無事に稲葉山城に入城した久遠は、稲葉山城を岐阜城と改名した。天下の堅城として名高い城の改名には天下統一の願をかけられていたりする。そしてついに久遠の口から家臣団へ目標を告げられることになる。
「我が目指すもの……それは天下布武への道」
久遠の言葉に皆が沈黙する。意味を考えているのだろうか、蘭丸だけはその想いを知っている為、ついに久遠の天下統一への道がはじまったと強く感じたのだろう、力強く頷く。
岐阜という名を表明したときよりも大きな反応が評定の間を包んだ。
そして、久遠の天下布武の表明は国外へも伝わっていく。
ある者は、天下を武によって治めようとは言語道断である、所詮は尾張のうつけか、と。
またある者は、天下の覇を唱える敵が生まれたか、と。
反応はさまざまであったが、久遠の本心を理解しているものがどれほどいるだろうか。
「お蘭!」
早朝。まだ日が昇るよりも前の時間。久遠の屋敷に泊まっていた蘭丸に跨るようにして久遠が呼びかける。
「く、久遠さまっ!?こんな朝早くにどうかされましたか?」
驚きながらも蘭丸が久遠にたずねる。身体を起こそうとするが、右腕に抱きついた状態で眠っている結菜を気遣って頭をもたげるだけに留める。
「ちょっと遠出する。供をしてくれるな?」
「勿論です……が、まだ結菜さまがお休みですので……」
「……もう起きたわよ。久遠、もしかして前言っていた件かしら?」
眠そうな様子を見せずに結菜が起きる。それに合わせて蘭丸も身体を起こそうとするが、何故か跨ったまま久遠が動こうとしないため困った様子だ。
「うむ。そろそろ例の目的も動いていきたいと思ってな」
そう結菜に言う久遠であったが、その久遠を見て蘭丸が視線を逸らす。
「?……どうした、お蘭?」
「く、久遠さま……!あの、よろしければ離れていただけると……」
「……お蘭は我とくっついているのが嫌か?」
少し不満そうにジト目でたずねる久遠。
「そ、そういうわけではっ!」
何故か力強く言う蘭丸と怪訝な顔を浮かべる久遠。そんな二人を見て状況を理解した結菜が悪戯っぽく笑う。
「ふふ、久遠ったら大胆ねぇ」
「?何を言っておる、結菜?」
首を傾げながら久遠は結菜の視線を追うように自分の体勢を確認する。蘭丸と久遠の体勢からすると自らの下着が見えていたことに気づく。
「み、見たか?」
「あ、あのっ!」
「もう、久遠が見せてたんでしょ。蘭ちゃんをいじめないの」
「結菜!?我は見せたりしてないぞっ!?」
結菜の呆れたような言葉に慌てて反論する久遠。
「はいはい。で、久遠、すぐにでも出発するのよね?それと蘭ちゃん、感想は?」
「すぐにでも出るぞ。……感想とは何だ?」
「え、えっと。久遠さま、とても……可愛かったです」
「かかかか、可愛いっ!?」
少し恥ずかしそうに言う蘭丸と動揺する久遠。わたわたと慌てている姿を見て、先日天下布武の表明をした凛々しい織田の殿と同一人物であると誰がわかるだろうか。
「ゆ、結菜ぁ……」
「全く。あれから年月も経ってるのに、そういうところは全然変わらないんだから」
「以前にも何かあったのですか?」
「えぇ。母に褒められたときにもね、こういう風になったの」
「うぅ……お蘭!」
恨めしげに何故か蘭丸を見る久遠。
「はいっ!」
「お蘭のほうが、可愛いぞ?」
「……はい?」
「……久遠、一応確認だけど、それ褒めてるのよね?」
結菜の呆れた風な言葉に、流石の蘭丸も内心で同意したという。
「久遠さま、それで向かわれる先は……堺と京、ですか?」
「うむ。流石はお蘭。よく分かったな」
髪を結菜に梳いてもらいながら蘭丸が言うと嬉しそうに久遠が肯定する。
「……だが、結菜。どうして我の髪よりも先にお蘭の髪を整える?」
「あら、久遠ったらやきもち妬いてるの?」
「そんなわけではないが」
「いいじゃない。蘭ちゃんがこっちに泊まってるときくらいしか出来ないんだから。でも、相変わらず綺麗な髪ねぇ。私以外に誰が手入れしてるの?」
「隊の長屋ではよくころや詩乃が、城に泊まったときには麦穂さんがしてくださることが多いですね」
「で、森の屋敷だと春香さんね。……でも羨ましいわ、久遠と同じ綺麗な黒髪で」
「結菜さまの髪もお綺麗ですよ」
「ふふ、ありがと。……これでよし、っと。それじゃ次は久遠ね」
「うむ。……だが結菜、あまり時間はないぞ?早くせねば壬月や麦穂に感づかれてしまう」
「では私は隊の長屋に行って旅支度を整えてまいります。久遠さまと結菜さまのものは準備できておりますので」
「頼む。供はそこまで多くなくて良いぞ?」
「かしこまりました。……そうですね、剣丞さま、新介、小平太には壬月さまたちのお相手をお願いしておきます」
「ふふ、久遠と一緒に旅行なんていつ以来かしら」
「我のところに来た以外はあまり遠出はしたことないな。一度市たちに会いに江北に行ったくらいか」
「懐かしいわねぇ。市ちゃん元気にしてるかしら」
「市のことだ。相も変わらず眞琴を引き回しておるだろうさ」
そんな久遠と結菜の会話を聞きながら少し後方をついてきているのは蘭丸、詩乃、ひよ子、転子の四人だ。
「お市さま、ですか。お名前は聞いたことがあります。久遠さまの妹君で絶世の美女と噂されておりましたね」
詩乃の言葉に蘭丸とひよ子が頷く。
「そうですよぉ!お市さまってとっても可愛らしくてお強いんですよ!」
「ふふ、家中では壬月さまに並ぶ武闘派でしたからね」
市と面識のある蘭丸とひよ子の二人は噂との違いが分かるのだろう、少し笑いながら言う。
「み、壬月さまと並ぶって……」
「……想像できませんね」
転子と詩乃が苦笑いを浮かべる。久遠と似た線の細い姿を想像していたのだろうか、全く想像が出来なくなってしまったようだ。
「いずれお会いする機会もあると思いますよ。……そうですね、もしかすると京からの帰りに寄ることになるかもしれませんし」
「わわ!そうなるならお市さまにお土産買わないとですね!」
「ひよはお市さまと仲が良かったですからね」
「はい!親しくさせてもらってました!」
「ひよって意外と凄いよね」
「ちょっところちゃん!意外ってどういうこと!」
「久遠さま、まもなく堺が見えてきます。それと、これより多方面への攻略が中心となる可能性を考えて剣丞さまたちには各方面への調略、情報収集の指示も出しております」
「うむ、苦労。……しかし相変わらずお蘭にはすべて読まれておるな」
「蘭ちゃんと喧嘩しないようにね、久遠」
「我とお蘭が喧嘩することなどない!」
「わわっ!蘭丸さん、堺が見えてきました!」
「すご。広く深い堀に高い壁。噂には聞いていましたが、まるで砦のようですね~」
「ふわ~……清洲のお城より壁が高いー。それに清洲のお城より堀が深い~。……すごいねぇ~」
驚くひよ子と感心している転子。
「さすがは天下に鳴り響く、難攻不落の町・堺。町をグルッと深堀で囲い、橋によって進入路を制限していますね。門もかなり分厚いようですし、その上、高い壁の向こうにはいくつもの櫓が建っている……。それ相応の軍勢を持たなければ、落とすことなど不可能でしょう。理想的な平城と言えますね」
詩乃がつらつらと感想を述べる。
「堺はこの戦乱の中、どの勢力にも属さずに自治を確立している稀有な町ですからね。そう簡単に落とされるような町であればそのようなことは出来ません」
「ふーん、凄いのねぇ。それで、蘭ちゃんはもし久遠に堺を落とせって言われたらどうする?」
「……そう、ですね。最悪、私か壬月さま、麦穂さまが命を賭ければ……でしょうか」
「そこまでして堺を欲しいとは思わん。……それに、協力関係を築くことが出来れば我らにとっても堺にとってもよいことだとは思わんか?」
「その通りです。……仮に堺を武力で落としたとしても商人たちの力を借りられなければ意味がありませんから」
「でも、ホントに凄いですよねぇ。これだけの規模になると……毎月の維持費は三万貫くらいかな?」
「ひよってそういうところ、やっぱり凄いわ」
ぱっと暗算で計算したひよ子に感心したように転子が言う。
「えへへー、お金の計算だけは得意だもーん!」
「ふふ、流石ですね、ひよ」
やさしく微笑む蘭丸に、嬉しそうなひよ子。
「……うむ。やはり蘭丸隊をつれてきて良かった」
「これからの世は土地や米ではなく、銭……ですか」
「その通りだ。これから武者のあり方も変わっていく。鉄砲の存在が戦のあり方を変えていくように、な」
「そういう意味では、これからの久遠さまの道にはひよは必要ですね」
「えぇっ!?わ、私はそんなに凄くないですよぉ!?」
久遠と蘭丸の会話を慌てて否定するひよ子。この会話を剣丞が聞いていればさもありなん、と思ったであろうが。
「さて、世間話はこれぐらいにして、堺に入る。……お蘭」
「はいっ。これより久遠さまは田舎より上ってきた小名……ということでよろしいですか?」
「うむ。いつものであるな。お前たちもそれらしく振舞え」
「おい、姉ちゃんたち、そこで止まれ!何者や!」
「尾張国長田庄住人、長田三郎。堺見物に参った」
「田舎の小名が堺見物か。この乱世に、お気楽なご身分やのぉ」
門番の男の言葉に結菜が少し眉を顰めるが、久遠は気にした風もなく言葉を返す。
「部屋住みの気楽さだ。姉が当主をやっている故、気楽なもんさ」
「二女か。ええのぉ。……で、何日おるんや?」
「五日程度を予定している」
「宿は?」
「信濃屋だ」
「三家か。まぁ尾張もんなら当然やな。ええやろ、通したろ。ただしや、姉さん。堺では二本差しの喧嘩は御法度や。その辺りは充分気ぃつけや?」
「承知している。しかし忠告、感謝する」
「おう、素直でええ姉さんや。なんかあったら、この矢吉が面倒みるさかい、気軽に言うてきぃ」
久遠と門番の会話が終わる。久遠の返答に気をよくした門番が久遠に笑いながら言う。
「ふふっ、申し出は嬉しいが、世話にはならんさ」
「おう。そう頼むわ。……おーい、開門や」
門番の言葉に返事が聞こえ、重厚な門がゆっくりと開いていく。
「ご一同、堺へようおこしー」
門が開く中、蘭丸にそっと寄せた結菜が声をひそめてたずねてくる。
「蘭ちゃん、堺の商人って皆あんな感じなの?」
「そうですね……言葉は少し粗暴に聞こえるかもしれませんが、とても気のいい方々ですよ。慣れないと勘違いしてしまうかも知れませんが」
「ま、蘭ちゃんが大丈夫だっていうなら大丈夫なんでしょうね。私も堺は初めてだから楽しみね~」
「久遠さまとともに少しは時間が取れるように致しますので……」
「あら、そのときは蘭ちゃんも一緒よ?」
「い、いいのですか?」
「勿論。むしろ来てもらわないと困るわ」
「おい、結菜、お蘭!そろそろ行くぞ!」
「はい、ただいま!」
「はーい」
一行は堺へと足を踏み入れる。ここでまたひとつの出会いが待っているとは、このときはまだ知る由もない。
本編とは違い、結菜も同行しています。
堺での日常パートは幕間で書く予定になっておりますのでお楽しみに!