杖を買った後、魔法界に慣れる意味で、ショーンはホグワーツが始まるまでの二週間ばかりの時間を、ダイアゴン横丁で過ごすことになった。
住んでいる場所は『漏れ鍋』である。
ここはダイアゴン横丁の入り口であると同時に、ホグワーツと提携している店でもあり、夏の短い間だけ生徒を無料で泊めているのだ。その代わり、泊まっている間その生徒は、店の手伝いをしなくてはならない。
それはショーンも例外ではなく、今日も朝は早くから仕込みの手伝いをしていた。
ショーンは最初、楽勝だと息巻いていた。
孤児院は自給自足の場所。当番制とはいえ、食材を仕入れる所から盛り付けまで、当たり前にやっていた事だったからだ。
しかし、蓋を開けてみるとトンデモナイ。ここは魔法界、食材もまた魔法の食材だったのだ。
走り回るカブをどうにか鍋の中に放り込み、空中を泳ぎ回る魚を三枚におろし、ギャーギャーと喚く林檎と口論しながら剥き終える頃には、すっかりショーンは疲れ果てていた。
それでもなんとか作業を終える事が出来たのは、ヘルガの助言によるところが大きいだろう。
ヘルガは魔法料理が得意だったらしく――ホグワーツのメニューを考案したのも彼女という話だ――ショーンに的確な助言をしてみせた。
また料理は出来ないが、舌が肥えているサラザールは一流の味見をしてくれたし、美的センスに優れるゴドリックは盛り付けの神様だった。
一方で、ロウェナといったら酷い有様だった。
彼女どうも完璧にレシピ通りでないと気が済まない性格らしく、500グラムと書いてあったら少しの誤差もなく500グラム、弱火で3分と書いてあったら1秒の誤差もなく3分焼かないと我慢ならない様だった。
お菓子作りをするならともかく、パブの仕込みでそんなことをしていたら、明日になったって今日の仕込みが終わらない。
しかも店主であるトムの手書きレシピに「塩をひとつまみ」だの「焦げ目がつくまで」だのと書かれていた日には「もっと正確に表記しなさい!」と顔を真っ赤にさせた。
どうにかこうにか朝の仕込みを終えたショーンは、遅めの朝食、あるいは早めのお昼ご飯を食べた。
メニューは、何だか良く分からない魚と得体の知れない野菜のスープ、見たことも聞いたこともない肉を焼いたもの。
食べてみると、意外と美味しかった。やはり、疲労と空腹は最高のスパイスだ。
「さて、何処に行こうかな」
あてがわれた部屋で、魔法使いのお金――ガリオン金貨――をコロコロ転がしながら、ぽつりと呟いた。
働きぶりが良かったから、ということで、トムから少しの給金と暇を貰えたのだ。
しかし、ショーンは魔法界どころか、マグル界でだってあまり遊んだ事がない。さあ、自由にしていいですよ、と言われると逆に困ってしまう。
「本屋に行きましょうよ、本屋! 自分の見聞を広める――ああ、何とも素敵ではありませんか」
「却下」
「ええ!?」
ロウェナは直前までしていた「どうです、私の完璧なプランは!」というドヤ顔を引っ込め、一転して涙を目に浮かべながらその場にうずくまった。
「なら、クィディッチ専門店に行こうよ」
「クィディッチ? そういえば、マクゴナガル教授も言ってたな、それ」
「魔法界のとてもメジャーなスポーツだよ。と言うより、魔法界にはクィディッチしかないけど。簡単に言うと、箒に乗って飛びながらやる変則的バスケットボールってところかな」
「へえ。箒で飛ぶなんて、ちょっと面白そうだな」
箒で飛ぶ。いかにも魔法使いらしくて、それでいて楽しそうだ。ショーンはすっかりその気になった。助言したゴドリックも嬉しそうにしている。
「まあ待て。クィディッチは確かに面白い遊戯だが、一学年時は禁止されている。それに箒は高価で、仮に買ったとしても未成年は大人の監督無しには乗ることが出来ない」
「そうなの? あーでも、誰でも箒に乗って空を飛んだら、車みたいに交通事故を起こしそうだもんな」
「左様。頭の回転が早い、流石ショーンだ」
「一々褒めなくていいよ。くすぐったいから」
「私は思った事を口に出しているだけだ、他意はない。……まあ良い。そこでだ、ショーンよ。マジックアイテムを買いに行こうではないか」
マジックアイテム。魔法界についてほとんど知らないショーンでも、それが魔法がかけられた特別な品だ、という事くらいは分かった。
サラザール曰く、マジックアイテムと言っても、ショーンが想像しているような、例えば時間を操る時計から、朝になると本物の鳩が出て時間を告げてくれるような下らない目覚まし時計まで、ピンキリらしい。
ホグワーツでは機械の類が正常に機能しない、弱い魔法でもいいから何か魔法がかかった品を買って持ってくといい。
ただ一つ言えることは、マジックアイテムは一つとして同じ物は無く、一度気に入れば無二の物になるだろう、という事だけだ。
そう聞いては、マジックアイテムを買わないわけにはいかない。サラザールは実にプレゼンが上手だった。
ダイアゴン横丁に出ると、そこは既に人でごった返していた。ホグワーツ開校前という事で、ひっきりなしに生徒と親が買い物に来ている様だ。
これから暫く会えなくなる息子――あるいは娘――にちょっとした物を買ってやるか。そう考える親は少なくないだろう。目敏い商人達がそれに気がつかないはずもなく、ダイアゴン横丁は賑わいを見せていた。
ショーンはとりあえず、ウィンドゥ・ショッピングをする事にした。買えないにしても箒には興味があったし、少し開けた所では魔法を使った大道芸もやっている。これを見ない手はない。
しかし、一人で回るというのも味気ない。
フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーでサンデーという名のお供を誘い、一緒に回る事にした。
「あんた、凄いの憑けてるね」
「……それ、俺のこと?」
「そうだよ。心当たりあるでしょ」
心当たりがある、どころではない。
ダイアゴン横丁の隅の方、歩き疲れたショーンが休憩していると、奇妙な女の子に話しかけられた。
腰まで伸びたダーク・ブロンド、銀色に光る大きな瞳、魔女というよりは道化師の様なアクセサリの数々、女の子の持つ雰囲気も合わせて、全てが奇妙だった。
「私はルーナ・ラブグッド。あんたは?」
「ショーン・ハーツ。歳は11」
「ふーん。それじゃあ同い年だね。これから7年よろしく」
「……よろしく」
ルーナと握手を交わす。彼女の手は小さく、冷たかった。
「ルーナ、お前は俺に憑いてる幽霊が見えるのか?」
「うん。何と無くだけどね、目は良い方なんだ」
ルーナの大きな目はショーンの左後ろ、幽霊達が居る方に向いていた。
……不味い。
背中にダラダラと汗が流れ始めた。幽霊が取り憑いてるなんてことバレたら、学校で気味悪がられるに違いない。
「ルーナ。その……俺に憑いてる幽霊の事は、秘密にして欲しいんだ」
「うん、いいよ。約束だね。指切りする?」
「いや、その必要はないよ」
そう言いながら、チラリとヘルガの方を見る。
「安心していいですよ。彼女は嘘をついていません。ほんとうにわたくし達のことを話す気はない様です」
ヘルガは人の心を読むことが出来る。彼女が太鼓判を押したのなら安心だ。
しかし、そうなると、ルーナ・ラブグッドという女の子はトンデモなく真っ直ぐな心の持ち主という事になる。四人も幽霊が取り憑いてる奴がいたら言いふらしたくなるし、出会ってすぐのやつとの約束なんて守る義理もない。しかし、ルーナは守るといった。
「君っていい奴なんだな」
ショーンがそう言うと、ルーナは大きな目を更に見開いた後で、真っ白な肌を少しだけ赤くした。
「俺、魔法界に来たのつい最近なんだ。もし良かったら、案内してくれないか?」
「うん、いいよ。でも私もほとんど知らないんだ。だって普段はお家にいるもん」
「家……魔法使いの家か。どんな風なんだ? ガスコンロじゃなくて、暖炉とか使ったりしてるのか?」
「ガスコンロ……?」
「ああ、ガスコンロっていうのはな――」
何と無くの雑談をしながら、ダイアゴン横丁を歩く。
ルーナの父、ゼノフィリウス・ラブグッドはルーナを溺愛していた。そのためほとんど家から出さず、ずっと二人きりで過ごしてきた。ルーナは父親を愛していたし、父親の話す奇想天外な動物と発明の数々はとても心惹かれたが、もう11年も一緒だと流石に飽きが来てしまう。
そんなルーナにとってショーンとの会話は刺激的で、興味深いものだった。
また自身に取り憑く幽霊達以外とはほとんど話した事がないショーンにとっても、ルーナとの会話は刺激的だった。刺激的過ぎて頭がこんがらがるほどだ。
後ろでサラザールが「その娘は魔法界でもかなり異端に位置する」と言ってくれなければ、ショーンにとって魔法界は、見えない妖精が絶えずイタズラを仕掛け、奇妙な動物達が闊歩する摩訶不思議な世界になるところだった。
「あ、もうこんな時間だ。パパと待ち合わせてるんだ」
「それなら送って行くよ」
「ううん。パパって男の子が嫌いだから、一緒にいるところを見たら頭からペプシーを出しちゃうと思うんだ」
「……そりゃあ大変だ」
「でも変だよね。パパも男の子だった頃があるはずなのに、どうして男の子が嫌いなんだろ?」
「父親ってのは色々あるんだよ、きっと。それじゃあ、親父さんと待ち合わせてる場所の一つ前の路地まで送ってくよ。何かあったら、それこそ親父さんに殺されちゃう」
「……ありがとう。多分、こっち」
ダイアゴン横丁の外れの方を指差す。
「多分?」
「うん」
「……どうやら、ご尊父様とは待ち合わせているのではなく、はぐれてしまったようですね」
これまで「偶には私達以外とも話すべきだ」という事で口を挟まなかった幽霊達――ヘルガが補足説明をした。
「うーん。でも多分、この娘が指差してる方向の先、お父さんはいると思うよ」
ゴドリックの勘はよく当たる。
実際、ルーナの後をついて行くと、遠くにルーナを成長させて男にした様な奇妙な男が立っていた。
魔法なのか、勘なのか……何だかよく分からない。
まったく、奇妙な女の子だ。ショーンだけでなく、幽霊達もがそう思った。