少年時代の桐生ー馬が主役のお話です。
昔話
「ヒマワリ」。養護施設。北鎌倉の、当時まだ戸数の少なかった、古くからある住宅街の中に、それは建てられた。孤児たちは、優しい院長と共に、皆仲良く暮らしていた。近隣住民も、きちんと躾けられ、礼儀正しい彼らを快く受け入れていた。
ただ、数年前から近所の宅地開発が進み、新しい家が建ち始めると、徐々に外からの住人が引っ越して来るようになって来た。新住民たちは、孤児に対してあまり理解を示さなかった。更に、養護施設を経営している者が、いかつい黒塗りの車で乗り付け、いかつい付き人を引き連れている事に、あからさまな不快感を示していた。
「なあ、きりゅう」
「何だい、にしき」
「今日は、風間のおじさんの来る日だよな」
「ああ、そうだな」
錦山彰の問いに、桐生一馬は喜びを滲ませながら答えた。二人は、共にヒマワリで暮らしており、やって来た時期は、桐生が僅かに早い。なので、同じ十二歳ながら、桐生が錦山の兄貴分として振る舞っており、錦山もそれを当たり前の様に受け入れていた。
「そうか、今日、おじさんの来る日だったね」九歳になる澤村由美もうれしそうにはしゃいだ。「今日は、何かおみやげ買って来てくれるかな」
「ばか、いつまでも、おじさんに甘えんじゃねえよ」桐生は優しく由美をたしなめた。「おじさんだって忙しいんだ。来てくれるだけでもありがたいと思わなきゃ」
桐生も錦山も、風間のおじさんが、実は養護施設の経営者だけではない顔を持っている事を知っていた。知りたくなくても、口さがない近所の大人たちや、クラスの同級生の〈親が話していた〉と称する噂話などで、嫌でも耳に入って来ていた。
風間新太郎は、「ヤクザ」である、と。
しかし、彼らにとって、それはどうでもいい事であった。ヤクザだろうが何だろうが、風間のおじさんは優しい、彼らにとって父親とも言える存在であった。
「おじさんまだかなぁ?ちょっと表見て来る」
由美はそう言うと、小走りで中庭から出て行った。が、すぐに不審げな表情で戻って来た。
「ん、どうした由美」
錦山の質問に、由美は首をひねりつつ答えた。
「なんかね、表の門の所に、大人の人が何人か集まってるの。なんか怒ってるみたい」
「なんだろう?」
桐生は言いつつ、錦山と由美を伴い、表に出た。が、その様子を見て、すぐに柱の陰に身を潜める。
門の前に集まっている大人たちは、六人ほど。確かに何か殺気立っている。中には、角材を手にした者もいる。まるで今から喧嘩でもしそうな雰囲気である。
流石に不穏な空気を察したのか、園長が門前に出て、その大人たちと話しているが、どうやら押し問答になっているらしい。
そこへ、黒塗りの大きな車がやって来た。何時もなら少し離れた所に停まるのだが、今日はたむろしている大人たちを押しのけるように、門のすぐ前に停まった。運転席から、黒スーツにサングラスのいかついお兄さんが飛び降りて来て、素早く後部ドアを開ける。
風間新太郎は、ゆっくりと車から降りると、もの凄い目つきで睨み付ける大人たちを平然と見返した。大人と言っても、風間から見れば、ただの若造でしかないが。
「何か私に用でもあるんでしょうか?」
風間は慇懃に尋ねた。そんな一言でも、若造たちを委縮させるには十分な威圧感があった。
「おおお俺達は」若造のリーダー格らしき男が、意を決して口を開いた。「あんたのようなヤクザに、この街にききき来てほほ欲しくない」
そこまで言って、男は大きく息をついた。声を出した事で、少し落ち着いて来たらしい。
「こ、ここは俺達の街だ。二度と入って来ないでくれ」
「そう言われましても」あくまでも風間は慇懃さを崩さない。「この『ヒマワリ』は、私が経営しているので、様子を見に来ない訳にもいきません。それに、ここに暮らしているのは、私達『ヒマワリ』の住人の方が、あんたたちよりも前からなんですがねぇ」
「う、うるさい。ヤクザや孤児の分際で、俺たちの街で偉そうにするな」
「それが本心ですか」ちょっと風間の表情が険しくなった。「あまり自分勝手な事を言うもんじゃないですよ」
「うるさい!とにかく出て行け!」
「残念だが、それは出来ない相談だ」
「ち、力づくでも出て行ってもらう」
「ほう。やれるものなら、やってみてもらいましょうか」
風間はそう言うと、六人の若造を軽く見渡した。その眼力だけで、連中はすくんでいる。
「どうした、来い!」
突然、風間は腹に響く声で怒鳴った。若造たちはビクッと跳び上がると、てんでに殴り掛かって来た。
一人目の拳を小さく左に踏み込みつつかわすと、残しておいた右足を軽く相手の足に引っ掛ける。相手は大きく前のめりになり、右の手刀で軽く押しただけで、地面に腹這いに倒れた。二人目と三人目も、同じように小さく動いてかわし、軽く引っ掛けて地面に倒した。
四人目は少々空手か何かの心得があるらしく、右中段回し蹴りを放って来た。風間はそれを小さく右に踏み込みつつ受け掛け、そこから体を左に開いて、相手を豪快に振り飛ばした。五人目は、風間が先に間合いを詰めて、棒立ちの相手の鼻をつまんでやった。それだけで、相手は腰を抜かす。
最後に残ったリーダーは、手にした角材を真正面から思い切り振り降ろした。風間はそれを真正面から正拳突きで受けた。角材は、見事に折れてはるか後方に飛んで行った。
「これ以上は、子供たちにも、近隣の方々にも迷惑が掛かる。お引き取りを」
風間は息ひとつ乱さずに、言った。若造たちは、捨て台詞も忘れて、すごすごと帰って行った。すぐ横で成り行きを見守っていた園長は、胸を撫で下ろした。
「すげえ!すげえよおじさん!」錦山が、興奮して叫ぶように言った。「六人もいたのに、あんなに簡単にやっつけちゃうなんて!」
桐生も同じ気持であった。風間のあのような姿は、今まで見た事もなかった。養護施設にいる、ということだけで、いじめの対象になりやすい彼らにとって、強さというのは、一種のステイタスのようなものである。生来の兄貴肌の桐生にとって、皆を守れるほどの強さ、というのは、大きな憧れであったのだ。
ヤクザでも何でも良い。風間のおじさんのように、強くなりたい。
桐生は、強く心に誓った。
ある日、桐生は教師に職員室に呼び出された為、錦山と由美を先に帰らせた。教師の用事は大したことは無く、ヒマワリの代表者的な桐生に、施設の様子などを尋ねただけで、話しはそんなに長引かずに済んだ。
錦山と由美はもう既にヒマワリに帰り着いているだろう、と考えながらブラブラと歩いていた桐生が公園を通り掛かると、そこに錦山の姿があった。由美も一緒にいる。更に、同じ学校の同級生の生徒と、明らかに中学生の男子が三人ほど。
「何だ、どうしたんだにしき」
桐生は近づいてみて、ハッとなった。錦山は、全身に殴られた跡があった。それでも、由美を庇って立っている。
「何だよ河野。お前何やってんだよ」
桐生は同級生に詰め寄った。それを、中学生が小突いた。桐生は、一般の六年生よりはかなり身体が大きい。しかし、中学生には負ける。桐生の体がよろけた。
「お前ら、最近生意気なんだよ」河野が偉そうに言った。「生意気だから、兄ちゃんを連れてきたんだ」
「何訳の分かんねえこと言ってんだ。文句があるなら、自分で言えよ」
桐生が怒鳴ると、河野はすぐに引っ込んだ。
「兄ちゃん、頼んだよ」
「お前、本当に生意気だなぁ」兄ちゃんは本気でそう言った。「小学生だからって、容赦しねぇぞ」
「うるせえ、にしきにヒドい事しやがって」
桐生がそう言い終わる前に、兄ちゃんの前蹴りがヒットした。身体がくの字に曲がる。それでも倒れない。拳を振り上げ、反撃しようとする。
その手をはじかれ、がら空きになった顔面に、ワンツーがクリーンヒットした。桐生は、棒のように倒れた。
「兄ちゃんはなあ、空手をやってんだぞ。お前なんか勝てる訳ないんだ」
何もしていないくせに、弟の方が偉そうに言う。
「これに懲りたら、これからは大人しくしてろよ」
兄ちゃんはそう言うと、さっさとその場を離れた。中学生たちと弟が、慌てて後を追って行った。
桐生は倒れたまま動かなかった。錦山と由美が足を引きずりながら近づくと、桐生は鼻血まみれのまま歯を食いしばって、声を押し殺して泣いていた。
翌日、桐生も錦山も由美も学校を休んだ。
錦山は、結構殴られたらしく、昨日ヒマワリに帰ってきてからすぐに熱が出て、寝込んでしまった。由美は、そんな錦山の傍を離れず、世話をしている。桐生は、朝はちゃんと起きて朝御飯も食べたのだが、学校へ行く支度もせずに、そのまま何処かへ出かけてしまった。
昨晩に事の顛末を聞いていた園長は、学校には三人とも病欠すると連絡を入れた。
桐生は、特に当てもなく歩いて、気がつくと昨日の公園にやって来ていた。登校時間も過ぎているので、辺りには他に人影もない。
いくら体格が違うとは言え、あそこまで一方的にやられたのは初めてだった。同級生の中では、ケンカに負けたことが無い。自分は、結構強いと思っていた。それが、ああもあっさりと倒されてしまった。錦山も熱が出るほど殴られた。由美も怖い思いをした。それは桐生のせいではないのだが、彼は自分の責任だと決めつけていた。
悔しい。どんな相手だろうと、負けたくない。どんな相手にも負けないくらいの力が欲しい。あの時に見た、風間のおじさんの強さがまだ目に焼き付いている。あんな風になりたい。
そこへ、一人の男が走り込んで来た。かなり走って来たのか、トレーナーの背中部分が汗で変色していた。しばらくは息を整えながらストレッチをしていたが、しばらくすると動きが変わってきた。一度気をつけの姿勢を取ると、一歩踏み込んで左前の構えになった。そこから左右のストレート、左右のフック、左右のアッパー、左右の蹴り、更には膝蹴りや、踏みつける動作まで行うと、また気をつけの姿勢に戻った。
男はそこで一息つくと、桐生の方を見た。
「何だ坊主。そんなに珍しいか?」
そこで桐生はようやく、自分が男の動きを凝視していたことに気付いた。
「お前、ヒマワリの子だろ?こんな時間にどうしたんだ。学校は行かないのか。」男はそう言って、一度言葉を止めた。「ああ、なるほど。ケンカに負けたのか」
男はどうやら、桐生の鼻に貼られた絆創膏を見て、そう判断したらしい。
当たりだよ。桐生は心の中で呟いた。
「そうか、当たりらしいな」
思った事を声に出されて、桐生はちょっと恥ずかしくなった。
「ほっといてくれよ」
桐生は照れ隠しにつっけんどんに言ってから後悔した。
「坊主、ケンカに勝ちたいか?」
また見透かされたような事を言われて、桐生は動揺した。思わず何回も頷いてしまった。
「そうか、強くなりたいんだな」
更に問われて、今度は強く頷いた。
「強くなって、どうしたい?」
今度の問いには、一瞬詰まった。
「自分を負かした相手に、仕返しがしたいのか?」
そう問われて、桐生は首を傾げた。確かに、あの中学生には仕返しをしたい。同級生も、ぶっ飛ばしてやりたい。でも、それだけでは無いことは、自分でも良く判っていた。
「仕返しはしたい。でも、もっとしたいことがある」
「ほう、何だ?」
「俺、にしきとか、由美とか、みんなを守ってやりたいんだ。だから、強くなりたい」
「そうか。友達を守ってやりたい、か」男はそう呟くと、ひとつ頷いた。「いい返事だ。よし、じゃあ、俺が手伝ってやる」
手伝ってやる?桐生は一瞬考えてしまった。
「教えてやるよ、戦い方を」
男はそう言うと、桐生に近付いてきた。近くで見ると、思ったよりも遥かに筋肉がついていた。
「俺は、雑古哲也。お前の名前は?」
「俺は、桐生一馬」
「よし、一馬」雑古はニヤリと笑って言った「今からお前に、徒手格闘を教えてやる」
「としゅかくとう?」
桐生はオウム返しに言った。何のことだかさっぱり判らなかった。
「徒手格闘は、日本拳法を基礎にして、柔道や相撲の投げ技と、合気道の関節技を導入した格闘技術だ。」
もっと判らなくなった。
「徒手格闘は、自衛官が白兵戦用に訓練する戦闘技術だから、強くなれる事は間違いない。ただ、強くなれるが故に、その運用には、崇高な精神が必須である」
どんどん判らなくなってきた。
ひとりで力強く語っていた雑古だったが、ようやく、桐生のきょとんとした表情に気付いた。
「ああ、すまん。先走ってしまったな。要は、俺は元自衛隊員だ。徒手格闘は、自衛隊の戦闘技術だ。これは、相手を倒すための技術だ。だから、これを覚えてもむやみに使うな、という事だ。判るか?」
「うん。判った」
桐生は大きく頷いた。とりあえず、強くなれる、という事は伝わった。
「よし。それでは、気をつけ!」雑古は鋭い声で言った。桐生は思わず反応してしまう。「今からお前に徒手格闘を教授する。」
そう言うと、雑古は膝の屈伸を始めた。桐生もそれを真似る。
「ようしいいぞ。では、今からランニングだ」
「えっ?」
「どうした。格闘にはまずは体力が必要だ。いくぞ!」
雑古は言うが早いか、ものすごい勢いで走り出した。桐生も、負けじと走り出した。
桐生が、月曜日から金曜日までの午後八時からの二時間の練習を雑古と始めてから、二ヶ月が経った。元々体力もあり、センスもあり、尚且つ真剣であったので、桐生は乾いたスポンジのように雑古の教える技術を吸収していった。最近では、錦山も一緒に練習に参加したりしていたが、彼は今一つ続かず、来たり来なかったりであった。
桐生は、基本の突き蹴りはマスターして、最近は雑古の持つパンチングミットを叩いたりしていた。
三分5ラウンドのミット打ちを終えたところで、雑古がこんな提案をした。
「よし、今日はこのくらいにして、ラーメンでも食いに行くか」
桐生は、もっと練習したい気持ちもあったが、ラーメンの誘惑には抗えなかった。
近くに、いつも出ている屋台のラーメンが気になっていたんだ、と雑古はしなくてもいい言い訳をした。
ラーメンは、澄んだスープの醤油味で、汗をかいて疲れた体に染み渡る旨さだった。
「隊長、今日は何でラーメンなんですか?」
桐生は、ラーメンをすすりながら尋ねた。桐生は、雑古が元自衛隊員と知ってからは、彼の事を〈隊長〉と呼んでいた。
「何でって、ラーメンを食べてみたかったからさ」
「何か訳が有りそうな感じですよ」
そう言われて、雑古は思わず苦笑した。
「お前はホントに察しのいい奴だな」そう言って、ラーメンのスープを飲み干した。「実はな、こんな話をお前に言うのも何なんだけどな、何だか最近、お前が息子みたいに見えてきてな」
「息子?」
「ああ。お前と大体同い年だな。」
「一緒に住んでないんですか?」
「死んだよ。事故で。三年前に」雑古はそこで大きく息をついた。「俺がレンジャーの訓練でいない間に、登校中に暴走車に突っ込まれた。それが元でかみさんとも別れたし、気力を失って自衛隊も辞めちまった。もし息子が生きていたら、こんな風にあいつと練習したり、ラーメン食ったりしてただろうな、なんて考えちまったのさ」
「そうでしょうね」桐生は呟くように言うと、スープを飲み干した。「隊長。俺、隊長の息子の分も頑張る。だから、絶対に負けない技を教えて下さい」
「ようし」雑古はニヤリと笑った。「じゃあ、取っておきの必殺技を伝授してやろう。そのかわり、滅多に使うんじゃないぞ。こいつを使えば、一撃必殺だからな」
桐生が徒手格闘の練習を始めて、更に一ヶ月が過ぎた。もう既に、同級生相手とはケンカにならなかった。
そんなある日、桐生と雑古が空乱(寸止めの組み手)をしていると、一人の少年が近付いてきた。歳は、桐生と同じくらいだが、筋肉の量は、倍くらいはありそうだった。
「すいません。雑古哲也さんですか」
その少年は、丁寧に尋ねて来た。
「そうだけど、君は?」
「あー、ようやく捕まえた」雑古の答えに、少年は快哉を叫んだ。「一ヶ月掛かりましたよ、雑古さん。お願いがあって来たんです」
「何だい?」
「俺は、結城晶って言います。一手ご指南下さい」
「結城?」雑古は首をかしげた。「もしかして、君は、鎌倉の……」
「はい、結城武館の」
「ああ、昴じいさんの孫か」
「はい」
桐生は蚊帳の外である。
「隊長、知ってる子ですか?」
「ああ、俺がレンジャーの格闘教官だった時に、色々とお世話になった人の孫だ」そこで、雑古はニヤリと笑った。「俺を倒せ、とか言われたのか?」
「まあ、そうです。勉強して来い、と」
真顔で答える結城に、桐生は思わず尋ねた。
「お前、強いのか?」
「ああ」
結城は淡々と答えた。気負いのない、自信に満ちた返事だった。
「晶くんだったかな。良い所に来てくれたよ」雑古はニヤリと笑うと、結城を見て、それから桐生を見た。「お手並み拝見といこうか」
「何なんですか、隊長」
何となく判っていながら、桐生は雑古に尋ねた。
「そうだな、まあ、お前の卒業試験ってとこかな」雑古はちょっと真剣な表情になった。「晶くん、俺の弟子の一馬と仕合ってもらうよ」
桐生と結城は、お互い拳サポと足サポ、座布団のような内胴を着けて相対した。桐生にとっては意外な展開だったが、自分がどれだけ強くなれたか知りたかったので、願ったりな状況でもあった。
「二人とも、あまり熱くなるなよ。顔面は寸止め。急所は禁止。では、始め!」
雑古の声で、二人は構えた。桐生は前重心の左前で、左拳は顎の延長上に延ばし、右拳は鳩尾前に置いている。結城は右前の後ろ重心で、右肘を下に落とし、拳を上に返している。左拳は肘を張り、こめかみの横。桐生には、初めて見る構えだ。
「隊長、何の構えなんですか?」
「晶くんは、柳生心眼流だ。中勢厳って奴だ」
雑古の答えを聞いて、桐生は肩をすくめた。聞いても判らないだけだった。
桐生から仕掛けた。ワンツーを顔面に放ち、結城が下がるのを、突き蹴りで追う。結城はその蹴りを八点流で横に捌き、捌いた手で顔面を突いてくる。桐生がそれを横受けで払うと、楔状に突き出た中指の第二関節が見えた。結城はそこから横周転で左右のフック状の連打を放った。桐生はダッキングでかわし、低い体勢からの抜き胴を狙う。その腕を、結城は袈裟振で叩き落とす。
二人は一旦離れた。今の数手の遣り取りで、お互い動けるという事は判った。今度は結城が仕掛けた。横周転から卍(まんじ)を組み合わせ、縦横に攻撃を振ってくる。桐生はそれを勘のみでかわす。結城の打ち上げをスウェーでかわした桐生の腹に、鋭い膝蹴りが放たれた。何とか右外払いで受け流した桐生だが、一歩踏み込んだ結城に首を抱えられた。そこから結城は素早く体をひねり、首投げの要領で桐生を投げた。投げには対応していなかったので、あっさりと投げられた桐生だが、素早く結城の股間に腕を差し込み、投げられた勢いを利用して、逆に結城を投げ返した。
投げ返された結城も驚いたが、何よりも雑古が驚いた。投げに対する返しなど、全く教えていなかったからだ。
二人は離れて構えなおした。
「お前、強いな」結城はニヤリとしながら言った。
「お前こそ」桐生も言い返した。これほどの相手と互角にやり合えている事が、無性に嬉しかった。
結城が、滑るように前へ出て来た。顔面に鋭く右を放つ。桐生はそれを左で払いつつ一歩左に踏み込みつつ、カウンターの抜き胴をフルパワーで放った。結城は歩法で体を右に開きつつ、払われた腕で袈裟振の払いを用いて桐生の右の突きを払いのけると、今度はがら空きになった桐生の脇腹に打ち下ろし気味の重ね当てを打ち込んだ。桐生は抜き胴に行った姿勢のまま、地面に打ち倒された。
「ようし、そこまで」
雑古は言いつつ桐生に駆け寄ると、ゆっくりと体を起こして、地面に座らせた。背骨に膝を当て、ゆっくりと力を掛け、胸を広げさせる。
「流石は結城武館の跡取り。すげえなぁ」
雑古は素直に誉めた。それに、結城は小さく頭を振った。
「まだまだです。こんなに真剣に闘ったのは、じいさん以外では初めてです。本当に勉強になりました。ありがとうございます」
結城は頭を下げると、桐生を見た。重ね当てのクリーンヒットで呼吸が止まったせいで、まだ意識がしっかりしていない。
「桐生くんか。また相手してくれよ。ありがとう」
桐生が気がついた時には、結城は既に居なかった。電車の時間があるので、雑古が帰らせたのだ。
「おう、一馬。大丈夫か?」
「すいません隊長、負けちゃいました。試験は落第ですね」
「いや、卒業試験は合格だ」
「そうなんですか?」
「ああ。俺の想像以上の仕上がりだ」雑古はそう言って笑った。「お前は、正々堂々と良く戦った。もう、特に教えることはない。」
「めんきょかいでんって奴?」
嬉しそうに言う桐生に、雑古はちょっと間を空けて言った。
「そうだなぁ、もう少しだけ、投げと、投げに対する対処法の追試をするか」
「はいっ!」
桐生は、雑古の言葉に大きく返事をした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
養護施設アサガオ前の海岸に、桐生と大吾は缶ビールを片手に座り込んでいた。
二人とも、アロハシャツに短パンビーサンという、極めてラフな格好である。
目前に広がる大海原に今まさに太陽が沈もうとしている。雄大で、心洗われる風景である。
アサガオからは、子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。
「そうですか。そんな事があったんですね」大吾は呟くように言うと、缶に残ったビールを飲み干した。「で、結局件のいじめっ子はどうなったんですか?」
「ああ。しばらくして、また錦と由美がいじめられてな」桐生は新しいビールを大吾に渡しながら言った。「どうやら、俺に見せつけるために、わざわざ俺の目の前でやったらしい。錦達にはいい迷惑だったろうな。俺はアタマに来たんで、思わず言ってやったんだ」
「何て言ったんです?」
「お前なんか、必殺技で一発だ、ってな」
「ああ。隊長が教えてくれたって奴ですね」
「そうだ」桐生は笑いながら言った。「まあ、相手は自分より体の大きい中学生だったからな、手加減無用でやってやった」
「必殺技って、何だったんですか?」
「金的だよ。相手が突き蹴りをしてくるように誘って、その蹴りをすくい受けて、がら空きの股間を、思いっ切り蹴り上げた」
「うわあ」大吾は自分の事のように顔をしかめた。「キッツいっすね、それ」
「本来は寸止めで決めるらしいけどな」
「そうか…。あの時はそんな状況だったのか」
「あの時?」桐生は大吾の言葉を聞き咎めた。
「実は俺、あの時のケンカ、見てたんですよ。丁度、風間のおやっさんの車にもぐりこんで、桐生って人に会いたいって、駄々をこねて強引について行った時だったんです。まだ四歳くらいでしたけどね。すげえカッコいいって思いましたよ」
それを聞いて、桐生は曖昧に笑った。
「その後、河野兄弟がヒマワリに謝りに来てな。仲直りが出来たら、近所の新しい住人達とも、何となくうまく付き合えるようになってな。風間のおやっさんも一安心って感じだったよ」
桐生は、遠い目をして呟いた。
そこに、新しいビールの缶を持った遥がやって来た。
「二人っきりで何話してるの?」
「昔話さ」
桐生は呟くと、遥から受け取ったビールを開けた。
「私も聞きたいな、昔話」
遥はそう言うと、桐生と大吾の間に割って入り、自分用のコーラを開けた。
「俺の昔話は殺伐としたものばかりだぞ」
「いいよそれでも。慣れちゃったし」
その遥の言葉に、大吾は思わず吹いてしまった。
「笑うな、大吾」桐生はちょっとにらみを利かせた。「―――俺が中学を卒業する前に、横浜で『国一抗争』って言われた、不良同士の大喧嘩があってな」
桐生が話し始めると、いつの間にかアサガオのみんなが周りに集まって来た。
おじさんの武勇伝に、みんながのめり込んでいた。
今日の桐生は、何時になく饒舌だった。
終わり
(H20130327了)
この作品は、私の相方である葉月カンナの作品にインスパイアされたものです。