ショーンが死んだことで、世界は少し静かになった。
彼は有名人ではない。
血の繋がりがある家族もいない。
しかし紛れもなく、彼は良き隣人であり、友人であり、恋人であり、家族だった。
――ショーンが死んだことで、世界は少し静かになった。
ハーマイオニー・グレンジャーは一人、部屋で呆然としていた。
彼女はしばらく泣きじゃくった後、その場にへたり込んだ。その後は呆然とするばかりで、誰が話しかけてもなんの反応もない。
意識の奥底で、彼女は一人考えていた。
(ショーンがいた孤児院に連絡を入れなくちゃ。なにせ妹さんと、随分と仲が良かったみたいだから……
お葬式の段取りも、私がしたほうがいいかもしれないわね。彼に肉親はいなかったから。妹さんはまだ幼いみたいだし、院長は子供がお嫌いだって話だもの)
そんなことをつらつらと考えていたが、実行に移すことはない。
彼女はただ、本当に考えなくてはいけないことを考えないために、思考を埋めているだけなのだから。
そんな彼女をダンブルドアは連れ出し、校長室に運び込んだ。
多少強引であったが、誰も止めなかった。
全員程度の違いはあれ、みんなハーマイオニーと同じように、塞ぎ込んでいたらからだ。
特にジニーなどは、目を離したら消えてしまうのでは、と思わせるほどだった。
校長室でダンブルドアとハーマイオニーは、一対一で座っていた。
普段のそれよりも一層優しい声色で、ダンブルドアが語りかける。
「先ずは飲むのじゃ。心が落ち着く」
彼が杖を一振りすると、完璧なティーセットが出て来た。
良い匂いの湯気が立つ紅茶に、焼きたてのスコーン。
誰が見ても一流の品だと分かる。
しかしハーマイオニーは、どれにも手をつけなかった。
ダンブルドアの記憶が正しければ、彼女が教師の話にまったく耳を貸さなかったのは、今回が初めてだ。
「なるほど、どれも喉を通らぬか。無理もないじゃろう。愛する者を失う痛みは、想像を絶する。あらゆる楽しみを消し、暗い未来が目を覆い、甘い過去が蓋をしてしまう。人の死とは、そういうものじゃ」
ダンブルドアの言葉も、今のハーマイオニーには遠かった。
だがダンブルドアは、構わず話を続ける。
「しかし、君がそうなる必要はない。なにせショーンは、まだ生きているのだから」
その時初めて、ハーマイオニーは動きを見せた。
信じられない、という顔でダンブルドアを見つめている。
ようやく目が合うと、ダンブルドアはほがらかに笑った。
「いや、それには語弊があるじゃろう。生き返らせれる、というべきか。
これも適切な表現ではない気がするのう。なにせ彼はまだ死んでいないのじゃから。
まだ連れ戻せる――うむ、これならしっくりくる」
「それはどういうことですか?」
「やっとわしの存在に気がついてくれたようじゃな、ミス・グレンジャー。先ずは紅茶を飲み、心を落ち着かせなさい。話はそれからじゃ」
次の瞬間ハーマイオニーは、机の上にあった紅茶を一瞬で飲み干した。
それでいいのか、という感じだが、ダンブルドアは満足気な顔をして話を再開した。
「では質問に答えるとしよう。ショーンは我々が思っているよりずっとユーモラスで、ずっと賢かった」
「お言葉ですが校長、ショーンはいつもユーモラスで賢いです」
「うむ。それは疑いのない事実じゃろう。彼はいつだって、新鮮で愉快な驚きをくれる。おお、ついこないだも、彼に驚くべきプレゼントをもらったばかりじゃ」
ダンブルドアが取り出したのは、一通の古ぼけた手紙だった。
「1000年前のここに俺はいる」。
簡素に、それだけが書かれている。
しかしハーマイオニーにとって、それは正に希望の福音だった。
何度も勉強に付き合ったから分かる。間違いない、ショーンの字だ!
「これを持って来たのはフォークスじゃ。不死鳥であるフォークスには、寿命がない。1000年前にも、生きておったじゃろう。
1000年前に飛ばされたショーンはそこでフォークスを見つけ、この手紙を託したのじゃ! 1000年後の今、この手紙をわしに渡すように!」
「つまり、つまりショーンは……」
「その通り! ここにおる! 1000年前のここに!」
カッと、体の中の血が熱くなるのを感じた。
ショーンは、変わらずここにいる。
例えそれが1000年前だろうと、ここにいるのだ!
「幸い、わしは他の人間より遥かに高い魔法の技量を持っておる。魔法省のタイムターナーは失われてしもうたが、アレの真似事くらいは出来ようとも」
「それじゃあ、先生がショーンを助けに行ってくれるんですか?」
「わしに彼を連れ戻す権利を与えてくれるなら、喜んでそうしたじゃろう。
しかしできぬのじゃ。わしはこの時代に残り、目印とならねばならぬ。何せ1000年という遥か悠久の彼方じゃ。この手紙を媒体に遡れたとしても、目印がなければ帰ることはできなんだ」
ダンブルドアが何を言おうとしてるのか、ハーマイオニーは理解しかけていた。いや、ほとんど理解出来ていた。だが、彼女は待った。ダンブルドアの口から、その言葉を聞くのを。
「わしの力及ばず、過去へ飛ばせるのは精々が一人――では誰を送るか?
高い魔法力を持つスネイプ先生やマクゴナガル先生?
あるいはヴォルデモートを退けたハリーも良いか?
最も古い友人であるジニーではどうじゃろうか?
否、彼らではショーンを連れ戻せぬじゃろう。
愛とはいかなる時も、魔法よりずっと素晴らしい力を持ってる。故にミス・グレンジャー、君が最もショーンを連れ戻せる可能性が高い。わしはそう信じておる。どうかな?」
ダンブルドアはほがらかに笑った。
答えは言うまでもない。
ハーマイオニーは即座に頷いた。
ダンブルドアが左手で杖を振ると、ハーマイオニーの周りに無数の――それこそ正にタイムターナーの中身のような――歯車が作られた。
歯車が高速で回り出し、光を放つ。
光は輝きを増し、やがて校長室全てを覆った。
――ハーマイオニー・グレンジャーは過去へと飛んだ。
旅立つ折、ダンブルドアは言った。
期限は一週間。
一週間経ったちょうどその時、ハーマイオニーは現代へと戻る。
その時までにショーンを見つけ、彼に触れていなければならない、と。
余裕だ、とハーマイオニーは思った。
何せショーンは、ここにいるのだから。
しかし彼女は、致命的なミスを犯したと言える。
タイムターナーがそうであるように、ダンブルドアの魔法もまた場所を変えずに、時だけを戻す。
故にハーマイオニーが飛んだ場所は、1000年前のこの場所ということになる。
――1000年前。
一口に1000年前といっても、一年間もの時間がある。
その間のどの時間にショーンが飛んだのか、ハーマイオニーは知らない。
更に言えばショーンが飛んだ場所は魔法省であり、ホグワーツにたどり着けたのだとしても、それはかなりの時間を要したことだろう。
――結論から言おう。
ハーマイオニー・グレンジャーは失敗した。
ショーンが飛んだ年代と近い、しかし少しだけズレた時間に彼女は飛んでしまったのだ。
そしてもう一つ。
彼女が飛んだその時代。まだホグワーツ魔法魔術学校は創設前。つまり彼女は、普通の民家の中に飛んでしまっていた。
「ここはどこ……ショーンは?」
そんな事情を知らないハーマイオニーは、自分がまったく見知らぬベッドの上に立っていることに困惑していた。
内装は古く、脆く、そして木製だ。どう見てもホグワーツ城の美しいそれではない。
何より、ショーンの姿が見当たらない。
「早く出た方がいいかしら――」
とにかくホグワーツでないなら、ここを出た方がいい。自分は今、誰も自分を知らない見知らぬ時代で、不法侵入しているのだから。
ハーマイオニーはそう思考し、部屋をぐるりと見渡した。
どうやらここは、何処かのベッドルームらしい。なんとなくの予想を立てる。
部屋には一つ、木製の扉があった。
あの扉から出よう。
そう考えた瞬間、なんと扉が開き――
――全裸の男が入って来た。
それも両脇に美女をはべらせて。
「あれ、君は誰だい? まあ、名前なんかどうでもいいか。うん、君は容姿がいい。合格だ! 今日は三人でする予定だったはずだけど、三人相手でももちろん大歓迎だよ。何せ僕は、ゴドリック・グリフィンドールだからね!」
茶目っ気たっぷり男が言うと、両脇の美女がうっとりした顔をした。
ゴドリック・グリフィンドールは勇敢な騎士のような性格だと、昔読んだ本に書いてあった。
偉人の伝記本なんか嘘っぱちだと、ハーマイオニーは一つの真実を知った。
◇◇◇◇◇
――ハーマイオニーが飛んだ時代とは、少し異なる時代。
ショーンはだだっ広い草原に立っていた。
起きたらここにいた彼は、とりあえず一通り混乱した後、逆にテンションがちょっと上がり、ダンスを色々踊ってみたり歌を歌った後、やっぱり鬱になった。
「オー、ウェイウェイウェイ! ちょっと待て、おい。これどういうことだよ。ここどこだよ。ヘルガ! ゴドリック! サラザール! ついでにロウェナも! そろそろ隠れんぼをやめてもいい時間じゃないか?」
大声を出して見ても、なんの返事もない。
さっきまで一緒にいたジニーとハーマイオニー、ロナルドさんは愚か、生まれた時から一緒にいた幽霊達までいない。
これがドッキリか何かなら、悪趣味もいいとこだ。ジニー発案に違いない。
「うーむ……ここに来る直前、俺は何してたっけな?」
頭に強い衝撃を受けたらしい。
どうも頭がガンガンして、記憶が朧げだ。
確か神秘部での戦いに乱入して、その後ハーマイオニーを庇って――
「あっ、タイムターナー」
そうだった。
自分はタイムターナーによって飛ばされたのだった。
そっか、タイムターナーで過去に飛ばされたのか。それじゃあみんながいないのも無理ないな。
しかし、一体ここは何年前だ?
タイムターナーは場所を変えず、時代だけを変える。
魔法省から過去に飛んだはずだが、ここには魔法省どころか、気の利いたバーの一軒さえない。
「アクシオ! ハーマイオニーのブラジャー!」
とりあえず、呪文を唱えてみた。
なんの反応もない。
どうやらハーマイオニーが生まれる前――少なくとも15年よりも前のようだ。
あるいはもしかしたら、ハーマイオニーはブラジャーを着けたことがないのかもしれない。彼女のカップ数なら、十分にあり得る。
「アクシオ! マクゴナガル教授のパンツ!」
まったく反応がない。
マクゴナガル教授は今年で60歳だ。
驚くべきことに、60年以上も前らしい。
あるいはマクゴナガル教授が、ノーパン派だという可能性もある。普段厳格な人ほど解放的な趣味を持つというし、その類なのだろう。
「アクシオ! ダンブルドア校長の髪の毛!」
やっぱり反応がない。
つまり、114年よりもずっと昔ということになる。
あるいはダンブルドア校長は、実はずっと前から髪の毛がなかったのかもしれない。最近ストレス溜まってそうだもの。フィルチ愛用の育毛剤を、今度プレゼントしてやろう。
「アクシオ、ロウェナの下着」
最後にないと思いつつも、ショーンは呪文を唱えた。
これで呪文が成功したら、ここは1000年も前という事になる。
そんなことあるわけないがない。
ショーンの全財産と、ついでにジニーの全財産賭けたっていい。
――ショーンの眼の前に、ショーツとブラジャーが落ちてきた。
すまないジニー。
君の全財産は無くなった。
そして我が愛すべき妹よ。
君を学校に入学させるのは、もうちょっと待っててくれ。
「――そこの君」
後ろから声が聞こえた。
ショーンが知るそれよりも少し幼く、そして冷たい声色の声が。
振り返ると、そこには――ロウェナ・レイブンクローが立っていた。
ショーンが知る彼女は大人の姿をしているが、そこに立っているロウェナはショーンより少し年上、という容姿をしている。
「何の目的で盗ったか分かりかねますが、差し支えなければ私の下着を返していただけますか?」
「失礼レディ。俺の杖がいたずらしたようだ。許してやってくれ、普段は紳士的で、気のいいやつなんだ」
「いえ、君が呼び寄せ呪文を使ったことは知っています。なぜ嘘を?
それから、杖に感情はないと記憶していますが」
「……」
「……」
ロウェナが冷たい目でじっとこっちを見てくる。
ジョークなどまるで通じない、という雰囲気だ。
……そういえば、昔どこかで読んだ気がする。
ロウェナ・レイブンクローは冷酷な人間だった、と。
偉人の伝記本は意外と信用できると、ショーンはまた一つ賢くなった。