ジニーは眠い目をこすりながら、大広間に向かっていた。
狙いはもちろん、朝食である。
ダイエットとは無縁な彼女は、大広間ではいつだって獰猛な獅子だった。
大広間に着くと、見慣れた金髪が見えた。
一年のうち半分以上もここにいるのだ。指定席の一つや二つも出来てくる。ジニーは自分のために空いているその先に、迷いなく腰を下ろした。
「はあい、コリン」
「おはよう、ジニー」
「あのバカは?」
「まだ帰って来てないよ」
「そう……」
ホグワーツにバカは多いが、二人の間でバカと言ったら魔法史と魔法薬学が壊滅的なあのバカしかいない。
ここ最近のショーンはおかしかった。いや元々頭はおかしいのだが、それとはまたちょっと違ったおかしさだ。
夜になるとベッドを抜けて何処かへ出掛け、朝になっても帰ってこない。日課の釣りも最近は滅多にやっていないみたいだ。それだけならまたいつもの下らない企みか、とも思うかもしれないが……。あの様子を見ると、そうは思えない。
「おはよう、二人とも」
噂をすれば、というやつだろうか。
いつの間にかショーンが立っていた。
髪はボサボサ、目の下には分厚いクマが出来ており、肌は青白い。一目で不健康とわかる。
帰ってくるたびにやつれていくのだ、どう考えても普通じゃない。
「何してたの?」
「色々」
いつもなら「君へのプレゼントを買いに」の様なジョークの一つでも返ってきそうだが、それだけ短く言ってショーンは席に着いた。そして野菜と肉をバランス良く急いで食べてから、また何処かへ行ってしまう。お別れの言葉もなしだ。
別に女らしく扱えとは言わないが、この扱いは流石にちょっとあんまりだ。
ジニーはふんと鼻を鳴らし、コリンは心配そうにカメラのシャッターを押した。珍しいものがあったら写真を撮る、コリンの使命である。
「最近、誰かに会ってるみたいなんだ」
「えっ?」
「前にこっそり後をつけていったんだけど――」
「あんた、意外と度胸あるわね……」
「誰かと熱心に話してた。それで言い争いになって、ショーンが大きい声出しちゃったから、慌てて逃げたよ」
「口論、ねえ……」
ショーンの交友関係は狭くない。むしろ、ホグワーツの生徒の中では相当広い部類に入る。ジニーやコリンが知らない友人の一人や二人、当然いるだろう。しかし、である……。
「尾行する?」
「えっ?」
「だから、あのバカを尾行するのよ。私達に隠れて何をしてるのか、突き止めてやろうじゃないの」
「……分かった。僕も気になってたし」
「それじゃあこれからは……そうねえ、私達は『ジニー・探偵団』よ」
「了解ホームズ」
「貴方、自分がワトソンになれると思ってるの?」
こうして、二人きりの探偵団が結成されたのである。
◇◇◇◇◇
かの偉大なる大英雄ギルデロイ・ロックハートは、記念すべき――あるいは懸念すべき――第一回目の授業でこう問うた。
ギルデロイ・ロックハートの好きな食べ物は何か?
その頃にはもうすっかり答える気をなくしていたショーンは、ミミズのはった様な文字で『アンモナイトのつぼ焼き』と答えた。
その後答え合わせの様な事をしていた気がするが、残念ながらその時はヒジをどうやったらアゴにつけられるか、という人類史に残る難題に挑戦していたため、結局答えは闇の中である。
まあそんな事はどうでもいい。
ここで大事なのは答えではなく、質問それ自体だ。
さて、ここはかの英雄に倣い、一つ質問を出してみよう。
ショーン・ハーツの好きな食べ物は何か?
ショーンを知っている人物なら、百人中九十九人が「ステーキだ」と答えるだろう。
しかし残りの一人、つまり彼の妹分は違う答えを出すはずだ。
兄さんのお好きな食べ物は、すてーきかちーずふぉんでゅです、と。
孤児院に支援してくれている富豪の一人が開いたチャリティー・イベントに参加した時のことである。
ショーンは、真っ赤な大鍋に溜まった蕩けるチーズの湖に出会った。
彼は導かれる様にそれに近づき、パンをそっと入れた。
その時、ショーンは一つの答えにたどり着いたのである。
かの有名な童話――『金の斧銀の斧』。
あれはチーズフォンデュの話だったのだ。斧とはつまりフランスパンのこと、そして金の斧とはチーズを絡めたフランスパンのことだと、ショーンは理解した。
結局ショーンがチーズフォンデュを口にしたのはその時が最初で最後だったが、その時のことは生涯忘れないだろう。
食べたいなぁ、チーズフォンデュ……。
「チーズフォンデュ……」
「何を寝言を言ってるんだ、ショーン! サッサと起きろ!」
人間に戻ったシリウスの叫びが、虚しく牢内に響く。
しかしショーンはまったく起きるそぶりを見せない。
「ショーン! おい、ショーン!」
「にゃーん」
ベラトリックスはもう諦めたように、牢の奥へと引っ込んでいってしまった。
シリウスでさえ、心のどこかで諦めている。
そんな折、一筋の光がショーンを貫いた。
それは看守たちが放った魔法――では無い。
“エネルベート 活きよ”。
“ステューピファイ 麻痺せよ”の反対呪文である。その効果は活力を与え、対象の意識を取り戻させること。
ショーンはゆっくり、しかししっかりと立ち上がった!
「おはよう!」
「ああ、おはよう」
目の前にいるのは、転がっていったショーンの杖を拾い上げた同居人。
彼はジェスチャーで、ショーンに『退け』と告げた。それに従わない理由はない。
強烈な破壊音。
彼の魔法により、牢屋は粉々に破壊された。
「お前、今まで朝を告げるニワトリくらいにしか思ってなかったけど、こんなに有能だったんだな」
「おはよう!」
続いてシリウスの牢、ベラトリックスの牢屋を破壊していく。
二人は急いで牢から出るが――しかし、看守や吸魂鬼も追いついてしまう。
同居人の彼は直ぐさま杖を振り、コウモリの形をした“白い靄”を出した。
それはショーンが知りもしない、高度な呪文。
“エクスペクト・パトローナム”。
コウモリ達の群れは吸魂鬼に襲いかかり、いとも簡単に撃退していく!
再び杖を一振り。
ショーン、シリウス、ベラトリックスの三人――あるいは一人と二匹――の体が浮かび上がり、彼の方へと吸い寄せられて行った。
同時に、彼の体が黒い靄に覆われ――ふわりと浮かび上がる。
それは闇の帝王が創り出した、彼とその忠臣しか使うことの出来ない箒を使わない飛行術。
幸運なことに、同居人の彼はその魔法の数少ない使い手であった。
それを見た看守達が慌てて失神呪文を放つが、無数のコウモリ達がそれを阻む。
当たればほぼ必殺である失神呪文は、確かに高い効果を持つが、その対象はあくまで一人のみ。
今回のように無数の小動物相手では分が悪い。
「おはよう!」
高速で飛行し、アズカバンの廊下を突っ切る。
警報がガンガンなるが、御構い無しだ。
このまま逃げ切れるか……そう思ったが、やはり一筋縄ではいかない。
ショーン御一行が犯罪者のエリート集団だとすれば、最低でも守護霊の呪文が使えなければ配属されないアズカバンの看守達もまた、看守の中のエリート。
「やばい! いつの間にか囲まれてる!」
「杖をよこせ!」
「おはよう!」
「鈍っててくれるなよ……ボンバーダ・マキシマ!」
同居人が、シリウスに杖を投げ渡す。
シリウスが放った呪文は、看守達の壁にほんの少しの穴を作り出した。すかさずそこを潜り抜ける。
「どうだ、見たか! 私もまだまだ、捨てたものではないだろう!」
「シリウス、後ろ後ろ!」
珍しくジョークもなしで、ショーンが注意を喚起する。
「おっと! プロテゴ! ははは、私も鈍った――」
「だから、後ろ!」
先ほど突破した看守達が追いつき、背中から無数の呪文を撃ってくる。
シリウスがすかさず盾呪文を張ることで難を逃れるが……流石にこの数は不味い。
周りを取り囲むコウモリ達の数も少なくなってきている。
(――っ!? 通路が分かれてる。どっちに進む!?)
進行方向には、二つの階段。
上に行くか、下に行くか。
上に行けば屋上から飛び立っていけるし、下から行けば正門を出て海に出れる。
どちらが良いのか……そこで、はたとショーンは思い出した。
「下に行け!」
言われた通り同居人は直ぐさま進路を変更し、言われた通り下へと降りて行く。
「シリウス! あそこの牢をぶっ壊せ!」
「よしきた!」
よしきた! ではない。
凶悪犯を解き放つ事に、少しは疑問を持たないのだろうか。自分で指示しておきながら、ショーンはシリウスの無鉄砲が少し不安になった。
シリウスの魔法が牢屋に直撃した。
壊れた牢から出てきたのは……ラバスタン・レストレンジである。
吸魂鬼に幸福を吸われ過ぎたせいで頭がおかしくなった彼に、ここから出るだけの能力はない。そして――
「あーーー! 俺たちの仲間にして、リーダー的な存在のラバスタン様が落下した! えっ、俺がここで看守達を皆殺しにする? それじゃあお願いします!」
そう大声で叫んだ。
我ながら小悪党じみてると思うが、今の自分はアズカバンに収容された紛れもない悪党である。ラバスタンもどうせ極悪人だし。なのでまったく問題はない。後でヘルガに死ぬほど怒られること以外は……。
ラバスタンはショーンと目があった一瞬、微笑みながら親指を立てた。ただし、下にだが。
「確保ォ!」
直後、看守達がラバスタンに殺到する。
その背後で、ショーン達はアズカバンを突っ切っていった。
とうとう正門を抜ける。
久しぶりの娑婆の空気が、四人を迎えた。
――同時に、千にも届こうかという吸魂鬼達も。
看守達の数が少ない理由はここにある。
例え外に出ても、待ち受けているのは無数の吸魂鬼。
アズカバンが脱出不可能な理由がこれだ。
動物に変身しているシリウスとベラトリックス、元から影響を受けないショーンは問題ない。しかし、ショーン達三人を引っ張りながら、魔法で空を飛ばなければいけない彼は別だ。
吸魂鬼達の“食事”に無防備に晒されてしまう。
「おい! お前、大丈夫なのか!?」
ショーンの叫びに、彼は笑って返す。
その間も、吸魂鬼達は彼に殺到していた。
幸福を吸われ、絶望の記憶だけが残る。
ショーンにはその感覚が分からないし、彼にとっての絶望が何かも分からない。
改めて考えてみると、もう四ヶ月ほどの付き合いになるのに、彼のことはまだほとんど知らなかった。
「教えろ! あいつらに有効な呪文はないのか!」
ショーンは問いかけた。
人前で幽霊達と話す。
その禁忌を約7年ぶりに解いたのだ。
ショーンの問いに、ゴドリックが口を開く。しかし、その顔は、声色は、ショーンの期待するものではなかった。
「……エクスペクト・パトローナム、という呪文がある。
「エクスペクト・パトローナム!」
杖を振り上げ、高らかにその呪文を告げる。
――しかし、何も起こらない。
「エクスペクト・パトローナム!」
何度やっても結果は同じ。
動物の形をした強い
理由は二つ。
一つは単純に、ショーンの技量が足りないこと。
タダでさえホグワーツ一年分の教育しか受けていないショーンでは、守護霊の呪文という高等呪文を使えるようになるには、あまりにも技量が足りていなかった。
二つ目。
これも単純に、ショーンにこれといった幸福な記憶がないことである。
ステーキを食べた時、釣りで大物を釣り上げた時、初めて魔法を使った時、友人達と遊んだ時、幽霊達と話している時、妹分と一緒にいる時……なるほど、細かい幸せならあるだろう。
しかし、これといった大きな幸せが彼にはない。
幼少期、両親に捨てられた悲しみは、彼の人生に大きな影を落とした。小さな幸せは感じられても、大きな幸福を感じる事は出来ないのだ。
――故にショーン・ハーツには、守護霊の呪文が使えない。
それが分かっていたからこそ幽霊達は、この呪文の事を教えたくなかった。
自分の愛する者に、誰が「お前の人生には大きな幸せがない」などと言えるのか。
ショーンの叫び声と共に、四人は海の上を渡っていく。
そして転移妨害呪文範囲外に出た瞬間、姿くらましを使い、彼らは魔法界から姿を消した。
◇◇◇◇◇
まるでゴム管の中にギュウギュウに詰められた様な感覚が、ショーンを襲った。
同時に景色がグルグル回り始める。
やがて体を襲う圧迫感が弱まって行き、景色も落ち着き始めた。
「ぷはっ!」
圧迫されていた体が解き放たれる。
先ほどまで潰されていた肺の中に新鮮な空気が入る、心地よい感覚がした。
あたりを見渡してみれば、何処かの屋敷の様だ。
足元は真っ赤なカーペット、天井には見事なシャンデリア、部屋中に見事な調度品が飾られている。
ここは事前に場所を教えられていた、ベラトリックス家の屋敷の一つ。
――お前ら、大丈夫か?
ショーンはそう声をかけようとした。しかし――
「ショーン!」
「ぐはっ!」
幽霊の声のあとすぐ、腹部を強打される。
先ほど取り入れた新鮮な空気が、肺から飛び出していった。
床の上を数バウンドして、壁際まで飛ばされる。
腹部を襲う激痛を堪えながら、なんとか目を開く。
(何が起こった――!?)
痛みを堪えて目を開けば、見えたのは取っ組み合うベラトリックスとシリウス。
なるほど、どうやら自分達は騙されていたらしい。ベラトリックスは最初から、自在に
そして自分の屋敷に招き入れた所で、俺たちを殺す。
彼女の策略に、まんまとハマっていたのだ。
「おはよう!」
怪我をしたショーンを心配して、彼が直ぐ駆け寄ってきてくれる。
近くで見ると、目に生気がない。身体も崩壊しかけている。
無理をしているのがありありと分かった。
それでも、彼が心配そうに覗き込んでくる。
だがショーンは、別の物に心奪われていた。
彼の背後に、ショーンは奇妙なモノを見た。茶色くて小さい、シワシワな生き物だ。正直言って気味が悪い。
アレはなんだ?
ショーンが疑問を口に出す前に、奇妙な生き物――屋敷しもべ妖精が指を鳴らした。
再び、あのゴム管に詰められた様な感覚がショーンを襲う。
「おえええ!」
慣れていない姿くらましを連続して行った事で、三半規管が耐えきれず、ショーンはその場で嘔吐してしまった。
その間に屋敷しもべ妖精は三度指を鳴らして、何処かへ行ってしまう。
不味い。
よくわからないが、何か良くないことが起きてる。
よろめきながら、辺りを見回した。
乱雑に並べられた金品の数々……ここは一体どこだ?
「これは、不味いな……。ここはグリンゴッツ銀行の金庫の中、それも最奥に位置するところだ」
「そりゃあ最悪だな。ところで、グリンゴッツ銀行ってどこだ?」
貯金どころか、今日を生きる金にも困っているショーン。銀行とは無縁である。
「あっ、そうだ! お前……は………」
その時、ショーンは人生で最も驚いた。
ここまで自分を助けてくれた、頼りになる同居人の彼。
四ヶ月を共にした、あの彼の体が……崩壊していたのだ。
ショーンが急いで駆け寄る。その間にも、彼の体はまるで砂の様になっていってしまう。
そしてショーンが彼の元に辿り着く前に、彼の体は塵となり消えてしまった……。
ショーンは膝をつき、彼の塵をすくい取った。どう見ても人の体ではない。
塵。
ただの、塵だ。
「なんだよ、これ……」
「……貴方の所為ではありませんよ、ショーン。彼の体は、ずっとある呪いに侵されていました。元々、こうなる運命だったのです」
「呪い?」
「ユニコーンの血の呪いです。それを口にした者は一時的に永遠の命を与えられますが、同時に永遠の呪いをその身に受けます。彼はその呪いに侵されていたのです」
――一年前。
彼は闇の帝王の最も近くにいる臣下であった。
闇の帝王の復活のため賢者の石を狙い、それに気がついたハリー・ポッターによって滅ぼされた。いや、滅ぼされたと思われていた。
しかし実際にはユニコーンの血の効力――あるいは呪い――により延命していたのだ。塵となりながらも、生きていたのだ。それに気づいたダンブルドアは賢者の石を使い、彼の体を錬金した。
ヴォルデモートに使われた哀れな彼に、最後の時を、と。
体は新しくなったが、呪われた魂は別。彼はゆっくり、呪いに蝕まれながら、死に向かっていった。
そんな時、彼はショーンに出会うことになる。
呪いにより言語能力が低下した彼に、普通の人のように接してくれたショーン。
学生時代ですらマトモな友人の一人も居なかった彼が、それにどれほど感謝したのか、ショーンは知らない。それどころかショーンは、彼がどんな人間で、どんな人生を歩んできたのかも、名前さえ知らない。
それでも、彼は幸福だったのだろう。
彼は最後の最後、ショーンの望みを叶えるために、己の最後の力を使った。
闇の帝王に従っていた時の様にではなく、自分の意思で。
――クィリナス・クィレル、死亡。
クィレルがあの時死んでなかった事への根拠は、ハリーがセドリックの死を見るまでセストラルが見えなかった、という事です。
──と言おうとしたのですが、セストラルを見る条件は「死を見たことによる悲しみ」らしいですね……。この作品のプロットを書く段階では、知りませんでした。
ま、まあそこまで矛盾はしてないし、独自解釈&独自設定の範囲で収まるよね?
クィレルが空を飛ぶ魔法を習得している理由は、映画版の戦闘シーンを見てです。一年生と半年ヴォルデートと一緒に居たんだし、どっちにしろそのくらいは教えてもらってるかなーと。
【オマケ:ショーンがハリーと同世代だった時のスネイプの授業】
ショーン「ここでヤマアラシの針を――」
ハー子「入れないから。まず火から下ろすの、わかる?」
ショーン「今のはお前を試したのだよ。おめでとう、免許皆伝だ」
ハー子「免許皆伝? ご冗談を。こんな簡単な薬の調合で失敗する人なんて、貴方以外いるのかしら」
スニベルス「報告します! ネビル・ロングボトムが失敗しましたぁぁぁ!!!」
ショーン「何か俺にいう事は?」
ハー子「ごめんなさい……。ちょっと待って、どうして私が謝ってるの?」