目しているんだ、お前は!?」
王女殿下十歳、ラキュース十三歳、なにかと影響を受けやすいお年頃である。
*
「はい、これが師匠の銅プレートですよ」
「俺の銅プレートだと?」
ラキュースから笑顔で手渡された冒険者の銅プレートをガゼフは困惑気味に受け取る。そんな彼にラキュースは満面の笑みで答えた。
「えへへ、私も銅プレートですからお揃いですよ!」
「あー、なんだ……まあいいか」
色々と言いたい事はあったが、ラキュースの全く影のない笑顔を見たガゼフは飲み込むことにした。素直に銅プレートを受け取ると自分の首にかける。
そんな自分の姿をニコニコと笑顔を浮かべながら嬉しそうに見ているラキュースの姿にガゼフは苦笑を浮かべる。
脳筋にありがちな事だが、ガゼフは自分を慕う弟子にはとても甘かった。
「教育的指導キーック!」
「うおっ!? お前は突然なにをするんだ!」
死角から放たれた王女の蹴りをガゼフは野生の勘で躱した。
「何をするとはこちらの台詞よ! 私の親衛隊隊長なのに冒険者になる気なの!」
珍しく王女が本気で怒っていた。それはそうだろう。冒険者は国の下につかないという冒険者組合の規約がある。ガゼフが冒険者になるという事は親衛隊隊長を辞めるという事だ。
「お前は何を言っとるんだ? 俺は王直属戦士団の戦士長と王女親衛隊隊長だ。王と王女の二人の下ではあるが、国の下にはついていないぞ。つまり俺が冒険者になろうとも何も問題はないという事だ」
「なんだ、それならいいわ。そうだ、せっかくだから私も冒険者になろうかしら? 三人お揃いで銅プレートを首にぶら下げるのも悪くないわよね」
「それはナイスアイデアですね、王女殿下!」
暴論に聞こえるガゼフの言葉に王女はあっさりと納得した。
これは彼女がアホなのではない。ガゼフが言っている事が一応は事実だと思い出したからだ。
ガゼフは契約上では王と王女の二人に個人的に仕えている事になっている。これは戦士団と親衛隊が王族以外の命令は受け付けない組織を目的として作られたものだからだ。
ガゼフからは愚王呼ばわりされているランポッサⅢ世だが、彼は弱腰ではあるが決して愚かではなかった。
王国の貴族はもとより国に仕える重臣の中にも腐った連中がいることに気づいていた彼は、そんな連中の影響を少しでも排除するために自分が見出したガゼフには国からの命令は受けない立場を与えた。
戦士団と親衛隊も正確には国の組織ではなくガゼフの私兵となっている。その運営には国の予算が使われているが、あくまでも予算は戦士団や親衛隊にではなくガゼフに支払われるという形をとっていた。
その結果、ガゼフ達は非常に自由な立場となっていた。
ここで、本来なら戦士団は王の意を受けて国の改革を行うはずだったのだろう。
だがガゼフが愚王と呼ぶランポッサⅢ世。彼は愚かではないが、非常に弱腰だった。せっかく手に入れた伝家の宝刀を振るえる器量は無かったのだ。
結果的には娘である王女がガゼフと組んだためランポッサⅢ世の行いは無駄にはならなかったが、ガゼフからの愚王の評価が覆る事はないだろう。
ちなみに王女はこれらの事を瞬時に思い出したから納得したが、ラキュースは違う。彼女は単純に師匠と一緒に冒険がしたら楽しいだろうと思ったから、冒険者申請時に気を利かせて師匠の分も申請しただけだ。本人がいなかったけどそこは上位貴族のごり押しだった。
「師匠と王女殿下、それに私の三人で冒険者をするならチームを組みましょうよ。チーム名は前々から決めていたんです。『蒼の薔薇』ってどうですか? けっこうお洒落だと思うんですけど」
「うむそうだな、別にいいんじゃないか」
「そうね、悪くないと思うわよ」
「えへへ、それじゃあ『蒼の薔薇』結成です!」
弟子に甘い師匠と、たった一人しかいない友達(ガゼフは友達枠ではない)には甘い王女の了承を得たラキュースは、嬉しそうに右手を空に突き上げて『蒼の薔薇』結成を宣言した。
後日、冒険者組合内で色々な意味で議論が巻き起こるが、それは『蒼の薔薇』には関係のない話だろう。
*
ふと思い出したガゼフは聞いてみた。
「小僧とハゲはどうする? 『蒼の薔薇』に入れないのか」
「足手まといは要りませんわ。肉壁も無手ではモンスター相手では邪魔なだけですね」
「私の仔犬をモンスターの餌にしようだなんて見損なったわ! 肉壁は仔犬専用だから無駄遣い禁止よ」
「……そうか、わかった」
ガゼフは、真顔で喋る弟子が少し怖かった。
小娘はいつもの小娘だったから安心した。