プロローグ
英国に来た多くの旅行者が困る事は主に二つだ。
同じ英語圏の民であるアメリカ人と比べて、イギリス人が実に繊細で寡黙――つまり面倒くさい性格――であることと、まともな食事が食べられないことだ。
代表的な料理であるフィッシュアンドチップスにしても、本場イギリスで食べるよりも他国のファースト・フードで食べた方がよほど美味しい。
だから大抵の観光客は、パンフレットに載っている有名なパブでイギリス料理の味を存分に楽しんだ後、次の日からは大人しく他国料理のチェーン店に足を運ぶ様になる。
しかし、イギリスにも二つ、世界に誇れる食文化がある。
それは勿論、中国料理とスコーンなどのお菓子だ。
イギリス人はとにかく紅茶とお菓子を愛し、その文化のみを発達させて来た。もしもイギリス人で「お菓子が好きではない」などと言ってる奴は、よほどダイエットが成功してる女の子か、ソ連からのスパイかのどっちか――つまりいないということ――だ。
そして彼女……ジニー・ウィーズリーもまた、お菓子を愛する繊細で寡黙な少女である。
「うーむ、どうしましょう。クソ暇だわ……」
夏休み。暇になってダイアゴン横丁に来てみたものの、金もなければやる事もない。
何がいけなかったのかしら……ジニーは考える。
最初に寄ったカフェでプリンを二つ食べてしまったせいか、それとも今手に持ってるトリプルアイスのせいか、ちょっと奮発して買った香水のせいか、とにかくお金がない。
「そう言えば、あのバカはどうしてるのかしら」
正直夏休みは結構暇で、あのバカでも誘って遊ぼうかと思った事は少なくないのだが、自分から誘うのがなぜだか無性に恥ずかしかった。
「……クィディッチ・ワールドカップにでも誘ってみようかしら。パパにも友達を連れて来なさいって言われてるし。ロンもハリーとハーマイオニーを誘うって言ってたし、アリね。あーでも、あいつってクィディッチに興味あるのかしら?」
魔法族はほとんど例外なくクィディッチを付き合いたての恋人の様に愛しているのだが、マグル生まれはどうもそうではないらしい。最初こそ物珍しさから興味を持つのだが、ルールを知れば知るほどフットボールの方が優れてると主張する様になる。
もし誘って「興味無いから」と返事が来たら……ジニーが頭を悩ませていると、ふと歓声が聞こえて来た。
見てみると、街の角に人集りが出来ている。大道芸でもやってるのだろうか。やる事もないので、ジニーはそれを見に行く事にした。
「やすいよ、やすいよー」
「いつもより多めに回してお「おとくだよー」……ルーナ、今俺が喋ってるから」
そこにいたのはバカその1とバカその2だった。というかショーンとルーナだった。
ショーンがナイフをジャグリングし、ルーナがシルクハットでお金を集めている。
もうどこからツッコミを入れていいか分からない。先ず大道芸の集金で「やすいよ、やすいよー」や「おとくだよー」はどう考えても適切ではない。
(それからショーン、あんたジャグリング無駄に上手過ぎでしょ……)
今回してるナイフの数は八本。
しかも四本で縦の円を描き、別の四本で横の円を描いている。本当に、無駄に上手い。
さて、最初はどこにツッコミを入れるべきか……ジニーは一瞬考えてから、大声を上げて乗り込んだ。
「面白そうなことするんなら、私も混ぜなさいよ!」
突然の乱入に驚いたショーンの腕にナイフが刺さるまで、残り2秒。
◇◇◇◇◇
夏休みに大道芸をしていたら友達が乱入して来て腕を切った。
「お詫びになんか奢るわよ」と言われカフェに入ったら「ごめん、今金なかったわ」。妹以外にここまでコケにされたのはこれが初めてだ。そして妹以外にここまでコケにされた場合、ショーンは容赦なく怒る。
「いやマジで悪かったとは思ってるのよ。でも今ほんとにお金がないの。なんなら、か・ら・だで払いましょうか?」
「よーし、是非そうして貰おう。マスター、こいつ今日からここでバイトしたいらしいですよ」
「マスター、アップルパイお代わり」
「ルーナ、貴方がアップルパイを愛してるって事は十分伝わって来たわ。でもアップルパイは貴方が嫌いだそうだから、これ以上頼むのは止めてあげて」
「いや、アップルパイもルーナの事が好きらしいぞ。今朝の日刊預言者新聞に書いてあった。喜べ、相思相愛だ。仲介人はジニーが務めてくれるってよ」
「ダーリン?」
「なんだい、ハニー」
ジニーが青筋を浮かべながら、ショーンの腕を掴んだ。ショーンもにっこりと笑みを返す。ルーナはアップルパイを頼んだ。
お互いの友情を英国騎士風に確かめ合ってから、ショーンはジニーに事の経緯を説明した。
先ず第一に、今のショーン及びショーンの孤児院は金がまったくない。
第二に、ショーンは奨学金を借りてホグワーツに通っているのだが、それを返す目処が立っていない。
第三に、妹の志望校には奨学金制度がなく、その為にお金が必要になる。
そもそも、ショーンの孤児院は『パパ』と呼ばれていた子供好きのお人好しが開いたものだ。当時、気味悪がられていたショーンを快く受け入れた唯一の人でもある。
しかし三年前、彼は交通事故で帰らぬ人となってしまった。
そこでその奥さんが孤児院を引き継ぐ事になったのだが……その人は子供が大嫌いだったのだ。
ただ『パパ』の事は愛していたようで、彼が遺したものだから、と一応の面倒は見てくれている。しかし、学費を出してくれるほどの良い関係ではない。彼女がしてくれるのは、あくまで寝床とある程度の生活費の提供と、子供ではどうにもならない書類手続きの請け負いだけだ。
ただ、それでも孤児院にいる子供達は『ママ』に深く感謝していた。『ママ』も最近では子供達をほんの少しは気にかける様になってきた様ではある。
「――そこで、夏休みの間はああやって自分で稼ぐ事にしたんだ」
「ふぅん。ウチも結構大変だけど、あんたのとこも大変ね。大道芸はどこで覚えたの?」
「孤児院に出資してくれる様な人間は、何故か子供が歌ったり、楽器を鳴らしたり、芸をしたりするのを見るのが好きでな。幸い
「じゃあ他にもなんか出来るの?」
「手品と楽器を少々」
「マスター、アップルパイお代わり」
七つ目のアップルパイがルーナの元に届く。そろそろジニーは冷や汗が止まらなくなって来た。
「でもそういう事なら、とびっきり稼げる場所があるわよ」
「というと?」
「クィディッチ・ワールドカップの会場よ! 私のパパが招待されたの。世界中から人が集まるわ。そこで何かやれば、結構儲かると思うけど」
「なんだ、ジニーにしてはマトモな案だな」
「あんたの中の私の評価、低すぎじゃない?」
「マスター、アップルパイお代わり」
八つ目のアップルパイがルーナの元に届く。
「……ねえ、私マジでここの代金バイトして返すの?」
「まあそうなるな」
「…………く、食い逃げとか、無銭飲食に興味ない?」
「アホか」
「マスター、アップル――」
「ストップ! これ以上は本当に身体を売る事になるわ! 私の初めては、おでこにチャーミングな傷がある人のものなの。わかる?」
「あ、ジニー。私もクィディッチ・ワールドカップ一緒に行っていい?」
「あー! この会話が噛み合わない感じ、懐かしさを感じると共にイライラする! 勿論良いわよ!」
「やったー」
「――おっと、仕事の時間だ。漏れ鍋にいるから、バイトが終わったら遊びに来いよ」
「りょーかい」
「ルーナはどうする? 一緒に来るか、それともまだアップルパイ食べてるか」
「ショーンと一緒に行くよ。ショーンが料理してるとこ見るの好きなんだ」
ショーンとルーナはカフェを出て行き、ジニーはその場に残って働いた。
アップルパイ八つ、スコーン四つ、紅茶三杯。ジニーはお金を稼ぐことの大変さを、身を以て知った。
◇◇◇◇◇
夜。
ヘトヘトになったジニーは、約束通り漏れ鍋へとやって来た。
昼の雰囲気とはガラリと変わって、夜のパブらしい盛り上がりを見せている。
「ジニー。こっちだよ」
端っこの方に座っていたルーナが、ジニーを呼んだ。
「間に合ってよかったね。今ショーンがかぶのスープを作り初めたところだよ」
ルーナの指差した先、そこには『かぶ』に食い殺されそうになっているショーンがいた。葉っぱの部分が蔦のようにショーンの体に絡みつき、『かぶ』が口を開けて食べようとしている。
酔っ払い達がそれを見て「やれー!」とか「そこだー!」とどっちを応援しているのかよくわからない野次を飛ばしていた。その野次に応えるように、ショーンが塩胡椒を振りかけて『かぶ』の味を整えて行く。この大胆なパフォーマンスには店中が湧いた。
やがてかぶのスープを作り終え、配膳し、チップを貰ったショーンがジニーとルーナの席へとやって来た。今日の業務はアレで終わりらしい。
「お疲れ様」
「カッコよかったよ」
「ありがと。……マグルだった頃は、まさかかぶのスープを作って褒め称えられるとは、思いもしなかったな。飲み物と料理を頼んで来るけど、なんか飲むか?」
「美味しいものがいいな」
「私ドンペリ」
「……バタービール二つでいいな?」
「ん、悪くないわね」
ショーンは席を離れると、カウンターで慣れた風にウェイターに話しかけ――ウェイターはアジア人風の美人で、ショーンと親しげだった――メニューに一度たりとも目をくれずに、いくつかの料理を注文した。
番号札を持ったショーンが戻って来た瞬間、二人は矢継ぎ早に質問した。夏休みの間に、仲の良かった男の子が美人と知り合いになっている。このことは二人の好奇心を大いに駆り立てた。
「あの人はチョウ・チャン。俺のちょっとした知り合いのガールフレンドで、あー……なんというか、色々とお世話になってる。その、なんだ、妹への機嫌の取り方とか。最近思春期なんだ。思春期の女の子の
「面白みがないわねえ。起きたらベッドで一緒に寝てたとか、そんなエピソードはないの?」
「どうしてそのことを知ってるんだ!?」
「えっ? ちょ、まさか……」
ショーンが驚いた顔を作った。
地雷を踏んだかとジニーは一瞬慌てたが、ただからかわれただけだと直ぐに気がついた。
ショーンがいたずらっぽい笑みを浮かべる。
ジニーはにっこりと微笑み返し、その直ぐ後掴みかかった。
かぶのスープとの連戦じゃなければ勝てた。後にショーンはそう語った。
「はあ、はあ……冗談はさておき、あんた今ガールフレンドはいるの?」
「はあ、クソ――疲れた。あー、なに? ガールフレンド? いや、今はいない」
「今は?」
「失礼。今も、だ」
ショーンが慌てて訂正した。
それでも、ジニーは疑いの目をショーンに向けたままだった。
去年度から急に成長期に入ったのか、大分背が伸びたし、大人っぽくもなった気もする。今着てるドラゴン皮のジャケットも悪く無いし、左耳にしてるカラスの羽の形をした黒い小さなピアスもまあダサくはない。
こういう言い方をするのは癪だけど――他に言葉が思い浮かば無いから言うけど――今のショーンはカッコ悪くない。少なくとも、ジニーにはそう思えた。ガールフレンドがいてもおかしくはないだろう。
「そう言うお前はどうなんだ。ハリーとは上手く行ってるのか?」
「手紙は出してるわ。確実に前より親しくなってる、とは思うんだけど、うーん……ハリーってもしかしたら、同性愛者かもしれないわね。彼ったら、貴方とシリウスの話しかしないんだもの」
「そのジョークはちょっと笑えないぞ」
実はショーンもハリーから頻繁に手紙をもらっていた。彼の名誉のために内容は伏せるが、もしショーンが女の子だったら、ハリーはかなりのプレイボーイになっていただろう。
「ルーナはどうなのよ?」
「ボーイフレンド? 後二日で二ヶ月目だよ」
「「嘘ォ!?」」
「うん、嘘。ショーンを真似てみたんだ」
「……どうしてママが子供の頃の私にフレッドとジョージを近づけたがらなかったのか、今理解したわ」
「フレッドとジョージに悪影響があるからか」
「逆よ、逆! わ・た・しに悪影響があんのよ!」
「ははは。面白いジョークだ、気に入った。ウチに来て妹をファックしていいぞ」
「いつか泣かす」
三人が取り留めのない話をしていると、料理と飲み物が運ばれて来た。
それらはイギリス料理としては失格の味をしていた、つまりとても美味しかったのである。よく食べ、よく飲んだ三人はすっかり良い気持ちになり、肩を組んで街に出た。
夜のダイアゴン横丁を、大声で歌いながら練り歩く。
クィデッチ・ワールドカップに向けて、明日からはショーンとルーナが隠れ穴に来る。きっと毎日が楽しいに違いない。ジニーはそう思った。
そういえば、ショーンの容姿は一切書かれてないと思います。
これは伏線でも何でもなくて、ただ「オリ主の容姿とか誰も興味ないだろ」という私の考えによって書かれてないだけです。