逃走用に確保した暖炉から出てきたのは、意外なことにハリー・ポッターだった。
「おっと。奇遇だなハリー、こんなところで。散歩か?」
「ジョークを言ってる場合じゃない! 緊急事態なんだ! 説明はあと、とにかく着いてきて」
ハリーは手を掴むと、急いで走り出した。
同時に後ろの暖炉から、どんどん生徒達が出てくる。
セドリック、チョウ、ハーマイオニー、ロナルドさん、ネビル、フレッド、ジョージ、ルーナ、コリン――ホグワーツで仲良くしてる生徒勢ぞろいだった。就活で忙しいはずのセドリックとジョージ、フレッドまで来ている。
「なんだ一体、みんなでゾロゾロと。魔法省探検ツアーのお知らせなんかあったか?」
「夢で見たんだ」
「なにを?」
「シリウスがこの先にいる!」
説明としてはまったく要領を得ていなかったが、ショーンはすぐにピンと来た。
ハリーは時々、ヴォルデモートに関連した夢を見る。
今年の初め、それでロナルドさんの父親を助けた。
今回もその類なのだろう。
話を聞いてみると、ハリーの夢では、シリウスは自分の精神力でヴォルデモートの支配を振りほどき、魔法省の地下まで逃げ込んできたそうだ。
魔法省といえば、幸いショーンが前もって行き方を見つけていた――アンブリッジの部屋にある煙突ネットワークだ――ので、それを使って来たらしい。
「なんで先生方に言わない?」
「いなかったんだ! みんな記者会見のほうに呼ばれちゃってて」
そう言えば、ホグワーツ教師陣は重要参考人として呼ばれていた。
今ホグワーツに残っている大人といえば、フィルチくらいのものだ。
フィルチがヴォルデモートに対抗できそうなところといえば、髪の毛の量くらいしかない。それだって最近はちょっと不安だ。彼が育毛剤を買っているのを、ショーンは度々見たことがあった。
「早く行かなくちゃ!」
「待て。ハリー、待つんだ。都合が良すぎる」
魔法省の役人達が空っぽで、なおかつホグワーツの教師達がいない日に、シリウスがたまたまヴォルデモートの支配から抜け出す……いくらなんでも出来すぎだ。
ヴォルデモートはシリウスの魂を、かなり侵食していると言った。シリウスのフリをするくらいわけないだろう。
ヘルガを横目で見る。
彼女なら即座にハリーの記憶を抜き取り、真偽を確かめてくれるだろう。
「そうなのよショーン。私も罠なんじゃないかって言ったんだけど――」
「ハーマイオニー! まだそんなことを言ってるのか?」
食ってかかったのは、ロナルドさんだった。
「ハリーが見たって言ったんだ。忘れたのか? 僕のパパは、ハリーのおかげで助かったんだ。シリウスがパパと同じように苦しんでるなら、助けなくっちゃ。罠だったら、僕たちが間抜けだったってだけさ。僕が間抜けだなんて、今更だろ?」
「よっし。それじゃあ行きますか」
即座に思考を切り替え、突入することを決意する。
ロナルドさんが「是」と言えば「是」なのだ。
冷静な判断?
そんな物はイギリス料理以下だ。
「待って。お願いだから待って! やっぱり先生に知らせるべきだわ」
「でも今、シリウスはいるんだ! もたもたしてたら、あいつに見つかるかもしれない」
「でもハリー! いいえ、でも、ええ、そうね――――それじゃあチームを分けましょう。コリン、ルーナ、ショーン。貴方達は一学年下だわ。だから、先生と闇祓いの方々を呼びに行って」
「正気か、ハーマイオニー。そんな事したら、僕らがたくさん校則を破ったことがバレるじゃないか」
「黙って! 死ぬよりはマシよ。もし罠だったら、責任取れるの? 私――――私、戦うわよ?! この条件が守れないなら、ここで貴方達と戦うわ!」
ハーマイオニーはロナルドさんの喉元に杖を突きつけた。その手は震えているが……彼女は必要になれば間違いなく呪文を唱えるだろうと、そう確信させる迫力があった。
「オーケー、わかった。ショーン、ルーナ、コリン。君たちは先生達の所に行ってくれ」
ハリーの命令に、ショーンは答えに詰まった。
ここにいる誰もが知らないが、ショーンにはとっておきがある。もしこれが罠で、この先にヴォルデモートが待ち受けていたとき、自分以外の誰がみんなを連れて帰るのか。
この秘密は絶対に知られたくないことだが、ここにいるみんなの命には代えられない。ショーンはここにいる全員に、秘密を打ち明けても良かった。しかし誰も信じないだろう。
どうすれば……どうすればいい?
どうすればこの場を切り抜けられる?
「ショーン、お願い……お願いだから、言う通りにして………」
ハーマイオニーが懇願するように言った。
同時に、全員の目がショーンに向く。
セドリックとチョウがいればなんとかなるだろうか……いや、それはあまりに希望的観測だろう。
二人はたしかに優秀だ。ショーンよりはるかに高い所にいる。しかし所詮は学生レベルだ。大勢の死喰い人相手に、ましてやヴォルデモートを相手に何かできるとは思えない。
「ショーン、ここは頷いておいて。後は僕たちがなんとかする」
ゴドリックが囁いた。
ゴドリックはショーンが知る中で、最も頼りになる人間の一人だ。
それでも、それでも今回ばかりは……。
ハリーを真っ向から見据える。
後ろで幽霊達が何か話し合っているのを気配で感じた。一体何を話しているんだ――ヘルガはハリーの心を読んでくれたのだろうか。ゴドリックの勘が何を感じ取った? それともサラザールとロウェナには、なにか作戦があるのだろうか?
「行きましょう、ハリー」
ハリーの肩を引きながら、ハーマイオニーが冷たく言った。
これ以上何も言うことはないという雰囲気だ。
最初にセドリックが振り返った。
それを皮切りに一人、また一人と、神秘部への方へと歩みを進めていく。
最後にハリーとハーマイオニーが振り返り、走って行ってしまった。
「私達も行こう、ショーン」
今まで聞いたことがないほど優しい声で、ルーナが囁いた。
ショーンは悟った。自分は乗り遅れたのだ、と。
ハーマイオニーの決心は固かった。ハリーもだ。静かにしていたセドリックだが、彼も誰も死なせないという確固たる信念も持っていた。セドリックはいつだって、本当に大事なことは心の中で静かに眠らせている。
しかし、他のメンバーはどうだっただろうか。
他のメンバーなら、あるいは説得出来たかもしれない。そうすれば多数決に持ち込んで……
他にもあの場でハーマイオニーをはっ倒して、自分が代わりに行くという手段もあった。
後悔は募るばかりだ。
後からどれだけ「ああしておけばよかった」と考えても、実際にはそうはならなかった。彼らはもう行ってしまったのだ。
今出来ることは、一刻も早く教師達に現状を伝えることだけだ。
ショーンは振り返り、大理石の廊下を走り出した。
◇◇◇◇◇
魔法界にしては珍しい機械音を鳴らして、エレベーターは止まった。
標識には『神秘部』と書いてある。
ハリーが実際ここに来たのは初めてだったが、夢では何度もここを訪れた。
進んでみると、どの景色も夢で見た通り――やはりあの夢はただの夢ではなかったのだ、と確信した。
後ろの方から、誰かがすすり泣く音が聞こえた。きっとハーマイオニーだろう。その気持ちはよく分かった。ハリーだって、あの時の裏切られたようなショーンの顔を思い出すと、胸が締め付けられる。
それでも、彼は置いていかなければならなかった。
この先には危険が待ち構えている可能性が高い。本音を言えばハリーは、誰もここに連れて来たくはなかった。
「ここだ。この辺りにシリウスが居るはずなんだ……」
神秘部の最も奥の方――半透明の水晶玉が並んでいる棚に囲まれた場所で、ハリーは立ち止まった。
ここはまさしく、ハリーが夢でシリウスを見た場所だ。
しかし、誰もいない。
否、誰かが居た形跡さえも見当たらない。
「シリウス!」
ハリーが叫んだ。
声はずっと遠くの方までこだましていった――もし誰かがこの部屋にいれば、絶対に聞こえたはずだ。
それでも、返事はない。
「シリウス!!!」
「ハリー……」
「セドリック、君も声をかけて。それかみんなで手分けして探した方がいいかもしれない」
「ハリー、誰もいない。ここには誰もいないんだ」
そんなわけない! とハリーは否定したかった。
しかし現実として、シリウスはここにはいない。
セドリックの灰色の瞳が、ハリーを見つめた。その目は悲しみに満ちている。全て分かっている、とハリーに語りかけているようだった。
「ハリー、ここに君の名前がある」
ロンが不思議そうな声を出した。
慌てて見てみると、棚に飾られた水晶玉の下に、たしかに『闇の帝王 そして ハリー・ポッター』と書かれた名札が吊るされていた。
何故自分と闇の帝王の名前が書かれた水晶玉が、魔法省の『神秘部』なんかに置いてあるのか。セドリックもハーマイオニーにも、誰にも分からないようだ。自分のことなのに、ハリーにだって分からない。
ハリーが気になって水晶玉に手をかけようとすると、セドリックが腕を掴み、ハーマイオニーが鋭い声で注意した。
「ハリー、やめて。それに触らないで」
「どうしてだい? だって、僕の名前が書いてある。僕に関連する物じゃないか」
「分からないの? これは罠よ! ヴォルデモートは夢を使って、貴方をここに誘い込んだ。その場所に貴方とヴォルデモートの名前が書かれた物がある。どう考えても不自然よ。きっと貴方に、それを取らせたいんだわ」
ハリーはハッとした。
言われてみればそのとおりだ。
さっきショーンが言ったとおり、なにもかも都合が良すぎる。
それを自覚してから、ハリーの心臓はかつてないテンポで鳴り出した。喉もまるで直接日光に当てられたみたいに、急速に乾いている。
これが罠だとすれば……連れて来たのはハリーだ。
勝手な推測でみんなを巻き込んだ。冷静になれと、止めてくれた人は何人もいたのに、誰の言葉にも耳を貸さなかった。
ハリーが涙ながらに謝ると、ロンがすぐさま反論した。
「違うぜ、ハリー。君が僕らを危険な目に合わせたんじゃない。僕らが危険な目に合ってる君を救うチャンスを得たんだ。
賢者の石の時も、秘密の部屋の時も、君は一人で頑張ったじゃないか。一回くらいミスしたって、誰も君を責められやしない。もしそんな奴がいたら、僕がぶっ飛ばしてやる!」
ロン……!
情けないと分かりながらも、ハリーは目から溢れ出る涙を止められなかった。
そんなハリーの肩を、ロンががっしり掴んだ。
みんなも、温かい目でハリーを見つめてくれる。
こんなにも愚かな自分を、誰も責めようとしない。
友人達への感謝と、自分のしたことへの後悔で、もうハリーは、なんと言っていいか分からなかった。
「――チッ」
感動する気持ちを遮るように、暗闇から不機嫌そうな舌打ちが鳴った。
闇が人の形を持っていく――否、黒いローブをまとった死喰い人が、姿を現した。
それに呼応するように、周りから何十人という死喰い人が出てくる。
囲まれている……全員円になり、四方八方に杖を向けた。
ハリーは先頭に立ち、代表で出てきた死喰い人と対面する。
「バーテミウス・クラウチ・ジュニア……」
「いかにも、ポッター」
一歩。
クラウチは距離を詰めた。
ハリーは一歩下がる。
その時、真後ろに立っていたセドリックの肩に当たった。
「ポッター。見てわかる通り、君は囲まれている。
ドロホフ、クラッブ、ゴイル、ノット、アバスタン、ジャグソン、マクネア、エイブリー、ルックウッド、ロドルファス――そして私。他にもまだまだいるぞ? みな君たちを遥かに上回る力量を持っている上に、数も多い」
「何が言いたい?」
「おや、怒らせてしまったかな?
死ぬぞ、と君にご忠告して差し上げたいだけなのだ。もちろん、善意で」
ジリジリと、クラウチは距離を詰めてくる。
ハリーはそれを恐れて下がるふりをしながら、セドリックに小声で指示を出した。合図をしたら周りにある棚を全て倒せ、と。セドリックが他のメンバーに指示を伝えているのが、ぼんやりと聞こえた。
「そこで素晴らしい提案をしよう。素直に従えば、君たちは二時間後にはベッドの中でスヤスヤ寝れる」
「なんだ、何が望みだ?」
「その水晶玉――『予言』を渡せ」
「自分で取ればいいじゃないか」
「それが出来れば苦労はせんよ。『予言』はそれに携わる者にしか取れない。つまり、君と闇の帝王だけが手にする権利を持っている」
「じゃあヴォルデモートが自分で取りにくればいいじゃないか」
「我が君の名を貴様ごときが口にするな!」
クラウチは大声を出して激昂しかけたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「失礼。少し取り乱したね。
話を戻そう。わざわざ魔法省が我が君の復活を隠してくれているのに、姿を表すのは愚か者のすることだ。
ならばどうするか――我が君は考え、そして君を利用することを思いつかれた」
やはり罠だったのか、とハリーは少し動揺した。
しかし先ほどのロンの言葉のおかげか、直ぐに精神が沈静する。冷静になったハリーは、この場をどう切り抜けるか、高速で思考し出した。
「君は良くやってくれた。闇の帝王は、君の働きに褒美を出しても良いとお考えになられた。
その『予言』になにが告げられているのか、知りたくはないかね?
何故君のご両親は我が君に狙われたのか、何故幼子だった君が栄華を極めておられた闇の帝王を退けられたのか、そしてその傷の意味――全てがそこにある」
クラウチはチラリと『予言』を見たが、ハリーはクラウチをまばたきもせずに見つめていた。
「――焦ってたんだ」
ハリーの言葉に、クラウチは首を傾げた。
「ヴォルデモートは焦ってたんだ! 日刊預言者新聞じゃない、ちゃんと真実を報道してくれる素晴らしい新聞が出来たから! 自分の復活が知れ渡るのも、もうすぐだって焦った。そうだろう?」
余裕たっぷりだったクラウチは、初めて苦い顔をした。
「今日ここには、ダンブルドア先生がいる。ヴォルデモートが勝てなかった唯一の人が。その上、記者会見の防備のために配置された闇祓いの人達だって沢山いる。
僕の夢にしても、もっと時間をかけて何回も見させられていたら、好奇心に負けて直ぐに『予言』を取っていたかもしれない。
でもそうはならなかった。お前の計画はめちゃくちゃだ!
もっと時間をかけるべきだったな、ヴォルデモート。お前は焦りすぎた!」
「このガキが! 下手に出てれば調子に――」
「今だ!」
ハリーの号令と同時に、セドリック達が『粉砕呪文』を解き放った。
天井高くまで
――戦いが始まった。
主人公とは一体……?